みんながたまごだったころ

みんながたまごだったころ -4年生の性教育-

1.はじめに

 勤務校は郊外の100年の歴史ある小学校。校区は昔ながらの地域もあるが、最近は新しいマンションや住宅も増え、子どもの様子も多様化している。とはいっても、子どもの問題行動も少なく、保護者も教育熱心で協力的な方が多く、比較的落ち着いた地域・学校である。

 児童の数は700人前後。教職員数は40人前後であるが、以前はベテラン教員が多かったが最近は転勤や退職等で比率ががらりと変わり、若い教員が増えてきている。昨年度、私はその学校に5年目、4年生の担任として勤務していた。

2.先生のおなかの中に赤ちゃんのたまごがあります

(1) 学級の様子

 4年生は3学級で、子どもたちとは1/3くらいを1年生のときに受け持っていたこともあり、4月当初、子どもたちとはお互いに「再会」のような気分でもあった。また、保護者も知っている教師として素直に喜んでいてくれていた。

 ただ、日数がたつにつれて、子どもたちがあまりにおとなしいことが気になっていた。  授業中の発言は限られた勉強のできる一部の子。休み時間では女の子はばらばらに2・3人のグループ。男の子は仲良くドッチボールと思いきや、何かしら浮かない顔で帰ってくる。しかも男の子たちは明らかに力関係に気を使っていた。

ゆうき君とたくや君

 男の子たちが恐れるゆうき君は、低学年の時に他市から転校してきて、家庭環境も複雑だった。そのためか、暴力や暴言が転校当初から絶えず、学校を巻き込む事件を何回か起こしていた。

 今回、ゆうき君の担任が決まったとき、「教務必携や教室の鍵は担任がしっかり管理すること。気を抜かないこと。」などアドバイスされた。

 休み時間のドッチボールでは、自分に有利なグループを決めようとしたり、相手チームの上手な子が不利になるように言ったり、味方チームの子のミスに暴言をはいたり……。

 また4月当初から、同じ班の子に集中的に暴言や暴力を繰り返しおこなっていて、トラブルも絶えず、ゆうき君の班ではなかなかグループ学習なども進みにくかった。

 他の子は、ゆうき君の被害になることを恐れて、あまり文句を言われても我慢し、かかわりを持とうとしなかった。

 またたくや君は○○と診断されていて、1年生のときからトラブルや注意が絶えなかった。

 かっとなりやすく、手も出やすい。言葉で自分の思いをなかなか伝えられず、誤解も生じやすいため、友達からも悪く言われやすい。絶えず注意を受けているため、たくや君自身もすぐに「おれが悪いんやろ」「ごめんなさい」。という態度で、なぜトラブルになったのか、何が原因なのか説明しようとしたりはしなかった。

 また、お母さんも「先生たちは言ってもかずきの話を聞いてくれない。」と、4年生になるまで教師に対して不満を積み重ねてきた。

【学級づくり……一人ひとりが大切な集団づくりを(1学期)】

 「どの子も特別で大切な存在。みんな大事にしたい。」という願いを持って担任をしてきたので、子ども集団が大切だと思い、1学期は学級づくりに力を入れていた。

 毎日の学級通信でお互いのことを知り、授業ではグループ学習や子どもの発言をできるだけ大事にしてきた。子どもたちの中には、学習には意欲的だが、塾や家庭学習の影響で競い合うことが多いため、友達と深く関わりにくい子も何人かいた。

 そんな子やゆうき君は、学習の苦手な子の失敗や運動ができない子をバカにすることもあった。そのため、担任として取り組んだ1つが「鉄棒クリニック」だった。毎朝の登校後の休み時間に、苦手な子を中心に鉄棒を練習した。体の大きなたくや君もさかあがりに挑戦したり、みんなでわいわいと練習し、新しい技ができるようになったら一緒に喜ぶうちに、子どもたちの中にあった固さが少しとけていったようだった。

 また、お誕生日会やレクの時間、休み時間など子どもたちと遊び関わることで授業中では見えない子どもの良さを知ることができた。

 たくや君はよくトラブルを起こしたが、そのつど話を聞き、どうすればよかったのか、相手に伝えたいことは何だったのかを一緒に話し合ってくることで、たくや君への学級の子たちの風あたりは少しずつ優しくなってきていた。

