中学校公民教科書の部落問題記述の問題点

中学校公民教科書の部落問題は大問題
-部落問題解決の到達点を無視、認識は同対審答申のまま-

2011.9.24.
柏木 功(大阪教育文化センター「人権と教育」部会)

1.はじめに

 中学校教科書の部落問題記述の問題点は、2005年8月に小牧薫さん(大阪歴教協委員長)が論評されている。
 今回、2012年から使用される中学校教科書の採択が行われたが、社会科公民(中学校3年生が学習)教科書の部落問題記述は、なんら変化なく、大きな問題がある。 “中学校公民教科書の部落問題記述の問題点” の続きを読む

地対協基本問題検討部会報告について

地対協基本問題検討部会報告について

1986年8月10日
 全国部落解放運動連合会

 総務庁の地域改善対策協議会基本問題検討部会は、八月五日の総会で、「部会報告書」を発表しました。

 この報告書は、地対協が一昨年六月に行なった「意見具申」の精神をうけつぎ、その論点をより鮮明にしたものであるとともに、全解連が昨年九月に発表した「地対法後の同和行政のあり方についての全解連の見解」(以下、全解連見解)の主旨を反映したものであるところに意義があります。

 その内容の特徴点は次の通りです。

 第一に、部会報告は、これまで同和行政のより処とされてきた同対審答申について、その後の同和地区の実態の改善や同対審答申では触れられていなかった新たな問題の発生等を検討し、「この答申を現在においても絶対視して、その一言一句にこだわる硬直的な傾向のみられる」ことを戒め、「改めて二十余年という時の光に照してその意義を認識していく必要がある」と述べています。

 これは、「解同」の「部落解放基本法」制定の要求に対して「これらの要求の特徴は、同和対策事業十六年間の功罪を不問に付し、総括をぬきにするとともに、部落の現状認識を恣意的に解釈しようとするものであって、到底国民の合意が得られるものでない」と批判している「全解連見解」と同じく、科学的・実証的な立場で今日の問題を論じようとするものであるところに価値があります。

 第二に、部会報告は、今日における「同和問題解決の基礎的条件」として、「同和関係者の自立、向上を阻害し、また、同和問題の国民的理解を妨げている諸要因の解消」をあげています。そしてその要因として、①非合理的な偏見の残滓②部落内外の交流の不足③運動団体の行きすぎた活動④行政の主体性の欠如⑤えせ同和行為の横行等を指摘するとともに、その是正の重要性を強調しています。これ等はみな、「全解運見解」の中で逐一克明にしているところです。

 第三に、部会報告は、部落住民の自立のためには、「同和関係者自らが自立、向上の意欲を持ち、自主的な努力を行うことが不可欠である」と述べるとともに、この「同和関係者の自主的な努力を支援し、その自立を促すこと」が行政の果すべき基本的な役割であるとし地域改善対策事業等は、当然この住民の「自立に寄与するものでなければならない」と、その役割を明確にした上で、「合理性が疑問視される給付や特例」の見直しを提起しています。

 これは、「自立こそ部落解放への橋渡しである」とし、そのために意欲・情熱・展望・勇気を持ってとり組むこと、不公正乱脈な同和行政の是正を要求している全解連の主張と一致するものです。

 第四に、部会報告は、えせ同和行為の横行を国民の理解を妨げる大きな要因とするとともに、民間運動団体の確認・糾弾という誤った行動の是正を求めています。しかも「解同」等の確認・糾弾は、法律や判例に照して「他人に何らかの義務を課する」根拠のないことを明らかにし、その存在意義を否定する立場を明確にしています。さらに差別行為の法規制問題について、政策論・法律論を展開してこれを退けていることはさきの地対協意見具申から見て、前進的なものとして評価されます。

 第五に、部会報告は、地対法後の同和行政について、原則的には一般行政への移行をめざしながらも、「真に必要なものは地対法失効後においても実施して行く必要がある」とし、これは、「事業の完了と自立・融含をめざす新たな時限立法」の制定を要求している「全解連見解」を反映したものであるところに積極的な意義がうかがえます。

 しかしこの部会報告は①真に必要な事業や、同和関係者の自立、向上という内容が明確にされていないこと②今日のように政治反動が強化されている下で、自立の条件の後退や事業の打ち切り、引き下げ等の危険のあることについて論外におしやっていること③同和行政の見直しや是正についても、行政責務として具体化し、どう実行するかが明確でなく、過去の例のように空念仏に終る危惧があること等、他にも問題があることは否定できません。

 私たち全解連にとって民主勢力とともに、この報告書の前進面を拡め定着させるとともに、その弱点を克服して民主主義と部落解放の前進をかちとるために、主体的な取りくみをすることが今後の課題です。

地対協「報告書」「意見具申」の評価と「大阪府同和教育基本計画」批判

同和教育の民主的前進のために

地対協「報告書」・「意見具申」の評価と「大阪府同和教育基本計画」批判について

大阪教職員組合 教育文化部

討議資料 「大阪教育」号外 1987年2月10日

はじめに

 部落解放同盟(「解同」)やそれにゆ着した行政による教育への介入をきびしく批判する政府機関の報告書と意見具申が出されました。総務庁の諮問機関である地域改善対策協議会(地対協)が、八月五日に発表した「基本問題検討部会報告書」とそれを踏まえて十二月十一日に政府に提出した「今後における地域改善対策について(意見具申)」がそれです。これらは、公正民主の同和教育行政を求める国民世論を反映したもので、大阪府・市政や教育委員会に痛打を与えるものです。

 大阪では依然として、児童・生徒の主として未熟さや不十分さからくる言動を「差別だ」と決めつけて、子どもや親、教師を糾弾したり暴力をふるうといった事件があとをたちません。また、解放教育副読本「にんげん」の配布が強制されたり、「にんげん」実践研修会への参加強要など、「にんげん」を使わなければ同和教育でないといった雰囲気が教育現場に持ち込まれたりしています。そして一般校の二倍を超える教員が同和校に配置されるといった同和加配が続けられています。これらは、一民間運動団体にすぎない「解同」にゆ着した大阪府・市や教育委員会が、その運動を強引に教育現場に持ち込んできたことによるものです。

 今回の部会報告書と意見具申は、こうした「解同」の暴力的な「確認・糾弾行為」や教育介入などが同和問題の解決を阻害していると指摘しており、大阪府・市や教育委員会など行政当局は改めてきびしい反省を求あられています。

 ところが大阪府教委は、この二つの文書の趣旨にまったく逆行し、偏向同和教育をさらにすすめる「大阪府同和教育基本計画」なるものを策定しました。

 大教組は、このような状況をふまえ、自主的民主的な同和教育の真の発展を願う立場から、これらの文書に対する基本的な見解を明らかにし、職場での討議を要請するものです。

一、地対協報告書・意見具申の意義

 報告書と意見具申は、幾つかの弱点を含みながらも、全体としてみれば、部落問題の真の解決を求める民主勢力の運動や、同和行政の公正民主化を願う広範な国民世論を反映した内容となっています。
差別は解決の方向に向かっている

 意見具申は部会報告書を踏まえ、今日、部落の生活環境や住民の生活実態が著しく改善された結果、「同和地区と一般地域との格差は、平均的にみれば相当程度是正された」と指摘。心理的差別についても「その解消が進んできている」としています。

 例えば、法律が制定施行されて以来十七年間に政府が投入した同和対策事業費は二兆六千億円、大阪府下では一兆二千億円にのぼっています。この結果、例えば住居の広さや畳数は全国水準とほぼ同等、高校進学率は三〇%台であったのが八八%台にまで飛躍的に向上してきています。地区外住民との婚姻は今では六割強にのぼっています。これは、憲法施行後の四十年の間に、基本的人権を守り発展させる労働者。民主勢力、国民のたたかいが紆余曲折や不十分さを含みながらも前進し、この力と、部落内外の民主勢力の差別解消をめざすたたかいによって、部落差別が解決の方向に向かっていることを示すものです。

 「差別は拡大再生産している」として同和行政を肥大化させてきた「解同」の主張が、こうした成果や実態には目を向けず、同和対策事業を半永久的に続けさせて利権あさりを「拡大再生産」しようとする虚構でしかないことを、報告書と意見具申は実証しています。

同和問題解決の基礎条件

 同和問題の解決を阻害している要因を具体的に指摘した報告書にもとついて、意見具申は「これまでの行政機関の姿勢や民間運動団体の行動形態等に起因する新しい諸問題」が「同和問題の解決を困難にし、複雑にしている」として、同和問題解決の今日的課題を幾つか指摘しています。

①「確認・糾弾行為」は、自由な意見交換を阻害する

 報告書と意見具申は、同和問題をタブー視することなく、自由に意見を公表し討論することが、同和問題解決の前提条件であることを明らかにしています。そして、それを阻害する大きな要因に「民間運動団体」の基本的人権を無視した「確認・糾弾行為」があると指摘しています。ここでいう「民間運動団体」が部落解放同盟をさしていることは言うまでもありません。

 報告書は、「民間運動団体の確認・糾弾という激しい行動形態が、国民に同和問題はこわい問題、面倒な問題であるとの意識を植え付け」、行政機関や新聞社、放送局、出版社等、ジャーナリズムなども、「確認・糾弾」を恐れて自由な発言や広報活動を行っていないと指摘し、「同和問題について自由な意見交換のできる環境づくり」を提言しています。

②「糾弾権」を明確に否定

 報告書は、「本来的には、何が差別かというのは、一義的かつ明確に判断することは難しいことである。民間運動団体が特定の主観的立場から、恣意的にその判断を行うことは、異なった意見を封ずる手段として利用され、結果として、異なった理論や思想を持つ人々の存在さえも許さないという独善的で閉鎖的な状況を招来しかねない」としています。

 これは、「矢田事件」にみられるように、大阪市教組東南支部の組合役員選挙で組合員に訴えた木下浄教諭の「あいさつ」を「差別だ」と断定して以来、数々の蛮行を重ね、人々の思想・信条の自由を侵害してきた「解同」の行為を明確に否定しているものです。

 また、さらに報告書は、「基本的人権の保障を柱とする現憲法下において」は、「確認・糾弾行為については、当然見直されねばならない」としています。

 これは、かりに差別があっても、差別が基本的人権を侵し、民主主義に背くものであることを国民相互の自由で自主的で民主的な批判と自己批判によって、理解しあい、納得しあい、合意することで解決すべきものであり、そのような国民のなかでの民主主義の成長にゆだねる条件を現憲法が持っているとする立場です。

 この立場から、「解同」に差別の「審判権」があるとする考えがきっぱりと否定されています。

 また「糾弾権が存在するとの主張が一部に見られるが」「糾弾権の根拠となる法律がないことは言うまでもな」く、「判例においてもそのような権利は認められていない」と、「糾弾権」そのものが否定されています。

 ところが「糾弾権」を「天賦の人権」などと暴言する「解同」幹部は、これまでにも何かにつけて「差別だ」と決めつけ暴力的な「確認・糾弾」を繰り返してきました。大阪市では、一昨年美津島中学校での「差別」事件にかかわって「確認・糾弾会」が組織されましたが、大阪市教組北大阪支部や教職員、民主勢力のたたかいで、確認会への参加は「教職員の自主的判断」との市教委答弁を引き出しています。

 報告書はこの点について、「確認・糾弾行為は、被害者集団による一種の自力救済的かつ私的裁判的行為であるから、被糾弾者が当然にこれに服すべき義務を有するものではない」、「確認。糾弾」の「場に出るか否かはあくまでも本人の自由意思によるべきことは当然」、「確認・糾弾行為は、被害者集団によって行われるため、被糾弾者の自由意思に基づいて行われるものであっても、勢いの赴くまま、行き過ぎたものとなる可能性がある」、「糾弾会への出席が、民間運動団体の直接の圧力によって余儀なくされる場合もあり、真に自由意思に基づくものかどうか疑わしい場合もあろう」など、大教組や民主勢力がこれまで指摘してきた「解同」の「糾弾」の不当性を詳細に追及しています。

③「解同」の学校教育への介入を許さず

 意見具申は、「解同」が「教育の場に介入し、同和教育にゆがみをもたらしている」と厳しく批判、同和教育の推進に当たっては、教育と運動を区別し、教育の自主性が守られなければならないと指摘しています。

 これはすでに大教組の運動方針などでも明らかにされてきたところであり、政府の一機関でさえこれを見過ごすことはできないことを明確にあらわしています。

 「部落民以外は差別者」などという対立と分断をあおる偏った「解放教育」を、「にんげん」のおしつけや研修会への参加強要などといったかたちで学校教育へ持ち込んだり、解放教育映画「人間の街」を行政機関を使って上映しこれに動員させるなど、「解同」と行政による教育への介入は、とりわけ大阪では目にあまるものがあります。最近でも例えば大東市で、一連の「差別事象」を口実に「解同」が市教委を屈服させて学校教育に介入し、その中で教職員が殴打されるといった事態が生じています。

 また、子どもたちの発達段階を無視して、いたいけな子どもたちにゼッケンをつけさせてビラまきやデモ、同盟休校までさせてきた「解同」の乱暴なやり方についても、意見具申は「児童生徒の発達段階に応じて無理なく行われる」ことが重要であるとして、批判しています。

 「教育は不当な支配に服することなく」と定めた教育基本法*1にも反するこうした介入に対し、報告書は「行政機関は毅然たる姿勢で臨むこと」と反省を迫っています。

④「解同」による同和行政の私物化を許さず、行政は主体性を発揮せよ

 報告書は、「同和教育を口実にして利権を得る、いわゆるえせ同和行為等」が部落問題の解決に逆行していることに言及しています。  解放会館など「公的施設の運営が特定の民間運動団体に独占的に利用されている例」や「解同」に「加入していない同和関係者の施策の適用が結果として排除されるという例」などは大阪では枚挙にいとまがありません。こうした「解同」幹部による同和事業の私物化や、さらに「同和建設協会」業者による入札の独占などといった利権あさりも、府民の怒りをかっています。

 これらはみな民主勢力が一貫して指摘し批判してきたものであり、意見具申でも、その解消のために行政機関が「主体性を保持し、き然として地域改善対策等の適正な執行を行わなければならない」と指摘しています。

今後の同和行政のあり方

①「差別の法規制」=「興信所条例」を否定

 報告書は、差別行為を法律で規制すべきであるとする「解同」の主張について、大阪府の「興信所条例」を名指しであげてこれを批判しています。「興信所条例」は「解同」の強い要求のもとに岸府政が多くの反対を押し切り、八五年三月に制定したもので、こうした差別行為に刑罰を課することは、差別の解消どころか「差別意識の潜在化・固定化につながりかねない」と指摘しています。これは、「差別の法規制」を柱とする「部落解放基本法」制定の策動をもきびしく批判するものです。権力などが行う差別は別として一般の人々のなかでの部落差別行為の解決のみちすじは、法律で罰するのでなく、人々の批判と討論を経て、基本的人権への理解と自覚をつくり上げることこそ本道であり、あくまで民主的に解決されていくべきものです。

②住民の自立を促すことが基本

 意見具申は、これまでの同和行政が同和関係者の自立を軽視してきたことについて触れ、今後は住民の自立を基本にすすめるべきであると指摘。そのため、行きすぎた同和行政を改め、一般行政に移行することを提言しています。

 不公正乱脈の同和行政は、部落住民の自立を遅らせるだけでなく、部落外の人々から「逆差別」との批判をかい、部落内外の国民の融合を阻害するものでしかありません。部落問題の真の解決は、同じ国民として部落民であるかないかがわからなくなり、それを問うこともしなくなる融合が遂げられた時をいいます。同和行政の肥大化・永久化はかえって部落の内と外に垣根をつくるものであり、解決の方向に逆行するものです。

③ 残事業を達成するための時限立法

 法律が制定施行されて以来、同和事業は大きく前進してきましたが、なお幾らかの必要な事業が残されたままになっています。しかし、地対法失効後はこれをやりとげる法的保障はありません。

 意見具申は、新たにこの点について、新規の時限法をつくることを提言しています。これは、真に必要な残事業を達成して一般行政へ移行準備するための五年期限の新しい法律をつくることを提案してきた全解連などの主張を反映したものといえます。また、これは、「解同」のいう「部落解放基本法」のような永続法をきっぱりと否定するものです。

二、報告書・意見具申の弱点と今後の課題

 ところで、部会報告書は以上のような積極面・前進面を持ちつつも、なお幾つかの弱点を残しています。

① 上からの同和教育のおしつけ

 第一に、報告書・意見具申は、同和行政是正の具体化を怠ってきた政府の責任を追及していません。一方で、啓発活動や同和行政の推進に当たっては「国のリーダーシップが重要」とか「国は、積極的な助言、指導を行うべきである」として、上からのおしつけを強化しようとしています。これでは同和教育の徳目化や政府作成の「道徳」の一方的なおしつけをすすめることになり、国民が主体となった真の啓発はのぞめません。

②「公益法人」の設立

 また、「一つの方法」として、「国を始め、都道府県、市町村等が参画した公益法人」を設立し、その法人が調査研究、研修等の事業をすすめるという案を示しています。しかし、大阪で顕著なように、府同和事業促進協議会(府同促)や部落解放研究所など「解同」の息のかかった「公益法人」を乱立して同和行政をすすめてきたことが、今日の不公正乱脈ぶりを助長し、「解同」と行政のゆ着をすすめてきたことは明らかです。「公益法人」設立を促すことは、大阪では、「解同」と行政のゆ着を免罪することに利用される危険性を持っています。

③ 残事業達成め財政的保障が不明確

 また、残された事業を推進するうえで、政府予算による財政的保障が重要です。しかし、軍拡と臨調「行革」路線の強行のもとで、岬その保障が十分に措置されない可能性をはらんでいます。これに対するとりくみが必要となっています。
報告書・意見具申の積極面を活用し、分会・職場での学習・討論を

