全国人権教育研究協議会を批判する(2014)

基本的人権の尊重(憲法)を歪める全人教
―全国人権教育研究協議会を批判する―

編集・発行/大阪教育文化センター「部落問題解決と教育」研究会

(全人教全国研究大会報告冊子から引用する場合は、大会開催年と報告県名のみ明記した。報告に地名が書かれていても、引用では○○と表示した。)

1.教育に運動を持ち込んだ全同教

(1) 部落解放同盟の別働隊に転落
 参加した研究会は多様な組織だった

 全国人権教育研究協議会(略称 全人教)は、1953年、全国同和教育研究協議会(略称 全同教)として発足した。当初から参加県市の研究会は多様で、自主的な研究団体として活動していた県、官製団体であった県、運動団体によりかかっていた県などがあった。

 全同教は多様な実態を尊重し、自主的な研究や地域に根ざす実践を大切にし交流していた時期もあった。
解同の別働隊に転落

 しかし、1960年代後半から1970年代にかけて、部落解放同盟が暴力と利権追求にのりだした。次ページに紹介するように、全同教もまた部落解放同盟の運動を教育に持ち込む団体に転落し、自主的な教育研究団体とはいえない状態になった。

 15兆円をかけて同和対策事業が行われ、環境は激変し差別解消へ大きくすすんだ。一方、事業を継続する限り問題が解決しないというジレンマを抱えていたこともあり、2002年、特別法は終了した。「同和」と名のつく特別な教育は終わらせようと解散した組織もある(和歌山県同教99年、広島市同教01年)。

 全同教は2009年、一般社団法人への移行とともに全人教へ名称変更、2011年に公益社団法人の認可を受けた。全国大会は「人権・同和教育研究大会」としている。

(2) 「解放教育」という運動の持ち込み

 全同教は1966年の第18回全国大会アピールで「解放運動と同和教育の結合」を掲げた。

 同和対策審議会(同対審)答申が1965年にだされたが、答申は「同和教育を進めるに当たっては、『教育の中立性』が守られるべきことはいうまでもない。同和教育と政治運動や社会運動の関係を明確に区別し」と、教育に運動を持ち込むことを戒めていた。

 これに対し「子どもたちの学習権保障のためにはいっそう教育と運動を結合すべき」「自己の社会的立場の自覚」などの「解放教育」が提唱されはじめた。全同教も「解放運動と同和教育との結合をさらに強め」ようと決議した。

(3) 「狭山事件」を教育に持ち込む

 1970年の第22回全国大会では狭山事件の石川一雄氏の「訴え」が読み上げらた。翌1971年の大会では「大会アピール」に「無実の石川青年を釈放させる運動と行政糾弾の闘い」と書いた。

 1972年の「大会アピール」は「『矢田教育差別事件』を通じて…部落解放運動と結合していくことなくして部落解放の教育創造はありえないことを全同教は明らかにしてきました。」「司法権力の予断と偏見によって、石川青年は獄窓に」などと書いていた。(※「矢田事件」は次項参照)

 1976年の大会アピールでは「権力裁判を糾弾する『狭山』同盟休校闘争を、教育への介入とし、部落大衆と労働者、父母、国民を敵対させる、私達の内部にある一部の傾向は、早急に克服されねばならない」とまで書いていた。

 2012年の研究課題では「狭山事件をとりあげ、石川一雄さんの生きざまに学ぶことができます。」としていた。2013年の研究課題から「狭山」は消えたが、記念講演の注や報告では取り上げている。

▼ ○○は今年の校内人権集会(「狭山」現地調査報告集会)で「狭山事件は殺人事件ではありません。部落差別事件です」と力強く語った。(2013年 熊本県)

▼ 職員室には「○○中学校から第2の石川さんを出すな」という「狭山」の教訓を継承し、すべての子どもたちの学力を保障しようという教師の姿勢を確認するため「石川一雄さん逮捕」の写真が貼られています。(2012年 奈良県)

 まだこんな学校がある。堂々と大会で報告し、全人教も平気で冊子に収録している。その大会を文科省や各県が後援している。

(4) 全同教は「部落解放同盟」の暴力を容認してきた

矢田事件 解同の暴力を容認

 1969年に引き起こされた「矢田事件」は、労働条件改善を訴えた大阪市教員の文書を部落解放同盟(解同)が「差別」と決めつけて教員を拉致糾弾し、市教委に首切りを要求、市教委は教員に長期間の研修を命じた事件である。最高裁は拉致糾弾した解放同盟員に有罪の判決、大阪市には損害賠償を命令する判決をくだした。1986年の最高裁判決は「差別文書」だとする大阪市の主張を退け、研修命令は裁量権の範囲を逸脱したものと明確に認定している。全同教が「矢田教育差別事件」と表現するのは解同の認識であり、すでに断罪されている。教育委や解同と異なる考えを表明しても差別ではない。

八鹿高校事件 解同の暴力を容認した警察・行政・マスコミ・そして全同教

 1974年11月、兵庫県立八鹿高校教職員58名が、解同による集団リンチを受けて重軽傷を負うという事件があった。(最高裁で解放同盟員は有罪、兵庫県と解同は損害賠償を支払えとの判決が確定している。)。

 全同教はこの時、京都出身の副会長らの反対にかかわらず正副委員長見解を発表。翌年2月の全同教委員会でそれを全同教見解とした。見解は八鹿高校教職員に非があるように描き「解同」の集団暴力を正当化するものであった。当時、三重・滋賀・和歌山・京都・岡山の5府県同教が見解の採択強行に抗議した。全人教は今日にいたるまでも、暴力容認の決議を撤回していない。

2013年全人教大会でも、特別分科会で講師が教育の中立性確保を非難

 2013年11月に徳島で行われた全人教全国大会でも運動の持ち込みは続いている。

 徳島大会の特別分科会第1講の講師(元全同教委員長)は、「激しかった同和教育攻撃」として、地域改善対策協議会の文書や総務庁地域改善対策室の通知を例にあげている。その文書は下に紹介するように民間運動団体の教育介入を厳しく批判している。教育に介入する民間運動団体とは部落解放同盟である。

 教育の中立性確保という当たり前のことが通用しないのが全人教の「同和教育」である。「公益社団法人」として認可されたという全人教のどこに「公益性」があるのか。

 地域改善対策協議会基本問題検討部会報告書

 同和教育については一般住民の批判的な意見も多いが、この背景には、地域によっては民間運動団体が教育の場に介入し、同和教育にゆがみをもたらしていることや同和問題についての住民の理解が十分でないことが考えられる。同和教育の推進に当っては、住民の理解と協力を得るよう努めるとともに、教育と政治・社会運動との関係を明確に区別して、教育の中立性が守られるよう留意し、行政機関は毅然たる姿勢で臨むこと。指導に当たっては、教育の中立性を確保する方策が明確に示されるべきである。(1986(昭和61)年8月5日)
 (地域改善対策協議会は総務庁(当時)のもとに設置された審議会)

2.教育で「部落」を分けへだてする全人教

(1) 学校が「部落」を意識させている

 大阪府の調査では「同和問題をはじめて知ったきっかけ」が「学校の授業」というのが20代、30代、40代で過半数(2010年府民意識調査)。埼玉県中高生意識調査では初めて知ったのは学校が82%(2010年調査)。

 全人教は基調提案などで「部落の子ども」「部落外の子ども」などと子どもを色分けしている。各地の報告も依然として「同和地区」「被差別部落」「ムラ」と呼称し、子どもたちを「部落出身かどうか」を意識している指導者のまなざしがうかがえる。

▼ ○○さんと語る中でわたしは、部落の子どもたちがいつか部落差別と向き合う日が来ることを意識するようになりました。(2013年 鹿児島県)

▼ 3年生で再びAの担任になった。今度こそは部落問題の話もしていきたいと思い、4月早々、家庭訪問を申し入れた。お母さんから「なぜ、うちなのか」「点数稼ぎのためか。」と返ってきた。(2013年 三重県)

▼ 6年生のA子は、普段から、「なんで○○の子どもだけ、学習会にいかんばいかんと?」と言って半ば強制されることに対して明らかにいやがっていた。(2013年 佐賀県)

▼ Bの母親は同和地区出身である。母親は他地区の男性に嫁いだが、Bが幼少の時離婚し、実家に戻った。(2012年 岡山県)

▼ ○○地区・○○地区・○○地区と三つの地区公民館があり…。…○○地区・○○地区には部落があります。…ムラ出身でない私はなじめていませんでした。(2012年 鳥取県)

▼ 願い出て「ムラの子が顔を上げられる授業」を目指して江戸時代身分制の授業をさせてもらった。しかしその後の授業の後で差別発言があった。本校の課題は、ムラ以外の子どもたちがともに反差別の仲間になる授業だと気付いた。 (2012年 宮崎県)

▼ 私は「部落出身であるAこそが部落問題を学ばなければならない」と考え、Aに部落出身であることを伝えた。(2011年新潟県)

 大阪からの報告には、「同和地区」や「被差別部落」という言葉は出てこない。それは大阪における部落問題解決の到達点や府民の批判の高まりを反映した結果である。

大阪府教委「ムラ」などは使用しない

(民権連)府教委とすでに決着ずみの「ムラ」「むら」“むら”などをやめさせること。

(府教委)ご指摘のような表現による誤解や偏見を避けるため、教材の見直しを行いましたが、今後とも、使用しないように取り組んでまいります。(2012.3.13 民権連の府教委交渉での回答)

 「民権連」は「民主主義と人権を守る府民連合」の略称(全国人権連に加盟)

※府教委は人権教育指導資料を配付しているが、その小学校向け教材では「部落」「同和地区」などの言葉はいっさい使用していない。

(2) 展望でなく恐怖を育てる全人教

 半世紀以上前のごとく、全人教は「差別がある」「差別される」と不安をあおっている。その結果、「学習経験を積むほど、『就職差別や結婚差別は将来もなくすことは難しい』という悲観的な意識が広がったということも指摘しておかなければなりません。」(大阪府民意識調査分析編p73・74)という事態を招いている。地域の状況は激変し、国民の融合も大きくすすんだ中に子どもたちは育っている。差別をする人がいれば周りのみんなが「それはあかんやろ」とたしなめる時代である。が、全人教は展望を語らず決意を促す教育をする。

▼ 前任校では、学習会が補充学習だけでなく、解放学習会としての取組がいろいろあった。それをとおして、子どもたちが社会的な立場を自覚する。勉強を重ねていくなかで、子どもたちは『なぜこのような差別があるのか』『将来、結婚する時に差別されるのか』という不安をもつ。(2012年 香川県)

▼ 僕は差別をまだ受けたことはありません。だから差別に実感がわきませんでした。けど話を聞いて、自分の近くにこんな差別があることがわかりました。(2013年 大阪府)

▼ ある生徒は「人権を語り合う中学生交流集会」に参加し、初めて部落問題の厳しさを知った。今まで同和問題を他人事としかとらえていなかった自分を反省した。(2013年徳島県)

▼ 今私達は社会で部落差別のことについて調べているけど、二人の方の話を聴いてとても役に立ちました。今も部落差別があると聞いてとてもショックでした。(2013年 福岡県)

 しかし、全人教大会での報告も、よく読めば国民融合に向かって着実に前進していることがわかる。「今の差別の現実は見えづらい」(2012 岡山県)というが、それは差別が解消に向かっていることを意味する。

総務庁文書も出自にこだわる誤りを指摘

 憲法第14条は,「すべて国民は,法の下に平等であつて,人種,信条,性別,社会的身分又は門地により,政治的,経済的又は社会的関係において,差別されない。」と規定している

 これは,直接的には法の領域の問題ではあるが,私人間の道徳的領域の問題としても,この原則は,国民の間に広く浸透し定着しつつある。

 江戸時代の身分制度に今日こだわることの非合理性,前近代性は広く一般の人々の受け入れつつあるところであるので,「なぜ同和問題についてのみ,あなたは,昔の身分制度にこだわるのですか」という問いかけは,人々の反省を呼び起こすのに有効であろう。

 また,同和関係者も自ら同和関係者であるか否かにこだわらないという信念を固めることが重要である。

(「地域改善対策啓発推進指針」1987(昭和62)年3月18日 総務庁長官官房地域改善対策室長通知) (全文はホームページ「人権教育辞典」で紹介している)

3.「人権教育」は解釈改憲の先取り

(1)  憲法の基本的人権を歪める教育

 2008年3月、文科省の人権教育の指導方法等に関する調査研究会議が「人権教育の指導方法等の在り方について[第三次とりまとめ]」を報告した。全人教はその活用を訴えている。

 全人教としても、3次にわたる[とりまとめ]を活用し、同和教育の理念と教訓を踏まえた人権教育が全国すべての学校・地域・家庭において着実に進められるために、各地の具体的な実践交流を通した発信を続けていかなければなりません。(2012年度研究課題)

 基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であつて、これらの権利は、過去幾多の試錬に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利である(憲法97条)。人権は自由を侵害する権力者との対抗でつくられてきたものであった。ところが、政府・文科省・全人教の「人権教育」は、「人権尊重の理念についての正しい理解やこれを実践する態度が未だ国民の中に十分に定着していない」と国民の責任に転嫁し、人権を国民の意識の問題にすり替えている。上からは権力者が、下からは暴力と利権の集団が国民や児童生徒に「人権尊重」を迫る構図である。

 [第三次とりまとめ]は憲法について「世界人権宣言、児童の権利条約、憲法などの条文化された法規への理解を深める」と1行あるだけで、憲法をもとに人権を具体化させる指導はない。「国連人権教育のための世界計画」や世界人権宣言はあっても日本国憲法はない。

 全人教のすすめる「人権教育」は、憲法の保障する権利実現を権力者に求めるのでなく、私人の間の関係に矮小化するものである。これは、人権における「憲法の解釈改憲」ということができる。

人権教育の指導方法等の在り方について[第三次とりまとめ]

はじめに
 我が国も(中略)全ての国民に基本的人権の享有を保障する日本国憲法の下で人権に関する各般の施策を講じてきた。(中略)このような人権尊重社会の実現を目指す施策や教育の推進は、一定の成果を上げてきた。しかしながら、「人権教育・啓発に関する基本計画でも指摘されているように、生命・身体の安全に関わる事象や不当な差別など、今日においても様々な人権問題※が生じている。
(中略)(基本計画は)「より根本的には、人権尊重の理念についての正しい理解やこれを実践する態度が未だ国民の中に十分に定着していないこと」等を挙げている。

※(引用者注)「人権教育・啓発に関する基本計画」(平成14年3月閣議決定)の様々な人権問題とは、女性、子ども、高齢者、障害者、同和問題、アイヌの人々、外国人、HIV感染者・ハンセン病患者等、刑を終えて出所した人、犯罪被害者等、インターネットによる人権侵害等

(2) 人権教育に数値目標? どうやって評価?

 2011年全人教大会の特別分科会では全人教副代表理事が講演している。この人は文部科学省人権教育の指導方法等に関する調査研究会議委員でもある。

 資料を見ると「小学校マニフェスト」では「『部落問題は被差別部落の友達の隣に座っている自分の問題』として捉え、自らのくらしと重ねて考えたり発言や行動できる6年生の子ども、五〇%をめざす」、「中学校マニフェスト」では「人権・部落問題学習で学んだことを、自分の暮らしや家族、友だちとの関係や自分の将来と結びつけて考えることができる子ども八〇%をめざす。」と数値目標を掲げている。

 数値目標を掲げた人権教育のどこが「人権」の教育と言えるのだろうか。子どもの内心をどうやって評価するのか。文科省がすすめようとしている道徳教育の教科化の先取りである。

 子どもの心や行動を数値目標にするのは、かつて学校が「満蒙開拓義勇軍」や「予科練」への志願の数字を争い子どもに迫ったことと同じ過ちを繰り返すことになるのではないだろうか。

 文科省[第三次とりまとめ]は「学校は、公教育を担う者として、特定の主義主張に偏ることなく、主体性を持って人権教育に取り組む必要があり、学校教育としての教育活動と特定の立場に立つ政治運動・社会運動とは、明確に区別されなければならない。」としている。全人教のような「特定の主義主張」に行政の後援・公費出張などは停止すべきだ。

衆議院予算委員会での日本共産党・村上弘議員の八鹿高校事件質疑(1974(昭和49)年12月)

八鹿高校事件とは 国会で明らかに

八鹿高校教職員の側に非難さるべき落度は認められない(民事訴訟判決)はこちら

 1974(昭和49)年12月19日、衆議院予算委員会で日本共産党の村上弘議員(大阪3区選出)は八鹿高校事件について、次のように追及しました。

NHKでテレビ中継されていたこの質疑は、マスコミが報道しないなかで、真実を広く明らかにするものであり、部落解放同盟の暴力と闘い、苦しめられていた市民に大きな励ましを与えました。

今では国会の公式サイト 国会会議録検索システムで読むことができます。見出しは編集者がつけました。(柏木 功)

教育史上 前例のない暴力 延々13時間の集団リンチ

○村上(弘)委員

そこで私は、次の問題に入っていきたいと思うのです。民主主義、とりわけ暴力一掃の問題であるわけですが、暴力に対する態度の問題は、言うまでもなく民主主義と人権の根本にかかわる問題であります。本会議などでも取り上げられました兵庫県の八鹿高校事件に対する態度の問題は、それゆえにきわめて重要である。同時にこの問題は、教育の自主性や中立性、あるいは地方自治の根幹にもかかわる問題でもあるわけです。そこで私は、この問題をなぜこの予算委員会の場で取り上げるのかという点について、幾つかのことを最初明らかにしておきたいと思う。

第一は、この事件がそれ自体たいへん異常であるということ。被害者の人たちが高校の先生で、数がたいへん多いし、その被害も重いということです。場所は白昼の路上で起こっておるということ。それから学校の中でたいへんな集団リンチが行なわれて、やり方が残忍であるということ。しかも、延々十三時間、まさに教育史上前例がないできごとであるわけです。

第二に、この問題について、学校や地方自治体などの公的機関が、この暴力に屈服させられ、後にはこれを容認し、加担しさえしてきておるということです。

第三は、マスコミがこの問題をほとんど報道しておらないということ。真相がほとんど伝えられてこなかったということです。

第四は、残念ながら政党の一部がこれを公然と支持したり激励をしてきておるということがあるわけです。

第五は、そういう状況のために、この重大な暴力や蛮行が依然として温存されておるあるいは再発する可能性があるということです。

最後に、部落並びに部落の解放運動、この運動自体にも非常に大きな損害を与えつつあるということです。

私がこれから言います団体名、部落解放同盟という場合、朝田善之助氏を委員長とする解同朝田派、それからこの暴力行為を行なったその地域組織である、丸尾という者が支部長をやっておる組織、丸尾派ということで呼びますが、この部落に関する組織には、部落解放同盟正常化の連絡会もありますし、それから同和会もありますし、その他たくさんの組織がありますから、この点ははっきり前置きをしておきたいと思うのです。部落解放同盟朝田派をここで解同と言いますが、こういう蛮行のために、部落解放運動そのものが非常にゆがめられている、大きな損害をこうむってきているということからも、この問題はどうしても明らかにし、取り上げる必要がある、こういうふうに思っているわけです。

そこで、まず、事実問題について最初少し触れておきたいわけですが、すでに福田公安委員長が述べられておりますけれども、負傷者の数だけでなくて、負傷の状況、それからリンチのやり方ですね。使用した武具、凶器、これは一体どんなものであったか、ちょっとお話をしていただきたいと思います。

○福田(一)国務大臣 お答えをいたします。

先般、本会議におきまして、私がいささか報告をさしていただいたのでありますが、この事件は、御案内のように、ただいま実は捜査並びに逮捕をいたしまして取り調べをいたしておる段階でございまして、その内容自体について私が誤ったことを申し上げますと、それは非常に影響するところが大きい。同時に、そういうことでありますから、この説明は政府委員をしてするようにさせたいと思っております。事実でございますから、事実問題については。その上で、もしまた御質問があればお答えをさせていただきます。

○山本(鎮)政府委員

負傷者は全員で五十八名、そのうち十三名が重傷ということになっております。現在入院中がまだ十名ということになっておりますが、負傷の部位はいろいろございまして、一番重いのは骨折ということになっております。それから凶器、この点はいろいろと現在取り調べ中でございますが、凶器はやはり捜査上の一番のポイントになるものですから、このことは、この機会に言明することを避けたいというふうに考えております。

解放同盟の暴力で骨折、打撲、失神者も続出

○村上(弘)委員

負傷の状況しか述べられなかったわけですが、私のほうから簡単に述べておきたいと思います。

この骨折は、肋骨、腰椎、横突起などの骨折が十三名になっています。予ての他全身打撲。これは、やけどなどいっぱいありますが、特に失神した人がたくさんいるというのが特徴です。

それからリンチのやり方ですね。この点では、頭に対しては飛びけり、それからほうきの柄でなぐる。電柱や机、壁にぶつける。それから毛髪を引っぱる。顔に対しては、ほおをひねって、単にひねるんじゃない、ちぎり取るように引っぱるわけです。長ぐつでなぐる。それからつばをはきかける。このつばも、流れるほどつばをはきかける。それから水の入ったバケツやたらいの中に顔を突っ込む。たばこの火を顔や首に押しつける。胸や腹や腰に対しては、金具のついた半長靴でける。手足に対しては、靴やいすの足で踏んづける。指の関節の部分にボールペンをはさんで、そして強く握る。頭から全身に水をぶっかける。婦人教師を裸にする。これはもう破廉恥きわまりないです。□□先生などは、水をかけて裸にして、それに扇風機をかけて冷却する。耳にハンドマイクをあてがい大声でわめく。汚水を無理やりに飲ませる。鼻の中に水を入れる。それから二、三人がかりでかかえ上げて地面にたたきつける。ありとあらゆる蛮行を尽くしてきたわけです。  それで、武具、凶器については、証拠になるからということを言っていましたが、牛乳びん、青竹、腰かけ、ハンドマイク、たばこの火、メリケンサック、びょうのついた半長靴、南京錠、鉄製のバール、こういうふうなものを使ってやっておるわけです。

11人逮捕に警察官7000人動員

○村上(弘)委員

この際、ついでにちょっと聞いておきたいわけですが、十一名を逮捕するときに、警察はどれくらい動員しましたか。これは公安委員長。

○山本(鎮)政府委員

十二月二日に四名を逮捕する際は約五千名、十二月十二日にあと七名を逮捕するとき約二千名ということになっております。

○村上(弘)委員

二回目は……。

○山本(鎮)政府委員

二回目は但馬地区は二千名でございます。

路上で暴行、トラックで拉致

○村上(弘)委員

連合赤軍と浅間山荘で銃撃戦をやったときの警官の動員が、新聞報道ですが、実動員大体千二百人ですね。これは十一名逮捕。最初は四名です。四名逮捕するのに五千人を動員しておるのですよ。いかに凶悪犯であったかということです。

私は、この暴行や集団リンチがどのように行なわれたかということを、ごく簡潔に最初に述べておきたいと思うのですが、路上の場面で最初暴行をふるった。次は学校の中で三カ所。第二体育館に最初全員を連れ込む。そこで話し合いに応じようということで、話し合いをさせるための暴力。それから次は、話し合いだと称して、本館の会議室や解放研のクラブの部屋、部室に連れていく。これが学校の中の第二現場なんです。第三回目は、第一体育館というところに連れていって、ここで全部を糾弾し尽くして、それで勝利式みたいなセレモニーをやっているわけなんです。

こういうことになるわけですが、路上の模様について、きょうは現地の方も来ておられますが、簡単に申してみますと、□□先生という先生が告訴状の供述書に次のようなことを書いております。これは校門から約三百メートルの、商店街の幅四メートルの三叉路なんですね。ここで丸尾らにはさみ打ちになるわけですが、そこでは、「スクラムに対して、左右の腕を力一ぱい数回けり、こぶしで頭を数回なぐり、くつでからだのあちこちをける。ショルダーバッグはちぎれ、防水ジャンパーは脱がされ、めがねはどこかへ、バンドも同様、運動ぐつも脱がされ、くつ下も取られ、はだしだ。このころ頭はぼうっとしていた。両手足を持たれ、付近を通りかかったトラックの荷台にほうり込まれる。そのときトラックにはすでに数人の教職員がおって、□□先生は鼻血を流した。私は苦しくてうつぶせになっていた。そのトラックの運転手は病院に運ぶものと勘違いしたらしく、学校を通り過ぎて走る。そうすると、運転手の窓ガラスがこわされて、丸尾らが運転手をなぐる。そして運転手はおろされ、荷台にやはりほうり上げられた」、こういうようなことが起こっておるのですね。通りかかったトラックがこういうことのために使われ、運転手までがリンチにあっている。

