大阪市内で せんそう と へいわ を かんがえる大阪市内で せんそう と へいわ を かんがえる

 

傷痍軍人(しょういぐんじん)(つま)()

 「ピース大阪」の北側(きたがわ)にある(あたら)しい()です。

 (あい)する(おっと)が、(ちち)が、息子(むすこ)が、兵隊(へいたい)にとられて戦死(せんし)しました。そのその一方(いっぽう)で、かなりの(へい)()(あし)(うしな)って帰国(きこく)しました。その人たちを傷痍軍人(しょういぐんじん)といいます。敗戦後(はいせんご)は、これといった補償(ほしょう)もなく、仕事(しごと)もなく物価高(ぶっかだか)のなかで、()ななくてよかったと(おも)ってみても、このような傷痍軍人(しょういぐんじん)面倒(めんどう)をみなくてはいけない家族(かぞく)の人は、自分(じぶん)生活(せいかつ)だけでも大変(たいへん)な時に、さらに大変(たいへん)だったでしょう。

 この()(あたら)しいですが、これらの苦難(くなん)経験(けいけん) した人たちの、 本当(ほんとう)戦争(せんそう)はイヤ!という気持(きもち)を、十分に(つた)えるものです。()には(つぎ)のようにきざまれています。  

永遠(えいえん)平和(へいわ)(ねが)って

 人間(にんげん)にとって、戦争(せんそう)ほど(おそ)ろしいものはありません。その(くる)しみや残酷(ざんこく)さを()った戦傷病者(せんしょうびょうしゃ)とその(つま)が、永遠(えいえん)平和(へいわ)(ねが)いをこめて、植樹(しょくじゅ)し、この()()てました。どうかいつまでも()っていて下さい。

 一九九二年三月
 大阪府傷痍軍人会(しょういぐんじんかい) (どう)(つま)の会員一同(いちどう)

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