 一方、地域改善対策特別措置法(地対法)の期限切れを八七年三月にひかえて、「部落解放基本法」制定の策動が「解同」と行政ゆ着のもとですすめられています。これは、部落差別の固定化と同和を口実にした利権あさりの半永久化をねらうものです。

 また、こうした動きと呼応して、大阪府は「基本法」の”教育版”といえる「大阪府同和教育基本計画」なるものを八月二日策定しました。

 「解同」とそれにゆ着した行政を真正面から批判した政府機関の報告書と意見具申が出されたことであせりを感じる「解同」と大阪府・市は、必死の巻き返しをはかろうとしています。こうした動きの中で、報告書の前進面を積極的に活用し、すべての分会・職場から学習と討論をすすめ、同和行政の歪みを正していく運動を発展させることが、いま求められています。

三、地対協報告書・意見具申に逆行する「大阪府同和教育基本計画」

 地対協部会報告書の発表と前後して、大阪府は「府同和教育基本計画」なるものを同対審総会において策定報告しました。

 国民的批判によって、暴力による糾弾は全国的には少なくなっているにもかかわらず、大阪では依然として「確認・糾弾行為」があとを断ちません。これは、大阪では岸府政のもとで行政によるてこ入れが、例えば同和研修や同和加配、「にんげん」おしつけなどといったかたちで続けられているからにほかなりません。

 こうした偏向した同和教育行政は、「同和教育基本方針」や「同和教育具体的施策」をたてにして行われてきたものですが、今回の「基本計画」はこれを受け継ぎ「追加・補充」するもので、昭和六五年度まで継続させることが明記されています。これは地対法期限切れを前に、岸府政が「解同」と一体になって画策したものであることは明らかです。そして、「部落民以外は差別者」などという対立と分断をあおる「部落排外主義」を持ち込むことによって府民・教職員の団結を崩し、分断して管理・支配していく道具にしようとするものにほかなりません。

 「基本計画」は、とりわけ次のような重大な問題を持っています。

① 偏向した「同和教育」おしつけの拡大

 「基本計画」は、これまで「大阪府同和教育基本方針」によって主に義務教育を対象としていたものを、就学前・高校・私学・大学・社会教育と、教育のあらゆる分野にまで偏向した同和教育行政をひろげています。これは、対立と分断をあおる偏向教育で府民の意識を生涯にわたって染め上げようとするものです。

 そして「にんげん」おしつけ強化や、これまで三五人基準であった同和校の学級編制をさらに「原則として三〇~三五人」として加配を強化するなど、一般校の四〇人学級早期完全実施を求める府民の切実な願いには背を向けた反府民的なものとなっています。

② 誤った教育目標のおしつけ

 「基本計画」は、「差別をしない、差別を許さない実践力」を児童・生徒に身につけさせるなどとしています。しかし、これは偏向した同和教育の目標です。

 なぜならこの課題は一人前の大人、社会人に求められる目標です。しかし、学校教育の中で追求されるべき同和教育の正しい目標は、子どもたちが、基本的人権尊重の認識を身につけることです。つまり、人間同士がお互いに相手の人格を尊重しあうことの大事さをわかるように教育することです。そしてこうした教育の結果、差別したりそれを許すことが誤りであることを自覚できる大人に成長することをめざすものです。

 「基本計画」の同和教育目標は、一人前の大人に求めるべきことを、未熟な子どもたちに要求するものであり、また、この目標を課題としている特定団体の運動に教育を従属させる目標設定です。また、このような目標は、子どもたちが差別することが誤りであることを理解し、納得し、自覚にまで高めるのを助ける教育としての目標でないため、「徳目」をおしつける「同和道徳」ともいうべき、誤った教育活動におちいる危険性をもつものです。

 このような偏向した目標のために、子どもたちの間に、「差別者」と「被差別者」をつくり出し、友情や連帯を破壊することになったり、子どもや教職員を追及し、糾弾することが、数多く起こって、学校らしい自由な雰囲気がそこなわれてきました。これが教育荒廃をひろげる重大な要因の一つになってきたことは言うまでもありません。

③「プロジェクトチーム」の設置

 これまで大阪でしばしば、児童・生徒の落書きや発言を「差別」と決めつけ、その「採用」や「保存」をさせて、それをもとに「確認・糾弾」を行うなどといったやり方で「解同」の不当な教育介入がすすあられてきました。「基本計画」は、これをあらたに「教育にかかわる差別事象プロジェクトチーム」なるものをつくっておしすすめるとしています。これは「解同」や行政の教育介入を合法化するもので、教育基本法や地対協報告書・意見具申に逆行するばかりか、「差別」狩りや「差別」のあらさがしが新たな教育荒廃をもたらすという意味でも、重大な問題をはらんでいるものです。

④ 教職員への統制・抑圧の強化

 「基本計画」は、「教職員の資質の向上」と称して、各分野ごとの「同和教育研修講座」や「校内研修」の「充実」をはかるとしています。これは「教員の資質向上」などといって上から研修を強化し、「もの言わぬ教師づくり」をすすめようとする教育臨調のねらいと軌を一にするものです。今回の「基本計画」策定は、中曽根自民党政治による教育臨調攻撃が、大阪では同和教育を利用しこれをてこにしてすすめられようとしていることを明確にあらわしています。

⑤ 「解同」との一体化の推進

 同和事業の独占的管理をすすめる役割をになってきた財団法人大阪府同和事業促進協議会(府同促)や、「解放教育」をイデオロギー的に補強する役割を果たしてきた部落解放研究所が、大阪における「解同」ゆ着の偏向同和行政をさまざま支えてきた問題点はこれまで何度も指摘されてきた通りです。にもかかわらず「基本計画」は、これらとの「連携」をさらに強めることを明記しています。これは、政府機関でさえ言わざるをえなくなってきた「民間運動団体」とのゆ着、「行政の主体性の欠如」をいっそう推進させようというもので、地対協報告書・意見具申と国民の世論に真っ向から対立するものです。

憲法・教育基本法にそった教育行政を

 「解同」に追随・屈服し、いいなりになって現場の教師を強制配転した「矢田事件」に対し、最高裁は十月十六日、大阪市教委をきびしく断罪する決定を行いました。事件発生以来十七年ぶりの教師側の全面勝訴は、「解同」の無法とこれに追随しながら教職員への統制・支配にこれらを利用してきた大阪市教委に鉄槌を下すものです。

 また「解同」の暴力とたたかった教師を転任処分にするという「吹田二中事件」では、最高裁は十月二十三日、不当処分を容認する決定を行いながらも、「解同」の蛮行を許した吹田市教委の姿勢については批判せざるを得ませんでした。

 「解同」とそれとゆ着した行政による不当な教育介入の排除を強く求める声は、今や政府機関や最高裁においてさえ無視できないものとなってきています。

 大教組はすでに、運動方針などで、教育への不当な介入を批判し、自主的民主的な同和教育を推進することをよびかけています。本来、同和教育とは、①基本的人権の尊重の認識を身につせさせる、②永年の部落差別のもとで生じている教育条件の格差を是正する、という二点に要約されるもので、これは民主教育の目標そのものです。同和教育を民主教育の一部として位置付け、偏向教育目標ときっぱり手を切り、憲法・教育基本法にそった自主的な教育目標をつくることが大切です。そのためにも、「解同」の無法と不公正乱脈の同和行政を一刻も早く改めさせ、自由にものが言える条件づくりを、広範な父母・府民と一つになってすすめていく取り組みが、いま強く求められています。

*1 この文で教育基本法とは1947年制定の教育基本法のことを言う

大阪府豊中市の人権教育の現状

大阪府豊中市の人権教育の現状

「人権と部落問題」2010年1月号掲載

はじめに

 私の勤務する豊中市は大阪北部に位置し、小学校41校、中学校18校ある人口約38万人の都市です。

 私は豊中教職員組合(全教加盟)の組合役員として、毎年、豊中市の人権教育のあり方について改善を求めて、市教育委員会と話し合う場に参加しています。三年前、市との話し合いの場で、驚くことがありました。

 大阪府下各地で問題になった、部落解放同盟の腐敗・行政への介入の問題を事実を示して批判すると、「部落解放同盟の悪口を言われたら、腹が立つもんもいるんやー」と机をたたいて人権教育企画課の担当者が激昂したのです。その人物は2009年度には、課長となって います。

 豊中では、今秋に大阪府人権教育研究協議会(以下、大人教)の豊能地域での大会が予定されています。すでに昨年度(2009年度)から、その準備に豊中市人権教育研究協議会(以下、市人研)が動きだしています。市教育長は、人権教育についてのある学習会の場で、大人教豊能大会の成功のために、次のような発言(主旨)をしています。

 「大阪府の先生方に縛りをかけるのは、人権教育しかないと思うからです。―中略―やっぱり人権教育というのを立ち上げて、その縛りの中で、教科研究も含めて、生徒指導力の向上も含めて、お互いが発表して、向上していく力をつけないと大阪はダメですよ」(「市人研ニュ ース」2009年度No.5より)

 この間の世論や社会の動きもあり、同和行政・同和教育行政において、豊中市についても表面上は見直しを行ってきています。「同和予算」というものも表面上なくなっています。しかし、一般施策に移行させて、引き続き同和教育や「人権教育」を進めようとしている実態が あります。

 たしかに、以前のような『にんげん』教材を使わなくてはいけないという学校現場での圧力はほとんどなくなっています。「人権教育」として、世界の貧困の問題や平和教育など評価できる実践も発表され、交流されています。しかし、大人教や市人研が引き続き強調しようとしている”特設”ともいえる「部落問題学習」の継続は、豊中の若い教職員に間違った認識を広げることになると考えています。

 ここでは、私の勤務する豊中市の同和行政、同和教育・人権教育の状況を学校教育での実態を中心に報告することにします。

1.「部落差別は、依然として厳しい状況にある」―豊中市行政の基本スタンス

 豊中市には”同和””人権”に関する様々な組織や委員会が残っています。豊中市同和行政推進委員会/豊中市人権啓発推進会議/豊中市同和問題解決推進協議会/同和教育推進委員会…。

 「部落差別がなくなってきたかというと、決してそうではない。人生の大きな節目といわれる就職や結婚にかかわって、同和地区出身者を排除しようとする事象はあとを絶たず、さらには、インターネットなどを利用しての新たな差別事象が発生するなど、依然として厳しい状況にある」

 これは数十年前の文章かと思ってしまいますが、「平成20年4月1日より実施する」とある「豊中市同和行政推進委員会啓発・研修部会設置要領」に書かれているものです。豊中市の部落差別についての基本認識を表しているといってよいものです。

 また、2009年度の同和問題解決推進協議会の会議議事録をみてみますと、会長が「例えば教育教材『にんげん』が来年なくなるが、それに変わる体制をどう作るのかという問題があるなど、大きなひとつの区切りである」と言ったことが話し合われています。

 教育の分野に直接関わっては、「地対財特法」期限切れ後の2005年3月に、市は「豊中市人権教育推進プラン」を策定しました。

 冒頭部分で、大阪府・府教育委員会の「地対財特法失効後の同和行政について」「同和問題の早期解決に向けて」(平成14年10月)の通知を引用し、「同和地区にはなお課題が残されており、差別事象も後を絶たず、平成12年度(2000年度)におこなった同和地区の実態調査においても、同和地区に対する忌避的態度は解消されていないなど、部落差別は解消していないのが現状である」「部落差別が現存する限り、同和問題解決のための施策の推進に努める必要がある」「同和問題を人権問題という本質からとらえ、同和地区出身者を含むさまざまな課題を有する人々に対する人権尊重の視点に立った取組みとして展開されるべきである」と記しています。

 そして、人権教育を推進するとして次のように書いています。

 「豊中市同和教育研究協議会(現豊中市人権教育研究協議会)はこれら豊中の部落問題学習についての研究活動の中心的役割を果たしてきました。大阪府教育委員会は平成14年(2002年)10月の通知において『同和教育推進校のこれまでのノウハウや実績等を今後とも生かしていくことは重要なことであり、中心的な役割を担うことである』と述べています。豊中市においては、平成14年(2002年)4月に人権教育推進モデル校区を設定し市内3中学校区を指定しています。これらモデル校区の人権教育の取組みに学び、それぞれの校区、学校園所での実践に生かしていくことが今後求められています」

 このように、豊中市は学校教育の関係では、任意団体である市人研に対する予算補助を始め、人権教育推進のモデル校区を設定して特別予算を配当し「人権教育」を推進しています。

2.豊中市人権教育研究協議会(略称「市人研」)

 2002年度より市同和教育研究協議会(略称「市同研」)の組織を改組して、豊中市人権教育研究協議会(略称「市人研」)となっています。規約には「豊中市立学校・園の全教職員でもって会員とする」となっています。どういう位置付けの団体なのか、市教委に質すと「任意の団体」と答えます。しかし、任意団体といいながらも、ほとんどの学校で校務分掌の係や仕事の一つとして、「市人研委員」を選ぶようになっています。委員は毎月1回の会議に出席、職場で市人研や地区(3市・2町)人研の集会などへの参加の呼びかけや各種調査・アンケート集約のまとめ役をおこなっています。

(1) 中学校区人研

 市内18の中学校区に分かれ、毎年秋に、「校区人研」を開催するシステムができています。レポート・報告を各幼・小・中学校に割り当て、職場によっては参加して当然というところもあります。ここ数年のレポートをみてみると、確かに「部落問題学習」を直接取り上げたレポートは、旧同和教育推進校とよばれた校区をかかえた学校以外ではほとんどありません。仲間づくりや学力保障、平和教育、国際理解教育、障害児教育といった内容ものがほとんどです。

 しかし、こうした各校区人研の状況を市人研事務局は2008年度「活動課題」で、次のように述べています。

 ”「昨年度、第3回豊中市同和教育推進委員会で、豊中市内の小中学校において部落問題学習のとりくみが少なくなってきている旨の報告がありました。これは、昨年度だけではなく、ここ数年続いている傾向です。市人研が提起する中学校区別人研(校区人研)でも、部落問題学習にかかわる実践報告があがりにくい実情があります。~中略~

 しかし、特に小中学校において、まったく、部落問題を意図した学習が展開されないならば、わたしたちの身近に存在する部落差別はどうなるのか、現在、あるいは将来的に部落差別、部落問題で揺れる思いを抱える子どもたちはどうなるのか、そういった課題が残ります。」”

 こう指摘し、引き続き市人研は部落問題学習を豊中のすべての小中学校でおこなっていくことを提起しているのです。

(2) 学校への各種調査

 年度末になると、市人研は『にんげん』教材を使った実践をやったか、職場の人権研修・聞き取り等、実地調査の報告書の提出を求めてきます。窓口は職場の市人研委員で、提出しないと何度も市人研事務局から連絡があります。

 市人研の調査・アンケートは、あくまで協力であり任意であることを組合として市教委に確認をしています。

 しかし、組合役員が市人研委員を引き受け、調査に協力しないと学校長がかわりにアンケートを返すといったこともあり、市人研の調査・アンケートは出さないといけないものという状況があるといえます。

 報告書では、「何人参加しているか」が重要になっているようです。これは、「○○○人参加している」ということで、次年度以降の市の「人権教育」予算獲得に大きく影響してくるからです。市の担当課長も、組合の「同和に偏った予算を減らしなさい」の求めに、「○○○人参加している実績がある」という根拠にしています。

(3) 市当局による市人研優遇・黙認の実態

 市教委当局は、こちらが指摘しなければ、自らこれまでおこなってきたことを改善しようとしません。毎年、組合として市人研をめぐる問題点を指摘し改善を求めてきました。

 福岡県同和教育ヤミ専従裁判で、全同教委員長の「研修」名目での派遣は違法との勝利判決が出されています。市教委に、この事実を示して、豊中での市人研事務局メンバーについて毎年質してきました。事務局長や事務局次長は、主に旧同推校の職員が毎年選ばれています。旧同推校は大阪府児童生徒支援加配が複数で配置をされており、加配教員が市人研の事務局の仕事を担っているわけです。

 「専従の人はいません。学校での仕事をちゃんとやっています」というのが市教委からの回答でした。そこで、この間、市教委に市人研事務局長と事務局次長の出張日数・回数を明らかにするように求めました。資料の提示を受けて驚きました(別表資料-サイト掲載準備中)。

 この年、市人研事務局次長は市人研、地区人研、大人研の出張だけで年間100日もの出張があるのが明らかになりました。クラス担任や学校での仕事をまともにやっていれば、こんなに出張ができるはずありません。

 市交渉の場で「これで、学校の仕事ができるのか」という追及にたいして、「学校長が認めているから問題ない」「学校の仕事もやっている」「授業ももってやっている」という回答でした。

 実は「授業をもっている」ということも、ウソだということがわかりました。2008年度に「事務局のメンバーは授業をもっているんですね」と人権教育企画課長に尋ねると、平然と「もっています」と答えました。こちらも正確な情報もつかんで「授業をしていない」ことを明らかにすると、今度は開き直って「(大阪府の)児童生・徒支援加配の人だから授業をもたなくてもいい」と答える始末でした。

 しかし、こうした追及で市教委も校長に対して必要な指導をおこなったようで、〇九年度には事務局職員も授業をもつにいたっています。しかし、まだまだ「地域との連携」の名のもとに、任意団体の市人研の活動にかなりの勤務時間を使っていることが考えられます。

 市人研の事務所は、学校施設の一部を利用しています。この間、全くの無料貸与で、その後光熱費などを支払うようにさせてきました。しかし、市人研の予算・決算書には出てこない電話・FAX、インターネットプロバイダ使用など・不明朗な会計が見られます・豊中市からの補助金198万円(平成20年度)の中の決算書には、こうした予算・決算が書かれていないのです。

