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法華寺 被災した六世住職 墓

 1945年6月7日の空襲はこのあたりの淀川両岸を火の海にした。柴島駅近くの法華寺の中にある歴代住職のお墓も大火の跡を示している。

 法華寺は、741(天平13)年聖武天皇の勅願寺だったこと、尼僧10名が常住し摂津法華滅罪之寺と呼ばれたこと、全盛期には7堂伽藍に12坊、舎利塔が建ち本尊が釈迦如来であること、聖武の次帝孝謙天皇が田畑40畝を寄進した記録が残ることなどから、摂津国分尼寺の跡ではないかとの声が多い。いったん廃絶したのを1406(応永13)年に再興、1639(寛永16)年堂宇の寄進を受け、1914(大正3)年柴島浄水場建設のため、現在地に移転という。


案内人 柏木 功

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