校内でリンチ

そういうふうにして、第二体育館に全員が連れ込まれるわけですが、ここの状況について□□先生の供述書ではこういうふうになっていますね。「一人ずつバラバラにされ、私は一〇人位の、顔を見たこともない男達に取り囲まれ、「お前らなんで解放研と話をしないか」「差別教育をするのか」等と目の前でどなったり、耳の横で携帯マイクのスピーカーで大声を出され、更に、後から髪をつかまれ、「上を向け」と言いながら、坐ったままの私の顔を無理に上に向けさせ、横から手拳で殴ったり、皮グツで蹴られたりしました。」飛ばしますが、「黙っていると一層ひどく殴る、蹴る。誰かが「水をくんで来い」と言い、私は着ていたコートとブレザーを脱がされ、バケツの水を後頭部から背中にかけて、シャツの中にかけられ、更にくり返し殴る、蹴る、水をかける等をされ、結局三回もバケツの水をかけられ、痛みと寒さで気が遠くなりそうでした。」こういうふうに言っております。
殴る、蹴る、バールで突く、水をかける、鼻に水をバケツで

それから、この校内の第二現場の状況について、□□先生の供述を見ますと、この先生は教員組合の支部長さんで、最も残忍なリンチを受けたわけですが、三時までは第二体育館で糾弾され、それから解放研の部室に連れてこられたわけです。「椅子に坐らせ」このガキ、しぶとい野郎だ」とどなりながら顔面を手拳で往復ビンタのように数十回殴りつづけ、さらにみぞおちを三回位立て続けに蹴とばしたため嘔吐し、気を失いそうになった。この暴力を振った男はプロの暴力団のような強力なパンチの持主であった。」「その後、タバコの灰の入ったぞうきんバケツの汚水を無理矢理口に注ぎこみ、その上鼻にもバケツで水を注ぎこみ、呼吸を著しく困難にした。「お前は□□か」「お前みたいなものは死んでしまえ」「しぶとい野郎だ」などと罵声を浴びせた。さらにメリケンサックを手拳にはめた男が、その手拳で十数回顔面を殴りつけた。このような状態は同夜九時すぎまで続いた。」十時過ぎから――もうすでに晩の九時になっておるが、その後さらに会議室に連れ込んで、「同和教育について自己批判し、「確認書」を書くように強要したが、同告訴人がこの要求を拒否したところ、傍にいた男が同告訴人の手の指を反対側にねじり、鉄のバールで脇腹を数回にわたり突いた。」さらに休養室に連れていって、「被告訴人らは、殆ど意識を失いかけている同告訴人を休養室に連れ込み、着がえさせるという名目で裸にし、扇風機をかけて、冷風を直接濡れた身体に吹きつけた。同夜十時頃、それでも屈しないでかすかに生き長らえている同告訴人に対して最後の止めをさす目的で、同告訴人の腰部に対して集中的に力一杯蹴りあげてきた。この為、同人はついに力尽き、全ての抵抗力を失って意識朦朧となった。」こういうふうに供述しているわけです。

私はお断わりをしておきますけれども、このとき、この学校に動員されていた部落の人たちが、みんなそういう人たちであったんじゃないということです。もうやるなと涙を流してとめておった人もあるということですね、先生などの供述では。それからけんかをしているのですね。つまり、やってはいかぬという人に対して、やるべきだといって、この幹部たちが押しつけるわけですね。それで内部でけんか状態が起こっているということも、先生方はそのとき話をしています。

糾弾会で自己批判を要求

それで、糾弾し尽くして最後の場面になるのですが、この模様について、□□先生という方が次のように言っています。ここの場面は、最後の勝利の祝賀会みたいなものであって、十六ミリのフィルムを丸尾らはとっておるわけですね。ここの場面を特に一番クローズアップしているのですが、「丸尾支部長が「今から糾弾会を行う」と言って、教員を二列に並ばせ、同盟員数百名が並びました。その上で、一人一人に職名と名前を言わされ、丸尾が「自己批判書」を□□に示し、「これは君が書いたものだな」と言っておりました。又、丸尾は、「八鹿高校の職員室へ入って来たら、お茶の一杯も出してくれるやろな」。これはもうほんとうにファシストの態度ですね。やっつけて瀕死の状態の者に対して、今度職員室へ来たら、わしにお茶の一ぱいも飲ましてくれるやろうなと、こういうことを言うておるわけです。そうして、そのもう倒れかかっておる先生方の前をハンストの生徒が行進したということになっている。「そして、「糾弾会」が終わり、その後、全員職員室へ連れて行かれ、後から校長も入って来ました。」というふうに言われております。

そこで、そのときの負傷の状態がいかにひどかったかということを□□先生の写真で――これもまあ相当あとの写真であるわけですが、この写真を見ていただくとわかりますように、この先生は細面の方なんです。こちらの写真が現在の状態で、まあどちらかというと細面ですね。ところがこのときはもうまさにフットボールみたいに顔がふくれ上がっておるというような状態であるわけです。リンチの状態がいろいろな写真でとられておって、そのときの直後の状態ではありませんけれども、これはまあ皆さんのほうに、事実を知っていただくためにちょっと回して見ていただきたいと思うのです。

そこで私は、以上の事実に立って、文部大臣に最初にお尋ねしたいと思うわけですが、このような暴行や集団リンチで、話し合いだとか確認会だとか糾弾会とそれを呼んでおるわけですが、そういうことをやるために学校を使用しているわけですね。校長は使用さしておるわけです。このことはよいことか悪いことか、どうですか。

○永井国務大臣

私は、この県立八鹿高校の事件を聞きまして、学校教育には絶対に暴力というものがあってはならないと思います。校長の問題につきましては、校長先生は、私の理解しておりますところでは、この事件が起こるまで指導に当たってこられたわけですが、防ぎ切れなかった、しかし加担したのではないというふうに承知いたしております。

校長室の横に「闘争本部」

○村上(弘)委員

まあ、防ぎ切れなかったということは、やりたくないことをやったという意味かと思いますが、私が聞いておるのは、こういう集団リンチ、暴力をする、そういう行動をやるために学校を使用させるということについてどう思うか、こういうことに学校を使用さしてはならないということは明らかにしておくべきじゃないか、これをお尋ねしておるわけです。

○永井国務大臣

学校が話し合いの場所であるのは当然でありますけれども、暴力をもって糾弾をするような場所じゃないということは、申し上げるまでもないことであります。

○村上(弘)委員

この糾弾闘争の現地闘争本部、つまり八鹿高校差別教育糾弾闘争共闘会議なる団体が、この丸尾らの暴力と脅迫でいわばデッチ上げられておるわけですが、この共闘会議の現地闘争本部が校長室の隣の応接室に設置されておったのですね。こういうことも、管理者である校長は許してはならぬことだと思うのですが、どうですか。

○永井国務大臣

ただいまのような事実につきましては、私はまず、この直接の教育行政の担当は兵庫県教育委員会でございますから、兵庫県教育委員会と連絡をとりながら、すでに進んできておりますが、いまの問題については、兵庫県教育委員会からの詳細な報告というものを受けなければならないと思っております。

○村上(弘)委員

はっきりとこういう行動が行なわれ、そしてその結果、逮捕もされておるわけですね。現地では、その解放車なんかがどんどん学校の中に出入りしておって、彼らが学校の中で暴力をふるって、これだけの負傷者が出ておるということもはっきりしておるわけです。その行動の闘争本部が校長室の隣の応接室に置いてあるわけですね。こういうことについて、いいことか悪いことか、こういうことがあってはならぬことかということを聞いておるのですよ。

○永井国務大臣

暴力が発生するおそれがあるような闘争本部が学校内にできるということは、悪いことでございます。そこで、これにつきまして兵庫県の教育委員会は、事件が起こる前から職員を派遣いたしまして、そういうおそれがあるというので、指導に当たっていたというふうに私は承知いたしております。しかるに事件が起こりました。事件が起こりましたので、これは文部省としてもまた責任がありますから、そこで文部省は、山崎政務次官に現地の兵庫県におもむいていただきまして、これは当然悪いことでありますから、したがいまして、兵庫県の教育委員会委員長、教育長、副知事にお目にかかって、そして指導助言の立場で、学校の中で暴力が行なわれることは絶対に排除しなければいけない、そして授業が再開されなければいけない、さらに教育が正常化されなければいけないという点にわたって、指導助言に当たったわけでございます。

職務命令を出して教員を呼び出した校長

○村上(弘)委員

問題にはっきり答えていないわけですが、校長は、八鹿警察署長が内部の状況を問い合わせ、警察力の発動をしようかという話が五回あったわけですが、そのつど、平穏に話し合っておると言って、この警察力の発動をいわば事実上拒否して、そして丸尾らが学校の中でこの残虐なリンチをやり尽くし、彼らの目的を達するようにこれを保障する、こういうような行動をやっておるわけですね。

それからこの校長は、教頭に次のような指示をしておるわけです。第二体育館に行って、最初入ってきた学校の先生方に対して、だれが来ておるか、だれが来ておらないか、この名前を調べてこいということをやって、そしてそこにいなかった先生方に対して電報を打っておる。業務命令ということで、学校に出てこいという電報を打っているんですよ。この電文を見ると、「事態収拾のため、学校におけるすべての校務運営並びに教育活動について校長の指揮監督に従うことを命ずる。直ちに学校に復帰せよ。」こういうまさに半死半生のような状態に追い込むための場所に、おらぬ先生にまで電報を打って、そうして職務命令だ、命ずる、出てこい、こういうふうなことをやっているわけです。これが正当な職務命令と言えますか。どうですか。

○永井国務大臣

私は、先ほどから申し上げましたように、この問題に関しましては、非常に重大な事態でありますから、文部省に当然責任があるのです。しかしながら、非常に重大な事態であって、その責任者というものは、当然に文部省とともに兵庫県教育委員会にあります。そうして暴力が発生したということは、これはやはり絶対に悪いことです。その事態について詳細に調査をしなければいけないということで、その調査が進んで、そして文部省が報告を得ようという立場にありますので、いまそういう方針によって調査を進めているということを申し上げます。

繰り返し申し上げますが、暴力が行なわれる、そしてそういうことのために教育委員会あるいは教育行政の立場というものが暴力を助けるというようなことがありましたらば、これは悪いということは、もう申すまでもございません。

暴力に協力した兵庫県教育委員会

○村上(弘)委員

具体的な問題は兵庫県教育委員会ということを言っておられるわけですが、その兵庫県教育委員会が、実はこういう集団リンチ、暴力行為に事実上加担し、共謀しておる。これはもうちゃんと事実がある。この事件の前日、但馬教育事務所の緊急指示というのがありまして、但馬一市十八町の教育長と教育委員に緊急合同会議を招集しておる。ここには県教育委員会の杢谷次長も参加しておる。そうして八鹿高校問題については、解同、つまり部落解放同盟朝田・丸尾派らを支持する、こういう決議を採択しておるのです。そうしてその当日はどういう状況かというと、数日前から杢谷教育次長らが八鹿へ出ており、山岡主任指導主事、それから畑中同和教育指導室参事、喜始、植田、芦田、こういう教育委員会関係の者を現地に派遣しておる。そして、上田平雄但馬教育事務所長が赤はち巻きを締めて終日現場におったじゃないですか。また、前田昭一社会教育主事は、この第二体育館の現場で、連れてこられた先生方に対して、「前もってこんなことになると言っておったじゃないか」というふうなことまで、そこで言うておるわけです。つまり、教育委員会自身がこういう暴力行為をやっておる朝田・丸尾らの行動を支持する、そしてこの糾弾行動に実際に参加して、はち巻きを締めて現場に入っておるのです。その教育委員会に、あなたは報告を待つ、どういう状況か言えと――。大体、兵庫県の教育委員会関係の当事者はみんな、こういう事実はなかった、あるいは、あったかどうかわからない、こういう態度を、口裏を合わせるようにとっておるわけです。

この問題について、これは八鹿町のある同和地域の人からの手紙なんですが、こういうふうなことが言われています。これは養父町解放研加入中学生を持つ一母親です。丸尾らが暴力で脅迫してつくり上げさしたこの解放研という組織の中に入れられておった生徒の母親なんですね。長いですから途中だけにしますが、「いままでの確認、糾弾とは一方的な罵倒であり、かりにも民主的とはいえないものです。八鹿町民はじめ各町で暴力に対して一斉に立ち上がろうと団結しつつあり、また全国各地から調査団が続々と町へ来られるというのに、暴力集団は、いま、十一月二十二日の道路上の「解同」朝田・丸尾派の行動を証言したりすると家に火をつけてやるとか言って、それぞれ脅迫をしたり、おどして回っているので、またふるえ上がっている始末です。その上、町長は、道路上で暴力のあった商店街目撃者の家を一軒一軒回って、「暴力はなかったですね、見なかったですね、そのとおりに証言してくださいね」と言っています。こういう事実を日本全国の皆さんはほんとうのことと信じられますか。しかし事実なのです、このおそるべき状態が。あの二十二日、冷雨降る川原に勇気をふるい起こして立ち上がった千人近い八鹿高校生は、いま歯ぎしりをして、おとなたちのふがいなさを嘆いています。きょうも高校生自治会の役員たちは、連日二時、三時まで、めぼ(ママ)を出し、睡眠不足でくたくたになって、このことに取り組んでいると聞いています。暴力に屈することなく、ほんとうの差別をなくすることでは、部落の中でも理解あるまじめな話し合いで解決しようという人は一ぱいいます。これを妨げているのは、利権にくらんだほんの一部の暴力分子たちです。これらを排除して、真の差別のない地域づくりを考えるにはどうすればよいか、皆さん、手を取り合ってこのことを訴えましょう。名前を書いて出したいが、事情を察知してください。」こういうふうに書いてあります。

ここにあるように、町も学校もまだ自由にものが言えないわけですね。逮捕されて少しは空気が変わってきておるけれども、まだ、政府がどういう姿勢を示すか、文部省がどういう姿勢を示すか、この姿を見ておるわけですよ。ですから、あなたが、県教育委員会のことだとか、学校長がどうであったか、闘争本部があったかなかったかわからぬからなどという態度をとっておる限り、このおかあさん方は、ああ、ほんとうに三木内閣は暴力に対してしっかりした態度をとっておるんだ、そういう問題は許さないんだ、そういう教育政策をとらないんだということを見るか見ないか、これを注目しておるわけです。  もう一度、そういう、学校の中に闘争本部を置くというようなこと、職務命令を出してリンチの場に引き戻そうとするような残虐な態度をとったことがいいことか悪いことか、そういうことは今後許しちゃならぬということをはっきり言ったらどうですか。

○永井国務大臣

繰り返し申し上げますが、文部省のこの問題に対する立場は非常にはっきりしております。といいますのは、まず第一に、学校教育の中で絶対に暴力というものがあってはならないということであります。第二は、同和教育の原則といたしましては、これはもう同和対策審議会の原則が答申に示されておりますが、教育の中立性というものを守っていかなきゃいけないということでございます。

そこで、では、教育委員会というようなことを一々言わないで、文部省はひとつやらなければいけないじゃないかという意味にも、御発言がとれますけれども、私はそうではないと考えておりますのは、やはり、教育の場合に、文部省がすべてのものに当たるというのではなくて、わが国の場合に、地方自治というものを尊重するという原則があり、さらにまた、地方自治の中で一般行政と協力しながら、特に教育につきましては教育委員会が当たっていくという、そういう非常に重要な原則というものがあるわけでございます。

ところで、それでは兵庫県教育委員会あるいは文部省は、いままでの経過の中において何事もなしてこなかったかというと、決してそうではありませんでした。まず、兵庫県教育委員会は職員を事前に送っておりまして、しかし、それが事前に送られていたにもかかわらず事件が起こったということは、御指摘のとおりであります。そこで今度は十二月三日に、文部省は山崎政務次官を兵庫県教育委員会に送ったわけであります。そしてその結果どういうことが起こったかというと、ともかく現段階におきましては授業が再開されるに至りました。しかし、授業が再開ということだけでは不十分であって、ほんとうに和気あいあいの中に教育というものが行なわれるべきものであることは申すまでもございません。兵庫県教育委員会は、これは兵庫県教育委員会において同和教育基本方針というものを出しているのですが、その原則というのは、先ほど申し上げました、文部省における同和教育の中立性の原則というものを確認しているものであります。そこで、文部省が先ほどのような指導助言を行なったのに対応いたしまして、兵庫県教育委育会も同じ立場に立ったと思われますのは、十二月十四日に予定されておりましたところの現地を中心とする大会です。これはその事前に状況がわかりましたために、兵庫県教育委員会の十三日の指示によって、十四日は中止されるに至りましたから、授業再開、それから十四日の大会中止というふうに、少しずつ事態が進んできているという、兵庫県教育委員会の努力というものが見られるものというふうに私は了解いたしております。

○村上(弘)委員 その十四日の集会を県教育委員会がやめた理由は何ですか。

○永井国務大臣 理由は、先ほどから申し上げました二つの原則でございます。それは私たち文部省の立場として申し上げた原則でありまして、暴力の排除、そうしてまた教育の中立性というのでありますし、また兵庫県教育委員会の同和教育基本方針というものが示されておりますから、私はそれに沿って指示が行なわれたものと了解いたしております。

「話し合え」と糾弾。応じないことが教師の良心
無限の要求をつきつける部落解放同盟

○村上(弘)委員

ということは、十四日の集会は教育の中立性に反しておる、そのために中止をした、こうとっていきたいと思うのですが、あなたがそういうことを言っているというふうに理解いたしますが、解放同盟と連帯するとか提携するということは、同和教育の中立性とどういう関係になるか、この点についてはどう考えますか。

○永井国務大臣

私は、先ほどすでに御指摘がございましたように、同和教育に当たっております団体というのは、解放同盟を中心にしたものだけではなく、他のものもあるわけでございます。そうした諸団体というものの存在、そうしてまたそれが教育というものに関心を持っているということは当然尊重すべきことであって、それらの協力を得ながら学校教育を充実するように、教育委員会というものは活動していかなければならないと思いますが、党派的であってはならないと思います。

学校に「解放車」、投光機。糾弾へエスカレート

○村上(弘)委員

そこはわかりましたが、それまでの間に、実はそれに反する行動がたくさん行なわれておる。そして、この問題の発端だとよくいわれておる、解放研と話し合わないからとか、解放研を認めよだとか、解放研を認めないのはそれは差別であるというふうなことを学校の先生方に押しつけるということが、それ以前のすべての問題を貫いておるわけですね。で、ハンストをやっておる、ハンストをやっておるのに話し合いをしない、だからこういうことが起こったんだというふうなことを言う者もあるわけです。しかしながら、ハンストをやる、これはビフテキを食わしてやっておるわけですが、このハンストをやる以前にどういうことが出されてきておるかといえば、この解放研を認めよ、これに三人の顧問を置け、この顧問は自分たちが指名する者をやれ、話し合いをやれ、自分たちの同和教育が間違っておることを認めよとか、こういうふうな内容を持っておるわけですね。それに従わなければ、これは無限の話し合いが要求される。これは普通だったら・話し合いというのは、相互の意見を自由に述べ合うわけですね。そうして一致する場合もあるし、一致しない場合もあるわけです。ところが、この解同丸尾らの言う話し合いというのは、屈服をするまでやるわけですね。彼らの意思に従うまでやるわけです。これは八鹿高校事件そのものなんですね。結局、それ以前の段階は、彼らの意思に思うようにならない、そこでだんだん威圧を加えてくる。これがずうっとエスカレートしてきて、解放車が入ってくる、学校に投光器が据えつけられる、こういうふうな状態が生まれて、いよいよ身の危険を感じて、先生方はきょうはもう集団でやられるかもしれぬということを察知して、それでもうみんな身を守るためにスクラムを組んで帰っていくわけです。

先生方は、自分たちは圧力や暴力で良心を変えることはできない、こういうことを言っているわけですね。それに対して、ハンストという道具立てを背景に、暴力をもって話し合えと言う。そうしてその話し合いの中身は、自分たちへの屈服、差別を認めよ、差別者であることを認めよ。これを一たん認めたら、それを自己批判せい、そして行動で示せ。そして新たな糾弾闘争にどんどん参加させられて、あれほどの大量の人間が動員される状態がすでにできておるわけです。

こういう話し合いに応じないということは、教育の中立性、教師の良心を守る上に当然のことだと私は思うんですが、あなたはどう思いますか。

○永井国務大臣

私は繰り返し申し上げますが、文部省の方針は不動であります。教育というものに暴力というものはあってはなりません。次に、教育というものを推進していく上には、教育の中立性というものが必要であります。しかし、それは方針でありますから、それを実現していくためにはさまざまな努力が必要でありますが、それは、先ほどから申しましたように、中央にあります文部省、それから地方にあります教育委員会というものが、それぞれ果たすべき役割りがあって、そしてそのレールの上に乗せながら、申し上げた方針というものを推進していくのが文教行政の立場だと思います。しかしながら、さらに文教行政だけで処理し得ない問題が起こります場合には、学校内といえども、治安当局というものが活動しなければならないということ、これもまた申すまでもない、当然、文教行政として連携、協力しなければならないものと考えております。

○村上(弘)委員

どうも的はずれのことを、それ自身は間違っていないことでありますけれども、私が聞いておる具体的なことには答えていないわけです。学校の先生が、自分の良心を守る、教育は中立でなくちゃならない、彼らの支配に服するか、それでなかったら残虐なリンチを受けるか、どちらかにしかならないような話し合いですね。この話し合いに応じないからといって、校長は職務命令まで出しているのですよ。こんなことが同和教育の正しいあり方ですか。同和教育以外であるどんな教育だって、こんなものは正しくないことは明白じゃないですか。こういう具体的な事実に対する文部大臣の判断を聞いておるわけです。

同和教育それ自体についてもお聞きしたいと思うのですが、ここの学校の先生方の同和教育がよく行なわれていなかったためにこういうことが起こったというようなことも、一部ではいわれておるわけです。事実はどうか、一体どこが間違っておるのか、これは具体的に指摘しているものはだれもいないのです。それはそのはずなんであって、ここの先生方は、もう五年前から、どこの学校よりも早く同和教育に取り組み、部落研も組織し、寝た子を起こすなといわれておるような状況のときから、生徒と一緒に部落にも入っていって、そして実態もよく知って、差別がなぜ生まれるか、どうしてなくさなくちゃならぬかというようなことについても学習をする。同時に、この同和教育というものと解放運動というものとは区別しなくちゃいかぬ、教育と運動とはこれは別なんだ、こういう県教育委員会の教師用の「同和教育の手引」ですね、手引きどおりに、運動と教育は厳密に区別するという立場も、これまた貫いてきておるわけです。ところが、この朝田派らが言うのは、丸尾らが言うのは、解放研の言うのは、同和教育は行動なんだと、まさに教育と行動を一体のものにし、しかも、自分たちの行動に服さなければすべて差別者なんだ、こういうことを押しつけて、その手段として話し合いというものを押しつけてきておるわけでしょう。

こういう具体的な内容をもってきているわけですが、この同対審答申は、御承知のように、「同和教育と政治運動や社会運動の関係を明確に区別し、それらの運動そのものも教育であるといったような考え方はさけられなければならない。」とこういっているわけです。県教育委員会は、その解同と連帯するあるいは解同を支持するまさにたくさんな団体の中の一つだけを支持し、その運動と連帯し、しかも彼らの非常に間違った理論と方針、それをまるまる支持する、こういうふうな態度をとってきておるわけです。どちらが正しい同和教育をやっておったのか。県教育委員会自身が、自分がきめた同和教育の方針、県教育委員会が出しておる同和教育の教師用の手引き、これを自分でかなぐり捨ててしまって、そうしてまるで解同の丸尾らの運動を支持する、それと連帯してやる、こういうことをやっておるじゃないですか。これはもう、ちゃんと県議会における教育長の答弁でも出ているじゃないですか。だから、こういう状態からいえば、どちらが正しい同和教育の立場に立っておったのか、こういう問題についてどう判断するかということと、文部省は同和教育に対して、解同丸尾やら朝田が言っているような、運動と教育は一体だとして、自分たちの考え方を押しつける、こういうやり方が正しいかどうか、どちらが正しいか、このことについての見解もあわせてお聞きしたいと思うのです。

○永井国務大臣

私、文部省の方針というのは申し上げたとおりでありますが、さらに政治活動というもの、あるいは政治運動というものを学校教育の場面に入れ込んでくるということは、教育と政治活動の混同でありますから、これは絶対にいけないものである、さような立場をとっております。

生徒を動員した糾弾闘争

○村上(弘)委員

そのことに関連して、いま文部大臣が、ある特定の集団だとか、特に政治に対して、政治を教育に持ち込んではならない、あるいは特定の政治と結びついてはならぬ、こういう趣旨のことを言われたわけですが、学校の生徒をこういう糾弾行動に連れていくというふうなことについて、あなたはどう考えるか。

たとえば狭山差別裁判糾弾闘争というのが全国的にやられてきておる。裁判そのものは、刑事事件については公正にやる、事実に基づいてやる、これが一番大事なわけです。疑わしきは罰せず、これ必要です。しかし、差別裁判というふうに頭からきめつけてしまって、それに対してどんどん子供を動員していく、それに学校の生徒まで連れていく。たとえば□□□中学校では、校長先生まで一緒に、この糾弾闘争に子供を連れて、これも結局丸尾派らの圧力によってではありますけれども、参加しておる。あるいは大阪でも□□□中などは、やはり子供を、裁判に対する糾弾闘争、こういうことに動員しておるわけです。そういう状況はもう一ぱいあるわけです。こういうことについて、こういうことは今後やっちゃいかぬということを、はっきりここで言明されたらどうですか。