 「補助金の範囲でやっていることで、議会でも何も問題にならなかったから、そんな細かいことは知らない」(人権教育企画課長)という態度です。

 また、豊中市として、これまた大人教や地区人研に対し「負担金」という名目で、それぞれ25万円ずつ支出しています。任意団体に対して、行政が公金を支出する根拠があるのでしょうか。

 自浄作用が働かない市教育委員会なので、事実をもとに問題点を、今後も指摘して改善を求めていきます。

3.特定の学校から「人権」を発信・発表させる―「人権教育推進モデル校区事業予算」

 2002年度から8年間にわたって「人権教育モデル校区事業」というものが実施されてきました。

 指定を受けた3中学校区(小学校7、中学校3校、合計10校)に対して、8年間で約3800万円を超えるお金が使われてきました。1校当たり平均380万円が配当されたことになります。2つの中学校区は、いわゆる旧同推校です。「人権」について発信や発表をしてもらうということでの特定の学校にだけの特別配当です。

 昨年度(2009年度)、この予算が具体的に何に使われているのかの資料の提示を求めました。この特別予算で支出されたものの一覧を明らかにさせました。

 そのお金の使われ方を見て、驚きました。

 模造紙・画用紙・印刷機インクなどの消耗品購入や図書・書籍として紙芝居『したきりすずめ』『おだんごころころ』や「科学アルバム」、各種図鑑(花火・昆虫)の購入などをしているのです。さらに各学校予算が削られなかなか購入できないビデオカメラ・拡大機・太鼓バチといった備品も購入されていたのです。

 学校の予算が大幅に削減されて、どこの学校も必要なものが買えない状況があります。机やイスもささくれだって必要数を学校から要望提出しても、毎年それよりも少ない数しか入ってこないという状況が続いています。その一方でこの「人権モデル校区」予算を使って、特別の学校にだけ、潤沢に消耗品や備品の購入ができるようにしているのです。

 さらに、資料から、外部講師への謝礼金や業者学力テスト費用への支出とともに、全同教・大人研など参加費、旅費が保障されていることがわかりました。

 かつては、市内のどの学校でも数年に1回、管外の出張(遠方への研究会参加)が認められていました。しかし、大阪府の旅費削減の影響が大きく、この十年間ほど、管外出張できる旅費が確保できないために、多くの職場で管外出張が難しくなっています。それどころか市内の出張や運動会ダンス実技関係の出張でも制限されいます。しかし、特定の学校にだけ、この特別予算を使って、遠方で開かれる全同教大会や大人研大会の旅費や参加費を確保しているわけです。

 さらに、ある学校では部落解放同盟の『解放新聞』(全国版・大阪版)を購読していることもわかりました。

 こうした予算の使い方は問題があり、一部の学校にだけ予算化するのはやめるように組合として毎年求めています。市教委は「人権教育について、発信・発表してもらっているので、これぐらいのことは当然、問題ない」とあらためようという姿勢がみられません。

4.最後に

 10年ほど前、豊中の教育が一部新聞にとりあげられて「たたかれた」ことがあります。通知表の二段階評価、オール「B」、評価の指導要録、さらに時間割に「国語」がない「日本語」となっている学校がある、という相次ぐ報道がされました。

 (実は、この学校の時間割には「道徳」の時間がなくて、そのかわり「にんげん」となっていたのですが、これは報道されませんでした)。

 当時、全教豊中教組にも、この新聞社の記者から取材があって、豊中の教育におけるこうした問題の根本に、大同教(当時)、市同研(当時)の運動の教育への持ち込みがあることを指摘したことがあります。しかし、そのことは取り上げられず、市教組(日教組)と全教など教職員組合に問題があるという報道がなされました。豊中市・教育委員会が同研団体・市教組(日教組)と一体となってすすめていたことを、豊中の教職員の問題にすりかえたわけです。

 そして、今もこれまでの同和行政、同和教育への反省をせず、市は同研団体(市人研)と一体となって、「人権」教育をすすめようとしています。2010年度の市予算には、「人権モデル事業」に322万円が引き続き組まれています。しかし、市人研の部落問題学習がすすまないことへの心配や、また、「人権モデル校区」に指定された学校から、短期で他校異動の希望が毎年出てくるなど、矛盾も広がっています。

 私は組合役員をしている関係で、いろんな職場の若い教職員と話をする機会があります。「多くの研修があるけれど、人権についての研修は参加しなければいけないという雰囲気がある。」と不自由さを感じている若い人がいます。豊中での歪んだ、特別視された人権教育が改善されていくように引き続き求めていくことが必要だと考えています。

(豊中市立学校教員)

大阪における同和教育終結への課題(1998)

大阪における同和教育終結への課題(1998)

 矢田事件以来吹き荒れた大阪における解放教育、運動団体と行政が加担した誤りの責任は余りにも重い。すべてを差別という視点に矮小化したところに誤りの根源がある。

「どの子も伸びる」1998年4月掲載

1.「解放教育」の発生と大阪

 1969年に引き起こされた大阪の矢田事件、それは部落排外主義の台頭のもと、「同和教育」を「解放教育」と改称し始めていた「解同」中央本部の方針のもとで、必然的に引きおこされた事件と言えるのではないだろうか。

 矢田事件とは「組合員の皆さん、労働時間は守られていますか。進学のことや同和のことなどで……」という組合役員選挙での挨拶状が一方的に差別文書とされ、記載者が「解同」府連幹部等二百人以上から脅迫、つるし上げを受けるといった事件である。

 裁判の結果は、結局、最高裁で「解同」幹部に有罪、また、差別と断定し強制配転、研修を押しつけた大阪市教委にも賠償命令が確定した。この事件の引き起こされ方一つを見ても、「解放教育」が、部落排外主義の部落解放運動の忠実な僕であったことがわかるのではないだろうか。

 それでは、裁判の結果が示したように、教育の分野で「解放教育」は正されているのだろうか。決してそうは言えない。大阪市教委はなお、矢田事件に対する謝罪を行っていないし、大阪府教委は解放教育研究会の編集による解放教育読本「にんげん」の無償配布を続けている。

2.解放教育読本「にんげん」と大阪

 雑誌「部落解放」第10号(1970年10月発行)は、解放教育読本「にんげん」の出発点を特集していて興味深い。まず、その中のいくつかの文章を紹介する。

 「にんげん」は全国解放教育研究会の編集によるものである。この「会」は部落出身教師と部落解放運動にかかわる教師・活動家によって組織されており、部落解放同盟中央本部教育対策部に属した研究組織である。だが、編集・作成にあたっては多様な要求が結集され、多くの組織が関係してすすめられてきた。

 現在の教育の内容と体制が、部落差別に全く無関心であるばかりではなく、明らかに差別を容認し、さらにこれを助長するものであることは繰り返し述べてきたところである。それは検定教科書のいずれを取り上げてもただちに指摘できる。学習指導要領はその内容において差別性をもち、その拘束性において解放教育創造のための教育現場 の闘いを圧迫し続けてきた。

 「にんげん」は権力によって他律的におしつけられたものではなく、逆に権力による不当な教育支配を打ち破る武器として積極的に活用できるものであり、すでにのべた通り、解放教育をすすめるために私たちが作成に参加し、その無償配布を要求したものである。  「にんげん」の内容は、教科の領域、集団指導の領域、部落問題、部落解放運動にかかわるものによって構成されている。それは、いずれも今日の解放教育の諸課題と解放運動の状況を、子どもの発達に即して教材化されたものである。

 これらの文章は、解放読本「にんげん」がつくられた出発点をよく表している。

 しかし、そもそも、部落解放の武器として行政に読本の無償配布を要求することが正しいことであったのだろうか。しかも、運動団体に所属する研究部によって編集されたものを。いくら教科書検定や指導要領に差別性と拘束性があったとはいえ。

 部落排外主義の糾弾路線は、府教委を屈服させ、無償配布をさせたのだが、これこそ教育の自由と自主性を奪っただけでなく、以後推進された「にんげん」実践は、部落問題の特殊化、肥大化の大きな要因をつくり出し、かえって部落問題解決への障害を生み出したのである。大阪ではまだ、それが是正されていない。

3.不公正・乱脈の同和行政と大阪

 同じ雑誌「部落解放」(第10号)のグラビアは、学校建設運動の成果として、○○○中学校の写真を掲載している。35人学級の普通教室、廊下は幅3・5メートル、LLの施設のついた英語教室、そして冷房付の講堂、その下に食堂という具合である。

 果たして、学校建設運動の成果と言えるのだろうか。同じ時期、77億円をかけてつくられた大阪市○○区○小学校には、1000人収容の大食堂やプラネタリュームまでがつくられている。(当時、普通の小学校の建築費は5億円前後)言うまでもなく、このあまりにも異様なコントラストを生みだしたものが、「窓口一本化」行政であった。

 「原罪論」「償い論」を武器に、「解同」が同和行政を自らの管理下においていった結果であった。

 それでは現在、そうした窓口一本化行政は是正されたのかと言えば決してそうではない。大阪府同和対策促進協議会(府同促)、各市同和対策促進協議会(市同促)方式のもとで、補助金、助成金、交付金が湯水のごとく使われているのである。

 1995年度の大阪府の教育にかかわる同和予算を以下紹介すると、同和加配人件費(約62億円)、「にんげん」購入費(約1億円)、府同教補助金(約1000万円)、全同教大会補助金(約1000万円)、部落解放研究所運営補助など研究事業費(約4000万円)である。

 市町村へいけば、市同和教育研究会への交付金、人権啓発協議会への交付金とあげればきりがない。
4.解放教育推進の大阪府同教と各市同教

 「差別の現実かち深く学ぶ」と称して運動を学校教育へと結合させ、「差別の現実に立ち向かい、それを変革していく子ども」と称して、解放の戦士を育てる取り組みが「にんげん」の配布とともに、大阪府同教と各市同教によって推進されている。

 大阪府同教は毎年、「にんげん」実践研究集会や府同教研究大会、そして夏期一泊研を開催し、月一回府同教通信を府下の教職員全員を対象にして配布している。その内容たるや、「同和教育を軸に、教育改革の大展開を」とか、「出会いとつながりを求めて」とか、これまでの「同和原点論」ひきずりながら、反差別だけでなく多文化、共生という視点を加えている。

 最も茶番に思えるのは、すべての研究費を大阪府に依存しながら、その府に対して「同和加配」交渉にのぞんでいることである。府同教通信には、「法のあるなしにかかわらず、差別があるかぎり施策は必要」という府教育長の答弁をかち取ったとはずかしげもなく写真入りで報告している。

 各市同教も府同教とほとんど同じ方針で運営され、法が切れた今年3月以降も、「人権教育の重要な柱として同和教育を推進する」としているところが多い。

 いずれにも共通して言えることは、人的にも財政的にもすべて府や市に依存しながら、府教委や市教委に自らの主張を押しつけているのである。府教委や市教委も心得たものでそれを活用しているのである。府教委から毎年出される「同和教育のための資料」や各市で発行されるパンフレットは府同教や市同教で報告された実践がそのまま載せられているのを見ても一目瞭 然である。

5.「人権教育」への転換と大阪

 1995年、第49回国連総会で「人権のための国連の10年」が採択された。それを受けた日本政府はいち早く反応し、翌年国内行動計画を策定した。この背景には、言うまでもなく、1997年3月末の同和事業法の期限切れから人権擁護施策推進法の成立へと移行する政府の動きがあった。一言で言うなら、解同の要求してきていた「部落解放基本法」の落としどころとして、国連十年、人権擁護施策推進法に軟着陸させたのである。

 文面を比較すればわかるが、国連10年の内容は人権に関する情報提供や包括的な人権について述べているが、国内行動計画では人権概念を差別意識の問題に倭小化し、しかも啓発や特別な人権教育を強調しているのである。つまり、国連の提起を、人権擁護施策推進法と似たものに歪曲したのである。

 この国内行動計画を全国に先がけて実施に移そうとしているのが大阪府であり、昨年三月に大阪府は行動計画を策定した。そこでは、学校や職場における人権教育の推進としてより体系的、実践的な人権プログラムの必要性と、対象者がより主体的に参加できる手法を求めている。  現に今、それに沿って「人権教育」を特別なものとしてカリキュラム化してきている学校が現れている。

 国連の人権10年は1995年から2004年である。国連の提起する人権の拡大のためにも、歪められた行動計画を批判し、同和教育の終結の取り組みをすすめることこそが大切である。

身分制度・部落問題の授業にどう取り組むか(2005年)

身分制度・部落問題の授業にどう取り組むか
  - 新中学校教科書の部落問題記述を批判する -

小牧 薫 2005年8月

1.2006年度用中学校用教科書の問題

 身分制研究の進展と部落問題の解決、同和教育の終結をうけて、教科書の記述は変わったのでしょうか?

 1972年の小学校教科書に「その他の身分」として「賤民」についての記述がなされ、74年の中学校歴史教科書には、「えた・ひにん」について詳しく記述されるようになりました。それから30年以上たつのですが、小・中の教科書は基本的には変わっていませんでした。その間、鈴木良さんが『教科書のなかの部落問題』(初版1989年、改訂増補班90年,部落問題研究所)で、小・中学校の教科書批判を展開されました。私たち歴史教育者協議会の会員も旺盛に教科書批判を続けてきました。そうした甲斐もあってか、2006年度用の教科書のなかには大きく改善されたものもあらわれました。しかし、まだ旧態依然たるものもありますし、政治起源説を払拭しきれないものもあります。帝国書院の教科書は、2002年度用で「ケガレ」説を書きましたが、今回の改訂でも、その内容は変わっていません。また、いくつかの教科書が「現代の課題」で、いまだに同対審答申を引用し、「部落差別は根強く残されている」というような記述をしています。

 現行の学習指導要領(99年版)の問題点については、すでに多方面で批判されています。なかでも社会科の内容は、科学性・系統性を無視して、「国土と歴史に対する愛情を育てる」ことが目標に盛り込まれたように、いっそうの改悪がすすみました。そのうえ、歴史修正主義者たちの攻撃や文部科学省による教科書記述に関する介入・干渉によって、教科書会社の自主規制もおこなわれ、日本の侵略戦争の実態、なかでも日本軍慰安婦、南京大虐殺、沖縄戦などの記述はおおきく後退させられました。97年以来、教科書問題というと、「つくる会」などの攻撃による教科書記述の改悪、「つくる会」の扶桑社版中学教科書の採択問題があげられますが、いまだに近代以前の身分制と部落問題についての記述は捨ておけない重要問題です。

 2006年度用の中学校教科書採択が終わり、「つくる会」の扶桑社版『新しい歴史教科書』の採択率は0.4%にとどまりました。市民の良識の勝利ではありますが、5000冊近くが子どもたちに手渡されます。日本の侵略戦争肯定、天皇中心の教科書で学ばされる問題もありますが、この教科書の身分制度と部落問題の記述も大きな問題をもっています。そして、採択率51.2%の東京書籍(以下「東書」)も、身分制度と部落問題に関する記述内容に大きな問題があります。

 本稿では、部落問題・民族問題についての記述がどう変化したのを明らかにするとともに、中学校の歴史や公民の授業でこの問題をどう扱うべきかを提起してみたいと思います。

2.2006年度用中学教科書の身分制度と部落問題についての記述

 前近代の身分制度と賤民身分に関わる記述は、「中世の文化」での、「河原者」、「江戸時代の身分制度」、「身分制のひきしめと差別撤廃を求める動き(多くは「渋染一揆」を記述)」の三ヵ所です。記述量の多いのは、大阪書籍(以下「大書」)と帝国書院(以下「帝国」)の二社のものです。一方で、日本文教出版(以下「日文」)は「河原者」について、扶桑社は「身分制のひきしめと差別撤廃を求める動き」について触れていません。

 「戦後の部落解放運動」も帝国と扶桑社は触れていません。「現代の課題」で部落差別について扶桑社と日本書籍新社(以下「日書」)は書いていません。

 このように教科書がとりあげる事柄についても、今回の改訂で大きな違いが出ました。それは執筆者の考えも反映しての結果とも思いますが、文科省による規制強化のせいだと思われます。文科省は、「つくる会」などの要求もあって、あらたに「検定結果の発表以前に白表紙本(検定申請本)を漏出させてはならない、もし、漏出が判明すれば教科書検定事務を中止する」という規則を、各教科書会社に通知しました。そのため、以前は、他社の白表紙本を検討し、書き直しをしていたことができなくなり、各社の判断で改訂作業をおこなった結果だと考えられます。また、文科省が、いわゆる「横並び」を求める検定をやめたことで、大きな違いが出てきたものと推測されます。

 いずれにしても、現在発行されている小・中学校の教科書の賤民身分についての記述は、分量が多すぎることと、内容も科学的な歴史研究を反映したものは少ないという問題を残しています。97年度用の教科書はどの社のものも300ページを超える分量でした。02年度用からは、200ページほどに薄くなりました。たしかに判型が大きくB5版となりましたが、写真や図表が大きくなり、左右に側注が付けられたため、1ページの文字数はどの社のものもほとんど変わっていません(扶桑社は06年度用からB5判に改訂)。ですから、文章は三分の一に厳選されたのです。ところが、身分制や部落問題についての記述量はまったくと言っていいほど変わっていません。「部落問題記述の特殊化、肥大化」と批判したことが改善されていないのです。特定の運動団体の要求や憲法・教育基本法に反する文科省の指導や検定が大きな原因だとは思いますが、教科書会社の営業政策や執筆者の自己規制も原因だと考えます。