 ゆうき君は暴力は減ったものの、暴言は相変わらずだったが、鉄棒クリニックや担任も交えた遊びの中で、少しずつ友達も増えてきていた。また、私への不信感もなくなり、明るい笑顔で話すようになっていた。

 1学期が終わるころ、子どもたちの中もうちとけて、「先生は怒ったら怖いし厳しいけど、一緒に遊んでくれる」と、家庭でも話をしているようだった。

(2) 子どもたちの変化(2学期以降)

【運動会】

 2学期になり、4年生は南中ソーランをすることになった。腰を落としての厳しい練習だったが、みんな暑さの中で頑張っていた。また、ゆうき君は、応援団に立候補して、放課後も練習に励んでいた。

 そんな子どもたちと運動会の練習で踊っている9月半ば、私自身が体調不良になっていた。

 吐き気とだるさが一週間ほど続き、病院に行ってみると妊娠2ヶ月。そのときは驚きと戸惑いが大きかったが、あわてて学年のベテラン先生に相談したところ、運動会の練習のダンス指導は交代。重たいものはできるだけ持たないという配慮をしてもらった。管理職と相談し、子どもたちには時期を見て報告するということになった。

その後も不調は続いたが、子どもの前では何とか明るく元気に振舞い、先生方の配慮もあり、無事に運動会を終えることができた。

【子どもたちのトラブル続出?「先生、何で遊んでくれへんの?」】

運動会が終わり、子どもたちも仲良く遊んでい、たが、10月の半ばごろから子どもたちの様子が変わってきた。

 宿題忘れが増えてきた子や、休み時間にみんなで夢中になっている鬼ごっこでのルール違反。そのころ、鬼ごっこは男女問わずたくさんの子が参加していて、ゆうき君も一緒にしていたが、ゆうき君の暴言だけでなく、女の子の、あやさんグループが自分たちに都合のいいようにルールやじゃんけんを決めるといった文句がでてきていた。ゆうき君を含めた男の子チーム対あやさんの女の子グループといった雰囲気だった。

 学級会や放課後を使って何回か話し合いをしたりしたが、なかなか納得のいく解決に結びつかない。

 それでも、鬼ごっこをしては不満や文句を募らせる。そんなとき、ある女の子が「先生、何で最近一緒に遊んでくれへんの?うちらと一緒に遊ぶのが面白くないの?」と聞いてきた。

 「そうじゃないねんけど‥」確かに、2学期以降、子どもたちとは鬼ごっこはもちろんのこと、体調も芳しくなく、通勤してなんとか授業をするので必死だった。思うようにじっくりと子どもたちと向き合えていないのでは。もどかしさも混じって……。もうそろそろ、子どもたちに妊娠のことを報告しないといけないと感じた。

【先生のおなかの中に赤ちゃんのたまごがいます】

 結局、子どもたちに妊娠を報告したのは11月になってからだった。ようやく代わりの体育軽減の講師が決まり、保護者に安心して報告できる体制が整った時期だった。

 帰りの会のとき「実はみんなに言わないといけないことがあるねん。」と改まって言ったとき、子どもたちの表情が緊張した。もちろん私も。

 「先生のおなかの中には、赤ちゃんのたまごがあります。先生自身も驚いてんけど、来年の5月に赤ちゃんが産まれるみたいです。」

 え?という様子の子どもたち。戸惑いからか、どういう表情をしていいのかわからないようだった。

「まだ、赤ちゃんは小さくて、たまごのからみたいにちょっとしたことで壊れてしまうかもしれないから、気をつけないといけないことも多いねん。」 「え?どんなこと?」

「走ったりとか、重たいもの持ったりとか、高いところもよくないみたい。」

「だから、先生おにごせえへんかったん?」

「うん、ごめんな。」

そこから、堰を切ったように子どもたちが質問してきた。

「先生、いつから赤ちゃんのこと知ってたん?」

「9月の運動会のころからかな。」

「男の子?女の子?」

「まだわからへんよ。」

「先生、おなか大きくないやん。」

「これから大きくなるらしいで。」

「どんなふうに大きくなるん?」

「先生も初めてのことやからわからへんねん。どうなるかみんな見といてな。」

「先生、赤ちゃん産まれても先生やめへんやんな?」

「産むときはお休みするけど、先生はやめへんで。」

 その子は私が結婚するときも、「結婚しても先生やめんといてな。」とメッセージをくれていた。

 その後は、みんなうれしそうにいくつか質問してきた。

「先生は、これからできないことも増えるし、お休みして病院行くこともあるし、みんなに色々と頼らないといけないこともあるけど、よろしくお願いします。」

 その日からの子どもたちからは、さりげない気遣いを感じるようになっていた。特に、女の子はうれしい様子の子がとても多かった。

 また、保護者からも連絡帳にいろんなアドバイスや励ましの言葉が書かれていた。担任として出来ないことがあるもどかしさの中で、支えてくれる保護者や子どもたちの存在が本当にありがたかった。

