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崇禅寺

 
崇禅寺 慰霊塔 / 崇禅寺の壁


東淀川戦没者の碑

 

 崇禅寺は1945年(昭和20年)6月7日の大空襲で立派な庫裏・庭園など全焼全滅に近い被害を受けた。寺宝などは防空壕に疎開させてあったので助かった。

 空襲で死人が出た場合は、その遺体をこの寺に収容することになっており、518名の遺体が運び込まれた。野犬がうろつく中を西岡祖学住職が守り埋葬した。死亡者氏名は最初全部はわからなかったが、苦労の末、518名全部わかったとのことで、霊標に刻まれている。たんねんに見ると1家族で4人もの名があり、一家全滅ではないかと思う。

 また方丈の庭は茶の木を7・5・3と並べた庭だが、その3方の塀はこの大空襲で焼かれた寺の屋根瓦を積んだものであるが、その瓦の色から空襲の勢力がしのばれる。

 この寺には日中・太平洋戦争で戦死した旧東淀川区(現東淀川区・淀川区)出身戦没者3496名をまつる「東淀川区戦没者之碑」もある。


案内人 佐藤泰正(元今津中学校教員)

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