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第8回大阪大空襲

B29 100機以上の空襲が「大空襲」とされている

B29によって空からまかれたビラ ヒロシマへの原爆投下も知らせている。

 1945(昭和20)年8月14日13時16分~14時1分(約45分間)
 大阪上空に飛来したB29は145機 高度6700~7700メートル。

 この日、正午までに「御前会議」でポツダム宣言受諾が決まっていた。日本側の回答の引き延ばしとみたアメリカは、大阪陸軍造兵廠・光海軍工廠などを攻撃対象とした。B29とともにP51やP47も出撃、1トン爆弾(200ポンド爆弾)、500キロ爆弾(100ポンド爆弾)あわせて706.5トン投下した。この空襲で大阪陸軍造兵廠(砲兵工廠)は全滅した。1トン爆弾は国鉄(現JR)京橋駅を直撃し惨事を引き起こした。

主な被災地域

 東区(現中央区)・城東区
 被災戸数  1,843戸
 被災者数  2,967人
 死者      359人
 重軽傷者  33人
 行方不明   79人

第8回大阪大空襲による被災地域赤の地域

黄色の地域はそれまでの空襲で焼かれた地域
「新修大阪市史」第10巻の地図をもとに作成。ただし地形・区域は便宜上、現在の形。

 

参考にした文献
小山仁示「大阪にも空爆があった」ピースおおさかブックレット
小山仁示「戦争 差別 公害」解放出版社
赤塚康雄「消えたわが母校 なにわの学校物語」柘植書房

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案内人 柏木 功

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