○永井国務大臣

私は先ほどからはっきりと言明しているつもりでございます。政治運動というものを教育の場と混同して、そして政治活動によって教育を左右しては絶対にいけないということを申し上げております。

授業ができなくなる状態

○村上(弘)委員

その一般論が現実にどのように適用されるのかということが、いま問題なわけですよ。ですから、具体的に起こったこういう事態について、あなたは、それは政治活動に子供を動員していることだからよくないことだ、こうはっきり認めるのか、いや、それはどうかわからぬということなのか、やってもよろしいことになるのか、その判断がはっきりしないわけです。いまのような糾弾闘争に学生、生徒を動員する、これはあとでも触れたいけれども、橋本先生糾弾闘争というのがある。ここにはこの写真がありますが、こんなに生徒をたくさん動員して、そしてその家を包囲して、そして糾弾をやっておるんですよ。こういうことに生徒を参加させること自体が、あなたの言う教育の中立の趣旨に合うかどうか、このことをはっきり言うてください。

○村上(弘)委員

その一般論が現実にどのように適用されるのかということが、いま問題なわけですよ。ですから、具体的に起こったこういう事態について、あなたは、それは政治活動に子供を動員していることだからよくないことだ、こうはっきり認めるのか、いや、それはどうかわからぬということなのか、やってもよろしいことになるのか、その判断がはっきりしないわけです。いまのような糾弾闘争に学生、生徒を動員する、これはあとでも触れたいけれども、橋本先生糾弾闘争というのがある。ここにはこの写真がありますが、こんなに生徒をたくさん動員して、そしてその家を包囲して、そして糾弾をやっておるんですよ。こういうことに生徒を参加させること自体が、あなたの言う教育の中立の趣旨に合うかどうか、このことをはっきり言うてください。

○永井国務大臣

私が申し上げておりますのは――これはよく見ました。大学で長く教えておりましたし、非常に私よくわかるのです。どの党派に限らず、政治活動というものを教育と混同するのは絶対にいけない、そういうことです。そして、しかしながら具体的に事態が生じた場合、兵庫県八鹿高校のケースについて申し上げましたが、それについて、今度は文部省はどういうふうにやっていくか、そのやり方については、それぞれのケースがあります。そしてそのケースに応じて、それはまた、わが国の法律に基づいたところの組織でございますから、でき得る限りこの原則というものを貫徹すべく努力するという、そういう決意であります。

○村上(弘)委員

そのケースはどうですか。

○永井国務大臣

これは、政治活動というものが教育というものの中に混同されているというケースであるというふうに認定いたしますならば、これはいけないということでございます。

○村上(弘)委員

学校の先生の糾弾行動ですよ。そういう問題に対する一つ一つの教育行政というものを、ほんとうに正確に、厳密に、厳正にやるということが非常に重要だと思うわけです。今日までこういう問題に対する文部省や教育委員会の態度がきわめてあいまいであったり、あるいは事実上それを許しておる、こういうことがあるために、教育の中の荒廃というものが非常な状態になってきておる。この問題を少し私は指摘したいと思うのです。

たとえば、大阪の□□区の□□中学校というところがあります。ここの学校では、大阪の場合は、朝田、上田、こういうメンバーが解同の幹部であるわけですが、朝田・上田派 、彼らの支配というものは非常なものですよ。その結果、学校の先生方が、部落解放同盟あるいは同和地域の生徒に対しては、もう何か間違ったことをやっておっても、それについて正当な指摘ができないわけです。もしそれを指摘して差別者だと言われたら、もうその先生はたいへんなことになるからです。ですから、もうここでは生徒がどんな行動も自由自在にやっておるわけです。この□□区の□□中学校の場合は、教室で生徒がタコ焼きを焼きおる。それから教室の中に爆竹を投げ込む。授業時間中に自由に出歩くわけです。しかも、その生徒が自由に出歩いている地域の解同の幹部からは、子供が自由に出歩くのを先生が見のがしておるのは差別だ、こういう批判を受ける。そうすると、これはもうほっとけないから、出歩くのについてくる。ついていっても帰らないですね。そうすると、帰れば糾弾されるから、その生徒のあとについておるほかない。引き戻すことができない。一日じゅうその生徒のあとについておる、そのクラス委員なんかもついていく、こういうような状態であって、十月二日以来一週間授業ができなかった、こういうふうなことも起こっておるわけです。これは非常な教育の荒廃ではないか。朝来でも、不法集会に先ほど言ったように生徒を動員して行っておる。

こういう教育の荒廃が生まれるような状態、これに対して、文部大臣はもっと現地を実際に見て、それを調査してこれをただす、もっと具体的な事実に即してあなたの一般論を適用する、こういう措置をとる必要があるのじゃないか。どうですか。

○永井国務大臣

ただいまの問題も、まず文部大臣が現地をよく視察して、そしてその原則ということだけではいけない、よく調べろ、それは全く調べるということは必要であると思っております。

そこで、大阪の問題についても、私は非常に重大であると考えましたので、いままで調べたことを申しますと、おっしゃいますように、十月二日時点において授業が行なわれておりませんでしたので、学校側が学年集会を開催して注意をいたしました。ところがなかなか簡単に解決いたしませんでしたけれども、幸いにして十月十一日から通常の時間割りでもって授業が行なわれるようになりました。そこで学校側では、学年集会のために欠けた授業時間をどうやって補充するかという問題がございますために、冬季休業期間中に、その一年生のみを対象として三日間補習授業を行なうという段階に到達いたしましたので、御報告をいたしたいと思います。

かように一つ一つケースがございますが、私はただ原則を申し上げているのでなく、そのケースにあたって原則の貫徹というものをはからなければ教育の荒廃が救えないという点において、非常に重要なポイントであると考えております。

蛮行の費用を自治体が負担
ゼッケンまで同和予算で購入

○村上(弘)委員

次は、自治体が八鹿高校事件の問題でとった態度の問題についてお聞きしたいと思うのですが、同和予算の性格や目的はどういうところにあるか、これは総務長官にお聞きしておきましょう。

○植木国務大臣

同和問題は、憲法の人権の基本的な保障にかかわる重大な問題でございますから、同和対策審議会の答申があり、四十四年から同和対策事業特別措置法ができましたし、また長期計画が立てられまして、今年は後期の第二年に当たっている状況でございます。

現在まで、四十四年度には二十七億円の予算でございましたけれども、四十九年度には二百四十八億円というふうにたいへん大きな予算をとっておるわけでございます。私どもといたしましては、ことし同和対策室が総理府の中にできましたので、各官庁において行なわれます行政を総合的に調整いたしているのでございまして、地方に対しまして……(村上(弘)委員「あなたのところが何をしているか聞いているのじゃないのです。同和予算の性格と目的を聞いている」と呼ぶ)その予算を各地方の実情に応じて即応して使用していただくというのが、これは本来のひとつのたてまえでございます。同時にまた、地域住民がひとしく公平にその恩恵にあずかるということが、私どもがいまとっております諸施策の理念でございます。

○村上(弘)委員

同和予算の性格、目的とは的はずれのことを言っているわけですが、この八鹿町その他但馬一帯の自治体が同和財政というものをいろいろ組んでいるわけですね。たとえば先ほどのような八鹿高校のリンチを行なう場合のはち巻きだとかゼッケンだとか、こういうものも全部この同和予算で出ておるわけです。いわゆる糾弾行動、それから青年行動隊の制服、解放車という名の自動車、それから八ミリのフィルム、それからその現像費、彼らが行動するものはすべて自治体が保障しているわけですよ。このひどい蛮行、暴力の行動を、全部自治体が予算で保障していっているわけです。こういうような予算は、一体同和予算の性格からいっていいのかどうか。ゼッケンやはち巻きが同和予算の性格や目的に合致しておるのかどうか。これはひとつ福田自治大臣、どうですか。

○福田(一)国務大臣

いま御指摘になったようなものがその目的のみに使う意味で購買されておったとしたら、私は若干同和予算の使い方としては間違いであると思っております。

糾弾会に職員を動員、保健婦・看護婦も

○村上(弘)委員

これはあとでも触れますが、その目的のために先に出して、もうこの予算化する前に使っておるのですよ。こういうようなひどい状態になっているわけですが、財政面だけでなく、人の動員も町当局が実際上加担している。

糾弾会へ町の職員を動員する。また町の保健婦、看護婦も現場へ行かして、リンチで失神した人たちにカンフル注射して、そしてそれで意識が回復したらまた糾弾する。こういうふうなことにまで町が実際上協力しているわけです。また、この地方自治体の事務所の中に、こういう彼らのいろんなたむろができていく。また事務の中にもそういう仕事が一ぱい含まれている。こういうふうな行動に地方自治体が参加するということは、これは地方自治体の本来の姿からいってどういうことになるか。どうでしょうか。

○福田(一)国務大臣

私は、この同和行政ということについては非常に理解をいたしておるつもりでございまして、従来恵まれなかった立場にある人たちを救うということは政治の目的である。私も同和問題には大いに協力をいたしております。しかし、いまお話しのようなことがあったことはまことに悲しむべきことだ、そういうことで、ほんとうの意味での同和の人たちの境遇をよくすることができるかどうかということを、実は私としては残念に思っております。

自治体の財政 完全に破たん

○村上(弘)委員

地方財政が丸尾らによって支配されて、彼らの蛮行のために自由自在に使われておる。先ほどの集団リンチの全体の状況がフィルムにも撮影される、それの現像費まで払わされる、こういうことがはたして同和予算といえるのかどうか。あるいは自治体がやっていいことかどうかということになるわけですが、そういうことのために、他方この地域住民は非常に大きなしわ寄せを受けておるわけですね。

たとえば八鹿町は、九月議会で同和対策費六百六十万円、十二月議会で九百四十一万円、これは計上見込みですが、合計して二千万円、先ほど言いましたように議決する前に支出しておるわけです。事後承認です。これはむちゃくちゃじゃないですか。近くの山東町は九月の補正予算二千九百三十万円のうち二千万円が同和予算です。解同らの要求で組まされているのです。こういうことはこの南但馬すべての町で起こっているわけです。全郷の予算規模は大体十億程度ですよ。ところが彼らは、七町から、四月から十一月までの間にざっと一億一千三百万円、彼らのための金を出さしておるわけです。こういうために町財政は全く破綻してしまっておる。朝来町では九億円の借金の上にさらに借金なする。

これは兵庫県だけじゃないですね。大阪はどうかというと、大阪府の同和予算は衛星都市を含めて五百七十三億円、これは政府の同和予算五百七十五億円と全く同額ですよ。大阪府だけで五百七十三億円も出しておるわけです。これは好きこのんで出している状態じゃないですよ。もう全く暴力、脅迫、彼らの押しつけでそうなっているのですよ。その結果、たとえば泉南市というところは、同和予算が泉南市の総予算の四九・七%を占めておる。ここの同和人口は、全人口の六・一八%です。六%のために四九%の財政が支出されておる。大阪市は、民生費の中の建設事業費は、たとえば保育所とか老人ホーム、この事業費のうちで同和対策事業費が七七%。あまり大きいので、ちょっと数字が間違いじゃないかと、私自身が思ったくらいです。こんなにひどい状態になっておる。大阪市の同和人口は二・二%です。民生費の中の建設事業費の七七%がそのために使用されておる。

大阪の学校の建設、これは大阪のほとんどの人が知らぬ人はないような状態にいまなってきております。たとえば、同和地域の学校にはたいへんな要求が出され、彼らがそのための利権を一人占めにし、そして建てられる学校というのはまさに、ここに奥野さんおられますが、あなたがこの前質問されて、夢のような話だといって、大阪ではもうたいへんよく知られているわけですが、□□小学校の建設総額五十億五千万円です。普通の学校は一校大体五億円くらいですよ、大阪の場合。これは広さ三万平方メートルです。三十二教室です。特別教室が二十あるのです。プールが二つあるのです。プラネタリウムの教室まであるんです。そうして□□小学校というのは四十六億七千万円、こういうのがどんどん要求されておるんです。そうして他方プレハブ教室でどうにもならぬ学校がいっぱいありますよ。緊急整備を要する小中学校が三百七十九校もあるんです。彼らはむちゃくちゃなんですね。暴力と脅迫のもとに屈服させられた地方自治体が、おちいり、しかも彼らと結びついて、いまやその罪の意識すらなくなっている、そういうところもあるのです。

そういう形で、住民は全く腹に据えかねる思いをしているわけです。しかしながら、いままであれだけの残忍な、残虐な行動が行なわれるときに、やっと十一人逮捕される。いま初めてこうして大問題になりつつあるというようなことになってきておるわけです。

窓口一本化の誤りを認めよ

もう一つ、私ここで言っておきたいのは、これほどたくさん同和予算を引き出しておる。それではさぞや同和地域の内部はみんな非常によくなっておると思われるかもしれない。しかしそうじゃないのです。そうではなくて、解同朝田・丸尾らが窓口一本化と称して、自分らだけを相手にせよ、その他の組織、同和会だとか、あるいは部落解放同盟正常化連絡会議だとか、こういう組織は相手にするな、部落差別を撤廃する運動はわしらが正しいんだ、わしらの言うことを聞け、こういうやり方で窓口一本化を押しつけて、そのために同じ同和地域の人も、こんな膨大な資金を出させながら、差別をされて、適用されていないのです。

たとえば同和住宅の家賃まで差別されておるのですよ。大阪市の□□区の□□同和住宅では、朝田、上田らの組織に入っておる者は家賃を上げない。その他の者は全部家賃を上げておるのです。四倍以上上げていますよ。三DKで、いままで千百円だったものが、四千七百円払わされておるのです。

これは大阪だけじゃないです。あるいは但馬だけじゃないです。東京もそうですよ。ひざもとの東京も。東京では、御承知のように、美濃部都政のもとで、生業資金の貸し付けの問題について、この朝田派らの研修を受けなければ金を貸さない。この年の瀬を迎えて、いまだに生業資金を貸し付けないのです。朝田派らの研修を受けて、彼らの言うことを認めたら金を貸してやる、こんなやり方がありますか。これは明らかに、憲法や地方自治法、つまり法のもとの平等、あるいはひとしく役務を受ける権利がある、こういう憲法や地方自治法の重大な逸脱じゃないですか。この問題について、私は、自治大臣と三木総理の考えをお聞きしたいと思うのです。

○福田(一)国務大臣

ただいま御指摘されましたことの内容につきましては、私はそうであるということはここで申し上げることはいたしませんが、しかし、そのような差別が行なわれておるといういささかの事実は、私も聞いております。実はそういうことも聞いております。したがって、これからの地方自治体に対する態度としては、そういうような疑義を生ずるような予算の使い方というものは慎むべきであるということを私は指示をするようにしたいと思っております。それかといって、じゃあいままでのはどうするかというおことばもあるいはあるかもしれませんが、私はいままでのことは、ちょっとこれですぐ、いまあなたが言われたような大きなりっぱな学校ができたから、それをつぶしてなんというわけにはいきません。そういうわけにはいきませんから、とにかくこれからはそういうことがないようにして、そして何とか部落の関係の方が仲よくしていただきたい、私は、ほんとうのことを言うと。そしてほんとうにその人たちの利益が守られるように、ぜひ私はお願いをいたしたいと思います。すべて、差別が行なわれておるということのために使っておる予算がまた差別のために使われておるということは、まことに悲しむべきことである、かように私は考えておる次第でありまして、今後はそのことがないようにひとつできるだけ努力をさしていただきたい。これが自治大臣、というと失礼ですが、私の考え方であり、その方針で臨んでいきたいと思っております。

○村上(弘)委員

もう一言。福田自治大臣の基本的なお考えは、それとしてわかるわけですが、いまこの際、もう一つ私はあなたにはっきりここで述べていただきたいと思うのは、部落の人たちが仲よくしてほしい、こう言われたが、部落の人たちと部落でない人たちも仲よくしなくちゃならぬ。この問題の、いま非常なひどい状態が起こっておるこの一番のかなめになっておるのは、部落解放同盟の朝田派が、自分たちだけを認めよ、自分たちだけを交渉の相手にせよ、自分たちだけに、この同和予算だとか同和教育についてものを言わせよ、そして自分たちの言うことだけを聞け、こういうふうな態度をとっているわけですね。これは窓口一本化といっていますよ。こういう窓口一本化というものは誤りであるということ、これを明らかにする必要があると思うのです。三木内閣、新たに社会正義をいい、社会的公正ということをいって、ここで皆さんが責任を持ってやろうという限り――いままでこういう問題があいまいにされたために、こんなにひどい状態が起こっておるのです。こんなことが続いていいとは、よもやあなた方も思っておらぬと私も思うのです。であるならば、こういうまさに不公正な同和行政の、彼らの旗じるしになっておる窓口一本化というのは間違いだということを、この際ぜひはっきりしていただきたいと思うのです。

○福田(一)国務大臣

私は、部落と一般とがほんとうに平等な立場になるためのこの部落予算といいますか、部落解放に対する施政をやっておるわけでありますから、そういう意味では、いまあなたが私にただされたことについては同意をいたしております。そこで、あなたのおっしゃるのは、その何とか一派というものと――私は名前を言うことは、それさえもいま差し控えたいと思う。私は仲よくしてもらいたいというのが目的であります。だから、あなたのおっしゃることが正しいことであれば、何とかそれをよく、いまここでそういうお話がございましたから、ひとつそういうことを踏まえて、部落の方たちが手を握って、そしてほんとうの部落の幸福を願う態度をとっていただくようにお願いをいたしたい、こういうことでございます。

○村上(弘)委員

もう一言。じゃ逆の面からお伺いしますが、仲よくと言うあなたは、どなたに対しても、どれかを差別するということはもちろんお考えでないと思う。ということは自治大臣は、この部落解放同盟朝田派であろうと、部落解放同盟正常化連であろうと、全日本同和会であろうと、その他どんな団体であろうと、あなた方は対等に当然つき合いもするし、交渉もするし、予算の支出についても、それは当然公正に相手にする、こういうふうに理解していいですか。どうですか。

○福田(一)国務大臣

私の申し上げたことばの意味を、どういうふうにおとりになろうと御自由でございます。私はいま申し上げたような態度で政治に当たってまいりたい、かように考えております。

○村上(弘)委員

やはりこういう問題に対して、非常に奥歯にもののはさまったような、だれが考えてもどうしてそんなことがはっきりできないのだろうかと思うような感じのことを言っておられますが、いま私が問題にした点について、三木総理の、どういう組織に対しても、どういう地域の人であろうとも、公正に民主的に対処するという問題を含めて、今日までの地方自治体の状況、これに対するお考えをお聞きしたいと思うのです。

○三木内閣総理大臣

いま村上議員からいろいろお話を承って、本問題の深刻さというものの認識を深めたわけでございます。政府は、同和対策事業特別措置法及び同和対策長期計画に基づいて、同法の趣旨にのっとって、総合的に同和問題の解決に一そう努力をいたす決意でございます。

警察も部落解放同盟いいなり
なぜ現行犯で逮捕しなかったのか

○村上(弘)委員

警察のとった措置について、やはりお聞きしておきたいと思うのですが、路上の問題で、一体警察はどうしていたのだろうかということが町の人たちの疑問です。一体どうしておりましたか。なぜ逮捕しなかったか。

○福田(一)国務大臣

その問題については、政府委員から答弁をいたさせます。

○山本(鎮)政府委員

お答えいたします。

警察がこの事件を認知いたしましたのは、当日九時五十七分ごろ、一一〇番によって、この路上でけんかがあるということでございましたので、署長以下直ちにパトカーで現場に急行いたしたわけです。そうしますと、狭い通りに共闘会議の人たちが百五十名ぐらいおる、それから群衆もいるということで、なかなか近づけない。さらに署員が応援に行きまして、大体二十名ぐらい、小さな署でございますので、直ちに応援できるのはそのくらいの部隊ですが、これも近づこうとしたけれどもなかなか近づけない、押し戻されるというような状況のうちに、先生、学校の教職員の人たち数十名が学校の中に連れ去られたという状況で、何とか救い出そうとしたのですが、物理的にできないという状況であったわけです。したがいまして、署長としては直ちに隣接署の応援を求める、さらに神戸の兵庫県警察本部のほうに応援を求めるという形で、いろいろと時間の経過はございますが、最終的には、部隊を編成してその救出に当たったということになりますが、最初の現場の状況は、そういうことでいろいろとやったのだけれども、現場で逮捕するという事態に至らなかったという状況でございます。

なぜ警察は救出に行かなかったのか

○村上(弘)委員

じゃ、学校で、十時過ぎから夜の十一時ごろまで長時間のリンチが行なわれておったわけですが、なぜ学校には救出に入らず、また現行犯逮捕をやらなかったか、この点はどうですか。

○山本(鎮)政府委員

この点については、先ほどもちょっとお話が出ましたけれども、十時過ぎから、署長としては、学校の当局者その他関係の当局のほうに、学校の中はどういうことになっているのだということを聞いたところ、いま平和に、平穏に話し合いが行なわれているのだ、学校の内部の問題だ、教育問題である、そこに警察が出てぐるといろいろ紛淆を起こすので、ぜひこれはやめてもらいたい、そういうことを、再三にわたって確かめたところ、言ったわけです。御承知のところ、十回にわたってそういったことがあったわけです。それからまた共闘会議のほうにも二度にわたって、どうなんだ、あまり時間が長いじゃないかという申し入れをしたわけですが、なかなかそういうことで、当局の、いわば当面の相手の責任者がそういうことを言うので、しばらく事態を見守らざるを得ない。そしてその間に部隊が逐次出てきたので、その部隊の力をもって強制的に中に入るという経緯になるわけでございます。

○村上(弘)委員

路上では動くことができなかった、こういうことを言っているわけですね。学校の中では校長が十回にわたって、入れば一そう紛糾するから、こう言ったから入らなかった、こう言っているわけです。これは非常に奇怪な態度だと思うんですね。事実もまたそういうものでなかったわけです。路上では集団があって警官が近寄れなかったとか、そんな状況じゃないのです。現に先生方の証言では、これは□□という先生ですが、一人の警官の足とピストルのバンドにつかまって、無理に引っぱられようとするのを警官につかまって、何とか引っぱられていかれぬようにがんばっていた。ところがその警官は、その丸尾らの暴徒に対して、やめとけやめとけ、こう言った。それで実際には連れて行かれた。もう一人の先生は、やはり警官のバンドにつかまったわけですが、今度は、つかまったらそれをはずされた、警官から離された、こういうことを言っているわけです。ですから警官は、目の前で暴徒も見ており、リンチを受けて無理やりにけられながら連れていかれる先生につかまられながら、それをふりほどいておる、こういう状況があるわけですよ。

それから学校の状態についていえば、校長が、平穏に話し合っておるとか、あるいは入れば一そう紛糾するとか――入れば一そう紛糾するというのは、それまでに紛糾しておることを認めておることにもなるわけですが、第一に、この路上でこれだけのむちゃくちゃなことをやって学校に連れていったわけですから、何が起こっておるかは、当然警察は判断できるわけですよ。第二は、救急車が午前十時ごろから十回にわたって出入りして、八鹿病院にどんどん負傷者を運んでおるわけでしょう。それから、家族や生徒や保護者から保護願いが来ておる。生徒たちは泣いて、警察署の前へ来て、先生が殺される、先生を助けてくれ、とこう言って訴えておるわけです。これはもう全くひどいじゃないですか。そうして八鹿病院にどんどん負傷者が入っておることを、警察官も病院に行って、それは現認しておるわけですよ。しかも学校の中から、体育館やそれから本館から悲鳴が聞こえておることが、その側の道路に聞こえてきておるのです。町の人はそれを聞いているのです。その上に、□□先生、これは婦人の先生ですが、その御主人は、奥さんが呼んでおるからといって電話で呼び出されて、そうして呼び出された学校で、この奥さんが言うことを聞かぬのはおまえが悪いのだということで、一緒に糾弾を受けて、そしてまたリンチの場に連れていかれた。その強行連行するところも、自動車に押し込んで連れていくところも、その出るときに、警官をこの先生は現に見ておるわけです。こういうふうな状態があるのですから、これはもうその警察力を発動する判断ができなかったとか、あるいはそういうことはわからなかったなどというようなことは絶対に言えないわけです。

しかも、学校の校長の判断をかりにたてとしたとするならば、一番最後に学校に入ったのは、一体だれと話し合うて入ったのですか。運動側の二人と話し合うて、もう入ってもええか、もう入ってもよろしい、こういう話し合いがついて入っておるじゃないですか。学校側の了解を得られないからといって入らなかった警察が、どうして最後のときには運動側の了解を得て入ることになったのか。この運動側の了解で入ったということは、これは兵庫県警本部長も確認しておるんですよ。これについてどういうことをあなた方は言えるのですか。どうですか。