【参加できない行事】

 子どもたちの様子も落ち着いてきた11月半ば。遠足の日が近づいてきた。まだ少し体調不良が続いていたが、遠足は当然行くものだと思い、それに向けての準備や打ち合わせをしていた。そんな中、「妊娠中は免除される」「妊娠している人は行かないほうがいい」といったことを知った。

 ただ、学校で十数年ぶりの妊娠で、妊娠中に軽減されることや制度のことなど、なかなか適確な判断が難しかった。今回の遠足の付き添いも、学年の先生と相談したり、ベテランの経験者何人かにアドバイスをもらったりと悩み、遠足の前日の昼休みに「行かないほうがいいなあ。」という管理職の言葉をもらい、代わりの付き添いが決まった。そんなあわただしく決まったことを子どもたちに帰りの会で報告……。

 「明日の遠足は、先生のおなかの赤ちゃんのことを考えて行かないことに決まりました。本当に残念だけど、先生の分もみんなしっかり楽しんできてください。」

 子どもたちは戸惑いと驚きの反応だった。当日は学校から見送りとお迎えをした。後で様子を聞くと、子どもたちは遠足では、担任がいなくてもゆうき君もたくや君もしっかりとグループで問題なく行動していたようだった。かえって、担任がいないから、みんなしっかりするのかな……?

 後日、学年末の子どもの文集の中にこんな作文があった。

「4年生はいろんな行事があって楽しかった。(……中略……)遠足も楽しかったけど、川口先生がこれないのがいやだった。先生といっしょに行きたかった。でも、先生はお母さんになっても、川口先生のままでいてほしい。」

【通院と子どもたち】

 11月以降、定期健診や検査で月に2回ほど通院していた。午後から休みを取っての通院になっていたので、多くは専科の授業をあてていた。子どもたちには通院することは、事前に言っていたので、翌日の朝の会は病院での質問が待っていた。

「先生、病院どうだった?」

「赤ちゃんは元気だった?」

「今回は血を抜かれた?泣いた?」

「赤ちゃんはどんなかっこしていた?」

 出きるだけ子どもたちの質問にはしっかり答えようと思っていたので、病院で聞いた胎児の大きさ(身長や体重)の話をしたり、超音波でうつされる胎児の様子を話したり、場合によっては絵を描いて説明した。

「今は15センチぐらいやって。」

「足があぐらかいているのが見えたよ。こうやって……」

「なんで赤ちゃん横向きなん?そのひもみたいなん、なに?」

「へその緒って言って、このひもから栄養をもらっているみたいやで。」

「あっ!知ってる!」

「赤ちゃんておなかめ中で泳いでいるみたいやで。」

 短時間の説明だったが、子どもたちはいつも病院での報告を楽しみにしているようで、お家でも「先生の赤ちゃんこれくらいやってんて。」と、よく話しているようだった。

 11月末に通院のあった翌日、いつも通り教室に行くと、6時間目に用意してあったテストが机の上に置いてある。なんだかいつもと様子が違うな?と思っていると、女の子がよってきて、

「先生、昨日ね、6時間目誰も来なかったんよ。」

「え~?どうしたん?」

「だから、テスト2枚あるって先生が言ってたから、みんなで時間決めて1枚ずつテストして、ミニ先生にテスト配ってもらって、いつもみたいにしたよ。最後は日直がかぎしめて帰ったけど。」

「え~っ?みんなでできたん?大丈夫やった?」

「うん、ゆうき君やたくや君はいつもみたいにぶつぶつ言ってたけど、いっしょにやってたし。何もなかったで。」

「そうなんや。先生がおらんでもできるって、みんなすごいなあ。ありがとう。ほんまにありがとう。」

 後で確認してみると、学校の手違いだったことがわかった。テストも子どもが言ったとおり、しっかりと自分たちで取り組んでいたようで、1学期はお互いに無関心だった子どもたちが、担任がいなくても自分たちで決めて動いていることがとてもうれしく、子どもたちには朝の会のときにしみじみとお礼をいっていた。

