戯曲「嵐吹いて、草たちはいま…」

戯曲「嵐吹いて、草たちはいま…」

奥村和巳 佐伯 洋 松本喜久夫 宮階延男

○時 一九九六年二月より一九七九年十月
○所 大阪市、八田地区とその周辺
○舞台 中央に大きな二重台。上手へ少し高い二重台がつづく。下手に少し離して別の二重台がある。劇はこの一部または全部を順次使って進行し、転換の間をとらない。
上手前に行灯を置き、時、場所をあかりで示して進行する。

○場割りと登場人物

第一幕

一、一九六九年二月、八田地区の路上

山下(中年の中学校教師)
玉野(中年の中学校教師)
金森(中年の小学校教師)
かね(屋台のおばさん)
中田(八田地区の住民、純子の母)
羽山(若い小学校教師)

二、同年三月、大阪市教育委員会の一室

教育次長
中村(市教組委員長)
徳野(市教組執行委員)
崎山( 同 )
森村(市教委同和担当主幹)
泉 (部落解放同盟八田支部書記長)

三、同年四月、住之江教職員寮の玄関

羽山
松木(羽山の友人、若い教師) 山脇(若い女教師)
住之江寮管理人
徳野
橋口(市教組南東支部青年部長)
電話の声(泉)

四、その翌日、八田市民館の集会室

羽山
玉野
金森
多田(部落解放同盟八田支部長)

中田
同盟員A
 同 B
 同 C
 同 D
 同 E
森村
その他同盟員、市教組組合員多勢

五、数日後、夜の道、病室

玉野
登美(玉野の妻)
寛美(玉野の長女)
羽山
近所の奥さん
金森
山脇
中田純子(金森学級の児童)
鳥井弁護士
花田(タバコ屋のおばさん)
若者1(解同のアルバイト)
若者2( 同 )

六、同年五月、教育会館会議室(市教組中央委員会)

議長
玉野
関谷(市教組中央委員)
中村
徳野(市教組書記長)
崎山
橋口
その他執行委員、中央委員、解放同盟員多勢
松木

七、同年六月、朝日小学校職員室

羽山
松木
校長
伊藤(朝日小学校教務主任)
中西(同校 生活指導部長)
谷口(同校 分会長)
吉田(同校 中年婦人教師)
小林(同校 若い婦人教師)
山本(同校 同 )

八、一九七一年(二年後)一月、大阪市教組臨時大会会場

議長
崎山(市教組代議員)
その他市教組役員、代議員など多勢
松木

第二幕

九、1974年(三年後)言、玉野の家

玉野
登美
寛美
憲子(玉野の次女)
花田
羽山
松木
その他、支援の教師たち、合唱の人たち多勢

十、同年四月、羽山の結婚式

羽山
山脇(羽山の妻)
玉野(羽山・山脇の仲人)
登美( 同 )
松木(司会者)
花田
金森
寛美
憲子子
その他列席者(前場の合唱、教師の人たち)

十一、一九七七年(三年後)三月、教育委員会の一室

教育次長
教職員課長
中村
徳野(市教組副委員長)
橋口(市教組南東支部長)

十二、同年五月、朝日小学校六年一組教室

羽山(朝日小学校の教諭)
松木( 同 )
小林( 同 )
子どもA(小林学級の児童)
 同 B( 同 )
 同 C(松木学級の児童)
放送の声(朝日小学校の教諭)
合唱の人たち

十三、一九七九年(二年後)十月、裁判所の裏庭

玉野
山下
金森
羽山
関谷(八人の先生を守る会事務局長)
崎山(市教組書記長)
鳥井弁護士
高山(養鹿高校教諭)
立川( 同 )
登美
寛美
花田
松木
かね
羽山の妻(旧姓山脇)
その他原告団、弁護士、傍聴者、参会者たち
小林
朝日小学校の先生たち
合唱の人たち

第一幕(一九六九年二月より一九七一年一月まで)

一、「八田地区の路上

 上手の行灯に「一九六九年二月、八田地区」の文字。舞台が明るくなると字は消える。
 上手よりに「おでん」の屋台。赤ちょうちんがぶら下がっている。屋台を中心に、二、三脚の床几、寒さよけにビニール幕が張られてある。
 先程から一ばいやっている玉野と金森、その横で山下が屋台を机がわりにペンを走らせている。闇がせまって、風の音ひとしきり。

玉野 おばちゃん、もう一本。
かね はい。ほな先生、これ私のおごり。
玉野 あかん、あかん。買収しても息子の成績はあがらんで。
かね あきまへんか。そやけど一本ぐらいよろしやろ。教育長さんかて、やったはるんやから。
金森 おばちゃん、あきらめ。この人ほ金や権力には縁がない人。生徒のために身銭はきっても、自分はもらわん人や。
かね そうですなあ。ほなら一つ、つがしてもらいまひょう。おばちゃんで悪いけど。
玉野 それはありがたい。(グーと飲んで)働くおばちゃんの味や。うまいなー。

 中田、回収してきた反古紙を積んだリヤカーを引いてくる。

中田 寒いなあ、今日も。二級とおでんな。(床几にすわる)こんにゃくと竹輪に……(金森に気づいて)いや、先生。こんなとこにいやはって。えらいとこ見られた……
金森 相変らず元気ですね。今帰りですか。
中田 (うなずいて)きょうは集りが悪うてね。
かね 何や、あんたの先生かいな。
中田 ふん。純子が世話になってるんや。 かね わしとこはこっちの先生や。あのワルが玉野先生、玉野先生いうてな。
中田 金森先生、この間の話、あれ良かったわ。つづきをしてほしいいうて、評判ええの。
玉野 ほう、何の話やねん
金森 いや、大学区制ですよ。学区を小さく分けて進学率の高いところに高校増設をするのが本筋なのに、大学区をそのままにして、ここみたいに進学率の低い地域といっしょにしとく、それでナラシで数字はじき出して、父母の要求をごまかす。こうして一流校から三流校まで、教育委員会がつくってきたって。
玉野 おいおい、ぼくの専門を横取りするなよ。
金森 えっ~ (ことさらに)あ、先生中学校でしたね。ははは……(二人笑う)
金森 (中田に)純ちゃんの学用品、届きましたか。
中田 はあ、昨日。いつも先生に手続きをたのんで……じや先生。(立ち上がる)
玉野 ああ、お疲れさま。(中田につづいて外へ出る)おばちゃんらがこうして紙を集めてくれはるから、子どもたちのテストができるんです。ありがたいことです。
金森 (一緒に外に出て)これがザラ紙になるんですね。

 肩ひもをかけ、引きだそうとする中田。金森はそのリヤカーをグッと押す。

中田 いや、先生。……おおきに。

 中田、会釈をしてリヤカーを引いて行く。二人は再び屋台に戻る。

山下 (ペンをおいて)これでええかな。(二人を見て読みあげる)組合員のみなさん、昨年はご支援、ありがとうございました。残念ながら落選しましたが、本年こそ、と頑張っています。どうぞよろしくお願いします。

 みなさん、労働時間は守られていますか。自宅研修のため午後四時頃に学校を出ることができますか。仕事においまくられて、勤務時間外の仕事を押しっけられていませんか。進学のことや同和のことなどでどうしても遅くなること、教育懇談会などで遅くなることは、あきらめなければならないのでしょうか。また、どうしてもやりたい仕事もやめなければならないのでしょうか。

 組合員のみなさん、教育の正常化に名を借りた、しめつけや管理はありませんか。越境・補習・同和など、どれを取上げても極めて大事なことです。しかし、それに名を借りて転勤や過員の問題、特設訪問や研究会や、授業でのしめつけがみられて、職場がますます苦しくなります。新指導要領についても同じです。「どんな良いことでもお上から決められたことはダメだ。自ら要求し自らかちとったものが身となり肉となる」ことを、ひしひし思い知らされます。

 最後にもう一つ、平和を守り、沖縄の即時無条件・全面返還と安保廃棄の闘いを、暴力集団を除いた全民主勢力で勝ちとりましょう。東京都や沖縄の三大選挙のような、強固な統一戦線をつくりましょう。まだまだたくさんありますが、このようなことに奮闘して、頑張りたいと思っています。どうぞよろしくご支援ください。

玉野 うん。おおむね、いいですな。

金森 各項目に、一、二、三と数字を入れたらどうですか。その方がわかりやすい。
山下 そうやね。さすが小学校の先生ほちがう。
玉野 それと、組合員のみなさんが、どっかでだぶってた。呼びかけは一つにした方がスッキリすると思う。
山下 うん。
かね 大変ですな、先生も。
玉野 そうや。民主的な組合をつくらんと、なかなか本物の教育はでけん。
かね 「労働時間」 って、先生らいつも遅いんですやん。……それはあかんのですか?
山下 いいや、私らは上から決められたんやのうて、自分から懇談会をつくってきた。そやからこんな時間になっても何とも思わんし、おばちゃんと話をしてても楽しい。
玉野 ほんまはうちの母ちゃんに怒られることもあるんや。
かね また、先生のおのろけ。
玉野 いや。怒られても、八田地区の教育懇談会はつづけなあかんのや。これは人から命令されたんやのうて、自分から進んでやっている。
金森 それをお上が命令してきたらどうなる?……赤ちゃんを保育所にあずけてる先生もおる。子どもに一人で家の留守番さしてる先生もある。そんな先生は早く帰って当り前やろう。その代りにその先生は子どもを寝かしながら採点をし、ノートに赤ペンを走らせてはるんや。
かね なるほど。

 羽山、ビニール幕を開けてのぞく。

羽山 やっぱりここですか。玉野先生、次の研究会の打ち合せ……。
玉野 そうや、すっかり忘れてた。すぐ戻ろう。……あっ君、山下先生の推薦人になってくれへんか。今、あいさつ状ができたとこや。
羽山 あ、山下先生、役員選挙に出られるんですか。
山下 ええ、また書記長です。
羽山 (うなずいて)いいですよ。名前書いておいてください。応援します。
玉野 よし。じゃ役選めざして、乾杯といくか。

 四人はそれぞれ盃を持って立つ。先程からなっている屋台のラジオがニュースを告げる。 ラジオ ……つづいて大阪からお知らせします。けさ、和歌山県白浜三段壁で発見された中年の男の人の水死体は、その後の調べで、大阪市教育長、藤原肇さんとわかりました。藤原さんは一連の教育委員会汚職で、一昨日警察の取調べに行く、と家を出たまま行方がわかりませんでした。校長任命にからむ今回の汚職事件で、藤原さんは……。

金森 自殺……か。
玉野 教育委員会にも嵐が吹くえ。……

 四人、先の不安を感じるように、盃を持ったまま立ちつくす。かね、その四人をじっと見る。風がひときわ強く吹く。

             暗転

二、大阪市教育委員会の一室

 行灯に「同年三月、大阪市教育委員会内の小会議室」 の文字。
 テーブルをはさんで、一方に市教委教育次長。一方に市教組委員長中村、執行委貝徳野、同崎山。

教育次長 (立っている)…‥それでは明日までに教育委員会として責任のあるご返答をいたします。議員団と市長の話し合いも行なわれておりますので、その政治的決着も受けまして……
それまで、どうぞ穏便に……
中村 (すわったまま)ま、気の毒やといえば気の毒やが、なんちゅうても身から出たサビやからね、はっきりしてもらわないかん。市民に対してやね。責任のある善後策を……ごまかしようがおまへんで、ここまで来たら、エ?
次長 (無表情に黙っている。しかし立ったまま、もう交渉は終りという姿勢をくずさない)
中村 (徳野、崎山を見て)とにかく明日まで待ってみよ。帰ろか。
徳野 はあ。(立ち上がる)
崎山 ちょっと……教育次長、さっきの質問――あなた方が言う教育正常化というのを軌道修正するのかせんのかということにはまだ‥‥‥
中村 (さえぎり)崎山君、それはまた別の時にやる。今日は帰ろ。
崎山 しかし、委員長、こういう腐敗が明るみに出ているのに……
中村 (再びさえぎり)ええから、ええから……次長さん、この次は今の問題でやりまっせ。ほな。

 中村が他の二人を押し出すように出口ヘうながす。他の二人が先に出たところで。

次長 中村さん、ちょっと。
中村 あ?(ふり返り、次長と目が合った。外の二人に)ああ、あんたら先に帰っといて。わし、あと議員団の控室回って行くさかい。

 徳野らは帰って行った。教育次長と中村は席に戻る。

次長 (さっきよりくつろいでいる)どうぞ、中村さん。
中村 (腰を下ろしながら)大阪市教委、危急存亡のときか……
次長 いやぁ、参りました。次々と……内憂外患……
中村 外患て、なんや。
次長 (苦笑して)そんな……たとえば、教職員組合。ははは……
中村 フン。
次長 上げ潮ですな、なかなか。
中村 なにが?
次長 革新勢力……統一戦線て言うんですか、社共の。
中村 そうでもないで。向こうは上向きかも知らんけど、こっちは……しかし、それは今度の教育長問題とは関係おまへんな。
次長 (じっと中村を見すえている)……中村さん、これほ部分的な問題です。もうちょっと巨視的に見てほしいんですがね……おっしゃるように、日共さんは着々と力をつけています。どうもあの反戦とか、反代々木系とかはうまく行ってないようですな。
中村 いやァ、大阪ではまだまだ戦力になっとる。向こうさんもだいぶ叩かれてこたえてるんやで。
次長 いや、叩かれ得をしてるんやないですか、日共さんとしては。現に東京では都知事選挙でも三派系は除外されてるようですし……大阪市教組の中でもじりじりと……
中村 ほっといてんか。なんや、話すりかえよう言うんか。
次長 巨視的に見ようと言ってるでしょう。……大教組は大丈夫ですか。
中村 大丈夫やがな。……なにを言いたいんや、次長さん。
次長 (ずばりと)大阪も時間の問題じゃないんかということです。さ来年の知事選挙もにらんで、あちらさんの戦略はなかなか雄大で綿密です。
中村 だいぶ危機感を持ってるわけやな、次期教育長としては。しかし、小細工はあきまへんで、今さらレッドパージもない。組合は一応統一戦線やからね。崎山も交渉に連れて来ないかんのですわ、時々は。
次長 小細工なんか、すると言ってません。
中村 さ、わしも忙しいんですわ。具体的な話がないんなら、これで。(腰をうかせる) 次長 いや、中村さん。(ポケットから一枚の印刷物を取り出し)これ、ご存知でしょうな。
中村 あん~ ああ、山下君らの立候補のあいさつか、見ましたで。
次長 えらいのんきですな。問題になってないんですか。
中村 うん、南東支部もかなりせり合うてるとこやから、向こうも力入ってるなぁと……~次長 そんなことやなくて、内容ですよ。
中村 内容?まだ詳しく読んでないから……
次長 ここです。(指でさして)大問題でしょう、これ。……ちょっと待ってください。さっきから待ってもらってる人があるんですよ。(奥に行き、いったん出る)

 中村は、首をかしげ、吸い付くようにじっと印刷物を見つめている。次長が、泉(部落解放同盟八田支部書記長)、森村(市教委同和担当主幹)とともに再び入って来る。

中村 (顔を上げ、ハッとする)あ! 泉さん……

三、住之江教職員寮の玄関

 行灯に「同年四月、住之江教職員寮」 の文字、舞台が明るくなるにつれて消える。
 管理人室へ通じる階段の下。ぽつんと電話が置いてある。壁に子どもの絵が額に入って吊られていても良い。まっ暗な中を不安な曲が支配しているが明りが入るとともに、それは鳴り続ける電話のベルの音に替る。
 管理人がパジャマにガウンを羽織りながら電話に歩み寄る。

管理人 アーア、こんな時間に、かなわんなァ。(受話器をとり) ハイ住之江教職員寮です。
電話の声 (この声はスピーカーで会場に流される。低い抑えた声だ)教職員寮でっか~
管理人 はい、私、管理人ですが、緊急以外は夜間の電話は慎んで欲しいですなあ。
電話の声 そちらの二階、六号室やと思うけど羽山という教師が居る筈やが。
管理人 羽山さんでっか。この頃顔見てませんよ。しばらく帰って来てないですよ。
電話の声 そうでっか。(残念そうだ)あんた羽山を見かけたら八田市民館へ来るように言うといてんか。
管理人 あんたえらい横柄な口のきき方しはりまっけど、どちらさんですか。
電話の声 部落解放同盟の泉や。解放同盟との話し合いに出て来い。出て釆んようならこっちにも考えがあるて言うといてんか。あんたも教職員寮の管理人やってるくらいやから、今大阪でどんな問題が起ってるかくらい知ってるやろ。
管理人 しかし、それと羽山さんと何の関係が……
電話の声 (相手をさえぎって)羽山も差別教師やがな。(ガチャリと電話を切る)

 管理人は舌うちして受話器を置く。

管理人 なんや組合の役員選挙で、あいさつ状が問題になってるということは聞いたことがあるけど……(とひとり言)

 階段の途中から半ば覗くような姿勢で松木が管理人に呼びかける。

松木 あのう、羽山君がなにか……
管理人 解放同盟から電話でしたんや。ややこしいことにならなんだらええが。ともかく「八田市民館へ来い」て言うてはりましたで。松木さん、もし、あんた羽山さん見かけたら言うてやって下さいな。私は休ませてもらいますで……。(と振りかえり管理人室の方へ帰ろうとすると、玄関に立っている人物が目に入る)羽山さん(じっと見て)羽山さんやね。(と寄って行く)

 羽山は薄暗い玄関から、廊下の明りの部分へ入る。松木は階段を駆け降り、羽山の肩に手を置く。

松木 心配してたんやでェみんなで、寮に帰って来ん日が続いたから。
羽山 (こわはっていた顔が少しゆるんで)すまん。ああ、腹減った。
管理人 羽山さん、あんたまだ若い、教師になって二、三年でっしゃろ。かたよった思想の人もまわりにおるから、気イつけなあきませんで。松木さん、さっきの電話の伝言、頼みましたで。(と退場)
松木 解放同盟というところから電話で―
羽山 わかってる、糾弾集会に出席しろて言われてるんや。
松木 糾弾? 行くのか。
羽山 (それには答えず)差別者て言われてるんや、俺。
松木 差別って、何か部落の人を差別するような事を言うたのか?
羽山 いいや、ただ役員選挙の推薦人に名前を連ねただけや。
松木 ただ名前だしただけでか?
羽山 解放同盟て民主的な団体、なんやろ。
松木 そら、そうやろ。部落解放の運動やってるんやから。……し かし、わからん話やな、いったいどういう関係になってるんや、君が差別者やていうのは……
羽山 (話をそらして)食堂、まだあいてるかなぁ。
松木 もう、おかず残ってないよ。俺の部屋でラーメソでも一緒に食おう、作ったるわ。
 風呂帰りでもあろうか、山脇が電話の方に向かって歩いて来る。

山脇 すみません。電話、使っていいですか。
松木 あっ、どうぞ。僕らここでちょっと立ち話してるだけですから。
山脇 あら、(と言って、羽山に)帰って来てはったの、羽山さん。
松木 さっき、帰って釆たんや。羽山君知ってるやろ、四階の……
羽山 八号室……やったかなあ。
山脇 そう、山脇と言います。山手小学校四年生担任、新任です。
羽山 じゃ金森先生と同じ?
山脇 ええ、学年がちがうけど、兄弟がいるのでときどき話すんです。いい先生ですね。
羽山 そう、いい先生です。だから推薦人になったんやけど……
山脇 推薦? なんの……
羽山 組合の選挙の……
山脇 ああ、あれ。金森先生も候補者なんですね。
羽山 ええ、……頼みみますよ。
はあ私、先生方信煩してますから。
松木 今頃、電話? どうしたの?
山脇 田舎の母も教師してるんですけど、時々電話しないとうるさいんです。明日の指導案書いてたら、こんな時間になってしまって。
羽山 がんばってるんやね。

 あわただしく玄関に飛び込んで来た男がいる。大阪市教組役員(徳野、橋口)だ。羽山に目をとめるなり大声で。

徳野 困るなあ! 羽山君。ともかく早よ行って欲しいんや。急いでんか!
松木 あなた誰ですか。失礼じゃないですか。
徳野 あんたこそ、誰や。私は市教組の役員で徳野という者や。(羽山に向かい)羽山君、早よう行こ。
羽山 どこへ、ですか……
徳野 八田市民館へやがな。われわれもえらい迷惑やで。ともかく玉野はんからもうみんな揃うてるんや。解放同盟も泉さんはじめ待ってるんやから。

 見守る松木と山脇

橋口 大阪市教組の面ツにかけても連れて行くで、さ、早よ車に乗ってや!

 徳野は羽山をせきたてる。

松木 羽山君、お腹すいてんのと違うか。
山脇 (すばやくポケットからみかんを)羽山さん。(渡す)
羽山 ありがとう。

 玄関に向かう徳野、羽山はみかんをもらって山脇にお礼の視線、そして玄関へ。

 車の発進音、不安な曲。

四、八田市民館の集会室

 行灯に「その翌日、八田市民館」の文字。正面高い二重に玉野、金森、羽山。その横に泉がマイクを持っている。一段下に多田、それを下手よりから前方へ解放同盟員、市教組組合員らが取り巻いている。

     暗転

同盟員A おい差別者、しゃべったれや! お前らは十八日はあいさつ状を差別文書やと認めたんやろ。
同盟員B 先公はしゃべんのが商売やろ。もう十五時間も黙っとるやんけ。何とか言うたれ
三人 …………
同盟員C 質問しとんのが立っとんやぞ。徹夜でえらいのはお前らも俺もー緒じゃ。何をえらそうにすわっとんねん。立て立て!

 三人、思わず腰を浮かすと横から椅子がけとばされる。

多田 な、玉野先生、(と丁重である)こないだの電話では金森先生が窓口やていうことやね。とすると、金森さんがしゃべらなあかん訳や。
金森 昨日も言うたように、授業中の学校に乗り込んで、無理矢理私を連れ込んで来る、こんな状態のところでは何も言うことはありません。
同盟員C 誰がそうさしたんじゃ。約束破りやがって。
同盟員D まあ、おかけなさい。ちゃんと話をしましょうや。(と椅子をすすめる)

 三人、椅子にすわる。―間― 羽山煙草を吸う。

泉 こら、生意気なんじゃお前ほ。若いくせに煙草なんか吸いやがって。
多田 お前らな、足踏まれたもんの痛み、わからんやろ。足踏まれたことあるか!(近づいてドンと強く床をたたく)
金森 (思わず足をひく)
多田 ほれ見てみ、お前は偏見を持っとる。俺が足をあげたら踏む思とる。部落の者は悪いことすると思うとるんやろ。(金森の胸ぐらを掴んでゆさぷる)
金森 ……ちょっと電話をかけさせてほしい。子どものことで……
同盟員A 何が電話じゃ。(近よる)
泉 挑発にのったらあかんぞ、皆。金森さんよ、一晩女房と離れたらもう嫁ほんの声聞きたいんかい~(皆下品に笑う)山本っちゃん、事務所へついて行け。

 金森、立ち上がる。

同盟員A 三人とも、俺らをなめてんのか!
泉 (掴みかかろうとするのを止めて)か挑発にのったらあかん。
同盟員B 子どものことだけやで。ほかのことしゃべったらあかんで。(金森とともに去る)
泉 こいつらはな、殴られよう思て挑発しとるんや。殴るのはわしやど。殴らなあかんときはわしがやる。罰金一万円をピタッと払うたら検察庁も公認じゃ。(額に一万円札をはるまねをする)
同盟員C あのな、糾弾うけて逃げおおせたためしはないんやで。わしら地球の果てまで追いかけたるからノイローゼになって死ぬこともあるんや。それでもええんか。……困るやろ。そやから差別者であることを認めて、自己批判をせえよ。

 金森、帰ってきてすわろうとする。

同盟員E おんどれら! 差別者のくせにいつまですわっとんねん。

 三人、再び立つ。

中田 金森先生、わしは先生にだまされとったわ。部落解放のために一緒にがんばろう言うとったのが何でしゃべらへんのや。わしは差別のためにリヤカー引いて屑買いに行ってる。……あんたは犬や、そんなスリッパぬいでわしのリヤカー引き。自分のやってることがわからん者は犬や。

 森村、あたふたと入って来る。Aが泉の横へ案内する。

森村 教育委員会、同和担当の主幹、森村でございます。

泉 森村さんよ。こんな意識の低い先生がおるっちゅうのは市教委の指導がなっとらんのとちうか
森村 …………
多田 山下あいさつ状は差別文書と認めるんやな。
森村 ……教育委員会としてはそう思います。
泉 教育委員会が認めてるのにこいつらは認めよらん。これは市教委の方針にも合うとらん奴や。よし、解放同盟八田支部として俺らは要求する。教育委員会はこいつらのクビを切れ!

 三人を残して急速に暗くなる。三人、舞台端へ出ると、金森急に倒れる。

玉野 金森君!金森君!
羽山 金森先生!

            暗転  救急車の音が響く。

五、夜の道、病室

 行灯に「数日後、夜の道、病室」の文字。
 前景から数日後。寛美が塀に貼ってあるビラをはがしている。チャルメラが聞こえてくる

寛美 お父ちゃんほ怠け者の差別教師とちがいますからね。(塀をこすりながら)お父ちゃんはええ人やねん。

 玉野と羽山が病院より帰ってくる。その後から山脇がつづく。

寛美 あ、お父ちゃん。(抱きつく)もう体ええのん?
玉野 ああ、病院でちゃんとなおしてもろたよ。
登美 (背中に赤子の憲子を背負い、はがしたビラを持ってくる)お帰りなさい。
玉野 心配かけたな。…‥‥今、羽山君と、クビになったらラーメン屋でもやろか言うてたんや。
登美 はいはい。家に三万円だけ入れてくれはったら、ラーメソ屋でも何でも結構です。……羽山先生、ご苦労さまでした。
羽山 はあ、どうも……あの山脇先生です。金森先生と同じ学校の。
登美 (頭を下げ)玉野の妻です。
玉野 病院まで羽山君を出迎えに来やはった。なんかあるぞ、これは。どうや羽山君。
羽山 なんか、ねえ……残念ながら、金森先生を見舞いに来られた、そのついでというのが事実やないですか。
山脇 残念ながら、その通りですね。
羽山 待てよ、甘ずっぱい関係ぐらいはあるな、やっぱり。
山脇 エー、そんなの……ウソですよ。
羽山 いや、糾弾の前にもらったみかん、あれおいしかった。助かったよ。
山脇 なーんだ。
玉野 ああ、あれほうまかった。ははは……
寛美 (服の下から何か取り出す)お父さん、これ。
玉野 何や、表札やないか。
登美 同盟の方がおいでになったらかなわん言うて、おばあちゃんが……
玉野 表札はずしたぐらいですむことやったらな。
羽山 「差別教師玉野清二を糾弾する」か……ぎょうさん貼ったりますな。住之江寮のまわりにもぼくの名前で貼ってあるんでしょうね。
山脇 (うなずく)
寛美 きのうはおばあちゃんと二人ではがしたんよ。これは二回目のやつ。きょうのはボンドやから、なかなかはがれへんの。
玉野 (思わず娘を抱きしめる)
豊美 あなた、家に用意がしてありますから。
玉野 ありがとう。(登美の背中の憲子をそっとあやす)羽山君行こ。

 寛芙の手をひっぱって去る。羽山、山脇もつづく。物陰より近所の奥さんが出る。

奥さん 奥さん。
登美 (四人を見送っていたが驚いて)は、はい。
奥さん 明日遠足でしょう。子どもにつくったおかず、余り物で申しわけないんやけど、おかあさんの手で寛ちゃんのお弁当に入れたげてください。気苦労だけでも大変ですもの。
登美 ありがとうございます。そこでパンでも買うてと思てたとこなんです。(涙が出てくる)喜んでちょうだいします。
奥さん 端からでは何もできませんけど、お気を確かにね。

 奥さん去る。登美、その後ろ姿に礼をすると溶暗。同時に上手の二重台が溶明。病室である。ベッドに金森が寝ている。山脇、中田純子を連れて来る。

純子 金森先生、大丈夫?
金森 おっ、純子、……元気だよ。(後ろの山脇に気づいて)山脇先生。
山脇 胃のぐあいどうですか? 今日は純ちゃんのお供で。
純子 先生、この間、おかあちゃん、先生にうちのリヤカー引け言うたん?
金森 ……ああ。
純子 ほんまやったんやな。それで、おかあちゃんが先生にあやまりたい言うてる。……私、先生が両脇をかかえられて運動場通って行ったの見てるもん。
山脇 純ちゃんね。あの日おかあさんが、「糾弾にスリッパをはいてきてる。わしらバカにして」って言うたのを聞いて、先生がむりやり連れ出されたのを話したんですって。
純子 (うなずいて)それ言うたら、おかあちゃん、「金森先生は、はじめから犬にされてたんやな。それならワテかてしゃべられへん。先生くやしかったやろ」言うてる。
山脇 それでビラ貼りの後、おかあさんそっと寮へみえたんです。先生に直接会うのが辛い言うて。
金森 純子、ありがとう。でも今の話はここだけだよ。先生くやしかったやろなんて声に出したら、今度はおかあさんが困るよ。

 ノックの音。

金森 どうぞ。

 玉野、鳥井弁護士が入ってくる。

玉野 金森君、どや、ぐあいは。(山脇たちに気づいて)あ、どうも。
金森 同じ分会の山脇先生、それから中田純子ちゃん。それからこちらは……
玉野 あ、どうも、玉野です。(山脇に)先日はお世話になりました。
鳥井 (名刺を出す)弁護士の鳥井です。はじめまして。(それぞれあいさつをかわす)
山脇 じゃあ、純子ちゃん、おそくなるとおかあちゃん心配するから、帰りましょ。
純子 うん。先生さようなら。
玉野 いや、どうもすみません。なんや追い立てたみたいで……
山脇 いえ、そんなことありません。……先生、どうぞお大事に。
金森 ありがとう。職場のみんなによろしく。純子、しっかり勉強するんやぞ。
純子 はーい。
山脇 じゃあ、失礼します。(純子の手を引き退場)

 間

玉野 実はな、今度の事で相談があって来たんや。
金森 ほう。
玉野 山下君や鳥井先生ともいろいろ相談したんやけどな。思いきって泉支部長らを裁判所えたらどうかと思うんや。
金森 訴える……
玉野 うん。……逮補監禁、それに強要未遂や。
金森 ……それは……どうかな……
玉野 ゆうべ、鳥井先生を通じて、この間の糾弾集会のようなことを今後行わないこと、求を撤回すること、民主的に話しあおう、ということ申し入れしたんやけど、てんで相手にしよらん。このままでは、僕らの身が持たん。まともな教育もでけへんやないか。
金森 うん……(うなずく)
玉野 山下君とこも、連中のステッカーでいっぱいや。この前なんか、家の近所に工事に来てた人の車にまで貼りよって、その人が文句言うたら、お前も差別者の片われか、言うておどかされる始末や。……寛美が毎晩、一生けんめいにはがしてくれとるけど……
金森 (うなずく)
鳥井 金森先生、……先生がためらっておられる理由はなんですか。
金森 ……僕は……玉野さんもー緒やけど、永年、部落の中で教育をやってきました。
……この間のようなやり方は確かに腹が立つし、あってはならんことやと思うけど……では、なんとか話しあって解決できんものかとも思うんですわ。
鳥井 …………
金森 ベッドの上で、天井をにらみながら、なんべんも考えました。……どうしてこんなことになったんや、なんで僕らと解放同盟が対立せなあかんのや…ってね。
玉野 ……わかる……
金森 僕は、泉さんと一緒に風呂に入って背中まで流しあったこともあるんですよ……
鳥井 先生のお気持ちはよくわかりますよ。
玉野 そりやあ、今度のことで、僕もずいぶん考えた。……正直言うて、山下君のハガキは、ことば足らずやったんとちがうかと思ったこともある。しかし、彼らは、ハガキの文章がどうのこうの言うてるんとちがう。
金森 どうちがうんですか。
玉野 彼らは、あいさつ状にことよせて、僕やあんたのやってきた同和教育をつぶそうとしてるんや。ねらいはそこにあると思う。だから、僕らも、ふりかかった火の粉を払わなあかん。こちらにも不十分な点があった、なんて言うて譲歩して、円満に解決できる問題やない。妥協はでけへんのや。
金森 彼らて言うのは、八田支部の人たちか。
玉野 それと市教委や。市教組の橋口らも一緒や。みんなで連合して、僕らをつぶしにかかってんのや。
金森 じゃあ、今度のことは、前々から計画されとったことや言うのですか。それは、ちょっと考えすぎとちがいますか?
鳥井 いや、先生。考えすぎじゃありませんよ。ご承知かと思いますが、京都で部落解放同盟が分裂させられ、水平社創立いらい、一貫して解放同盟とともにたたかってきた共産党が、大会でのあいさつを拒否されるというような、異常な事態が続いているでしょう。反共をテコにした反動勢力の分裂策動が、解放運動の分野でも急速に強められているんです。市教組や、解同八田支部だって、けっして例外じゃありません。
金森 それは、僕もおおよそのことは知ってます。だからこそ、分裂してはいけない。解放同盟と撲らがやりあって一番喜ぶのは権力の側やないですか。今、告訴したりしたら、部落の人たちは、もうはっきり僕らを敵視する思うんです。
玉野 だからと言うて、だまってるわけにはいかんやないか。
金森 だまってろ言うんやない。ただ、民主勢力の一つである解放同盟を告訴するというのは、権力に売りわたすようなもんや。……やはり、……僕にはでけへん。
鳥井 先生はまちがっていますよ。部落の人たちの本当の願いを実現するためには、統一戦線の立場に立った、正しい運動が進められなくてはならない。そのためには、運動を反共と暴力の方向へ持って行こうとする人たちとは、毅然としてたたかわなくちゃなりません。裁判に訴えるのはそのたたかいの一つなんですよ。
金森 …………
鳥井 法治国家の国民が、不当な暴力に対して法的な手段でたたかうのは、憲法で保障された当然の権利で、けっして恥ずべきことじゃありません。私たちもがんばりますが、先生方や民主勢力のたたかいがあってこそ、はじめて裁判も前進するんです。
金森 ……(涙が流れている)
玉野 金森君。あんた……
金森 ……僕は辛いよ。……玉野さん……僕が十年も打ち込んで来た同和教育が、こんな形で返ってくるなんて……地域の人たちと、こんな形で……
鳥井 金森先生。先生がそれほど情熱を傾けてやって来られた同和教育が、このままの状態で続けられますか。子どもたちの教育に責任が持てますか!