○山本(鎮)政府委員

最後に入ったときはどういう状況であるかということでございますが、こちらの聞いておりますことによりますと、そういうことで部隊の編成が成って、そしてやはり長時間にわたって相変わらず不穏な状況があるのじゃないかという独自の判断で、最後には入ったというふうに聞いております。

校長なども共犯者ではないか

○村上(弘)委員

もう万事リンチが終わって、丸尾らがもう彼らの目的を達成した、全部にまさに瀕死の重傷を負わせて、そうして無理やりに自己批判書なるものを書かせた。だからこれは、入ってもよろしいという状態を確認して、自己の判断で入ったという以外の何ものでもないわけですよ。事実の状況はそうなんです。学校の校長は、そのときには運動側の二人と話し合うて入りました、こういうふうな状況になっておるわけです。さらに百歩譲って、学校長がそういうようなことを――これは県警本部長はあとで、こんなたくさんの重傷者が出たじゃないか、結果からいえば、校長が平穏に話し合っておると言ったのはうそだったということになるじゃないか、それはそうだ、うそだった、それじゃ、学校長のとった態度はどういうことになるのだ、けしからぬことだと思っておる、こう言うのです。じゃ、けしからぬことだと思っておるのなら、この先生方は、学校長も教頭も、またそのときはち巻きを巻いておった教育委員会の当事者も、全部告訴しておるのです。これは共犯者じゃないかということで告訴しておるのです。じゃ、この校長や教頭に対して、いま警察当局は、どういう捜査をし、どういう取り調べをしておるか、これを聞きたいのです。

○山本(鎮)政府委員

警察本部といたしましては、事件の起きました翌日、二十三日から特別捜査本部を設けて、多数の捜査員を専従させて捜査をいたしております。その過程で、そういういま御質問のあったほうの問題についても十分捜査をしておりますので、事実がはっきりすれば、具体的な処置をとるものというふうに考えております。(村上(弘)委員「取り調べをやっておるわけですか」と呼ぶ)まだ取り調べをするという段階に至っておりませんけれども、いろいろとそういう方面をも兼ねて、捜査を進めておるというふうに聞いております。

○村上(弘)委員

この警察のとっている態度というのはきわめて奇怪だと思いますよ。三木総理もほんとうにそうだとうなずいておられるわけですが、だれが聞いても、こんなことを、ああそうか、わかった、と思うような者はおらぬわけですよ。大体警察は、現地の町民の非常な憤りと告訴によって、放置できなくなって、やっと十一名までは逮捕したわけです。しかしながら、こういう状態を許し、警察を入れないたてとなった校長を、県警本部長に言わせれば、けしからぬと――実はこれは責任を他に転嫁しておるということに、先ほどの状況からいったらなるわけですが、それじゃ、その校長がそういう態度をとったからだというのであれば、なぜ校長を調べないのか。まだ調べていないわけですよ。こんなことは、世間が、そうですかと納得できることですか。

しかも、現在十一名逮捕しておりますけれども、この負傷した人たちは五十八名いるわけですよ。五十八名に十一名でこんな重傷を負わしたわけじゃないのです。数百名が入った中でやっており、もうそれこそ意識もうろうで、現認できる人の数は限られておったけれども、それでもちゃんと特定の人を指定して告訴しておるんですよ。その数は相当たくさんの人を告訴していますよ。なぜ十一名にとどめているのか。なぜいまでもこういう暴徒に対して放置しているのか。学校の校長や教育委員会の当事者に対する取り調べ、それから逮捕の問題、同時に、この丸尾らの集団暴行に加わって、現認しておって告訴している者に対してなぜ早く逮捕しないのか、このことをお聞きしたいと思うのです。

○山本(鎮)政府委員

お答えいたします。

告訴、告発も多数、この事件の起こる前の朝来関係を兼ねて、出ておることは承知いたしております。この全貌をはっきりさせるために、いま鋭意捜査を広範にわたってやっておるわけでございまして、十一名の逮捕者でこれで終わりというのではございません。その関連についてはさらに徹底的な捜査をして、この事実を解明して適正な措置をとる、そういう所存でございます。

警察が暴力を放置し、南但馬一帯を無法地帯にした

○村上(弘)委員

そういうことをいま言っておるわけですが、しかし、事ここに至るまでに、兵庫県警あるいは現地の警察がとった態度の問題、これも非常に重大だと思うわけです。まさに無法状態に南但馬一帯はなっておったわけですね。これは去年の十一月ごろからで、それ以前はあそこには部落解放の運動はいわば普通の状態であったし、それから有志連合会というのがありまして、非常に正しい態度でいこうという運動もあったわけです。ところが、この丸尾らが地方の部落解放同盟朝田派の指導と組織のもとで行動を始めてから、急速にこの丸尾らの力が大きくなっていくわけです。そのてこは、先ほど言ったような糾弾ですよ、暴力、脅迫ですよ。そうしてもう自治体も教育も教育当局も学校も全部ずうっと屈服させられていくわけです。

こういうことはもう枚挙にいとまないのです。昨年十一月以来南但地域で、確認会、糾弾会、これはもう無数と言ってもよいでしょう。そうしてことしの五月段階になると、すべての自治体を彼らは制圧するのです。みんな屈服させられてしまう。そうしてすべての学校に解放研という組織がつくられていくわけです。そうしてことしの十月には、この朝来中学校の橋本先生宅を――この先生はそういう彼らの集団的な威圧に屈服せずに、正しい態度を守り抜いておったわけですね。これがおるからけしからぬということで、この橋本先生宅を、十月二十日から一週間、連日三百名から、最後には三千人を動員して、ここには先ほど見せた生徒、女子の生徒まで動員して、そうして連日朝から晩まで――朝の四時も夜中も投光器で照らしつけて、マイクでがなり立てる。この家族は八十九歳のおばあさんと六十一歳のおかあさん、小学校一年生、三歳と一歳八カ月の子供さん。子供さんはもう一日じゅう泣き詰め、こういうふうな状態を続けて、裁判所がこれはもう排除すべきだという仮処分をやっても、なおかつ続ける。毎日毎日糾弾行動をそういうふうにむちゃくちゃにやっておるのに、機動隊はおるんですが、おってもそれに手を出さない。こういうふうな状態が続いてきておるわけです。つまり、この八鹿高校事件一つだけをとってみると、全く想像もできないような状態が起こっておるし、世間から見ると、そんなことはうそだろう、まさかそんなことはないだろうと思うような状態になっておるわけです。しかし、去年の十一月からずっと積み上げられてきた糾弾行動、暴力行動、その間、橋本先生事件では百名からの負傷者が出ておるわけです。この問題でも告訴、告発しておるわけです。負傷者がたくさん出てきておって、相当たくさんの告訴をやっておるにもかかわらず、警察はそれに対して全く手を出してこなかった。こういうことが今日八鹿高校事件をつくり出したのだというように事態はなっておるわけです。

そこで警察は、あのときは手が出せなかったとか、あるいは校長が平穏に話し合っておるからだとか、そんなことを言って、それでいろんな逃げ口上を言っているわけですが、結局のところ、これは警察が、事ここまで大きな猛威をたくましくしたあの状態のもとで、よう手を出さなかったというのが実情じゃないのか。こわかったというのが実情じゃないのか。実際にこの問題に対しては、現地の生徒たちが警察署に抗議に行ったんですよ。先生を早く助けてくれと言ったら、五十人の人が一人の人を殺そうとしておっても、こちらの数が少なかったら見ているほかないのだ、殺されてもしかたがないのだ、こんなことを言ったというんですよ。こんな警察があるか、警察はこんなことを言うものかといって、生徒は作文集に書いていますよ。ですから、一つ一つの暴力を見のがして、泳がしてきた結果が、結局こういう事態をつくり出し、その事態に直面した警官は、それに対して逃げ口上をもうけて手を出さない、これが事の真相なんですよ。

だから私は、最後に公安委員長にお聞きしたいのだけれども、こういう一つ一つの暴力のあらわれに対して、ほんとうに厳正な態度で立ち向かうか、取り締まるか、これをはっきり聞いておきたいと思うのです。

○福田(一)国務大臣

本会議でも申し上げましたが、これははっきり申し上げておきます。実は、いままでの経緯においていささか手ぬるいところがあったと言われますが、私といたしましては、国家公安委員長になってから、暴力は断じて許さない、どういう種類の暴力であろうと、どういう階級に属する者であろうと、民主主義というものは暴力を認めてはできません。議会政治もできません。でありますから、暴力は断じて許さないという態度で、これから対処してまいりたいと考えております。

暴力に立ち向かう生徒たち

○村上(弘)委員

最後に総理にお聞きしたいのですが、こういうひどい状態の中で、しかし町の人たちや、それから学校の生徒、先生方は、こういう暴力に対して雄々しく立ち向かい、自分たちの自由を守り、安全を守るために立ち上がっていっておるということです。特に十二月十日、八鹿高校の生徒自治会総会は、次のような決議をやっています。「八鹿高等学校生徒自治会綱領」「学園の自由と平和を我々の自治活動の中で確立しよう。」「我々は、本校の教育、自治へのいっさいの外部団体の介入に反対する。」「我々は、いかなる困難な状況においても学生の本文である勉学に励む。」「我々は、真の民主主義、民主教育を確立するために、団結していくことをここに確認する。」「生徒、職員の手で、今後より積極的に民主的同和教育を進めていく。」こういうふうに生徒たちは、あの中で、おとなたちのふがいなさや警察に対する憤りを胸に深く抱きながら、しかし自分たちで、自分たちこそが学校、自分たちの教育の場を守っていこう、それで勉学にほんとうに一生懸命になろう、こういうような決議をやっておるわけです。地方自治体やそういう方面でも、また新しい動きも出ております。近くの大屋町の区長協議会でも、「一切の暴力を否定し「明るい真の民主社会の実現を目ざしての部落解放であることを確認されたい」、町当局にこういう要望書を出しております。いままでこういうことをやったら、もうそれだけでも糾弾されておったのです。ひどいリンチを受けておったのです。しかし、いまやほうはいとしてこういう団結の動きが起こってきておるわけですが、こういう一つ一つの暴力に立ち向かいながらも、自由と民主主義、暴力を一掃する、自由にものが言える社会、自由にものが言える町を、職場を、学校をということでがんばっておる人たちに対して、公正な、民主的な同和行政、教育の自治と中立、それから地方自治を守るという問題について、いまの朝来町の皆さんに対して、総理からひとつあいさつをしてあげてください。

○三木内閣総理大臣

同和問題に限らず、福田国家公安委員長の申されるように、民主主義の社会と暴力とは絶対に相いれないものでありますから、今後暴力事犯が起こりますならば、必要な捜査を行なって、厳正な措置をとって、法秩序の維持をはかる決意でございます。

○村上(弘)委員

爆弾事件から暴力学生の殺し合い、それからいまの解同朝田派の暴力問題、とにかく一切の暴力を一掃するということについて、ひとつ三木内閣も、総理も、公安委員長も、決意を新たにして厳正な態度で臨んでいただきたいというふうに思うのです。

八鹿高校教職員の側に非難さるべき落度は認められない(民事訴訟判決)はこちら

中学校新教科書の身分制・部落問題記述(2015)

中学校新教科書の身分制・部落問題記述(2015)

小牧 薫 2015年7月

■参考

1.2014年度の中学校教科書の検定について 

 文部科学省は2015年4月6日、中学校教科書の検定結果を公表しました。この教科書は2008年版学習指導要領にもとずく2回めの検定です。来年から4年間使われる教科書の採択作業が今年の8月までの間行われます。安倍首相らの推薦する歴史修正主義、憲法「改正」をねらう育鵬社版と自由社版の歴史と公民教科書を教育委員会によって採択させない(子どもたちに渡さない)ための運動がいっそう重要になっています。

 文部科学省は、今回の中学校教科書の改訂に向けて教科書検定基準と検定審査要項(検定審議会内規)を改めるという大改悪をおこないました。それは日本政府の統一見解を書かせることや近現代の歴史事項のうち、通説的な見解がない場合にはそれを明示し、児童生徒が誤解の恐れがある表現はさせないというものです。その具体例はのちほど見てみます。

 検定では、申請点数104点のうち102点が合格しました。不合格となったのは、学び舎と自由社の社会科歴史的分野の教科書です。両社は指摘された欠陥箇所などを修正して再提出して合格しました。新たに社会科歴史的分野で検定申請した学び舎は、現場の教員などが中心になって組織した「子どもと学ぶ歴史教科書の会」が設立した出版社です。しかし、学び舎の歴史的分野の申請図書は「細かいことに入りすぎて通史的学習ができない」などの理由で、いったん不合格となりました。また、「新しい歴史教科書をつくる会」がつくる自由社版は公民的分野の教科書は改訂せず、歴史も最初の申請であまりにも誤りが多く不合格となり、再提出後合格しています。この結果、公民的分野は、教育出版(教出)、清水書院(清水)、帝国書院(帝国)、東京書籍(東書)、日本文教出版(日文)、育鵬社の6種類、歴史的分野はそれに学び舎、自由社が加わって8種類となりました。

 文科省の検定によって、学び舎の申請本にあった「慰安婦(日本軍性奴隷)」については最初の申請本にはつぎのような記述がありました。「朝鮮・台湾の若い女性たちのなかには、『慰安婦』として戦地に送りこまれた人たちがいた。女性たちは、日本軍とともに移動させられて、自分の意思で行動できなかった」(p.237)と、「日本政府も『慰安所』の設置と運営に軍が関与していたことを認め、お詫びと反省の意を表し」たこと、政府は「賠償は国家間で解決済みで」「個人への補償は行わない」としていること、そのため「女性のためのアジア平和国民基金」を発足させたこと、この問題は「国連の人権委員会やアメリカ議会などでも取り上げられ、戦争中の女性への暴力の責任が問われるようになって」いることなどの客観的事実を述べた記述(p.279)です。しかし、検定ではこれを「欠陥箇所」の一つにあげ、不合格にしました。その結果、合格した教科書では、「一方、朝鮮・台湾の若い女性のなかには、戦地に送られた人たちがいた。この女性たちは、日本軍とともに移動させられ、自分の意思で行動することは許されなかった」という記述(p.239)になって、「問い直される戦後」の項の側注資料(p.281)には「河野談話」の一部要約が記述されています。

 政府見解を押しつける教科書づくりは、領土問題で顕著です。社会科の「学習指導要領解説」の改訂によって、2016年度用では全社が取り上げ、2ページの大型コラムを設けたのが3社あり、その他にも小コラムで扱っています。地理や公民では領土問題の記述を軒並み増やし、政府見解通りに、北方領土・竹島・尖閣諸島は「日本の固有の領土」、北方領土はロシアが、竹島は韓国が「不法に占拠」と横並びに書き、尖閣諸島には領有権問題は存在しないと政府見解を丸写ししています。そして韓国や中国の主張にふれたものはありません。

 通説がないときは通説がない旨を明記せよとの新設された検定基準が文字通り適用されたのが、清水書院の関東大震災における朝鮮人虐殺事件についての記述です。「警察・軍隊・自警団によって殺害された朝鮮人は数千人にものぼった」との現行版記述をそのまま検定提出したのに対して、通説的な見解がないことが明示されていないとの検定意見が付され、「自警団によって殺害された朝鮮人について当時の司法省は230名あまりと発表した。軍隊や警察によって殺害されたものや司法省の報告に記載のない地域の虐殺を含めるとその数は数千人になるともいわれるが、人数については通説はない」(P.221)と必要以上に詳細な記述に変更されてしまいました。

 今回の検定では従来よりいっそう書かせる検定という性格があらわになり、歴史でさえ政府見解に基づいて書かせるということになってしまいました。

 育鵬社版・自由社版の教科書は、国際常識や国民世論に反して歴史修正主義を大きく変えないで、検定意見による修正も含め基本的には現行版の枠組みを維持しています。そのことは同時に、育鵬社版・自由社版が、神話と神武天皇の扱いなどの歴史歪曲、近代日本がおこなった侵略戦争と植民地支配や韓国併合の美化、天皇制賛美、日本国憲法の敵視と歪曲等々の点で、これまでと本質的にまったく変わらないことを示しています。こうした教科書を中学生に手渡すことができないことは何度強調してもしすぎることはないと思います。

2.公民の部落問題記述は改善されていない

 大阪歴史教育者協議会のホームページ(http://osaka-rekkyo.main.jp/archives/105)には、柏木功さんの「中学校公民教科書の部落問題は大問題-部落問題解決の到達点を無視、認識は同対審答申のまま-」の論文がアップされています。また、亀谷義富さんは、「中学校公民教科書の部落問題記述の問題点」を季刊「人権問題」2011冬号(兵庫人権問題研究所)と『国民融合通信』№457(2012年5月発行)に書かれています。これらは、2008年学習指導要領改訂にもとずく教科書(2012~2015年度使用)についての批判です。この批判を受けて、今回の改訂でどれだけ改善されたかと期待を持って見ましたが、記述内容は、ほとんど変わりがなく、期待はずれに終わりました。  「部落問題」とは何かがわかるように記述されていないし、部落差別の克服・解消は進んでいるのか、同和対策特別法は終了したとを書いているのかなどの点で、どの教科書も不十分で、改善されているとは言いがたいものとなっています。

 部落問題とは、江戸時代までの日本の社会が身分制の社会であり、明治以後も地域社会の中で江戸時代の賤民身分につながりがあるとされた一部の地域集団が差別されていました。それが近現代の社会問題としてつづいてきたものであり、封建時代の残りかすなのです。しかし、教科書はそのようには書いていません。

 「部落差別とは,被差別部落の出身者に対する差別のことで,同和問題ともよばれます。すでに江戸時代には,えた身分・ひにん身分という差別がありました。明治にはいって身分解放令が出され,そのような差別はないこととされましたが,実際の生活では,差別が根強く残りました」(帝国・公民P.44)などと不十分なことを書き続けています。もっとも問題なのは、育鵬社が「部落差別は憲法が禁止する門地(家柄・血筋)による差別のひとつに当たります」(P.69)と、部落差別は、門地による差別のひとつで帝国憲法下では許されていたが日本国憲法によって禁止されるようになった。だから、憲法で禁止されているが現在も家柄や血筋による人権侵害(差別)が残っているがやってはいけないことだと認識させようとしています。部落差別の起源も現状認識も間違ったものです。

 部落問題の解決とは、社会生活の中で出自を意識しない、出自など関係ないわ、という状態になることです。「同和地区」の指定もなくなり、「同和地区」出身かどうかを意識することも問題にすることもありません。現在では、社会問題としての部落問題は基本的に解決しています。まだ偏見や誤解を持つ人がいたとしても、社会としてそれが受け入れられることはなく、みんなで克服して国民融合をすすめていくという段階にまで達しています。ところが、小学校の教科書には、4社とも同和対策特別法が終了したことを書いていません。中学校の教科書は現行通り、帝国が以下のように書いているだけで、他社は触れていません。帝国は本文で「同和地区の生活改善や,差別をなくす教育などが行われてきました(1)。しかし,現在もまだ,さまざまな場面で差別や偏見があります」と書き、側注で(1)「その結果,生活環境の格差が少なくなり,教育・啓発が進むなか,2001年度で特別対策は終了しました」と記述しているにすぎないのです。そのあとの「部落差別をなくすためには,私たち一人ひとりも,部落差別がいかに人間的に許されないかに気づき,差別をしない,させない,許さないことが大切です。」と差別をなくす心がけを説いている点も改善されていません。

 教出は本文で,東書は側注で、2000年の人権教育・啓発推進法を取り上げていますが、「現在でも差別は根強く残っている」と書いています。日文は本文で「対象地域の生活環境はかなり改善されてきました」と書き、側注で「2000年には、人権教育・啓発推進法が制定されました」と書いています。教科書は部落問題の克服・解消が進んだと書かないのです。

 公民の教科書に被差別部落の歴史を簡潔に書こうとしていますが、どの教科書も不正確で、問題のある記述をしています。詳しいことはここでは触れません。柏木さんの論文を見てください。
3.歴史的分野の記述も改善されず

 新中学校教科書の歴史的分野は八社の教科書が検定合格しましたが、中味は改善されたのでしょうか。学習指導要領はそのままですから、大きく改訂しなければいけないという個所はないはずです。検定基準の改悪などによって、現行版を守ることすら難しいことはすでに触れましたが、執筆者・編集者の努力で改善された個所もあることはあります。しかし、前近代の身分制・近現代の部落問題記述は、依然として特殊化・肥大化されたままです。ほとんどの教科書は現行版のままで、改訂されたものも改善されたとはいえません。その詳細は、のちに見てみます。それでも、学び舎の教科書が一度不合格になりながら、再提出で検定合格したことはたいへん大きな意義があると思います。学び舎も前近代の身分制・近現代の部落問題についてふれてはいますが、他の教科書に比べて記述量が少ないし、記述内容も違っています。詳細はのちにふれます。

 私は中学生にも前近代の身分制のうち河原者やかわた(えた)・ひにんについて教える必要はないと思っています。日本の歴史を学ぶときに、江戸時代の賤民について学ばねばならないわけではありません。大事なことは武士と百姓、町人の身分の別とそれによって暮らしがどうだったのかがわかればよいと思っています。1974年の中学校教科書に、江戸時代の賤民について記述され、その後の改訂で詳しい記述がされるようになりました。そんなことは必要ないのです。中学での歴史学習の際、そんなことは無視すればよいのです。ところが、いまだに詳しく記述され、教えられています。近現代の賤称廃止令(いわゆる「解放令」)、全国水平社の結成についても、中学生に教える必要があるとは思いません。そして、現代の課題で同対審答申を引用し、いまだに部落差別が残存しているかのように書くのは誤りです。それでも書くとすれば、部落差別が克服・解消され、同和対策が終了したことを書くべきです。歴史学習の最後を、部落差別やアイヌ差別、在日外国人差別などが厳然と残っているという学習で終わらせてはならないと思います。

 8種類の教科書すべてがふれている個所は、江戸時代の身分制、近代の賤称廃止令、全国水平社の結成の三個所ですが、そのほかの身分制・部落問題に関わる記述内容についても見てみましょう。

1)室町時代の「河原者」

 室町文化で、なぜ、「河原者」だけが特別扱いされるのでしようか。他の技術者や芸能者、被差別民については記述しないで、なぜ庭園づくりに携わった河原者だけを詳しく記述するのでしょうか。観阿弥・世阿弥の人名は書かずに善阿弥を記述する重要性があるのでしょうか。それなのに、「河原者は差別をうけ」と書くから、「けがれ」観についての説明が必要になるのです。子どもたちに理解できるでしょうか、死などについての偏見が強まるだけではないでしょうか。「河原者」について、もっとも詳しいのは、帝国です。本文は「龍安寺禅宗寺院では,砂や岩などで自然を表現した枯山水の庭園がつくられ,こうした庭園づくりには河原者がすぐれた手腕を発揮しました。」(p.82)と書き、「コラム人権」の「庭園づくりに活躍した河原者」の題で「この時代には龍安寺などで庭園がつくられ,天下一と賞賛された善阿弥をはじめ,庭園づくりの名手が登場しました。その名手の多くが河原者とよぱれた人々でした。昔は,天変地異・死・出血・火事・犯罪など,通常の状態に変化をもたらすできごとにかかわることを「けがれ」といいました。「けがれ」をおそれる観念は,平安時代から強まり,「けがれ」を清める力をもつ人々が必要とされていきました。しかし一方で,清める力をもつ者は異質な存在として,差別を受けるようにもなりました。河原者もそうした差別を受けた人々でした。彼らは井戸掘リや死んだ牛馬から皮をとってなめすことも行っていました。彼らはおそれられましたが,その仕事は社会にとって必要であり,すぱらしい文化を築いていきました。なお「けがれ」は,近代以降に生まれた不衛生という考え方とは異なるものです。」と書き、龍安寺の写真の説明に,「龍安寺の石庭(京都市)制作にたずさわった河原者の名前が残っています」。さらに,「法然上人絵伝」の写真の説明で,「死刑に処される僧侶と河原に集まる人々 川はけがれなどさまさまなものを浄化してくれると考えられていました。そのため刑の多くは河原で行われました」(p.83)と書いています。私は、庭園づくりに活躍した河原者について書く必要はないと思いますし、けがれについての説明も江戸時代の身分制のコラムと重なっています。両方とも必要はないと思います。  教出は「コラム 歴史の窓 庭園づくりに活躍した人々」、東書も「歴史のアクセス 河原者たちの優れた技術」の詳しい説明を書いています。育鵬社、日文、学び舎は「河原者」の語は出していますが、詳しい説明はありません。自由社と清水は、「河原者」の記述はありません。

