第3回大阪大空襲
(B29 100機以上の空襲が「大空襲」とされている)
1945(昭和20)年6月7日11時9分~12時28分(約1時間半)
大阪を攻撃したB29は409機
アメリカ軍の爆撃計画では4分の3が焼夷弾で大阪市東部(平均弾着点は都島区高倉町、国鉄(現JR)鶴橋駅、天王寺駅)を、4分の一が通常爆弾で大阪陸軍造兵廠(砲兵工廠)(弾着点は大阪城の北東部と東部)を攻撃することになっていた。B29を護衛して硫黄島からP51ムスタング138機が大阪上空に来た。高度5500~7000メートル。米軍の記録によれば、この日の大阪は雲量10。一面の雲の下にあった。B29は目標を目視できず、レーダーによる爆撃を行った。そのため、焼夷弾や砲兵工廠に落とす予定の爆弾も都島区を中心とした大阪市北東部に投下され、P51の機銃掃射も淀川両岸に集中した。城北公園や長柄橋、崇禅寺の悲劇もこのときのことである。
都島区の8割が被災した。
主な被災地域
都島区・旭区・大淀区(現北区)・北区・福島区・東淀川区(現淀川区・東淀川区)・豊中市
被災面積 5.7平方キロ
被災戸数 58,165戸
被災者数 199,105人
死者 2,759人
重軽傷者 6,682人
第3回大阪大空襲による被災地域■赤の地域
■このホームページの6月7日大阪大空襲関係の記事
都島区 内代公園 「祈平和」碑 駒つなぎの楠 空襲で廃校になった南都島小学校・北都島小学校
「連結器の上で」(高倉小学校) 不発弾の発見と処理(都島区)
旭区 城北公園と戦争(千人塚) 生江 平和観音 延命地蔵尊 「兵戈無用」碑 不発弾の発見と処理(旭区)
東淀川区 崇禅寺 法華寺 被災したお墓 柴島浄水場・JRガード下の弾痕
北区 旧長柄橋橋脚の弾痕
戦争体験 都島の空襲 昭和20年6月7日(竹中三子さん) よくぞ生きのびれた(安東静江さん) 戦争と私(飯田光代さん) 学徒勤労動員 6月7日
■6月7日の空襲による国民学校の被害
■北区 半焼 松ヶ枝 梅田東 済美
■都島区 全焼 都島 南都島 北都島 東都島 半焼 東野田 中野 桜宮 高倉
■福島区 全焼 上福島 半焼 海老江東
■此花区 半焼 西九条
■東区 半焼 中大江
■大淀区 全焼 豊仁 北豊崎 半焼 中津南 大仁 浦江
■西淀川区 半焼 柏里
■東淀川区 全焼 成小路 新高 啓発 豊里 半焼 三津屋 西淡路
■旭区 半焼 大宮 城北
■城東区 半焼 鯰江
参考にした文献
小山仁示「大阪にも空爆があった」ピースおおさかブックレット
小山仁示「戦争 差別 公害」解放出版社
赤塚康雄「消えたわが母校 なにわの学校物語」柘植書房
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案内人 柏木 功