 二人は、はっとしたように鳥井を見る。

鳥井 先生も授業中むりやり連行された。玉野先生は、朝礼台の上に立たされて、生徒の前でさらしものにされ、屈服をせまられた。こんな教師の尊厳をふみにじるようなことが許されていいものでしょうか。……先生。解同幹部の暴力を野放しにしておいて、それとの対応に追われ、心と体をさいなまれていて、いい教育ができますか。……教室であなたを待っている子どもたちのためにも、ぜひふみきってください。

 玉野と金森、じっと見つめあう。
 病室、溶暗。夜の道へ戻る。下手の二重が菓子類をおいている煙草屋、花田の店である。ビラ貼りの若者1、若者2がやって来る。

若者1 煙草買うて来る。(花田の店へ行き) ハイライト。
花田 (わたしながら)あんたら、また貼りに来たんか。
若者2 またて、わしら初めてやで。
花田 初めてか何か知らんけど、そんなかわいそうなこと、やめときーや。さっきも小ちゃな子が、その玉野先生ていう人の娘さんや。泣きながらはがしてたんやで。あんたでもベタベタ貼られたらかなわんやろ。……あんたらどこから来たんや。
若者1 ええやんか、おばはん。どっからでも。
花田 ふーん。一回なんぼやねん。わてが払うたるからやめて帰り。
若者2 二千円やで。
花田 二人で四千円。ホラかなわんなァ。うちの売上げとんでいくがな。……よっしゃ、その飲みもん、ジュースでもコーヒーでも……ええわ。お菓子もやるさかい、それで辛棒してや。
若者2 おばはんみたいに言われたら、こっちもやりにくいがな。
花田 そやろ。ビラここにおいとき。
若者2 (1に)どうする?
若者1 あれだけ貼ったるからもうええやろ。おばはんの顔立てよや。
花田 そうかそうか、すまんな。(缶ジュースや張子を袋につめこむ)
若者1 ……あ、おおきに。

 若者二人、袋をもって去る。花田、外に出る。

花田 あっバケツ!(呼びとめるが若者は気づかない)まあええ。一つでもない方がビラが少のうなる。(ビラを引き裂く)

 店頭のテレビから「港町ブルース」が聞こえてくる。

                        暗転

六、教育会館会議室(市教組中央委員会)

 行灯に「同年五月、市教組中央委員会」の文字。
 下手二重台に議長が正面を向いてすわっている。その下手寄りに執行部席(崎山の顔も見える)。
 その後ろに「差別教師をクビにせよ」「差別集団日共粉砕」等のゼッケンをつけた同盟が威圧するように立ち並ぶ。
 中央二重台にほ中央委員、下手向きにすわり、玉野は前中央あたりに居る。執行部、同盟員にサインを送ったり、ヤジを飛ばしたりする中に関谷ら少数の緊張した顔がある。
 徳野書記長、提案を終え席に戻ろうとするところで溶明。拍手と「そやそやクビにしてしまえ」といった同盟員等のヤジ。

徳野 ……以上で提案を終ります。
議長 八田教育差別事件八名の権利停止承認と懲罰規定制定、以上二件の提案が終りましたので今から審議に入ります。

 同盟員のリーダーの「審議なんかいるけえ、すぐ採決や」、同盟員の「何とぼけてんね、議長!」「そやそやすぐ採決や」のヤジに議長、ウロウロと中村委員長の方を振り返ったりする。その顔は蒼白である。

橋口 議長! その通りや、すぐ採決や!
関谷 (挙手して立ち上がり)議長!  反対や! 充分な討議を求める。第一、その執行部の後ろで不当なヤジを飛ばしている人たちは何者ですか。市教組組合員ですか。

 同盟員の 「こら! お前も差別者や!」「名前言うてみ、クビにしたるわ!」「あいつ関谷や、崎山といっしょにクビにしたれ!」中央委員の 「アホな質問やめとけ」「差別認めたらええやんけ」等のヤジ入り交じる。

玉野 議長、その人たちは解放同盟八田支部の人やないですか。私たちを一方的に差別者に仕立てクビまで要求してる……。そういう人たちを市教組中央委員会の席に入れて、市教組の自主性はどうなってるんですか。すぐ退場させて下さい。要求します。

 同盟員、中央委員、騒然とヤジ。

橋口 権利停止中の者の発言、許すんですか。

 同盟員のリーダー「そや、つまみ出せ」。以下同盟員、中央委員の 「差別者出て行け′」「つまみ出せ」等々のヤジ続く。

議長 (あわてて)玉野君、君は権利停止中です。中央委員の資格はありません。すぐ退場して下さい。
玉野 拒否します。私はこの三月の南東支部役員選挙で組合員の信任を得て選出された副支部長です。組合員の信頼にかえてもいわれのない差別者扱い、規約にもない不法な権利停止を認めるわけにはいきません。

 同盟員等の 「じゃかまし!」「ホリ出せ」「ホリ出せ」 のヤジ。

議長 指示に従わなければ排除します。執行委員、中央委員の諸君、市教組中央委員会の名誉と伝統にかけて不当な闖入者を排除して下さい。

 崎山、議長席の前に立ち、激しく抗議を開始する。他の執行委員、それを妨害する。崎山、今度は中村委員長に抗議。中村、ツンと横を向いたまま、ここでも他の執行委員が妨害する。

関谷 議長! 逆ではないか。そこにいる人々をこそ退場さすべきだ。中央委員の皆さん、この事態を見ても二つの案件が誰のために提案されたのか明確でないか。

 多勢で玉野を椅子ごとかつぎ出そうとする。玉野、必死でこらえる。崎山、関谷他三、四人阻止に行こうとするがさえぎられる。玉野、とうとうかつぎ出される。柏手と喚声。 議長 八田差別事件八名の権利停止承認。懲罰規定制定。以上一括して採決を行います。(「待て、討論だ」「議長、発言!」等、関谷等二、三の声があるが、ヤジに覆われる。議長無視して)賛成の者……過半数。よって本二件可決決定致します。

 異様な雰囲気の中で松木の姿がポッンと照らされる。

松木 こんな非民主的なことがあるか! 当事者の詰も聞かないで……。玉野先生、金森先生、それから羽山の話を俺は聞きたい……。権利停止はそれからでも討議できる……

 松木の声にかぶさって「世界の国から今日は」が聞こえ、舞台はゆっくりと溶暗。

歌 ♪今日は今日は西の国から 今日は今日は東の国から…… TV(女) 人類の調和と進歩をテーマにした万国博覧会は、開会をあと十カ月に控え、千里丘陵に着々と建設されております。本日はその中からアメリカ館を‥‥‥(歌が再び大きくなる)

歌 ♪一九七〇年の今日は
  今日は今日は 握手をしよう

七、朝日小学校職員室

 行灯に「同年六月、朝日小学校」の文字。
 梅雨の午後、激しい雨音で明るくなる。職員会議が行なわれている。生活指導部長の中西が提案し、教務主任の伊藤が司会をしている。

伊藤 次に、七月の努力目標について、生活指導部長の中西先生から提案していただきます。中西先生どうぞ。
中西 (立ち上がる)失礼します。先生方の机上にプリントをお配りしておきましたので、見ていただきたいと思います。(一同プリントを見る)ええ、今月は「廊下・階段の歩行を正しくしよぅ」ということで、児童会でも話しあわせ、看護当番の先生方にもご指導をいただきました結果、かなりよくなってきたように思います。特に低学年では、ほとんど廊下を走る子がいなくなったと、学年主任の先生からお聞きしております。先生方のご協力ありがとうございました。……そこで、来月の目標でありますが、プリントに書かせてもらいましたように「柑ち物を大切にしよう」とし、具体的には、「一、忘れ物をなくそう。二、落し物をなくそう。」としてはどうかと思います。……児童会での話しあいによると、最近各学級で忘れする子がかなりあるようですし、落し物の数もかなりふえておりますので、一つ、そういった面で力を入れていってはどうか、と思うわけであります。よろしくお願いします。(着席)
伊藤 ありがとうございました。……先生方この件について何かご質問はありませんか?……なければ、ご意見は……(採点をしている山本に)山本先生、何かご意見はありませんか。
山本 (手をとめて)はあ、別にございません。結構かと思います。
谷口 中西先生。その忘れ物が多いというのは、たとえばどんなものですか。
中西 いろいろありますが、たとえば、ハンカチ、はな紙とか、名札、体育の赤帽などが多いようです。
谷口 そうすると、忘れ物をなくそうということは、つまり、ハンカチ……はな紙、名札などをちゃんと持って来い、ということですな。
中西 ……はあ……
谷口 中西先生、その目標は差別になるのとちがいますか。(立ち上がって)家庭によってほ両親が不在で、ハンカチやはな紙までかまってやれんところもある訳でしょう。それを子どもに一律に変求するのは具合わるいんとちがいますか。
吉田 どうして差別になるのですか。子どもをよくするために、家庭に協力を求めるのは当然やと思いますけど。
谷口 そういう考えだから、教師が批判を受けるんです。(すわる)

 ざわめき、校長が立ち上がる。

校長 ええ、今、谷口先生から、大変大切なことを指摘していただきました。おっしゃるように、家庭の条件を無視して子どもたちに負担をかけることは、みなさんの真実はどうであっても、差別につながるおそれがあります。(ざわめき)今日、同和教育の必要性が叫ばれているおりから、私たちの教育に対するとりくみほ、慎重な上にも慎重でなくてはならないと思います。……
 これは、私からのお願いですが、努力目標は、落し物をなくそうという項目だけにとどめて、忘れ物をなくそう、の方はカットしていただきたいと思います。中西先生、よろしいですか。
中西 はい、わかりました。

 松木、挙手しかけるが、決心がつかない。

伊藤 それでは以上で本日の職員会議は終らせていただきます。

 一同は動き出し、帰り仕度にかかるもの、仕事をつづけるものなどさまざま。会談中から登場し、外で終るのを待っていた羽山が、職員室から出て釆た小林に話しかける。

羽山 すみません。分責の先生にお会いしたいんですが。
小林 はい、ちょっとお待ち下さい。(職員室に向かって)谷口先生、お客様です。

 谷口、くわえ煙草で出てくる。

谷口 分責の谷口ですが、どちらさんですか。
羽山 あ、どうもお忙しいところすみません。私、南小学校の羽山といいますが、ちょっとこちらの先生方に(署名用紙を出して)この署名をお願いしたいと思いまして…
谷口 なんでっか、それ。
羽山 市教組の臨時大会開催を要求する署名です。どうぞごらんください。(手渡す)
谷口 (署名を見て)……ああ、共産党系の人らがやってる署名でんな。
羽山 いえ、この運動は政党とは関係ありません。
谷口 この忙しい時に、大会をわざわざ開かなあかんのでっか。
羽山 はあ、先生方、お忙しいのはよくわかるんですが、私たちとしては、どうしても大会を開いて討議してほしいんです。……組合の民主的な運営のためにも……
谷口 そしたら、一応お預りして、みんなにまわしときますわ。
羽山 いえ、すみませんが、直接先生方にお話させていただきたいと思います。
谷口 お話て、あんた、……もうみんな帰りまっせ。
羽山 ちょっとの時間で結構です。とにかく先生方に訴えさしてください
谷口 ……職員室でなんかしゃべるんやったら校長さんに声かけといてや。(言いすてて外へ去る)
羽山 わかりました。(中へ入り、松木に会釈をして校長のところへ行く)

小林 先生、知ってる人?
松木 僕と寮で一緒におるんやけど……
小林 何しに来はったん?
松木 さあ……あの署名訴えに来たんかな…… …  なんとなく手を止めて注目する教師たち。

 羽山、校長に挨拶を終えて、みんなの方に向き直る。校長退場。

羽山 先生方、長時間の会議でお疲れのところ、大変申し訳ありません。私、八田問題で権利停止になっている八人の教師の一人で羽山と申します。私たちはけっして差別をしたおぼえがないのに、一方的に差別者と呼ばれ、市教組本部からは規約にもない権利停止という処分を受けました。(谷口戻ってくる)その上、私たちに対する首切りの要求まで出されていると聞いています。この問題を組合員の先生方に判断していただき、ただしていただくには、組合の大会を開くしか方法がありません。ぜひ市教組臨時大会を要求する署名にご協力ください。お願いします。(用紙をみんなの机に配って回る)
谷口 (吉田のそばへ行き、聞こえよがしに)先生、うっかり署名したら差別者や言われまっせ。

 羽山、連れだって帰ろうとしている小林と山本に話しかける。しかし、反応はもうーつ。松木、たまりかねてそばへ行く。

松木 僕、署名するわ。(署名する)
羽山 (目でうなずき)ありがとうございます。
松木 (山本に)先生、羽山さんは僕の友だちなんや。…‥・僕からもたのむわ。
山本 ……私、ようわからんわ。
松木 たのむわ。
山本 考えとくわ。(さっと立つ)さよなら。

 小林も迷いながら目礼し、山本と一緒に出る。谷口、伊藤、安心したように出て行く。吉田は避けるように黙って仕事をしている。

羽山 (小声で)松木君、ありがとう。
松木 いや……あの人ら やってくれへんかったな……
羽山 話ができただけでも成功や。俺、次の予定があるから行くわ。……できたら他の先生にも頼んどいて。
松木 うん。
羽山 失礼しました。(退場)

 松木、机の上をかたづけて外に出る。吉田が追って来る。

吉田 松木先生!
松木 ? (立ちどまる)
吉田 あんまり目立つことしたらあかんよ。
松木 はあ……
吉田 さっきの署名用紙出し、(受けとって名前を書く)はい。
松木 先生!……
吉田 さっきはごめんな。……あの人らがおったから声かけにくかったんや。
松木 ………(うなずく)
吉田 だんだん職員会議もおかしな雰囲気になるねえ。
松木 はあ。
吉田 同和、同和言うて、気い使わなあかんことばっかりや。うっかりものも言われへん。こんなことやっとったら、子どもがだめになってしまうわ。
松木 あんたら若いもんが、がんばらなあかんで。……組合もええけど、学級のことだけはきちんとやっときや。
吉田 それじゃね。さよなら。(足早に反対方向へ去る)
松木……(吉田の後姿へ)ありがとう!

八、大阪市教組臨時大会会場

 行灯に「一九七一年(二年後)一月、市教組臨時大会」の文字。
 舞台中央に議長団、その横に執行委員、議事運営委員の席がある。観客席がそのまま代議員席の態である。
 下手舞台すぐ下で崎山が発言する。発言の間、場内より賛否のヤジや柏手が随所に入り混じる。

崎山 城西中学校分会の崎山です。私は十四分会を代表して、一号議案についての修正案を提案いたします。(「やかましい、崎山帰れ」のヤジ)私たちの提案は、一言で言えば玉野君ら八名の権利停止を、本大会でただちに、無条件で解除すべきだということであります。(「そうだ」のヤジ、柏手。「何言うとるか」のヤジ)これは昨年十二月に本部が開催を予定していた臨時の大会での執行部原案と、まったく同じ内容であります。ところがこの臨時大会は、解同一部幹部や、その指導下にある不心得な組合員の暴力的妨害にあって、不当にも無視されてしまったのであります。その間の経緯を考慮し、日教組の指導を受け入れて本原案が「玉野君らの権利停止五か月間猶予する。玉野君らは解同幹部に対して行った告訴を取り下げる。取り下げない場合は、権利停止解除を再検討する」という三つの条件付き解除となっております。この後退した案を認めることは、一万二千組合員の組織として暴力に屈伏することになるのであります。

 また、玉野君らの権利停止は、すでに行なわれてから一年八カ月、これ以上継続することほ、山下君の挨拶文を差別と認める人も、(「何がじゃ」のヤジ)過酷にすぎると考えておられる筈であります。(「そうだ」のヤジと拍手)これ以上権利停止解除を五カ月間引き延ばさなければならない理由は、まったくありません。(「そうだ」のヤジ)とりわけ、告訴取り下げを条件にすることほ断じて許せません。玉野君らは、けっして安易に解同幹部を告訴したものではありません。「差別者だという一方的な決めつけをやめてくれ。暴力をふるうことほやめてくれ。民主的に話し合おう」と要求したにもかかわらず、これを無視されたのであります。法治国家における個人の権利に属する告訴の問題を、大会決定で押しつぶすことはけっしてしてほならないことであります。(拍手)会場のみなさん、組織内外からの圧力や妨害は、確かに眼に余るものがあります。しかし、真実と正義を子どもたちに教える教師として、勇気を持って真の市教組の統一と団結を守りぬこうでほありませんか。(柏手と喚声)

 みなさんの勇気と良識を信じて、私の修正提案を終ります。(大きな柏手にヤジが消されていく)

 崎山の光の輪が消えるとともに、下手二重にいる松木が光の中に浮かぶ。電話をしている松木

松木 羽山君、権利停止即時解除。よかったなあ、おめでとう。……これでやっとおちついて仕事ができるな。……え~ そんな……滅茶苦茶やないか! なんで君が教育研究所なんか行かされるんや!…… そんな無茶な! 

 無気味な音楽が急に高まる。松木に光を残して。

                          ―幕―

第二幕(一九七四年一月より一九七九年十月まで)

九、玉野の家

 行灯に「一九七四年二月(三年後)、玉野の家」の文字。
 中央の二重が玄関から上がり框、奥が台所である。上手の二重には茶卓が置かれ、家族が食事したり客間にかわったりする部屋である。
 明りが入ると、中央に花田が腰をかけ登美と話に花を咲かせているところ。登美の傍に憲子(六歳)がいるが、必ずしもじっとしていない。

花田 いえ、そらあね、「ほんまに罪のない人が殺人罪になるんやったら、そらおかしいし、なんとかせないかん思うさかい、署名もする、集め言われたら集めんこともない。そやけど用紙持って帰らしたのが新海先生やったら、私は信用せえへん、署名もせえへん。」てその奥さんは言うのよ。ふだんからね、やれ狭山の動員や同和の研修や言うて、よう自習にしはるし、授業に来てもそんな話ばっかりしてちっとも進まへん。試験の前にあわててパーッと進むからかなわん、そう子どもが言うんやて。
登美 そんな話よう聞くね、ここでも。そう言うたら、こないだ市場の八百屋の奥さんが言っはったけど、あそこの子、市の保育所へ入られへんねんて。それが聞いてみたら、十の市保育所のうち四つが同和地区で、そっちはがらあきやて。もうどうなってるんやろ。
花田 どうなってるて……みないかれとるんや、役所なんて。お宅のご主人がこんな目に会うはんのからしてやな、大体世の中まちごうてるんよ。そやそや、市場ゆうたらな、奥さんの株、えらい上がってんのよ、旦那さん差別者やなんて悪口言われて、学校へも出さしてもらわれへんのに、暗い顔もせんとようがんはってはる。昭和の山内一豊の妻やて。
登美 よう言わんわ……私ほサザエさんがええとこやのに。
花田 いえいえ、若い子らはな、あの人可愛らしいね、若い時はひょっとしたら大竹しのぶにてたんちがうやろか、言うてえらい人気やよ。
登美 あはかいな、ハハハハ……
花田 ハハハ……私もそれはないと思うけど。
登美 いやぁ、せっかく喜んでるのに。

 二人笑っていると、反対側から玉野と羽山、松木が話しながら入って来る。三人とも適当に酔っていて、ふらふらという程ではないが、羽山は軽く玉野の腕をかかえるように寄り添い、後から松木がつづく。

 三人は舞台中央で少時止まり、それから玄関の方へ。

羽山 まだわかりませんて、そんなん、三月いっぱいまでは。向こうもだいぶ弱ってると思いますよ。
玉野 そうかな……
羽山 研究所へしばりつけとくつもりなら、もう内示してる時期でしょう。逃げ回ってどっちともなにも言うてこないちゅうのは、なにかあるんですよ。
玉野 それは甘いて。
羽山 は? 現場復帰は無理やて言わはるんですか。
玉野 ようわからんが、結局裁判で決着つくまで今のまま行きそうな気がする。
羽山 なんでですか。向こうの所期の目的は一応達せられたんやから……これ以上ひっばったらかえって不利になるでしょう。
玉野 いや、今やわれわれ対市教委ちゅう関係やないからな。もっと大きいもんどうしの対決点やから。
羽山 ふーん……
玉野 ああ、しんど。疲れたな、もう。
羽山・松木 え?
玉野 くたびれた。
羽山 しっかりしてくださいよ、先生。先生がそんな弱気になったら……
玉野 あ~ いや……まぁ、疲れることもあるわね。さ、上がって行きいや。
松木 はあ……羽山に)どうする?
羽山 (時計を見て)九時前か、ちょっとだけじゃまするか。
玉野 そらそうや。君は帰っても待ってるもんおれへん。

 家に入る。登莫、花田の笑い声がする。

玉野 ただいま。
登美 あ、おかえり。
憲子 お父さん、おかえり。
花田 おかえりなさい。またじゃましてます、先生。
玉野 いえ、いつもお世話になって。
羽山 今晩は。
松木 おじゃまします。
登美 いらっしゃい。どうぞ、ちらかしてますけど。(奥の間の茶卓の上の物を取り、座ぶとんを敷き直す)
玉野 ま、すわって。ぼくはちょっと着がえしてくる。(奥へ)
花田 (表の間に戻った登実に)そしたら、奥さん、(と外へ出て)またね。
登美 おおきに、おあいそなしで。また来てちょうだい。

 花田が帰って行った。憲子は羽山らの相手をしている。

登美 (奥の間にある隅の戸棚の前に座り)いいご気嫌で、みなさん。
羽山 ええ。松木君ら若い教師五、六人、僕の結婚式のことで集まってくれるんで、それで玉野先生も誘ったんです。仲人さんに様子見といてもらおうと思いのして。
登美 (うなずき)気利かしてくれはったんでしょ。忙しいわりに気のめいるような毎日やから。
松木 奥さん、先生しんどそうですか。
登美 うーん、顔には出しませんけどね、口数がちょっと、少ないようです。現場を追われて三年ですものねえ。羽山さんも辛いでしょう。若いから余計腹が立つのとちがいます?
羽山 はあ、……辛いと言うよりね……

 ここで憲子が果物のお盆をささげ持って来る。

憲子 どうぞ。
羽山 ああ、ありがとう。お利口やねえ、のりちゃん。一年生?
憲子 (首を振る)
羽山 四月からか。
憲子 (うなずく)
羽山 ふーん。あの時はお姉ちゃんが幼稚園やったもんな、ちょうど一緒になったな。早いもんや。
登美 (お茶を出し)すみません。お話の腰折って。
羽山 なんの話やったかな。あ、そうか、つまり三年ていうのは、ぼくが教師になって現場にいた年数なんです。それよりも現場から引き離される時間の方が長くなるというのは、これは辛いのを通りこして、ショックなんですね。十年、二十年の経験持っている人とちがって、これで現場へ帰れても、教師勤まるやろか、ていう不安がものすごくあって、いたたまれんような気になってくるんですわ。
松木 うーん、それはわかるな。
登美 それは、お父さんもー緒ですやろ……

 着物に著がえた玉野が入って釆て、会話が途切れる。長女寛美(九歳)がついて来る。 寛美 こんばんは、いらっしゃい。
羽山 こんばんほ、寛美ちゃん。勉強してたん?
寛美 うーん、ヘッヘッヘ……
登美 なんや、それは。
寛美 (咳払いの真似)宿題はしたよ。
羽山 そうか、それはえらい。
玉野 いやぁ、あの歌うたわせる機械、あんなとこ初めて行ったけど、おもしろいもん考えよったな。はやるぞ、あれ。
松木 大阪市内ではぼつぼつ置き出してるんですて。
登美 カラオケ、ていうやつですか。
松木 アレ、奥さんすすんでますね。ご主人はもちろん、ぼくも初めてなんですよ。話は聞いてたけど。
登美 そりや、女の立ち話で、情報はいろいろとね。それで、なんか歌いましたの?
松木 ハハハ……玉野先生が、「逃いげた女房にゃ……」 てやり出したのにはびっくりしたな。
玉野 コラ。
羽山 逃げたことあるんですか、奥さん。
登美 さあ‥‥‥逃げたろと思うたことは、ね。……逃げられたらどうしようかと思てるからですよ、きっと。
玉野 バカ言え。
羽山 奥さん、いっぺん行きましょか。
登美 行きましょ、行きましょ。
玉野 金とられるんやぞ、おまえ。気安う言うけど。
登美 ええやん。たまにはパーツとやらんと、私らも、ねえ。

 松木と羽山、あいづちを打ち、笑う。

松木 先生、さっきやる言うてて、カラオケなかったやつ、あれいきましょ。
羽山 そうそう、「旅の夜風」やったか。
玉野 よーし、みな耳ほじくって聞けよ。
登美 あら、私漬物にふたしたかしら。
寛美 お母さん、食べるものみな冷蔵庫へ入れた方がええよ。
玉野 なにをぬかす。
憲子 お父さん、歌うたうの? ワー……(柏手する)

 つられて皆も柏手する。玉野は「旅の夜風」を歌い出した。やや低目の声だが、へたではなく、どこか味のある歌いぶり。

玉野 「花も嵐も ふみ越えて
 行くが男の 生きる道
 泣いてくれるな ホロホロ鳥よ
 月の比叡を一人行く

 歌の途中から、登美は立ち上がる。
 その登美をスポットがとらえ、他の部分は暗くなる。玉野の歌がややレベルダウンして ら舞台中央へとゆっくり移動しながら、次の独白を語る登美の声とダブり、やがて消え

登美 お父さんが歌うたう気持ち、私はわかる。学校と教室とがあんたの仕事場やねんから。生徒の顔見て、生徒が成長して行くのを見るのがあんたの生き甲斐にちがいないのやから…
 毎日毎日ちがう方へ行く電車に乗る時の気持ち、研究所の入口はいる時の気持ち……まる三年も……

 やや長い間、ハッと顔を上げた。

登美 そうか……そうや。……今まで私の前に現われて、私らを苦しめてきたのは解同の幹部の人らや、解同べったりの教師らや、そんなんばっかりやったから、そんな人が敵や思うてきたけど、ほんとは、ほんとの敵は、私らには正体わからへんけど、けっして目の前に姿出さんけど、なんか大きいもんが、あんたを、私らを、八人の先生を落とし入れようとしている。解同は、それを利用して、いや、利用されてるんか……いや、お互いに利用し合いしてるのかもしれん。お互いに……

 ああ、お父さん、恐ろしいことや。あんたはそんなもん相手にがんばってきた。くたびれるのも無理ないわ。人間やもの。そやけど、人間やからこそ、人間としての権利を尊重せえゆうことを、要求し通してちょうだい。人権、人権てやかましい言う大阪市のおえら方が、一方ではお父さんや七人の先生の、教師としての権利をふみにじっている――人一倍やる気のある先生たちの――こんなことがなんでわからへんのや。(間)今までは、ただ相手の無茶苦茶な仕打ちがにくいから、そのなかでお父さんについて行かないかんと思うから、とにかく歯くいしばってやってきたのやけど、これからは私も一人の人間として、よう考えてやって行くわ。あんたを支えて……

寛美の声 お母さん。
登美 え?

 スポットが傍らに立つ寛美を照らし出す。

寛美 校長先生や同和の先生が、八田のことちょっとでも言わはったらな、寛美いつも 言うたんねん。先生、そんなん言わんといて。お父さんらは差別者とちがう。みんなええ人やねんて。このごろぜんぜん言わはらへんわ。
登美 寛莫、お前が電柱のビラはがしに回ってた姿、お母さん忘れへんよ、お父さんかて、きっと……

 明りが広がり、後ろに玉野が憲子の手をひいて立っている。

玉野 (一二度うなずき、何か言おうとするが、ためらった)……わしは、べつにくたびれてはおらんぞ。今日は若い人らに合わせとって、ちょっと飲みすぎたんや。さ、中へ入ろ、寒いやないか。
登美 お父さん、私、闘士になるのよ。
玉野 トーシ? なんや、それ。
登美 たたかう女やないの。
玉野 やめてくれ、そんな物騒なもん。
登美 ちょっと古い? ほな、活動家。
玉野 それもパッとせんな。
登美 そしたら、その……
玉野 (表出て)おまえの言いたいことはわかった。お母さんは今までもがんばり屋で、泣き虫で、粘り強うて、おもろい人や。そうでなかったら、差別者の妻にされて、今まで家庭守ってこられへんかったやろ。これからもそれでええよ。
登美 お父さん、私、大竹しのぶに似てるんやて、すてきでしょ。

 別の光の輪の中に、花田、羽山、松木がいる。その後ろに数人の人たちがシルエットで。さらにその後ろにはコーラスの人たち。

花田 若い時は似てたかもしれんて、人が言うてるんや。長生きするわ、奥さん。それより先生、力落としたらあきまへんで。座り込みでだめやったら、なんかやりまひょ。署名やったらこの町内は全部集めまっさかい。
松木 奥さん、この事件の本質がようわからなんだのは、僕らも一緒です。初めは解放同盟は民主的な団体やと思っていたし、組合は僕らの権利を守ってくれるものやと信じてました。だんだんほんとのことがわかってきたんです。まだわかっていない人も仰山してます。しかしこれは大阪中の教師の良心のかかった問題やということが、だんだん大勢の人に広がってきています。

 合唱隊、コーラス「明るい歌を歌おう」をハミングで。以下せれふとダブる。

松木 教師が教師でありつづけようと思えば、学校が教育の場でありつづけるためにほ、玉野先生らのように踏んばって行かなしょうがないんです。自分がぶつかったら否応なくわかるんですわ。
羽山 僕はこの裁判はぜったいに勝つと信じていますよ。座敷牢ぐらしが人一倍辛いだけに、こんなままで終るわけがない。終らすもんかと……百パーセントこっちが強い。弱いやつほど力をふり回したがるんです。
寛子 (突然)お母さん、大竹しのぶて、漫才する人?
玉野 はっはっは……これはええ。お母さんはその方が向いとる。(憲子を抱き上げ、二、三歩前に出て、羽山らをふり返る)……そりや、辛うないと言えば嘘になる。とくにこの時期は僕もイライラしていかん。道やバスの中で中学生の顔、見るのが辛い。しかし、松木君が言うように、こら大阪中の教師のたたかいやから、いや、日本中のかな……これだけ支援もされとるんやから、ここが根性の出しどころや。……とりあえずは、こいつらのためにもがんばらな……なあ、憲子。(寛美の頭を撫で)なあ、寛美……はっはっは……おっきな目しとるな
 あ、二人とも。きれいな目や。

 少し前からハミングはコーラス「明るい歌を歌おう」に変っていて、ここで大きくなる。ややあって溶暗。コーラスだけ残る。

「明るい歌を歌おう」

明るい歌を歌おう
つらいときこそ
見えなかったものが みえてくる
歩んできた道が 教えてくれる
だから私には 真実が
ほんとうのことが 見えてくる

明るい歌を歌おう
つらいときこそ
つくりあげるものが みえてくる
支えあう仲間が  教えてくれる
だから私には 見えてくる
たたかいの中で 見えてくる

明るい歌を歌おう
職場の仲間と
ゆるしはしないもの はねのける
子どもたちや父母が 教えてくれる
だから私たち ひるみはしない
明日のために ひるみはしない
明日のために 明るく歌おう

十、羽山の結婚式場

 行灯に「同年四月、羽山の結婚式場」の文字。
 音楽と拍手の中で、羽山、山脇、それに仲人の玉野夫妻がうかび上がる。新婦に指輪をはめてやる羽山。大きな拍手。松木が立ち上がる。

松木 それでは、お二人に誓いの言葉を朗読していただきます。

 二人はゆっくりと紙を広げる。

二人 誓いのことば―私たちは今、仲間のみなさん方のあたたかい眼差しの中で結ばれました。私たち二人は、生い立ちも、性格も違っていますが、教育労働者として、子どもたちの健やかな成長と明るい未来を目指すたたかいのなかで、互いに信模しあい、愛しあい、ともに歩んで行こうと決意しました。

柏手

二人 けれども、私たちを取り巻く情勢は、けっしてなまやさしいものでほありません。私たちを含む、八人の教師は、いぜんとして不当にも教育研究所に閉じ込められたままの状態にあります。私たち二人は、団結を強め、現場復帰の日まで、仲間のみなさんとともに力いっぱいたたかいぬく決意です。(大きな柏手)……
玉野 二人は明日、山陰へ新婦旅行に立ちます。途中、私が最も行きたいと思っている場所…‥兵庫の養鹿に立ち寄るそうです。(思わず相手が起こる) 養鹿高校で高山先生らと交流する。……まさに二人の門出にふさわしい旅行です。我々のたたかいと養鹿のたたかいを結びつけて、山陰鳥取の旅を十分に楽しんでください。

 二人の声にかぶさって、音楽が盛り上がり、二人はシルエットに。そして二人を激励する人々の姿。

十一、教育委員会の一室

 行灯に「一九七七年(三年後)三月、教育委員会の一室」の文字。会議机をはさんで、一方に市教委の教育次長、教職員課長、一方に市教組委員長中村、副委員長徳野、南東支部長橋口。役所の中とはいえ、役人が礼儀正しく、組合側はむしろラフなかっこうで威張っているように見える。

次長 しょうがないですよ。
中村 しょうがないかな。
次長 こっちも延ばしに延ばして来たんだが……もう六年こえましたからね。
中村 六年半や。
次長 そうそういつまでもという訳には……人道上の問題もあるし……
中村 組合の決議もあるし。
次長 議会で追及もあります。‥‥‥結構うるさいですから。
中村 組合内部の事情もな……言うとくけど、僕はずっと現場復帰を要求して釆たんやで、聞達うてもろたらあかんで。な、徳野君。
徳野 ふん……
中村 市長はOKしとるんか。
次長 (うなずく)教育長が話をしてます。
中村 (徳野を見て)しゃないな。この辺で手打つか。
徳野 うん。
橋口 (非常に早口に)委員長、そんな、なれ合いで簡単に話決められたら困るがな。今さら彼らを現場に帰したりしたら、これは何を意味するか。我々が命をかけて推進して来た解放教育の破綻を意味すると、我々は思わんけど、連中は宣伝しよるに決まってる。部落大衆とともにたたかう教師たちが、日共に譲歩したことに……
中村 徳野 (同時に)ならへんな。
中村 まあまあ。橋口君、解放教育は本室的に変わらんよ。彼らに対する批判も徹底的に続けにやならん。ただね、市教委が彼らを追放するならともかく、そうはできんということだと、現場で働かせない訳にはいかんだろう、給料はらってるんだから。研修には限度がある。役選でもこれで票をかせがれるんだ。むしろ我々に有利になると僕は思うよ。
橋口 そんなねえ、かけ引きの話をしてるんやない。原則の問題や、原則の。
中村 おい橋口君、ちょっと黙っとけ。(次長に)それで、まあ手を打つとして、話はそれだけやないな。
次長 と言いますと?
中村 現場へ帰したあとやがな。差別性は依然としてあるんやから、すんなり普通の教師のようにはいかんわなあ。
課長 あ、その点についてはですね、関係各校の校長に私どもから指導するつもりです。少なくとも一年間は担任を持たさないよう、授業も自習の補欠にとどめるようにさせたいと思っています。
中村 ふん、まあええやろ。……いや現場に戻ってもしっかり研修はしてもらわないかんな。
課長 それはもちろん、きちんと義務づけるつもりです。
中村 ほな、その線で。……明日改めて崎山書記長と一緒に来るわ。そこで初めて聞くことにしょう。な、徳野君。
徳野 そうですね。
次長 わかりました。明日午前十時にお待ちしましょう。
中村 それまでほどの方面にも一切内密に。よろしか。
次長 わかってます。
橋口 言うとくけどね、俺は反対やで。南東は絶対反対や。責任もたんで。
次長 ハハハ……まあ、組合内部のことはよく意見を調整して下さい。教育委員会としてはこの線で仕事を進めますので。(課長とともに立ち上がり)では、どうもご苦労様でした。
 次長、軽く会釈をして。                         暗転

十二、朝日小学校六年一組教室

 行灯に「同年五月、朝日小学校六年一組」の文字。  放課後の小林学級。二人の子ども相手に教える小林。

小林 (子どもAのノート見ながら)ほら、ここ仮分数にするの忘れてるよ。一と三分の二やから、いくつになる?
子どもA ……三分の五!
小林 そう!……三分の五やね。それに三分の二を加えると……
子どもA 三分の七。
小林 それで、七の中には三はいくつあるの?
子どもA ……二コ、あ、そうか、二と三分の一や!
小林 そう!その調子で次やりなさいね。英二君は……ちょっとノート見せて。

 羽山と松木登場。教室の戸口に来る。

松木 やってるなあ。
羽山 おじゃまします。
小林 あ、先生……
松木 早く羽山さんとなじんでもらおう思て、こないだからみんなの教室回ってるんや。小林 どうぞおかけ下さい。
松木 ほんなら、ちょっと失礼。

 二人は教室に入って腰かける。子どもたちは問題を解いている。

小林 (羽山に)あの時ほすみませんでした。
羽山 はあ?
小林 ずっと前、先生が署名持って釆はったことがあったでしょ。あの時、よう協力せんと……
羽山 ……ああ、あの時の先生!
松木 古いことおぼえてるなあ。
小林 そうかて、私、ずっと気になってたもん。そやけど、まさか先生がうちの学校へ来ることになるなんて、思ってもみなかったわ。
松木 先生はまじめやなあ
羽山 ……
松木 うちの職場も変わったなあ。先生も変わったし、僕も変わったと思うし……実はな、先生。羽山くん、やっと現場に戻れたけど、まだ授業もなんも持たされてないやろ。このままではあかんから、分会で話し合いして、校長交渉やろ思てんのや。
小林 (うなずく)そやね。……校長先生どう言うやろ。
松木 ……市教委の顔色うかがってるからなあ。
小林 他の現場復帰しはった先生たちはどうなさってますの。
羽山 まあ、ぼつぼつ補欠やなにかには行ってますが……
松木 結局、分会の力関係や。みんなの力で要求したら、うんと言わんならんようになるはずや。……とりあえず、先生からも青年部の人に声かけといて。
小林 はい。
羽山 ありがとう。よろしくお願いします。

 間

 子どもたちがノートを見せに来る。

子どもB 先生、全部できました。
小林 はい。(手早く採点していく)彰君は、できた?……はい、見せて(採点する)ようがんばったわゎ。今日はここまでにするわ。帰ってよろしい。
二人 (片付けて)先生、さよなら。
小林 さよなら。
羽山 (子どもの肩に手をかけて)がんばって勉強せえよ。(見送る)

 二人と入れ違いに松木のクラスの子が松木を呼びに来る。

子どもC 先生、壁新聞できた。見に来て。
松木 よっしゃ、今行く。(二人に)ちょっとごめんな。(子どもと一緒に退場)

小林 教育研究所て、大変やったでしょ。
羽山 ええ、でも先生らのおかげで、やっと現場に戻れたし、これからがんはったらええんやと思うてますねん。
小林 早く授業、持ちたいでしょ。
羽山 持ちたいけど、こわい気もするんですわ。
小林 こわい?
羽山 長いこと授業してませんから、なんか不安で……子どもがついて来るかなあ、て思うたりするしね。
小林 そんなことないわ。大丈夫やわ。
羽山 そうかなあ。
小林 先生は、信念をもってやって来はったんやから、絶対子どもにかて通じるわ。
羽山 松木君は、がんばってるんやね。
小林 ええ!一年前から分責もやってはるし、学級通信なんかも、どんどん出して……
羽山 ‥‥‥先生のことも、よう噂してますよ。すごく刺激される言うて。
小林 うそお!