3.身分制度・部落問題学習をどうすすめるか

 東上高志氏は「社会科と部落問題学習」(『別冊 教師のはぐるま 2』1975年)に、「部落問題学習の基本構想」を書かれています。そこでは、「教科書通りに、しかも資料を補強しながら、学習していきます。それが『封建社会の確立』まで進んだと仮定します。その学習のすんだ時点で、5時間か6時間を設定し」て、「部落は、いつ、誰が、何のためにつくったか」を教えることを提案されています。私自身も、「部落は、いつ、誰が、どのような必要性から、つくったのか、を科学的にとらえさせることはたいへん重要な課題である」と書いたことがあります(『部落』 366号 78年5月)。この考えが克服されるまでに長い時間がかかりましたが、今ではそうした教育実践が誤りであることがはっきりしています。

 東上氏も雑誌『部落』(554号 92年9月)で、「部落問題を正しく理解することは、本来、青年期教育や成人教育の課題であったにもかかわらず、それがストレ-トに子どもたちの学習課題にもち込まれたのである。ここから部落問題学習は新しい段階に入った」。しかし、その誤りが克服され、「小学校では部落問題を教えることはしない。教科書には部落問題を記述しない。現行教科書の記述を無視する。中学校においては部落問題だけをとりだした『特設単元』的なやり方はしない。ましてクラス担任がホームルームで特別な指導をすることは誤りである。」と書かれるようになりました。そして、私も出席した雑誌『部落』562号(1993年4月)の「部落問題学習をめぐって」の座談会で、勝山元照氏が「今日の部落問題は数学でいうたら微積分ぐらいむずかしい学習課題です。小学生は四則計算、中学生は関数というふうに習って微積分に進むわけでしょう。小学生にいきなり微積分教える人いてないでしょう」と述べ、前近代の賤民身分、近現代の部落問題についての学習は、義務教育段階で完結させる課題ではなく、高校生が社会問題について充分考えられるようになった段階で学習すべき課題だということで一致しました。

 部落問題という複雑な社会問題を学習するのは、青年期教育や成人教育の課題であるということをふまえたうえで、近世社会の学習において賤民身分のことをどうするかがつぎの課題です。

 私は、このことも小学校では教えない、教える必要がないと考えます。南部吉嗣氏は、「小学校社会科の部落問題学習について」(『どの子も伸びる』 1984年3月号)で、「とりたてて被差別部落の成立、歴史的経過、現状といった部落史を明らかにするということは目標にしない」としたうえで、小学校の歴史の授業の目標をつぎのように述べています。「(1)日本史全体をそれぞれの時代区分に従って大きくまとめ、その時代の具体的なイメ-ジを豊かに描き出させる。そのための教材の組み立てに工夫をする。(2)各時代を大まかに比較して、それぞれの時代のちがいがわかるようにさせる。(3)そのことを通じて、民衆のくらしやたたかいの方法が時代の発達とともに、進歩、発展していることが確認できる」と。

 小学校では、近世社会の成立で賤民身分については教えない。教科書の記述も無視する。秀吉の検地・刀狩によって、武士と農民が分けられ、住いも固定されたが、農民たちは長い間願っていた土地に対する権利を獲得し生産を高めることによって生活を向上させる道がつけられたことを教える。幕府や諸藩にとっても、生産が高まることは年貢収入が確実になるので、農業振興策をとるとともに、農民(本百姓)が没落しないようにさまざまな制限を加えたことを理解させる。これが近世封建社会成立期の目標です。

 中学校の歴史教育は、はじめて日本の歴史を世界の歴史と関連させながら学びます。人類の誕生から現代までを通して社会の変化・発展を学ぶ機会でもあります。

 ですから、階級とか身分ということを前近代の学習でつかみとらせることが大切です。日本民族の形成ということについても学ぶ必要があります。また、幕府権力が北海道から沖縄までを支配するようになったことも欠いてはならないことです。織豊政権から幕藩体制のもとで、百姓たちはどんなくらしをしていたのか、どんな願いをもって、どう行動したのか、それに対して権力は支配体制を維持するためにどんな政策を実施したのか、基本は、武士と百姓を中心にしてとらえさせることが目標です。そのためには、身分制社会についてわかることが条件になります。身分制度とは何かということは中学生にとっては、むずかしい課題ですから、そんなことは抜きにしてよい問題です。しかし、武士と百姓、町人、賤民というように身分ごとにわけて支配されたこと、そのおのおのがどんなくらしをしていたのか、身分と職業・居住地は一体のものとして固定されたこと、それに対するたたかいが日常の生産活動を含めて展開された事実を知ることが中学で学習するなかみだと考えます。このことを地域の資料をもとにして具体的に学びとらせるのが、中学の歴史教育です。

 高校では、はじめて被差別身分の成立についてより具体的に学習することになります。中世賤民のなかで非人と呼ばれた人々の一部がかわた・さいくなどという呼称で、百姓とは区別されて権力によって把握されたこと、かれらの職能と役務がどういうことであったのか、結婚・交際が禁じられたというが、百姓・町人との間に差別があったのか、なかったのか、事実に則して学びとらせるようにしなければなりません。そして、けっして時代をとびこえて、江戸時代の中・後期の身分差別を混同して教えないようにすることが重要です。また、身分制にこだわるあまり、基本的な生産関係である武士と百姓の関係を軽視して、賤民身分の学習に重点をおくような誤りも犯してならないことです。

 「部落差別の歴史的な起源、分裂支配という政治的目的でつくられたことを避けようとし、あるいは歴史的起源をあいまいにしようとするとして」「部落差別を残してきた行政の責任」を追及するために、いまだに政治起源説を主張したり、時代を越えた「ケガレ観」「差別観」などという意識や観念などを主軸にして「差別・非差別」の歴史をそのまま「部落史」に置きかえる考えなども出されています。

 「ケガレ観」「差別観」が、いったいだれのどのような観念なのかを解明せずに、「被差別民衆の歴史」を描き出そうとするのは、科学的な態度ではありません。

4.近代以前の身分制度の記述について

(1) 刀狩りと江戸時代の身分制度について

 新中学校教科書のなかでもっとも大きく変わったのは、大阪書籍(以下「大書」)です。「刀狩」と「江戸時代の身分制度」の記述は、つぎのようになりました。

※ 2006年度用 大阪書籍 『中学社会』〈歴史的分野〉

 刀狩 (前略)刀狩と検地によって、一揆などの百姓の抵抗を防ぎ、武士と百姓とを区別する兵農分離を進めました。さらに、百姓が田畑をすてて武士・町人(商人・職人)になることや、武士が百姓や町人になることなどを禁止し、武士と町人は町に、百姓は村にというように、住む場所も固定しました。こうして、武士と百姓・町人との身分をはっきりさせて、武士が支配する社会のしくみを整えていきました。

 江戸時代の身分制度 幕府は、武士と、百姓・町人という身分制を全国にいきわたらせました。治安維持や行政・裁判を担った武士を高い身分とし、町人よりも年貢を負担する農民を重くみました。

 さらに百姓・町人のほかに、「えた」や「ひにん」などとよばれる身分がありました。「えた」身分の人々の多くは、農業を営んで年貢を納めたり、死んだ牛馬の処理を担い、皮革業・細工物などの仕事に従事したりしました。また、これらの身分のなかには、役人のもとで、犯罪人の逮捕や処刑などの役を果たす者、芸能に従事して活躍する者もいました。このように社会や文化を支えながらも、これらの人々は百姓・町人からも疎外され、江戸時代の中ごろからは、住む場所や、服装・交際などできびしい制限を受けました。

 こうした身分制は武士の支配につごうよく利用され、その身分は、原則として親子代々受けつがれました。

 また、しだいに「家」が重んじられるようになりました。女性の地位は低くおえられるようになり、特に武家では、子どもを産んで「家」をたやさないことが役目とされました。

上の記述を下の97年版と比較してみてください。

※1997年版 大阪書籍 『中学社会』〈歴史的分野〉

検地と刀狩

 (前略)刀狩と検地は、農民による一揆などの反抗をふせぎ、武士と農民とを区別する兵農分離を進めるうえで、大きな役割を果しました。さらに秀吉は、農民が田畑をすてて武士・町人(商人・職人)になることや、武士が農民や町人になることなどを禁止し、武士と町人は城下町に、農民は農村に、というように住む場所も固定しました。こうして生活のすべてにわたり武士と農民・町人との身分をはっきりさせて、武士が支配する社会のしくみを整えていきました。

江戸時代の身分制度

 幕府は、武士の支配をいつまでも続けるために秀吉の身分制をひきついで、武士(士)と、農民(農)・町人(工・商)という身分制を全国にいきわたらせました。武士は、農民・町人よりもきわだって高い身分とされました。いっぽう、農民・町人のなかでは、年貢を負担する農民を重視し、町人と区別しました。農民のなかには、土地を持ち、年貢納入の義務を負った本百姓と、土地を持たない水呑百姓との区別がありました。町人には、地主・家持と、地借・店子との区別があり、また職人の親方と弟子、商家の主人と奉公人、そして奉公人にも、番頭・手代・でっちなどの序列がありました。

 さらに農民・町人の下に、「えた」や「ひにん」などの身分がおかれました。この人々は、生活条件の悪い所に住まわされ、服装や交際まで差別をうけました。「えた」身分の人々の多くは、わずかの田畑や小作地で農業をいとなみ、死んだ牛馬の処理や皮革業・細工物などの仕事も行いました。また、これらの身分の人々のなかには、役人の下で、犯罪者の逮捕や処刑などの役を課された者もありました。

 このような身分制は、原則として親子代々うけつがされ、農民や町人が、力を合わせて武士のきびしい支配に反抗しないようにするとともに、自分よりまだ下の者がいると思わせて、その不満をそらす役割をはたしたと考えられます。またしだいに「家」が重んじられるようになり、女性の地位は低く押えられるようになりました。

 大書は、90年代以後近代以前の身分制度の記述を部分的にですが改善してきました。それが、今回の改訂でさらに大きく変化しています。

 「検地・刀狩」 は、02年版とまったく変わっていません。97年版でも、「百姓」の用語を使わず、「農民」としたところだけの違いです。

 「江戸時代の身分制度」は、「百姓と村」「町人と町」の項の後に配置しています。たしかに賤民についての記述量が多すぎますが身分制度全体について書いています。本文では、秀吉の身分制をうけついだことを書いたうえで、基本的な身分である武士と百姓・町人について記述し、「えた」「ひにん」の記述につづきます。そして、「幕府は、武士と、百姓・町人という身分制を全国にいきわたらせました。治安維持や行政・裁判を担った武士を高い身分とし、町人よりも年貢を負担する農民を重くみました。えたやひにんなどとよばれる身分がありました」と、農工商の下に置かれた身分という位置付けではなく、それぞれの身分を幕府や藩が把握したというとらえ方に変わり、権力設定説・政治起源説を克服した記述になっています。

 また、97年版にあった「生活条件の悪い所に住まわされ、服装や交際まで差別をうけました」が「これらの人々は百姓・町人からも疎外され、江戸時代の中ごろからは、住む場所や、服装・交際などできびしい制限を受けました」に変わったことは、身分差別が社会的差別であることを明確にしていますし、部落差別が江戸中期以降のものであること、権力によって条件の悪いところに住まわされたのではないという記述に変わっていることは大きな変化です。さらに、仕事のなかに「死んだ牛馬の処理」も含めていたものが、「死んだ牛馬の処理を担い」と役負担であることが推測できるようになり、「役人のもとで、犯罪人の逮捕や処刑などの役を果たす者」とはっきりと役負担であることが書かれたことも肯定できます。

 もう一点、重要なことは小・中に共通するのですが、なぜこのような身分制度を定めたかについて、「分断して支配する」ことで、「不満をそらす役割」をという記述がなくなりました。他のほとんどの教科書はまだこの記述を残しています。そういうことから見て、大阪書籍の02・06年度の改訂は大きな改善だと考えます。

 上の教科書と最も大きくちがう3種(帝国と東書、扶桑社)の2006年度用教科書の記述は以下のようになっています。

※ 2006年度用 帝国書院 『中学生の歴史』日本の歩みと世界の動き

室町・戦国時代の 「いまにつながる生活・文化」の欄外コラム

● けがれと差別はどんな関係があるのだろう

 むかしは,天変地異・死・出血・火事・犯罪など,それまであった状態に変化をもたらすようなできごとにかかわることをけがれといいました。けがれをおそれる観念は,平安時代から強まり,けがれを清める力をもつ人々が,必要とされるようになりました。しかし一方で,かれらは異質な存在として,のけ者あつかいされるようになりました。

 なかでも,河原者とよばれた人々は,死んだ牛馬から皮をとってなめすことや,井戸掘り・庭園づくりなどを手がけていました。これらは必要な仕事でありながら,死や自然の驚異にかかわったり,特別な技能を発揮したりするためにおそれられ,差別されました。「天下第一」と賞賛された善阿弥をはじめとする,庭園づくりの名手も現れ,活躍しました。

 江戸時代の身分制度

 身分制度 江戸幕府や藩の支配が安定したもう一つの理由は、幕府が、豊臣秀吉の時代の武士と農民を区別する政策をさらに進めて、身分を武士と百姓と町人とする制度をかためたことです。そのため、百姓や町人が武士になることはできなくなりました。この過程で、百姓・町人に組み入れられなかった一部の人々が被差別身分とされました。

 〔コラム〕差別された人々 近世の社会にも、中世と同じように、死をけがれとするなど、人間がはかりしれないことをおそれる傾向が強くあり、それにかかわった人々が差別されました。もっとも、死にかかわっても、僧侶や処刑役に従事した武士などは差別されなかったわけですから、差別が非合理的で、都合よく利用されたものであるといえます。

 差別された人々は、地域によってさまざまに存在していました。このうち、えた・ひにんとよばれた人々などは、江戸時代中期から幕府や藩が出す触などにより、百姓・町人とは別の身分と位置づけられました。これにより差別は、さらに強化されました。

 えたとよばれた人々は、農林漁業を営みながら、死牛馬からの皮革の製造、町や村の警備、草履つくり、竹細工、医薬業、城や寺社の清掃などに従事しました。ひにんとよばれた人々は、町や村の警備、芸能などに従事しました。これらの人々も社会的に必要とされる仕事や役割・文化をになってきたのです。

さしえに「雪駄づくり」(大阪人権博物館蔵)を配置

 2002年版であらわれた「ケガレ」観にもとづく差別の発生という記述は改められていません。政治起源説が否定されるなかで、「ケガレ意識根底論」ともいうべき論がたてられ、一部で広まっています。この考えにもとづいた教科書があらわれたのです。

 この記述が2006年版でもそのまま残っています。この論は、ケガレ観念が差別の根底であるとして、社会的・政治的・経済的にみようとするのではなく、意識のみに着目して、ケガレ意識が根底にあって差別が発生したとするものです。

 この論では、支配者だけでなく一般民衆が差別者であり、今日でもキヨメ塩などの慣習と結びつけて死を忌みきらうなどのケガレ意識は、今なおなくなっておらず、部落差別が根強く存在しているという論に導こうとするものです。たしかに、「キヨメ」役を負わされた人々が存在したことは事実ですが、それが生業であったわけではありませんし、中世賤民の共同体からの排除を「ケガレ意識」だけで説明することはできません。また、中世以降「死穢観念」が広められるなかで、一部の賤民が共同体から排除されたことがあっても、「『天下第一』と賞賛された善阿弥」が「」特別な技能を発揮したりするためにおそれられ,差別されました」というのは無理があります。これでは、いつまでたっても「差別」の克服・解消は不可能です。(参考:井ヶ田良治「部落史学習をどのようにすすめるかー『ケガレ論』批判ー」雑誌『部落』676号2001年6月号を参照)

※ 2006年度用 東京書籍 新編『新しい社会 歴史』

 きびしい身分による差別 百姓・町人とは別にえた身分、ひにん身分などの人々がいました。えた身分は、農業に従事して年貢をおさめましたが,それだけでは生活できず、死んだ牛馬の解体や皮革業,雪駄生産,芸能,雑業などで生活しました。そして,役目として犯罪者の捕縛や牢番など役人の下働きを務めました。ひにん身分も,役人の下働きを務め,雑芸能や雑業などで生活しました。

 これらの身分の人々は,他の身分からきびしく差別され,村の行政や祭礼への参加もこばまれました。また,幕府や藩により,住む場所や職業も制限され、服装をはじめさまざまな束縛を受けました。これらのことは、えた身分,ひにん身分とされた人々への差別意識を強める働きをしました。

 東書も、「さまざまな身分とくらし」の節を「武士と町人」「村と百姓」「きびしい身分による差別」と配列しています。「士農工商」の身分差別の記述は消えましたが、その記述は旧態依然たるものであるだけでなく、いくつかの誤りを含んでいます。「えた身分,ひにん身分などの人々がいました」ではなく、かわた(のちに「えた」)やひにんが幕府や藩によって、身分として把握されたのです。そして、農業だけで生活できないから「死んだ牛馬の処理や皮革業,雪駄生産・・・」に従事したのではなく、斃牛馬の処理は役務であり、以前から従事していた皮革業や雪駄生産などの生業とは区別すべきです。後半部の「住む場所や職業も制限され」たのは、賤民身分の人たちだけではなく、この時代には武士も百姓・町人も制限されていたのです。「服装をはじめさまざまな束縛を受けました」ともありますが、江戸時代初期からこうした束縛があったわけではありません。藩が「触」を出すようになるのは江戸中期以後のことです。「これらのことは,・・・差別意識を強める働きをしました」もあわせて、明確に区別して記述すべきです。