 その後も子どもたちはささいなケンカや言い合いはあったが、学級の中でお互いに認め合って過ごしていた。また、休み時間もみんなで遊んだり、放課後はゆうき君やあやさんをはじめ、多くの子が公園に集まって男女ともわいわい遊んでいるようだった。また、一時期気になっていた宿題忘れも落ち着いていた。子どもたちが学級として、ひとつの集団として活動していた。

(3) 保護者との会話

 2月にあった最後の学級懇談では、学級の様子や子どものことで感じたことを話をし、3月の途中で産休に入ることを報告した。妊娠の報告から協力的な保護者が多かったので、あたたかく励ましてもらえた。

 「あやにとっては、先生と4年生最後までいられないことは残念だけど、先生が元気な赤ちゃんを産んでくれることが一番望んでいることですよ。」2学期、トラブルや宿題忘れの多かったあやさんのお母さんだった。

 「最近は、先生に心配かけないようにと、頑張っているんです。」

「うちの子は、3年生のときに転校してきて、大人しかったし、授業中もなかなか手をあげなかったけど、最近は先生の変わりに習字や絵をはったりしてるって、よく話しています。家では全然手伝わないのに。」

 読書好きで大人しいけど、身長は学級一高い子なので、私も2学期以降、頼んでしまうことが多かった。

「つい、頼ってしまってて。でも、私が出来ない分、本当に助かるのです。」

「自分しか出来ないことで、うれしいみたいですよ。」

 そういった会話をしてる中で、あるお母さんが「先生が病院に行った次の日は、家でも話してくれるんです。赤ちゃんの様子とか。男の子で兄弟もいないから、話を聞くのが楽しみみたいですよ。」と、話してくれた。その子は放課後も塾通いで、友達と関わるのが少し苦手な子だった。

「先生のおなかが、少しずつ大きくなってきているのが、楽しみだけどやっぱり不思議みたいですね。」

「最近は、自分がおなかの中にいたときのこととか聞きたがりますよ。」

「うちも。お風呂の中で動いていたこととか話すとよろこんでいました。」

 確かに、最近子どもたちとの会話に「わたしがおなかの中にいたときはこんなんだってんで。」ということが多かった。家庭で自分が生まれる前のことを聞いている子どもも少なくないようだった。

「産まれた後の赤ちゃんのときのことや、産まれたときのことは小さいときに話したことがあったけど、妊娠中ってなかなか話さないから、いいきっかけでした。先生のおなか見ながら、自分もそうだったのかな~?みたいな。」

 「前にあった性教育の影響もあるみたいですね。自分もお母さんも、先生も同じ女だったんだ!みたいな。」

 「うちの子、先生が1年生のときとは変わったて言ってました。いつもは遊んでくれていたけど、赤ちゃんができてからは遊んでくれへん。残念だけど、今は先生はおなかの赤ちゃんを守ってるんだって。お母さんもそうだったよって話したんです。そしたら、女って大変だけど、私もいっしょなんやなって。なんかうれしいって。あの、おてんばが。」

 そんな会話の中で、子どもたちは私の妊娠をきっかけに、自分自身の誕生前や命について感じたり、話したりすることが増えたのだと今更ながらに知った。

3.みんながたまごだったころ

(1) 授業の様子

 学級懇談後、子どもたちと産休まで秒読みの日々が始まった。追われる授業や行事の中で、私の妊娠をきっかけに子どもたちが感じていることを交流してみたいと、道徳の時間を使っての授業を行った。

 授業をする前に、父子家庭のないこと、家庭のプライバシーに関わらないように配慮した。

 また、1年生の生活科で自分だけの本作りで赤ちゃんのときの様子は聞いているので、かぶらないようにした。

【みんながたまごだったころ】……全3時間

目標:自分が生まれる前のことを知ろう!