 放送で小林への呼び出し。

声 六年の小林先生、お電話がかかっております。職員室までお帰り下さい。

小林 ちょっと行ってきます。先生、ゆっくりしとってね。(退場)

 間

 羽山 教卓の上の国語教科書を取り上げしばらく見ているが、つと立ち上がって、黒板に〝最後の授業”と板書する。じっとながめて、一、二度書き直し、だれもいない子どもの席に向かって立つ

羽山 ……今日から、〝最後の授業″の勉強をします。……これはドーデの書いたとてもすばらしい文学作品です。(熱っぼく)一緒に、しっかり勉強しようね。……教科書の四十八ページをあけて。……最初にみんなに読んでもらいます。読みたい人……いや、読んでくれる人。……やっぱり読みたい人がええな。読みたい人、手をあげて。……はい、君。(指名するしぐさ)いや、はい、羽山君。(自分で子どもの席へ行って読みはじめる)「……その日の朝、ぼくは学校へ出かけるのが大変おそくなった。その上、(松木が戻って来る。戸口で立ち止まり、じつと羽山を見る)アメル先生から、動詞の規則について質問すると言われていたのに、全然勉強していなかったので、しかられるのがこわくてしようがなかった。ふと、学校を休んでどことなく歩きまわろうかな、という考えがうかんだ。……」はい、

 そこまで。上手に読めたね。……つまってばっかりやったらどうするかな。雰囲気こわれるな……最初に黙読させた方がええかな……

小林が戻って来る。

小林  (松木に)どうしたん?
松木 ……(口に人指し指をあてる)
羽山 よし、範読でいこ。先生が一度読みますから、聞いて下さい。(読み始める)「……フランツ、私はもうきみをしかりはしないよ。きみは十分罰を受けているにちがいない。そら、そんな風にね。我々はいつも心の中で思っている。『なあに、ひまはたっぶりあるさ。あした勉強すればいい。』そうしているうちに、自分の身に何が起こったかほ、今わかったろうね……」

 小林、羽山を見ているうちに、一人で授業をやっていることに気づく。

小林 先生!
松木 ……(涙をこらえている)
小林 分会会議でがんばろうな!
松木 ……うん……。

 読み続ける羽山。その途中からコーラス 「父と母と」が歌われる。

羽山 「……ああ、いつも教育を明日にのばしてきたことが、アルザスの大きな不幸だったのだ。今、我々は、あのプロシアの連中から、『なんだい。おまえさんたちは、フランス人だといばっていたくせに、自分の国のことばを、満足に話すことも書くこともできないじゃないか。』そう言われてもしかたあるまい。先生のことばはなお続いた。『だが、こうなったからといって、ね、フランツ。きみだけが悪いというわけじゃない。我々もみんな非難されなければならないのだ。きみたちの両親は、君たちが教育を受けて、立派な人になるように心から望んでいただろうか。わずかなお金のために、きみたちを畠や工場に働きに出す方がいいと、思ってはいなかったろうか。私自身にも、反省すべきことがいくらもある。勉強の代りに、きみたちに庭の草花の手入れをさせたことが、何度もありほしなかったか。やまめをつりに出かけたくて、学校を休みにしたことほなかったか……。』

 それからアメル先生は、フランス語について、次から次へとぼくたちに話してくださった。フランス語は世界で一番美しい、一番わかりやすい、一番整ったことばであることを……」

「父と母と」

おとうさんや かあさん
おじいちゃんや おばあちゃん
にいさんや ねえさんも
歩んできた道がある
みんなで みんなで
つくってきた町がある
みんなが みんなが
渡ってきた橋がある
だから私は教えたい
ほんとうのことを 子どもらに
すこやかな体
いきおいのよい心
生きることはすばらしいと
おとうさんや かあさん
おじいちゃんや おばあちゃん
にいさんや ねえさんも
みんな みんな
ひろがる空を仰ぎながら

 歌声が大きくなる中に、羽山のみに光が当たる。しばらくして、溶暗。

十三、裁判所の裏庭

 行灯に「一九七九年(二年後)十月「裁判所の裏庭」 の文字。

 上手に公衆電話。法廷はもう始まっている。傍聴席に入れなかった参加者が、三三五五待機している。松木、かね、花田の顔も見える。

花田 今日は天気でよかったわ。けど十月ももう末になると、冷え込みますなあ。
寛莫 おばちゃん、ご苦労様! もう始まってるの?
花田 さっき始まったばかり、おかあさんかて中に入ってはるよ。
松木 傍聴席、満員らしいよ。
かね 正常化連の人もこの頃ふえましたんやな。初めほしょぼしょぼやったけど。
花田 寛美ちゃん、今日は学校からまっすぐにかけつけて来たんやね。
寛莫 そう! 今日はお父さんにとって大事な日やから。
花田 そう、ようわかってるわ。
松木 それにしても、花田さんほいつ会うても元気いいですね。
花田 そら先生、しよんぼり暮しても一生なら、明るうニコニコ暮しても一生や。歳にほ負けとうないのは誰でも一緒ですわ。(かねに)なあ。
かね 誰が歳やて? 私らまだ若いから心配いらんわ。

 松木、下手に目をやり寛美がかけつけるのを認める。

松木 あ、玉野先生とこのお嬢ちゃんと違うかな。
花田 ま、寛実ちゃん。

 セーラー服姿の寛莫、学校帰りの様子で登場。

松木 つい先日のことやけど、お父さん、寛美ちゃんのこと言うてはったよ。「ウチの娘、学校の先生になりたいて言うてるんや」 って。
かね そう! そう、うちで飲んではった時ですがな。
花田 まあ、寛莫ちゃん、先生になるの、それやったらお父さんの後継ぎやね。
かね あの時の玉野先生の薪……半分困ったような、とぼけたような顔してはったけど、目見たらわかりますねん。内心は嬉しゅうてしょうないんやわ。

 関谷が状況報告を始める。

関谷 (メガホンで)参加者の皆さん、ご苦労様です。十五分程前に開廷致しました。昭和四十八年の七月に民事訴訟にふみきってから六年、強側配転と押しつけの研修命令の不当性を訴え続けて釆ました。真実が我々に有利なのは当然でありますが、刑事事件では玉野先生らに対する監禁の事実を認めながら、山下あいさつ状を差別文書として泉らの行為は罰するに価しないときわめて不当な判決を下しております。

 この民事事件では、被告は大阪市でありますが、最近の司法反動化の中では予断を許しません。慎重に見守りたいと思います。

 それから皆さんに紹介しておきますが、あの養鹿事件の当事者であります高山先生、それに立川先生も今日この場に支援に来ておられます。
高山 (軽く頭を下げて)兵庫から参りました。高山です。
立川 養鹿高校の立川です。

 参加者たちは二人に拍手をおくる。

関谷 あっ(と上手に注目して)どうやら終ったようです。

 山下教諭を先頭に玉野、金森、羽山ら原告の教師たちと弁護団、鳥井、斉藤が上手二重より出てる。玉野、金森が両手で丸をつくって掲げている。待機していた参加者は一斉に拍手をし、中央集まる。松木は、その横をすりぬけて公衆電話へ行く。

山下 皆さん喜びをもって勝利の報告を致します。本当にありがとうございました。

 大きな拍手。松木の電話が下手二重の電話にかかる。松木と下手二重を残して、他は暗くなる。小林が出る。朝日小学校である。

小林 もしもし、あ、松木先生。
松木 もしもし、勝ちましたよ。
小林 勝ったの。
松木 そう、先生、あの大きな拍手が聞こえるでしょう。

 拍手とともに明るくなり、中央では原告の教師たちが紹介されている。そのたびに大きな拍手。

松木 これで八年間の研究所勤務が不当であることが確認されました。今、弁護士さんの報告が始まっています。あとでまた連絡します。
小林 よかったわ。羽山先生に皆が喜んでいるって言ってください。

 朝日小学校では小林の周りに集まる先生方。
 電話に拍手をおくる朝日小学校の先生たち。松木、小林をとらえていた明りが消えると中央で語る鳥井弁護士の報告が聞こえ出す。松木は中央へ帰ってくる。

鳥井 この総額一、一四〇万円の慰謝料を支払えと命じたことは、裁判所が市教委の不当研修を裁量権を濫用した違法なものであると断定したものであります。

 大きな相手。その間に隣の弁護士が鳥井に判決文を渡す。

鳥井 私たちも今、判決理由を読みながら、説明しているわけでありますが、ここではさつ状を「差別文書と断定することは困難である」としております。(共感の拍手)特定の運動方針を持った者が、自己の思想で差別であると定義することは、反対意見を容易に手段として利用され、正しい同和教育を阻害すると判断しております。(大きな拍手)部落解放の名のもとに行政の私物化や利権あさりは許されるものではありません。我々弁護団は大阪市が不当な控訴をしないように要求するとともに、国民の広い支持のもとで、正し教育が行われるよう奮闘いたします。

 大きな拍手。玉野は参加者の中に高山の姿を認める。

玉野 高山先生。
高山 玉野先生、山下先生……!
山下 お、立川さんも……
立川 よかった、おめでとうございます。

 高山と玉野、立川と山下、それぞれ握手を交わす。

 関谷では、ここで家族を代表して、玉野先生の奥さん登美さんに挨拶をお願いします。  登美 ためらっている。けれど、玉野の激励の視線を受けとめて心を決める。

登美 皆様、ありがとうございました。まだ肌寒い四月の深夜、八田市民館にかけつけてくださった皆様の姿を見たとき、今まで玉野の足ばかり引っぱっていた自分に気がつきました。研究所勤務の憂うつの中で「夜の夜風」を歌っている玉野を見て、私ら家族もしっかりせかいかんと思いはじめました。嵐の中で私たち名もない草たちは葉をちぎられました。でも皆さんの豊かな土壌に育まれて、根っ子だけはしっかり張ってきました。十年四カ月を皆さんとともに、皆さんに支えられてたたかって来たんです。私、これからもみなさんと歩んで行きたいと思います。

 玉野、登美の傍らに寄り、うなずく。

花田 奥さん、きれいやわ。今日の奥さんには、玉野先生ほれなおしはるよ。

 皆、思わず笑い声と拍手。

関谷 養鹿の高山先生、何かひと言、ご挨拶をいただけませんか?

 高山は軽く会釈して皆に向かう。

高山 私たち養鹿のたたかいはまだまだ統くと思います。先程、私は山下先生、玉野先生たちに「おめでとう」と今日の勝利を讃えたのですが、実は、その「おめでとう」の言葉では言い尽せない心の昂りを今感じています。私は今、嬉しくてなりません。日本のあちこちで誤った解放教育が大手を振ってまかり通っております。八田問題と養鹿事件は一連のものです。暴力によって真実が屈服させられるものではないということを示してくださった皆さん、心から感謝感謝いたします。ありがとうございました。養鹿もがんばります。

 参加者たち柏手。
 舞台は急速に暗くなり、明りは玉野と登美だけ浮き立たせている。

玉野 今日は、ご苦労様でした。
登美 なんか変やわ。
玉野 何が?
登美 (玉野の口実似をして)今日は、ご苦労様でした。
玉野 うむ、ちょっと他人行儀やなあ、どう言うたらええやろ。
登美 いつものように言うてくれたらええんよ。
玉野 うむ(登美に)ごくろうさん!! ええ挨拶やったぞ。
登美 ……私、蒲団干してきたの、入れ忘れてるわ。
玉野 蒲団?
登美 うん、今日は勝っても負けても、ふんわりした蒲団にぐうっと背中伸ばして寝たろ思て。
玉野 そうか。長かったな……。長かったけれど短かった。
登美 そうやねぇ、長かったけれど短かったわ。
玉野 ほんまに正しかったら、初めは心細うても粘り強うにしんぼうせなあかんということが、ようわかった。正しいからいうて、すぐに人から受け入れられるとばかりはいかん。けど、正しいことは言い続けなあかん。言い続けてるうちに仲間がふえて来る……
登美 うん、(と納得して)私、そういう人やから、おとうさんのこと好きなんかも知れへんわ。 玉野 あほ、子どもがもう高校生やぞ。ええ歳して、誰かに聞かれるとひやかされるぞ。……それはそうと、長いこと鮨食べてないな。今日は買うて帰ってやるか。
登美 おとうさん、私、さっきから亡くなったおばあちゃんのこと思い出してるんやけど。
玉野 うん。(うなずく)親不幸やったなあ。
登美 辛い目にばっかり会うてるおとうさんを見ながら亡くなりほった。けど、おばあちゃんのロぐせは、「息子は悪いことおまへん。みなさん、ようがんはってくれはる」―そう言って、いつも手を合わせてはった。
玉野 お墓参り、しばらく行ってないなあ。今日のこと、おばあちゃんにも知らせなあかん。
登美 寛美も憲子も連れて。
玉野 そうや、皆で揃うて……

 コーラス「明るい歌を歌おう」が沸き上がるように高まる。

「明るい歌を歌おう」

明るい歌を歌おう
つらいときこそ
見えなかったものが みえてくる
歩んできた道が 教えてくれる
だから私には 真実が
ほんとうのことが 見えてくる

明るい歌を歌おう
つらいときこそ
明るい歌を歌おう
職場の仲間と
ゆるしはしないもの はねのける
子どもたちや父母が 教えてくれる
つくりあげるものが みえてくる
支えあう仲間が 教えてくれる
だから私には 見えてくる
たたかいの中で 見えてくる
だから私たち ひるみほしない
明日のために ひるみはしない
明日のために 明るく歌おう

この「明るい歌を歌おう」の高まりの中で。

                 ― 幕 ―

(Web掲載の底本はあずみの書房刊「嵐吹いて、草たちはいま…」)

基本問題検討部会報告書

基本問題検討部会報告書

昭和61年8月5日

 地域改善対策協議会基本問題検討部会

I、同和問題の現状に対する基本認識

1、同対審答申における同和問題の認職

 昭和40年8月11日、同和対策審議会(以下「同対審」という。)は、内閣総理大臣の諮問に応じて、同和地区に関する社会的及び経済的諸問題を解決するための基本方策について答申を行った。この答申(以下「同対審答申」という。)は、同和問題の本質や同和地区の実態について認識を示した上で、同和対策の具体案として基本的方針及び具体的方策の提言を行った。すなわち、同対審答申は、同和問題について、「いわゆる同和問題とは、日本社会の歴史的発展の過程において形成された身分階層構造に基づく差別により、日本国民の一部の集団が経済的・社会的・文化的に低位の状態におかれ、現代社会においても、なおいちじるしく基本的人権を侵害され、とくに、近代社会の原理として何人にも保障されている市民的権利と自由を完全に保障されていないという、もっとも深刻にして重大な社会問題である。」と定義し、同和関係者が置かれた経済的・社会的・文化的に低位な状態の早急な改善を行政に促した。答申では、具体的に、人々の観念や意識のうちに潜在し、言語や文字や行為を媒介として顕在化する心理的差別と、劣悪な生活環境等に象徴される同和地区住民の生活実態に具現されている実態的差別とに分類し、相互に因果関係を保つこれら二つの領域の差別の解消を行政施策の課題として指摘した。

 この同対審答申は、その後の国及び地方公共団体の地域改善対策の内容や運営に大きな影響を与えるとともに、この答申で述べられた同和問題に対する認識は、これまで、この問題に対する一般的な認識として受け止められ、論じられてきた。当部会での検討は同対審答申の内容についてその適否を問題にすることを目的とするものではないが、当部会として、同和問題の現状についての基本的な見解を明らかにするに際しては、同対審答申にさかのぼって検討し、関係者はもちろん広く国民の十分な理解を得ることが妥当であり、かつ、今後の地域改善対策の方向を論ずる上でも必要なことであると考え、必要な限りにおいて同対審答申にも言及した。

2、同対審答申と今日の同和問題

 同対審答申が出されて21年が経過しようとしているが、同対審答申が前提とした当時の同和問題や同和地区の状況と現在の状況とでは、かなり様相が異なっている。第一は、同和地区の実態の改善が相当進んでいることである。第二は、同対審答申では全く触れられていない問題が新たに生じてきたことである。

(同和地区の実態等の改善)

 同和地区の生活環境や同和関係者の生活実態は、同対審答申当時と比べ著しく改善されてきた。これは、その後の経済社会の発展に伴う面も多いが、それにもましてこれまで積極的に行政施策が推進されてきた成果と受け止めることができる。同対審答申が出されて以降、昭和四十四年には同和対策事業特別措置法が制定施行され、また、同法の期限切れに伴い、昭和五十七年には現行の地域改善対策特別措置法が制定施行され、これらの法律に基づいて関係施策が実施されてきた。ちなみに、昭和44年度から昭和61年度の間における国の地域改善対策関係予算額を合計すれば約2兆6,OOO億円に達する。また、地方公共団体においては国の補助を受けて実施する事業及び独自に実施する事業に国費を上回る額を投入して施策を実施してきている。昭和59年6月の地域改善対策協議会(以下「地対協」という。)の意見具申において「同和地区住民の社会的経済的地位の向上を阻む諸要因の解消という目標に次第に近づいてきた」と述べているとおり、同和地区と一般地域との格差は、平均的な水準としては、相当程度是正されたといえる。

 また、心理的差別の領域においてもその解消が進みつつある。この背景には、実態面の劣悪さが改善されたことのほか、各種の啓発施策や同和教育の実施が寄与している。

 他方、同和地区の実態や心理的差・別の問題について、今日、まだ、課題が残されていることも事実である。特に、差別意識の解消については、実態面の改善に比べ遅れており、差別事象の発生が依然としてみられることは残念なことである。さらに、生活環境の改善等の事業のうち一部の事業については、地域改善対策特別措置法の有効期間内に当初予定されたものの実施が困難な状況もみられる。

(新たな課題)

 現在の同和問題を巡る状況をみると、同和問題に関する意見の潜在化傾向や行政としての主体性の欠如に起因する行政運営における不適切な事例の存在、あるいは同和問題を口実にして利権を得る、いわゆるえせ同和行為の横行等同対審答申では触れられていない問題がみられる。地対協の意見具申においては、今後、啓発活動の充実が重要であるとの視点から、啓発活動の条件整備として、①同和問題について自由な意見交換のできる環境づくりを行うこと、②行政が確固たる主体性を確保して事に当たるべきこと、③いわゆるえせ同和団体の横行を排除することを提言しているが、これらの課題は、単に効果的な啓発活動を行うために解決されるべき課題であるばかりでなく、これからの同和問題の根本的解決を考えていく上での基本的な課題でもある。

 特に、これまでの地域改善行政を顧みると、行政機関においては、国、地方を問わず、民間運動団体への対応に腐心している状況がみられ、また、民間運動団体間の激しい対立が行政の現場に持ち込まれ、その対応に苦慮するという例がみられる。こうした状況の背景としては、民間運動団体の行動形態自体にも問題があるが、同和問題に対する行政機関の姿勢が特に問題である。行政機関においては、ともすれば事なかれ主義に陥り、民間運動団体との妥協の上に地域改善行政を進めるという傾向がみられる。これは、国民共通の課題であるべき同和問題を国民から遊離したものとするばかりでなく、この問題に対する一般国民の拒絶反応を生む一因ともなっている。行政機関は、改めて自らの立場を十分自覚し、民間運動団体との関係の在り方を見直すべきである。

II 同和問題の解決と行政等の果たすべき役割

1、同和問題解決の基礎条件

 同和問題の解決のためには、同和関係者の自立、向上を阻害している要因の解消がなされねばならない。同和関係者の自立、向上を阻害してきた要因としては、同対審答申以来、劣悪な生活環境等と国民の間に幅広く残った差別意識が挙げられてきた。このうち、同和地区の実態については、大幅に改善をみてきているところであり、実態の劣悪性が差別的な偏見を生むという一般的な状況は、現在ではなくなりつつある。一方、同和地区や同和関係者に対する社会的偏見は、その解消が進みつつあるというものの、現在に至るまでも根強く残されてきた。その背景としては、昔ながらの非合理な偏見の残澤、同和地区内外の交流が余りないこと、運動団体の行き過ぎた活動等からくる同和関係者、同和地区に対する好ましくないイメージの形成等の諸要因があり、これが、因となり果となり相互に作用して、社会的偏見の解消が妨げられてきた。また、地域改善行政における行政の主体性の欠如や、えせ同和行為の横行の問題は、同和問題についての国民の理解を妨げる大きな要因となっている。

 同和関係者の自立、向上を阻害し、また、同和問題の国民的理解を妨げているとみられるこれらの諸要因の解消を促進するということが、同和問題解決の基礎条件である。

2、同和関係者の自立、向上のための努力

 同和関係者の自立、向上のためには、同和関係者自らが自立、向上の意欲を持ち、自主的な努力を行うことが不可欠である。同和関係者の自主的な努力がなければ、自立のための環境条件が整備されたとしても、結局、同和関係者の自立、向上はいつまでたっても達成されないことになる。

 同和関係者の自立、向上のための努力は、同和問題解決のための根本要件であるので、同和関係者の努力を期待するとともに、この点に関する民間運動団体の積極的なとりくみを望むものである。

3、行政の役割

 同和問題解決のために行政が果たすべき基本的な役割は、同和関係者の自主的な努力を支援し、その自立を促すことでなければならない。また、同和関係者の自立を促す上では、国民に対し啓発を行い、差別意識の解消を促進することは極めて重要な任務である。これまで進められてきた地域改善対策事業や地方公共団体が独自に実施してきた関係施策は、その効果が最終的には、同和関係者の自立に寄与するものでなければならないが、ともすれば、行政がこの目標を見失い、一部に、同和関係者に対して、合理性が疑問視される給付や特例が認められてきたことは、今日、十分見直されるべきである。

 このような同和問題解決のために果たすべき行政の役割の根底には、現代福祉国家の理念がある。同和地区の実態の早急な改善のため、地域改善対策事業を実施するという行政の機能は、福祉国家の理念に裏付けられた積極的な行政の作用と解すべきものである。

 また、地域改善対策事業の推進は国と地方公共団体の共同の責務であり、その円滑な実施のためには、国と地方公共団体が一致協力することが不可欠である。その場合、国は、事業運営の方針を明確に示す等指導的役割を果たすことが重要である。

4、国民の協力

 同和問題の解決は、究極的には国民一人一人の自覚に待たなければならないものである。地対協の意見具申でも、あるべからざる差別の解消は我々国民に課された使命であり、同和問題の最終的な解決のためには、すべての国民の理解と協力が絶対不可欠であることが指摘されたところである。国民の間に幅広く残された偏見が、同和関係者の自立、向上を妨げてきたことを考えれば、国民が自らの心から、あるいは周囲の人々の心から、この偏見を取り除くよう努めることは、国民の道義上の責務といえる。

5、民間運動団体に期待される役割

 民間運動団体のこれまでの活動が、同和問題に対する国民の関心を高め、同和問題への行政の積極的な対応を促す要因となってきたという点については、大いに評価されるべきである。  しかし、今日、民間運動団体にも様々な問題点が指摘されるようになった。現在、国民が同和問題に対するイメージや意識を形成する上で、民間運動団体の影響は大きく、民間運動団体が国民に対し誤解や不信感を与えるような行動形態をとり続けていれば、国民が同和問題を正しく理解することは困難となる。のみならず、民間運動団体の行動形態や民間運動団体間の激しい対立抗争が、国民の間に不安と反感を招来し、新たな差別意識を生む一因ともなる。

 民間運動団体については、批判は批判として素直に受け止めるという謙虚な姿勢が切に望まれる。民間運動団体にそういう姿勢がなければ、運動の国民的広がりをかち得ることはできないであろう。

 同和問題の解決のために民間運動団体に期待される役割は決して小さくない。今後においても、民間運動団体の同和関係者に対する影響力の大きさ等を考えれば、同和関係者の自立意欲の向上のための民間運動団体の積極的な活動は極めて重要である。また、同和問題についての国民の理解を深めるため、民間運動団体が国民の納得を得られるような方法で活動を行うことができれば、啓発推進の重要な一翼を担うことができよう。

III、同和問題の解決のための基本的課題

 当部会では、同和問題の現状に対する認識、地対協の意見具申の指摘の内容を踏まえて、同和問題解決に向けての基本的課題としての次の五つの課題を挙げ、これらの課題について問題点を是正し、適正化を図るための具体的方策について検討を行った。

(1) 同和問題について自由な意見交換のできる環境づくり (2) 同和問題に関する広報の在り方 (3) 行政の主体性の確立と行政運営の適正化 (4) えせ同和行為の排除 (5) 同和関係者の自立、向上の精神のかん養とこれまでの行政施策等

1、同和問題について自由な意見交換のできる環境づくり

(1) 自由な意見交換を阻害している要因

 現在、同和問題は、いわばタブー視されている傾向がある。同和問題に関し、様々な意見が自由に公表されにくいという状況にあることは、本問題についての国民的な理解を深める上で、大きな障害となっている。同和問題が、国民の開かれた討論の対象とならない限り、この問題の前進はあり得ない。

 同和問題に関する自由な意見交換を阻害している大きな要因は、民間運動団体の行き過ぎた言動にある。民間運動団体の確認・糾弾という激い行動形態が、国民に同和問題はこわい問題、面倒な問題であるとの意識を植え付け、同和問題に関する国民各層の批判や意見の公表を抑制してしまっている。行政機関においては、同和問題についての広報活動等に対する民間運動団体からの激しい抗議や確認・糾弾等への恐れから、自由な発言や広報活動を行っていないという傾向がみられる。また、新聞社、放送局、出版社等ジャーナリズムについても同様な傾向がみられ、同和問題に関する言論や報道に伴う負担やトラブル等を懸念して、同和問題に関する自由な立場からの批判や掘り下げた報道を行うことを躊躇している状況があるように思われる。

(2) 確認・糾弾行為についての考え方

 確認・糾弾行為は、それが始められた頃の時代環境、すなわち、同和関係者の大多数が悲惨な生活状況に置かれ、厳しい差別の対象とされながら、それを改善するための行政施策が全く不十分な状況の下では、同和関係者の人権に関する自覚や差別の不合理性についての社会的認識を高める役割を果たしたことは否定できないが、基本的人権の保障を柱とする現行憲法下において、同和地区や同和関係者に対する行政施策の充実が図られている現代では、確認・糾弾行為の存在意義については、当然見直されねばならないものであ。幅広い国民の理解を得るためには、民間運動団体の行動形態も、時代環境に即して変わることが求められる。

 確認・糾弾行為は、被害者集団による一種の自力救済的かつ私的裁判的行為であるから、被糾弾者が当然にこれに服すべき義務を有するものではない。この点に関し、糾弾権が存在するとの主張が一部にみられるが、他人に何らかの義務を課する法的な権利として認められるためには、法律に根拠を有するか、判例上確立されたものでなければならない。しかし、糾弾権の根拠となる法律がないことは言うまでもないが、判例においてもそのような権利は認められていない。したがって、確認・糾弾行為に応ずる法的義務はなく、その場に出るか否かはあくまでも本人の自由意思によるべきことは当然である。そして、確認・糾弾行為が被糾弾者の自由意思に基づいて行われた場合でも、それは、社会的に相当と認められる程度にとどめられるべきであり、それを超えるときは、違法な行為であり、私的制裁以外の何物でもない。

 また、確認・糾弾行為は、被害者集団によって行われるため、被糾弾者の自由意思に基づいて行われるものであっても、勢いの赴くまま、行き過ぎたものとなる可能性がある。さらに、糾弾会への出席が、民間運動団体の直接、間接の圧力によって余儀なくされる場合もあり、真に自由意思に基づくものかどうか疑わしい場合もあろう。

 差別行為のうち、侮辱する意図が明らかな場合は別としても、本来的には、何が差別かというのは、一義的かつ明確に判断することは難しいことである。民間運動団体が特定の主観的立場から、恣意的にその判断を行うことは、異なった意見を封ずる手段として利用され、結果として、異なった理論や思想を持つ人々の存在さえも許さないという独善的で閉鎖的な状況を招来しかねないことは、判例の指摘するところでもあり、同和問題の解決にとって著しい阻害要因となる。もとより、差別行為が法益を侵害するものであれば現行刑法上あるいは現行民法上に所要の処罰あるいは救済の規定があるわけであり、また、法務省の人権擁護機関等公的機関も整備されているのであるから、それらの公的制度や機関の中立公正な処理にゆだねるべきである。

(3) 自由な意見交換ができる環境をつくるための方策

 第一に、民間運動団体は、糾弾というような行き過ぎた行為を是正し、社会的に妥当と認められ、国民な納得が得られるような手段で活動を行うべきである。

 第二に、行政機関・企業等は、もちろん、同和問題について正しい理解を持つよう努めるべきことは当然であるが、無原則に民間運動団体の要求に応ずることで問題を解決しようという態度は望ましいものではない。同和問題の理解を深めることと団体の要求に応ずることとは本質的に別個のものであり、団体の不当な圧力に対しては、毅然とした態度で臨むことが望ましい。また、団体の行為が受忍範囲を超え、違法行為に当たると思われる場合には、警察の協力を求めることも必要となろう。

 第三に、行政機関は、同和問題について自由な意見交換のできる環境をつくるため、積極的な努力を行うべきである。具体的には、民間運動団体に対する当事者の対応についてのガイドラインや事例集を作成し、その周知徹底を図ること、国及び地方公共団体の地域改善担当部局その他関係行政機関を活用することによって相談指導体制を確立すること、人権擁護機関の活動を拡充すること等が必要となろう。