2)江戸時代の身分制

 日文は現行版を改訂せず「幕府は、武士と、百姓・町人という身分制を全国にいきわたらせました。治安維持や行政・裁判を担った武士を高い身分とし、町人よりも年貢を負担する農民を重くみました。さらに百姓・町人のほかに、「えた」や「ひにん」などとよばれる身分がありました。「えた」身分の人々の多くは、農業を営んで年貢を納めたり、死んだ牛馬の処理を担い、皮革業・細工物などの仕事に従事したりしました。また、「えた」や「ひにん」の身分のなかには、役人のもとで、犯罪人の逮捕や処刑などの役を果たす者、芸能に従事して活躍する者もいました。これらの人々は百姓・町人からも疎外され、住む場所や、服装・交際などできびしい制限を受けました。こうした身分制は武士の支配につごうよく利用され、その身分は、原則として親子代々受けつぐものとされました」と書いています。2001年版以来少しずつの変化ですが、「死牛馬の処理」を仕事と書くのではなく、はっきり「役」とは書いていませんが、「担い」と幕府や藩によって強制されたもののように書いています。これは、学び舎が「「かわた(長吏)」「えた」とよばれた人びとは,農業や皮の加工などに従事し,死んだ牛馬の処理を役としました。「ひにん」は,村や町の番人・清掃などの役を負担しました」(p.117)と書いているのとともに重要なことです。仕事と役の区別をしっかり書いているのは、学び舎だけです。学び舎が「かわた(長吏)」の語を使ったのもよいことだと思いますが、使うとすれば、用語についての説明も注釈もないのは不親切だと思います。

 他の教科書は死牛馬の処理を権利としたり、仕事のひとつと書いていますが、それは誤りです。教出は「えたの身分のなかには,農業を営んで年貢を納める者も多く,死んだ牛馬を処理する権利をもち」(p.113)と書き、東書は「えた身分は,農業を行って年貢を納めたほか,死んだ牛馬の解体や皮革業,雪駄作り,雑業などをして生活しました。…」(p.115)と、生業と役を区別していません。帝国は、「コラム 人権」で、「差別された人々」を扱っています。「近世の社会にも,中世と同じように,天変地異・死・犯罪など人間がはかりしれないことを「けがれ」としておそれる傾向があり(→p.83),それにかかわった人々が差別されることがありました。もっとも、死にかかわっていても,医師・僧侶・処刑役に従事した武士などは差別されなかったので、差別は非合理的で,支配者につごうよく利用されたものであるといえます。差別された人々は,地域によってさまざまな呼び名や役割で存在していました。えたとよばれた人々は,農林漁業を営みながら,死牛馬からの皮革の製造,町や村の警備,草履や雪駄づくり,竹細工,医薬業,城や寺社の清掃のほか,犯罪者の捕縛や行刑役などに従事しました。ひにんとよばれた人びとは,…」(p.117)と、「庭園づくりに活躍した河原者」で説明したことを再び書いていますし、死牛馬の処理を役と位置づけていません。こんなに詳しい説明をする必要がどこにあるというのでしょうか。幕藩体制によって、百姓、町人、えた、ひにんは、がんじがらめに縛られていたということを印象づけたいのでしょうか。

3)身分制の強化、渋染一揆など

 江戸中期の身分制の強化についてふれているのは日文だけです。日文は現行版そのままで「近世史プラスα」のカコミ「豊かになる人々と身分制のひきしめ」で、「「えた」身分の人々のなかにも,広い田畑を経営する者や,雪駄づくりの仕事を行って豊かになる者も出てきました。村の人口も増え,他地域との交易も広まりました。これに対して幕府や藩は,身分制のひきしめを強め,特に「えた」や「ひにん」などの身分の人々に対しては,人づきあいや髪型・服装について,さらに統制をきびしくしました。…」(p.135)と、「えた」身分のなかに豊かになる者があらわれ、身分制がゆるんだので、差別が強化されたという問題のある書き方です。豊かになるものがあらわれたのは、えただけでなく、百姓、町人にもいます。えたを強調する必要はありません。

 蘭学の項で人体解剖をして説明をした「差別された人々」についてふれているのは、帝国(「解体新書」の側注,p.132)と東書(挿絵の説明p.130)だけです。学び舎は「人体解剖の驚き」という項をもうけていますが、「90歳になる老人が腑分けをはじめました」とあるだけで、「差別された人々」とは書いていません。もし書くとしても、賤民にふれる必要はないでしょう。  「渋染一揆」は、教出は本文と発展で、東書と帝国はカコミで、日文は発展で扱っています。日文は発展ページ「新しい世の中をめざした人々」で、「差別の撤回を求めた人々」として渋染一揆について書き、そこでは、「19世紀のなかばころから、社会の枠組みをこえて、自由な経済活動や平等な社会を求める動きが盛んになりました」(p.164)と「世直し一揆」の位置づけをしていますが、他はそうした位置づけになっていません。

4)四民平等、賤称廃止令

 四民平等については、表題は違いますが、すべての教科書に記述されています。清水が「国民の平等」を見出しにしていますが、新しい身分制がつくられたのですし、この段階で「国民」になったわけではないので、不適切だと思います。教出の「残された差別」の見出しも改革の面よりもマイナス面を強調するので不適切だと思います。学び舎が「古い身分の廃止と新しい身分」の題で書いているのと、「解放令」と書かずに、「「えた」「ひにん」などの呼び方を廃止して、平民としました」(p.173)は、これまでなかった表現で、身分制の改革と賤称廃止の布告内容を正しく伝えるものになっています。

 「生活が苦しくなった」「社会的差別は根強く残りました」と書くのは、育鵬社、自由社、清水、帝国、学び舎です。

 日文は、「職業・結婚・居住地などをめぐる差別が根強く残りました」と書いたあとに「そこで,「解放令」をよりどころに,山林や用水の平等な利用,寄合や祭礼での対等な交際の要求など,差別からの解放と生活の向上を求める動きが各地で起きました。」(p.167)と書いているのは妥当なことです。さらに、側注で「明治以降のこの問題を部落差別とよんでいます(→p.217)。こうした身分の人々は,改善策も受けられず,それまでもっていた職業上の権利を失いました。」と書いています。「部落差別」の位置づけはこれでよいと思いますが、「職業上の権利」はこれまでどこにも書いてなかったことです。江戸時代の身分制で、死牛馬の処理は「役」に位置づけていました。どこで、どうして「職業上の権利」になったのでしょう。その説明なしには、この文章は理解できません。そして明治になって、死牛馬の処理権を失ったのは被差別部落のごく一部の豊かな人だけです。

 育鵬社は「政府は身分制度を改めるため,四民平等の方針を打ち出しました。新しくつくられた戸籍には,旧武士は士族、大名や公家は華族,それ以外の人々は平民として,新たな身分が記載されました」(p.168-9)と、皇族についての記述がありません。大事なのは、天皇と皇族、家族、士族、平民の新しい身分と書くことです。

 東書は、発展で「「解放令」から水平社へ」と題して2ページつかっています。内容は現行とほとんど同じで、「解放令」とその後、部落解放運動の始まり、島崎藤村の「破戒」を扱っています。このページにあるカコミも含めて、こんな文章や図版が必要とは思えません。

5)全国水平社の結成

 大正デモクラシーと社会運動の高まりで、多くの教科書が全国水平社が創立(組織)されたと書いています。育鵬社も、日本労働総同盟、日本農民組合の結成と全国水平社が組織されたと書き、そのすぐあとに、「ロシア革命の影響で共産主義の思想や運動が知識人や学生のあいだに広がっていきました。ソ連と国交を結んだこともあり,…君主制の廃止や私有財産制度の否認をめざす活動を取りしまる治安維持法を制定」(p.217)と、日本共産党の結成にふれずに書いています。水平社宣言と山田孝野次郎少年の演説の写真を載せています。自由社も水平社創立宣言の一部を掲げていますが、全国水平社以外の具体的な団体名や主張にほとんどふれていません(p.219)。東書、日文、教出、帝国、清水、学び舎は日本農民組合や全国水平社、新婦人協会、日本共産党の結成などを書いています。教出は、本文で、「ロシア革命や米騒動などの影響も受けて,社会運動が活発になりました。」と書いたあと、労働争議、メーデー、日本共産党の結成(1)、小作争議にふれ、「女性を社会的な差別から解放し… ,また,厳しい部落差別に苦しんでいた人々は,1922年に全国水平社を設立し,差別からの解放と自由・平等を求める運動を進めました。」と書いたあと、側注(1)で「私有財産制度や君主制の廃止,8時間労働制などを主張して活動しました」と明記しています。そして、つぎのページに「水平社宣言」の一部と山田孝野次郎の演説する写真を載せています。日文も「無産政党」についても書き、団体や政党が何をめざしたのかを書いています。重要なことだと思います。

6)現代の課題

 東書の現行版は、「日本社会の課題」の部落差別に関わる側注で「…特別措置法にもとづく対策事業は終了しましたが,引き続き,教育の充実,職業の安定,産業の振興といった面での改善,人権教育や人権啓発などの推進が図られています」(p.242)と同和対策事業の終了を書いていましたがが,新版では本文で「まず重要なのは,人権の尊重です。部落差別の撤廃は,国や地方公共団体の責務であり,国民的課題です」(p.262)と書き、側注で「部落差別の問題(同和問題)は,長い間の部落解放運動(→P161)の発展を基礎として,1965(昭和40)年に国の同和対策審議会の答申がなされて以来,特別措置法によって改善されてきました。現在は,引き続き,教育の充実,職業の安定,産業の振興といった面での改善,人権教育や人権啓発などの推進が図られています。」と特別措置法にもとづく同和対策事業の終了を削除してしまいました。大きな後退です。

 同和対策事業の終了は、他の教科書でも書かれるようになるのかと期待したのですが、残念ながらどの教科書にも書かれていません。それどころか、教出、清水は「差別や偏見が残っており」と書き、日文は「部落差別の撤廃は、国や地方自治体の責務であり、国民的課題です」(p.271)と本文で書き、側注で、人権擁護施策推進法にふれています。私には、どうしていつまでも、このような記述を続けるのか理由がわかりません。

 学び舎が歴史学習の最後を「平和という言葉」の表題で、「戦場の生きものたち」「北の川のほとりに住む人」「あなたの夢は」で構成し、「人は,健康で,楽しく遊んだりして,自分の夢をかなえていく,そんな平和な世界を思い描きます。平和は,戦争によって破られるだけでなく,貧困や差別,人権の抑圧,環境の破壊などによっても、その実現が妨げられます。平和を実現したいと望むなら,どのようにして平和が壊され,失われてきたのか,過去の歴史から学ぶことが必要です。…」と書いています。現代の課題をどう書くかは、たいへん重要です。そこに部落問題の解決を国民的課題と書く時代は終わりました。差別や人権の抑圧が問題だと書くだけで十分です。東書、日文、教出、清水のように部落差別を特別扱いするのはやめるべきです。

 (帝国や教出の側注の番号表記は、黒丸の中に白抜きで数字ですが、インターネット掲載にあたっては文字化けを避けるため(1)などのように表示しました。)

中学校公民教科書の部落問題記述の問題点

中学校公民教科書の部落問題は大問題
-部落問題解決の到達点を無視、認識は同対審答申のまま-

2011.9.24.
柏木 功(大阪教育文化センター「人権と教育」部会)

1.はじめに

 中学校教科書の部落問題記述の問題点は、2005年8月に小牧薫さん(大阪歴教協委員長)が論評されている。
 今回、2012年から使用される中学校教科書の採択が行われたが、社会科公民(中学校3年生が学習)教科書の部落問題記述は、なんら変化なく、大きな問題がある。 “中学校公民教科書の部落問題記述の問題点” の続きを読む

地対協基本問題検討部会報告について

地対協基本問題検討部会報告について

1986年8月10日
 全国部落解放運動連合会

 総務庁の地域改善対策協議会基本問題検討部会は、八月五日の総会で、「部会報告書」を発表しました。

 この報告書は、地対協が一昨年六月に行なった「意見具申」の精神をうけつぎ、その論点をより鮮明にしたものであるとともに、全解連が昨年九月に発表した「地対法後の同和行政のあり方についての全解連の見解」(以下、全解連見解)の主旨を反映したものであるところに意義があります。

 その内容の特徴点は次の通りです。

 第一に、部会報告は、これまで同和行政のより処とされてきた同対審答申について、その後の同和地区の実態の改善や同対審答申では触れられていなかった新たな問題の発生等を検討し、「この答申を現在においても絶対視して、その一言一句にこだわる硬直的な傾向のみられる」ことを戒め、「改めて二十余年という時の光に照してその意義を認識していく必要がある」と述べています。

 これは、「解同」の「部落解放基本法」制定の要求に対して「これらの要求の特徴は、同和対策事業十六年間の功罪を不問に付し、総括をぬきにするとともに、部落の現状認識を恣意的に解釈しようとするものであって、到底国民の合意が得られるものでない」と批判している「全解連見解」と同じく、科学的・実証的な立場で今日の問題を論じようとするものであるところに価値があります。

 第二に、部会報告は、今日における「同和問題解決の基礎的条件」として、「同和関係者の自立、向上を阻害し、また、同和問題の国民的理解を妨げている諸要因の解消」をあげています。そしてその要因として、①非合理的な偏見の残滓②部落内外の交流の不足③運動団体の行きすぎた活動④行政の主体性の欠如⑤えせ同和行為の横行等を指摘するとともに、その是正の重要性を強調しています。これ等はみな、「全解運見解」の中で逐一克明にしているところです。

 第三に、部会報告は、部落住民の自立のためには、「同和関係者自らが自立、向上の意欲を持ち、自主的な努力を行うことが不可欠である」と述べるとともに、この「同和関係者の自主的な努力を支援し、その自立を促すこと」が行政の果すべき基本的な役割であるとし地域改善対策事業等は、当然この住民の「自立に寄与するものでなければならない」と、その役割を明確にした上で、「合理性が疑問視される給付や特例」の見直しを提起しています。

 これは、「自立こそ部落解放への橋渡しである」とし、そのために意欲・情熱・展望・勇気を持ってとり組むこと、不公正乱脈な同和行政の是正を要求している全解連の主張と一致するものです。

 第四に、部会報告は、えせ同和行為の横行を国民の理解を妨げる大きな要因とするとともに、民間運動団体の確認・糾弾という誤った行動の是正を求めています。しかも「解同」等の確認・糾弾は、法律や判例に照して「他人に何らかの義務を課する」根拠のないことを明らかにし、その存在意義を否定する立場を明確にしています。さらに差別行為の法規制問題について、政策論・法律論を展開してこれを退けていることはさきの地対協意見具申から見て、前進的なものとして評価されます。

 第五に、部会報告は、地対法後の同和行政について、原則的には一般行政への移行をめざしながらも、「真に必要なものは地対法失効後においても実施して行く必要がある」とし、これは、「事業の完了と自立・融含をめざす新たな時限立法」の制定を要求している「全解連見解」を反映したものであるところに積極的な意義がうかがえます。

 しかしこの部会報告は①真に必要な事業や、同和関係者の自立、向上という内容が明確にされていないこと②今日のように政治反動が強化されている下で、自立の条件の後退や事業の打ち切り、引き下げ等の危険のあることについて論外におしやっていること③同和行政の見直しや是正についても、行政責務として具体化し、どう実行するかが明確でなく、過去の例のように空念仏に終る危惧があること等、他にも問題があることは否定できません。

 私たち全解連にとって民主勢力とともに、この報告書の前進面を拡め定着させるとともに、その弱点を克服して民主主義と部落解放の前進をかちとるために、主体的な取りくみをすることが今後の課題です。

地対協「報告書」「意見具申」の評価と「大阪府同和教育基本計画」批判

同和教育の民主的前進のために

地対協「報告書」・「意見具申」の評価と「大阪府同和教育基本計画」批判について

大阪教職員組合 教育文化部

討議資料 「大阪教育」号外 1987年2月10日

はじめに

 部落解放同盟(「解同」)やそれにゆ着した行政による教育への介入をきびしく批判する政府機関の報告書と意見具申が出されました。総務庁の諮問機関である地域改善対策協議会(地対協)が、八月五日に発表した「基本問題検討部会報告書」とそれを踏まえて十二月十一日に政府に提出した「今後における地域改善対策について(意見具申)」がそれです。これらは、公正民主の同和教育行政を求める国民世論を反映したもので、大阪府・市政や教育委員会に痛打を与えるものです。

 大阪では依然として、児童・生徒の主として未熟さや不十分さからくる言動を「差別だ」と決めつけて、子どもや親、教師を糾弾したり暴力をふるうといった事件があとをたちません。また、解放教育副読本「にんげん」の配布が強制されたり、「にんげん」実践研修会への参加強要など、「にんげん」を使わなければ同和教育でないといった雰囲気が教育現場に持ち込まれたりしています。そして一般校の二倍を超える教員が同和校に配置されるといった同和加配が続けられています。これらは、一民間運動団体にすぎない「解同」にゆ着した大阪府・市や教育委員会が、その運動を強引に教育現場に持ち込んできたことによるものです。

 今回の部会報告書と意見具申は、こうした「解同」の暴力的な「確認・糾弾行為」や教育介入などが同和問題の解決を阻害していると指摘しており、大阪府・市や教育委員会など行政当局は改めてきびしい反省を求あられています。

 ところが大阪府教委は、この二つの文書の趣旨にまったく逆行し、偏向同和教育をさらにすすめる「大阪府同和教育基本計画」なるものを策定しました。

 大教組は、このような状況をふまえ、自主的民主的な同和教育の真の発展を願う立場から、これらの文書に対する基本的な見解を明らかにし、職場での討議を要請するものです。

一、地対協報告書・意見具申の意義

 報告書と意見具申は、幾つかの弱点を含みながらも、全体としてみれば、部落問題の真の解決を求める民主勢力の運動や、同和行政の公正民主化を願う広範な国民世論を反映した内容となっています。
差別は解決の方向に向かっている

 意見具申は部会報告書を踏まえ、今日、部落の生活環境や住民の生活実態が著しく改善された結果、「同和地区と一般地域との格差は、平均的にみれば相当程度是正された」と指摘。心理的差別についても「その解消が進んできている」としています。

 例えば、法律が制定施行されて以来十七年間に政府が投入した同和対策事業費は二兆六千億円、大阪府下では一兆二千億円にのぼっています。この結果、例えば住居の広さや畳数は全国水準とほぼ同等、高校進学率は三〇%台であったのが八八%台にまで飛躍的に向上してきています。地区外住民との婚姻は今では六割強にのぼっています。これは、憲法施行後の四十年の間に、基本的人権を守り発展させる労働者。民主勢力、国民のたたかいが紆余曲折や不十分さを含みながらも前進し、この力と、部落内外の民主勢力の差別解消をめざすたたかいによって、部落差別が解決の方向に向かっていることを示すものです。

 「差別は拡大再生産している」として同和行政を肥大化させてきた「解同」の主張が、こうした成果や実態には目を向けず、同和対策事業を半永久的に続けさせて利権あさりを「拡大再生産」しようとする虚構でしかないことを、報告書と意見具申は実証しています。

同和問題解決の基礎条件

 同和問題の解決を阻害している要因を具体的に指摘した報告書にもとついて、意見具申は「これまでの行政機関の姿勢や民間運動団体の行動形態等に起因する新しい諸問題」が「同和問題の解決を困難にし、複雑にしている」として、同和問題解決の今日的課題を幾つか指摘しています。

①「確認・糾弾行為」は、自由な意見交換を阻害する

 報告書と意見具申は、同和問題をタブー視することなく、自由に意見を公表し討論することが、同和問題解決の前提条件であることを明らかにしています。そして、それを阻害する大きな要因に「民間運動団体」の基本的人権を無視した「確認・糾弾行為」があると指摘しています。ここでいう「民間運動団体」が部落解放同盟をさしていることは言うまでもありません。

 報告書は、「民間運動団体の確認・糾弾という激しい行動形態が、国民に同和問題はこわい問題、面倒な問題であるとの意識を植え付け」、行政機関や新聞社、放送局、出版社等、ジャーナリズムなども、「確認・糾弾」を恐れて自由な発言や広報活動を行っていないと指摘し、「同和問題について自由な意見交換のできる環境づくり」を提言しています。

②「糾弾権」を明確に否定

 報告書は、「本来的には、何が差別かというのは、一義的かつ明確に判断することは難しいことである。民間運動団体が特定の主観的立場から、恣意的にその判断を行うことは、異なった意見を封ずる手段として利用され、結果として、異なった理論や思想を持つ人々の存在さえも許さないという独善的で閉鎖的な状況を招来しかねない」としています。

 これは、「矢田事件」にみられるように、大阪市教組東南支部の組合役員選挙で組合員に訴えた木下浄教諭の「あいさつ」を「差別だ」と断定して以来、数々の蛮行を重ね、人々の思想・信条の自由を侵害してきた「解同」の行為を明確に否定しているものです。

 また、さらに報告書は、「基本的人権の保障を柱とする現憲法下において」は、「確認・糾弾行為については、当然見直されねばならない」としています。

 これは、かりに差別があっても、差別が基本的人権を侵し、民主主義に背くものであることを国民相互の自由で自主的で民主的な批判と自己批判によって、理解しあい、納得しあい、合意することで解決すべきものであり、そのような国民のなかでの民主主義の成長にゆだねる条件を現憲法が持っているとする立場です。

 この立場から、「解同」に差別の「審判権」があるとする考えがきっぱりと否定されています。

 また「糾弾権が存在するとの主張が一部に見られるが」「糾弾権の根拠となる法律がないことは言うまでもな」く、「判例においてもそのような権利は認められていない」と、「糾弾権」そのものが否定されています。

 ところが「糾弾権」を「天賦の人権」などと暴言する「解同」幹部は、これまでにも何かにつけて「差別だ」と決めつけ暴力的な「確認・糾弾」を繰り返してきました。大阪市では、一昨年美津島中学校での「差別」事件にかかわって「確認・糾弾会」が組織されましたが、大阪市教組北大阪支部や教職員、民主勢力のたたかいで、確認会への参加は「教職員の自主的判断」との市教委答弁を引き出しています。

 報告書はこの点について、「確認・糾弾行為は、被害者集団による一種の自力救済的かつ私的裁判的行為であるから、被糾弾者が当然にこれに服すべき義務を有するものではない」、「確認。糾弾」の「場に出るか否かはあくまでも本人の自由意思によるべきことは当然」、「確認・糾弾行為は、被害者集団によって行われるため、被糾弾者の自由意思に基づいて行われるものであっても、勢いの赴くまま、行き過ぎたものとなる可能性がある」、「糾弾会への出席が、民間運動団体の直接の圧力によって余儀なくされる場合もあり、真に自由意思に基づくものかどうか疑わしい場合もあろう」など、大教組や民主勢力がこれまで指摘してきた「解同」の「糾弾」の不当性を詳細に追及しています。

③「解同」の学校教育への介入を許さず

 意見具申は、「解同」が「教育の場に介入し、同和教育にゆがみをもたらしている」と厳しく批判、同和教育の推進に当たっては、教育と運動を区別し、教育の自主性が守られなければならないと指摘しています。

 これはすでに大教組の運動方針などでも明らかにされてきたところであり、政府の一機関でさえこれを見過ごすことはできないことを明確にあらわしています。

 「部落民以外は差別者」などという対立と分断をあおる偏った「解放教育」を、「にんげん」のおしつけや研修会への参加強要などといったかたちで学校教育へ持ち込んだり、解放教育映画「人間の街」を行政機関を使って上映しこれに動員させるなど、「解同」と行政による教育への介入は、とりわけ大阪では目にあまるものがあります。最近でも例えば大東市で、一連の「差別事象」を口実に「解同」が市教委を屈服させて学校教育に介入し、その中で教職員が殴打されるといった事態が生じています。

 また、子どもたちの発達段階を無視して、いたいけな子どもたちにゼッケンをつけさせてビラまきやデモ、同盟休校までさせてきた「解同」の乱暴なやり方についても、意見具申は「児童生徒の発達段階に応じて無理なく行われる」ことが重要であるとして、批判しています。

 「教育は不当な支配に服することなく」と定めた教育基本法*1にも反するこうした介入に対し、報告書は「行政機関は毅然たる姿勢で臨むこと」と反省を迫っています。

④「解同」による同和行政の私物化を許さず、行政は主体性を発揮せよ

 報告書は、「同和教育を口実にして利権を得る、いわゆるえせ同和行為等」が部落問題の解決に逆行していることに言及しています。  解放会館など「公的施設の運営が特定の民間運動団体に独占的に利用されている例」や「解同」に「加入していない同和関係者の施策の適用が結果として排除されるという例」などは大阪では枚挙にいとまがありません。こうした「解同」幹部による同和事業の私物化や、さらに「同和建設協会」業者による入札の独占などといった利権あさりも、府民の怒りをかっています。

 これらはみな民主勢力が一貫して指摘し批判してきたものであり、意見具申でも、その解消のために行政機関が「主体性を保持し、き然として地域改善対策等の適正な執行を行わなければならない」と指摘しています。

今後の同和行政のあり方

①「差別の法規制」=「興信所条例」を否定

 報告書は、差別行為を法律で規制すべきであるとする「解同」の主張について、大阪府の「興信所条例」を名指しであげてこれを批判しています。「興信所条例」は「解同」の強い要求のもとに岸府政が多くの反対を押し切り、八五年三月に制定したもので、こうした差別行為に刑罰を課することは、差別の解消どころか「差別意識の潜在化・固定化につながりかねない」と指摘しています。これは、「差別の法規制」を柱とする「部落解放基本法」制定の策動をもきびしく批判するものです。権力などが行う差別は別として一般の人々のなかでの部落差別行為の解決のみちすじは、法律で罰するのでなく、人々の批判と討論を経て、基本的人権への理解と自覚をつくり上げることこそ本道であり、あくまで民主的に解決されていくべきものです。

