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延命地蔵尊(旭区 大宮)

 1945(昭和20)年6月7日の大空襲で、大宮の地域も大きな被害を受けました。

 当時、薬局があった2丁目17番13号付近に1トン爆弾が落とされ、死者がでました。爆弾で吹き飛んだ人の体が大宮神社の木にかかっていたという話も伝えられています。その後約10年が経ち、近所の方がどこからか見つけてきた地蔵を有志の方々で、延命地蔵尊と命名し、亡くなった方々の供養のためお祀りをすることになったということです。

 1988年(昭和63年)にマンションの建設にともなって、今の場所に移されました。現在は9軒の世話方のみなさんでお祀りをされています。

 大宮小学校も1945(昭和20)年6月7日の空襲で焼夷弾によって燃えました。
(地図は大宮小学校創立40周年記念誌を参照しました。)

(案内人 柏木 功)

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