 最後に、同和問題について自由な意見交換ができるという環境は、究極的には、国民一人一人がこの問題を正しく受け止め、差別意識の解消がなされることを通じて形成されるべきものであることはいうまでもない。

2、同和問題に関する広報の在り方

 ジャーナリズ,ムが自由な立場で同和問題に関する意見や批判を公にし、掘り下げた報道を行うことは、同和問題の国民的理解を促進する上で極めて有効である。しかし、ジャーナリズムにおいては、同和問題については触れないことが賢明という固定観念が形成されているように見受けられる。この背景には、民間運動団体の行き過ぎた行動があるとみられるが、一方、行政機関がこれまで同和問題に関する情報や資料を十分提供してこなかったということにも原因があろう。また、ジャーナリズムにこの問題を避けて通ろうとする傾向があることは、ジャーナリズムの使命という観点からすれば、ジャーナリズム自体にも問題がないわけではない。

 今後、行政機関が同和問題に関する議論や情報、資料をできるだけ公開し、ジャーナリズムに提供していくことになれば、ジャーナリズムの固定観念も次第に払拭することができると思われる。まず、同和問題に関する情報が一番集積している行政機関がこれまでの姿勢を改めていくことが重要である。

3、行政の主体性の確立と行政運営の適正化

 行政機関が、確固たる主体性を堅持して、適正な行政運営を行うべきことは、行政一般に当然求められることであるが、特に地域改善行政においては、この姿勢が貫かれなければ、新たな差別感を行政機関自らが創り出すこととなり、同和問題の解決に逆行する結果となる。行政機関の厳然たる姿勢が基本とされねばならない。しかしながら、現在のところ、一部に、行政としての主体性の欠如から、不適切な行政運営の事例がみられることは、はなはだ遺憾である。例えば、民間運動団体に補助金等を支出していながら、その適正な執行について十分な監督を実施していない例があること、個人給付的施策の対象者の資格審査が民間運動団体任せとなっており行政機関が資格審査を十分行っていない例や団体に加入していない同和関係者の施策の適用が結果として排除されるという例があること、公的施設の運営が特定の民間運動団体に独占的に利用されている例がみられること、各種の相談員、指導員の人選が民間運動団体任せになっている例があること等である。また、地域改善行政の運営に不適切な実態がみられながら、従来、国及び地方公共団体の監査、検査の機能が十分発揮されてこなかったということは、それ自体、行政としての主体性の欠如を示すものである。

(1) 行政の主体性の欠如、不適切な行政運営の原因

 行政としての主体性が確立されず、不適切な行政運営の実態がみられる原因としては、まず、行政職員が民間運動団体の威圧的な態度を恐れるとともに、激しい確認・糾弾や暴力行為、脅迫を受けるのではないかという不安を持っていることが考えられる。また、行政職員の間にこれまでの経緯等から「あきらめ主義」や「事なかれ主義」があり、地域改善行政を特別視する傾向があること、同和問題についての行政職員の理解や認識が十分ではないことも原因となっていよう。さらに、「対象地域」、「同和関係者」等地域改善行政における基礎的な概念の定義が必ずしも具体的に明らかにされていないことも、行政機関の主体的な意思決定を困難にしている大きな要因である。

(2) 適正化のための方策

 第一に、行政機関においては、民間運動団体との関係について見直しを行うことが必要である。例えば、民間運動団体と行政との望ましい関係の在り方の基準や行政としての主体性を確立するためのチェックポイントを明らかにすることは、今後の行政運営の適正化にとって有効なものとなろう。

 第二に、地方公共団体における地域改善行政の不適切な運営を是正し、適正化を図っていくためには、国は都道府県に対して、都道府県は市町村に対して適切な助言、指導等を積極的に行っていくことが必要である。

 第三に、「対象地域」、「同和関係者」、「同和団体」という行政運営の基礎的概念を整理し、具体的にその定義を明らかにし、行政運営の明確化に努めるべきである。

 第四に、地域改善行政の運営に当たっては、事業の内容や目標、予算等を広く住民に公開し、開かれた行政運営に努めていくことが必要である。

 このほか、同和問題についての行政職員の理解を十分深めていくべきことや行政の監査、検査の機能を積極的に活用し、内部的なチェックを行っていくこと等も重要である。
4、えせ同和行為の排除

 いわゆるえせ同和団体やえせ同和行為の横行は、今日、重大な社会問題であり、また、同和問題の国民的理解を妨げる大きな要因である。えせ同和行為とは、何らかの利権を得るため同和問題を口実にして企業・行政機関等へ不当な圧力をかける問題行為である。一昨年の地対協意見具申では、えせ同和団体の排除が指摘されたところであるが、えせ同和行為の中には、既存の民間運動団体の構成員によって行われるものもあり、排除の対象としては、それも含めて、えせ同和団体ではなく、えせ同和行為としていくべきである。

 えせ同和行為が横行する原因としては、同和問題はこわい問題であるという意識が企業・行政機関等にあり、不当な要求でも安易に金銭等で解決しようという体質があること等が挙げられる。また、「同和は金になる」という風潮が一部にみられることや地域改善行政におけるあいまいな運用もえせ同和行為横行の背景となっている。えせ同和行為の横行を排除するための具体的方策としては、①企業・行政機関等においては団体からの不当な要求については断固として断り,また、不法行為については、警察当局に通報する等、厳格な対処で臨む姿勢が必要であること、②民間運動団体については、えせ同和行為排除のための自律機能や自浄能力を高めること、③行政機関としては、企業・行政機関等の望ましい対応について積極的な啓発活動を展開すること、また、不法行為に対しては的確な警察措置が採られている現実を明らかにすることも重要である。

5、同和関係者の自立、向上の精神のかん養とこれまでの行政施策等

 同和関係者の自立、向上の精神のかん養が同和問題の解決の基礎条件であることは、既に述べたが、現在の行政施策の内容や運用をみると、必ずしも同和関係者の自立という視点が徹底されていない面がみられるので、このような視点からこれまでの行政施策等を再評価してみる必要がある。

(1) 同和関係者の自立、向上という視点からの行政施策等の評価

 行政施策については、同和関係者の生活水準や生産水準を高め、生活の自立を促すという効果を持った反面、同和関係者の自立意欲を阻害している要素も多分にある。個人給付的施策の安易な適用や一般低所得者対策等と均衡を失するような施策の存在は、結果として、同和関係者の自立意欲を阻害する一因ともなっている。自分が同和関係者であれば、いつまでも特別な施策の対象者になるのだという意識が醸成されれば、同和関係者の自立性の基盤はいつまでたっても形成されないことになる。のみならず、経済的に豊かであるのに同和関係者だからという理由で特別な給付が受けられるということは、新たな差別感を生む要素となるおそれがあることにも十分配慮すべきである。

 こうした観点からみるとき、単に個人給付的施策ばかりでなく、一部にみられる特別な納税行動や税の減免制度、低額所得者向けの施策住宅等の中においても、立地条件、建設年度、住戸規模等からみて、なお、著 しく均衡を失した低家賃の実態があることも問題である。

 また、民間運動団体については、これまでの活動が構成員に誇りを自覚させるというプラスの効果を持った反面、差別又はそれに対する補償を過度に強調することは、同和関係者の自立、向上精神のかん養にとって阻害要因となっている面もある。さらに、民間運動団体がその強硬な態度により、個別施策の実施やその適用を左右してきたことは、結果として、同和関係者の行政への依存体質を強めてきた面もあることを反省されなければならない。

(2) 改善方策

 個人給付的施策については、同和地区の実態の改善が進み、社会福祉等の一般対策も整備されているのであるから、原則として廃止し、一般対策の中で対応する方向で検討すべきであり、なお、例外的に認められるべき個人給付的施策としては、自立の促進に役立つことが明白であるもの等真に必要なものに限定するとともに、対象者の資格の厳正な認定を行う必要がある。さらに必要に応じ所得制限を導入する等により、施策の安易な適用を排除すべきである。その他、税等の関連制度においても同和関係者の自立意欲を阻害する不合理な特例は廃止すべきである。

 一方、同和関係者が自立し易い環境をつくるという点では、もちろん、国民に対し啓発を行い、差別意識の解消を促進することは極めて重要な課題であり、今後とも積極的に推進しなければならない。

IV、地域改善対策事業のこれまでの実績と今後の課題

1、地域改善対策事業のこれまでの実績

(1) 地域改善対策事業の執行状況

 地域改善対策事業のこれまでの実績について、まず、事業の執行額についてみると、昭和五十七年度から昭和六十年度までの間に、地域改善対策事業として、国費だけで約七、五〇〇億円が投じられた。昭和六十一年度の地域改善対策予算は、約二、一〇〇億円であるので、地域改善対策特別措置法の有効期間における事業量(国費)は、合計約九、六〇〇億円に達することになる。地域改善対策事業のうち、生活環境の整備等の物的事業(建設省、厚生省、農林水産省、文部省、自治省)については、昭和五十七年度から昭和六十年度までの執行額(国費)が約六、七〇〇億円、昭和六十一年度の予算額が約一、七〇〇億円であり、同法の有効期間における事業量(国量)は、約八、四〇〇億円となる。地域改善対策特別措置法制定当時同法の有効期間内に実施すべきものとして予定された事業量(国費)は、当時の価格で七、〇〇〇億円程度であったので、量的にみれば、予定された事業量に十分見合う国費が投じられてきたことになる。

(2) 地域改善対策事業のこれまでの主な実績

 地域改善対策事業として、昭和五十七年度から昭和六十一年度の間に約一兆円近い国費が投じられたことにより、同和地区の生活環境や同和関係者の生活実態の改善は着実に進められてきたが、各分野における地域改善対策事業の主な実績をみると次のとおりである。

 (生活環境の改善、社会福祉の増進等のための事業)

 住環境の整備・改善を図るため、住宅地区改良事業、小集落地区改良事業等の面的整備事業が実施され、不良住宅の除去、改良住宅の建設等の総合的な整備が進められてきた。具体的には、住宅地区改良事業等が昭和五十七年度から昭和六十年度の間に住環境の劣悪な四一五地区で実施され、一四七地区で事業が完了しており、さらに、昭和六十一年度においては約一〇〇地区での事業の完了が見込まれている。地域改善対策特別措置法制定以前に実施された事業と合わせると、昭和六十年度までに約八〇〇地区で事業が実施され、約五三〇地区で事業が完了している。また、住宅の建設等も進み、昭和五十七年度から昭和六十年度の間において、公営住宅の建設戸数は四、八九〇戸、持家の取得等のための資金を貸し付ける住宅新築資金等貸付事業の貸付件数は約三三、五〇〇件となっている。さらに、下水道事業、公園事業、街路事業等の実施により、根幹的な公共施設の整備等も進められ、例えば、昭和五十七年度から昭和六十年度の間に下水道事業が三〇六か所、公園事業が一九三か所で実施されている。このほか、同和地区の環境整備を図るため、地方改善施設整備事業が実施され、昭和五十七年度から昭和六十年度までに、例えば、地区道路四、七五八か所、下水排水路一、四一六か所で整備が進められた。昭和五十六年度以前に実施された事業を合わせると地区道路三、二五五か所、下水排水路五、四九〇か所となっている。

 また、同和地区において生活相談事業や保健衛生事業等の実施の拠点となる隣保館は、昭和五十七年度から昭和六十年度の間に八三館整備され、それ以前に整備されたものと合計すると一、〇二九館となる。隣保館の整備等により、同和関係者の生活上の二ーズに応じた各種の事業が実施され、同和関係者の生活の改善、向上に寄与してきている。このほか、児童の健全育成のため保育所・児童館の整備、妊婦健康診査及び保健衛生に関する知識の普及等の事業は、社会保障施策の充実とあいまって地域の保健・福祉の向上に貢献してきている。

 (産業の振興のための事業)

 農林水産業の振興については、土地基盤等生産基盤の整備や近代化施設の整備等が進められてきた。具体的には、昭和五十七年度から昭和六十年度の間に、かんがい排水による受益面積が約七、五〇〇㎞、農道整備が約一、七五〇㎞となっている。この結果、同和地区における農林水産業の生産性の向上、農林漁業経営の安定化が図られてきた。例えば、土地条件等の制約を克服して、集約的な園芸や畜産、水産養殖等施設型経営への移行や周辺農漁家との連携による協業組織化が進み、地域全体として農漁業に取り組む事例が見られる。

 また、産業の振興については、経済力の培養等を図るため、小規模事業者に対する相談・指導を行う経営改善普及事業、新商品・新技術の開発、人材育成、情報収集等の経営資源の充実策及び事業協同組合等の組織化を推進するとともに、企業経営の近代化・合理化を促進するための高度化資金融資制度等の各事業が、これまで実施されてきた。

 (職業安定のための事業)

 同和関係者の雇用の促進と職業の安定を図るため、職業訓練等就業能力の開発、常用労働者として就職する同和関係者に対する資金の貸付、事業主に対する助成金の支給等の援護措置、就職差別の解消のための事業主に対する指導・啓発等の各事業がこれまで実施されてきた。ちなみに、就職資金の貸付実績は、昭和五十七年度から昭和六十年度の間において、五一、三九〇件となっている。

 (教育の充実のための事業)

 学校教育に関しては、経済的理由によって就学が困難な同和関係者の子弟に対する進学奨励事業の実施等により、同和地区の高校進学率は昭和五十年代に入って、八十七%~八十九%の水準で推移しており、一般地域との格差も四%~七%となっている。高等学校等進学奨励事業の対象者は、昭和五十七年度から昭和六十年度の間で、国公立、私大合わせて延べ約十三万人に達している。また、大学への進学率についても、まだ格差はあるものの、徐々に向上してきている。さらに、教育推進地域の指定等の事業の実施により、地域ぐるみの同和教育の推進やその充実が図られてきた。

 また、社会教育活動の実施により、学習機会の拡大等地域の教育水準の向上に寄与してきて おり、例えば、昭和五十七年度から昭和六十年度の間に約一、〇〇〇か所の集会所において、約三、九〇〇件の集会所指導事業が行われた。

 (人権擁護活動の強化のための事業)

 啓発活動は、その効果がすぐ把握できるという性格のものではなく、本来粘り強く実施されねばならないものであり、また、心理的差別の解消の促進が地域改善行政の重点課題となってきていることから、その充実強化が図られている。啓発活動としては、同和問題に関する講演会、研修会の開催、テレビ、ラジオ、新聞等による啓発、地方公共団体職員に対する指導者養成の研修、同和啓発映画の製作等が行われてきている。また、人権相談事業については、同和地区を有する市町村における特設人権相談所の開設等地道な活動が続けられている。この結果、差別意識の解消はある程度進んできている。

2、同和地区の実態及び同和問題に関する意識の現状

 総務庁は、同和問題に関する同和地区内外住民の意識の状況及び同和関係者の生活実態を把握するため、昭和六十年十一月三十日現在で「昭和六十年度地域啓発等実態把握」(以下「実態把握」という。)を実施した。その中間報告によれば、以下のとおりである。

(同和地区の実態)

 同和地区の生活実態面において、その改善・向上が認められる主な点としては次のようなものがあった。

① 婚姻の状況をみると、「夫婦とも地区の生まれ」の夫婦が同対審答申当時と比べると明らかに減少している(昭和三十八年同和地区精密調査八〇%→実態把握六六%)。特に、若年層ほど一般住民との結婚は増加しており、夫の年齢階層が三十歳未満の夫婦では、「夫婦とも地区生まれ」の割合は三六%となっており、六割強の夫婦は一般住民と結婚している。

② 高校等への進学率は飛躍的に向上してきた(昭和三十八年三〇%↓実態把握八八%(転出者は含まない。))。また、最終学歴をみると、全体では、初等教育修了者の割合は、全国水準と比べて高いが、若年層ほど大学、短大等の高等教育終了者の割合は増えてきている。

③ 同和地区の生活環境は極めて劣悪な状態にあるとされ、道路等が一般に未整備で、火災防止危険等の点からも改善の余地があることが同対審答申でも指摘されたが、住宅の敷地に接している道路(接道)の幅員をみると、現在では、面的事業の推進等により、全国的な水準とほぼ同様の水準にまで改善されている。

④ 住居の状況をみると同対審答申当時は、大都市における一人当り居住室畳数等において全国水準より明らかに劣っている状況がみられたが、その後の推進等により、現在では、全国水準とほぼ格差のない水準まで大幅に改善されている。また、住居の専用設備についても、共同便所はほとんどなくなっており、また、大部分の世帯で専用の浴室を持っている。

⑤ 就労の状況をみると、家族従業者が減少する一方で、常用雇用者が増加する等徐々にではあるが改善されてきており、また、管理的職業等に従事する者の割合が少しずつ増えてきている。

⑥ 産業の状況をみると、全国水 準と比べいまだ事業規模の零細性は強いものの、同和地区における零細企業(従業者一~四人規模)の割合が減少する等徐々にではあるが改善をみている。

 他方、同和地区の生活実態面において、全国水準と比べまだ格差がある点として次のようなものがあった。

① 同和地区における生活保護世帯を含めた住民税非課税世帯の割合は、全国水準と比べて十ポイント程度高い。

② 同和地区においても雇用者の増加という傾向がみられるが、全国水準と比較すると、常用雇用者の割合は少なく、臨時雇用日雇等の不安定就労者の割合が高い傾向にある。また、勤務先の企業規模をみると、一〇〇人未満の小規模企業の割合が高い。

③ 学齢十五歳の者の進学状況(転出者は含まない。)をみると、高校・高専への進学率(九四%)と比べるとなお若干の格差がある。

(同和問題に関する意識)

 同和問題に関する意識の状況について実態把握結果に表われた主な特徴としては次のような事項がある。

① 同和地区外の住民のうち八割を超える住民が同和問題を知っており、そのきっかけとして、四分の一の人々が学校の授業、テレビ・ラジオ、研修会等を挙げており、啓発活動が普及してきていることがうかがえよう。

② 同和地区の起源については、同和地区内住民の七割を超える人々が、また、同和地区外住民の約六割の人々が政治起源説を挙げており、啓発活動の成果がうかがわれる。一方、一割弱の同和地区外住民が人種起源説を挙げており、地域ブロック別にみると、関東、中部においてその割合が高い。

③ 同和地区については、一般にやや好ましくないイメージで受けとられており、特に、閉鎖的であるというイメージが強い。地域ブロック別にみると、閉鎖的というイメージは、関東、中部で強い。

④ 同和地区の人との結婚について、同和地区外住民の約二割の人々が、家族や親せきの意向を優先するとしており、また、親が反対したら結婚しないとする人々が三割を超えている。

⑤ 同和地区の改善について、十年前と比較して、同和地区内住民のほとんどが環境が良くなったとしており、また、五~六割の住民は、生活や仕事の状況が良くなったと評価している。

⑥ 今後とも特別対策が必要かどうかについては、同和地区内外の住民に格段の差が認められ、必要だと答える住民の割合が同和地区外では一割程度であるのに対し、同和地区内では約七割となっている。

⑦ 同和教育の実施について、同和地区外住民の多くが消極的な意識を持っており、現在の同和教育の在り方について十分検討すべき余地のあることが示唆されている。

3、地域改善対策事業の今後の主な課題

 地域改善対策事業は、これまで着実な成果を挙げてきた一方で、今後に残される課題もある。主な課題を整理すれば次のとおりである。なお、今後の事業推進の前提として、IIIで指摘した行政の主体性の確立、同和関係者の自立、向上の精神のかん養という視点からの見直し等の適正化対策が講じられねばならないことは当然である。

① 差別意識の解消は、これからの地域改善行政の重点課題として、一昨年の地対協の意見具申の趣旨を十分踏まえて、その促進のための啓発活動を積極的に講じていく必要がある。その際、配慮すべき事項として、次の諸点について改めて強調しておく。

(ア) 同和地区は閉鎖的であるという一般住民のイメージを解消するため、地域ぐるみの啓発活動の実施等同和地区内外住民の交流を促進し相互の理解を深めるよう努力すること。

(イ) 同和教育については一般住民の批判的な意見も多いが、この背景には、地域によっては民間運動団体が教育の場に介入し、同和教育にゆがみをもたらしていることや同和問題についての住民の理解が十分でないことが考えられる。同和教育の推進に当っては、住民の理解と協力を得るよう努めるとともに、教育と政治・社会運動との関係を明確に区別して、教育の中立性が守られるよう留意し、行政機関は毅然たる姿勢で臨むこと。

(ウ) 地対協の意見具申でも指摘されているとおり、同和問題は国民一人一人が主体的に取り組むことによって解決が可能となるのであるが、行政においては、国民が主体となるための条件の整備を行わなければならないこと。そのためには、国、都道府県、市町村はそれぞれの立場で啓発活動を推進する必要があるが、その場合、国のリーダーシップは重要である。また、地対協の意見具申で指摘された国が行うべき啓発活動についても、より効果的に実施するための工夫が望まれる。国においては、同和問題の啓発に関し、明白な方針を示すとともに、その方針等が都道府県、市町村、さらには民間企業や国民に迅速に伝達されるよう一層の工夫を行う必要がある。そのための一つの方法として、国、都道府県、市町村、民間企業等が参画した公益法人を設立し、その法人が国の啓発の指針等の情報を迅速に普及させるなどにより啓発活動を行うこと、えせ同和行為その他同和問題に関する相談活動及び同和問題に関する調査研究等の事業を実施することが考えられよう。

(エ) 啓発活動の充実のため、大学等の高等教育においても、同和問題を含め人権意識の高揚のための特別の配慮が必要であること。

(オ) 今後、効果的な啓発活動を展開していくためには、啓発内容の質的側面、地域改善対策事業未実施地域における啓発活動の在り方等についての検討が必要となること。

② 地域改善対策事業のうち、住宅地区改良事業、地方改善施設整備事業等については、一部に事業の取り組みが遅れている地域がある等全国的にみるとその進捗状況に格差がみられる。また、これらの物的事業については、(ア)当初予定されたもののほかに、地域改善対策特別措置法施行後新たに追加的な事業実施についての要望が出されていること、(イ)用地費等の値上がり、事業計画の変更等により事業量が増加していること、(ウ) 用地取得に関して地元の調整が難航している等の理由により、当初計画どおりに整備が進んでいないこと等から昭和六十二年度以降に持ち越される事業量が見込まれている。昭和六十二年度以降の事業量については、現在、事業所管省庁において精査しているところであり、現時点では、確定できる段階にはないが、真に必要な事業については、地域改善対策特別措置法失効後においても実施していく必要がある。なお、就労、産業の分野について、同和関係者の自立意欲の向上等の観点からの施策の見直しを行った上で、同和関係者の自助努力を前提としつつ、同和地区における産業の振興、職業の安定を図る必要があると考える。 

V、今後の地域改善行政を考える上での基本的問題点

1、今後の地域改善行政に対する基本的考え方

 地域改善対策特別措置法失効後においても真に必要な施策は実施されるべきであると考えるが、今後の対策の推進に当たっては、次の前提条件が実現されねばならない。

① これまでの地域改善行政の反省に立脚し、行政の主体性の確立や同和関係者の自立、向上の精神のかん養という視点からの見直し等適正化のための措置が十分講じられること。

② 現行の施策については、言わば既得権益化することなく、同和地区の実態の改善に応じた施策の見直しが行われ、今後の施策の内容が真に必要なものに限定されること。  また、事業の推進については、国民の理解と協力を得ることが絶対不可欠であるが、この前提条件が実現されなければ、国民の理解と協力を得ることは到底できないであろう。  地域改善対策特別措置法の失効後の措置の在り方については、法的措置の要否も含めて、いずれ、地域改善対策協議会において審議され、同協議会としての結論が出される予定であるが、当部会では、その審議の参考に供するため、地域改善対策特別措置法が失効した場合の影響について言及しておく。

(法失効の影響)

 地域改善対策特別措置法失効後の昭和六十二年度以降において、これまでのような特別措置を講ずることなく、現在の地域改善対策事業のうち所要の事業を実施していくことになれば、その実施は次のような方法によることになる。

① 一般対策を有する事業については、一般対策の事業として実施する。 ② 地域改善対策固有の事業であって、一般対策がない事業については、予算措置として実施する。

 地域改善対策特別措置法失効後このような形で事業を実施することになった場合、同法失効の制度的な影響は、次のように整理される。

① 地域改善対策特別措置法は、地域改善対策事業の実施について、特別の財政措置として、(ア)国庫負担・補助率のかさ上げ、(イ)地方債の特例(事業費のうち国庫負担・補助を除く部分に対する起債の充当率が一〇〇%であること。)、(ウ)地方債元利償還金(自治大臣が指定するものに限る。)の八割の地方交付税基準財政需要額への算入措置を講じているが、同法が失効した場合、この特例の財政措置がなくなることになる。

② 具体的には、(ア)一般対策として法律に基づく国庫負担・補助がある事業(一般対策と国庫負担・補助率が同じ地域改善対策事業は除く。)については国庫負担・補助率が一般対策の国庫負担・補助率に戻ること(例・保育所整備事業2/3→1/2、造林事業2/3→3/10、消防施設等整備事業2/3→1/3)、(イ)地方債の起債が一般の事業債の枠及び充当率に戻ること(例・住宅地区改良事業八五%(充当率)、簡易水道事業九〇%(充当率)、農業基盤整備事業(起債なし)、(ウ)地方交付税算入措置がなくなることである。また、本来、予算措置に基づく事業については、補助率等が各年度の予算で決められることになる(例・地方改善施設設備整備事業、集会所施設・設備整備事業)。

 地域改善対策特別措置法が失効し、現行の特別な財政措置がない下で事業を実施することになれば、事業を実施する地方公共団体の財政負担は増加せざるを得ないことになる。

 一方、同和地区を有する地方公共団体の中には、財政基盤がぜい弱な自治体もみられることから、事業の推進が困難となる面があることは否定できない。

2、地域改善対策と一般対策との関係

 現行の地域改善対策事業は、地域改善対策特別措置法施行令第一条において、四四号にわたって規定され、事業の実施について特別の財政措置が講じられているが、これは、同法立案の指針となった同和対策協議会の昭和五十六年十二月十日の意見具申にも述べられているとおり、「いわゆる一般法による施策だけでは解決できない事項や、一定期間内に特定目的を達成する必要がある事項」として定められたものである。このように、同和地区について特別対策が講じられているのは、同和関係者が国民の間に幅広く残る差別的な偏見のゆえに、生活の様々な分野でその向上が阻まれてきたという問題の特殊性にかんがみ、その早急な改善に努めるための効果的な手段として、各分野の施策をまとめ、特別な措置を講ずるというやり方をとっているものである。

 一方、同和地区の実態については、これまでの事業の推進等により、相当改善をみているところであるので、仮に、今後特別対策を一定期間継続するとした場合、いかなる施策を特別対策として実施し、いかなる施策を一般対策として実施するか、そして両者の関係については、次のような考え方で臨むべきである。

① 国民に対する行政施策の公平な適用という原則に照らせば、できる限り、一般対策の中で対応するということを基本とし、特別対策として実施すべき施策は、真に必要なものに限定すべきであり、従来からそのような方針で進められてきたところである。同和地区の実態の改善状況からみても、これまでの方針を変える理由はなく、現行の地域改善対策事業の範囲を広げることがあってはならない。

② 地域改善対策事業といえども結局は国民の租税負担によって賄われることになるのであるから、地域改善対策を著しく優遇して、一般対策と不均衡を生ずるようでは、容易に国民的合意を得難く、社会的公平を確保するゆえんでもない。したがって、現行の地域改善対策事業を厳格に見直し、現状においては、一般対策に移行した方が適当なものは移し、もはや必要性がなくなったものは廃止すべきであり、地域改善対策と一般対策との均衡に十分配慮すべきである。

③ 個人給付的施策については、新たな不公平感を生む要素ともなり得るので、原則として、一般の福祉対策等の中で対応すべきである。特に、地方公共団体は独自に各種の個人給付的施策を実施しているが、これらの施策の中には、その合理性が疑問視されるものがあり、見直しを行うべきである。また、その見直しに当たっては、国の適切な助言、指導が必要となろう。

3、いわゆる地区指定の事実上の解除の実施

 仮に、今後何らかの特別の法的措置がとられることになった場合においても、事業が終了し事業を実施する必要性がなくなった同和地区については、住民の合意に基づき、事実上の問題として、いわゆる地区指定を解除することは、差別意識の解消を促進する観点からも望ましい。その場合においては、いわゆる地区指定も法律上の指定とし、解除も法的に明白に行うこととすることも検討に値しよう。

4、差別行為の法規制問題

 差別事象の発生が依然としてみられることから、現在の啓発活動、人権擁護機関の活動及び現刑法の名誉殿損等の処罰規定には限界があるとして、悪質な差別行為について新たな法規制を導入すべきだとの主張が一部にみられる。

 また、大阪府においては、昭和六十年三月、「大阪府部落差別事象に係る調査等の規制等に関する条例」が制定されたが、この条例では、興信所等の行う同和地区出身者か否か等に関する身元調査活動について興信所等の自主規制や行政処分を前提としつつも、行政処分に違反した悪質な業者に対しては、最終的に刑罰を課する内容となっている。  差別行為は、もちろん不当であり、悪質な差別行為を新たな法律で規制しようという考え方も心情論としては理解できないわけではないが、政策論、法律論としては、次のような問題点があり、差別行為に対する新たな法規制の導入には賛成し難い。

① 差別を根絶するためには、差別を生み出している心理的土壌を改めていくことが必要である。これは、啓発によって可能となるのであって、刑罰によって達成されるものではないのみならず、刑罰を課することは差別意識の潜在化、固定化につながりかねない。

② 仮に立法するにしても、量刑は、罰金等軽度なものにならざるを得ず、差別行為に対する抑止力としては疑問がある。

③ 告訴、起訴等によって、差別者が刑事手続の対象となれば、司法権尊重の立場等から、その間、人権擁護機関として啓発は抑制せざるを得ず、また、不起訴に終った場合あるいは刑の執行が終った場合は、免責感あるいは瞳罪済みの感覚を与え、有効な啓発の実施が困難となる。

④ 結婚や就職に際しての差別行為を処罰することについては、憲法上保障されている婚姻、営業等の自由との整合性が確保されねばならない。結婚差別については、それを直接処罰することは、相手方に対して意に反する婚姻を強制することにもなりかねず、憲法に抵触する疑いも強いと考えられる。また、就職差別を直接処罰することについては、現行労働法体系は、企業に対して採用時における契約の自由を認めており、求職者の採否は、企業がその者の全人格を総合的に判断して決めるものなので、採用拒否が同和関係者に対する差別だけによるものと断定して法を適用することは、極めて困難と考えられる。

⑤ 差別投書、落書き、差別発言等は、現刑法の名誉殿損で十分対処することができる。対処することができないもの、例えば、特定の者を対象としない単なる悪罵、放言までを一般的に規制する合理的理由はない。特に悪質なものを規制するとしても、その線引きを明確にすることは著しく困難である。

⑥ 立法上必要とされる「部落」、「同和地区」、「差別」等の用語については、行政法規において定義することは可能であると考えられるが、刑事法規に必要とされる厳密な定義を行うことは難しく、明確な構成要件を組み立てることは極めて困難である。

5、同対審答申の今日的意義

 昭和四十一年の同対審答申は、同和問題の解決に向けての基本的な考え方を明確にするとともに、同和地区に関して講ずべき総合的な方策をはじめて示したものであり、その後の同和問題に対する国及び地方公共団体の積極的な対応を促したことについては、十分評価されるべきものである。反面、この答申を現在においても絶対視して、その一言一句にこだわる硬直的な傾向がみられる。

 同和問題の現状や同和地区の実態は、本報告書で述べたように、同対審答申当時とは、かなり異なったものとなっており、この答申については、改めて二十年余という時の光に照らしてその意義を認識していく必要がある。

 今日、同対審答申を尊重するというのは、そこに書かれた言葉をそのまま現在においても実現しようということではない。同対審答申の根本にある同和問題の解決のために、国、地方公共団体、国民が積極的に努力しなければならないという精神をしっかり受け止めた上で、答申の具体的な内容については、同和問題や同和地区の現実の動きに即して、その妥当性を見直し、現実の動きに即した行政を展開することこそが真に同対審答申を尊重するということである。

 そこに、同対審答申の今日的意義がある。

(付論)

 確認・糾弾行為及び差別行為の法規制問題に関する討議において、部会の委員間で異なった意見が出されたので付記する。

 民間運動団体の行き過ぎた確認・糾弾行為には、弊害があるという点においては、部会全委員の一致した見解であったが、確認・糾弾行為を抑制するための方策に関しては、意見が分かれた。

(多数意見)

 多数意見は、本報告書本文の記述のとおりであるが、その要点を再述すれば次のとおりである。

 差別事件の処理は、現行の人権擁護機関、司法機関等の公的機関による中立公正な処理にゆだねられるべきであり、民間運動団体は糾弾というような行き過ぎた行為を是正すべきである。また、差別行為をなくすことは、差別意識の解消を促進するための啓発の充実によって達成すべきであり、特別な立法による差別行為に対する規制は適当ではない。

(少数意見)

① 民間運動団体の行き過ぎた行為を抑制するため、現行の制度や機関のほかに、民間運動団体の確認・糾弾行為に代わり得る、差別事件に関する公的な調停制度や機関を設置すべきであり、また、法規制についても、さらに検討すべきであるという意見が一人の委員から出された。

② 確認・糾弾行為の廃絶を図るためには、同和関係者あるいは、同和関係者集団に対する侮辱を処罰する特別侮辱罪及び就職差別についての救済命令制度を創設すべきであるという意見が一人の委員から出された。

注文の多い料理店

文学の授業 (5年)  注文の多い料理店

一、作者と作品

 宮沢賢治が童話の創作を始めたのは二三歳の頃からだと言います。「注文の多い料理店」は二六歳(大正一○年)の作品です。

 大正中期というと、第一次世界大戦を受けて日本の生産力は急向上し、都会は好景気到来で成金が輩出した時代でした。農村の人たちは貧しくて物価高に苦しめられていました。労働者の日当は一円にも満たない時代でした。千円で住宅が建ったといいます。村祭りに出かける子どもたちの小遣い銭は、五銭か一〇銭がやっとでした。

 それに対し、作品に登場する二人の紳士は、不猟なら「もどりに山鳥を一〇円も買って帰ればいい」とうそぶき、猟犬の死に対して「二千円の損害だ」「ぼくは二千八百円の損害だ」と自慢げに得意然としています。

