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「砲兵工廠(ほうへい こうしょう)跡」碑

「森ノ宮」駅北東、公団の中にも碑がある。

 「砲兵工廠跡」と刻まれた高さ1.5m、幅2mの花崗岩の記念碑が大阪城ホールの南西側にある。この碑はもともと最も多くの犠牲者を出した第3旋盤工場跡に(ここからかなり東の方)従業員OBの親睦団体である大阪廠友回によって1959(昭和34)年に建てられたものである。今、大阪城ホールの所には、明治時代に造られ左右対称の長大な平屋レンガ造りで中央が3階となって、正面ポーチにはギリシャ神殿風の円柱を持つ風格のある「砲兵工廠本館」があった。

 保存を求める市民の強い運動があったが、この大阪城ホールを造るために、1981(昭和56)年に取り壊されてしまった。そして、大阪城ホールの完成した1983(昭和58)年、今の地に、この記念碑が移された。前の石は、潰された本館の物と言う。

「砲兵工廠」についての説明はこちら「砲兵工廠 表門」へ

 

「砲兵工廠」の碑は、森ノ宮駅北東にもある

   

「砲兵工廠」の碑は、森ノ宮駅の北東、公団森ノ宮団地3号棟と4号棟の間にもあります。


案内人 柏木 功

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