大阪市内で戦争平和を考える大阪市内で戦争平和を考える

傷痍( しょうい ) 軍人と妻の碑

 

 『ピース大阪』の北側にある新しい碑。

 愛する夫が、父が、息子が、兵隊にとられて戦死したが、かなりの兵が手や足を失って帰国した。その人達を傷痍(しょうい)軍人といった。敗戦後は、これといった補償(ほしょう)もなく、仕事もなく物価高のなかで、死ななくて良かったと思ってみても、このような傷痍軍人の面倒をみなくてはいけない家族のものは、自分の生活だけでも大変な時世(じせい)に、さらに大変だったに違いない。小学3年で終戦を迎えた私が、小学生の頃は、繁華街のところでは必ず、このような傷痍軍人さんが、白衣を書て茶色の軍帽をかぶり、義足や義手をわざと見えるようにして、へたなアコーデオンやハーモニカを演奏しながら物乞(ものご)いをしているのを見た。電車に乗ると必ずといってよい程、このスタイルの傷痍軍人さんが、各車両ごとに一くさり演説したあと、白い箱か軍帽を持って、物乞いに回ってきた。

 物乞いをするというのは、日本人にとっては、精神的に大変屈辱的(くつじょくてき)なことである。帝国軍人の『名誉(めいよ)の負傷』とおだてられたあとの敗戦。経済的な裏づけもなく、このような態度をとらねばならなかった傷痍軍人は大変だったと思う。そして彼らの家族も、同様に大変だったことは言うまでもない。この碑は新しいが、これらの苦難を経験した人達の、本当に戦争はイヤ!という気持ちを、充分に伝えるものである。碑には次ぎのように彫られている。  

永遠の平和を願って

人間にとって、戦争ほど恐ろしいものはありません。その苦しみや残酷さを知った戦傷病者(せんしょうびょうしゃ)とその妻が、永遠の平和の願いをこめて、植樹し、この碑を建てました。どうかいつまでも知っていて下さい。  

 一九九二年三月大阪府傷痍軍人会 同妻の会 一同

案内人 佐藤泰正(元今津中学校教員)

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