 賢治の数多くの作品は死後出版されたもので、生前に出版されたのは『注文の多い料理店』一冊でした。しかも彼の自費出版によるものでした。

 賢治はこの本の「新刊案内」の文章に < 二人の青年紳士が猟に出て路にまよひ、「注文の多い料理店」に入り、その途方もない経営者から却って注文されていたはなし。糧に乏しい村の子どもらの、都会文明と放恣な階級に対する止むにやまない反感です。> と書いています。

 この作品の主題と思想も浮き彫りにされている思いのする文章といえます。三八歳(昭和七年)で亡くなった彼の生涯からすると初期の作品です。

二、教材について

 冒頭の三行で猟にやってきた二人の人物の出で立ちが描かれ、次々と展開する会話から成り上がりの者らしい軽薄さと動物の生命を奪うことに何の呵責も感じないといった物質文明にいかれてしまった人間の本質があばかれていきます。

 若い紳士二人が山中で路に迷い、空腹におそわれていくうちに、見事に山猫に化かされてしまいます。

 「風がどうと吹いてきて、草はざわざわ、木の葉はかさかさ、木はごとんごとんと鳴りました」というくだりから化かされていきます。行きつけの西洋料理店が山中に出現します。しかも看板は漢字と横文字、「山猫軒」とあることからも山猫が経営するレストランであることが、理解できます。

 一回目の読みでは「山猫軒」とは変だぞと気づいても、その実態はわからないように物語は仕組まれています。店にはガラスの開き扉があって、店主からの客への注文がかかれています。

 一つの扉を開けると次々に扉があり、各扉の裏にもなぞめいた注文が次々とあります。

三、指導計画

「なめとこ山の熊」を読み聞かせる。

第一次 段どり(二時間)

第一時 読み聞かせをし、一次感想を書かせる。(一時間)

第二時 背景の説明、難語句調べ、場面割り。(一時間)

第二次 たしかめ読み(八時間)

第一時 題名読みと、料理店に出会う前の二人の紳士の様子と背景を読み取らせる。(二時間)

第二時 料理店に入り、次々に扉を開けていく二人の若い紳士の様子を読み取らせる。(四時間)

第三時 現実にもどった二人の紳士の様子を読み取らせる。(二時間)

第三次 まとめよみ(二時間)

第一時 作品のおもしろみをつかませる。(一時間)

第二時 感想文を書かせる。(一時間)

◎読み聞かせを大切に

 物語の〈語り手〉は、紳士に寄り添って語っていきます。

 従って不思議な出来事が次々と展開されていきますが、それが山猫の仕業であるということは、二人が殺されそうになり、死んだと思っていた猟犬と猟師によって助け出されるという最後に近い場面までわかりません。

 読者もまたそのことがわからないまま、さて、次はどうなることかと次々に展開していく不思議な出来事を登場人物に同化しながらスリルとサスペンスを体験することになります。このスリルとサスペンスは初読においてのみ最高に体験され得る貴重な文学体験です。

 二回目の読みにおいては、物語の結果を知ってしまっているので体験できないわけです。この大事なスリルとサスペンスの体験をしっかりさせるために、教師の最初の読み聞かせが大事になります。もっとも効果的な自分の肉声で、ゆっくり、時には速く。

 この体験は子どもの一生を通して忘れ得ない尊い体験になると思います。

◎一次感想

 わたしは、題を見たしゅんかん(なんか忙しくて、お客さんが多いんやなー)と思ってました。それで二人の若い紳士がその料理店に入って、眼鏡をはずしたり、くつをぬいだりして、その戸に書いてあるとおり、したがってた。

 それで私は(なんかめんどくさいなーなんでふつうにはいられへんのかなー)とちょっと不思議に思ってました。それでこんどは、手や顔にクリームをぬってたりして、しかも牛乳のクリームで私は(ん?なんかあやしいな。もしかしてこの人たち食べられるんかな?。いあやちがう。まだわかれへん。)と思ってました。

 その前にも、若い人や太った人は大かんげい。と書いてあって(べつにどうでもいいやん。なんでなん)と思ってました。

 それで、次はこう水をかけました。そしてたら酢のにおいがすると書いてあって、私は(やっぱり食べられるんや!わあーこわいはなしやなー)と思いました。

 だって食べられると思わなかったし、ちょっと私てきには怖かったけど、そういう風に思えてこういう結果になったのもおもしろかったです。
(森山)

四、授業記録

T 「注文の多い料理店」という題を見て思ったことはありませんか。

篠原 もうけている店。

石森 人気がある。

森山 注文が多くて忙しい。

本山 お客さんが多くて忙しい。

西島  食べ物がいっぱいある。

C メニューや。

T 紳士とはどんな人を言うのでしょう。

岩田 大人の男の人。

大賀 背筋ぴーんとしていてまっすぐ。

金谷 やさしいひと。

川端 言葉遣いがキレイ。

篠原 服装がきちんとしている。

小林 服装が整っている。

小谷 挨拶とかきちんとできる。

下垣 言葉遣いがていねい。

T 1番、読んでください。二人の人物像について、どんな人物でしょう。

大賀 イギリスの兵隊にあこがれている。

T なぜあこがれているの。

本山 強いから。

上原 かっこいいから。

T なるほど。ほかに二人の人物像について。

金谷 動物を殺すことを楽しんでいる。

岩田 イライラして言葉遣いが悪い。

川端 小十郎「なめとこ山の熊」は生活のために狩りしていたけど、この二人は楽しむために狩りにきた。

吉田 お金持ち。

川端 犬が死んでも悲しんでない。

小林 損害のことを考えている。

高橋 やさしくない。

花尾 自分のことしか考えていない。

成富 ずるいでなあ。

篠原 収穫なしと思ったら、買って帰ろうとする。遊びはんぶんや。

金谷 かっこつけてる。

T 小十郎とは全然ちがうよね。こんな二人の紳士なのですね。

今日勉強した場面を読みましょう。

C (読む)

T 感想、思ったことを書いてください。

 二人の人物像
かおる

 今日は「人物像」を考えました。二人は「しんし」と書いてあったけど、「早くタンタアーンとやってみたいもんだなあ。」とかきたない言葉を使っていて(うわー!しんしなん?)と思いました。私のイメージの紳士とはおおちがい。それに、日本人なのにイギリスの兵隊のかっこうをして、日本人がいや!みたい。後で出てくる山猫たちも、こらしめているみたいです。第一印象は「紳士じゃない」でした。小十郎のように「ごめんな熊」と思っているのと、「早くタンターント」じゃあえものが手に入らないのもわかる気がします。こんな人にはぜったいになりたくありません。

第四場面 戸の内側の会話を聞いて、

 泣くこと以外何もできない二人

 【いや、わざわざご苦労です。たいへんけっこうにできました。さあさあ、おなかに入りください。】

T 「たいへんけっこうにできました」とは。

橋本 紳士の味付けができた。

花尾 料理ができた。

石森 食べられるようになった。

篠原 食べ頃。

本山 いい料理ができた。

大賀 うまそうや。

T だれがうまそうかというと。

大賀 紳士。クリームもぬったし、香水もつけたし。

T 「おなかにお入りください。」というのは。

小林 山猫のおなかの中にお入りください。食べられること。

川端 「お中にお入りください」は家の中にお入りください。

石森 トリックや。

T 二人は、どう。

大賀 びびってる。

T びびってるよね。泣き出したね。この二人をどう思う。

成富 えー………(首をかしげる)

T 小林君はどう思う。

小林 うー………。

T かわいそう?

岩田 いや、かっこつけてるし、友達もなさそうやし。

小林 自業自得や。動物を殺すのを楽しんでいる。

大賀 知ったかぶりをしてるし。あまりかわいそうと思わない。

T 親分というのは。

C 山猫の親分。

T どうせぼくらにはほねも分けてくれやしない。と言っている。ほねとは?

C 二人のほね。

T 山猫は紳士のことを、「あいつら」といい「お客さん」そして「あなたがた」と丁寧になっている。なぜだろう。

大賀 丁寧にいわないと、入ってくれない。

篠原 にげてしまう。

川端 「あいつらのせい」で山猫は親分にむかついているんじゃないかなあ。

赤石 親分は食べて、自分たちは骨だけ。腹立つ。

岩田 親分は強い。

成富 さからわられへん。

T 「へい、いらっしゃい、いらっしゃい。それとも皿土はおきらいですか。そんならこれから火をおこしてフライにしてあげましょうか。とにかくいらっしゃい」と言われて行くやろうか。

C いかへん。

T サラドって。

高橋 二人の紳士。クリームをぬったり、酢をかけている。

T フライは?

成富 二人をフライにすること。

金谷 ちがう。フライを作るということ。たとえば葉っぱをフライにする。

平田 ぼくもそう思う。サラドも二人じゃなくてサラダを作るということ。

T みんなどうですか。

森山 「ふらいにしてあげましょう。」って「あげましょう」というのは油でフライにふることと「二人をフライにしてあげましょう。」ということでトリックで、油でフライにしてあげましょうと言っていると思う。

川端 わざと言っているんじゃないかなあ。入らせな いために。

金谷 今までいろいろ言ってきたのに、入らせないこ とはないと思う。

大賀 わざとではないと思う。なぜかというと。入ってもらわないと自分たち山猫の子分がやられるから。

成富 山猫の言い過ぎ?

本山 山猫の二人はなんか紳士をからかっているような感じがする。だって、中ではフッフット笑っているから。

花尾 その後の二人の会話からも紳士をからかっていると思う。

T 花尾さんそこを読んでください。

(花尾読む)

 からかっているんだねー。二人の様子はどうですか?

藤田 ぶるぶるふるえ声もなく泣きました。

松田 よほどこわかったんやと思う。

大賀 ショックで声も出ない。

成富 二人は若いし死ぬと思ってなかったし。

金谷 ノリノリ気分で料理店に入っていったのに、フライにしましょうかと言われて、めっちゃこわい。

T 「早くいらっしゃい。親方がもうナフキンをかけて、ナイフを持って、舌なめづり、お客様がたを待っていられます。」といっているよね。泣いて泣いて泣いて泣きました。って四回も書いてある。

岩田 むっちゃ泣いている。

大賀 大きく心を痛めすぎたから。

橋本 かっこつけていたけど弱い。

北田 いよいよ食べられる。

C こわいでなー

T そのとき後ろからいきなり「ワン、ワン、グワア。」と

成富 白い犬。

T あの白い熊のような犬二匹って、あのとは。

石森 めまいを起こして死んだんちがうん。

金谷 死んだのに生きかえったんや。

川端 不思議な世界だったから。

五、まとめ読み

T なぜ二人は最後まで山猫の罠に気づかなかったんだろう。

大賀 注文の多い料理店と信じていたから。

川端 偉い人が奥にいると勝手に思い、近づきになりたくてだと思う。

吉田 おなかがすいていて、早く食べたいから。

成富 言葉のトリックを自分たちのいいように考えたから。

金谷 不思議な世界に入っていったから。

橋本 勝手に思いこむ。

森山 何でも自分のよいように考えるから。

T ほんとだね。だから山猫の罠にかかっていったんだね。

 気づかなかった紳士のことをどう思う。

金谷 あほやなあ。

石森 自分たちのことか考えないからこんなことになる。

六、終わりの感想

「自業自得」
吉田

 私は、前書いたときはこわい話だと思っていたけどあまりこわくはないと思いました。自業自得だと思います。なぜかというと、犬が死んだのに悲しまず、お金のことで損をしたと言っていて「しかの黄色な横っ腹なんぞに、二・三発おみまいもうしたらずいぶん痛快たろうねえ。」「と言って痛快の意味を知らなかったから辞書で調べてみたら『非常に愉快なこと』と書いてあって、いくら生活のためと言っても愉快なこととはふざけて狩りをしに来ているから、うたれた動物もかわいそうと思います。これは森が仕返しをしたことだと思いました。こういうことになるのは当たり前だと思いました。宮沢賢治さんがこれを書いたのはたぶん、悪い事をすると後でかえってくると言いたかったんだと思います。

 二人の紳士は外見はかっこつけていても内面は弱々しい人だったんだと思いました。それに最後もまだかっこつけて、泣いてばかりだったのに何もなかったみたいで、山鳥を買っていったので、こんな人がいたらあんまり友だちにはなりたくないと思いました。もう一人もおかしいなと感じたならば、「やっぱりおかしいよ。」と言うべきだったと思うし、お金や、かっこつける事よりもっと大切なことがあると思いました。
七、おわりに

 子どもたちと楽しく読みを進めていくことができた。学習する前に「なめとこ山の熊」の読み語りをした。小十郎と二人の紳士を対比しながら人物像をとらえていった。「…すぐ食べられます。」「食べることができる。」と「二人が山猫に食べられる。」の言葉のトリックを考えていく中で「…おなかにお入りください。」の言葉に気づいていった。香水が明らかに酢くさいのに「下女がかぜをひいてまちがえたんだ。」と勝手に考えて「おかしい。」と意見がたくさん出た。

 「フライにしてあげましょうか。」も言葉のトリックだと読んでいった。ここで、「山猫は紳士を中に入れたくなかったんとちがうか。」という意見が出ていろいろ意見が出た。終わりの感想に、二人の紳士に対する批判が多かった。まとめ読みの時に作品から離れない程度に自分たちとの生活体験と照らし合わせてまとめ読みをとも考えたが、これから宮沢賢治の作品をとみ重ねていくうちになされ得るものだと思った。

 子どもたちは私の予想以上に喜んで、いろいろと想像をふくらませながら楽しそうに読んでいった。

出典:「どの子も伸びる」2010.2./部落問題研究所・刊
(個人名は仮名にしてあります。)

解放教育体験記(狭山同盟休校など)

解放教育体験記

 これは1980年に大阪府部落解放運動連合会(全解連)の地域支部(*1)が作成した冊子です。

 解放教育を受けてきた当事者たちの手記です。(冊子は実名で書かれていますが、ネット掲載にあたり、イニシャルにしました。見出しは当サイト編集部がつけました。)

はじめに

 1969年の矢田事件以後、町にも「解同」による不当な教育介入、教育支配が行なわれ、1974年の「○中事件」を頂点として町の教育荒廃は大きな問題となってきました。このような中で、今年(1980年)1月28日、3度目の 「狭山同盟休校」が行なわれました。

 私達、全解連支部青年部の部員の多くがこのような解放教育を受けてきた当事者です。

 そこでこの同盟休校をきっかけに、町の教育荒廃をなくすために自分達が受けてきた解放教育がどのようなものであったのかをもっと考え、その正しい受けとめ方をひろめようということになりました。そして2月14日、青年部とつながりのある青年にも呼びかけ「自分達が受けてきた解放教育についての座談会」をもちました。このなかで青年部から、それぞれが受けてきた解放教育についての手記を残すことが提起され、後日参加者の中から製作委員会を結成し、本手記の発行にとりくむにいたりました。

 記載された手記は座談会の参加者と、青年部とつながりのある他の青年による「解放教育についての体験とその感想」です。自分達が受けてきた解放教育についての正しい受けとめ方としては不十分なものですが、町の教育荒廃をなくすための、さらには真の部落解放達成のための力にしたいと考えています。

1980年4月1日

各クラスで石川さんは無実だと新聞を作る ふるえながら反対したら、みんなも「そうやそうや」

●1979度入学  H・R(13才)

 1月28日の同盟休校のとき、各クラスで石川さんは無実だという内容のポスターや新聞を作ることになっていた。

 1月24日の道徳の時間、ぼくとこのクラスで何をつくるかという話し合いになった。

 その時、ぼくはある友人とはなしをしていた。そのはなしとは、ほくが小学校の2年の時、学校へいけなかったことや、家をとりかこまれたことなど、解放同盟にやられてきたことなどを話していた。するとその友達は 「ヘー。そんなことあったん。解放同盟てわるいねんな。」と言っていた。そんなことを話しているうち、何をつくるかというのはもうきまっていた。

 けっきょく、ぼくらのクラスは新聞を作ることになった。

 そのことを母に言うと、「それは反対せんなあかん。あんたが反対やと言ったら、みんなもあんたにさんせいするはずや。」と言った。ぼくは、そんなもんかな、もしさんせいしてくれなかったら、どうしようかなと思っていた。

 26日の土曜日、学活の時間に新聞をつくることになった。その時みんなの前でいうつもりだった。でも、いざその時になってみると、ガクガクとふるえていた。声をふるわせながら言った。

 「なんで、ぼくらがそんなことせなあかんのや。そんなんは大人がやったらいいねん。」

 すると子ども会に入っているある女の子が、「そうや、そうや。私もそう思うわもうすぐテストもあるのに。」と言ってくれた。

 その後から、みんなさんせいしてくれた。その時、ほくはものすごくうれしかった。ぼくは、日ごろあまり発言しないので、みんなもおどろいていた。

 そんなことがあって、ほくらのクラスは何も作らないことになった。ほんとうによかった。これからぱ、ほかのクラスも、いや同盟休校そのものをやめさせたい。やめさせるべきだ。

同盟休校 にげ出した子どもを、先生が家に行ってまでもどそうとした

●1978年度入学    H・Y(14才)

 同盟休校とは、最初どんなものかわからなかった。でもこの前の同盟休校が終わってから、それに行った友達に聞いてみると、わざわざ遠くまで行ってビラをまいたり、なにかわけのわからないデモをやったと聞いた。そんなことするのだったら、子どもは学校へいって勉強したり、みんなといっしょに遊べばいいのになあと思いました。

 そしてビラくばりやデモをしていてしんどいといってにげ出した子どもを、勉強を教えなければならない先生が、その子を家に行ってまでもどそうとしたということを聞きました。

 そして、学校で勉強していても、みんながいないのでちっともおもしろくありませんでした。どうしてあんなことを学校にいっている子ども達にやらさなければいけないのか、あんなことは、その子どもたちのお父さん、お母さんがやればいいことです。

 ぼくのクラスでも、道徳の時間に石川さんのことをすれば「なんであんなことせなあかんねん」とぼくにいってきます。ぼくも勇気はないですが、先生たちもそんなことは学校ではできません」とはっきりいったらいいと思います。

狭山同盟休校 自習していたら指導員が連れていく

●1978年度入学   T・K(14才)

 私が中学生になってはじめての同盟休校でした。

 小学校の時はおぼえていません。

 私がとても印象に残っているのは、2年の時の同盟休校です。26日は土曜日で、月曜日は、朝礼で30分ぐらい同盟(部落解放同盟)からの話がありました。朝礼台の上にゼッケンをつけた2人の男子が立っていて、後には横に長いポスターがはってあって、各クラスの窓やロッカーにもポスターがひとクラス十枚ぐらいずつはっています。それこそ学校中ポスターだらけ。そのうえ、門前には、立てかん(立てカンバン)が3つぐらいたっていて、帰り気がついたら南門前にも立てかんがあったのです。今でも、門前にたてかん一つ、ポスターはところどころにあります。

 その日の出席は、一クラス20人ぐらいで、その(同盟休校に参加している)ほとんどが○小学校の子でした。同盟休校で、私がふだん一諸にいる子がみんないってしまったんです。

 勉強の方は、いつも同盟にいっている英語の先生は、東京まで集会にいっていたんです。○中で東京にいった先生の数は6人で、1年生の先生2人、2年が2人、3年が2人です。英語の先生がいないため自習をしていると、私のクラスの男子5~6人が、一人の男子をさそいにきたんです。その後には、先生と指導員がいました。2~3時間目、私のクラスのさっきさそいにきた男子5~6人がぬけだしてきました。しばらくの間いましたが、すぐに指導員(*2)が来てまたつれていかれました。

 私も友達が少ないので、買物センターの友達といくことになっていたので解放会館の前を通っていると、大きな声でよばれ、2~3人の女の指導員が信号を渡ってきました。私は逃げました。それからは、おいかけてきませんでした。

指導員を恐れていた

●1977年度入学   N・K(15才)

 僕は、今まで解放運動に参加してみて感じたことは、なぜ僕達が参加しなければならないのかということ、なぜ勉強までやめて参加しなければならないのかということです。学校でそういう「解放運動」についてのことを学ぶ機会が多くなるにつれて、みんながやる気をなくしていくような気がしました。

 僕はいくども解放運動に参加してきて頭に残っていることは、つかれたということと、ばからしかったということだけで、他には何も残っていません。

 それに僕は、体が強い方でないので、気分が悪くなって倒れそうになったこともありました。でもそんな時、指導員に言うことができずに、じっとがまんするだけでした。なぜならば、僕や他の子供達が指導員を恐れていたからです。しゃべり方が悪く、すぐどなりつけるところがその原因でした。

 僕が一番腹立たしかったことは、中学3年の3学期、高校入試を控えた1月28日の同盟休校の時です。僕は参加するのがいやだったので、参加せずに家にいました。

 翌日学校へ行くと、同盟休校に参加した人から「なんでけえへんかった」といわれ腹が立ちました。でも黙っていました。僕は小学校のころ、子供会に行っていましたが、少しも楽しくありませんでした。そして、その子供会から一泊研修というのに行きました。でも車酔いばかりで、早く家に帰りたいたいという気持でいっぱいでした。僕はいま疑問をもっています。それはなぜ小さな子供までが学校を休んでまで解放運動に参加したり、ゼッケン登校したり、ビラまきをしたりしなければならないのかということです。

「同盟休校」を思いだすと腹が立つ

●1977年度入学   K・T(15才)

 私は、今の「解放運動」のやり方は、あまりよいやり方ではないと思う。

 まず学校のやり方は、週1回の水曜の道徳の時間にやっているが、クラスの仲間はほとんど間いていない。それはあたりまえだと思う。いつもおなじことをくり返しているばかりだからだ。いくら先生達が一生懸命やっていても、生徒は聞いていない。

 それをなくすには、週1回ではなく、月1回や2か月に1回にすれば、解放連動の授業も聞いてくれるだろうと僕は思います。

 それにもう一つは、同盟休校のことです。いまだになぜ同盟休校をしたのか、それをしただけで何のためになったのかわかりません。

 そのために、それに参加した仲間は勉強の方が遅れるのはあたりまえだが、その翌日、参加していないクラスの仲間から、プリントばかりしていたと聞いたら、急に腹がたった。なぜ参加していない生徒たちにも勉強ができなかったという被害をあたえたのかということに腹がたった。それきり僕は、同盟などにあまり参加しません。

 しかし今でもあの「同盟休校」を思いだすと腹が立ちます。また来年も同盟休校すると思いますが、しかし僕は参加しません。そして僕は、それを反対していきたいです。

「子供会」での活動は、ごっついおもんなかった

●1976年度入学   O・T(16才)

 まずこの地域では、道路に「石川青年は無実だ!」こんなカンバンがいたるところに立てられている。それに、○○病院にまでごちゃごちゃとワケのわからないことが書かれている。

 それに信号の多いことや、解放会館などでも知らない人が見たらビックリするだろうと思う。これこそ「私はアホです。カンバンや信号などをつける場所、数、効果などは全々わかりません。」と言わんばかりである。

 小学校の時は、1年から3年の時、「子供会」に参加していたと思います。でも、どんな活動していたのかわすれてしまいました。5年生になってからは「子供会」に参加するのも、1年に1~2回友人にさそわれて行くぐらいになりました。

 そのころ「子供会」での活動は、解放同盟の差別がなんたらかんたらと言う本で、ごっついおもんなかったんです。

 友人に聞いた話ですが、「子供会」に行くのがいやで指導員からグループで逃げだして、その内数人がつかまり、つかまった内の一人は地面にたおされ、指導員が馬乗りになり、顔面を平手で数回たたかれていたと言っていました。学校で学芸会などがあると、ぜったい校内を指導員がうろついていました。

 道徳の授業の時などは、実さいには知りませんが、「にんげん」を使って、半分以上の時間、解放教育をしていたと感じています。道徳の時間は、友人に「次は何の時間や」ときいても「道徳の時間や」と答えるより「にんげんの時間や」と答える人の方が多かったと思います。

 中学校に入学して、最初の解放教育の時、ぼくが、「またや」と言ったら先生が「何がまたや、まだ一回もやってへんやないか」といいよったんです。そこで小学校の時からやっているので、「小学校の時もやったからや」と言うと先生は、「そうか」と言ってなっとくしていました。

狭山事件の学習は学校の授業を遅らす大きな原因

●1977年度入学   M・N(17才)

 中学校で3年間解放教育を受けてきたのであるが、まず最初にいっておきたいことがある。

 そもそも解放教育とは何であるのか、仮に説明せよと言われた場合、自分としては、少しも相手に理解してもらえるほど話できない。それほどこのことに対して無知である。

 それでこの作文を書くに当たってこれでは少しまずいのではないかと思い、わたくしの父に尋ねてみたのですが、あいにく時間がじゅうぶんとれなかったため、説明がメモ程度だけになってしまい何のことかさっぱりわからないままこうしてペンをとっているのであります。

(以上のことを前提に書く、そのつもりで)

 現在中学校を卒業して2年以上になりました。中学校に入学するときはもちろん、在学中も自分はいま解放教育を受けているんだという意識などは、とうていありませんでした。学校を卒業してこうして解放教育のことについて書くようになってはじめて自分は、解放教育というものを受けてきたんだなあと言う感覚であります。

 したがって、そのときの僕にとって、狭山事件の映画を見たり本などを読んだりして学習するとき、すなわち(僕白身が)解放教育と言われる時間は、ただの遊びの時問にすぎなかったのである。

 最後に(もうひとこと)解放教育と間係あるかないか解らないが言っておきたいことがある。それは同盟休校のことである。

 僕は貴重であるかどうか知らないが、1年生のときにこの同盟休校を経験している。この日はほとんどの者が学校に出てこれなかったので、授業がまる1日遅れるのである。この同盟休校にしても、前にも述べた狭山事件の学習は学校の授業を遅らす大きな原因となっていることはまちがいない。社会人がこの世の中を生きていくためには労働すなわち仕事をしなければならない。我々学生にとってしなければならないのは、やはり勉強である。その時に解放教育と思われる教育をとり入れ、それが正しい方向で進められて行けばまだよいが、肝心の勉強に悪影響を及ぼすようで絶対にほおっておくべきではないと思う。

幼稚園では、童謡曲と同じように解放歌を歌わされた

●1977年度入学   U・Y(17才)

 私が17才の今までに受けた解放教育とは、いったい何だったのだろうか。

 幼稚園では、何を意味するかも全くわからずに童謡曲と同じように解放歌を歌わされたのを覚えています。

 でも一番思い出深い時間は、小学校の時です。石川さんのことを物語りを語すように、毎日子ども会で聞いたこともありました。はっきりいってしまうと、遊び盛りの私達にとって、毎日そういった内容のことを教えられることは、全然といってもいいくらい興味もなく、楽しい思いもしませんでした。

 私は、解放教育というのが、頭から悪いのだとは決していいません。ただそのやり方に問題があるのだと思います。

 例えば、年齢に応じた教育の仕方があるはずです。確かに、同和地区に住んでいるということだけで、白い目を向ける人もたくさんいます。しかし、そういう風に思わせる何かが私達にあるのではないでしょうか。今、私が思うことは、解放教育に力を入れるのと同じくらい子どもたちに、勉強に、スポーツに力を入れた方がいいのではないかと、中学校に入るとデモ、ビラ配りといった活動が小学校の時よりも増えていったのも事実です。

 黄色いゼッケンをつけて町の中をデモするのもいいでしょう。けれど、町の中をデモすることの意味を十分わかっている生徒ばかりではないから当然、不満の声がでてくるのがほんとうです。「恥かしい」といった内容の言葉が私も含めて多くの友人の口からもれていたのも事実です。もし、自分のしていることが、良い事だったら恥かしいとも思わないはずなのに。

 高校に通っている今では、解放教育というものを全然といっていいくらい受けていませんが、もう今までのような教育なら受けたくないと思っています。今までしてきたことは、何だったんだろう。

こんなことでは逆に自ら差別をしてくださいと言わんばかりでは

●1977年度私立中学入学   K・A(17才)

 同盟休校のことについて書きます。

 小学校1年や2年生の子供達に解放がどうの、差別がどうのと言っても何のことだかさっぱり分からないのにそんな子供達にまでくだらない歌を歌わせて、親は親で金のためか何のためか知りませんが、自分たちが何をやっているのかも十分知らないで黄色いゼッケンをつけて歩いてまわる。

 これじゃ小学校1年や2年生の子供とたいして変りがないようですね。

 差別をなくそう、良い町にしようと運動しているつもりが、子供達には学力の後退を増進させ、親は、ただ同盟に加入しているだけで、ほんとにただ同然の住宅に入れてもらって、朝から晩までぶらぶらし、勤くことを忘れてしまう。こんなことでは逆に自ら差別をしてくださいと言わんばかりではないでしょうか。だから早く、この町内の目をつぶっている大人たちに呼びかけて、これから大きな夢をもって育っていく子供達のためにも、真の解放教育を起していかなければならないと感じています。 

子供会が何んだかわけのわからないことをしだした

●1970年度入学     K・H(22才)

 中学校を卒業して高校に入ったころ、「解同」の教育の介入が大きな問題になってきました。

 そのころに前から疑問に感じていたことがはっきりしてきました。その疑問とは、小学校6年の時に出来た子供会が何んだかわけのわからないことをしだしたのです。

 出来た当初は、自分達であれをやろう次はこれをやろうと民主的に決めて実行してきたのです。ところが、仲間をふやそうということで6年も終りのころいったんつぶして 「解同」の組織で大きくしようということになったのです。たしかに人数は十数名から何百名となったのですが、内容はいったいこんなことがどこで決まったか、だれが段取りをしたのかまったくわけのわからないものでした。

 一番わけのわからないことは、初めて子供会が出来た時いっしよにいた仲間の半数が参加できないということてした。そんなことから私は子供会からはなれて行きました。そして高校に入りいろんなことを見たり聞いたりしていくうちに、「解同」の一部幹部が自分の利権のために子供を利用し、そしてこのことが子供の低学力を生み出してきたのだと分かってきたのです。

「狭山事件」のことを教えこまれテストされた

●1969年度中学入学     Y・T(23才)

 私の中学校時代は、現在のように、「解同」の教育介入はひどくなかった。

 当事、「解同」の組織している子供会に入っていた時のことでは、「狭山事件」のオルグ活動に行くということで、「狭山事件」のことを執ように教えこまれ、指導員の前にひとりづつ呼び出されて、事件の経過をどれだけうまく話し出来るかをテストされたり、盆おどりにおいても、浴衣の上に黄色いゼッケンをつけて署名活動をやらされたり、思い出に残っているのは、はずかしかったことやいやなことばかりです。

 高校では「友の会」も途中でやめ(その後成績が急上昇してきた)。学校で部落研の同好会をつくり、正しい部落問題について学びました。

 私が全解連(当時正常化連)という組織を知ったのが○中学校事件直後で○中をよくする会に誘われたのかきっかけでした。そこでは、生徒が授業中にたこやきを焼いて食べたり、教室の窓ガラスが割られてしまってほとんどないこと、先生は差別者だから、差別者には暴力をふるってもかまわないんだなど、私たちの中学校時代では考えられないようなことが平然と起こっていることを知り「解同」に対して怒りを感じました。そして、自分たちの卒業した中学校をこのままほっておくことは出来ないと、後輩たちが、正しい教育を受けれるよう努力していくことが必要だと感じ、全解連の活動に参加して、現在に至っている訳です。

以上

(*1) 全解連は発展的に解消し、現在は 民主主義と人権を守る府民連合 (民権連)の支部に移行
(*2) 青少年会館の指導員は大阪市の職員

わらぐつの中の神様

文学の授業 (5年)   わらぐつの中の神様

一、はじめに

 小学校は山々に囲まれた自然の豊かなところです。校区は広く、遠いところでは、徒歩で一時間以上かけて通学してくる児童もいます。一〇年ほど前から、いくつかの場所で小規模な宅地開発が進められており、そこから毎年、三、四人が転入してきます。

 私はこの小学校に転勤してきて五年目になります。昨年は、七年ぶりに五年生(二四名)を担任しました。

二、教材と子ども

 校内授業研で、「わらぐつの中の神様」に取り組むことにしたのは、クラスのある子どもの交通事故がきっかけで、私の知らなかった子どもの一面が明らかになったことからでした。

 この交通事故で、クラスの康夫が国道で自動車にはねられました。運よくけがは軽くて済みましたが、一つ間違えば生命を落としているような事故でした。事故にいたる経過、原因を子どもにたずねる中で、「こんなことがあるかしら」と私自身も耳を疑うようなことがあきらかになりました。

 けがをした康夫はクラスの友達四人と自転車で遊びに出かけて家に帰る途中でした。その四人の中の一人義則が、拾ったお金一一円をポケットに入れていました。しかし、ふとそのポケットに入れていたお金が邪魔に思ったので捨てたというのです。その義則が捨てた一〇円玉が、道路に転がっていきました。それを見て康夫は「もったいない」と言ったそうですが、義則は「もったいないと思うなら拾ったら……」と言ったそうで、事故は義則がそう言った直後に起こりました。

 こんなことがあって、私はお金や物の値打ちをしっかりつかんでほしい、お金や物を大切にする心を育てなければと思い、そのためには「わらぐつの中の神様」が絶好の教材だと考え、この教材に取り組みました。

 この教材は、不格好なわらぐつの本質的な価値を認め、それを作ったおみつさんの人間としての美しさを見抜いた大工さんが描かれています。また、見た目だけにこだわり〈もの〉の価値を見ることのできないマサエがおばあちゃんの話を聞くことによって、その、見方を変えていく過程が描かれています。

三、教材について

 この作品は、「はじめ」「なか」「おわり」の三つの場面からなっています。この三つの場面は現在・過去・現在という形になっています。

「はじめ」の場面はマサエの家族の様子とマサエの人物像が描かれています。マサエのお父さんはとまり番で帰ってきません。おじいちゃんはお風呂に行っています。家の中は、マサエとお母さんとおばあちゃんの三人だけです。

 その三人の会話からマサエがお母さんに甘えていることがわかります。そのマサエの甘えをやさしく受け止めているのがお母さんです。おばあちゃんもマサエのことを心配しています。そんなところから、あたたかい家庭の雰囲気が伝わってきます。

「なか」の場面はおばあちゃんの若い頃の話です。まずおみつさんの人物像が描かれています。

 ある秋の朝、町の朝市に出かけたおみつさんは、げた屋さんで〈かわいらしい雪げた〉を見つけます。その雪げたが欲しくてたまらなくなったおみつさんは、お父さんやお母さんに相談しますがいい返事がもらえません。

 そこで、おみつさんは自分で働いてお金をつくろうと考え、わらぐつを作るのです。そこに、おみつさんの家庭の状況を考え家族をおもいやるやさしさと、自分で働いて自分でほしいものを手に入れるという、たくましさが感じられます。