1時間目 交流 宿題のお母さんへのインタビューを班で交流する。

2時間目 深め合い 発表を通じ、疑問に感じたことや共通点を見つける。

3時間目 まとめ 本の読み聞かせ「おへそのあな」(長谷川義文)
「わたしがあなたを選びました」(鮫島浩二)

各自のまとめ・感想

〈1時間目〉交流

 事前にインタビューしてきたプリントをもとに班で報告をしあった。なんだか恥ずかしそうにテレながらもあたたかに報告しあっていた。

 途中で「え~!」という声。

「どうしたん?」といってみると。「○○君、へその緒が首に巻き付いていて んて。大変やったんや。」「産まれたとき、息していなくて、お医者さんにたたかれたみたいやで。」といった話。

「先生、この班、ほとんどがさかごやってんで。」「さかごってなに?」「つわりがひどくてお母さん、入院してんて。」など、お互いの報告で大盛り上がりだった。

 その後、班ごとに「班の中で共通していたこと」「交流してはじめて聞いたり、驚いたこと」をまとめて発表してもらった。

「班の中で共通していたこと」

・おなかの赤ちゃんが元気に動いていたこと。元気に動いていたのがうれしかった。

・赤ちゃんがいると聞いてうれしかったこと。おどろいた。

・お母さんがご飯が食べられなくなったこと。

・みんなに親切にしてもらえたこと。

・産まれたときはうれしかった。

「交流して初めて聞いたり、驚いたこと」

・産まれるとき、長い時間がかかるらしい。

・赤ちゃんがおなかをけったりすること。

・つわりで気持ち悪くなってごはんが作れなくなったこと。

・途中でさかごになって、またもどったこと。

・妊娠中につわりになったり、ねむくなったり、トイレが近くなったり、大変だと思った。

・お母さんがお仕事をやめさせられたこと。

・産まれたとき小さかったので、入院していたこと。救急車ではこばれたこと。

班の中で発表の後で、全体で交流した。

「赤ちゃんがおなかで動いているときって、お母さんうれしいみたいだね。」

「うちのお母さん、お風呂でよく動いてたって話してた。」

「音楽聴いたり、話しかけたりしたみたい。」

「おなかをノックして、信号をおくっていたら、ぼくがけり返したんだって。」

「うちのとこ、妊娠して、お母さんはうれしいかったり、驚いたりしてるけど、つわりが辛かったって。」

「つわりって何?」

「食べ物の好みが変わることやで。」(……ここで担任がつわりの説明)

「先生はどうやったん?」

「先生は、果物が好きになった。ブドウが食べたくなったり、柿やりんご、今はみかん。魚はいややったなあ。でも、今は大丈夫やで。」

「私のお母さんは妹を妊娠しているとき、炭酸ばっかり飲んでたで。」

「お母さんはシチューやって。でも、しんどくて入院してん。」

「わたしのお母さん、つわりがしんどくてお仕事やめたって。幼稚園の先生やってんけど。」

「ぼくのところもやめた。」

「先生はやめへんやろ?」

「先生は少しお休みするけどやめません。でも、みんなのお母さん大変やったんやね。」

「産むとき、めちゃくちゃしんどいみたいやで。○○ちゃんのお母さん、二日かかったみたい。」

「産んだ後も大変やったって。お母さん体ずっとよくなくて病院にいっぱい行ったって。」

「ぼくのお母さん、救急車で運ばれてん。」と言ったのは、ともや君。

「ぼく、生まれたとき小さかったからずっと入院しててん。5月に産まれるのが3月に産まれてん。お母さん、毎日病院に行ってたみたい。体も弱かったみたい。」

ともや君のお母さんから産まれたときの話は聞いていた。未熟児で産まれたともや君を育てるのに、お母さんはかなり心配し、努力もしていた。

「お母さんもすごいなあ。」「反抗してたらあかんやん。」

「今はこんなにしっかり大きくなって良かったなあ。野球もやってるし。」

「お母さんが言っててんけどな、ぼくやお兄ちゃんが生まれる前に、お母さんのおなかの中で何回か赤ちゃんが死んじゃっていてんて。」

「え?」その子の発言に驚いた子も多かった。

「赤ちゃんはおなかの中で死んじゃうこともあるから、10ヶ月間大きくなって元気に産まれてくるかとっても心配やったって。」

「産むことも、赤ちゃんがおなかの中で大きくなって産まれてくることも大変なんだね。」

子どもたちの会話はなかなか尽きることがなく、みんなはいつも以上に自分のことを話し、友達の話を聞いていた。会話の様子やその後の感想から、自分たちが始めて聞く産まれる前の話、母親が自分の妊娠をうれしく思って楽しみにしていたこと、自分が生まれてきたことへのうれしさや誇りなど、素直な気持ちがあふれていた。また、友達の話を聞いて「誕生のうれしさ」を共有していた。
〈2時間目〉深め合い

