大阪市内で戦争平和を考える大阪市内で戦争平和を考える

戦争を調べ 学び 伝える

城北支部女性部 平和の取り組み

(1)平和文集

「戦争を知らない婦人に贈る 今語っておきたい私の体験と平和への願い」発行

1986年冬 第1集 18名-教職員の投稿

 「国際平和年」にあたるこの年、第1集を発刊する。
 第2次世界大戦が終結・原子爆弾被爆41年がすぎました。職員室の中で語り伝えられた“戦争のはなし”は、もう少なくなりました。戦争を知らない婦人が“教え子を再び戦場に送らない”と願っています。過去を語りつぐことは、子どもたちの未来に責任の一端をもっことでありましょう。
 この文集が、貴女に、わが子に、教室の子どもたちに、平和の使者として、ご活用していただけることを願っております。(序文より)

1987年冬 第2集  14名-教職員・退職者・保護者投稿
臨教審答申で「日の丸・君が代」の義務化が出される。自衛隊の日米合同演習。

1988年冬 第3集 12名-教職員・退職者・生徒による聞き取り
INF全廃条約の調印、日米合同演習、潜水艦と釣り船の衝突事故、米軍機による事故。

1991年春  第4集 16名-教職員・退職者・地域労働者・児童生徒による聞き取り
湾岸戦争、2月末一応の終結。

1992年夏 第5集(最終号) 10名-教職員・退職者・地域の方・生徒による聞き取り

PKO法案強行成立。
戦後48年たった今でも、日本が犯した戦争犯罪が次々と明らかにされています。その度毎に、戦争の残忍さ、悲惨さに怒り、平和への誓いを新たにせずにはおれません。
しかし、この7月、PKO法案が強引に成立! 平和憲法を無視し、自衛隊を海外派兵するこの法案を軍靴の音と、不安をいだいている人は多くおられるのではないでしょうか。二度と過ちが繰り返されることのないように、この体験文集が広く使っていただけることを願ってやみません。(序文より)

これらの「平和文集」の内容は執筆者の了解を得られたものから、このホームページで順次紹介しています。「戦争体験文集」(トップページに内容一覧)をごらんください。

(2)平和のつどい

 

1992.11. 第1回平和のつどい 戦争遺跡めぐり「語りつぎましょう平和の尊さを!」
京橋駅→京橋駅爆撃の被災者慰霊碑砲兵工廠跡大阪城石垣の機銃掃射のあと大阪市立博物館第4師団司令部跡砲兵工廠診療所跡

 

1993.11. 第2回平和のつどい 「秋の京都・平和ミュージアムヘ」
京都→立命館大学平和ミュージアム

 

1994.11. 第3回平和のつどい 戦争遺跡めぐり「淀川を歩く」
城北公園千人塚長柄橋南詰弾痕跡崇禅寺

 

1995.10. 第4回平和のつどい 戦争遺跡めぐり「玉造・森の宮周辺」
玉造「陸軍墓地」三光神社1本足の鳥居森の宮神社(弾痕のある狛犬)

 

1996.10. 第5回平和のつどい 戦争遺跡めぐり「天王寺周辺」
谷町九丁目→生魂公園地下壕愛染堂大江神社一心寺・満蒙開拓物故者の碑天王寺動物園

 

1997.10.第6回平和のつどい 戦争遺跡めぐり「阿波座周辺

阿波座→竹林寺・焼け地蔵九島院・戦艦陸奥ゆかり安治川・川底トンネル

  

 

1998.10.第7回平和のつどい 戦争遺跡めぐり「大阪城戦跡めぐり」
京橋駅爆撃の被災者慰霊碑砲兵工廠表門化学分析場中国の狛犬大阪城天守閣大阪市立博物館第4師団司令部跡陸軍大坂城衛戌(えいじゅ)刑務所教育塔陸軍城南射撃場傷痍軍人・妻の碑

 毎回の案内人は元城北支部支部長の佐藤泰正さん

 

1999.10. 第8回平和のつどい 戦争体験の聞き取り 「宮田さん、京橋空襲を語る」

 当時警察官だった宮田正夫さんは、この空襲を知り京橋駅に向かわれました。死臭の漂うその惨事の中、時も寝食も忘れ、けが人や亡くなられた方々の対応におわれたということでした。

 私の警察生活のうちで、最も印象に残っているのが、京橋空襲です。強盗や殺人いうてもそんなにようけやない。しかし京橋駅の爆撃は、いっぺんに277名も亡くなっておる。いつまででも私の中に残っているのが現状でございます。簡単ですが二度とこういう戦争が起こらないことを願って、話を終わります。

と締めくくられました。

 

2000.12 第9回平和のつどい 戦争体験の聞き取り 「古跡さん、京橋空襲を語る」

 当時若い歯科医の古跡さんは、大阪の空襲のたびに歯科医でありながら外科など金ての医療を担っておられました。今福小学校が医療の中心となっていたこと、医薬品のなかった中での苦労の様子、京橋空襲での救護の日々など、時には目を潤ませながら思い出すように話を続けてくださいました。
 戦争の醜さというのは、若い人たちにどれだけの犠牲を強いたかということを考えてみると、残酷を過ぎた思いがします。この地区でも、もっともっとっらい思いをされた方がたくさんあると思うのです。戦後50年経っても、やっぱり思い出すと当時と悲しさというのは何ぼもかわらない点が多いです。

と言葉をまとめてくださいました。

 

2002.1.26 第10回平和のつどい 「冬の京都・平和ミュージアムヘ」
京都→立命館大学平和ミュージアム

 

2003.2.1 第11回平和のつどい 戦争体験の聞き取り  「女学生が見た戦争」

空襲当時、春日丘女学校の生徒だった北川英子さんのお話を聞きました。

 

2004.2.8 第12回平和のつどい 講演「大阪砲兵工廠はどんな役割を果たしたか」

第6回城東区戦争展に参加し、大阪砲兵工廠研究者三宅宏司さんのお話を聞きました。

 

2005.1.28第13回平和のつどい 戦争遺跡めぐり 「大阪城戦跡めぐり」
京橋駅爆撃の被災者慰霊碑砲兵工廠表門化学分析場中国の狛犬大阪城天守閣大阪市立博物館第4師団司令部跡陸軍大坂城衛戌(えいじゅ)刑務所傷痍軍人・妻の碑

 

2006.2.4. 第14回平和のつどい 講演 「靖国神社問題」
旭区法栄寺元住職 小林顕英さんのお話をききました。


案内人 柏木 功

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