 できたわらぐつは〈いかにも変な格好〉のわらぐつですが、じょうぶなことこの上なしなのです。でも、わらぐつはなかなか売れません。中にはわらぐつを外見だけ見て〈わらまんじゅう〉などという人がいます。がっかりしたおみつさんでしたが、おみつさん自身もわらぐつの見た目を気にするようになります。

 そんな時、若い大工さんがわらぐつを買ってくれたのです。大工さんは〈わらぐつ〉の値打ちを見抜き、〈「……いい仕事ってのは、見かけできまるもんじゃない。使う人の身になって、使いやすくじょうぶで長持ちするように作るのが、ほんとうにいい仕事ってものだ」〉と言って、おみつさんの値打ちを「わらぐつ」を通して見抜いたのでした。

 「おわり」はおばあちゃんの話を聞いたマサエが〈「雪げたの中にも神様がいるかもしれないね」〉というように変わっていきます。マサエの心の変化はおばあちゃんの話を聞いたことによってもたらされました。

 マサエは、おじいちゃんとおばあちゃんのすばらしさを改めて知ると同時に、ものの値打ちや人間の本質について考えるのです。

主題

 マサエはスキーぐつがぬれていて、かわかないのにいらいらしていた。それを見ていたおばあちゃんが、わらぐつをはいていくことをすすめる。でも、マサエはわらぐつはみっともないとつっぱる。

 そんなマサエに、おばあちゃんは自分の若い頃の話をする。

 その話は、わらぐつを一生懸命編んだおみつさんの話であった。おみつさんの編んだわらぐつはぶかっこうだけど、そのぶかっこうなわらぐつを買ってくれた若い大工さんは、「ものの値打ちはみかけだけでなく、それを使う人のことを思いやる気持ちが大切だ」と言う。

 おみつさんは、その大工さんの気持ちに感動する。その話からマサエは「わらぐつの中の神様」の意味を知る。

四、指導計画

(一)指導のねらい

○おみつさんの考え方、生き方に大工さんが共感し、また大工さんの考え方、生き方におみつさんが共感して二人が結ばれたことを読み取らせる。

○おばあちゃんのわらぐつの話から、ものの値打ちは見かけで決まるものではない。ということを知ったマサエの心の変化を読み取らせる。

○おみつさんに寄りそって自分の思いが書け、発表できるようにする。

(二)指導計画(全一六時間)

○教師の読み聞かせと初発の感想(一時間)

○たしかめ読み

●「はじめ」マサエの家族の様子とマサエの人物像をとらえさせる(二時間)

●「なか」①おみつさんの人柄と雪げたとの出会いを知り、おみつさんに共感する(二時間)

●「なか」②わらぐつをはく人のことを考えて、編み上げたおみつさんの人物像をとらえさせる…(三時間)
本時(1/3時間)

●「なか」③おみつさんと若い大工さんの出会いと、誠実な大工さんの人物像をとらえさせる……(三時間)

●「おわり」わらぐつに対するマサエの見方の変化をとらえさせる(二時間)

○まとめ読み

おみつさんの生き方に共感し、ものを見るときは外見にとらわれず、中身をしっかり見ることが大切だということをわからせる。(二時間)

●表現読み・終わりの感想(一時間)

五、初めの感想

義則

 スキーができるなんていいな。ぼくはしたことがないからいいな。

 初め「わらぐつの中の神様」は何だろうなと思って聞いていた。

 おもしろいのが、「おみつ」と自分のことを言っているのがおもしろい。

 白い軽そうな台に、ぱっと明るいオレンジ色のつま皮は、黒いふっさりとした毛皮のふちどりでかざられているのをみたら、ほしくなった。ぼくも立ち止まってずっと見る。そして、お母さんにねだっても聞いてくれなかったら、自分でするしかないと言ってするのがいいな。

 そして、わらぐつを作るなんですごい。形は変だけどいいな。そして初めてわらぐつを買ってもらってすごくうれしいだろうな。そして、毎日毎日買ってもらって、けっこんと同じことを言われ、けっこんして幸せだろうな。

 そして、ほしかったげたも買ってもらったけど、もったいないからはかないのもわかる。

 義則の感想は「いいな」「すごい」とおみつさんの人柄に感心しているものの、おみつさんがはく人のことを考えて作ったことが省かれています。本当のおみつさんのよさはわかっていないように思います。

 一度だけの読み聞かせでわかるのはむずかしいのですが、義則自身、物事を深く考えないところがあるので、この授業でどこまでわかってくれるか考えると、この授業をするのが楽しみになってきました。
〈初めの感想〉

◆わらぐつをはく人のことを思って作ると、きっとその中にも神様があることが何となくわかったような気がした。

◆おみつさんは若い大工さんとけっこんできてよかった。

◆おみつさんもお父さんもやさしい人だと思った。

◆これから、もっと勉強してこの話しの内容をよくわかりたい。

 全体的にこの話が少しわかったという程度の感想が多いように思いました。中には内容が分かりにくいと言う子も何人かいました。

 おみつさんのことについては「とてもやさしい」「いい人」「すごい人」というふうに書いている子どもが何人かいました。

 全体的には「わらぐつが売れてよかった」と書いている子どもが多かったです。また、大工さんのことは「いい人だ」「すごくやさしい人だ」「心が広い」「大工さんの言葉はすごくいい」と書いていました。

 マサエのことはあまりふれられていませんでした。感想文を読んで、それぞれの人物像をしっかりとらえさせたいと思いました。

六、授業記録(「なか」②-(1))

 本時の目標・わらぐつをはく人のことを考えて、一生懸命編み上げたおみつさんがどんな人物かをとらえる。

(前半部分省略します。)

T 今までのところでは、おみつさんというのは「まじめな人」「わがままをいわない人」「せっせと働く人」「えらいんだなあ」「がまんをする人」「えらくてやさしい人」「責任感がある人」というのが出ました。今日の場面でおみつさんがどんな人かというのを勉強していきます。

(二人の音読の後)

浩次 「 その夜おみつさんは考えました。うちのくらしだって大変なんだもの。買ってもらえないのも無理ない。そうだ、自分で働いてお金をつくろう」と言うところから、なんてえらい人なんだろうと思った。

(深く物事を考えるところがある浩次。手を上げて発表することもめずらしい。)

幸介 夜も考えるのは、雪げたがほしいからだ。前もおみつさんには雪げたが「買ってください」と聞こえたのは、おみつさんにはやさしさがあるからだ。

(よく発言する幸介。本を読むのが好きな子。)

彩恵 自分で働いてまで雪げたを買おうなんて、それだけ雪げたがほしい。

(まじめでしっかり書き込みをする沙絵。よく本も読む。)

亜紗 おみつさんはもうお母さんに「だめだ」といわれたから納得して、しつこく言わないから親思いのおみつさんだなあ。

(よく発言する愛。この作品の授業もよく手が上がる。)

貴彦 「毎晩家の仕事をすませてから、わらぐつを作り始めました」というところから、しんどいけど雪げたがほしいからがんばっている。

(面倒くさがりの貴彦。この作品の書き込みはしっかりしてくる)

浩次 おみつさんは熱心だなあ。

祐一 家の仕事だけでも大変なのに、わらぐつを作るなんてすごく働きものだなあ。

(おとなしい祐一。自分の書き込みを見ながら発表する。)

美佳 自分でお金をためようとする努力がすごい。

T 本当ね。考えようとするところがすごいね。何を考えたのですか。

義則 わらぐつ。お父さんがわらぐつを作っているのを見ていたから。作ろうと思いついた。

T どんなふうにわらぐつを作っていますか。

康夫 「でも……少しぐらい格好が悪くても、はく人がはきやすいように、あったかいように、少しでも長持ちするようにと、心をこめて、しっかり、わらを編んでいきました」(クラス全員うなずく)

T 全貝で読みましよう。

全員「でも……」(声をそろえて全貝で読む)

(ここでは、「しっかりしっかり」の繰り返しの言葉や「でも」の逆接の使い方から、強く言いたいことを押さえる。そのことによっておみつさんのやさしい人柄がはっきりわかったようである。)

T こうしてできたわらぐつは、どんなわらぐつでした か。(書いてあることを発表する。)

-省略-

そんなわらぐつを家の人はどういったの。

翔太 そんなわらぐつ売れるかなあ。

宏人 つけたし。うちの人はそういってわらったり心配したりした。

T それでも元気よく町へ出ていったおみつさん。楽しくなったおみつさん。ここからわかるおみつさんの人柄を班で話し合って発表しましょう。

(班学習はずっと取り入れてやってきました。)

一班 おみつさんは、ちょっとだけでも自分の手の届くところに雪げたがきて、うれしいだろう。

二班 家の人に「うれるかなあ」といわれても、元気よく町へ出ていって、自分で作ったお金で雪げたを買えたらうれしいだろう。

三班 わらぐつを編んで早くお金をためて雪げたが買いたい。

四班 おみつさんは、わらぐつを編んで自信があったから売れると思った。

五班 気合いが入っていて、気持ちがうきうきしている。

秀晃 つけたし。お父さんやお母さんにわらわれたり、心配されたりして、わらぐつを持っていくのは、よほど勇気がいるだろう。

(発言の少ない秀晃なのに手を上げてくれ、うれしく思う。)

貴彦 つけたし。おみつさんはその雪げたがちょっぴりと自分の手の届くところへ出てきて、楽しくなったというところから、どんどん自信がもりあがっている

(班討議でおみつさんの人柄よりも、おみつさんの気持ちや思いが出てしまった。でも、秀晃や貴彦が付け足してくれたのがよかった。)

T この場面から、おみつさんのどんな人がらがわかりますか。

(もう一度押さえ直す)

晴菜 すごく働きもののおみつさん。

祥子 やさしいおみつさん。

麻実 自分でお金をつくるからえらい。

幸介 考えようと努力するところから、努力家。

知花 勇気がある人

亜紗 人が言ってもめげないから心が強い。

(おみつさんの人柄を短い言葉でまとめすぎた気がした)

T 今日のところの感想を書きましょう。
義則

自分でお金をつくろうなんですごいし、わらぐつをつくったらへんになったけど、とてもじょうぶだからこわれないだろう。そして、悪口を言われてもめげずにがんばるのがすごい。

(義則はおみつさんのこと「すごい」と二回も書いています。初めの感想にも「すごい」というのがありました。感心して出る言葉でありますが、表現力の乏しさも感じました。)

良介

 おみつさんはわらぐつを作ったことはないけれど、編むのだけでもむずかしいのに、おみつさんは作れたからすごいと思った。最後に自信をつけて朝市へ行ったから、売れなくてもがっかりしないと思う。

(良介君はほとんど発表しない子です。でも書き込みをしていくとよく書くので、ほめて発表するようにさせてきました。)
香帆

 おみつさんは親にめんどうをかけないで、自分で努力してほしいものを買おうとするなんて、えらい。そんな気持ちがあるから、おみつさんにやさしい心ができるんだろう。

(香帆は書き込みも発表もよくする子どもです。おみつさんのやさしさはとらえていますが、後半の力を入れたところの感想がありません。印象に残らなかったのはなぜか考えたいと思います。)

七、終わりの感想

義則

 マサエは初め、神様のことを信じていなかったけど、おばあちゃんの話を聞いて、神様がいるのを信じた。それに、わらぐつのことを「みったぐない」と言っていたけど、わらぐつのよさがわかった。

 ぼくは、おばあちゃんの話がおもしろい。なぜかというと、自分のことを言うからすごい。おばあちゃんが話しているときは、マサエはどんどん成長しただろう。ぼくもこの話しを勉強して見た目だけじゃなくて、中身をみて選ぶ。

 おじいちゃんとおばあちゃんの出会いは、とても楽しい。わらぐつがなければ、出会わなかった。マサエはこの話を聞いて、おばあちゃんが、(中略)

でも、この雪げたにはおばあちゃんの思い出がたくさんある。おばあちゃんのたから物だろう。おじいちゃんが帰ってきて、マサエは、おじいちゃんのことが好きになっただろう。

 一番気になっていた義則でしたが、この文を読んでわらぐつのよさがわかってきたように思います。また、外見より中身を選ぶとも書いています。この作品を勉強したから物を大事にするとは思っていませんが、考えるきっかけとなったことは間違いないと思っています。

康夫

 初めは、わらぐつの中に神様はいないといっていたが、おばあちゃんが聞きやすいようにくわしく話をしてくれて、自然と神様がいるとマサエは信じていた。

 おみつさんは中身があたたかくて、外は変でも心を込めて作ってえらい。大工さんに次の日も次の日も買ってもらって、一歩また一歩と雪げたに近づいて、うれしくてたまらなくなって、心を込めて次の日も作って、おみつさんはえらい人とわかった。(省略)

 ぼくは神様の絵をかいていたけど、神様はいるんではなくて、人の心に宿ったのが神様というのがわかった。ぼくはずっとずっと前から外見だったけど、少し中身もとろうかなという心もあるようになった。

 事故に逢った康夫が「ぼくは中身より、外見を取る」と言い続けていたのが印象的でした。常々、授業中も落書きをしていて人の話がしっかりきけない子ですが、この作品については、「中身もとろうかな」と前向きに考えてくれたことはよかったと思っています。
幸介

 この物語を勉強して、マサエは最初「わらぐつなんかみったぐない」なんて言ってたけど、この話を聞いて、物を外見だけじゃない中身も見るものだ。人が一生けん命に作ったものは、神様がいるのといっしょだと、おばあちゃんの話を聞いて変わってきている。

 ぼくは物を買うにしても、外見と内面で決める。おみつさんのがんばって作ったわらぐつを、大工さんに買ってもらえたのは、おみつさんががんばって、しっかりしっかりあったかいように、長持ちするように心を込めて作ったことが通じたんだろう。(省略)

 気の弱いところがある幸介が、一番授業に乗ってきて、発言をよくしてくれました。大工さんの心の広さやおばあちゃんのやさしさにも共感している幸介でした。

八、終わりに

 二学期は取り組みが遅くなり、「大造じいさんとガン」を一二時間ぐらいかけて、この作品に入る直前までやっていました。

 文学の授業が続いて、だれないかなあ。書き込みはするだろうか。不安はありましたが、授業に入ると子どもたちは、一生懸命書き込みをしたり、班討議をしたりしていました。この作品のよさと私の意気込みに子ども達は引っ張られたのだと思います。

 一時間一時間は楽しく授業ができました。それは、子どもたちがしっかり書き込みをして、発言してくれたからです。

 発言が少なかった吉和も「わらぐつの中に神様でも住んでいるのかと思ったら、全然ちがう話だった。人の気持ちがあふれているわらぐつを神様というのだろう……」と書いていました。とらえ方がいいなあと思いました。

 また翔太は、「この話を読んで、ものは見た目だけじゃなくて、中身も見ないとだめだし、大切にしないとあかんなあと思った。……」と書いていました。子どもたちとものの見方について話し合えたことがよかったと思っています。

 事後研の中では「人柄を考えるより、行動を考えることの方が大事ではないか」という意見が出ました。私は行動から人柄を考えることができると思ってやったのですが、「働きもののおみつさん」「やさしいおみつさん」「努力家のおみつさん」「心が強いおみつさん」というのでまとめてしまってよかったんだろうかと、この実践記録を書きながら問い直しています。

出典:「どの子も伸びる」1998.7/部落問題研究所・刊
(個人名は仮名にしてあります。)

モチモチの木

文学の授業

「モチモチの木」(斎藤隆介・作『はぐるま』④)

 この記録は六年前の実践ですが、文学を学ぶことの楽しさを私に教えてくれた、思い出深いものです。

一、作品と子ともたち

 子どもたちに、いい文学作品にふれさせたい。そして私も子どもと共に学びたいと思い、四月から「スイミー」や「太郎こおろぎ」などの投げ入れをしてきた。

 「モチモチの木」は、絵本などで知っている子も多いし、斎藤隆介の作品は「花さき山」「ひさの星」「天の笛」などを読み聞かせており、子どもたちには親しみ深い作家である。この作品は私も大好きで、元気で愉快なこのクラスの子どもたちもきっと大好きになってくれるだろうと思った。

 豆太には両親がいない。豆太をいとおしく大切に育ててくれるじさまの愛情に包まれて暮らす豆太。現代の家庭に失われがちなものがそこにあるように思う。私のクラスには、母子家庭の子も二割近くいるし、父親に育てられている子、祖父母に育てられている子もいる。そんな子どもたちにも、この作品は親しみ深く、人間的な魅力を持って、迫ってくるのではないだろうか。

 また、「あの人は乱暴だからきらい」「あの人は……だからいやだ」と、友だちを一面だけでとらえる傾向も強いし、一つ何か出来なければもう自分はだめだと自信を失ってしまうように、自分をも一面的にしかとらえられない傾向も強いが、この作品はそんな私たちに、人間を多面的に丸ごとつかむことの大切さも語りかけてくれる。

 豆太によりそい、豆太に感動し、豆太に親しみを持つ中で、子ども達自身の中にある豆太をよびさまし、育てていけたらと思うのである。

二、主題、思想

・夜も一人でセッチンに行けないほどのおくびょうな豆太が、大好きなじさまの苦しむ姿を見て、じさまを助けるために夢中で夜道を走り続けた。

 その勇気を生んだものは、じさまの愛情の中で育くまれてきた豆太のじさまへの限りなき愛情である。

・人間に愛にもとづく<やさしさ〉があれば、勇気ある行動を生み出すことができる。

・人間は状況の中で変化するものであり、固定的、一面的にみるのではなく、その状況の中での姿を正しくとらえる事が大切である。

三、指導計画と目標(全11時間)

1、だんどり

2、とおし読み 読み聞かせ、はじめの感想  1・2で二時間

3、たしかめ読み(七時間)

「おくびょう豆太」二時間

・語り手の語り口と豆太の状況からおくびょう豆太をイメージ化する。

・じさまの豆太への愛情を読みとる。

「ヤイ木イ」一時間

・豆太の姿を内と外からとらえ、モチモチの木の昼と夜のちがいや、じさまとの関係をとらえる。

「霜月みっかのばん」一時間

・美しいモチモチの木のイメージを、豆太の内面を通してとらえ、豆太の心のゆれをよみとる。

「豆太は見た」二時間

・じさまを助けようと必死で夜道を走る豆太を内と外からとらえ、モチモチの木に灯がつくのを豆太と共に感動的にとらえる。

「よわむしでもやさしけりゃ」一時間

・じさまの言葉から、人間の真実について考え、終わりの三行からまとめ読みにせりあげていく。

4、まとめ読み(二時間)

・じさまの言葉は何を意味するのだろうか。

・豆太は本当におくびょうなのだろうか。

・おわりの感想。

四、たしかめ読み

第一時、おくびょう豆太

○「まったく豆太ほど……」と言っているのは誰か。(作者ではなく、語り手であること)

○語り手は豆太をどう思っているか。

まったく>と最初から言っている

もう五つにも>←→<もう五つ>くらべ読み}から考える

○豆太はモチモチの木をどう思っているか。

○そんな豆太をどう思う。

○「豆太は本当におくびょうなんだろうか」という問いが生まれた。

第二時、おくびょう豆太

○どんなじさまだろうか。〈真夜中にどんなに小さな声で言っても、すぐ起きてくれる〉という言葉から、豆太をかわいがっているじさまであることをつかんだ。

○〈とうげのりょうし小屋にたった二人で……〉さびしいだろうなあ、お父ゥも死んだし、お母ァもいない、友だちもいない、という生活状況の中の豆太を考え、だからじさまは豆太をかわいがるんだ。

第三時、ヤィ木イ

○〈木が立っている>というのはおかしい。〈木がふりおとしてくれる〉というのはおかしい。という子どもの発見から、モチモチの木をイメージ化した。

○なぜ昼は元気なのに、夜はあかんのかという疑問が生まれ、夜のモチモチの木が豆太にとってはどんなにこわかったかを話し合った。

○じさまがモチを作ってくれる様子。木ウス、石ウスはどんな物かを話し合う中で、じさまの仕事は大変だという事、豆太をそれほどかわいく思っているのだとつかんだ。

第四時、霜月みっかのばん

○じさまの言葉から豆太への願いをつかんだ。

○見たい、でもこわいという豆太の心の揺れ、夢みてえにキレイなモチモチの木を想像し、見たい気持ちを持ちながら、自分で自分を弱虫と決めつけて寝てしまう豆太に、子どもたちは見てほしい、豆太ガンバレと声をかけた。

○「ねてしまう豆太にじさまは何も言っていない」という 、意見が出、「じさまは、豆太に自分から勇気を出してほしいと思っているのではないか」という考えが出て、じさまは自分の願いを豆太におしつけず、豆太の成長を信じ、待っているのだというとらえ方ができ、じさまの人物像を大きくふくらませる事ができだ。

五、第五時、豆太は見た

[本時の目標]

 表記、ことばに気をつけて、豆太のおどろく様子、じさまの苦しむ様子を、しっかりイメージ化する。そして、大好きなじさまを助けるため、夜道を走る豆太を内と外からとらえ、豆太のじさまへの愛情が、豆太の勇気ある行動を生み出したことをつかむ。

[本時の展開]

学習活動 留意点(大事な語句)
・導入 今までの豆太について話し合う
・目をさました豆太のおどろきをよみとる クマのうなり声
「ジサマ~!」
クマみたい
「ジサマッ!」
気持ちの変化
・じさまの苦しむ様子をよみとる 「マ、豆太……じさまはじさまは……」コロリとタタミにころげると、歯をくいしばってますますスゴクうなる……
・医者をよびに走る豆太の様子を話し合う -イシャサマヲ……
こいぬみたいに、フッとばして
ねまきのまんま、はだしで
・外の様子をイメージ化し豆太の気持ちを考える まっ白いしも 足からちがでた
なきなきはしった
いたくて、さむくて、こわかったからなあー
 でも、大すきなじさまの死んでしまうほうが……
・豆太についてどう思うか考える 今までの豆太とくらべて考えさせる
(外の目から異化体験)
・次時予告 –

[授業記録]

教師この晩てどんな晩かな。

今井 しも月みっかの晩。

小野 モチモチの木に灯がともる晩。

教師 そうね。豆太はその灯を見たい見たいと思いながらねてしまったのね。

〈豆太はまよなかにヒョッと目をさました。あたまの上で、クマのうなりこえがきこえたからだ。「ジサマァッー!」むちゅうでじさまにシガミつこうとしたがジサマはいない。〉

 この文で思うこと、わかることを言ってください。

大泉 「ジサマァー!」と波線がついているから、ふるえて言っている。

高橋 〈ヒョッと目をさました〉とあるから、急に目をさましたんだと思う。

坂田 豆太は家の中で寝てるでしょう。それなのにクマがくるわけないと思う。

教師 坂田さんはおかしいと思うのね。でも豆太は、

C クマと思った。

教師 豆太はどう思ったんだろうね。

C こわかった。

教師 それで、

C じさまにしがみつこうとした。

白井 <じさまはいない。〉ときつく言ってるからギクッ とする。

奥野 〈じさまがいない〉と書いてあるでしょう。〈じさまがいなかった〉というより〈いない〉の方が、じさまを大変だという気もちが強くでる。

教師 「ジサマァッ…!」と「ジサマッ!」と、どうちがうのかな。

前川 「ジサマァッ…!」はふるえている。

田中 「ジサマッ!」はさけんでいる。

堀内 「ジサマッ!」はじさまが苦しんでいるのを見てびつくりしている。

高橋 クマにみたいに見えたのが、じさまということがわかり、苦しんでいるのがわかってびっくりして叫んでいる。

教師 クマのうなり声だと思ってふるえながらとびついたが、クマみたいにうなっていたのはじさまだった。じさまの様子はどうだったの。

山岡 豆太がとびついても、歯をくいしばって、ますますスゴクうなるだけ。

西岡 ふつうはスゴクとしか言わないのに、ますますスゴクとあるから本当にすごうくいたい。

谷田 〈じさまはじさまは〉と二回くり返している。一回だけ言うより苦しい様子。

教師 でも、ちょっと腹がイテエだけだって言っているよ。

小野 本当は痛いのに豆太をこまらせたくはないから、ちょっとと言っている。

白井 豆太は、じさまの事を心配しているし、じさまも豆太のことを心配している。(中略)

教師 〈ねまきのまんま。はだしで。半ミチもあるふもとの村まで……〉の文で思うこと、わかることは。

奥野 〈ねまきのまんま。〉で切っているから、豆太がじさまを助けたい気持ちを強くしている。

山本 豆太はじさまにかわいがってもらっていたやろう。それでな、いそいでいそいで、ねまきなんか着がえる間がない。

早浪 ねまきで寒くてハダシで冷たいのに、人のためにがんばっている。豆太は立派だと思う。

教師 早浪さんが豆太は立派だと思うのね。

小野 じさまのためなら、ハダシでも、ねまきのままでもいいと思った。

大泉 じさまの苦しんでいるのを見て、見てられないほどだったから、ねまきのまま、ハダシでとびだした。

白井 〈ねまきのまんま〉で切ったり、カタカナで書いたりしているから、読み手がびっくりするようで、すごいなーと思う。

高橋 ぐずぐずしていたら、じさまが死んでしまうと思って、ぞうりなんかはくひまなんかない、ねまきを着がえる間なんかない。

大泉 じさまは、ちょっと腹がイテェだけだと言ったけど、苦しんでいるのがわかって、豆太に心配させたくないというじさまの気持ちがわかったからとび出した。

教師 〈外はすごい星で、月もでていた。とうげのくだりのさかみちは、いちめんのまっ白いしもで、雪みたいだった。しもが足にかみついた。足からはちがでた。豆太はなきなきはしった。〉

塩谷 じさまが死んでしまうかもしれないから、豆太はがまんして、じさまのことばかり考えて走った。

長尾 自分よりじさまの方がいたいんだと思って走った。

白井 霜が足にかみついたって痛いだろうなあ。足からは血が出たってあるからもっと痛いだろうなあ。(中略)

教師 豆太は心の中でどんなことつぶやきながら走ったのだろう。

中山 じさま、医者様よんでくるから、待っててな。

清水 じさま大丈夫かな、死なないかな。

山本 早く医者様を呼んできて、じさまの腹イタなおさなくっちゃ。

白井 たいへんだ、たいへんだ。

小野 今、医者様をよんでくるから、がまんしててね。

大泉 モチモチの木がこわかったけど、モチモチの木なんかどうでもよかった。じさまのこと考えて、じさま待っててねと心の中で叫んでいる。

教師 今までの豆太は、おくびょうで弱虫だったね。その豆太が、今一生懸命走っているのね。この豆太を見て、私はどう思うか、書いて下さい。……では、発表してもらいます。

田中 語り手はおくびょうだと思っているけど、私は勇気があると思います。

吉岡 ぼくも田中さんと同じで、豆太は勇気があると思います。ぼくはちょっと敗けた感じがする。

谷田 豆太は自分はおくびょうと思っているけど、ぼくからみたら勇気がある。

早浪 泣き泣き走って立派だと思う。外側はおくびょうだけど、中側はやさしさでとろけそうな気がする。

白井 私はお母さんが病気になったら、豆太みたいにできるかな。

高橋 霜がおりて冷たい、痛い道を一人でがまんして走っていくなんてすごいなー。

大泉 おくびょうで、甘えた豆太が、真夜中医者様をよびに行った。豆太は、すばらしい心を持っている。

清水 寒くて、いたくてこわかっただろう。

教師 そうね、痛くてこわかっただろうね。でも、一番こわかったのは。

山岡 じさまが死んでしまうこと!(後略)

六、第六時、研究授業の後で

 校内研の翌日、子ども達も緊張していたし、私ももう一つつっこみが足りなかったので、「昨日の授業で言えなかった事、言いたりなかった事ない?」と問うと、谷田くんが言った。

「これは、家で話し合った事なんだけど、人間いざという時、勇気がでるのだな」

このことから、どんな人間でもいざという時、勇気が出るのだろうかが問題になった。誰でもできるわけではない。豆太はじさまが大好きで、じさまの苦しむのを見ていられなくて、やさしさを勇気にかえて走ったんだ。そして、この豆太のやさしさは、じさまのやさしさの中から生まれてきたのだと話し合った。

七、第七時、よわむしでもやさしけりゃ

 「人間やさしささえあれば、やらなきゃならねえことはきっとやるもんだ」から、じさまのいうやさしさとは何だろうかを話し合った。そして、じさまのいうやさしさは、何かくれるとか、してくれるとかいうやさしさではなくて、人にしてあげるという愛情、ひさの星のように、人がこまっている時、苦しんでいる時、その人を助けてあげる事が本当のやさしさであると話し合われた。

 ここまで深まってくると、発表する子が減ってきたが、フンフンとうなずきながら聞く子どもの表情を見ると、豆太とじさまを結ぶ愛情、じさまのためこわさも寒さも忘れて走った豆太の行動を生み出した「やさしさ」の意味を、それぞれの心で受けとめてくれたのではないかと感じた。

八、まとめ読みの授業

 最後の三行〈それでも豆太はじさまがげんきになるとそのばんから「ジサマァ」とションベンにじさまをおこしたとサ〉の意味が問題になった。

教師この終わりの三行がなかったらどうだろう。

C おもしろうないわ。

小野 勇気のある豆太で終わってしまう。

奥野 終わりの文がある方が「アレ?」という気持ちがしておもしろい。

教師 どうして?勇気のある豆太でおわる方がカッコイイんじゃないの。

C おもしろうない。

早浪 終わりの三行ある方が、この続きどうなるんだろうと考えさせられていいと思う。

教師 なるほどね。じゃあ、ここで豆太はまたじさまを起こしているけど、豆太はおくびょうなのか勇気があるのか、どっちでしょう。

今井 わたしは、やっぱりおくびょうだと思います。清水 そしたら、医者様よびに行ったのはどうなるんですか。あんなことできたんやから、勇気あると思います。

子どもたちは迷いました。どっちが本当の豆太だろうって
……そんな話し合いの中で--。

谷田 ぼくは、豆太がじさまの腹いたなおったら、またしょんべんにつれてもらってるのは、五つやしこわいのは当たり前やし、おくびょうとちがって、普通の男の子やと思う。

吉岡 しょんべんに連れてもらうのは普通の子やけど、あんな夜道を一人で走ったのは、前に人間誰にでも出来ることとちがうって話し合ったけど、普通の子とちがって、勇気ある子やと思う。

教師 小便に連れて行ってもらうのは普通の子だけど、医者様呼びに行ったのは誰にでもできることじゃないから勇気のある子だっていうのね。

山岡 豆太はおくびょうと勇気と半分ずつちがうかな。

寺井 おくびょうだけどやさしい心持っていて、いざという時勇気でたんだから、両方持っていると思う。

高橋 勇気あるか、おくびょうか、そんなんどっちかなんて簡単に決められへんと思う。

教師 そうやね、おくびょうか勇気あるかなんて決められないね。普段は弱虫でじさまに小便に連れて行ってもらう豆太は、ぼくらの五つの頃と同じ男の子なのね。その豆太がじさまの苦しんでいるのを見て山道を走った。そこが豆太のすばらしさであって、人間の値うちがそこにあるのね。

 人間、その時の行動だけ見て、いい人悪い人って決められるかな?決められないもんね。その人の中には、いろんなもの持っているもんね。

 最後の朗読が終わると、子どもたちの中から拍手が起こ った。

九、おわりの感想

豆太のやさしさ
寺井佑奈

 わたしは、豆太がすきです。じさまが苦しんでいる時でもあのおくびょうだった豆太が、はだしでねまきのまんま足から血を流して、やっぱりじさまの心から豆太の心まで、やさしさが伝わったのかもしれません。わたしは、そんな豆太がすきです。

 (略)そうそうだけど、じさまはだれにもやさしいみたいです。しんどいけど、がんばってあげる。それこそわたしは人間と思います。だから、日ごろからじさまが豆太にやさしくしているから、豆太もじさまを助けることができたんじゃないかと思いました。

 やさしさは、思いやりだと思いました。

豆太のやさしさを勇気にして
吉岡卓也

 豆太はやさしさがあって、じさまをすくうことができたんだ。このやさしさがあってこそ、豆太のねうちが出ているんだ。そのやさしさは、あれしてくれる、これしてくれるのやさしさじゃなくて、思いやりやあいじょうがそのやさしさであり、そのあいじょうは小さいあいじょうやふつうのあいじょうではなくて、大きなすばらしいものなんだと思います。豆太には、大きなすばらしいすてきな心がむねいっぱいに広がっていると思います。

 豆太はじさまのために、こんな夜道を走ったのも、このやさしさがあったからだと思います。モチモチの木のひを見たいから走ったんじゃない。じさまのために走ってぐうぜんにモチモチの木のひを見ることができたんだ。

 ぼくは、豆太の心に感動しました。(略)

モチモチの木のだいじなこと
小野浩一

 (略)豆太はすごくやさしいなあーと思う。それだし、初め語り手は豆太に文句を言っていたのに、今になってすごいなーと思っているんかもしらん。それだし、豆太はふつうの子ではない。ふつうの子で、五つになってもあんな夜道走れるのは豆太だけ。ぼくはこう思いました。人に勝手に、よわいなーとか言わないことにしました。
[学級通信を通じて父母もいっしょに]

 学級通信に、この授業のことを書いて出しました。それを読んだ感想や意見が、お母さんから寄せられ、新しい見方も教えられました。

〈じさまの大きな心についての記事を読み、感動して二度も読み返しました。白井さん、本当にいい所に気がつきましたね。なるほど、私自身がこのじさまを大好きなのはそういう所なんだわ。そして、自分の親たちも、私たち子どもに対してじさまと同じようだったという、なつかしい思いを呼び起こしてくれました。じさまの大きなやさしい心を思うと、いつもギャーギャー言っている私も、とても素直な気持ちになってきますね。子どものため、この子のためと言いながら、実は自分が安心したいための文句もあるような気がします。--石川さんのお母さん--〉

一〇、授業を終わって

・何よりこの作品が子どもを引きつけるものであったこと。この勉強をしてよかったと何人もの子どもが感想に書いていたことがうれしかった。

・話者の存在をきっちり押さえ、視点をはっきりさせて授業を展開してきたことで、子どもたちが豆太の身になって考えたり、また外から客観化して考えたりという文学体験を深める事が出来たように思う。

・一人調べのノートを作り視写をさせ、その文、言葉からわかる事思う事を書きこませ、授業の前に目を通して子どもの考えをつかみ、それを授業に取り入れていった。まだまだ充分書きこめない子も多いが、授業が進む中で書くことも深まり、授業の中に出してきてくれた。