前回の授業をもとに、学級全体で意見をまとめた。

「共通していたこと」

・お母さんのおなかをけっていた。

・つわりがあった。

・おなかの中に赤ちゃんがいると聞いたとき、うれしい気持ち。うれしかったり、驚いたりしていた。

・さかごもいた。

「印象に残ったこと」

・へその緒が巻き付いていた。

・おなかを切って産まれてきた子も多かった。

・予定日よりも遅い人やすごく早い人もいた。

・産まれるのに大変だった子もいれば、すぐに産まれてきた子もいた。

・おなかが大きくなるのは大変だった。

・お姉ちゃんはだっこを我慢した。

・仕事をやめたお母さんもいること。

また、みんなの話を聞いて感じたことや質問、思っていることを出し合ったりした。特に、この時間は、なぜ妊娠中はできないことが多いのか、おなかが大きいことはどういうことなのか、胎動はどんなものなのか……など、疑問を出し合うことが多かった。

「うちのお母さん、足のつめが切られないから、お父さんに切ってもらっていたで。」

「妹の妊娠中は、お父さんに足を洗ってもらってた。」

「食べるものも我慢せなあかんみたいやで。」
〈3時間目〉まとめ・感想

2時間しっかりと交流したので、最後の授業は2冊の本を紹介した。

「おへそのあな」おなかの中から赤ちゃんが感じた生まれる外の世界と、赤ちゃんを待ちわびているお母さんや家族の様子を描いた絵本。

「わたしがあなたを選びました」赤ちゃんと母親の出会いを運命のように、産婦人科医の母親への励ましの絵本。

 少し4年生の子どもには難しいところもあると思いながらも、読み聞かせした。その後、今回の授業を通じて感想をまとめた。

(感想は一部抜粋です。)

・姉も予定日より2ケ月早く産まれて、1800gしかなくてずっと入院していました。ともや君のお母さんも、私のお母さんも大変だったんだなと思いました。

・私も予定日より、小さいのに産まれそうでお母さんがお薬を飲ませられていた。大変だった。また、2冊目の本で、つわりがつらくて不安ってあったけど、お母さんもつわりがつらかったから不安だったと思った。一緒だった。

・ぼくも、もう一度おなかの中にもどりたいなあ。へその緒が首にずっとひっかかっていて、もしかしたら今ぼくはここにいなかったかもしれない。へその緒ははじめて知りました。生まれてきてよかった。

・インタビューして自分がさかごだったって初めて知りました。赤ちゃんを産むのがたいへんだったことがわかった。

・わたしは早く産まれてこようとしたから、お母さんが点滴をうって入院してたことがはじめて知った。びっくりした。

・おなかの中で産まれずになくなってしまう赤ちゃんのことをはじめて知った。自分がうまれてきてよかった。ぼくは、無事に生まれるかわからないって病院で言われたのを知った。でも、産まれたからよかった。

・赤ちゃんはおなかの中からも、いろんなことが感じられるんだと思った。お母さんが感じると赤ちゃんも感じられるんだと思った。それに、自分が生まれることが奇跡だと思うと、お母さんに感謝しないといけないなと思った。

・ぼくもお母さんのおなかの中にいたのだな。ぼくはおふろが大好きだったと知りました。自分がおなかの中にいたときは忘れているけど、いることがうれしかったと思う。

・ぼくが産まれるときに、お母さんがうれしかっ、たのがうれしかった。

【授業を終えて】

 最後の感想はたくや君だった。自分の思うようになかなかできず、自信を失いがちなたくや君。でも、「産まれるときにうれしかった」が、彼の中で大切にされているうれしさになっていた。彼は、いつも大きくなる私のおなかを優しくさすってくれて「赤ちゃん元気かな?」と言っていたが、この授業の後は赤ちゃんに話しかけているようだった

 子どもたちは感想は、初めて知った事実や友達の話、母親の負担、自分が生まれてきたことを感謝することばが多かった。

 ただひとつのこと「産まれてきた」その事実そのものが素晴らしいことで、大切なことなんだと気づいていた。おなかの中からずっと大切に守られてきた。そのことが、子どもたちに生まれたことに対する誇りと、安心感を感じたようだった。

