大阪市内で戦争平和を考える大阪市内で戦争平和を考える

谷町筋に残る焼夷弾のあと

 1945年(S20年)3月14日の第1回大阪大空襲で、谷町筋のお寺は全部といってよいほど、全焼してしまった。もちろん墓石は燃えないのだが、、直撃、火、熱、すす、などで大きな被害があった。それから半世紀。新しいのにとりかえられたり、風化したりして分からないものが大部分だが、よく見ると大空襲の被害がわかる。

万松山吉祥寺の墓石、山門の横の詩碑

 

通称「義士の寺」で有名である。淺野内匠頭(あさの たくみのかみ)の墓をはじめ、大石内蔵助(おおいし くらのすけ)ら赤穂46士の墓がある。(足軽ゆえに切腹御免となった寺坂吉右衛門-彼が江戸で墓をつくれなかったので遺髪、遺爪などをこの寺に持参、依頼-の墓はない) 

 山門の両側に「文化14年」(1817年)の年号の入った詩碑がある。どちらも焼夷弾でけずられ、油脂や火煙でよごされた跡がよくわかる。寺内の別の場所にあったものをここに移したという。
 寺内の一群の墓石が、すすがまだとれずに残っている。

鳳林寺の五輪塔、墓石

 大阪夏の陣で真田幸村に追われた徳川家康がこの寺に逃げ込んだという。立派な七堂伽藍があったが、大阪大空襲で全焼したという。
 寺内の墓地にある大きな五輪塔がひび割れしている。また、火災にあった墓石が多く見受けられる。

大江神社の狗犬(こまいぬ)

 夕陽丘一帯は大阪大空襲でおおきな被害を受けたところである。大江神社境内の狗犬(こまいぬ)が焼夷弾を受け、下部が欠け落ちている--ピース大阪発行の「明日への希望」に書かれており、神社側もそのように説明している。しかし、風化がはげしく、はっきりわからない
 なお、これは犬ではなく、韓国・朝鮮の庭園や宮殿の前にある「ヘデ」ではないかと佐藤は思う。

大江神社の中の稲荷神社前の狐
左前足と尾が折られ石も焼けこげている。

この台座に青銅製の神馬像があったが、戦争に「献納」された。

柳谷観音大阪別院(泰聖寺)の焼けた地蔵群

焼夷弾によって焼けて変色したもの、顔がなくなったもの、胴が壊れたものなどがある。

清水(きよみず)坂の焼夷弾による焼け跡

 大阪にも清水寺があります。滝もある。清光院(清水寺)の横、星光学院との間にある坂が清水坂。ゆるやかな石畳の坂道が続く。その横の石垣はほとんど花崗岩(かこうがん)だが、ところどころ、焼夷弾によって焼かれ赤くなっている。

愛染(あいぜん)かつら(愛染堂)

 

 愛染さんとして親しまれていた愛染堂。縁結びの神木として信仰され、「愛染かつら」と呼ばれていた木は大空襲によって枯れてしまった。そばの本堂と多宝塔(大阪市内の最古の木造建築)は奇跡的に助かった。


案内人 佐藤泰正(元今津中学校教員)

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