・子どもたちはやさしさについて語り、また人間を一面的にみないということも言ってはいるが、その事が生かされるような学級集団にはなかなかなっていない。今後は本当に相手を思いやる心を大切にした民主的な集団づくりを根本にすえ、文学で学んだ事が、子どもを変え、集団を変えていく力になっていくようなそんな学級づくりをめざしたいと思うのである。

出典:「どの子も伸びる」1989.9./部落問題研究所・刊
(個人名は仮名にしてあります。)

みんながたまごだったころ

みんながたまごだったころ -4年生の性教育-

1.はじめに

 勤務校は郊外の100年の歴史ある小学校。校区は昔ながらの地域もあるが、最近は新しいマンションや住宅も増え、子どもの様子も多様化している。とはいっても、子どもの問題行動も少なく、保護者も教育熱心で協力的な方が多く、比較的落ち着いた地域・学校である。

 児童の数は700人前後。教職員数は40人前後であるが、以前はベテラン教員が多かったが最近は転勤や退職等で比率ががらりと変わり、若い教員が増えてきている。昨年度、私はその学校に5年目、4年生の担任として勤務していた。

2.先生のおなかの中に赤ちゃんのたまごがあります

(1) 学級の様子

 4年生は3学級で、子どもたちとは1/3くらいを1年生のときに受け持っていたこともあり、4月当初、子どもたちとはお互いに「再会」のような気分でもあった。また、保護者も知っている教師として素直に喜んでいてくれていた。

 ただ、日数がたつにつれて、子どもたちがあまりにおとなしいことが気になっていた。  授業中の発言は限られた勉強のできる一部の子。休み時間では女の子はばらばらに2・3人のグループ。男の子は仲良くドッチボールと思いきや、何かしら浮かない顔で帰ってくる。しかも男の子たちは明らかに力関係に気を使っていた。

ゆうき君とたくや君

 男の子たちが恐れるゆうき君は、低学年の時に他市から転校してきて、家庭環境も複雑だった。そのためか、暴力や暴言が転校当初から絶えず、学校を巻き込む事件を何回か起こしていた。

 今回、ゆうき君の担任が決まったとき、「教務必携や教室の鍵は担任がしっかり管理すること。気を抜かないこと。」などアドバイスされた。

 休み時間のドッチボールでは、自分に有利なグループを決めようとしたり、相手チームの上手な子が不利になるように言ったり、味方チームの子のミスに暴言をはいたり……。

 また4月当初から、同じ班の子に集中的に暴言や暴力を繰り返しおこなっていて、トラブルも絶えず、ゆうき君の班ではなかなかグループ学習なども進みにくかった。

 他の子は、ゆうき君の被害になることを恐れて、あまり文句を言われても我慢し、かかわりを持とうとしなかった。

 またたくや君は○○と診断されていて、1年生のときからトラブルや注意が絶えなかった。

 かっとなりやすく、手も出やすい。言葉で自分の思いをなかなか伝えられず、誤解も生じやすいため、友達からも悪く言われやすい。絶えず注意を受けているため、たくや君自身もすぐに「おれが悪いんやろ」「ごめんなさい」。という態度で、なぜトラブルになったのか、何が原因なのか説明しようとしたりはしなかった。

 また、お母さんも「先生たちは言ってもかずきの話を聞いてくれない。」と、4年生になるまで教師に対して不満を積み重ねてきた。

【学級づくり……一人ひとりが大切な集団づくりを(1学期)】

 「どの子も特別で大切な存在。みんな大事にしたい。」という願いを持って担任をしてきたので、子ども集団が大切だと思い、1学期は学級づくりに力を入れていた。

 毎日の学級通信でお互いのことを知り、授業ではグループ学習や子どもの発言をできるだけ大事にしてきた。子どもたちの中には、学習には意欲的だが、塾や家庭学習の影響で競い合うことが多いため、友達と深く関わりにくい子も何人かいた。

 そんな子やゆうき君は、学習の苦手な子の失敗や運動ができない子をバカにすることもあった。そのため、担任として取り組んだ1つが「鉄棒クリニック」だった。毎朝の登校後の休み時間に、苦手な子を中心に鉄棒を練習した。体の大きなたくや君もさかあがりに挑戦したり、みんなでわいわいと練習し、新しい技ができるようになったら一緒に喜ぶうちに、子どもたちの中にあった固さが少しとけていったようだった。

 また、お誕生日会やレクの時間、休み時間など子どもたちと遊び関わることで授業中では見えない子どもの良さを知ることができた。

 たくや君はよくトラブルを起こしたが、そのつど話を聞き、どうすればよかったのか、相手に伝えたいことは何だったのかを一緒に話し合ってくることで、たくや君への学級の子たちの風あたりは少しずつ優しくなってきていた。

 ゆうき君は暴力は減ったものの、暴言は相変わらずだったが、鉄棒クリニックや担任も交えた遊びの中で、少しずつ友達も増えてきていた。また、私への不信感もなくなり、明るい笑顔で話すようになっていた。

 1学期が終わるころ、子どもたちの中もうちとけて、「先生は怒ったら怖いし厳しいけど、一緒に遊んでくれる」と、家庭でも話をしているようだった。

(2) 子どもたちの変化(2学期以降)

【運動会】

 2学期になり、4年生は南中ソーランをすることになった。腰を落としての厳しい練習だったが、みんな暑さの中で頑張っていた。また、ゆうき君は、応援団に立候補して、放課後も練習に励んでいた。

 そんな子どもたちと運動会の練習で踊っている9月半ば、私自身が体調不良になっていた。

 吐き気とだるさが一週間ほど続き、病院に行ってみると妊娠2ヶ月。そのときは驚きと戸惑いが大きかったが、あわてて学年のベテラン先生に相談したところ、運動会の練習のダンス指導は交代。重たいものはできるだけ持たないという配慮をしてもらった。管理職と相談し、子どもたちには時期を見て報告するということになった。

その後も不調は続いたが、子どもの前では何とか明るく元気に振舞い、先生方の配慮もあり、無事に運動会を終えることができた。

【子どもたちのトラブル続出?「先生、何で遊んでくれへんの?」】

運動会が終わり、子どもたちも仲良く遊んでい、たが、10月の半ばごろから子どもたちの様子が変わってきた。

 宿題忘れが増えてきた子や、休み時間にみんなで夢中になっている鬼ごっこでのルール違反。そのころ、鬼ごっこは男女問わずたくさんの子が参加していて、ゆうき君も一緒にしていたが、ゆうき君の暴言だけでなく、女の子の、あやさんグループが自分たちに都合のいいようにルールやじゃんけんを決めるといった文句がでてきていた。ゆうき君を含めた男の子チーム対あやさんの女の子グループといった雰囲気だった。

 学級会や放課後を使って何回か話し合いをしたりしたが、なかなか納得のいく解決に結びつかない。

 それでも、鬼ごっこをしては不満や文句を募らせる。そんなとき、ある女の子が「先生、何で最近一緒に遊んでくれへんの?うちらと一緒に遊ぶのが面白くないの?」と聞いてきた。

 「そうじゃないねんけど‥」確かに、2学期以降、子どもたちとは鬼ごっこはもちろんのこと、体調も芳しくなく、通勤してなんとか授業をするので必死だった。思うようにじっくりと子どもたちと向き合えていないのでは。もどかしさも混じって……。もうそろそろ、子どもたちに妊娠のことを報告しないといけないと感じた。

【先生のおなかの中に赤ちゃんのたまごがいます】

 結局、子どもたちに妊娠を報告したのは11月になってからだった。ようやく代わりの体育軽減の講師が決まり、保護者に安心して報告できる体制が整った時期だった。

 帰りの会のとき「実はみんなに言わないといけないことがあるねん。」と改まって言ったとき、子どもたちの表情が緊張した。もちろん私も。

 「先生のおなかの中には、赤ちゃんのたまごがあります。先生自身も驚いてんけど、来年の5月に赤ちゃんが産まれるみたいです。」

 え?という様子の子どもたち。戸惑いからか、どういう表情をしていいのかわからないようだった。

「まだ、赤ちゃんは小さくて、たまごのからみたいにちょっとしたことで壊れてしまうかもしれないから、気をつけないといけないことも多いねん。」 「え?どんなこと?」

「走ったりとか、重たいもの持ったりとか、高いところもよくないみたい。」

「だから、先生おにごせえへんかったん?」

「うん、ごめんな。」

そこから、堰を切ったように子どもたちが質問してきた。

「先生、いつから赤ちゃんのこと知ってたん?」

「9月の運動会のころからかな。」

「男の子?女の子?」

「まだわからへんよ。」

「先生、おなか大きくないやん。」

「これから大きくなるらしいで。」

「どんなふうに大きくなるん?」

「先生も初めてのことやからわからへんねん。どうなるかみんな見といてな。」

「先生、赤ちゃん産まれても先生やめへんやんな?」

「産むときはお休みするけど、先生はやめへんで。」

 その子は私が結婚するときも、「結婚しても先生やめんといてな。」とメッセージをくれていた。

 その後は、みんなうれしそうにいくつか質問してきた。

「先生は、これからできないことも増えるし、お休みして病院行くこともあるし、みんなに色々と頼らないといけないこともあるけど、よろしくお願いします。」

 その日からの子どもたちからは、さりげない気遣いを感じるようになっていた。特に、女の子はうれしい様子の子がとても多かった。

 また、保護者からも連絡帳にいろんなアドバイスや励ましの言葉が書かれていた。担任として出来ないことがあるもどかしさの中で、支えてくれる保護者や子どもたちの存在が本当にありがたかった。

【参加できない行事】

 子どもたちの様子も落ち着いてきた11月半ば。遠足の日が近づいてきた。まだ少し体調不良が続いていたが、遠足は当然行くものだと思い、それに向けての準備や打ち合わせをしていた。そんな中、「妊娠中は免除される」「妊娠している人は行かないほうがいい」といったことを知った。

 ただ、学校で十数年ぶりの妊娠で、妊娠中に軽減されることや制度のことなど、なかなか適確な判断が難しかった。今回の遠足の付き添いも、学年の先生と相談したり、ベテランの経験者何人かにアドバイスをもらったりと悩み、遠足の前日の昼休みに「行かないほうがいいなあ。」という管理職の言葉をもらい、代わりの付き添いが決まった。そんなあわただしく決まったことを子どもたちに帰りの会で報告……。

 「明日の遠足は、先生のおなかの赤ちゃんのことを考えて行かないことに決まりました。本当に残念だけど、先生の分もみんなしっかり楽しんできてください。」

 子どもたちは戸惑いと驚きの反応だった。当日は学校から見送りとお迎えをした。後で様子を聞くと、子どもたちは遠足では、担任がいなくてもゆうき君もたくや君もしっかりとグループで問題なく行動していたようだった。かえって、担任がいないから、みんなしっかりするのかな……?

 後日、学年末の子どもの文集の中にこんな作文があった。

「4年生はいろんな行事があって楽しかった。(……中略……)遠足も楽しかったけど、川口先生がこれないのがいやだった。先生といっしょに行きたかった。でも、先生はお母さんになっても、川口先生のままでいてほしい。」

【通院と子どもたち】

 11月以降、定期健診や検査で月に2回ほど通院していた。午後から休みを取っての通院になっていたので、多くは専科の授業をあてていた。子どもたちには通院することは、事前に言っていたので、翌日の朝の会は病院での質問が待っていた。

「先生、病院どうだった?」

「赤ちゃんは元気だった?」

「今回は血を抜かれた?泣いた?」

「赤ちゃんはどんなかっこしていた?」

 出きるだけ子どもたちの質問にはしっかり答えようと思っていたので、病院で聞いた胎児の大きさ(身長や体重)の話をしたり、超音波でうつされる胎児の様子を話したり、場合によっては絵を描いて説明した。

「今は15センチぐらいやって。」

「足があぐらかいているのが見えたよ。こうやって……」

「なんで赤ちゃん横向きなん?そのひもみたいなん、なに?」

「へその緒って言って、このひもから栄養をもらっているみたいやで。」

「あっ!知ってる!」

「赤ちゃんておなかめ中で泳いでいるみたいやで。」

 短時間の説明だったが、子どもたちはいつも病院での報告を楽しみにしているようで、お家でも「先生の赤ちゃんこれくらいやってんて。」と、よく話しているようだった。

 11月末に通院のあった翌日、いつも通り教室に行くと、6時間目に用意してあったテストが机の上に置いてある。なんだかいつもと様子が違うな?と思っていると、女の子がよってきて、

「先生、昨日ね、6時間目誰も来なかったんよ。」

「え~?どうしたん?」

「だから、テスト2枚あるって先生が言ってたから、みんなで時間決めて1枚ずつテストして、ミニ先生にテスト配ってもらって、いつもみたいにしたよ。最後は日直がかぎしめて帰ったけど。」

「え~っ?みんなでできたん?大丈夫やった?」

「うん、ゆうき君やたくや君はいつもみたいにぶつぶつ言ってたけど、いっしょにやってたし。何もなかったで。」

「そうなんや。先生がおらんでもできるって、みんなすごいなあ。ありがとう。ほんまにありがとう。」

 後で確認してみると、学校の手違いだったことがわかった。テストも子どもが言ったとおり、しっかりと自分たちで取り組んでいたようで、1学期はお互いに無関心だった子どもたちが、担任がいなくても自分たちで決めて動いていることがとてもうれしく、子どもたちには朝の会のときにしみじみとお礼をいっていた。

 その後も子どもたちはささいなケンカや言い合いはあったが、学級の中でお互いに認め合って過ごしていた。また、休み時間もみんなで遊んだり、放課後はゆうき君やあやさんをはじめ、多くの子が公園に集まって男女ともわいわい遊んでいるようだった。また、一時期気になっていた宿題忘れも落ち着いていた。子どもたちが学級として、ひとつの集団として活動していた。

(3) 保護者との会話

 2月にあった最後の学級懇談では、学級の様子や子どものことで感じたことを話をし、3月の途中で産休に入ることを報告した。妊娠の報告から協力的な保護者が多かったので、あたたかく励ましてもらえた。

 「あやにとっては、先生と4年生最後までいられないことは残念だけど、先生が元気な赤ちゃんを産んでくれることが一番望んでいることですよ。」2学期、トラブルや宿題忘れの多かったあやさんのお母さんだった。

 「最近は、先生に心配かけないようにと、頑張っているんです。」

「うちの子は、3年生のときに転校してきて、大人しかったし、授業中もなかなか手をあげなかったけど、最近は先生の変わりに習字や絵をはったりしてるって、よく話しています。家では全然手伝わないのに。」

 読書好きで大人しいけど、身長は学級一高い子なので、私も2学期以降、頼んでしまうことが多かった。

「つい、頼ってしまってて。でも、私が出来ない分、本当に助かるのです。」

「自分しか出来ないことで、うれしいみたいですよ。」

 そういった会話をしてる中で、あるお母さんが「先生が病院に行った次の日は、家でも話してくれるんです。赤ちゃんの様子とか。男の子で兄弟もいないから、話を聞くのが楽しみみたいですよ。」と、話してくれた。その子は放課後も塾通いで、友達と関わるのが少し苦手な子だった。

「先生のおなかが、少しずつ大きくなってきているのが、楽しみだけどやっぱり不思議みたいですね。」

「最近は、自分がおなかの中にいたときのこととか聞きたがりますよ。」

「うちも。お風呂の中で動いていたこととか話すとよろこんでいました。」

 確かに、最近子どもたちとの会話に「わたしがおなかの中にいたときはこんなんだってんで。」ということが多かった。家庭で自分が生まれる前のことを聞いている子どもも少なくないようだった。

「産まれた後の赤ちゃんのときのことや、産まれたときのことは小さいときに話したことがあったけど、妊娠中ってなかなか話さないから、いいきっかけでした。先生のおなか見ながら、自分もそうだったのかな~?みたいな。」

 「前にあった性教育の影響もあるみたいですね。自分もお母さんも、先生も同じ女だったんだ!みたいな。」

 「うちの子、先生が1年生のときとは変わったて言ってました。いつもは遊んでくれていたけど、赤ちゃんができてからは遊んでくれへん。残念だけど、今は先生はおなかの赤ちゃんを守ってるんだって。お母さんもそうだったよって話したんです。そしたら、女って大変だけど、私もいっしょなんやなって。なんかうれしいって。あの、おてんばが。」

 そんな会話の中で、子どもたちは私の妊娠をきっかけに、自分自身の誕生前や命について感じたり、話したりすることが増えたのだと今更ながらに知った。

3.みんながたまごだったころ

(1) 授業の様子

 学級懇談後、子どもたちと産休まで秒読みの日々が始まった。追われる授業や行事の中で、私の妊娠をきっかけに子どもたちが感じていることを交流してみたいと、道徳の時間を使っての授業を行った。

 授業をする前に、父子家庭のないこと、家庭のプライバシーに関わらないように配慮した。

 また、1年生の生活科で自分だけの本作りで赤ちゃんのときの様子は聞いているので、かぶらないようにした。

【みんながたまごだったころ】……全3時間

目標:自分が生まれる前のことを知ろう!

1時間目 交流 宿題のお母さんへのインタビューを班で交流する。

2時間目 深め合い 発表を通じ、疑問に感じたことや共通点を見つける。

3時間目 まとめ 本の読み聞かせ「おへそのあな」(長谷川義文)
「わたしがあなたを選びました」(鮫島浩二)

各自のまとめ・感想

〈1時間目〉交流

 事前にインタビューしてきたプリントをもとに班で報告をしあった。なんだか恥ずかしそうにテレながらもあたたかに報告しあっていた。

 途中で「え~!」という声。

「どうしたん?」といってみると。「○○君、へその緒が首に巻き付いていて んて。大変やったんや。」「産まれたとき、息していなくて、お医者さんにたたかれたみたいやで。」といった話。

「先生、この班、ほとんどがさかごやってんで。」「さかごってなに?」「つわりがひどくてお母さん、入院してんて。」など、お互いの報告で大盛り上がりだった。

 その後、班ごとに「班の中で共通していたこと」「交流してはじめて聞いたり、驚いたこと」をまとめて発表してもらった。

「班の中で共通していたこと」

・おなかの赤ちゃんが元気に動いていたこと。元気に動いていたのがうれしかった。

・赤ちゃんがいると聞いてうれしかったこと。おどろいた。

・お母さんがご飯が食べられなくなったこと。

・みんなに親切にしてもらえたこと。

・産まれたときはうれしかった。

「交流して初めて聞いたり、驚いたこと」

・産まれるとき、長い時間がかかるらしい。

・赤ちゃんがおなかをけったりすること。

・つわりで気持ち悪くなってごはんが作れなくなったこと。

・途中でさかごになって、またもどったこと。

・妊娠中につわりになったり、ねむくなったり、トイレが近くなったり、大変だと思った。

・お母さんがお仕事をやめさせられたこと。

・産まれたとき小さかったので、入院していたこと。救急車ではこばれたこと。

班の中で発表の後で、全体で交流した。

「赤ちゃんがおなかで動いているときって、お母さんうれしいみたいだね。」

「うちのお母さん、お風呂でよく動いてたって話してた。」

「音楽聴いたり、話しかけたりしたみたい。」

「おなかをノックして、信号をおくっていたら、ぼくがけり返したんだって。」

「うちのとこ、妊娠して、お母さんはうれしいかったり、驚いたりしてるけど、つわりが辛かったって。」

「つわりって何?」

「食べ物の好みが変わることやで。」(……ここで担任がつわりの説明)

「先生はどうやったん?」

「先生は、果物が好きになった。ブドウが食べたくなったり、柿やりんご、今はみかん。魚はいややったなあ。でも、今は大丈夫やで。」

「私のお母さんは妹を妊娠しているとき、炭酸ばっかり飲んでたで。」

「お母さんはシチューやって。でも、しんどくて入院してん。」

「わたしのお母さん、つわりがしんどくてお仕事やめたって。幼稚園の先生やってんけど。」

「ぼくのところもやめた。」

「先生はやめへんやろ?」

「先生は少しお休みするけどやめません。でも、みんなのお母さん大変やったんやね。」

「産むとき、めちゃくちゃしんどいみたいやで。○○ちゃんのお母さん、二日かかったみたい。」

「産んだ後も大変やったって。お母さん体ずっとよくなくて病院にいっぱい行ったって。」

「ぼくのお母さん、救急車で運ばれてん。」と言ったのは、ともや君。

「ぼく、生まれたとき小さかったからずっと入院しててん。5月に産まれるのが3月に産まれてん。お母さん、毎日病院に行ってたみたい。体も弱かったみたい。」

ともや君のお母さんから産まれたときの話は聞いていた。未熟児で産まれたともや君を育てるのに、お母さんはかなり心配し、努力もしていた。

「お母さんもすごいなあ。」「反抗してたらあかんやん。」

「今はこんなにしっかり大きくなって良かったなあ。野球もやってるし。」

「お母さんが言っててんけどな、ぼくやお兄ちゃんが生まれる前に、お母さんのおなかの中で何回か赤ちゃんが死んじゃっていてんて。」

「え?」その子の発言に驚いた子も多かった。

「赤ちゃんはおなかの中で死んじゃうこともあるから、10ヶ月間大きくなって元気に産まれてくるかとっても心配やったって。」

「産むことも、赤ちゃんがおなかの中で大きくなって産まれてくることも大変なんだね。」

子どもたちの会話はなかなか尽きることがなく、みんなはいつも以上に自分のことを話し、友達の話を聞いていた。会話の様子やその後の感想から、自分たちが始めて聞く産まれる前の話、母親が自分の妊娠をうれしく思って楽しみにしていたこと、自分が生まれてきたことへのうれしさや誇りなど、素直な気持ちがあふれていた。また、友達の話を聞いて「誕生のうれしさ」を共有していた。
〈2時間目〉深め合い

前回の授業をもとに、学級全体で意見をまとめた。

「共通していたこと」

・お母さんのおなかをけっていた。

・つわりがあった。

・おなかの中に赤ちゃんがいると聞いたとき、うれしい気持ち。うれしかったり、驚いたりしていた。

・さかごもいた。

「印象に残ったこと」

・へその緒が巻き付いていた。

・おなかを切って産まれてきた子も多かった。

・予定日よりも遅い人やすごく早い人もいた。

・産まれるのに大変だった子もいれば、すぐに産まれてきた子もいた。

・おなかが大きくなるのは大変だった。

・お姉ちゃんはだっこを我慢した。

・仕事をやめたお母さんもいること。

また、みんなの話を聞いて感じたことや質問、思っていることを出し合ったりした。特に、この時間は、なぜ妊娠中はできないことが多いのか、おなかが大きいことはどういうことなのか、胎動はどんなものなのか……など、疑問を出し合うことが多かった。

「うちのお母さん、足のつめが切られないから、お父さんに切ってもらっていたで。」

「妹の妊娠中は、お父さんに足を洗ってもらってた。」

「食べるものも我慢せなあかんみたいやで。」
〈3時間目〉まとめ・感想

2時間しっかりと交流したので、最後の授業は2冊の本を紹介した。

「おへそのあな」おなかの中から赤ちゃんが感じた生まれる外の世界と、赤ちゃんを待ちわびているお母さんや家族の様子を描いた絵本。

「わたしがあなたを選びました」赤ちゃんと母親の出会いを運命のように、産婦人科医の母親への励ましの絵本。

 少し4年生の子どもには難しいところもあると思いながらも、読み聞かせした。その後、今回の授業を通じて感想をまとめた。

(感想は一部抜粋です。)

・姉も予定日より2ケ月早く産まれて、1800gしかなくてずっと入院していました。ともや君のお母さんも、私のお母さんも大変だったんだなと思いました。

・私も予定日より、小さいのに産まれそうでお母さんがお薬を飲ませられていた。大変だった。また、2冊目の本で、つわりがつらくて不安ってあったけど、お母さんもつわりがつらかったから不安だったと思った。一緒だった。

・ぼくも、もう一度おなかの中にもどりたいなあ。へその緒が首にずっとひっかかっていて、もしかしたら今ぼくはここにいなかったかもしれない。へその緒ははじめて知りました。生まれてきてよかった。

・インタビューして自分がさかごだったって初めて知りました。赤ちゃんを産むのがたいへんだったことがわかった。

・わたしは早く産まれてこようとしたから、お母さんが点滴をうって入院してたことがはじめて知った。びっくりした。

・おなかの中で産まれずになくなってしまう赤ちゃんのことをはじめて知った。自分がうまれてきてよかった。ぼくは、無事に生まれるかわからないって病院で言われたのを知った。でも、産まれたからよかった。

・赤ちゃんはおなかの中からも、いろんなことが感じられるんだと思った。お母さんが感じると赤ちゃんも感じられるんだと思った。それに、自分が生まれることが奇跡だと思うと、お母さんに感謝しないといけないなと思った。

・ぼくもお母さんのおなかの中にいたのだな。ぼくはおふろが大好きだったと知りました。自分がおなかの中にいたときは忘れているけど、いることがうれしかったと思う。

・ぼくが産まれるときに、お母さんがうれしかっ、たのがうれしかった。

【授業を終えて】

 最後の感想はたくや君だった。自分の思うようになかなかできず、自信を失いがちなたくや君。でも、「産まれるときにうれしかった」が、彼の中で大切にされているうれしさになっていた。彼は、いつも大きくなる私のおなかを優しくさすってくれて「赤ちゃん元気かな?」と言っていたが、この授業の後は赤ちゃんに話しかけているようだった

 子どもたちは感想は、初めて知った事実や友達の話、母親の負担、自分が生まれてきたことを感謝することばが多かった。

 ただひとつのこと「産まれてきた」その事実そのものが素晴らしいことで、大切なことなんだと気づいていた。おなかの中からずっと大切に守られてきた。そのことが、子どもたちに生まれたことに対する誇りと、安心感を感じたようだった。

(2) まとめ……授業後に見えてきたこと・感じたこと

 授業そのものは2月末から3月の授業や行事に追われる時期だったが、学級がひとつにまとまった時期でもあったので、子どもたちは照れはありながらもお互いに気持ちよく自分のことを話し合えた。また、子どもたちも担任の妊娠からずっと気になっていた「命」や「出産」に対することを、お互いに学び合えた。私自身も子どもの誕生の様子を知ることで、保護者の背景にあるものに少し触れたようだった。

 授業を行うとき、「生まれたことへの感謝をする」という結末は担任が導かないようにと思っていた。ただ、子どもたちがお互いの交流をする中、母親の負担を知ったことで自然に感謝の言葉が感想となっているようだった。そして「自分たちも生まれる前から守られてきたこと」「命が誕生することは簡単なものじゃないこと」を知り、何よりも「産まれたことそのものが大切なんだ」といった安心感を抱けることができた。

 きっかけは担任の妊娠であり、子どもも私もそれを意識していたが、結果として子どもたちが自分自身や家族に想いをよせることができた。これから思春期に入り難しい年頃に入る前の10歳のときに、自分の誕生や家族について考えることで、子どもたちの成長の自信につながって欲しいと感じた。

4・おわりに

 産休に入る最後の日が近づいてきた。その前の週に

「先生は来週で最後になります。赤ちゃんを産むためにお休みします。」

と、子どもたちに報告していた。子どもは知っていたけど少し複雑な顔。そのとき、ゆうき君が「先生、ほんまはしんどいんやろ?がんばらなあかんのやろ。」 と一言。その言葉の中にある心配げな表情に思わず涙が出そうになった。

「でも、先生は無事に元気な赤ちゃんを産んで育てることがお仕事やねん。がんばるわ。みんなのお母さんもがんばってきてんから。」

といった会話をした。

 そして最後の日、子どもたちは励ましの言葉とともにみんなで用意した手紙の束をプレゼントしてくれた。

「病院に行くとき、持っていってや。」

「元気に産まれたら教えてな。」

子どもたちは暖かく送ってくれた。

 その後、手紙の中には

「先生が結婚するって聞いたときよりも、赤ちゃんが出来るってきいたときのほうがびっくりしたけど、めちゃくちゃうれしかったです。」

「先生の赤ちゃんには38人のお兄さんとお姉さ んがいるね。」

「あやはもう、大丈夫です。元気にがんばるので、 先生もがんばってください。」(あやさん)

「ぼくよりも大きな子をうんでね。」(ともや君)

「元気な赤ちゃんを産んでください。ぼくは勉強します。暴力やめます。約束します。」(ゆうき君)

 ゆうき君とはあえてその約束はしないようにしていた。ただ、ゆうき君自身がそのようにいってくれたことが、とてもうれしかった。彼の気持ちが変わったのは、担任のことだけではない。

 彼の最後の文集には「4年になって友達が増えた。友達といると楽しいと思った。友達が大切だった。友達が増えた。ぼくは暴力をやめた。だから暴力はやめるようにした。いまでも少しするけど、友達がいるからやめたいと思う。」実際に5年生になった今もその決心を大切に、学校生活を満喫しているらしい。

そんな中である子は……。

「先生がやっぱり一番です。苦手なプールのとき、中に入って一緒に手をひっぱってくれたりしたからです。」という言葉があった。確かに、今まで出来ることは子どもと一緒にやってきたけど、今回の私の妊娠では反対に学級の子どもたちが一緒に『39人目のなかま』として支えてくれていた。日々大きくなっていくお腹で、できないことも多く、もどかしくて戸惑う担任を引っ張って励ましてくれていた。

 ちなみに、今回のことで、私の勤務先では久しぶりの妊娠出産であったが、現実に妊娠や子育て世代が増えてきている。現場の多忙化や結婚・出産は自己責任のような社会の風潮の中で、働く女性にとって安心して出産・子育てできる環境・職場であること、年月をかけて築いてきた母性保護のしくみを支えていくことも非常に大切だと痛感した。

 妊娠や出産・子育てを通じての経験もまた、人間としても教師としても成長できること、子どもや保護者とともに学ぶことができるものだと感じた一年間だった。

(※ 個人名は仮名です。)
大教組教研レポート(ジェンダー平等と教育) 2010年11月

まさしく作文教育の出番

まさしく作文教育の出番

土佐いく子 (なにわ作文の会)

 三年目の若い先生から電話です。

「今日、懇談会で親にいっぱい言われて明日学校に行くのが恐いです。『うちの子が時計わからんで”算数がキライだ”と言ってるのに、なんで先生は先々進むんですか』と言われて…。私も必死にやってるんですよ。ていねいにやってたら『あんたのクラスは進度が遅れてる』って主任に言われるし…。もうどうしたらいいかわかりません…。」と泣くのです。

 その電話を置いたとたん、また別の方から相談メールです。

「子どもが立ち歩いたり私に暴力ふるったりするのは、私の指導が甘いからだ。『あなたは優しすぎる!もっとシメなあかん』と言われ、これからどう指導していけばいいかわからなくなりました。」  なんと、いま学校の帰りだと言うのですが、夜の十時半です。こんな若い先生方だけでなく、みんなくたくたヨレヨレ、疲れ果てていて、異常な教育現場になっています。

 それでも子どもたちは、今日もランドセルを背負って学校へやって来ます。

「なあなあ先生!あの歯やっと抜けたで」と大事そうにティッシュでくるんだ歯をポケットから出して見せてくれます。

「先生、げじげじっていう虫、知ってる?私きのう見つけたで。げじげじしてたわ。」

「きのうな、妹お母さんにめっちゃ怒られて、髪の毛つかんで風呂につっこまれてたわ。」

 聞いてもらいたい話をいっぱい持って、子どもたちは学校にやって来るのです。どの子も自分を表現したい、そしてそれを受け止めてほしいと願っています。

 毎日宿題はしてこない、またまた朝からケンカが始まる三年生のまあちゃん。久しぶりに日記帳を出してくれてありました。

「日よう日、夜の十時ぐらいになったら赤ちゃんが泣いてこまった。それでミルクの作り方がわからんかったから、だっこをして一時間かかってやっとねた。けど、つかれてふとんに入ったら、また泣きそうになって、トントンしてやった。しんどかったです。」

 夜の十時になっても仕事から帰らぬ両親を待ちながら、三年生の子が八ヶ月の弟の面倒をみている暮らしがここにあります。

「一人で弟の世話ようがんばったなあ。さすが兄ちゃんや。えらかったね。」 と頭をなでてやると、満面の笑み。

 こんな日記を教室で読むと、にぎやかな教室が静かになって、友だちの暮らしと言葉に耳を傾けてくれるのです。そして、朝の教室に共感の空気が流れます。

 子どもたちは、ランドセルの中に教科書やノートだけでなく、こんな暮らしを背負って学校にやって来るのです。それを受け止め、わかってくれる先生や仲間がいたら、子どもたちはどんなにか生きやすくなるだろうかと思うのです。仲間と夢中になってエスケンやドッジボールに興ずるまあちゃんは、”今日も学校に来てよかった”と満たされた笑顔でした。

 子どもたちは、こんな生きにくい時代にあっても、明日に向かってけなげに生きています。

 学校はその子どもたちを励まし、生きる希望を届けるところなのです。だからこそ、先生たちは親と子の願いに耳を傾け、子らの明日のためにいい仕事がしたいと必死に学び、命を削る思いでがんばっているのです。そんな真面目な教職員の力で、今の日本の教育は支えられているのです。

 しかし、この仕事、そうそううまくはいかない今日です。子どもがかわいいと思えなくて、キレてしまう自分に落ち込みます。

「ぼくなんか生まれてこんかったらよかったんや」と叫ぶ子の心に何があるのか、あの子はなぜあんな行動をとるのだろうかと、毎日悩み続けます。やればやるほど学級が空回りしてうまくいかなくて…。勉強がわからなくて騒ぐ子らを前に、教材研究をしたいと思うのにその時間がないのです。毎日湧いてくるように次々と出てくる仕事に終われます。ひとつひとつ目の前の仕事を消化するだけで必死で、何が大事なのかを見失いかねない現場です。

 私たちに今何がこそ求められているのでしょうか。

 一つ目は子ども観が問われています。今日の子どもをどうとらえるのか、どうしたら、子どもの本当の姿が見えてくるのか。

 二つ目は、子どもたちの人間関係をどう作っていくのか、そして学級という集団をどう創造していくのか。

 三つ目は、人間形成と学力の鍵を握っている言葉の力と自己表現力をどう豊かにつけていくのか。

 四つ目は、親を「モンスター」などと敵対視せず、共同でどう子育てをすすめていくのか。

 そうです、まさしく作文教育の出番なのです。戦前から営々と積み上げられてきた生活綴方教育(作文教育)は、今日求められている子ども観を豊かにしてくれます。現象面では攻撃的で不安定な姿を見せる子どもたちの中に、まっとうに育ちたい、大事にされたい、かしこくなりたい、友だちと仲良くしたいという人間的な願いをきちんと読み取るということなのです。