※ 2006年度用 扶桑社『新しい歴史教科書』改訂版

 扶桑社本は、「35 平和で安定した社会」2ページで、「身分制度」「村と百姓」「城下町と町人」の3項目とコラムで「身分制度と百姓・町人」の説明をしています。この配列も不適当です。この節で大切なのは、江戸時代の村や町にはどういう人々がくらしており、まず、その人々の関係がどうだったのかを明らかにすることが順序です。支配者によって、強固な身分制度がしかれ、安定した社会が成立したと認識させたいために、このような記述にしたとしか思えません。そのうちの「身分制度」は、つぎのように記述しています。

 身分制度 秀吉の刀狩は、戦乱をおさえる効果をもたらしたが、江戸幕府はその方針を受けつぎ、武士と百姓・町人を区別する身分制度を定めて、平和で安定した社会をつくり出した。武士は統治をになう身分として名字・帯刀などの名誉をもつとともに、治安を維持する義務を負い、行政事務に従事した。▼ こうした統治の費用を負担し、武士を経済的に養ったのが、生産・加工・流通にかかわる百姓と町人だった、このように、異なる身分のものどうしが依存し合いながら、戦乱のない江戸期の安定した社会を支えていた。ただし、武士と百姓・町人を分ける身分制度は、必ずしも厳格で固定されたものではなかった。このほか、公家や僧侶、神官などの人々がいた。▼ こうした身分とは別に、えた・ひにんとよばれる身分が置かれた。これらの身分の人々は、農業のほかに牛馬の処理、皮革製品や細工物の製造にもっぱら従事し、特定の地域に住むことが決められるなど、きびしい差別を受けた。

 コラム 身分制度と百姓・町人  江戸時代には,「士農工商の4つの身分があった」といわれることがある。しかし,「工」(手工業者)と「商」(商人)のあいだには身分上の区別はなかった。

 「士農工商」は中国の古い書物にあるいい方にすぎず,江戸時代に実際に行われていた身分制度は,武士,百姓,町人の3つの身分を区別するものだった。

 江戸時代の身分制度は,職業による身分の区分であり、血統による身分ではなかったから,その区別はきびしいものではなかった。百姓や町人から武士に取り立てられる者も,反対に武士から町人などになる者もいた。武士の家でも,長男が家をつげば、二男・三男らは農家の養子になることもあった。

 町人は,城下町に住んでいる,武士以外のさまざまな職業の人をさし,百姓は,村に住んでいる人々をさした。したがって,城下町で営業する鍛冶屋は町人である一方,「村の鍛冶屋」は手工業者でも百姓でもあり,漁業や林業に従事する人々も百姓だった。だから,「百姓=農民」では必ずしもなかった。

 扶桑社も、文章がやさしくなり、中学生が読みこなせるものにはなりました。しかし、江戸時代を「平和で安定した社会」と見るのは一方的な見方ですし、えた・ひにんだけが「特定の地域に住むことがきめられ」と、事実に反する間違った記述をしています。また、「武士と百姓・町人を分ける身分制度は、必ずしも厳格で固定されたものではなかった」という記述をしていますが、それは百姓や町人が身分制度を切り崩していく動きを示したからで、幕府や藩がそうしたわけではありません。ですから、身分制度がゆらぎだした江戸中期以後身分制のひきしめがおこなわれ、民衆の間での差別が生じるのです。この点からも誤りです。

 中世賎民が存在し、そのなかの「えた」身分などが、近世社会になって権力によって賤民として把握され、武士と百姓・町人の身分制度が確立したのであって、江戸幕府が農民や町人の不満をそらすために賤民身分をつくったというのは、事実に反することで、目的と結果を混同しています。

(2) 渋染一揆の記述について

 渋染一揆については、扶桑社以外のすべての教科書に記述されています。しかし、江戸時代の身分制度の動揺については、大書以外は記述していません。70年代以降、この時期の記述にはえた・ひにんに対する身分差別の強化が強調されていました。また、封建支配の過酷さが強調され、子どもたちは、「江戸時代=悲惨な時代」との認識を植えつけられることになってしまっていました。90年代後半からは、そういった記述はなくなりましたが、一部には渋染一揆を特別に取り出して、賤民の人権獲得のたたかいを強調するものもあらわれてきました。いずれも不適切だと思います。

 生産と流通の発展によって人々のくらしが向上し、身分をこえた交流も含めて、封建的な身分制度が揺らいできたことをおさえたうえで、幕府や藩の反動的な支配政策に抵抗する百姓一揆や打ちこわしが頻発するようになることを学習します。これに対して、身分制度引き締め策の一環として賤民身分にたいする差別政策の強化が打ち出されてきます。ですから、渋染一揆を取り上げるとしても、江戸時代後期の百姓一揆のひとつとして学ぶこと、倹約令に付け加えられた5カ条が認められないというかわた(えた)身分の要求行動(平等の主張)によって、別段御触書の法令を空文化させたことを教えるべきです。中学校の学習で、差別への怒りや憤りをもたせるとか、立ち上がった人々に共感するなどのねらいはまちがっています。一揆後の逮捕者の処遇や人々の交流のなかで自然となされた「茶店のふるまい水」を「身分をこえた連帯」として強調することも必要ないと思います。そういう視点で新教科書を見てみると、大書の記述は渋染一揆でおさえるべき点を簡潔に記述していますが、清水の記述は大きな問題があると思います。

 大書は身分差別強化と渋染一揆について、107ページと136ページの2ヵ所に分けて書いています。

「幕府政治の改革と農村の変化」の欄外

 豊かになる人びとと身分制のひきしめ 「えた」身分の人々のなかにも、広い田畑を経営する者や、雪駄づくりの仕事を行って豊かになる者も出てきました。村の人口も増え、他地域との交易も広まりました。これに対して幕府や藩は、身分制のひきしめを強め、とくに「えた」や「ひにん」などの身分の人々に対しては、人づきあいや髪型・服装について、きびしく統制しました。その結果、人々のあいだに差別意識がいっそう浸透していきましたが、こうしたなかでも、これらの身分の人々は互いに助け合い、結束して生活を向上させていきました。

 (さしえに「雪駄づくり」〈大阪人権博物館蔵〉の写真)

 そして、「江戸幕府の滅亡」のあとの「歴史を掘り下げる」で、「幕府や藩の支配をゆるがした人々」の題で、大阪の国訴、渋染一揆、高杉晋作、久下玄瑞、坂本龍馬を取り上げています。そのなかの渋染一揆の部分は以下のように書いています。

渋染一揆の嘆願書

 わたくしどもは「えた」とはいえ、一般の百姓と同じように田畑を耕して、年貢もきちんと納めています。それなのに、衣服まで差別されては、農業にはげむ気持ちさえなくしてしまいます。わたくしどもは、一般の百姓たちがすててしまった荒れ地までも耕し、女どももぞうりづくりなどの内職にはげみ、少しでも年貢を多く納めるようつとめてきました。紋付の着物を着てはいけないといわれますが、わたくしどもは、新しい着物ではなく、安い古着を買って使っているから紋がついているのです。それなのに、なぜこのようなきびしい倹約令を出されたのでしょうか。ほんとうになげかわしく思います。(一部要約)

 差別の撤回を求めた人々

 1855年,岡山藩は,財政難を解決しようとして倹約令を出しました。とりわけ,「えた」身分の人々に対しては,「新しくつくる衣類は木綿で,しかも無紋・渋染・藍染のものに限る」など,きびしい風俗差別の命令になっていました。そのため,53か村の「えた」身分の人々が団結して反対し,翌年,嘆願書を出しました。しかし,嘆願書が差しもどされたため,20か村あまりから1500人以上の人々が集まって一揆を起こし,3日にわたる交渉の末,藩に嘆願書を受け取らせました。藩は,その後,これらの人々に対する風俗の規制を実施することができなくなりました。

 このように,19世紀の半ばごろから,社会の枠組みをこえて,自由な経済活動や平等な社会を求める動きが盛んになりました。

 清水は、「幕府政治のゆきづまり」に、欄外のカコミで、つぎのように記述しています。

 渋染一揆

 幕府の支配力が弱まってくると,身分差別が強められました。岡山藩では,農民に倹約令を出し,それを徹底させるために「えた」身分とされた人びとに対し,藍染めや柿渋で染めたもの以外の衣類を着ることを禁じました。

 人権をまったく無視した条文に対して藩内50あまりの「えた」身分の人びとが何度も話しあって嘆願書をまとめ上げましたが,期待に反して嘆願書は差し戻されました。話しあいを重ねるなか,ようやく嘆願書を受けとらせることができましたが,この行動は法度を犯すもので,藩の取り調べの結果,12人が入牢となり,そのうち6人も獄死しました。その後,牢内外の「えた」身分の人びとの嘆願運動により,6人は2年後に釈放されました。これは封建制度の時代にあって他に例を見ない人権獲得のたたかいであり,この人間としての尊厳を守りぬいたたたかいの精神は,いまも部落解放運動のなかに生きつづけています。

 清水は、岡山藩の倹約令の全体について触れていませんから、えた身分のものだけに倹約を強いたようにも読めます。そして、えた身分に対する倹約令を空文化させたことは書いていません。それなのに、きびしい刑罰について書き、この一揆を「他に例を見ない人権獲得のたたかいであり,この人間としての尊厳を守りぬいたたたかいの精神は,いまも部落解放運動のなかに生きつづけています」と最大級のほめ言葉でしめくくっています。渋染一揆のとらえ方の問題といい、その扱い方には大きな問題があります。

5.近現代の部落問題記述について

 部落問題は、近代日本の大日本帝国憲法体制の確立とともに成立し、戦後の社会に残存した社会問題です。天皇制絶対主義体制を支える縦系列の支配体制の一貫として、身分差別も温存されたのです。被差別部落民は、賤称廃止令を積極的に受けとめ水利権や入会権、祭礼参加などを実現し、部落改善運動から部落解放運動へと自覚的にたたかいを発展させました。そして、日本国憲法体制のもとで、労働者や農民と結合したたたかいによって部落差別を克服・解消させることができたのです。

 中学校の歴史学習で、とくに限られた時間のもとで、これらのことをすべて学ばせるのには無理があります。しかも、さきにも述べましたように、部落問題は複雑な社会問題で、中学生の学習課題としては無理があります。教科書に記述するとしても、その時々の社会問題と関連づけて、かんたんに触れる程度であるべきです。そして、なによりも大事なことは、長年の運動によって部落差別が克服・解消されたことを認識させることです。その観点から見ると、新教科書の記述内容にはまだまだ問題のある記述が残っています。

(1) 明治政府の身分制度改革について

 明治政府は、天皇を神格化し、1869年の身分制度の改革で、天皇の一族を皇族、公家と大名を華族、武士を士族、百姓と町人を平民としたことをまずおさえます。そして、1871年の賤称廃止令によって、「えた」「ひにん」の呼称と身分・職業・居住地の制限をなくし、平民同様としたことに触れます。さらに、この布告をよりどころにして、旧賤民の人びとが用水権や入会権、祭礼への参加や対等な交際を求める運動をすすめたことを学ぶべきです。不徹底な身分制度改革によって、旧賤民に対する差別がいっそう強まったというとらえ方はまちがっています。

 明治政府の改革では、どの教科書も身分制度改革について触れています。しかし、天皇・皇族・華族や平民について書いているのは、東書、大書、日文の3社で、他社のものは天皇・皇族について記述していません。

 扶桑社と清水の記述には大きな問題があります。

 扶桑社は、明治政府の政策を肯定する立場で、華士族平民だけでなく、旧賤民も平等な権利を保障されたかのように書きながら、旧賤民にたいする「社会的差別は、そののちも長く消えず,さまざまな形で残った」と、天皇制政府は善政をおこなったが、国民が差別を強化したととらえさせようと、具体性のない、差別を強調する問題の多い記述をしています。

四民平等の社会へ

 いっぽう政府は,四民平等をかかげ,人々を平等な権利と義務をもった国民にまとめあげていった。まず,従来の身分制度を廃止し,藩主と公家を華族,武士を士族,百姓や町人を平民とした。そして,平民も名字をつけることを許し,すべての人の職業選択,結婚,居住,旅行の自由を保障した。さらに, 1871年には解放令が出され,えた・ひにんとよばれた人々も平民となり,同等な地位を獲得したが,これらの人々への社会的差別は,そののちも長く消えず,さまざまな形で残った。

 清水は、「身分制度の廃止」を2ページで扱い、「四民平等」「徴兵令」「家禄の廃止と廃刀令」「残された差別」の4項目の記述をしています。天皇・皇族についての記述がないだけでなく、「四民平等」で「江戸時代に『えた』『ひにん』とされていた人びとを身分解放令によって平民とした」と書きながら、「残された差別」で、つぎのように書いています。

 残された差別 こうした一連の改革は、それまでの支配身分の特権をおおはばにけずり、廃藩とともに、社会のありかたを大きくかえるきっかけとなった。ただし、完全に平等な社会ができたわけではない。華族は国家の手厚い保護を受けつづけた。いっぽう、幕藩体制のなかでつくられてきた身分差別の観念は,身分制度の廃止後も人びとのあいだに根強く残った。とくにそれまで,『えた』『ひにん』とされていた人びとは,新しい職業についたり、住所を移したり,教育を受けたりする自由を,江戸時代とかわらず強く制限され差別されつづけた①。政府による公的な経済援助などがなかったこともあり,この差別問題は,いまも同和問題として残され,その解決の取り組みがつづけられている。

 (側注)① 差別されてきた「えた」身分(被差別部落)の人びとの生活をそれまで支えてきたしごとでも,その利益に着目した実業家などによってそのしごとがうばわれた。それに徴兵などの義務もくわわり,より生活に苦しむようになった。また,一部の農民のなかには,これらの人びとが自分たちとおなじ身分になったことで不利益をこうもると考え解放令反対一揆をおこす地域さえあった。

 上の文は、天皇と皇族について書いていないだけではなく、「身分差別の観念は,身分制度の廃止後も人びとのあいだに根強く残った」と、近代における部落差別を「観念」によるものとし、明治の身分制度改革の記述にあわせて戦後のことまで書き、「いまも同和問題として残され,その解決の取り組みがつづけられている」と問題のある記述です。それだけでなく、特殊な事例として、他社の教科書が書いていない「解放令反対一揆」についてまで言及しています。明らかな特殊化・肥大化です。

 それに対して、東書と大書は、皇族について書き、「解放令」をよりどころにした旧賤民の人々の動きについても書いています。

 大書の記述をつぎに掲げます。

江戸時代の身分制の廃止

 新政府は、江戸時代の身分制を改め、天皇の一族を皇族,公家と大名を華族,武士を士族,百姓と町人を平民としました。1871年には,「えた」や「ひにん」などの身分についても,これを廃止するという布告(「解放令])を出しました。また政府は,身分による結婚・職業・居住地の制限を廃止し,すべての国民は,名字(姓)を名のることができるようになりました。こうした政策を四民平等といいます。四民平等は,民衆の願いにこたえるものであるとともに,政府にとっても,納税や兵役などで,すべての国民の協力を得るために必要なことでした。

 しかし,もとの「えた」や「ひにん」などの身分の人々(4)に対しては,職業・結婚・居住地などでの差別も根強く残されました。そこで,「解放令」をよりどころに,山林や用水の利用,寄合や祭礼への参加,対等な交際の要求など,差別からの解放を求める動きが各地で起こりはじめました。

 (側注)(4)こうした身分の人々は,生活改善の施策も受けられず,これまでもっていた職業上の権利を失ったうえに,他の人々と同様兵役や教育費の負担を加えられていました。

 大書の記述も、百姓や町人も生活改善の施策が受けられなかったことについては触れていませんし、「職業・結婚・居住地などでの差別も根強く残されました」と協調していることなど問題は残っていますが、よりましな記述だと思います。

(2) 全国水平社について

 全国水平社の結成についても、全八社とも記述しています。ここで重要なことは、第一に、水平社の結成や水平運動を特別に強調して扱わないことです。第二は、民主主義的意識の高まり、社会主義思想も広まるなかで、全国的な労働組合や農民組合が結成され、小作争議や労働争議がおこされたこと、婦人解放運動が展開されたこと、日本共産党が創立されたことなどと結びつけて全国水平社を扱うことです。第三に、これらの運動が生活のなかに民主主義を実現しようとしたものであったことを位置づけることだと思います。

 全国水平社の結成については、各社とも、1920年代の社会運動の項で扱っていますが、ここでも、配列や記述内容、図版に問題があります。帝国は、「民衆が選ぶ政党による政治」で、「護憲運動」「政党政治と男子普通選挙」「女性参政権を求めて」「治安維持法の成立」のあとに、「都市の発展と社会運動」の節を設けて、「都市の発展と環境問題」「さかんになる社会運動」「解放を求めて立ち上がる人々」という構成で、全国水平社を扱っています。しかも、全国水平社の名前は出しても、日本労働総同盟や日本農民組合、日本共産党の創立は書いていません。男子普通選挙や治安維持法を学習したあとで、労働争議や小作争議、水平社の運動を学ぶのでは混乱してしまいます。

 本文に、日本共産党の結成を書いているのは、東書、日文、日書の三社で、大書、清水は側注にしか書いていません。扶桑社は、「第二次世界大戦の時代」の最初の節の「共産主義とファシズムの台頭」の側注に「コミンテルン日本支部としてひそかに創立された」と書いています。東書の「広がる社会運動」の記述は、先に述べた各界各層の社会運動が組織的に展開されたことを記述していますが、具体性に欠けます。それなのに、「水平社宣言」(部分)、「全国水平社創立大会のビラ」、「全国水平社青年同盟の演説会で、差別とのたたかいをうったえる山田少年」の三枚もの図版を配置しています。あきらかに肥大化・特殊化といわねばなりません。