②住民の自立を促すことが基本

 意見具申は、これまでの同和行政が同和関係者の自立を軽視してきたことについて触れ、今後は住民の自立を基本にすすめるべきであると指摘。そのため、行きすぎた同和行政を改め、一般行政に移行することを提言しています。

 不公正乱脈の同和行政は、部落住民の自立を遅らせるだけでなく、部落外の人々から「逆差別」との批判をかい、部落内外の国民の融合を阻害するものでしかありません。部落問題の真の解決は、同じ国民として部落民であるかないかがわからなくなり、それを問うこともしなくなる融合が遂げられた時をいいます。同和行政の肥大化・永久化はかえって部落の内と外に垣根をつくるものであり、解決の方向に逆行するものです。

③ 残事業を達成するための時限立法

 法律が制定施行されて以来、同和事業は大きく前進してきましたが、なお幾らかの必要な事業が残されたままになっています。しかし、地対法失効後はこれをやりとげる法的保障はありません。

 意見具申は、新たにこの点について、新規の時限法をつくることを提言しています。これは、真に必要な残事業を達成して一般行政へ移行準備するための五年期限の新しい法律をつくることを提案してきた全解連などの主張を反映したものといえます。また、これは、「解同」のいう「部落解放基本法」のような永続法をきっぱりと否定するものです。

二、報告書・意見具申の弱点と今後の課題

 ところで、部会報告書は以上のような積極面・前進面を持ちつつも、なお幾つかの弱点を残しています。

① 上からの同和教育のおしつけ

 第一に、報告書・意見具申は、同和行政是正の具体化を怠ってきた政府の責任を追及していません。一方で、啓発活動や同和行政の推進に当たっては「国のリーダーシップが重要」とか「国は、積極的な助言、指導を行うべきである」として、上からのおしつけを強化しようとしています。これでは同和教育の徳目化や政府作成の「道徳」の一方的なおしつけをすすめることになり、国民が主体となった真の啓発はのぞめません。

②「公益法人」の設立

 また、「一つの方法」として、「国を始め、都道府県、市町村等が参画した公益法人」を設立し、その法人が調査研究、研修等の事業をすすめるという案を示しています。しかし、大阪で顕著なように、府同和事業促進協議会(府同促)や部落解放研究所など「解同」の息のかかった「公益法人」を乱立して同和行政をすすめてきたことが、今日の不公正乱脈ぶりを助長し、「解同」と行政のゆ着をすすめてきたことは明らかです。「公益法人」設立を促すことは、大阪では、「解同」と行政のゆ着を免罪することに利用される危険性を持っています。

③ 残事業達成め財政的保障が不明確

 また、残された事業を推進するうえで、政府予算による財政的保障が重要です。しかし、軍拡と臨調「行革」路線の強行のもとで、岬その保障が十分に措置されない可能性をはらんでいます。これに対するとりくみが必要となっています。
報告書・意見具申の積極面を活用し、分会・職場での学習・討論を

 一方、地域改善対策特別措置法(地対法)の期限切れを八七年三月にひかえて、「部落解放基本法」制定の策動が「解同」と行政ゆ着のもとですすめられています。これは、部落差別の固定化と同和を口実にした利権あさりの半永久化をねらうものです。

 また、こうした動きと呼応して、大阪府は「基本法」の”教育版”といえる「大阪府同和教育基本計画」なるものを八月二日策定しました。

 「解同」とそれにゆ着した行政を真正面から批判した政府機関の報告書と意見具申が出されたことであせりを感じる「解同」と大阪府・市は、必死の巻き返しをはかろうとしています。こうした動きの中で、報告書の前進面を積極的に活用し、すべての分会・職場から学習と討論をすすめ、同和行政の歪みを正していく運動を発展させることが、いま求められています。

三、地対協報告書・意見具申に逆行する「大阪府同和教育基本計画」

 地対協部会報告書の発表と前後して、大阪府は「府同和教育基本計画」なるものを同対審総会において策定報告しました。

 国民的批判によって、暴力による糾弾は全国的には少なくなっているにもかかわらず、大阪では依然として「確認・糾弾行為」があとを断ちません。これは、大阪では岸府政のもとで行政によるてこ入れが、例えば同和研修や同和加配、「にんげん」おしつけなどといったかたちで続けられているからにほかなりません。

 こうした偏向した同和教育行政は、「同和教育基本方針」や「同和教育具体的施策」をたてにして行われてきたものですが、今回の「基本計画」はこれを受け継ぎ「追加・補充」するもので、昭和六五年度まで継続させることが明記されています。これは地対法期限切れを前に、岸府政が「解同」と一体になって画策したものであることは明らかです。そして、「部落民以外は差別者」などという対立と分断をあおる「部落排外主義」を持ち込むことによって府民・教職員の団結を崩し、分断して管理・支配していく道具にしようとするものにほかなりません。

 「基本計画」は、とりわけ次のような重大な問題を持っています。

① 偏向した「同和教育」おしつけの拡大

 「基本計画」は、これまで「大阪府同和教育基本方針」によって主に義務教育を対象としていたものを、就学前・高校・私学・大学・社会教育と、教育のあらゆる分野にまで偏向した同和教育行政をひろげています。これは、対立と分断をあおる偏向教育で府民の意識を生涯にわたって染め上げようとするものです。

 そして「にんげん」おしつけ強化や、これまで三五人基準であった同和校の学級編制をさらに「原則として三〇~三五人」として加配を強化するなど、一般校の四〇人学級早期完全実施を求める府民の切実な願いには背を向けた反府民的なものとなっています。

② 誤った教育目標のおしつけ

 「基本計画」は、「差別をしない、差別を許さない実践力」を児童・生徒に身につけさせるなどとしています。しかし、これは偏向した同和教育の目標です。

 なぜならこの課題は一人前の大人、社会人に求められる目標です。しかし、学校教育の中で追求されるべき同和教育の正しい目標は、子どもたちが、基本的人権尊重の認識を身につけることです。つまり、人間同士がお互いに相手の人格を尊重しあうことの大事さをわかるように教育することです。そしてこうした教育の結果、差別したりそれを許すことが誤りであることを自覚できる大人に成長することをめざすものです。

 「基本計画」の同和教育目標は、一人前の大人に求めるべきことを、未熟な子どもたちに要求するものであり、また、この目標を課題としている特定団体の運動に教育を従属させる目標設定です。また、このような目標は、子どもたちが差別することが誤りであることを理解し、納得し、自覚にまで高めるのを助ける教育としての目標でないため、「徳目」をおしつける「同和道徳」ともいうべき、誤った教育活動におちいる危険性をもつものです。

 このような偏向した目標のために、子どもたちの間に、「差別者」と「被差別者」をつくり出し、友情や連帯を破壊することになったり、子どもや教職員を追及し、糾弾することが、数多く起こって、学校らしい自由な雰囲気がそこなわれてきました。これが教育荒廃をひろげる重大な要因の一つになってきたことは言うまでもありません。

③「プロジェクトチーム」の設置

 これまで大阪でしばしば、児童・生徒の落書きや発言を「差別」と決めつけ、その「採用」や「保存」をさせて、それをもとに「確認・糾弾」を行うなどといったやり方で「解同」の不当な教育介入がすすあられてきました。「基本計画」は、これをあらたに「教育にかかわる差別事象プロジェクトチーム」なるものをつくっておしすすめるとしています。これは「解同」や行政の教育介入を合法化するもので、教育基本法や地対協報告書・意見具申に逆行するばかりか、「差別」狩りや「差別」のあらさがしが新たな教育荒廃をもたらすという意味でも、重大な問題をはらんでいるものです。

④ 教職員への統制・抑圧の強化

 「基本計画」は、「教職員の資質の向上」と称して、各分野ごとの「同和教育研修講座」や「校内研修」の「充実」をはかるとしています。これは「教員の資質向上」などといって上から研修を強化し、「もの言わぬ教師づくり」をすすめようとする教育臨調のねらいと軌を一にするものです。今回の「基本計画」策定は、中曽根自民党政治による教育臨調攻撃が、大阪では同和教育を利用しこれをてこにしてすすめられようとしていることを明確にあらわしています。

⑤ 「解同」との一体化の推進

 同和事業の独占的管理をすすめる役割をになってきた財団法人大阪府同和事業促進協議会(府同促)や、「解放教育」をイデオロギー的に補強する役割を果たしてきた部落解放研究所が、大阪における「解同」ゆ着の偏向同和行政をさまざま支えてきた問題点はこれまで何度も指摘されてきた通りです。にもかかわらず「基本計画」は、これらとの「連携」をさらに強めることを明記しています。これは、政府機関でさえ言わざるをえなくなってきた「民間運動団体」とのゆ着、「行政の主体性の欠如」をいっそう推進させようというもので、地対協報告書・意見具申と国民の世論に真っ向から対立するものです。

憲法・教育基本法にそった教育行政を

 「解同」に追随・屈服し、いいなりになって現場の教師を強制配転した「矢田事件」に対し、最高裁は十月十六日、大阪市教委をきびしく断罪する決定を行いました。事件発生以来十七年ぶりの教師側の全面勝訴は、「解同」の無法とこれに追随しながら教職員への統制・支配にこれらを利用してきた大阪市教委に鉄槌を下すものです。

 また「解同」の暴力とたたかった教師を転任処分にするという「吹田二中事件」では、最高裁は十月二十三日、不当処分を容認する決定を行いながらも、「解同」の蛮行を許した吹田市教委の姿勢については批判せざるを得ませんでした。

 「解同」とそれとゆ着した行政による不当な教育介入の排除を強く求める声は、今や政府機関や最高裁においてさえ無視できないものとなってきています。

 大教組はすでに、運動方針などで、教育への不当な介入を批判し、自主的民主的な同和教育を推進することをよびかけています。本来、同和教育とは、①基本的人権の尊重の認識を身につせさせる、②永年の部落差別のもとで生じている教育条件の格差を是正する、という二点に要約されるもので、これは民主教育の目標そのものです。同和教育を民主教育の一部として位置付け、偏向教育目標ときっぱり手を切り、憲法・教育基本法にそった自主的な教育目標をつくることが大切です。そのためにも、「解同」の無法と不公正乱脈の同和行政を一刻も早く改めさせ、自由にものが言える条件づくりを、広範な父母・府民と一つになってすすめていく取り組みが、いま強く求められています。

*1 この文で教育基本法とは1947年制定の教育基本法のことを言う

大阪府豊中市の人権教育の現状

大阪府豊中市の人権教育の現状

「人権と部落問題」2010年1月号掲載

はじめに

 私の勤務する豊中市は大阪北部に位置し、小学校41校、中学校18校ある人口約38万人の都市です。

 私は豊中教職員組合(全教加盟)の組合役員として、毎年、豊中市の人権教育のあり方について改善を求めて、市教育委員会と話し合う場に参加しています。三年前、市との話し合いの場で、驚くことがありました。

 大阪府下各地で問題になった、部落解放同盟の腐敗・行政への介入の問題を事実を示して批判すると、「部落解放同盟の悪口を言われたら、腹が立つもんもいるんやー」と机をたたいて人権教育企画課の担当者が激昂したのです。その人物は2009年度には、課長となって います。

 豊中では、今秋に大阪府人権教育研究協議会(以下、大人教)の豊能地域での大会が予定されています。すでに昨年度(2009年度)から、その準備に豊中市人権教育研究協議会(以下、市人研)が動きだしています。市教育長は、人権教育についてのある学習会の場で、大人教豊能大会の成功のために、次のような発言(主旨)をしています。

 「大阪府の先生方に縛りをかけるのは、人権教育しかないと思うからです。―中略―やっぱり人権教育というのを立ち上げて、その縛りの中で、教科研究も含めて、生徒指導力の向上も含めて、お互いが発表して、向上していく力をつけないと大阪はダメですよ」(「市人研ニュ ース」2009年度No.5より)

 この間の世論や社会の動きもあり、同和行政・同和教育行政において、豊中市についても表面上は見直しを行ってきています。「同和予算」というものも表面上なくなっています。しかし、一般施策に移行させて、引き続き同和教育や「人権教育」を進めようとしている実態が あります。

 たしかに、以前のような『にんげん』教材を使わなくてはいけないという学校現場での圧力はほとんどなくなっています。「人権教育」として、世界の貧困の問題や平和教育など評価できる実践も発表され、交流されています。しかし、大人教や市人研が引き続き強調しようとしている”特設”ともいえる「部落問題学習」の継続は、豊中の若い教職員に間違った認識を広げることになると考えています。

 ここでは、私の勤務する豊中市の同和行政、同和教育・人権教育の状況を学校教育での実態を中心に報告することにします。

1.「部落差別は、依然として厳しい状況にある」―豊中市行政の基本スタンス

 豊中市には”同和””人権”に関する様々な組織や委員会が残っています。豊中市同和行政推進委員会/豊中市人権啓発推進会議/豊中市同和問題解決推進協議会/同和教育推進委員会…。

 「部落差別がなくなってきたかというと、決してそうではない。人生の大きな節目といわれる就職や結婚にかかわって、同和地区出身者を排除しようとする事象はあとを絶たず、さらには、インターネットなどを利用しての新たな差別事象が発生するなど、依然として厳しい状況にある」

 これは数十年前の文章かと思ってしまいますが、「平成20年4月1日より実施する」とある「豊中市同和行政推進委員会啓発・研修部会設置要領」に書かれているものです。豊中市の部落差別についての基本認識を表しているといってよいものです。

 また、2009年度の同和問題解決推進協議会の会議議事録をみてみますと、会長が「例えば教育教材『にんげん』が来年なくなるが、それに変わる体制をどう作るのかという問題があるなど、大きなひとつの区切りである」と言ったことが話し合われています。

 教育の分野に直接関わっては、「地対財特法」期限切れ後の2005年3月に、市は「豊中市人権教育推進プラン」を策定しました。

 冒頭部分で、大阪府・府教育委員会の「地対財特法失効後の同和行政について」「同和問題の早期解決に向けて」(平成14年10月)の通知を引用し、「同和地区にはなお課題が残されており、差別事象も後を絶たず、平成12年度(2000年度)におこなった同和地区の実態調査においても、同和地区に対する忌避的態度は解消されていないなど、部落差別は解消していないのが現状である」「部落差別が現存する限り、同和問題解決のための施策の推進に努める必要がある」「同和問題を人権問題という本質からとらえ、同和地区出身者を含むさまざまな課題を有する人々に対する人権尊重の視点に立った取組みとして展開されるべきである」と記しています。

 そして、人権教育を推進するとして次のように書いています。

 「豊中市同和教育研究協議会(現豊中市人権教育研究協議会)はこれら豊中の部落問題学習についての研究活動の中心的役割を果たしてきました。大阪府教育委員会は平成14年(2002年)10月の通知において『同和教育推進校のこれまでのノウハウや実績等を今後とも生かしていくことは重要なことであり、中心的な役割を担うことである』と述べています。豊中市においては、平成14年(2002年)4月に人権教育推進モデル校区を設定し市内3中学校区を指定しています。これらモデル校区の人権教育の取組みに学び、それぞれの校区、学校園所での実践に生かしていくことが今後求められています」

 このように、豊中市は学校教育の関係では、任意団体である市人研に対する予算補助を始め、人権教育推進のモデル校区を設定して特別予算を配当し「人権教育」を推進しています。

2.豊中市人権教育研究協議会(略称「市人研」)

 2002年度より市同和教育研究協議会(略称「市同研」)の組織を改組して、豊中市人権教育研究協議会(略称「市人研」)となっています。規約には「豊中市立学校・園の全教職員でもって会員とする」となっています。どういう位置付けの団体なのか、市教委に質すと「任意の団体」と答えます。しかし、任意団体といいながらも、ほとんどの学校で校務分掌の係や仕事の一つとして、「市人研委員」を選ぶようになっています。委員は毎月1回の会議に出席、職場で市人研や地区(3市・2町)人研の集会などへの参加の呼びかけや各種調査・アンケート集約のまとめ役をおこなっています。

(1) 中学校区人研

 市内18の中学校区に分かれ、毎年秋に、「校区人研」を開催するシステムができています。レポート・報告を各幼・小・中学校に割り当て、職場によっては参加して当然というところもあります。ここ数年のレポートをみてみると、確かに「部落問題学習」を直接取り上げたレポートは、旧同和教育推進校とよばれた校区をかかえた学校以外ではほとんどありません。仲間づくりや学力保障、平和教育、国際理解教育、障害児教育といった内容ものがほとんどです。

 しかし、こうした各校区人研の状況を市人研事務局は2008年度「活動課題」で、次のように述べています。

 ”「昨年度、第3回豊中市同和教育推進委員会で、豊中市内の小中学校において部落問題学習のとりくみが少なくなってきている旨の報告がありました。これは、昨年度だけではなく、ここ数年続いている傾向です。市人研が提起する中学校区別人研(校区人研)でも、部落問題学習にかかわる実践報告があがりにくい実情があります。~中略~

 しかし、特に小中学校において、まったく、部落問題を意図した学習が展開されないならば、わたしたちの身近に存在する部落差別はどうなるのか、現在、あるいは将来的に部落差別、部落問題で揺れる思いを抱える子どもたちはどうなるのか、そういった課題が残ります。」”

 こう指摘し、引き続き市人研は部落問題学習を豊中のすべての小中学校でおこなっていくことを提起しているのです。

(2) 学校への各種調査

 年度末になると、市人研は『にんげん』教材を使った実践をやったか、職場の人権研修・聞き取り等、実地調査の報告書の提出を求めてきます。窓口は職場の市人研委員で、提出しないと何度も市人研事務局から連絡があります。

 市人研の調査・アンケートは、あくまで協力であり任意であることを組合として市教委に確認をしています。

 しかし、組合役員が市人研委員を引き受け、調査に協力しないと学校長がかわりにアンケートを返すといったこともあり、市人研の調査・アンケートは出さないといけないものという状況があるといえます。

 報告書では、「何人参加しているか」が重要になっているようです。これは、「○○○人参加している」ということで、次年度以降の市の「人権教育」予算獲得に大きく影響してくるからです。市の担当課長も、組合の「同和に偏った予算を減らしなさい」の求めに、「○○○人参加している実績がある」という根拠にしています。

(3) 市当局による市人研優遇・黙認の実態

 市教委当局は、こちらが指摘しなければ、自らこれまでおこなってきたことを改善しようとしません。毎年、組合として市人研をめぐる問題点を指摘し改善を求めてきました。

 福岡県同和教育ヤミ専従裁判で、全同教委員長の「研修」名目での派遣は違法との勝利判決が出されています。市教委に、この事実を示して、豊中での市人研事務局メンバーについて毎年質してきました。事務局長や事務局次長は、主に旧同推校の職員が毎年選ばれています。旧同推校は大阪府児童生徒支援加配が複数で配置をされており、加配教員が市人研の事務局の仕事を担っているわけです。

 「専従の人はいません。学校での仕事をちゃんとやっています」というのが市教委からの回答でした。そこで、この間、市教委に市人研事務局長と事務局次長の出張日数・回数を明らかにするように求めました。資料の提示を受けて驚きました(別表資料-サイト掲載準備中)。

 この年、市人研事務局次長は市人研、地区人研、大人研の出張だけで年間100日もの出張があるのが明らかになりました。クラス担任や学校での仕事をまともにやっていれば、こんなに出張ができるはずありません。

 市交渉の場で「これで、学校の仕事ができるのか」という追及にたいして、「学校長が認めているから問題ない」「学校の仕事もやっている」「授業ももってやっている」という回答でした。

 実は「授業をもっている」ということも、ウソだということがわかりました。2008年度に「事務局のメンバーは授業をもっているんですね」と人権教育企画課長に尋ねると、平然と「もっています」と答えました。こちらも正確な情報もつかんで「授業をしていない」ことを明らかにすると、今度は開き直って「(大阪府の)児童生・徒支援加配の人だから授業をもたなくてもいい」と答える始末でした。

 しかし、こうした追及で市教委も校長に対して必要な指導をおこなったようで、〇九年度には事務局職員も授業をもつにいたっています。しかし、まだまだ「地域との連携」の名のもとに、任意団体の市人研の活動にかなりの勤務時間を使っていることが考えられます。

 市人研の事務所は、学校施設の一部を利用しています。この間、全くの無料貸与で、その後光熱費などを支払うようにさせてきました。しかし、市人研の予算・決算書には出てこない電話・FAX、インターネットプロバイダ使用など・不明朗な会計が見られます・豊中市からの補助金198万円(平成20年度)の中の決算書には、こうした予算・決算が書かれていないのです。

 「補助金の範囲でやっていることで、議会でも何も問題にならなかったから、そんな細かいことは知らない」(人権教育企画課長)という態度です。

 また、豊中市として、これまた大人教や地区人研に対し「負担金」という名目で、それぞれ25万円ずつ支出しています。任意団体に対して、行政が公金を支出する根拠があるのでしょうか。

 自浄作用が働かない市教育委員会なので、事実をもとに問題点を、今後も指摘して改善を求めていきます。

3.特定の学校から「人権」を発信・発表させる―「人権教育推進モデル校区事業予算」

 2002年度から8年間にわたって「人権教育モデル校区事業」というものが実施されてきました。

 指定を受けた3中学校区(小学校7、中学校3校、合計10校)に対して、8年間で約3800万円を超えるお金が使われてきました。1校当たり平均380万円が配当されたことになります。2つの中学校区は、いわゆる旧同推校です。「人権」について発信や発表をしてもらうということでの特定の学校にだけの特別配当です。

 昨年度(2009年度)、この予算が具体的に何に使われているのかの資料の提示を求めました。この特別予算で支出されたものの一覧を明らかにさせました。

 そのお金の使われ方を見て、驚きました。

 模造紙・画用紙・印刷機インクなどの消耗品購入や図書・書籍として紙芝居『したきりすずめ』『おだんごころころ』や「科学アルバム」、各種図鑑(花火・昆虫)の購入などをしているのです。さらに各学校予算が削られなかなか購入できないビデオカメラ・拡大機・太鼓バチといった備品も購入されていたのです。

 学校の予算が大幅に削減されて、どこの学校も必要なものが買えない状況があります。机やイスもささくれだって必要数を学校から要望提出しても、毎年それよりも少ない数しか入ってこないという状況が続いています。その一方でこの「人権モデル校区」予算を使って、特別の学校にだけ、潤沢に消耗品や備品の購入ができるようにしているのです。

 さらに、資料から、外部講師への謝礼金や業者学力テスト費用への支出とともに、全同教・大人研など参加費、旅費が保障されていることがわかりました。

 かつては、市内のどの学校でも数年に1回、管外の出張(遠方への研究会参加)が認められていました。しかし、大阪府の旅費削減の影響が大きく、この十年間ほど、管外出張できる旅費が確保できないために、多くの職場で管外出張が難しくなっています。それどころか市内の出張や運動会ダンス実技関係の出張でも制限されいます。しかし、特定の学校にだけ、この特別予算を使って、遠方で開かれる全同教大会や大人研大会の旅費や参加費を確保しているわけです。

 さらに、ある学校では部落解放同盟の『解放新聞』(全国版・大阪版)を購読していることもわかりました。

 こうした予算の使い方は問題があり、一部の学校にだけ予算化するのはやめるように組合として毎年求めています。市教委は「人権教育について、発信・発表してもらっているので、これぐらいのことは当然、問題ない」とあらためようという姿勢がみられません。

4.最後に

 10年ほど前、豊中の教育が一部新聞にとりあげられて「たたかれた」ことがあります。通知表の二段階評価、オール「B」、評価の指導要録、さらに時間割に「国語」がない「日本語」となっている学校がある、という相次ぐ報道がされました。

 (実は、この学校の時間割には「道徳」の時間がなくて、そのかわり「にんげん」となっていたのですが、これは報道されませんでした)。

 当時、全教豊中教組にも、この新聞社の記者から取材があって、豊中の教育におけるこうした問題の根本に、大同教(当時)、市同研(当時)の運動の教育への持ち込みがあることを指摘したことがあります。しかし、そのことは取り上げられず、市教組(日教組)と全教など教職員組合に問題があるという報道がなされました。豊中市・教育委員会が同研団体・市教組(日教組)と一体となってすすめていたことを、豊中の教職員の問題にすりかえたわけです。

 そして、今もこれまでの同和行政、同和教育への反省をせず、市は同研団体(市人研)と一体となって、「人権」教育をすすめようとしています。2010年度の市予算には、「人権モデル事業」に322万円が引き続き組まれています。しかし、市人研の部落問題学習がすすまないことへの心配や、また、「人権モデル校区」に指定された学校から、短期で他校異動の希望が毎年出てくるなど、矛盾も広がっています。