(2) まとめ……授業後に見えてきたこと・感じたこと

 授業そのものは2月末から3月の授業や行事に追われる時期だったが、学級がひとつにまとまった時期でもあったので、子どもたちは照れはありながらもお互いに気持ちよく自分のことを話し合えた。また、子どもたちも担任の妊娠からずっと気になっていた「命」や「出産」に対することを、お互いに学び合えた。私自身も子どもの誕生の様子を知ることで、保護者の背景にあるものに少し触れたようだった。

 授業を行うとき、「生まれたことへの感謝をする」という結末は担任が導かないようにと思っていた。ただ、子どもたちがお互いの交流をする中、母親の負担を知ったことで自然に感謝の言葉が感想となっているようだった。そして「自分たちも生まれる前から守られてきたこと」「命が誕生することは簡単なものじゃないこと」を知り、何よりも「産まれたことそのものが大切なんだ」といった安心感を抱けることができた。

 きっかけは担任の妊娠であり、子どもも私もそれを意識していたが、結果として子どもたちが自分自身や家族に想いをよせることができた。これから思春期に入り難しい年頃に入る前の10歳のときに、自分の誕生や家族について考えることで、子どもたちの成長の自信につながって欲しいと感じた。

4・おわりに

 産休に入る最後の日が近づいてきた。その前の週に

「先生は来週で最後になります。赤ちゃんを産むためにお休みします。」

と、子どもたちに報告していた。子どもは知っていたけど少し複雑な顔。そのとき、ゆうき君が「先生、ほんまはしんどいんやろ?がんばらなあかんのやろ。」 と一言。その言葉の中にある心配げな表情に思わず涙が出そうになった。

「でも、先生は無事に元気な赤ちゃんを産んで育てることがお仕事やねん。がんばるわ。みんなのお母さんもがんばってきてんから。」

といった会話をした。

 そして最後の日、子どもたちは励ましの言葉とともにみんなで用意した手紙の束をプレゼントしてくれた。

「病院に行くとき、持っていってや。」

「元気に産まれたら教えてな。」

子どもたちは暖かく送ってくれた。

 その後、手紙の中には

「先生が結婚するって聞いたときよりも、赤ちゃんが出来るってきいたときのほうがびっくりしたけど、めちゃくちゃうれしかったです。」

「先生の赤ちゃんには38人のお兄さんとお姉さ んがいるね。」

「あやはもう、大丈夫です。元気にがんばるので、 先生もがんばってください。」(あやさん)

「ぼくよりも大きな子をうんでね。」(ともや君)

「元気な赤ちゃんを産んでください。ぼくは勉強します。暴力やめます。約束します。」(ゆうき君)

 ゆうき君とはあえてその約束はしないようにしていた。ただ、ゆうき君自身がそのようにいってくれたことが、とてもうれしかった。彼の気持ちが変わったのは、担任のことだけではない。

 彼の最後の文集には「4年になって友達が増えた。友達といると楽しいと思った。友達が大切だった。友達が増えた。ぼくは暴力をやめた。だから暴力はやめるようにした。いまでも少しするけど、友達がいるからやめたいと思う。」実際に5年生になった今もその決心を大切に、学校生活を満喫しているらしい。

そんな中である子は……。

「先生がやっぱり一番です。苦手なプールのとき、中に入って一緒に手をひっぱってくれたりしたからです。」という言葉があった。確かに、今まで出来ることは子どもと一緒にやってきたけど、今回の私の妊娠では反対に学級の子どもたちが一緒に『39人目のなかま』として支えてくれていた。日々大きくなっていくお腹で、できないことも多く、もどかしくて戸惑う担任を引っ張って励ましてくれていた。

 ちなみに、今回のことで、私の勤務先では久しぶりの妊娠出産であったが、現実に妊娠や子育て世代が増えてきている。現場の多忙化や結婚・出産は自己責任のような社会の風潮の中で、働く女性にとって安心して出産・子育てできる環境・職場であること、年月をかけて築いてきた母性保護のしくみを支えていくことも非常に大切だと痛感した。

 妊娠や出産・子育てを通じての経験もまた、人間としても教師としても成長できること、子どもや保護者とともに学ぶことができるものだと感じた一年間だった。

(※ 個人名は仮名です。)
大教組教研レポート(ジェンダー平等と教育) 2010年11月