(3) 戦後の部落解放運動と現代の課題

 戦後の部落問題について詳しく学習することは中学の歴史学習の課題ではありません。日本国憲法を暮らしにいかす運動の展開によって、同和対策のための特別法を制定させ、部落の環境改善が実現し、市民的交流もすすみ、部落内外を分け隔てていた障壁も取り除かれていきました。そうしたなかで、いまでは部落差別が克服・解消の段階にまで到達したのです。このことは、公民の平等権の学習で、具体的に学ぶにしても難しい問題です。ですから、戦後の社会運動の高まりを学習する際に、部落解放運動が再建されたことについて触れることはあっても、詳しく記述する必要はないと思います。

 戦後の部落解放運動と現代の課題の記述は、大きな違いがでました。帝国と扶桑社は戦後の部落解放運動について書いていません。現代の課題で部落問題について触れていないのが扶桑社と日書です。

 大書の「また、全国水平社の伝統を受けついで,部落解放全国委員会がつくられました」は他の運動の記述との関係でバランスを欠いたものだと思います。

 現代の課題で、扶桑社と日書は記述していませんが、他社はつぎのように記述しています。どの社も、「解決しなければならない課題」として、現代の状況を正しく反映した記述にはなっていません。それだけではなく、教出や清水の記述は「意識の問題」として取り上げるという問題を含んでいます。

 東書「部落差別の撤廃は,国や地方公共団体の責務であり、国民的な課題です。」(側注あり)

 大書「国内にも解決しなければならない問題があります。市民と自治の連帯を強め,部落差別,障害者や女性,在日外国人,アイヌの人々などへの偏見をなくし,あらゆる人々に公正で人権を尊重する社会を築くことが,21世紀を生きる私たちに求められています。」(側注あり)

 教出「人類は,長い歴史を通して,差別をなくし,人権と民主主義の確立を求めてきました。しかし、日本にはまだ差別や偏見が残っており,部落差別の撤廃は,国や地方自治体の責務であるとともに,国民の課題です。」

 日文「部落差別をはじめ、アイヌ民族や在日韓国・朝鮮人に対する差別,あるいは,障害者,男女差別の問題もなくなっていない。」

 清水「しかし,人権をたてまえではなく、実質的に保障するためには多くの課題が残されている。近年,物質的に豊かな社会にあって他人の痛みや権利をかえりみない風潮もある。同和問題の解決は,国および地方公共団体の責務であり,国民的課題として,長い間の部落解放運動の発展を基礎としながら, 1965年の同和対策審議会答申を受け,生活改善のための法律が制定されてきた。しかし,いまだ差別はなくなっていない。部落差別は,結婚や就職の機会均等などの市民的権利が保障されていないことにある。この日本固有の人権問題である部落差別解消の取り組みを礎として,実生活に残る性差別をなくすとともに,心身障害者や高齢者,在日外国人などの人びとが豊かで安心してくらせるための具体的な施策が求められている。とくに在日韓国・朝鮮の人びとについては,これまでの歴史の正しい認識をふまえて,差別や偏見をなくすことが必要である。アイヌの人々については,新たにアイヌ文化振興法が制定されたが,偏見をなくし,少数民族固有の伝統を守ることが重要である。」

 帝国「その一方で,日本国内にも解決すべき問題が多くあります。部落差別、アイヌの人々や在日コリアンへの差別,男女共同参画社会の実現などは、基本的人権にかかわる重大な問題です。」

6.中学校公民教科書の記述について

 中学校社会科公民的分野の教科書での部落問題の扱いも大きな問題があります。現に、同和対策(地域改善)の特別法が廃止され、部落問題が克服・解消された段階であるにもかかわらず、各社とも、40年前の「同和対策審議会答申」そのままの文章を残しています。公民教科書では、この部落問題記記述をなくすことが当面の課題だと思っています。

 中学校の公民の学習で、部落問題を取り上げるかどうかについても、十分検討する必要があります。私は、江戸時代の身分制度のなりたちから現代の部落問題解決の状況までを、概説するようなことはすべきではないと考えます。もし、取り上げるにしても、国民の運動によって、環境改善などの部落対策がすすみ、部落内外の交流の進展で、部落差別を許さない社会が築かれたことを学ばせるべきだと考えます。私は、和歌山県白浜町の同和教育読本を参考にしながら、「獅子舞ができるようになった」の資料を作成しましたし、就職差別や結婚差別がどのように克服されてきたかを具体的に学ばせることが大切だといってきました。日本国憲法の平等権学習で、子どもたちにとっての身近な問題は、性差別であったり、民族差別、障害者差別ではないでしょうか。教科書には、そうした問題をどのように解決してきているか、今後どういう問題を解決していかなくてはならないかを記述すべきだと思います。歴史教育者協議会や全国民主主義教育研究会の会員の実践でも、憲法第14条に示された平等権を実現してきた事実を学ぶことによって、憲法を暮らしにいかすことが可能になっていることを教えています。その点で、各社の記述を見てみると、どの社のものも問題の多い記述となっています。

 東書は「人権と共生社会」で、読み物資料をあわせて6ページの扱いです。下の本文にあわせて、側注に「部落差別をなくそう」のポスター、次ページに「読み物資料」として「義足の三塁手と義肢装具士」「友達が教えてくれたこと」(在日コリアンの作文)「アメラジアン」と、「差別をのりこえてー詩 お姉さんへ」で、結婚差別を克服していった姉のことを書いた中学生の詩をのせています。部落問題にかかわっての本文は、つぎのように記述しています。

 差別をなくすために 今日の社会でも,日本社会に固有の部落差別,アイヌ民族差別,在日韓国・朝鮮人への差別が根強く残っています。これらの差別は,根本的には人間の尊厳の原理に反するものです。このような理由のない不当な差別は,一日も早くなくさなければなりません。

 部落差別からの解放 歴史で学習してきたように、江戸時代のえた,ひにんという差別された身分は、明治になって法律で廃止されました。しかし明治政府は,差別解消のための政策をほとんど行わず,その後も、就職,教育,結婚などで差別は続いてきました。

 1965年の同和対策審議会の答申は,部落差別をなくすことが国の責務であり、国民の課題であると宣言しました。そして,対象地域の人たちの生活の改善が推進されてきました。また, 1997年からは、同和対策事業をさらに進めて,人権擁護の総合的な施策が行われています。人権教育などを通じて、差別のない社会が求められています。

 いまだに、部落差別を民族差別と同等に扱い、国の政策を列挙しています。これでは、部落問題が克服・解消の段階に達したことはわかりません。

 大書は、「等しく生きる権利(1)」で、「平等権とは、男女共同参画社会をめざして、障害者とともに生きる社会」について書き、「等しく生きる権利(2)」で、「部落差別をなくすために」「アイヌ民族への差別」「在日韓国・朝鮮人差別」について記述しています。  最初に、下の文章の上に、北九州市の高校1年生が書いた詩(「なぜ、なぜ、なぜ」)が掲げられています。その詩では、「なぜ私たちだけが差別されるのか 就職,結婚,いろいろなことに なぜ私たちだけが 苦しみ,傷つかねばならないのか」とあり、差別を固定的に見ています。そして見開き2ページには、「昔から伝わるアイヌ民族の祭り」(写真)、「全国高校ラグビー大会に初出場した大阪朝鮮高校」(写真)、「国立大学の受験資格が広がることを報じる新聞」(コピー)をのせています。

 部落差別をなくすために 部落差別とは,職業選択の自由や結婚の自由などの権利や自由が,被差別部落の出身者に対して完全に保障されていないことをさします。

 1922年に全国水平社が創設されて以来,被差別部落の人々を中心とする差別からの解放を求める運動がねばり強く進められてきました。その結果、政府の同和対策審議会は, 1965年,同和問題が人間の尊厳にかかわる問題であり,緊急な解決が国の責務であり,国民の課題であるという答申を出しました。この答申に基づき,同和対策事業特別措置法など(1)が制定され,対象地域の生活環境はかなり改善されてきましたが,就職や結婚などで差別がみられます。いっぽう,差別を許さない運動や,学校や社会において差別をなくす教育が進められて,差別に立ち向かう人々も増えています。

 (側注)(1)1982年に地域改善対策特別措置法が制定されるなど,さまざまな施策を経て,1996年には,人権擁護施策推進法が制定されています。

 「差別を許さない運動や,学校や社会において差別をなくす教育が進められて,差別に立ち向かう人々も増えています」と、他社にはない文章でしめくくっていますが、前半部分は同対審答申と特別措置法の説明であり、「就職や結婚などで差別がみられます」と問題のある記述をしています。

 扶桑社は、「29 基本的人権2〈平等権・社会権〉」の「法の下の平等」(1ページ)と「32 私たちの社会に潜む差別」(2ページ)の「社会に残る差別」の部分で扱っています。「社会に残る差別」は、【部落差別】【男女平等】【外国人】【障害者】からなっており、コラムで「『外国人』お断りの店」、「男女の賃金格差」のグラフ、「アイヌの人々」の写真、「DVの新聞記事」を配し、本文ではつぎのように書いています。

 法の下の平等 人間は顔や体格はもちろん,その能力も性格も千差万別である。しかし法はそのようなちがいをこえ,すべての国民に等しく適用されなくてはな らない。▼ 憲法は「すべて国民は、法の下に平等」(14条)であり,人種や性別,社会的身分などによって差別されてはならないと定めている。それは「すべて国民は,個人として尊重される」(13条)という憲法の精神に沿ったものでもある。▼ さらに憲法は,華族などの貴族の制度を否定するとともに,勲章などもあくまで個人の功績を認めるものであり,家柄などにつながるものではないとしている (14条)。▼ しかし,平等権は社会を秩序づけている役割分担や,個人の立場までなくそう としているのではない。▼ また,行き過ぎた平等意識はかえって社会を混乱させ,個性をうばってしまう結果になることもある。憲法が保障しているのは,絶対的な平等ではなく,不合理な差別は許されないということである。

 【部落差別】憲法が禁止する家柄や血筋による差別のひとつに部落差別がある。1965 (昭和40)年には同和対策審議会答申が出され, 1969年には同和対策事業特別措置法が制定された。これらにより同和地区に住む人々の生活はしだいに改善されてきた。また全国の学校や職場の多くでも人権・同和教育が進められてきた。しかし,今日でも結婚などに際して偏見に苫しめられたり,心ない落書きがあるなど,完全には解消されていない。

 社会に残る差別 これまで見てきたように基本的人権の考えに基づいた法や制度により,多くの差別や偏見が取り除かれてきた。しかし,国内には今なおあちこちに不平等なあつかいや不合理な差別に苫しむ人々かおり,その解決は国民的な課題となっている。

 まず、平等権と社会権を2ページで並べて扱うことが問題です。平等権というのは、自由権と社会権の両方にかかわるのに、そういう基本的なふまえないで、並列していることが問題です。しかも、華族制度の廃止以外具体的なことは何も書いてありません。それだけでなく、「社会秩序」の大切さを書き、「行き過ぎた平等意識はかえって社会を混乱させ,個性をうばってしまう結果になることもある」と、平等権の実現を求める動きを抑えにかかっています。これでは、人権学習は成り立ちません。

 もうひとつ、「アイヌの人々」の題で写真を掲げていますが、この写真については、旭川チカップニ・アイヌ民族文化保存会と同会会長の北川シンリツ・エオリパック・アイヌさんらが、「断りもなく本人と特定できる写真を無断で載せることは許せない。差別の項目に掲載するのはアイヌ民族を侮辱し差別する行為だ。」「行事は、実行委員会の要請で行われたもので、アイヌの伝統的なまつりではない」と、扶桑社に抗議と訂正要求をしました。ところが採択終了後も話し合いに応ぜず、ようやく12月になってからの協議で、写真の差し替えと謝罪文の掲示をおこなうという問題もありました。

 日書は、「平等なあつかいを受ける権利」で、「法の下の平等」「ほんとうの平等を求めて」の文と、写真と資料で絵画「フランス革命前の社会」、「女権宣言」について説明し、フィンランドの男女平等法、ノルウェーの「男女平等の本」の表紙を掲げています。さらに、「差別をなくしていく努力」で欄外に、「部落差別をなくしていくために」のコラムを掲げ、「現代社会と差別」「女性差別」「障害者差別」「まだある差別」の記述をしています。 

●部落差別をなくしていくために

 話は少し古くなりますが, 1975年に,全国の同和地区の所在地をのせた『部落地名総監』という差別図書が会社に出回り,入社の採用選考に利用されていることが発覚し,大きな社会問題となりました。

 大阪府では,この『部落地名総監』の売買を契機にして,部落差別につながる悪質な調査などをなくし,同和問題を解決するために, 1985年から「大阪府部落差別事象に係わる調査等の規制等に関する条例」を施行しています。この条例は,同和地区出身という理由で,結婚差別をしたり就職差別をしたりすることを防ぐためにつくられたものです。

 しかし,条例がすべてではありません。わたしたち一人ひとりが,あらゆる差別を「しない、させない,許さない」という人権意識を築きあげていく不断の努力をしていくことが,だいじなことです。

 本文はつぎのように書いています。

 まだある差別 法の下の平等にもかかわらずなお残っている差別も少なくない。日本で長く生活している韓国人,朝鮮人,中国人など定住外国人への差別はその一例である。彼らのなかには,かつて日本が植民地とした朝鮮,台湾から強制連行などで移住させられた人々の子孫もいて,日本で生活を続けているが,就職などで依然として差別を受けている。また,定住外国人には,選挙権をあたえられていないとか公務員になれないなどの制限もある(1)。こうした差別をなくし,制限についてもその実態を検討していく必要がある。

 部落差別 江戸幕府の身分政策でかためられた部落差別は,明治以後になっても残った。1922年の水平社結成以来,部落解放運動によって差別撤廃の運動が進められてきた。戦後は1965年に「同和対策審議会答申」が出され,69年には同和対策事業特別措置法」が制定された(2)。これによって、国や地方自治体の責任で被差別部落の環境改善がかなり進められてきたが,部落への偏見は,結婚や就職の際に依然として残っている。

 ◎話しあってみよう 差別したこと,されたことを,思い出して話しあってみよう。

 (側注)(1)最高裁判所は,日本に永住している外国人の選挙権については,地方自治体の選挙権では肯定的な見解をとり,国政選挙については否定的な見解を示している。

     (2)2003年をもって,この法律は失効し,国としての特別対策は終了した。

 カコミの「部落差別をなくしていくために」でとりあげている、大阪府のいわゆる「興信所条例」=「大阪府部落差別事象に係わる調査等の規制等に関する条例」は、「差別」の認定者、規制対象、解決方法などの点で問題が多く、条例反対運動があったものですし、制定後も差別克服に役立っているものとはいえない条例です。それなのに、内容についての批判抜きにこのように肯定的に扱うのは問題です。また、「部落への偏見は,結婚や就職の際に依然として残っている」という事実に反する記述をしています。

 以上、歴史と公民の身分制と部落問題の記述について詳しくみてきましたが、まだまだ問題の多い記述ばかりといっても過言ではありません。子どもたちに、身分制と部落問題についての正しい認識をもたせるためにも、いっそうの教科書批判が必要だと考えます。

(教科書本文・側注の○数字はJIS外字ですのでホームページ掲載にあたっては(数字)に変えています。)

社会認識の形成

どの子も伸びる研究会 めざすもの

1997年2月 月刊誌「どの子も伸びる」掲載

社会認識の形成

 社会科は、戦前の教育が非科学的な歴史をもとに人間の尊厳や人格を否定し、侵略戦争を遂行するための人づくりであったことに対する厳しい反省のもとに発足しました。そして、子どもたちに自分が生きている社会を見つめ、考えさせながら、主権者国民として育っていくために必要な科学的な社会認識を育てることを中心課題としてきました。

 子どもたちが人間の労働やくらしを見つめ、生産や文化について歴史的・社会的に学ぶことは、先人たちが生活や労働の権利を拡大しながら、生産を高め、くらしを豊かにし、平和を愛し、社会を発展させてきたことを知ることであり、子どもたちの身近にいる父母や地域の人々がそれをしっかりと受け継いでいるのだという事実に触れるこ とです。

 子どもたちは、この学習の過程で、自分のものの見方、考え方を育て、価値あるものは何なのかを判断できる力を培っていきます。そして、価値あるものを引き継ぐ主体が自分であることが自覚化されていくとき、人権認識が形成されていきます。

 日本の教職員は、子どもたちに社会のさまざまな事実を学ばせ、科学的な社会認識を形成していくことが「主権者としての国民」を育てていく基礎になると考え、実践を積み重ねてきました。

 私たちは、科学的な社会認識を子どもたちの発達に即して、系統的に育てるために、次の実践上の課題を重視したとりくみをすすめます。

① くらしの現実を重視するとりくみ

 社会科のこれまでのとりくみの中でもっとも大事にされてきたのは「本当のことを、くらしと結んで・どの子にもわかるように」ということでした。「くらしの現実」から親や家族の労働のきびしさを把握し、その中で「願いや要求」を学び合い、社会認識の基礎を育ててきました。現在、子どもたちは自然とのかかわりや家事労働を含めた 生産労働の体験が乏しく、親の労働を具体的に把握しにくくなっています。それだけに、生活綴方と結んでくらしの事実をとらえ、社会認識を育てる実践を大切にします。

② 地域に根ざした学習を重視するとりくみ

 地域には人々の生活があり、文化があり、歴史があります・したがって、「地域の学習は、単に小学校中学生の学習課題とするのではなく、全学年の学習の中に地域の教材を生かして実践することが大切です。他の地域との比較やさまざまな例証を地域に求める実践を大切にし、学年に応じて地域の変化・発展を事実に即して学習することを大事にしていきます。