 私は組合役員をしている関係で、いろんな職場の若い教職員と話をする機会があります。「多くの研修があるけれど、人権についての研修は参加しなければいけないという雰囲気がある。」と不自由さを感じている若い人がいます。豊中での歪んだ、特別視された人権教育が改善されていくように引き続き求めていくことが必要だと考えています。

(豊中市立学校教員)

大阪における同和教育終結への課題(1998)

大阪における同和教育終結への課題(1998)

 矢田事件以来吹き荒れた大阪における解放教育、運動団体と行政が加担した誤りの責任は余りにも重い。すべてを差別という視点に矮小化したところに誤りの根源がある。

「どの子も伸びる」1998年4月掲載

1.「解放教育」の発生と大阪

 1969年に引き起こされた大阪の矢田事件、それは部落排外主義の台頭のもと、「同和教育」を「解放教育」と改称し始めていた「解同」中央本部の方針のもとで、必然的に引きおこされた事件と言えるのではないだろうか。

 矢田事件とは「組合員の皆さん、労働時間は守られていますか。進学のことや同和のことなどで……」という組合役員選挙での挨拶状が一方的に差別文書とされ、記載者が「解同」府連幹部等二百人以上から脅迫、つるし上げを受けるといった事件である。

 裁判の結果は、結局、最高裁で「解同」幹部に有罪、また、差別と断定し強制配転、研修を押しつけた大阪市教委にも賠償命令が確定した。この事件の引き起こされ方一つを見ても、「解放教育」が、部落排外主義の部落解放運動の忠実な僕であったことがわかるのではないだろうか。

 それでは、裁判の結果が示したように、教育の分野で「解放教育」は正されているのだろうか。決してそうは言えない。大阪市教委はなお、矢田事件に対する謝罪を行っていないし、大阪府教委は解放教育研究会の編集による解放教育読本「にんげん」の無償配布を続けている。

2.解放教育読本「にんげん」と大阪

 雑誌「部落解放」第10号(1970年10月発行)は、解放教育読本「にんげん」の出発点を特集していて興味深い。まず、その中のいくつかの文章を紹介する。

 「にんげん」は全国解放教育研究会の編集によるものである。この「会」は部落出身教師と部落解放運動にかかわる教師・活動家によって組織されており、部落解放同盟中央本部教育対策部に属した研究組織である。だが、編集・作成にあたっては多様な要求が結集され、多くの組織が関係してすすめられてきた。

 現在の教育の内容と体制が、部落差別に全く無関心であるばかりではなく、明らかに差別を容認し、さらにこれを助長するものであることは繰り返し述べてきたところである。それは検定教科書のいずれを取り上げてもただちに指摘できる。学習指導要領はその内容において差別性をもち、その拘束性において解放教育創造のための教育現場 の闘いを圧迫し続けてきた。

 「にんげん」は権力によって他律的におしつけられたものではなく、逆に権力による不当な教育支配を打ち破る武器として積極的に活用できるものであり、すでにのべた通り、解放教育をすすめるために私たちが作成に参加し、その無償配布を要求したものである。  「にんげん」の内容は、教科の領域、集団指導の領域、部落問題、部落解放運動にかかわるものによって構成されている。それは、いずれも今日の解放教育の諸課題と解放運動の状況を、子どもの発達に即して教材化されたものである。

 これらの文章は、解放読本「にんげん」がつくられた出発点をよく表している。

 しかし、そもそも、部落解放の武器として行政に読本の無償配布を要求することが正しいことであったのだろうか。しかも、運動団体に所属する研究部によって編集されたものを。いくら教科書検定や指導要領に差別性と拘束性があったとはいえ。

 部落排外主義の糾弾路線は、府教委を屈服させ、無償配布をさせたのだが、これこそ教育の自由と自主性を奪っただけでなく、以後推進された「にんげん」実践は、部落問題の特殊化、肥大化の大きな要因をつくり出し、かえって部落問題解決への障害を生み出したのである。大阪ではまだ、それが是正されていない。

3.不公正・乱脈の同和行政と大阪

 同じ雑誌「部落解放」(第10号)のグラビアは、学校建設運動の成果として、○○○中学校の写真を掲載している。35人学級の普通教室、廊下は幅3・5メートル、LLの施設のついた英語教室、そして冷房付の講堂、その下に食堂という具合である。

 果たして、学校建設運動の成果と言えるのだろうか。同じ時期、77億円をかけてつくられた大阪市○○区○小学校には、1000人収容の大食堂やプラネタリュームまでがつくられている。(当時、普通の小学校の建築費は5億円前後)言うまでもなく、このあまりにも異様なコントラストを生みだしたものが、「窓口一本化」行政であった。

 「原罪論」「償い論」を武器に、「解同」が同和行政を自らの管理下においていった結果であった。

 それでは現在、そうした窓口一本化行政は是正されたのかと言えば決してそうではない。大阪府同和対策促進協議会(府同促)、各市同和対策促進協議会(市同促)方式のもとで、補助金、助成金、交付金が湯水のごとく使われているのである。

 1995年度の大阪府の教育にかかわる同和予算を以下紹介すると、同和加配人件費(約62億円)、「にんげん」購入費(約1億円)、府同教補助金(約1000万円)、全同教大会補助金(約1000万円)、部落解放研究所運営補助など研究事業費(約4000万円)である。

 市町村へいけば、市同和教育研究会への交付金、人権啓発協議会への交付金とあげればきりがない。
4.解放教育推進の大阪府同教と各市同教

 「差別の現実かち深く学ぶ」と称して運動を学校教育へと結合させ、「差別の現実に立ち向かい、それを変革していく子ども」と称して、解放の戦士を育てる取り組みが「にんげん」の配布とともに、大阪府同教と各市同教によって推進されている。

 大阪府同教は毎年、「にんげん」実践研究集会や府同教研究大会、そして夏期一泊研を開催し、月一回府同教通信を府下の教職員全員を対象にして配布している。その内容たるや、「同和教育を軸に、教育改革の大展開を」とか、「出会いとつながりを求めて」とか、これまでの「同和原点論」ひきずりながら、反差別だけでなく多文化、共生という視点を加えている。

 最も茶番に思えるのは、すべての研究費を大阪府に依存しながら、その府に対して「同和加配」交渉にのぞんでいることである。府同教通信には、「法のあるなしにかかわらず、差別があるかぎり施策は必要」という府教育長の答弁をかち取ったとはずかしげもなく写真入りで報告している。

 各市同教も府同教とほとんど同じ方針で運営され、法が切れた今年3月以降も、「人権教育の重要な柱として同和教育を推進する」としているところが多い。

 いずれにも共通して言えることは、人的にも財政的にもすべて府や市に依存しながら、府教委や市教委に自らの主張を押しつけているのである。府教委や市教委も心得たものでそれを活用しているのである。府教委から毎年出される「同和教育のための資料」や各市で発行されるパンフレットは府同教や市同教で報告された実践がそのまま載せられているのを見ても一目瞭 然である。

5.「人権教育」への転換と大阪

 1995年、第49回国連総会で「人権のための国連の10年」が採択された。それを受けた日本政府はいち早く反応し、翌年国内行動計画を策定した。この背景には、言うまでもなく、1997年3月末の同和事業法の期限切れから人権擁護施策推進法の成立へと移行する政府の動きがあった。一言で言うなら、解同の要求してきていた「部落解放基本法」の落としどころとして、国連十年、人権擁護施策推進法に軟着陸させたのである。

 文面を比較すればわかるが、国連10年の内容は人権に関する情報提供や包括的な人権について述べているが、国内行動計画では人権概念を差別意識の問題に倭小化し、しかも啓発や特別な人権教育を強調しているのである。つまり、国連の提起を、人権擁護施策推進法と似たものに歪曲したのである。

 この国内行動計画を全国に先がけて実施に移そうとしているのが大阪府であり、昨年三月に大阪府は行動計画を策定した。そこでは、学校や職場における人権教育の推進としてより体系的、実践的な人権プログラムの必要性と、対象者がより主体的に参加できる手法を求めている。  現に今、それに沿って「人権教育」を特別なものとしてカリキュラム化してきている学校が現れている。

 国連の人権10年は1995年から2004年である。国連の提起する人権の拡大のためにも、歪められた行動計画を批判し、同和教育の終結の取り組みをすすめることこそが大切である。

身分制度・部落問題の授業にどう取り組むか(2005年)

身分制度・部落問題の授業にどう取り組むか
  - 新中学校教科書の部落問題記述を批判する -

小牧 薫 2005年8月

1.2006年度用中学校用教科書の問題

 身分制研究の進展と部落問題の解決、同和教育の終結をうけて、教科書の記述は変わったのでしょうか?

 1972年の小学校教科書に「その他の身分」として「賤民」についての記述がなされ、74年の中学校歴史教科書には、「えた・ひにん」について詳しく記述されるようになりました。それから30年以上たつのですが、小・中の教科書は基本的には変わっていませんでした。その間、鈴木良さんが『教科書のなかの部落問題』(初版1989年、改訂増補班90年,部落問題研究所)で、小・中学校の教科書批判を展開されました。私たち歴史教育者協議会の会員も旺盛に教科書批判を続けてきました。そうした甲斐もあってか、2006年度用の教科書のなかには大きく改善されたものもあらわれました。しかし、まだ旧態依然たるものもありますし、政治起源説を払拭しきれないものもあります。帝国書院の教科書は、2002年度用で「ケガレ」説を書きましたが、今回の改訂でも、その内容は変わっていません。また、いくつかの教科書が「現代の課題」で、いまだに同対審答申を引用し、「部落差別は根強く残されている」というような記述をしています。

 現行の学習指導要領(99年版)の問題点については、すでに多方面で批判されています。なかでも社会科の内容は、科学性・系統性を無視して、「国土と歴史に対する愛情を育てる」ことが目標に盛り込まれたように、いっそうの改悪がすすみました。そのうえ、歴史修正主義者たちの攻撃や文部科学省による教科書記述に関する介入・干渉によって、教科書会社の自主規制もおこなわれ、日本の侵略戦争の実態、なかでも日本軍慰安婦、南京大虐殺、沖縄戦などの記述はおおきく後退させられました。97年以来、教科書問題というと、「つくる会」などの攻撃による教科書記述の改悪、「つくる会」の扶桑社版中学教科書の採択問題があげられますが、いまだに近代以前の身分制と部落問題についての記述は捨ておけない重要問題です。

 2006年度用の中学校教科書採択が終わり、「つくる会」の扶桑社版『新しい歴史教科書』の採択率は0.4%にとどまりました。市民の良識の勝利ではありますが、5000冊近くが子どもたちに手渡されます。日本の侵略戦争肯定、天皇中心の教科書で学ばされる問題もありますが、この教科書の身分制度と部落問題の記述も大きな問題をもっています。そして、採択率51.2%の東京書籍(以下「東書」)も、身分制度と部落問題に関する記述内容に大きな問題があります。

 本稿では、部落問題・民族問題についての記述がどう変化したのを明らかにするとともに、中学校の歴史や公民の授業でこの問題をどう扱うべきかを提起してみたいと思います。

2.2006年度用中学教科書の身分制度と部落問題についての記述

 前近代の身分制度と賤民身分に関わる記述は、「中世の文化」での、「河原者」、「江戸時代の身分制度」、「身分制のひきしめと差別撤廃を求める動き(多くは「渋染一揆」を記述)」の三ヵ所です。記述量の多いのは、大阪書籍(以下「大書」)と帝国書院(以下「帝国」)の二社のものです。一方で、日本文教出版(以下「日文」)は「河原者」について、扶桑社は「身分制のひきしめと差別撤廃を求める動き」について触れていません。

 「戦後の部落解放運動」も帝国と扶桑社は触れていません。「現代の課題」で部落差別について扶桑社と日本書籍新社(以下「日書」)は書いていません。

 このように教科書がとりあげる事柄についても、今回の改訂で大きな違いが出ました。それは執筆者の考えも反映しての結果とも思いますが、文科省による規制強化のせいだと思われます。文科省は、「つくる会」などの要求もあって、あらたに「検定結果の発表以前に白表紙本(検定申請本)を漏出させてはならない、もし、漏出が判明すれば教科書検定事務を中止する」という規則を、各教科書会社に通知しました。そのため、以前は、他社の白表紙本を検討し、書き直しをしていたことができなくなり、各社の判断で改訂作業をおこなった結果だと考えられます。また、文科省が、いわゆる「横並び」を求める検定をやめたことで、大きな違いが出てきたものと推測されます。

 いずれにしても、現在発行されている小・中学校の教科書の賤民身分についての記述は、分量が多すぎることと、内容も科学的な歴史研究を反映したものは少ないという問題を残しています。97年度用の教科書はどの社のものも300ページを超える分量でした。02年度用からは、200ページほどに薄くなりました。たしかに判型が大きくB5版となりましたが、写真や図表が大きくなり、左右に側注が付けられたため、1ページの文字数はどの社のものもほとんど変わっていません(扶桑社は06年度用からB5判に改訂)。ですから、文章は三分の一に厳選されたのです。ところが、身分制や部落問題についての記述量はまったくと言っていいほど変わっていません。「部落問題記述の特殊化、肥大化」と批判したことが改善されていないのです。特定の運動団体の要求や憲法・教育基本法に反する文科省の指導や検定が大きな原因だとは思いますが、教科書会社の営業政策や執筆者の自己規制も原因だと考えます。

3.身分制度・部落問題学習をどうすすめるか

 東上高志氏は「社会科と部落問題学習」(『別冊 教師のはぐるま 2』1975年)に、「部落問題学習の基本構想」を書かれています。そこでは、「教科書通りに、しかも資料を補強しながら、学習していきます。それが『封建社会の確立』まで進んだと仮定します。その学習のすんだ時点で、5時間か6時間を設定し」て、「部落は、いつ、誰が、何のためにつくったか」を教えることを提案されています。私自身も、「部落は、いつ、誰が、どのような必要性から、つくったのか、を科学的にとらえさせることはたいへん重要な課題である」と書いたことがあります(『部落』 366号 78年5月)。この考えが克服されるまでに長い時間がかかりましたが、今ではそうした教育実践が誤りであることがはっきりしています。

 東上氏も雑誌『部落』(554号 92年9月)で、「部落問題を正しく理解することは、本来、青年期教育や成人教育の課題であったにもかかわらず、それがストレ-トに子どもたちの学習課題にもち込まれたのである。ここから部落問題学習は新しい段階に入った」。しかし、その誤りが克服され、「小学校では部落問題を教えることはしない。教科書には部落問題を記述しない。現行教科書の記述を無視する。中学校においては部落問題だけをとりだした『特設単元』的なやり方はしない。ましてクラス担任がホームルームで特別な指導をすることは誤りである。」と書かれるようになりました。そして、私も出席した雑誌『部落』562号(1993年4月)の「部落問題学習をめぐって」の座談会で、勝山元照氏が「今日の部落問題は数学でいうたら微積分ぐらいむずかしい学習課題です。小学生は四則計算、中学生は関数というふうに習って微積分に進むわけでしょう。小学生にいきなり微積分教える人いてないでしょう」と述べ、前近代の賤民身分、近現代の部落問題についての学習は、義務教育段階で完結させる課題ではなく、高校生が社会問題について充分考えられるようになった段階で学習すべき課題だということで一致しました。

 部落問題という複雑な社会問題を学習するのは、青年期教育や成人教育の課題であるということをふまえたうえで、近世社会の学習において賤民身分のことをどうするかがつぎの課題です。

 私は、このことも小学校では教えない、教える必要がないと考えます。南部吉嗣氏は、「小学校社会科の部落問題学習について」(『どの子も伸びる』 1984年3月号)で、「とりたてて被差別部落の成立、歴史的経過、現状といった部落史を明らかにするということは目標にしない」としたうえで、小学校の歴史の授業の目標をつぎのように述べています。「(1)日本史全体をそれぞれの時代区分に従って大きくまとめ、その時代の具体的なイメ-ジを豊かに描き出させる。そのための教材の組み立てに工夫をする。(2)各時代を大まかに比較して、それぞれの時代のちがいがわかるようにさせる。(3)そのことを通じて、民衆のくらしやたたかいの方法が時代の発達とともに、進歩、発展していることが確認できる」と。

 小学校では、近世社会の成立で賤民身分については教えない。教科書の記述も無視する。秀吉の検地・刀狩によって、武士と農民が分けられ、住いも固定されたが、農民たちは長い間願っていた土地に対する権利を獲得し生産を高めることによって生活を向上させる道がつけられたことを教える。幕府や諸藩にとっても、生産が高まることは年貢収入が確実になるので、農業振興策をとるとともに、農民(本百姓)が没落しないようにさまざまな制限を加えたことを理解させる。これが近世封建社会成立期の目標です。

 中学校の歴史教育は、はじめて日本の歴史を世界の歴史と関連させながら学びます。人類の誕生から現代までを通して社会の変化・発展を学ぶ機会でもあります。

 ですから、階級とか身分ということを前近代の学習でつかみとらせることが大切です。日本民族の形成ということについても学ぶ必要があります。また、幕府権力が北海道から沖縄までを支配するようになったことも欠いてはならないことです。織豊政権から幕藩体制のもとで、百姓たちはどんなくらしをしていたのか、どんな願いをもって、どう行動したのか、それに対して権力は支配体制を維持するためにどんな政策を実施したのか、基本は、武士と百姓を中心にしてとらえさせることが目標です。そのためには、身分制社会についてわかることが条件になります。身分制度とは何かということは中学生にとっては、むずかしい課題ですから、そんなことは抜きにしてよい問題です。しかし、武士と百姓、町人、賤民というように身分ごとにわけて支配されたこと、そのおのおのがどんなくらしをしていたのか、身分と職業・居住地は一体のものとして固定されたこと、それに対するたたかいが日常の生産活動を含めて展開された事実を知ることが中学で学習するなかみだと考えます。このことを地域の資料をもとにして具体的に学びとらせるのが、中学の歴史教育です。

 高校では、はじめて被差別身分の成立についてより具体的に学習することになります。中世賤民のなかで非人と呼ばれた人々の一部がかわた・さいくなどという呼称で、百姓とは区別されて権力によって把握されたこと、かれらの職能と役務がどういうことであったのか、結婚・交際が禁じられたというが、百姓・町人との間に差別があったのか、なかったのか、事実に則して学びとらせるようにしなければなりません。そして、けっして時代をとびこえて、江戸時代の中・後期の身分差別を混同して教えないようにすることが重要です。また、身分制にこだわるあまり、基本的な生産関係である武士と百姓の関係を軽視して、賤民身分の学習に重点をおくような誤りも犯してならないことです。

 「部落差別の歴史的な起源、分裂支配という政治的目的でつくられたことを避けようとし、あるいは歴史的起源をあいまいにしようとするとして」「部落差別を残してきた行政の責任」を追及するために、いまだに政治起源説を主張したり、時代を越えた「ケガレ観」「差別観」などという意識や観念などを主軸にして「差別・非差別」の歴史をそのまま「部落史」に置きかえる考えなども出されています。

 「ケガレ観」「差別観」が、いったいだれのどのような観念なのかを解明せずに、「被差別民衆の歴史」を描き出そうとするのは、科学的な態度ではありません。

4.近代以前の身分制度の記述について

(1) 刀狩りと江戸時代の身分制度について

 新中学校教科書のなかでもっとも大きく変わったのは、大阪書籍(以下「大書」)です。「刀狩」と「江戸時代の身分制度」の記述は、つぎのようになりました。

※ 2006年度用 大阪書籍 『中学社会』〈歴史的分野〉

 刀狩 (前略)刀狩と検地によって、一揆などの百姓の抵抗を防ぎ、武士と百姓とを区別する兵農分離を進めました。さらに、百姓が田畑をすてて武士・町人(商人・職人)になることや、武士が百姓や町人になることなどを禁止し、武士と町人は町に、百姓は村にというように、住む場所も固定しました。こうして、武士と百姓・町人との身分をはっきりさせて、武士が支配する社会のしくみを整えていきました。

 江戸時代の身分制度 幕府は、武士と、百姓・町人という身分制を全国にいきわたらせました。治安維持や行政・裁判を担った武士を高い身分とし、町人よりも年貢を負担する農民を重くみました。

 さらに百姓・町人のほかに、「えた」や「ひにん」などとよばれる身分がありました。「えた」身分の人々の多くは、農業を営んで年貢を納めたり、死んだ牛馬の処理を担い、皮革業・細工物などの仕事に従事したりしました。また、これらの身分のなかには、役人のもとで、犯罪人の逮捕や処刑などの役を果たす者、芸能に従事して活躍する者もいました。このように社会や文化を支えながらも、これらの人々は百姓・町人からも疎外され、江戸時代の中ごろからは、住む場所や、服装・交際などできびしい制限を受けました。

 こうした身分制は武士の支配につごうよく利用され、その身分は、原則として親子代々受けつがれました。

 また、しだいに「家」が重んじられるようになりました。女性の地位は低くおえられるようになり、特に武家では、子どもを産んで「家」をたやさないことが役目とされました。

上の記述を下の97年版と比較してみてください。

※1997年版 大阪書籍 『中学社会』〈歴史的分野〉

検地と刀狩

 (前略)刀狩と検地は、農民による一揆などの反抗をふせぎ、武士と農民とを区別する兵農分離を進めるうえで、大きな役割を果しました。さらに秀吉は、農民が田畑をすてて武士・町人(商人・職人)になることや、武士が農民や町人になることなどを禁止し、武士と町人は城下町に、農民は農村に、というように住む場所も固定しました。こうして生活のすべてにわたり武士と農民・町人との身分をはっきりさせて、武士が支配する社会のしくみを整えていきました。

江戸時代の身分制度

 幕府は、武士の支配をいつまでも続けるために秀吉の身分制をひきついで、武士(士)と、農民(農)・町人(工・商)という身分制を全国にいきわたらせました。武士は、農民・町人よりもきわだって高い身分とされました。いっぽう、農民・町人のなかでは、年貢を負担する農民を重視し、町人と区別しました。農民のなかには、土地を持ち、年貢納入の義務を負った本百姓と、土地を持たない水呑百姓との区別がありました。町人には、地主・家持と、地借・店子との区別があり、また職人の親方と弟子、商家の主人と奉公人、そして奉公人にも、番頭・手代・でっちなどの序列がありました。

 さらに農民・町人の下に、「えた」や「ひにん」などの身分がおかれました。この人々は、生活条件の悪い所に住まわされ、服装や交際まで差別をうけました。「えた」身分の人々の多くは、わずかの田畑や小作地で農業をいとなみ、死んだ牛馬の処理や皮革業・細工物などの仕事も行いました。また、これらの身分の人々のなかには、役人の下で、犯罪者の逮捕や処刑などの役を課された者もありました。

 このような身分制は、原則として親子代々うけつがされ、農民や町人が、力を合わせて武士のきびしい支配に反抗しないようにするとともに、自分よりまだ下の者がいると思わせて、その不満をそらす役割をはたしたと考えられます。またしだいに「家」が重んじられるようになり、女性の地位は低く押えられるようになりました。

 大書は、90年代以後近代以前の身分制度の記述を部分的にですが改善してきました。それが、今回の改訂でさらに大きく変化しています。

 「検地・刀狩」 は、02年版とまったく変わっていません。97年版でも、「百姓」の用語を使わず、「農民」としたところだけの違いです。

 「江戸時代の身分制度」は、「百姓と村」「町人と町」の項の後に配置しています。たしかに賤民についての記述量が多すぎますが身分制度全体について書いています。本文では、秀吉の身分制をうけついだことを書いたうえで、基本的な身分である武士と百姓・町人について記述し、「えた」「ひにん」の記述につづきます。そして、「幕府は、武士と、百姓・町人という身分制を全国にいきわたらせました。治安維持や行政・裁判を担った武士を高い身分とし、町人よりも年貢を負担する農民を重くみました。えたやひにんなどとよばれる身分がありました」と、農工商の下に置かれた身分という位置付けではなく、それぞれの身分を幕府や藩が把握したというとらえ方に変わり、権力設定説・政治起源説を克服した記述になっています。

 また、97年版にあった「生活条件の悪い所に住まわされ、服装や交際まで差別をうけました」が「これらの人々は百姓・町人からも疎外され、江戸時代の中ごろからは、住む場所や、服装・交際などできびしい制限を受けました」に変わったことは、身分差別が社会的差別であることを明確にしていますし、部落差別が江戸中期以降のものであること、権力によって条件の悪いところに住まわされたのではないという記述に変わっていることは大きな変化です。さらに、仕事のなかに「死んだ牛馬の処理」も含めていたものが、「死んだ牛馬の処理を担い」と役負担であることが推測できるようになり、「役人のもとで、犯罪人の逮捕や処刑などの役を果たす者」とはっきりと役負担であることが書かれたことも肯定できます。

 もう一点、重要なことは小・中に共通するのですが、なぜこのような身分制度を定めたかについて、「分断して支配する」ことで、「不満をそらす役割」をという記述がなくなりました。他のほとんどの教科書はまだこの記述を残しています。そういうことから見て、大阪書籍の02・06年度の改訂は大きな改善だと考えます。

