大阪市内で戦争平和を考える大阪市内で戦争平和を考える

陸軍城南( じょうなん ) 射撃( しゃげき )

    

 教育塔(きょういくとう)の東側あたりに、陸軍(りくぐん)城南(じょうなん)射撃場(しゃげきじょう)があった。東西に長く、コンクリート製の体育館をいくつも繋(つな)ぎ合わせたような外観だった。30年ほど前までは、天守閣の上から南を見ると一番目立つ建物だった。在阪陸軍歩兵部隊(ほへいぶたい)の小銃(しょうじゅう)・機関銃(きかんじゅう)の実射射撃訓練にあてられていた。大きな石垣を転がしたような碑には、次のように書かれている。

 城南射撃場は昭和7年5月陸軍によって建設、戦後は陸上自衛隊に引き継がれて隊員の訓練などに供されていた。昭和43年11月、大阪市の緑化100年運動の一環である大阪城公園の整備推進に協力し撤去された。

昭和44年5月24日 大阪市

(案内人 佐藤泰正(元今津中学校教員))

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