③ 歴史学習を重視するとりくみ

 人びとは労働と生産の中で、自分たちのくらしと社会を発展させてきました。その社会の発展法則を歴史的事象・事実、それぞれの時代・地域の生活などから、働く人々の姿を可能なかぎりリアルに学習させることが歴史学習のねらいです。働く人々の姿を歴史的につかませることは人間としてどのように生きてきたかの事実を知ることです。そのことは、未来に生きる人間の指標や励ましになります。

 とくに、小学校では歴史事象の変化や時代ごとのおおまかなイメージをつかませることに重点をおき、中学校では、社会の発展の原因.過程.結果に重点をおいた歴史学習を展開します。

④ 憲法学習を重視するとりくみ

 日本国憲法は二度にわたる世界大戦と平和を愛する世界の人びとの願いのもとにつくられ、人類の多年にわたる努力のたまものとして日本国民に与えられたものです。そこにはあるべき人間の生き方がしめされており、なかでも平和主義的・民主主義的条項は世界に誇り得るものであることを学び、毎日のくらしの中にいかしていく学習を大切にします。この学習の過程で、戦争をはじめとする非人間的・非人道的な事実に対し、正しく判断し行動できる人格が形成されます。

⑤ 社会認識を形成する授業のとりくみ

 子どもたちが日常的に受け入れる社会事象のほとんどはテレビやマスメディアによる情報であり、事象に対する見方、考え方も一方的になり固定化される状況です。教科書はカラフルになっていますが、科学的な認識を育てる内容になっていません。また、歴史の潮流に逆行し、進歩をはばもうとする歴史の記述もあります。その上、低学年社会科を廃止して生活科が設置され、中学校では「選択社会科」が導入され、社会科の時間を削減し新設された「総合的な学習の時間」では現在社会の課題である四領域の学習がすすめられ、科学的な社会認識を育てる教科としての社会科が危うくなっています。こうした実態をしっかりふまえて、授業の内容と方法を工夫し、科学的な社会認識、歴史認識を形成する授業のあり方を追究していきます。

児童・生徒の部落問題にかかわる発言や落書きについて

児童・生徒の部落問題にかかわる発言や落書きについて

1982年3月21日 全解連大阪府連第7回大会決定より

子どもの発言などを口実とした教育介入をやめさせる

 吹田・高槻・松原・大阪市内にみられた解同の子どもの発言や落書きを口実にした教育介入は、自由な教育と学校の自主性を守るうえでも、子どもの健全な成長のうえからも絶対に容認できないものです。

 子どもたちの発言やブラク民などの落書きは、そのほとんどが学校における部落問題学習や狭山などの偏向教育のおしつけなどを背景になされたものであり、もともと学校教育と一体のものです。しかも、子どもたちが発達過程の未熟な理解度にあることを前提にしての同和教育になっていることです。

 そこには、未熟な理解や未熟な発言などは当然起りうるものであって、その発言だけを子どもの発達段階や理解度を無視して、とりあげ、解同のように「差別」と断定するなら、小・中学校における同和教育自体が成りたたなくなる(*1)ものです。  これを「差別」ときめつけて事件視して、子ども、親、教師、教育委員会の責任を追求する解同の「確認会」や「糾弾会」は、学校教育を破壊するものであり、学校や市教委がこれに荷担・協力することは、自殺行為に等しいものです。

教育として正しく対処する

 全解連大阪府連は、この間の児童・生徒の発言、落書きを口実にした解同の教育介入をやめさせる闘いに全力をあげるとともに、児童・生徒の部落問題にかかわる発言や落書きについて、どう正しく対処するかについて検討を重ね、これを次の四つの点にまとめました。

① 小学生・中学生など義務教育過程(*2)にある児童・生徒の部落問題にかかわる発言や落書きについては慎重に対応する。
② 基本的には未発達な子どもの未熟な発言(表現)としてとらえ、軽々に差別と断定すべきではない。
③ 同時に発言内容については、それを事件視して子どもや親、教師の責任を追求する態度はとらない。あくまでも教育対象として位置づけ教育的観点で部落問題の科学的な認識を深める方向で指導にあたる。
④ 指導にあたって教育と運動を明確に区別し、”確認会”や”糾弾会”に出席したり、これに加担しない。いかなる場合も外部団体からの介入を認めず、学校の自主性、主体性のもとに解決していく。

解説と補足

 こうした全解連の原則的で教育的な立場は、多くの父母、教育関係者の支持と共感を得るとともに、その後の解同による教育現場への直接介入の足を止めるという状況をつくりだしました。しかし一方では、教育委員会や一部「解放教育」派教師と”連携”したたくみな介入・干渉はいぜん強まる傾向にあります。

 解同一部幹部が指向する運動と路線は、すでに破たんずみの「部落排外主義」を基盤に、部落差別の「拡大再生産」論にしがみつき、「部落解放基本法」の制定をめさすことを最大の課題としています。最近では、彼らのいう「拡大再生産」論証明の根拠を「落書き」「文書」「発言」などに求め、「糾弾」と介入をくりかえすという事態が深刻化しています。八二年の「児童・生徒の……」の見解をその後の二つの「落書き」問題見解とあわせて、「解同」の教育介入とたたたかう武器にすることが大切です。また、八二年見解では、その対象を「小学生・中学生など義務教育過程」としていますが、今日の学校教育における歴史学習の現状からみて、高校生を含めて考えるべきことは自明です。

 つけ加えていうなら、高校、さらに大学生の場合は、生徒会や自治会による自主的で自発的な啓発活動の組織化も問題解決の重要な要素となってくるはずですから、解同や「解放研」による介入が問題の正しい解決の障害になることは明らかです。

(*1) この方針が出された当時は、特別措置法があり、特別対策や同和教育の終結を提言する以前であった
(*2) 「解説と補足」にあるように、高校生も含め教育を受けている世代すべてが該当すると考える

再び「差別落書き」問題について

再び「差別落書き」問題について

1983年10月 大阪府部落解放運動連合会 (全解連)

 私たちが発表した「いわゆる『差別落書き』問題について」(=「落書き見解」、6月15付「解放の道」)が大きな反響を呼んでいます。

 ひとつは、「落書き見解」を歓迎、支持する声で、同和地区住民はもとより郵政をはじめ自治体労働者や教育関係者から広く寄せられています。いまひとつは、「見解」の真意や「見解」で示した事実に目をつぶり、よこしまな立場から非難、中傷するというもので、おもに解同一部幹部とそれに迎合する一部の労働組合などからしかけられています。

 「見解」を発表して4ヵ月、「解放新聞」「主張」(9月12日付)に代表される”反論”なども出されている状況をふまえて、ふたたび「差別落書き」についての全解連の立場を明らかにします。
「落書き」は保存・流布するものか?

 解同府連は、ことし(1983年)5月に開いた大会で「落書き事件などが起これば、すぐ消してしまうのではなく、(雨ざらしにしておくことはよくないのでカバーをつけるなどして)大衆的な見学会を組織するなど、日常ふだんに差別に対する怒りを組織することである」との方針を決めました。

 この方針のもと、ことしの四月に大阪市浪速区の栄小学校前で発見された「落書き」を、ベニヤ板でかこい鍵をかけて”保存”しています。そして、「差別落書き事件パネル展」を開催、「周辺地区のパトロールと街宣活動を実施」(大浪橋差別落書事件糾弾闘争本部のビラ)しました。

 解同幹部は、「落書き」を”保存”したり、「見学会」を組織するなど流布・宣伝することでほんとうに差別をなくせると思っているのでしょうか。非常識で人権をふみにじる無法を放置せず、発見したらすみやかに消去できるような体制をつくること、府民がもっている正義感と民主主義、人権意識を高めつちかってゆくことこそ「差別落書き」を根絶する最大の保障です。

 しかも重大なことは、こうした解同の方針に迎合して、一部労組が機関紙などをつかって全解連へのひぼう、中傷をあびせるばかりか、「差別落書き」そのものを流布していることです。

 「大阪総評」(1983年9月11日付)や「自治労大阪」(1983年9月28日付)は、「エスカレートする『差別落書き』」などと大見出しで報道するとともに、「差別落書きの発生状況」をまとめ、府下各地の「差別落書き」多数を日付、場所を明記して原文のまま列挙、打撃的でぶべつにみちた「落書き」を組合員に流布しました。事実にもとづくことが報道の使命とはいえ、こうしたやり方は非常識きわまりないもので、部落差別を拡散・助長することになりかねません。
「糾弾」の事実はないか?

 私たちが先の「見解」で、「落書き」の対象となった施設や場所の設置者や管理者が、「解同」の幹部らにしばしば「糾弾」され、「差別」の「確認」を迫られるとともに無法・不当な要求に屈服させられている実態を重視してきびしく批判したことにたいし、解同の「主張」は、「事実を歪曲」しているなどとあたかも暴力的「糾弾」や無法な要求をしていないかのようにのべています。

泉佐野市役所トイレの落書きで市長を無法な糾弾

 「糾弾会への出席を拒む向江(泉佐野)市長に対し、夜10時ごろ自宅ヘバスにいっぱいの50名の支部員が出席をもとめて闘争を展開し、午後10時40分に、市長を会館にひっぱり出し、差別事件への煮えきらない無責任な態度を怒りをこめて追及していった。深夜2時半までかかる闘争の中で、①差別落書きは泉佐野市に責任があり、加害者は泉佐野市であることをはっきりと認めさせた」(解同樫井支部ニュース、1982年12月20日付)。

 これが暴力、無法でないというのでしょうか。

 「糾弾」のすえ、市長は、市役所地下トイレに書かれた「差別落書き」の”犯人”にしたてられ、「『今後このようなことのおこらないよう反省し、対策をたてて真剣にとりくみたい』と自己批判と決意をのべ」(「解放新聞」大阪版、1983年2月14日付)させられました。この「落書き」の発見者は、解同の事実上の下部組織「泉佐野市役所職員同和問題研究会」の会員、そして「確認」→「糾弾」→「反省」という私たちが指摘したとおりの経過をたどっています。

 また、昨年末に大阪東郵便局でおこった「差別手紙」事件では、数回にわたる「糾弾」のすえ、①「解放研」の育成強化、②部落出身者の雇用促進③勤務解除の追補充、など10項目にわたる要求を認めさせています。(解同飛鳥支部「解放ニュース」、1983年8月1日付)

 こうした一連の事実は、解同の”反論”なるものが無法な「糾弾」をおおいかくす苦しい弁明にすぎないことを証明しています。

 部落差別をはじめとする差別をなくす条件づくりは、他人をはずかしめたり差別することが自らの人権と人格をおかすことになるという社会的環境を府民と手をたずさえてつくり上げること、政治的にも、経済的にも高度な民主主義を達成することです。

 解同一部幹部がさけぶ「差別落書き」にたいする闘争方針は、部落差別の解消に役立つどころか、大きな障害となっています。全解連は、先に示した「見解」の立場で広範な府民のみなさんとともに、今世紀を”部落差別最後の時代”にするために全力をあげるものです。

■関連する記事

いわゆる「差別落書き」問題について 1983年6月 大阪府部落解放運動連合会(全解連)

今後における地域改善対策について(意見具申)

今後における地域改善対策について(意見具申)

昭和61年12月11日
地域改善対策協議会

 

 昭和四十年同和対策審議会答申(以下「同対審答申」という。)が内閣総理大臣に提出されて以来二十一年余の月日が経過した。同対審答申を受けて昭和四十四年に同和対策事業特別措置法(以下「同対法」という。)が十年の限時法として制定施行されて以来、同法の三年間の延長、それに引き続く地域改善対策特別措置法(以下「地対法」という。)の制定施行と、これまで三度にわたり立法措置が講じられ、十八年間に及び地域改善対策が推進されてきた。その成果は、少なからぬものがあったと評価できる。

 そして、その成果に加うるに、この間の社会経済の発展もあり、同和地区の実態を始め、地域改善対策をめぐる現状は、同対審答申が当時前提としたものと比べ、大きく変わってきている。第一に、同和地区の実態が相当改善されたことであり、第二に、同対審答申では全く触れられていない新しい問題が生じていることである。

 今日、同和問題の解決を積極的に図ろうとする同対審答申の精神は受け継ぎつつも、同和問題の現状を踏まえ、同和問題の根本的解決のために、今後、真に必要なものは何かという原点に立ち返った基本的検討を行うべき時期が到来している。本協議会は、このような認識に立って、来年三月末で失効する地対法後の対策の在り方について審議し結論を得るに先立ち、本年一月、基本問題検討部会(以下「部会」という。)を設置し、同和問題解決に向けて、この際、基本的に検討しておかなければならない課題とその解決策及び地域改善対策のこれまでの実績と今後の課題について検討することをゆだねた。部会は、二月以降十三回にわたり精力的に審議を重ねた後、八月五日、本協議会総会に基本問題検討部会報告書(以下「報告書」という。)を提出した。本協議会は、部会から報告書の提出を受けた後、幅広く国民各層の批判を仰ぐため、報告書を公表するとともに報告書の内容を踏まえ、標記の件に関し審議を重ねてきた。報告書が公表されて以降、地方公共団体、民間運動団体、ジャーナリズム、一般国民等から報告書に対する様々な意見が表明された。また、本協議会の場においても、その審議の過程で地方公共団体の地域改善行政担当者の代表や民間で同和問題に取り組んできた有識者等から報告書の内容、地対法失効後の措置等に関し意見聴取を行った。

 本協議会においては、報告書の内容を踏まえ、これらの意見等も参考にしながら鋭意検討を続けてきた結果、この度、今後における地域改善対策について下記のとおり意見を具申することとした。政府におかれては、本協議会の意見を尊重し、同和問題の解決のため、所要の対策を一層強力に推進されるよう要望するものである。

1、地域改善対策の現状に関する基本的認識

 同対審答申を受けて昭和四十四年に同対法が制定施行されて以来、十八年間にわたり地域改善対策が積極的に推進されてきた。ちなみに、昭和四十四年度から昭和六十一年度の間における国の地域改善対策予算額を合計すれば、約二兆六、○○○億円に達する。また、地方公共団体においては、国の負担・補助を受けて実施する事業及び独自に実施する事業に国費を上回る額を投入して対策を実施してきている。

 これらの対策の推進により、同対審答申で指摘された同和地区の劣悪で低位な実態は、大きく改善をみた。生活環境の改善を始めとして、同和地区の生活実態の改善、向上が図られたことにより、現在では、同和地区と一般地域との格差は、平均的にみれば相当程度是正されたといえる。また、心理的差別についても、内外における人権尊重の風潮の高まり、各種の啓発施策及び同和教育の実施、実態面の劣悪さの改善等によりその解消が進んできている。

 同対審答申は、部落差別は、半封建的な身分的差別であり、これを分類すれば、言語や文字や行為を媒介として顕在化する心理的差別と、劣悪な生活環境等同和地区住民の生活実態に具現されている実態的差別に分けることができることを指摘した。

 今日、これらの差別の解消が進んできたことは、同和問題の解決にとって大きな前進であるといえる。

 反面、これまでの行政機関の姿勢や民間運動団体の行動形態等に起因する新しい諸問題は、同和問題に対する根強い批判を生み、同和問題の解決を困難にし、複雑にしている。

 これらの新しい諸問題は、同対審答申では全く触れられていないが、今後における同和問題の解決にとって、大きな障害であり、それらを克服することは同和問題の解決にとって極めて重要な課題である。

2、地域改善対策の今日的課題

(1) 今日的課題

 今日、同和地区における実態面の改善に比べて、心理的な差別の解消は、不十分な状況にある。  同和地区の実態が大幅に改善され、実態の劣悪性が差別的な偏見を生むという一般的な状況がなくなってきているにもかかわらず、差別意識の解消が必ずしも十分進んできていない背景としては、昔ながらの非合理な因習的な差別意識が、現在でも一部に根強く残されていることとともに、今日、差別意識の解消を阻害し、また新たな差別意識を生む様々な新しい要因が存在していることが挙げられる。近代民主主義社会においては、因習的な差別意識は、本来、時の経過とともに薄れゆく性質のものである。実態面の改善や効果的啓発は、その過程を大幅に早めることに貢献する。しかし、新しい要因による新たな意識は、その新しい要因が克服されなければ解消されることは困難である。

 新しい要因の第一は、行政の主体性の欠如である。現在、国及び地方公共団体は、民間運動団体の威圧的な態度に押し切られて、不適切な行政運営を行うという傾向が一部にみられる。このような行政機関としての主体性の欠如が、公平の観点からみて一部に合理性が疑われるような施策を実施してきた背景となってきた。また、周辺地域との一体性や一般対策との均衡を欠いた事業の実施は、新たに、「ねたみ意識」を各地で表面化させている。このような行政機関の姿勢は、国民の強い批判と不信感を招来している。

 第二は、同和関係者の自立、向上の精神のかん養の視点の軽視である。同和問題の解決のためには、同和関係者の自立、向上が達成されなければならないが、これまでの対策においては、同和関係者の自立、向上の精神のかん養という視点が軽視されてきたきらいがある。特に、個人給付的施策の安易な適用や、同和関係者を過度に優遇するような施策の実施は、むしろ同和関係者の自立、向上を阻害する面を持っているとともに、国民に不公平感を招来している。

 第三は、えせ同和行為の横行である。民間運動団体の行き過ぎた行動に由来する同和問題はこわい問題であり、避けた方が良いとの意識の発生は、この問題に対する新たな差別意識を生む要因となっているが、同時に、また、えせ同和行為の横行の背景となっている。えせ同和行為は、何らかの利権を得るため、同和問題を口実にして企業・行政機関等へ不当な圧力をかけるものであり、その行為自体が問題とされ、排除されるべき性格のものであるが、このような行為は、これまでなされてきた啓発の効果を一挙にくつがえし同和関係者や同和問題の解決に真剣に取り組んでいる民間運動団体に対する国民のイメージを損ね、ひいては、同和問題に対する誤った意識を植え付ける大きな原因となっている。行政機関は、えせ同和行為が横行しているという事態を深刻に受け止めるべきである。

