大阪市内で戦争平和を考える大阪市内で戦争平和を考える

森之宮神社 狛犬と鳥居

   

 

 正式には鵲森宮(かささぎもりのみや)という。
 社伝によると、推古天皇の時に、わが国の鉄工業の祖といわれる吉士磐金(きしのいわかね)という人が、朝鮮から持ち帰った鵲を、この森で飼うたので、この名がついたと言う。
 大きな寺院だったらしく、田植え神事もあった。東の田圃の中に温泉もあったとのこと。『枕草子』のなかの「湯はななくくりの湯、有馬の湯、玉造の湯」の玉造の湯はここだとも言う。
 神社の建物は空襲で燃えてしまったが、現存する社は奇跡的に残ったものという。
 元はもう少し北のほうにあったが、道路の拡張で今の場所に移された。社中きれいに洗われた。柱などに傷がはいっているのは、焼夷弾などの破片と言われる。
 また、狛犬さん、最初は青銅製であったが、戦争で供出させられ、石に作り替えたところ、次は空襲にあい台座などに破片で削られた跡が残っている。二度も被害に会うているのに、この狛犬さん、愉快な顔で「人間って、戦争するって、アホやなあ」と言っているよう。私の好きな狛犬さんの一つです。皆さんはどうですか。

(案内人 佐藤泰正(元今津中学校教員))

 狛犬にははっきりと弾痕が残っている。鳥居は元禄時代のものというが爆撃で倒れたという。そこにも弾痕がある。
 狛犬台座の裏に次のように刻まれている。
「大東亜戦争ノ為メ青銅製ノ狛犬ヲ献納シテ之ヲ再建ス
                 昭和十九年七月」

↑上へ