 子どもは今も子ども心を失わないで、この時代を懸命に生きているのです。

 そして、作文を書き、読み合うことを通して自分の生活を振り返り、自分の生き方を見つめ直します。同時に友だちのくらしや生き方に共感し、理解を深めます。そして人として結び合い学級という集団が創られていくのです。作文教育は、集団作りに大きく寄与してきた教育なのです。さらには作文教育は、ことばで自己を表現し、コミュニケーションし、ことばで思考・認識し、自己をコントロールしながら、人を人として育て学力の礎を築くのです。

 そして、きびしい暮らしの中で汗と涙を流し、子育てに悩む親たちとの共同を可能にしてくれるのです。親もまた子どもの作文の中に子ども発見をし、元気をもらいます。そして学校が好きになり、友だちと楽しく遊び、学ぶことに意欲をみせるわが子の成長を真ん中に、親と教師の問に共同と信頼の関係が生まれるのです。

 この実践集は、どの先生も子どもたちと格闘しながら、しかし作文教育に元気をもらって自らも成長している実践の記録です。

 読み終わったときには、“ああわかるわ、一緒だ”と安心もし、きっとわがクラスの子どもたちを見つめ直し、いとおしくなることでしょう。そして、こんな作文教育なら私もやれそう、やってみたいと元気が湧いてくるにちがいありません。

 若い仲間もベテラン教師の実践もいろいろ紹介されています。小学校低学年、中学年、高学年、そして思春期、詩、障害児教育、さらには子どもの作文をどう読むのかを語り合った「作品研究」と多様な実践記録が紹介されています。どこからでも読み進めてください。きっと明日からの実践にあかりが見えてくるにちがいありません。

この文章は「“ぼくも書きたいことあるねん”-どっこい生きてるなにわの子-」(なにわ作文の会編 本の泉社2010年)の序文「はじめに」の文章です。タイトル「まさしく作文教育の出番」はWeb人権教育事典の管理者がつけました。
2010_bokumo

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チョコレートから世界が見える

チョコレートから世界が見える

-チョコの味を知らない子どもたち-

社会科6年

一、はじめに

 私たちにとって身近な食べ物のチョコレート。このチョコレートから歴史や現代社会の問題点が見えてきます。

 カカオ豆やコーヒー豆などの生産に、小さな子どもが従事している現実があります。児童労働です。

 テレビでアフリカなどの貧困な生活実態の番組があったり、世界の貧しい子どもたちを救おうと募金などを呼びかけている団体があったりします。それはそれで大事なことだと思うのですが、彼らの貧困な生活に私たちの生活がきわめて密接につながっている観点がそこにはありません。

 二月。バレンタインデーが近づくと日本中のお店でたくさんチョコレートが並べられます。安さをうたうチョコ。一方、一粒いくらと高級感をうたうチョコ。

 そんな情報のみがバレンタインデーを前にして報道されます。小学校高学年ともなると、バレンタインデーを意識しだす子どもが増えてきます。

 チョコレートの糸をたどっていくと、いろんなことが見えてきます。

● チョコレートが、何から、どのようにつくられているのか

● カカオ豆が西アフリカで、なぜ、たくさんつくられているのか-チョコレートの歴史について

● チョコレートをめぐる現代の問題点-日本人の生活に関わって

 卒業を前にした六年生の子どもたちと、こういったことを考えたいと思い実践をおこないました。

二、授業計画

 六年生四クラス。三学期の総合の時間を使いました。どのクラスでもできるように、授業プリントを作成し、授業をすすめました。授業計画では八時間の予定でしたが、実際には九時間を使って指導しました。

一時 チョコレートを知る
 -カカオマス・カカオバターの味を知る

二・三時 チョコレートづくり
 「カカオマス、カカオバターを使って

四時 チョコを食べる国・生産している国

五時 カカオの生産国とそれらの国の共通点

六時 チョコレートの歴史

七時 チョコレートと私たちのかかわり
 「世界がもし一〇〇人の村だったら4」視聴

八時 チョコレートと私たちのかかわり-児童労働

三、チョコの授業

①「貯古齢糖」チョコレートを知る

 一月下旬。「チョコレートについて、勉強します」と宣言。子どもたちから「なんで、チョコレートの勉強をするの?」当然の疑問が出されました。しかし、ここでは、その理由は説明しないで、「最後になぜ勉強したのかがわかるよ」と伝えて授業に入っていきました。

 「チョコレートを食べたことのある人?」と尋ねると、全員が手を挙げました。子どもたちにとってやはり身近な食べ物です。

 日本には明治時代になってからチョコレートが入ってきたことを話し、当時は、「チョコレート」を漢字でどのように表していたのか問いました。小学校漢字をすべて学習した子どもたちは、さまざまな漢字で表してくれました。完全な正解は出ませんでしたが、「固」「糖」など、意味も考えながら、いろんな当て字を発表してくれました。

チョコレートは、何からできていると思いますか。

 この発問には、“?”の反応の子どもたちが何人もいました。「チョコレートは、チョコレートやん。」という声も出てきました。しかし、最近のポリフェノールブームで「カカオ豆」という声も出てきました。

 授業最後の感想にも「チョコレートがカカオからできるなんてはじめてしった。」と書いている子どもが何人もいました。チョコレートが何からできているのか考えたことなどなかったようです、

 この授業に向けて、私が意識的に食べたチョコレートの包み(パッケージ)を教室に用意しました。チョコレートが何でできているのか材料名を確認するためです。

 市販のチョコレートには、植物油脂・乳化剤・香料といったものが入っています。フェア・トレードのチョコレートにはそういったものは入っていません。フェアトレードチョコの包みも用意して、共通に含まれている材料を確認しました。ホワイトチョコレートを除けば、共通して入っている材料は次の四つです。

カカオマス カカオバター 全脂粉乳 (粉)砂糖

 子どもたちは、カカオマスもカカオバターも見たことがありません。インターネットのお菓子材料の店で購入したカカオマス・カカオバターを教室にもちこみました。

 色はチョコレートそのもののカカオマスに、甘い香りのカカオバター。それぞれ少しずつかけらを味見をさせると、どの子も「これが、あの甘くおいしいチョコレートのもとの味なのか!」とびっくりするくらいマズイ!というリアクションが返ってきました。

②チョコレートづくり

 グループごとに四つの材料でチョコづくりをしました。カカオマス・カカオバターは塊で、事前に、学年の先生と一緒にグループごとにビニールに細かく刻んで分けておきました。塊だと湯煎して溶かすのに時間がかかるためです。

 前時に味わった味を忘れられないでいた子どもたちは、チョコ作りを楽しみにしていたものの、味には決して期待をしていないようでした。

 しかし、材料を湯煎して、混ぜていくと、日ごろ食べているチョコと同じような香りがしてきました。ちょっとなめてみると「おいしい」「甘い」という反応があちこちのグループから返ってきました。味見と称して、次々とぺろぺろとなめだす男子が出てきました。

 二月といっても、湯煎してとかしたチョコが固まるのには時間がかかります。すぐにチョコが食べられるように、自宅から持っていった冷凍一ロバナナにとろけたチョコをつけると、すぐにチョコレートが固まりチョコバナナができあがりました。舌触りにざらざら感はあるもののチョコらしい味になりました。残りのチョコは、アルミのケースに入れて冷蔵庫に入れて冷やし、放課後に持って帰りました。このチョコ作りは、子どもたちに好評でした。

③チョコレートに関係する国々

2007_choco_g1

 チョコレートを食べる国・生産する国、カカオを生産する国を予想させた上で、グラフや表を示して、地図帳でこの国の位置を確認して白地図に色塗る作業をしました。

 白地図からチョコを消費している国の共通点を問うと、「ヨーロッパ」「北側の国々」という答えが返ってきました。

 チョコ生産国の共通性は少しみつけにくそうでした。ブラジルを除いて共通点を見つけるように指示すると「北側の国」「先進国」といったこたえが返ってきました。

 カカオ豆生産国はサッカーW杯などで聞いたことのある人もいましたが、多くの子にとっては、聞いたことのない国の名前がたくさんです。白地図に色を塗っていくと、ものの見事に傾向が見えてきました。「赤道近くの国」「熱帯地域の国」という共通点を見つけ出すことができました。

 その中でも、コートジボアール、ガーナ、カメルーン、ナイジェリアと世界の七割の生産を担っているのがアフリカ(西アフリカ地域)です。

④チョコレートの歴史

 西アフリカ地域でカカオ豆が生産され出して百数十年にしかなりません。カカオ豆の原産地は中南米です。世界の植民地支配の歴史がカカオ豆を通して見えてきます。

 アメリカ大陸に上陸したスペイン人がアステカ国王からチョコレートの飲み物(ショコラトル)を与えられたことや、カカオ豆が貨幣の役割もして非常に高価に取引されていたことを本国の国王に報告し、カカオ豆栽培を進言します。そしてヨーロッパ上流階級の中で、飲み物「チョコレート」が広がっていきます。

プリントにおはなしにして、まとめたものを子どもたちに読みました。

 カカオ豆の実物が手に入らないか、チョコレート会社数社に問い合わせ、一社がサンプルとしてカカオ豆を送ってくれました。カカオ豆の実物を子どもたちに見せて授業しました。一つぶ二~三㎝のカカオ豆百粒で人間(奴隷)が売り買いされていたことに子どもたちはおどろいていました。

 一六世紀~一八世紀中頃、中南米各地でカカオの栽培がはじめられていく年表を配布しました。

 誰がこの時期カカオ豆を作っていたと思いますか。

 この質問に、ふつうに農民と考えていた人、現地の人(もちろん原住民もカカオ栽培に関わっていたようです)と考えた人もいました。

 実際は、アフリカから連れてこられた奴隷です。

 一九世紀の初頭になると人権意識の高まりの中、イギリスやアメリカで奴隷貿易は禁止されていきます。

 しかし、形をかえて西アフリカで現地の人々を使って、カカオ豆が栽培されるようになっていきます。これが、現在のカカオ豆栽培につながってきています。

カカオ豆の栽培にかかわる年表
1492年  コロンブス アメリカ大陸に到着
1519年  スペイン コルテスがメキシコに上陸
1526年  スペイン、最初のカカオ豆プランテーションをトリニダードで始める
1560年  カカオの樹の栽培がエクアドル、ベネズエラなどで始まる
同年  スペインは、インドネシア(ジャワ島)にカカオを知らしめた
1635年~40年  ジャマイカに伝わる
1665年  ドミニカに伝わる
1740年  ブラジルに伝わる
1807年  (イギリスの奴隷貿易禁止決定)
1808年  (アメリカの奴隷貿易禁止の決定)
1833年  (イギリスの奴隷制廃止の決定)
1830年~1907年  西アフリカ地方に拡がる

⑤チョコレートと私たちのかかわり

 かつては、中南米に連れていった奴隷や植民地支配下のアフリカで人々を使って栽培されてきたカカオ豆。現在、ガーナやコートジボアールといったところで栽培されているカカオ豆について質問しました。

 現在、だれが、どんな人たちが、カカオ豆を作っていると思いますか。

 返ってきた反応は、農民、奴隷、アフリカの人々という声。

 そこで、土曜プレミアム『世界がもし一〇〇人の村だったら4』(〇六年六月放映)の番組の中のカカオ農園で働く兄弟のビデオを見せました。

 授業後の子どもたちの感想からもわかるように、自分たちよりも小さな一一歳、六歳の兄弟が学校へも行けず、厳しいカカオ栽培に従事しているという事実はショックだったようです。

 小さな子どもたちが働かされている=「児童労働」が世界に二億人以上いることを伝えるとびっくりしていました。予想では、ほとんどの子が一億人もいないと考えていました。まさか、日本の総人口以上の児童労働が今、世界であるとは予想しなかった事実です。

 この児童労働をなくすためにFIFA(国際サッカー連盟)ではW杯で使用するボールを子どもが作ったものを使用しないと九八年から決めているという話をしました。世界で様々な行動・運動が少しずつひろがってきていることを伝え授業を終わりました。

四、子どもたちの感想から(一部抜粋)

○ チョコレートのことなんか、ぜんぜん考えたことがなくて知らなかったけど、ビデオなどを見ていっぱい初めて知ったことがあった。カカオ生産国や消費国などいろんなところの国がでてきた。カカオを作っているのは貧しい子どもってことは、びっくりした。その子どもは何になるか知らないでカカオを作っていることもびっくりした。W杯に出た国がほとんどだった。最後のほうはW杯の話が出てきたので楽しかった。

○ チョコレートは身近な食べ物でどういう風にできるかも興味がなかったけど、こういうことを勉強してから、カカオ豆を採るのに、児童労働があって大変だと思いました。今度からチョコレートを食べるときは、このことを思い出して味わって食べたいと思います。

○ ガーナやコートジボアールの子は、チョコレートの味も知らなくて、チョコレートってどんなもの?と聞いてるぐらい知らないと知ってかわいそうだと思いました。私は当たり前にチョコレートを食べてて、ああ何も知らずに食べていたんだなあって思いました。

○ いつも何気なく食べていたけど、どこで作られているのか、どんな国でどんな人が作っているのか、なんて考えたこともなかった。私たちは、いつも何も考えないで、食べたり買ったりしていたけど、作っている子供たちは「学校に行きたい」とか「親に会いたい」「勉強がしたい」と、私が当たり前だと思っていたことを思っていると知ってすごいくらい気持ちになった。

○ こんなに世界がわかるとは思いませんでした。普段、普通に食べているチョコレートについて、いろいろ調べると、不思議な感じがしました。私は作っている人が子どもだなんて思いませんでした。カカオ豆を取るのは、危険そうだったけど、その仕事を私より年下の子がやっているなんて、かわいそうでした。学校に行きたくても行けないのは、私たちにはありえないことで、どうしてみんな子供が平等じゃないんだろうと疑問になります。できれば、チョコレートを食べさせてあげたいです。

五、指導を終わって

 この授業は二年ほどあたためていたものです。授業案(授業プリント)はほぼ仕上がっていましたが、実際に授業するということで、本物のカカオ豆も手にしたくなりました。実際にカカオ豆のサンプルを送ってもらい。この豆が奴隷と交換されていたのか感慨深く見つめました。そして、この豆を四〇℃くらいの温度で湯煎してすりつぶすと「とろーり」ととろけてカカオマスになったのです。中南米の文明都市でカカオ豆をすりつぶし、それを飲料「ショコラトル」として愛飲していたことを私自身追体験しました。

 卒業まぢかの時期にこの授業をくみました。

 クラスとしては三学期あまり落ち着いていたとはいえないのですが、小学校で学習してきた力、身につけてきた力が試される時です。年表やグラフの読み取り、白地図の作業、歴史的な時代の把握など六年の三学期の時期だからこそ可能だったと思います。今年五年を担任していて感じることは、社会的な関心、地図を使い、よむ力、世界の国々の知識など、授業の反応や感想を見ると、六年生ってすごいなあと、あらためて感じます。

 プリントにした「おはなし」の内容などは六年生で もちょっと難しいと感じる部分があります。中学生や 高校生でも、いえいえ大人でも知らないことなので “知ってビックリ”の内容だと思います。

 この授業プリントは集団的な検討はなく、私個人がさまざまな資料を元に作ったものです。内容、文章、発問などいろんなところで課題があるかもしれません。

 批判的な検討をいただいて、また、私自身六年生の子どもたちといっしょに学べたらと思っています。

出典:「どの子も伸びる」2007.11./部落問題研究所・刊

スーホの白い馬

スーホの白い馬

文学の授業(二年)

一、学級の子どもたち

 山々に囲まれた本校に赴任してきて初めて出会った子どもたちです。男子一八名女子一八名で、人なつっこく、好奇心旺盛で元気いっぱいのクラスですが、一人ひとりをみると、いろいろ問題をかかえている子もあり、学級集団としては大変しんどい(特に話が聞けない、勝手な行動が多い)状態でした。

 そこで、次のような取り組みをしました。

① 朝の時間に毎日読み聞かせをし、ゆったりとお話の世界に入り込み、楽しむと同時に、集中して聞いたり考えた りする。

② 毎日、「お話タイム」をもち、日直さんにみんなの前で、したこと思ったことを話してもらう。

③「お話ノート」と称して、生活を綴らせ、自分の生活を思い起こし、考えると同時に学級通信にのせ、みんなで読み合いお互いをよりよく知る。

 これらの取り組みを通して、子どもたちの中に少しずつ成長が見られ、学級としてもおちついてきました。いつも初めは、ひろい読みしかできない孝典君がお話に興味を持ち、図書館で本を借りて休み時間本を広げるようになりました。作文や図工の時、いつまでも何もしなかった直樹君が遊んだことを少しずつ自分で綴れるようになりました。

 またふだんよくしゃべっていても、授業中の発表や本読みになると、一言も声が出ず泣いてしまう魁君が、自分から手を上げ発表しようとするようになりました。友達に「遊ぼう。」「一緒に帰ろう。」と声がかけられなかった美咲ちゃんが教室でも大きな声で友達と話していたり、学校の帰り約束をして、いろんな子と遊べるようになってきました。

二、子どもと教材

 「スィミー」や「くまの子ウーフ」、「お手紙」などの文学教材にも取り組んできました。文に即して読みとりながらイメージをふくらませ、登場人物に共感しながら読み深めていきました。仲間の中で生きるということ、お互いの思いやりや、やさしさを意識し始めた子どもたちですが、日常の生活の中で、何気なく言った一言や、ふざけてやったことが友達を傷つけてしまうことや、それがもとでけんかになってしまうというようなことがよくあります。そんな子どもたちに、スーホと白馬の愛情がどんなものなのか文学体験し、本当に人を大事にするとはどんなことなのか考えるきっかけになってほしいと思い、この教材に取り組みました。

 この教材は、二年生にしては長文なので場面ごとに毎日読む練習をし、本読みカードで家庭学習として、おうちの方にも協力してもらいました。声に出して読むことが好きになった子が多く、特に会話文においては、殿様らしく読むという工夫もできるようになり、登場人物の心の動きやその場の様子をイメージ化しやすくなりました。

 手がかりになる言葉や大切な文章には、線を引き、自分の思いを書き込むこともしてきたので、少しずつ自分の思いが自分の言葉で発表できるようになってきました。さらに、友達の意見にも耳を傾け、認め合ったり、共感し合ったりしながら読み合っていきたいという思いで取り組みました。

三、教材について

 この物話は、モンゴルの大草原を舞台に展開される貧しい羊飼いの少年スーホと白い馬を中心とした悲劇です。今でもモンゴルに伝わる「馬頭琴」という楽器がどのようにしてできたのかという由来を語る形式で始まるのですが、この馬頭琴によってモンゴルの人々の限りない願いや抵抗のエネルギーが現代にまで語り伝えられてきているということを心にとめて読み進めていきました。

 また、少年スーホが広い草原の中で遊牧民として働き、がんばって生きる姿を子どもたちにイメージ豊かにとらえさせるためには、絵本の挿絵やビデオなどの助けが有効でした。

 この話は、スーホと白馬の心の交流・愛情の深まりを描きながらすすめられています。優しいスーホは、白い子馬の命を助け、心をこめて育てます。白馬も命を懸けてスーホの羊を守ることや競馬の大会で力いっぱい走ることにより、スーホの愛に応えていきます。そして深い愛情や強い信頼が生まれてきます。単に飼うものと飼われるものという関係をのりこえて、お互いに信じ合う兄弟のように楽しく幸せな時をすごしたのです。

 しかし、そんな幸せを壊したのが権力者=殿様でした。

 外見や職業だけでいやしいと判断したり、約束などはおかまいなしにほしいものは力ずくで奪い取るなど、権力をかさにきた殿様の無法で横暴な態度は、スーホとのやりとりの会話文や殿様の行動の一つひとつに表現されています。

 これらの違いを比べたり、会話文の音読を工夫したりすることによって殿様の非人間性や理不尽さを読みとっていくようにしたいです。

 強引に引き裂かれた白馬は、瀕死の状態になりながらも命がけで大好きなスーホのもとへ帰ってきます。が、スーホの願いも空しく力尽きて死んでしまいます。そして夢の中でも心を通い合わせるスーホと白馬、権力者のどのような権力をもってしても、たとえ引き裂かれても、殺されても断ち切ることのできないスーホと白馬との深く固い絆は、読み手に深い共感を与えます。こんな悲劇の中で生まれてきた馬頭琴は、美しい音色と共にモンゴルの草原に広がり、現代にまで伝えられているのです。

四、思想

 相手のことを思いやり、心をこめて尽くすことで生まれた深い愛情や絆は、どんな権力者の横暴な行為をもってしても断ち切ることはできない。

五、初めの感想

 スーホは、大好きな白馬を売ってたまるかと思ったんだろうなあ。でもぼくだったらそんなゆう気はないから、とのさまにあんなふうにぜったい言えなかったと思う。そして、スーホが大切にそだてた白馬をころされてくやしいだろうなあ。 (将和)

 さい後に、スーホの白い馬はすごくかなしい思いで死んじやったんだね。けい馬でかったのに、ほうびをもらったのでなく、白い馬をうばわれてしまうなんてひどい。けい馬に出て、何でころされないといけないのかなあ、かなしい思いはきえないね。 (篤志)

 スーホはやさしい人だと思う。白馬はとのさまたちにやられたからかわいそう。スーホは、白馬をとられてころされてすごくいやだっただろうな。スーホは白馬が大すきだっただろうな。 (美咲)

 白馬、きみの気もちわかるよ。きみはスーホに会いたくて会いたくて、いのちをふりしぼってスーホのところに帰ってきたんだね。スーホ、夕方にもがいている子馬を見つけていっしょうけんめいそだてたのに、とのさまにうばわれて、ころされてかなしかっただろうね。 (大志)

六、指導計画(全一五時間)

第一次 はじめの読み(三時間)

 初めの感想・難語句の説明やモンゴルについて知る(ビデオ視聴)場面分け、あらすじをつかむ。

第二次 たしかめ読み(一〇時間)

 前書き、(一)~(二)の場面、後書きを読む。

第三次 まとめ読み(二時間)

 スーホと白馬の愛情について話し合う。終わりの感想を書き、交流する。

七、授業

本時の目標

 傷つきながらもスーホのもとへ帰り、介抱のかいもなく死んだ白馬の様子を読みとり、スーホと白馬の結びつきの深さ、愛情の強さを感じとる。

授業の記録

T さあ、「スーホの白い馬」の勉強を始めましょう。

 昨日勉強した場面をみんなで思い出してみましょ う。 (模造紙にまとめた板書図を見て、前時をふり返る。矢がささっても走り続けている白馬に書いた感想を読む。)

白馬、矢がささっていたかっただろうね。よくがんばったね。白馬は強いね。矢がささってもしなないで走れるなんて、白馬とスーホの心はつながっているんだね。 (真優)

白馬はえらいなあ。ぼくはきっと大好きなスーホのところへ帰れると思うよ。がんばれ。(直樹)

ぼくは白馬にこう言ってほめてあげたいな。「家来たちに何本も矢をさされたのに、よくがんばってスーホの家に帰ってきたね。白馬はスーホと約束したんだもんね。どんな時でもいっしょだよって。」 (知士)

T じゃ、今日は、白馬が走り続けて帰ってきた晩のことを勉強しましょう。初めに今日の場面を読んでみましょう。 (読みの苦手な子にできるだけ多く読む機会を保障するため、全員各自音読した後、指名読みする。)

T まず、その晩のスーホのことについて考えてみようね。その晩、スーホはどうしましたか。

篤志 ねようとしていた。

愛実 カタカタと音がしたから「だれだ。」と言っても返事がなかった。

宏隆 「白馬だよ、うちの白馬だよ。」と言った。

子(数人)それは、おばあさんが言ったんだよ。

T そうだね。おばあさんがさけび声をあげたんだね。

麻夏 歯を食いしばりながら白馬にささっている矢をぬきました。

健人 その前に「スーホははねおきてかけていきました。」があるよ。

信吾 スーホは「白馬、ぼくの白馬死なないでおくれ。」と言った。

T その晩、スーホがねようとした時、カタカタと音がしておばあさんの声にはねおきてかけていくと、矢のささった白馬がいて、歯を食いしばりながら矢をぬいたんだね。じゃ今読みとったところで、スーホについてもう少し詳しくわかること思ったことを話して下さい。

由紀 「ねようとしていた」というところで、スーホは白馬がいなくなってからねる時もずっとさびしかった。ずっと白馬のことばかり考えていたと思う。

宏隆 ぼくは「はねおきて」のところで言いたい。「はねおきて」やから、びっくりしてかけていった。

T 普通やったら何て言うかな?

C (数人)おきて。

香帆 スーホは白馬のことをずうっと考えていたでしょ。だから「白馬だよ」というのを聞いてびっくりしてはねおきていった。

知士 それに「かけていきました」やからすごく速く外へ行った。

由衣 白馬は殿様にとられたはずなのに、自分のところに帰ってきたからびっくりしてかけていった。

悠 そしてやっと会えたと思ってうれしかった。

愛実 もう絶対白馬に会えないと思っていたのに会えたから、スーホはすごくうれしかった。

健人 よっぽどうれしかったと思う。

大志 スーホと白馬の心はやっぱりつながってたんや。だから会えたんや。

T そうだね。スーホはまさか白馬が帰ってくるとは思ってなかったから驚いた。そしてうれしかった。でも見ると、その体には、矢がささっていたんだね。

信吾 ぼくは、「はを食いしばりながら」というところで、いやいやそうにしている感じがする。

T 何で、いやいやそうにしている感じがするの?

信吾 白馬が死んでしまいそうやから、やりたくないねん。

秀明 矢をぬいたら痛くて白馬はかわいそうや。でもせんとしょうがない。

(いやいやそうにという言葉が意外だったが、「つらいのをがまんして」という意味なのだろう。)

篤志 白馬にささっている矢がかたいねん。

拓也 うん、それですぐぬけないから歯を食いしばっている。

慧祐 スーホは、殿様に白馬が矢をうたれてその矢で苦しんでいるのを見たくない。

T なるほど、矢が白馬の肉に食いこんでいて簡単にぬけないんだね。でもそのままにしていたら傷はもっとひどくなるから、歯を食いしばって矢をぬいたんだね。

大志 ぼくは、白馬は殿様の家来にやられたんだから、「殿様め、こんなことをして。」と思ってぬいたと思う。

将和 殿様はスーホから大好きな白馬を取り上げといて、矢をうって白馬にひどいことをしたから、スーホは腹が立ってる。

綾未 「ぼくの大切な白馬をこんなことしてひどい。」と思つている。

T なるほどなあ。 (歯を食いしばり一本一本矢をぬく様子からスーホの殿様への怒りを感じている子もあった。)

T では、今度は、走り続けて帰ってきた時の白馬の様子について考えてみよう。白馬の様子がわかるところを発表して下さい。

恵里佳 「カタカタ、カタカタ」と音をさせて帰ってきたことを知らせてる。

美咲 「あせが、たきのようにながれおちています。」

拓也 もうちょっとつけ足しがある。「その体には、矢が何本もつきささり、あせが、たきのようにながれおちています」です。

いづみ 「ひどいきずをうけながら、走って走って走りつづけて大すきなスーホのもとへ帰ってきたのです。」

亜香音 「きず口からは血がふき出しました。」

沙恵 「息はだんだん細くなり、目の光もきえていきました。」

(子どもたちの発表した文をはっていく。)

孝典 「つぎの日、しんでしまいました。」

T そう、これは、次の日だね。

(「つぎの日」と板書する。)

大志 もう思ったこと言いたい。いっぱいあるねん。

宏隆 ぼくも早く言いたい。

T そうか、白馬のことについて思ったことやわかったことがみんないっぱいあるねんな。じゃ、早く言いたいという宏隆君からどうぞ。

宏隆 白馬はスーホにどうしても会いたかったから走って走って走り続けたんや。

絵里 「矢が何本もつきささり」やから、矢がいっぱいささってかわいそう。

孝典 絵見たら四本やで。

秀明 反対側にもささっているで。

T そうだね。「何本もつきささり」やから、たくさんささっていたのだろうね。

綾未 矢がささって痛いのをがまんして、痛くても止まらないで走ってきたから、汗が滝のように流れてるねん。

愛実 「あせが、たきのように」のところで体じゅうに雨がふったみたいにいっぱい汗が出てる。

綾奈 痛いし、しんどかっても、息がきれそうになっても大好きなスーホのところへ早く帰りたいから、走って走って走り続けた。

将和 白馬は死ぬ前に絶対スーホに会いたいと思って一生けん命走り続けた。

T 「あせが、たきのように」や「走って走って走りつづけて」の言葉をみんなよく読みとったね。じゃ次を読もう。

翔太 「きず口からは血がふき出しました」のところで、矢をぬいたから、プシューと血がふき出した。

篤志 「ふき出した」やから、いっぱい血が出てめちゃくちゃ痛い。

由紀 矢をぬいているスーホまでも痛い気がしたと思う。

T そうやな。スーホまでも痛くてつらかったやろうな。

香帆 血がいっぱい出たからすごく弱ってくる。

T 人間だって出血多量で死ぬこともあるものね。

(このコメントは不必要だった。)

恵里佳 初めの「カタカタ」というのは、矢がささって走り続けてきてるから、弱ってて、力がないねん。ちょっとだけドアに当てて「帰ったよ。」って言ってる気がする。

T なるほど、ということは、「カタカタ」って読む時は、弱く小さな音でということになるねんな。すごいなあ。先生もそこまで考えなかったなあ。 (「へんじもなく」という言葉から鳴けないぐらい弱っていたという事実が押さえられる のではないかという指摘を受けた)

真優 「弱りはてていました」というから、立つこともできなくて、もう死にそうなぐらい弱っている。

絵里 「いきはだんだん細くなり」というのは、ほとんど息がなくなってきている感じ。

由紀 息が苦しい感じ。

由衣 白馬の顔のところにスーホがいっても何もわからないぐらいの息。

T 今、言ってくれた意味、みんなわかる?普通やったら、顔や手を近づけたら息が出ているのを感じるでしょ。それが感じないぐらいの息やということやね。

香帆 「目の光もきえていきました。」というところは、もう目があけられない感じ。

いづみ きっともう見えないぐらいと思う。

知士 昔、スーホと元気に草原を走り回っている時はもっと明るいきれいな目やったのに、今は暗い目になってきている。

T そうだね。明るい目の光が消えて、とうとう死んでしまったのですね。

大志 何で白馬は何も悪くないのに、こんなことにまきこまれて死なないといけないんやろう。

拓也 白馬は何もしてないのに、最後に死んでしまうなんてかわいそうすぎるわ。

T 今日は、スーホや白馬についてしっかり読みとり、わかったことや思ったことをたくさん発表してくれたね。

C もっと言いたいことあるのに。

(他にも「言いたい。」「いっぱいある。」と残念がる声、でも時間がない。)

T じゃ、その思ったことや言いたいことをこの紙に書いてもらおう。

今日の場面を勉強して、スーホと白馬を見て思ったことを書いて下さい。

(書いている途中にチャイムが鳴る。)

(まとめとして、スーホと白馬の心の結びつきの深さ、愛情の強さという点を板書してきちんとおさえるべきであったと思う。子どもたちの感想に出てきていたので、次時の初めにそれを読んでまとめをした。)

終わりの感想

 白馬はしんで土にうめられてはなれるより、楽器になってスーホのそばにいようと考えたんだね。だから、スーホと白馬の心は、白馬が馬頭琴になってもずっとつながっているんだね。

 スーホはとのさまに立ちむかった。それは、スーホが白馬とどんなことがあってもいっしょだよとかたくやくそくして、白馬の気もちがわかっていたから、立ちむかって言えたんだよね。ぼくもそんな人になりたいなあ。そして、あんなひどいとのさまのようにはなりたくない。うそをついたり、人の気もちのわからないとのさまは、とのさまになるしかくがない。ぼくは、人の気もちのわかるスーホは、白馬はしんじやったけど、馬頭琴をもって歌いながら友だちをいっぱいつくっているだろうと思う。
(知士)

 スーホは、白馬の心が分かってきょうだいのように思っていた。白馬もスーホの心が分かって大すきやったやろうな。でもとのさまにはなればなれにされてかわいそう。白馬は矢が何本もつきささっても走りつづけてスーホのところへ帰ってきた。でもその時はしぬということがわかっていたのかもしれないね。スーホもせっかく白馬が帰ってきてよかったと思ったのに、一日しかいっしょにおれなかった。スーホは本当に本当にかなしかっただろうな。かわいそうすぎる。馬頭琴には、スーホと白馬の心が入っているような気がする。
(美帆)

 白馬とスーホは、きょうだいのようだったのに、とのさまはスーホから白馬をとりあげた。そして大事にするのでなく、ころそうとした。おかしい。白馬が一等になって一番すばらしい馬だったから、自分のものにして自まんしたかっただけだ。本当に馬がほしかったのではない。スーホはくやしかっただろうな。どうして白馬はころされなければならないんだろう。白馬は、大すきなスーホのところへ帰りたかっただけなのに。スーホと白馬のくやしい気もちは、馬頭琴といっしょに草原中に広まったと思う。
(将和)

八、おわりに

 授業では、できるだけ多くの子どもたちの発言を保障していくことによって、いっそう作品の世界に浸らせていきたいと努めました。そのために手がかりになる言葉や文章はフラッシュカード形式にし、黒板には子どもたちの発言をたくさん書くようにしました。また自分の思いや考えを持ちながらも自分から手を上げて発表できない子には、書き込み時に「すごい、よく考えてるなあ」と赤丸をつけたり、場面ごとの感想を読んだりして自信を持たせたりしました。

 子どもたちは、登場人物と共に喜び、悲しみ、怒り、わが身にひきよせながら読み進めていきました。そして、仲間の発言に触発されながら新たなヒントを得て思いをめぐらし、読み深めていける子がふえてきました。そして何よりも、子どもたちが毎時間楽しんでとりくんでくれたことがうれしいでした。

 また、本読みになると一言も声が出ず涙が出てしまう、本時の授業でも何回も手を上げるが発言できなかった魁ちゃんが、二月の本読み発表会(参観日)には、「スーホの白い馬を読みたいと希望し、毎日練習し、本番は床に涙をボトボト流しながらも二ページ読み切ってくれました。

 これからも、いろいろな作品を通して、子どもたちと文学を読む楽しさを味わっていきたいと思います。

出典:「どの子も伸びる」/部落問題研究所・刊
(個人名は仮名にしてあります。)