 第四は、同和問題についての自由な意見の潜在化傾向である。同和問題について自由な意見交換ができる環境がないことは、差別意識の解消の促進を妨げている決定的な要因となっている。民間運動団体の行き過ぎた言動が、同和問題に関する自由な意見交換を阻害している大きな要因となっていることは否定できない。いわゆる確認・糾弾行為は、差別の不合理性についての社会的認識を高める効果があったことは否定できないが、被害者集団によって行われるものであり、行き過ぎて、被糾弾者の人権への配慮に欠けたものとなる可能性を本来持っている。また、何が差別かということを民間運動団体が主観点な立場から、悠意的に判断し、抗議行動の可能性をほのめかしつつ、さ細なことにも抗議することは、同和問題の言論について国民に警戒心を植え付け、この問題に対する意見の表明を抑制してしまっている。

 今後、心理的差別の解消を促進し、同和問題に対する国民の理解と協力を得ていくためには、これまで推進された啓発や人権擁護対策に加えて、以上のような諸要因を是正していくことが不可欠である。それ故、行政の主体性の確立、同和関係者の自立、向上の精神のかん養、えせ同和行為の横行の排除、同和問題について自由な意見交換のできる環境づくりは、同和問題解決のために成し遂げるべき極めて重要な今日的課題である。

(2) 今日的課題を達成するための方策

 今日的課題を達成していくためには、行政機関の姿勢や民間運動団体の在り方が極めて重要である。

 行政機関は、その基本姿勢として、常に主体性を保持し、き然として地域改善対策等の適正な執行を行わなければならない。そのためには、行政機関は、今日、改めて民間運動団体との関係について見直すことが必要である。国は、もちろん、率先して断固たる主体性を常に保持すべきであることは言うまでもないが、民間運動団体と身近に接触する機会の多い地方公共団体においては、その対応に腐心している状況もみられるので、そのような地方公共団体の主体性の確立については、国は、積極的な助言、指導を行うべきである。例えば、国が民間運動団体と行政機関との望ましい関係の在り方に関する具体的な基準や行政の主体性を確立するためのチェックポイントを明らかにすること等は有効な手段と考えられる。さらに、同和問題について行政職員の理解を十分深めることは、主体性の確立のためのいわば前提であり、そのための研修等の施策が一層拡充される必要がある。

 同和関係者の自立、向上の精神のかん養は、今後の啓発の重要な目標のひとつとして取り上げられる必要があり、そのための積極的な啓発活動が推進されなければならない。また、同和関係者の自立意欲の向上のための民間運動団体の取り組みに期待するところは大きい。

 えせ同和行為の排除のためには、関係行政機関等の緊密な連携と幅広い取り組みが必要である。企業・行政機関等が、不当な要求は断固として断り、また、不法な行為については、警察当局に通報する等厳格に対処することが必要となるが、そのような望ましい対応の在り方については、行政機関が積極的に啓発活動や行政指導を行うべきである。また、警察当局においても、えせ同和行為排除のための強力な対策を推進する必要がある。

 同和問題について自由な意見交換ができる環境をつくっていくためには、プライバシーの保護に配慮しつつ、行政機関が同和問題に関する情報、資料をできるだけ公開し、国民、ジャーナリズム等に積極的に提供していくことが重要である。また、差別事件は、司法機関や法務局等の人権擁護のための公的機関による中立公正な処理にゆだねることが法定手続きの保障等の基本的人権の尊重を重視する憲法の精神に沿ったものである。また、そうすることが、一見う遠のごとく見えても、結局は同和問題の解決に資することになるのであり、国は、その旨地方公共団体等を指導し、また啓発に努めるべきである。なお、差別事件の公的機関による処理を更に推進するため、人的資源の充実等現在の人権擁護行政の体制が更に強化、拡充されるべきである。

3、地域改善対策事業のこれまでの実績と今後の課題

(1) 地域改善対策事業のこれまでの実績

 地域改善対策事業として、昭和五十七年度から昭和六十年度までの間に、約七、五〇〇億円の国費が投じられた。昭和六十一年度の地域改善対策予算は、約二、一〇〇億円であるので、地対法の有効期間内の国費は、合計約九、六〇〇億円に達することになる。また、地域改善対策事業のうち、生活環境の整備等の物的事業については、地対法の有効期間内の国費は、約八、五〇〇億円に達する。地対法制定当時、同法の有効期間内に実施すべきものとして予定された事業量(国費)は、当時の価格で七、○○○億円程度であるので、量的には、十分、それに見合う国費が投入されてきたことになる。

 これまでの対策の成果として、同和地区の生活環境は、大きく改善されるとともに、教育や就労の面においても、若年層を中心に改善・向上がみられる。

 ちなみに、総務庁が、昨年十一月三十日現在で実施した「昭和六十年度地域啓発等実態把握」(以下「実態把握」という。)の結果によれば、

ア、同和関係者と一般住民との婚姻の増加がみられ、特に、三十歳未満の若年層では約六割が一般住民との婚姻であること。

イ、高校等への進学率が同対審答申当時と比べ飛躍的に向上しており、若年層ほど高等教育修了者の割合が高いこと。

ウ、一人当たりの居住室畳数、専用設備、接道等居住水準や居住環境は、面的事業の推進等により、現在では、全国的な水準とほぼ同様の水準にまで改善されていること。

エ、その他、常用雇用者の増加等がみられること

等が明らかになっている。

 一方、同和地区の生活実態面で、全国水準と比べまだ格差がある主な点としては、

ア、生活保護世帯を含めた住民税非課税世帯の割合が高いこと、

イ、不安就労者や小規模零細企業の割合が高いこと、

ウ、高校等への進学率になお若干の格差がある

こと等である。

 また、意識面においても、学校の授業、広報、研修会等により同和問題を知るに至った人々が四分の一となっており、同和教育や啓発活動の普及をうかがわせる結果となっている。今後とも特別対策が必要かどうかについては、同和地区内外の住民に格段の差が認められ、必要だと答える住民の割合が同和地区外では一割程度であるのに対し、同和地区内では約七割となっている。

 なお、農林水産省が昭和六十一年度に実施した全国同和地区農林漁業実態調査によれば、同和関係農家においては、農業用機械の普及・向上、これに伴う農業従事日数の減少、家畜飼養規模の拡大等に改善が見られた。反面、関係府県における一般農家に比べ、耕地面積は昭和五十年時と同じく三分の二程度と少なく、不安定兼業農業の割合は高く、しかも、農産物販売金額は全体的に低位状態にある等の格差のあること等が明らかになった。

(2) 地域改善対策事業の今後の課題

 地域改善対策が、これまで着実な成果を挙げてきた一方で、今後、達成されるべき課題も残されている。

 今後に残される課題の第一は、差別意識の解消の問題である。差別意識の解消は、現在十分な状況とは言い難く、依然、差別事件の発生がみられる。因習的な差別意識や新たな差別意識の解消を促進することは新たな差別意識を生む要因を取り除くとともに、人権尊重の立場でねばり強く啓発活動を展開し、差別を生み出している心理的土壌を変えていくことによってのみ可能となる。

 啓発活動は、今後における地域改善対策の重点課題であり、その在り方については、昭和五十九年六月の本協議会の意見具申及び本意見具申を十分踏まえた積極的な啓発活動の推進を強く要請するものである。

 なお、今後、啓発活動の推進に当たっては、同和問題の啓発に関する情報等が都道府県、市町村、民間企業、国民の各主体相互の間で迅速に伝達されるよう一層の工夫を行うことが望まれる。そのための一つの方法としては、国を始め、都道府県、市町村等が参画した公益法人を設立し、その法人が情報の迅速な伝達やえせ同和行為その他同和問題に関する相談活動並びに同和問題に関する調査研究及び研修等の事業を実施することが考えられる。

 また、広く国民の人権尊重の精神を高めていくためには、啓発活動の重要な一翼として、学校教育や社会教育の果たすべき役割は、今後とも大きい。なお、同和教育の推進に当たっては、児童生徒の発達段階に応じて無理なく行われるとともに、地域のニーズに即応した効果的な内容、方法で行われることが重要である。

 第二は、地域改善対策事業のうち、住宅地区改良事業等については、一部に事業の取組が遅れている地域がみられ、全国的にみるとその進捗状況に格差がみられることである。これらの物的事業については、地対法施行後新たに事業実施について要望が出されていることや用地取得に関する調整の難航等により当初計画どおりに整備が進んでいないこと等から昭和六十二年度以降の事業量も見込まれている。

 第三は、雇用、産業振興の分野において、これまで、職業の安定や産業の振興のための特別対策が講じられてきたが、実態把握の結果をみても、全国水準と比べれば、依然同和地区における不安定就労者や小規模零細企業の割合が高いことである。

4、今後の地域改善対策の在り方

(1) 行政の役割

 今後の地域改善対策の在り方を原点に立ち返って検討するに際しては、まず、同和問題解決のために果たすべき行政の役割を明確にすることが必要である。

 同和問題の解決のためには、同和関係者の自立、向上を阻害している諸要因の解消がなされなければならないが、そのためには、同和関係者自らその意欲を持ち、自主的な努力を行うことが不可欠である。行政の基本的な役割は、同和関係者の自主的な努力を支援し、その自立を促進することである。今後の地域改善対策の在り方は、この視点から見直さなければならない。同和関係者の自立を促す上からも、国民が人権尊重の視点から、国民的課題として差別意識の解消に取り組むよう国民に対し啓発を行うことは、行政の極めて重要な任務といえる。

 地域改善対策を推進するためには、国と地方公共団体は一致協力してこれにあたる必要がある。その場合、国は、事業実施の方針を明確に示す等指導的役割を果たすことが重要である。

(2) 特別の立法措置の必要性と基本的考え方

 地域改善対策について、これまで、特別の立法措置が講じられてきたのは、昭和五十六年十二月の同和対策協議会(以下「同対協」という。)の意見具申でも述べられているように、同和問題の解決のための施策について国民の代表である立法府の意思の表明を積極的に得ること、国及び地方公共団体の責務を明確化すること、法的裏打ちにより実施されてきた事業の継続性を担保する必要があること等の理由によるものであった。地対法は、地域改善対策事業の実施について、特別の財政措置として、ア、国庫負担・補助率の特例、イ、地方債の特例、ウ、地方債元利償還金の基準財政需要額への算入措置を講じている。

 したがって、地対法が失効すればこのような特別の財政措置がなくなり、事業を実施する地方公共団体の財政負担は増加せざるを得ないことになる。一方、同和地区を有する地方公共団体の中には、財政基盤がぜい弱な自治体もみられることから、事業の推進が困難となる面があることは否定できない。

 今後実施すべき事業については、これまでの対策の成果等を踏まえ、現行事業の原点に立ち返っての見直しを行い決められるべきであるが、今後とも必要な事業を実施していくためには、何らかの財政措置が必要であり、そのためには特別の立法措置が必要であろう。

 今後、法的措置を講ずるに当たっては、次の基本的考え方で臨むべきである。

① 今後の地域改善対策は、これまでの行政運営の反省と、現行事業の基本的な見直しの上に立脚したものであることを明確にし、幅広い国民の支持を得るためには、現行地対法の漫然とした延長をとるべきではなく、新規立法とすべきである。

② 地域改善対策は、永続的に講じられるべき性格のものではなく、迅速な事業の実施によって、できる限り早期に目的の達成が図られ、可及的速やかに一般対策へ全面的に移行されるべき性格のものであることを明らかにするため、限時法とすべきである。

③ 新規立法は、地域改善対策として推進すべき事業の円滑な実施を確保するための財政措置を中心に規定すべきである。

④地域改善対策として推進すべき事業の範囲は、現行地域改善対策事業のうち、なお一定期間、継続実施する必要がある事業とし、その具体的内容については、法令で定めるべきである。

⑤新規立法においては、対象地域の指定の要件や手続、同和関係者の定義等を明確にし、厳格な運用を行う必要がある。

 なお、新規立法に規定する物的事業については、法の有効期間内において、計画的な事業実施が図られるべきである。

(3) 地域改善対策事業の見直し

 地域改善対策は、これまで、「いわゆる一般法による施策だけでは解決できない事項や、一定期間内に特定目的を達成する必要がある事項」(昭和五十六年十二月十日、同対協意見具申)について特別の財政措置に裏付けられた特別対策を同和地区や同和関係者に対し講じてきた。それが同和地区の低位で劣悪な実態の早急な改善のためには効果的な手段と考えられたからである。

 一方国民に対する行政施策の公平な適用という原則から考えれば、できる限り一般対策の中で対応することが望ましい。地域改善対策といえども、結局は、国民の租税負担によって賄われることを考えれば、地域改善対策を著しく優遇して、一般対策と不均衡を生ずるようでは、容易に国民的合意は得難く、社会的公平を確保するゆえんでもないからである。

 したがって、現行の地域改善対策事業については、これまでの対策の成果として、同和地区の実態が改善され、一般地域との格差が相当程度是正されてきたこと等にかんがみ、基本的な見直しを行い、真に必要な事業に限定して、特別対策を実施すべきである。

 以上のような観点から、現行の各種事業については、関係省庁において速やかに見直しが行われるべきである。その際、具体的な基準とすべき考え方を示せば、次のとおりである。

① 現行事業は、可能な限り一般対策へ移行することを基本とすること。

② 既に事業目的を達成している事業や事業実施について一般的な二ーズの乏しい事業は廃止すること。

③ 一般対策と比べ過度に優遇した内容となっている事業については、廃止するか是正措置を講ずることにより、一般対策との均衡に十分配慮すること。

④ 個人給付的事業については、原則として廃止し、同和関係者の自立、向上に真に役立つものに限定すること。自立、向上に真に役立つものについても、段階的に一般対策へ移行できるよう検討すること。

⑤ 物的事業については、昭和六十二年度以降具体的な事業計画等が明らかでない事業等については、一般対策へ移行して、所要の事業を実施するか、廃止すること。

⑥ 相談員、指導員の設置等の人的事業についても、一般対策への移行を検討すること。

⑦ 啓発・人権相談事業については、今後とも積極的に推進すること。

 また、雇用、産業振興対策についても、上記の考え方に従い見直しを行うとともに、可能な限り、雇用促進、中小企業振興のための一般対策へ移行する。

 なお、住宅新築資金等貸付制度に関しては、関係省庁において、施策の在り方について様々な観点から見直しが行われる必要がある。

 また、現行地域改善対策事業の見直しについては、その趣旨を関係地方公共団体に対し周知徹底すべきである。

 さらに、地方公共団体が独自に実施している同和関係施策についても、上記の基準に照らして事業の見直しを行うことが適当と考えられるので、その旨、関係各省庁は地方公共団体を指導すべきである。

(4) 地域改善対策の実施の適正化のための具体的措置

 今後の対策の推進について幅広い国民的コンセンサスを得ていくためには、これまでの行政運営において生じてきた問題点を是正し、適正化のための具体的措置が講じられなければならない。この点については、昭和五十六年十二月の同対協の意見具申においても、同対法施行十三年の運用により生じてきた問題点の是正が指摘されたにもかかわらず、地対法施行後においても、この課題の達成は極めて不十分な状況となっていることは誠に遺感である。

 不適切な行政運営の事例としては、個人給付的事業の対象者の資格審査が民間運動団体任せとなっている例や公的施設等の運営が特定の民間運動団体に独占的に利用されている例があること、また、民間運動団体に補助金等を支出していながら、その適正な使用について指導・監査等を十分行っていない例がみられること等が挙げられる。このような問題点を一つ一つ是正していくことが、行政機関と民間運動団体との適切な関係を確立する上で重要である。

 さらに、税の問題や公営住宅等の一部にみられる著しい低家賃の実態は、現在の国民感情を考慮すれば国民の間に不公平感を招来し、新たな差別意識を生む要因のひとつともなっている。国税において、一部にみられるような特別な納税行動については、その是正につき行政機関の適切な指導が望まれる。同和地区の納税者について、一般の納税者と異なった配意をすることは、決して、同和問題の解決という精神に沿ったものとは言えない。また、地方税においては、かなりの地方公共団体で、同和関係者等に対する減免措置が講じられているが、このような措置についてもその内容の見直し、適正化を図ることが望まれる。また、地域改善対策として建設された公営住宅等については、低額所得者向けの施策住宅等の中においても、立地条件、建設年度、住戸規模等からみてもなお、著しく均衡を失した低家賃の実態が一部でみられることは問題であり、適正な家賃とするための指導が行われるべきである。

 同和教育については一般国民の中にかなり批判的意見がみられる。この背景としては、同和教育において、人権尊重の理念が徹底されていないために、一般国民の理解がなかなか進まないこととともに、一部に民間運動団体が教育の場に介入し、同和教育にゆがみをもたらしていることが考えられる。同和教育については、啓発活動の一貫として、今後とも推進していかなければならないが、その前提として、教育と政治・社会運動とを明確に区別し、教育の中立性の確立のための徹底的な指導を行うことが必要である。なお、その指導に当たっては、教育の中立性を確保する方策が明確に示されるべきである。

 また、地域改善行政に対して、行政のチェック機能が十分発揮されてこなかったことが、不適切な運営実態が長く是正されないまま放置されてきた要因となっている。その意味では、地域改善行政は、一般対策とは違った特別な行政分野とされてきた。地域改善行政の適正化を確実なものとしていくためには、行政の監察・監査、会計検査等の機能の活用を積極的に行っていくことも必要となろう。

 さらに、地域改善対策の実施の適正化を推進していく上で、地方公共団体の取組は極めて重要であるので、関係各省庁においては、地方公共団体に対する適切な助言、指導を行っていくべきである。