 上の教科書と最も大きくちがう3種(帝国と東書、扶桑社)の2006年度用教科書の記述は以下のようになっています。

※ 2006年度用 帝国書院 『中学生の歴史』日本の歩みと世界の動き

室町・戦国時代の 「いまにつながる生活・文化」の欄外コラム

● けがれと差別はどんな関係があるのだろう

 むかしは,天変地異・死・出血・火事・犯罪など,それまであった状態に変化をもたらすようなできごとにかかわることをけがれといいました。けがれをおそれる観念は,平安時代から強まり,けがれを清める力をもつ人々が,必要とされるようになりました。しかし一方で,かれらは異質な存在として,のけ者あつかいされるようになりました。

 なかでも,河原者とよばれた人々は,死んだ牛馬から皮をとってなめすことや,井戸掘り・庭園づくりなどを手がけていました。これらは必要な仕事でありながら,死や自然の驚異にかかわったり,特別な技能を発揮したりするためにおそれられ,差別されました。「天下第一」と賞賛された善阿弥をはじめとする,庭園づくりの名手も現れ,活躍しました。

 江戸時代の身分制度

 身分制度 江戸幕府や藩の支配が安定したもう一つの理由は、幕府が、豊臣秀吉の時代の武士と農民を区別する政策をさらに進めて、身分を武士と百姓と町人とする制度をかためたことです。そのため、百姓や町人が武士になることはできなくなりました。この過程で、百姓・町人に組み入れられなかった一部の人々が被差別身分とされました。

 〔コラム〕差別された人々 近世の社会にも、中世と同じように、死をけがれとするなど、人間がはかりしれないことをおそれる傾向が強くあり、それにかかわった人々が差別されました。もっとも、死にかかわっても、僧侶や処刑役に従事した武士などは差別されなかったわけですから、差別が非合理的で、都合よく利用されたものであるといえます。

 差別された人々は、地域によってさまざまに存在していました。このうち、えた・ひにんとよばれた人々などは、江戸時代中期から幕府や藩が出す触などにより、百姓・町人とは別の身分と位置づけられました。これにより差別は、さらに強化されました。

 えたとよばれた人々は、農林漁業を営みながら、死牛馬からの皮革の製造、町や村の警備、草履つくり、竹細工、医薬業、城や寺社の清掃などに従事しました。ひにんとよばれた人々は、町や村の警備、芸能などに従事しました。これらの人々も社会的に必要とされる仕事や役割・文化をになってきたのです。

さしえに「雪駄づくり」(大阪人権博物館蔵)を配置

 2002年版であらわれた「ケガレ」観にもとづく差別の発生という記述は改められていません。政治起源説が否定されるなかで、「ケガレ意識根底論」ともいうべき論がたてられ、一部で広まっています。この考えにもとづいた教科書があらわれたのです。

 この記述が2006年版でもそのまま残っています。この論は、ケガレ観念が差別の根底であるとして、社会的・政治的・経済的にみようとするのではなく、意識のみに着目して、ケガレ意識が根底にあって差別が発生したとするものです。

 この論では、支配者だけでなく一般民衆が差別者であり、今日でもキヨメ塩などの慣習と結びつけて死を忌みきらうなどのケガレ意識は、今なおなくなっておらず、部落差別が根強く存在しているという論に導こうとするものです。たしかに、「キヨメ」役を負わされた人々が存在したことは事実ですが、それが生業であったわけではありませんし、中世賤民の共同体からの排除を「ケガレ意識」だけで説明することはできません。また、中世以降「死穢観念」が広められるなかで、一部の賤民が共同体から排除されたことがあっても、「『天下第一』と賞賛された善阿弥」が「」特別な技能を発揮したりするためにおそれられ,差別されました」というのは無理があります。これでは、いつまでたっても「差別」の克服・解消は不可能です。(参考:井ヶ田良治「部落史学習をどのようにすすめるかー『ケガレ論』批判ー」雑誌『部落』676号2001年6月号を参照)

※ 2006年度用 東京書籍 新編『新しい社会 歴史』

 きびしい身分による差別 百姓・町人とは別にえた身分、ひにん身分などの人々がいました。えた身分は、農業に従事して年貢をおさめましたが,それだけでは生活できず、死んだ牛馬の解体や皮革業,雪駄生産,芸能,雑業などで生活しました。そして,役目として犯罪者の捕縛や牢番など役人の下働きを務めました。ひにん身分も,役人の下働きを務め,雑芸能や雑業などで生活しました。

 これらの身分の人々は,他の身分からきびしく差別され,村の行政や祭礼への参加もこばまれました。また,幕府や藩により,住む場所や職業も制限され、服装をはじめさまざまな束縛を受けました。これらのことは、えた身分,ひにん身分とされた人々への差別意識を強める働きをしました。

 東書も、「さまざまな身分とくらし」の節を「武士と町人」「村と百姓」「きびしい身分による差別」と配列しています。「士農工商」の身分差別の記述は消えましたが、その記述は旧態依然たるものであるだけでなく、いくつかの誤りを含んでいます。「えた身分,ひにん身分などの人々がいました」ではなく、かわた(のちに「えた」)やひにんが幕府や藩によって、身分として把握されたのです。そして、農業だけで生活できないから「死んだ牛馬の処理や皮革業,雪駄生産・・・」に従事したのではなく、斃牛馬の処理は役務であり、以前から従事していた皮革業や雪駄生産などの生業とは区別すべきです。後半部の「住む場所や職業も制限され」たのは、賤民身分の人たちだけではなく、この時代には武士も百姓・町人も制限されていたのです。「服装をはじめさまざまな束縛を受けました」ともありますが、江戸時代初期からこうした束縛があったわけではありません。藩が「触」を出すようになるのは江戸中期以後のことです。「これらのことは,・・・差別意識を強める働きをしました」もあわせて、明確に区別して記述すべきです。

※ 2006年度用 扶桑社『新しい歴史教科書』改訂版

 扶桑社本は、「35 平和で安定した社会」2ページで、「身分制度」「村と百姓」「城下町と町人」の3項目とコラムで「身分制度と百姓・町人」の説明をしています。この配列も不適当です。この節で大切なのは、江戸時代の村や町にはどういう人々がくらしており、まず、その人々の関係がどうだったのかを明らかにすることが順序です。支配者によって、強固な身分制度がしかれ、安定した社会が成立したと認識させたいために、このような記述にしたとしか思えません。そのうちの「身分制度」は、つぎのように記述しています。

 身分制度 秀吉の刀狩は、戦乱をおさえる効果をもたらしたが、江戸幕府はその方針を受けつぎ、武士と百姓・町人を区別する身分制度を定めて、平和で安定した社会をつくり出した。武士は統治をになう身分として名字・帯刀などの名誉をもつとともに、治安を維持する義務を負い、行政事務に従事した。▼ こうした統治の費用を負担し、武士を経済的に養ったのが、生産・加工・流通にかかわる百姓と町人だった、このように、異なる身分のものどうしが依存し合いながら、戦乱のない江戸期の安定した社会を支えていた。ただし、武士と百姓・町人を分ける身分制度は、必ずしも厳格で固定されたものではなかった。このほか、公家や僧侶、神官などの人々がいた。▼ こうした身分とは別に、えた・ひにんとよばれる身分が置かれた。これらの身分の人々は、農業のほかに牛馬の処理、皮革製品や細工物の製造にもっぱら従事し、特定の地域に住むことが決められるなど、きびしい差別を受けた。

 コラム 身分制度と百姓・町人  江戸時代には,「士農工商の4つの身分があった」といわれることがある。しかし,「工」(手工業者)と「商」(商人)のあいだには身分上の区別はなかった。

 「士農工商」は中国の古い書物にあるいい方にすぎず,江戸時代に実際に行われていた身分制度は,武士,百姓,町人の3つの身分を区別するものだった。

 江戸時代の身分制度は,職業による身分の区分であり、血統による身分ではなかったから,その区別はきびしいものではなかった。百姓や町人から武士に取り立てられる者も,反対に武士から町人などになる者もいた。武士の家でも,長男が家をつげば、二男・三男らは農家の養子になることもあった。

 町人は,城下町に住んでいる,武士以外のさまざまな職業の人をさし,百姓は,村に住んでいる人々をさした。したがって,城下町で営業する鍛冶屋は町人である一方,「村の鍛冶屋」は手工業者でも百姓でもあり,漁業や林業に従事する人々も百姓だった。だから,「百姓=農民」では必ずしもなかった。

 扶桑社も、文章がやさしくなり、中学生が読みこなせるものにはなりました。しかし、江戸時代を「平和で安定した社会」と見るのは一方的な見方ですし、えた・ひにんだけが「特定の地域に住むことがきめられ」と、事実に反する間違った記述をしています。また、「武士と百姓・町人を分ける身分制度は、必ずしも厳格で固定されたものではなかった」という記述をしていますが、それは百姓や町人が身分制度を切り崩していく動きを示したからで、幕府や藩がそうしたわけではありません。ですから、身分制度がゆらぎだした江戸中期以後身分制のひきしめがおこなわれ、民衆の間での差別が生じるのです。この点からも誤りです。

 中世賎民が存在し、そのなかの「えた」身分などが、近世社会になって権力によって賤民として把握され、武士と百姓・町人の身分制度が確立したのであって、江戸幕府が農民や町人の不満をそらすために賤民身分をつくったというのは、事実に反することで、目的と結果を混同しています。

(2) 渋染一揆の記述について

 渋染一揆については、扶桑社以外のすべての教科書に記述されています。しかし、江戸時代の身分制度の動揺については、大書以外は記述していません。70年代以降、この時期の記述にはえた・ひにんに対する身分差別の強化が強調されていました。また、封建支配の過酷さが強調され、子どもたちは、「江戸時代=悲惨な時代」との認識を植えつけられることになってしまっていました。90年代後半からは、そういった記述はなくなりましたが、一部には渋染一揆を特別に取り出して、賤民の人権獲得のたたかいを強調するものもあらわれてきました。いずれも不適切だと思います。

 生産と流通の発展によって人々のくらしが向上し、身分をこえた交流も含めて、封建的な身分制度が揺らいできたことをおさえたうえで、幕府や藩の反動的な支配政策に抵抗する百姓一揆や打ちこわしが頻発するようになることを学習します。これに対して、身分制度引き締め策の一環として賤民身分にたいする差別政策の強化が打ち出されてきます。ですから、渋染一揆を取り上げるとしても、江戸時代後期の百姓一揆のひとつとして学ぶこと、倹約令に付け加えられた5カ条が認められないというかわた(えた)身分の要求行動(平等の主張)によって、別段御触書の法令を空文化させたことを教えるべきです。中学校の学習で、差別への怒りや憤りをもたせるとか、立ち上がった人々に共感するなどのねらいはまちがっています。一揆後の逮捕者の処遇や人々の交流のなかで自然となされた「茶店のふるまい水」を「身分をこえた連帯」として強調することも必要ないと思います。そういう視点で新教科書を見てみると、大書の記述は渋染一揆でおさえるべき点を簡潔に記述していますが、清水の記述は大きな問題があると思います。

 大書は身分差別強化と渋染一揆について、107ページと136ページの2ヵ所に分けて書いています。

「幕府政治の改革と農村の変化」の欄外

 豊かになる人びとと身分制のひきしめ 「えた」身分の人々のなかにも、広い田畑を経営する者や、雪駄づくりの仕事を行って豊かになる者も出てきました。村の人口も増え、他地域との交易も広まりました。これに対して幕府や藩は、身分制のひきしめを強め、とくに「えた」や「ひにん」などの身分の人々に対しては、人づきあいや髪型・服装について、きびしく統制しました。その結果、人々のあいだに差別意識がいっそう浸透していきましたが、こうしたなかでも、これらの身分の人々は互いに助け合い、結束して生活を向上させていきました。

 (さしえに「雪駄づくり」〈大阪人権博物館蔵〉の写真)

 そして、「江戸幕府の滅亡」のあとの「歴史を掘り下げる」で、「幕府や藩の支配をゆるがした人々」の題で、大阪の国訴、渋染一揆、高杉晋作、久下玄瑞、坂本龍馬を取り上げています。そのなかの渋染一揆の部分は以下のように書いています。

渋染一揆の嘆願書

 わたくしどもは「えた」とはいえ、一般の百姓と同じように田畑を耕して、年貢もきちんと納めています。それなのに、衣服まで差別されては、農業にはげむ気持ちさえなくしてしまいます。わたくしどもは、一般の百姓たちがすててしまった荒れ地までも耕し、女どももぞうりづくりなどの内職にはげみ、少しでも年貢を多く納めるようつとめてきました。紋付の着物を着てはいけないといわれますが、わたくしどもは、新しい着物ではなく、安い古着を買って使っているから紋がついているのです。それなのに、なぜこのようなきびしい倹約令を出されたのでしょうか。ほんとうになげかわしく思います。(一部要約)

 差別の撤回を求めた人々

 1855年,岡山藩は,財政難を解決しようとして倹約令を出しました。とりわけ,「えた」身分の人々に対しては,「新しくつくる衣類は木綿で,しかも無紋・渋染・藍染のものに限る」など,きびしい風俗差別の命令になっていました。そのため,53か村の「えた」身分の人々が団結して反対し,翌年,嘆願書を出しました。しかし,嘆願書が差しもどされたため,20か村あまりから1500人以上の人々が集まって一揆を起こし,3日にわたる交渉の末,藩に嘆願書を受け取らせました。藩は,その後,これらの人々に対する風俗の規制を実施することができなくなりました。

 このように,19世紀の半ばごろから,社会の枠組みをこえて,自由な経済活動や平等な社会を求める動きが盛んになりました。

 清水は、「幕府政治のゆきづまり」に、欄外のカコミで、つぎのように記述しています。

 渋染一揆

 幕府の支配力が弱まってくると,身分差別が強められました。岡山藩では,農民に倹約令を出し,それを徹底させるために「えた」身分とされた人びとに対し,藍染めや柿渋で染めたもの以外の衣類を着ることを禁じました。

 人権をまったく無視した条文に対して藩内50あまりの「えた」身分の人びとが何度も話しあって嘆願書をまとめ上げましたが,期待に反して嘆願書は差し戻されました。話しあいを重ねるなか,ようやく嘆願書を受けとらせることができましたが,この行動は法度を犯すもので,藩の取り調べの結果,12人が入牢となり,そのうち6人も獄死しました。その後,牢内外の「えた」身分の人びとの嘆願運動により,6人は2年後に釈放されました。これは封建制度の時代にあって他に例を見ない人権獲得のたたかいであり,この人間としての尊厳を守りぬいたたたかいの精神は,いまも部落解放運動のなかに生きつづけています。

 清水は、岡山藩の倹約令の全体について触れていませんから、えた身分のものだけに倹約を強いたようにも読めます。そして、えた身分に対する倹約令を空文化させたことは書いていません。それなのに、きびしい刑罰について書き、この一揆を「他に例を見ない人権獲得のたたかいであり,この人間としての尊厳を守りぬいたたたかいの精神は,いまも部落解放運動のなかに生きつづけています」と最大級のほめ言葉でしめくくっています。渋染一揆のとらえ方の問題といい、その扱い方には大きな問題があります。

5.近現代の部落問題記述について

 部落問題は、近代日本の大日本帝国憲法体制の確立とともに成立し、戦後の社会に残存した社会問題です。天皇制絶対主義体制を支える縦系列の支配体制の一貫として、身分差別も温存されたのです。被差別部落民は、賤称廃止令を積極的に受けとめ水利権や入会権、祭礼参加などを実現し、部落改善運動から部落解放運動へと自覚的にたたかいを発展させました。そして、日本国憲法体制のもとで、労働者や農民と結合したたたかいによって部落差別を克服・解消させることができたのです。

 中学校の歴史学習で、とくに限られた時間のもとで、これらのことをすべて学ばせるのには無理があります。しかも、さきにも述べましたように、部落問題は複雑な社会問題で、中学生の学習課題としては無理があります。教科書に記述するとしても、その時々の社会問題と関連づけて、かんたんに触れる程度であるべきです。そして、なによりも大事なことは、長年の運動によって部落差別が克服・解消されたことを認識させることです。その観点から見ると、新教科書の記述内容にはまだまだ問題のある記述が残っています。

(1) 明治政府の身分制度改革について

 明治政府は、天皇を神格化し、1869年の身分制度の改革で、天皇の一族を皇族、公家と大名を華族、武士を士族、百姓と町人を平民としたことをまずおさえます。そして、1871年の賤称廃止令によって、「えた」「ひにん」の呼称と身分・職業・居住地の制限をなくし、平民同様としたことに触れます。さらに、この布告をよりどころにして、旧賤民の人びとが用水権や入会権、祭礼への参加や対等な交際を求める運動をすすめたことを学ぶべきです。不徹底な身分制度改革によって、旧賤民に対する差別がいっそう強まったというとらえ方はまちがっています。

 明治政府の改革では、どの教科書も身分制度改革について触れています。しかし、天皇・皇族・華族や平民について書いているのは、東書、大書、日文の3社で、他社のものは天皇・皇族について記述していません。

 扶桑社と清水の記述には大きな問題があります。

 扶桑社は、明治政府の政策を肯定する立場で、華士族平民だけでなく、旧賤民も平等な権利を保障されたかのように書きながら、旧賤民にたいする「社会的差別は、そののちも長く消えず,さまざまな形で残った」と、天皇制政府は善政をおこなったが、国民が差別を強化したととらえさせようと、具体性のない、差別を強調する問題の多い記述をしています。

四民平等の社会へ

 いっぽう政府は,四民平等をかかげ,人々を平等な権利と義務をもった国民にまとめあげていった。まず,従来の身分制度を廃止し,藩主と公家を華族,武士を士族,百姓や町人を平民とした。そして,平民も名字をつけることを許し,すべての人の職業選択,結婚,居住,旅行の自由を保障した。さらに, 1871年には解放令が出され,えた・ひにんとよばれた人々も平民となり,同等な地位を獲得したが,これらの人々への社会的差別は,そののちも長く消えず,さまざまな形で残った。

 清水は、「身分制度の廃止」を2ページで扱い、「四民平等」「徴兵令」「家禄の廃止と廃刀令」「残された差別」の4項目の記述をしています。天皇・皇族についての記述がないだけでなく、「四民平等」で「江戸時代に『えた』『ひにん』とされていた人びとを身分解放令によって平民とした」と書きながら、「残された差別」で、つぎのように書いています。

 残された差別 こうした一連の改革は、それまでの支配身分の特権をおおはばにけずり、廃藩とともに、社会のありかたを大きくかえるきっかけとなった。ただし、完全に平等な社会ができたわけではない。華族は国家の手厚い保護を受けつづけた。いっぽう、幕藩体制のなかでつくられてきた身分差別の観念は,身分制度の廃止後も人びとのあいだに根強く残った。とくにそれまで,『えた』『ひにん』とされていた人びとは,新しい職業についたり、住所を移したり,教育を受けたりする自由を,江戸時代とかわらず強く制限され差別されつづけた①。政府による公的な経済援助などがなかったこともあり,この差別問題は,いまも同和問題として残され,その解決の取り組みがつづけられている。

 (側注)① 差別されてきた「えた」身分(被差別部落)の人びとの生活をそれまで支えてきたしごとでも,その利益に着目した実業家などによってそのしごとがうばわれた。それに徴兵などの義務もくわわり,より生活に苦しむようになった。また,一部の農民のなかには,これらの人びとが自分たちとおなじ身分になったことで不利益をこうもると考え解放令反対一揆をおこす地域さえあった。

 上の文は、天皇と皇族について書いていないだけではなく、「身分差別の観念は,身分制度の廃止後も人びとのあいだに根強く残った」と、近代における部落差別を「観念」によるものとし、明治の身分制度改革の記述にあわせて戦後のことまで書き、「いまも同和問題として残され,その解決の取り組みがつづけられている」と問題のある記述です。それだけでなく、特殊な事例として、他社の教科書が書いていない「解放令反対一揆」についてまで言及しています。明らかな特殊化・肥大化です。

 それに対して、東書と大書は、皇族について書き、「解放令」をよりどころにした旧賤民の人々の動きについても書いています。

 大書の記述をつぎに掲げます。

江戸時代の身分制の廃止

 新政府は、江戸時代の身分制を改め、天皇の一族を皇族,公家と大名を華族,武士を士族,百姓と町人を平民としました。1871年には,「えた」や「ひにん」などの身分についても,これを廃止するという布告(「解放令])を出しました。また政府は,身分による結婚・職業・居住地の制限を廃止し,すべての国民は,名字(姓)を名のることができるようになりました。こうした政策を四民平等といいます。四民平等は,民衆の願いにこたえるものであるとともに,政府にとっても,納税や兵役などで,すべての国民の協力を得るために必要なことでした。

 しかし,もとの「えた」や「ひにん」などの身分の人々(4)に対しては,職業・結婚・居住地などでの差別も根強く残されました。そこで,「解放令」をよりどころに,山林や用水の利用,寄合や祭礼への参加,対等な交際の要求など,差別からの解放を求める動きが各地で起こりはじめました。

 (側注)(4)こうした身分の人々は,生活改善の施策も受けられず,これまでもっていた職業上の権利を失ったうえに,他の人々と同様兵役や教育費の負担を加えられていました。

 大書の記述も、百姓や町人も生活改善の施策が受けられなかったことについては触れていませんし、「職業・結婚・居住地などでの差別も根強く残されました」と協調していることなど問題は残っていますが、よりましな記述だと思います。

(2) 全国水平社について

 全国水平社の結成についても、全八社とも記述しています。ここで重要なことは、第一に、水平社の結成や水平運動を特別に強調して扱わないことです。第二は、民主主義的意識の高まり、社会主義思想も広まるなかで、全国的な労働組合や農民組合が結成され、小作争議や労働争議がおこされたこと、婦人解放運動が展開されたこと、日本共産党が創立されたことなどと結びつけて全国水平社を扱うことです。第三に、これらの運動が生活のなかに民主主義を実現しようとしたものであったことを位置づけることだと思います。

 全国水平社の結成については、各社とも、1920年代の社会運動の項で扱っていますが、ここでも、配列や記述内容、図版に問題があります。帝国は、「民衆が選ぶ政党による政治」で、「護憲運動」「政党政治と男子普通選挙」「女性参政権を求めて」「治安維持法の成立」のあとに、「都市の発展と社会運動」の節を設けて、「都市の発展と環境問題」「さかんになる社会運動」「解放を求めて立ち上がる人々」という構成で、全国水平社を扱っています。しかも、全国水平社の名前は出しても、日本労働総同盟や日本農民組合、日本共産党の創立は書いていません。男子普通選挙や治安維持法を学習したあとで、労働争議や小作争議、水平社の運動を学ぶのでは混乱してしまいます。

 本文に、日本共産党の結成を書いているのは、東書、日文、日書の三社で、大書、清水は側注にしか書いていません。扶桑社は、「第二次世界大戦の時代」の最初の節の「共産主義とファシズムの台頭」の側注に「コミンテルン日本支部としてひそかに創立された」と書いています。東書の「広がる社会運動」の記述は、先に述べた各界各層の社会運動が組織的に展開されたことを記述していますが、具体性に欠けます。それなのに、「水平社宣言」(部分)、「全国水平社創立大会のビラ」、「全国水平社青年同盟の演説会で、差別とのたたかいをうったえる山田少年」の三枚もの図版を配置しています。あきらかに肥大化・特殊化といわねばなりません。

(3) 戦後の部落解放運動と現代の課題

 戦後の部落問題について詳しく学習することは中学の歴史学習の課題ではありません。日本国憲法を暮らしにいかす運動の展開によって、同和対策のための特別法を制定させ、部落の環境改善が実現し、市民的交流もすすみ、部落内外を分け隔てていた障壁も取り除かれていきました。そうしたなかで、いまでは部落差別が克服・解消の段階にまで到達したのです。このことは、公民の平等権の学習で、具体的に学ぶにしても難しい問題です。ですから、戦後の社会運動の高まりを学習する際に、部落解放運動が再建されたことについて触れることはあっても、詳しく記述する必要はないと思います。

 戦後の部落解放運動と現代の課題の記述は、大きな違いがでました。帝国と扶桑社は戦後の部落解放運動について書いていません。現代の課題で部落問題について触れていないのが扶桑社と日書です。

 大書の「また、全国水平社の伝統を受けついで,部落解放全国委員会がつくられました」は他の運動の記述との関係でバランスを欠いたものだと思います。

 現代の課題で、扶桑社と日書は記述していませんが、他社はつぎのように記述しています。どの社も、「解決しなければならない課題」として、現代の状況を正しく反映した記述にはなっていません。それだけではなく、教出や清水の記述は「意識の問題」として取り上げるという問題を含んでいます。

 東書「部落差別の撤廃は,国や地方公共団体の責務であり、国民的な課題です。」(側注あり)

 大書「国内にも解決しなければならない問題があります。市民と自治の連帯を強め,部落差別,障害者や女性,在日外国人,アイヌの人々などへの偏見をなくし,あらゆる人々に公正で人権を尊重する社会を築くことが,21世紀を生きる私たちに求められています。」(側注あり)

 教出「人類は,長い歴史を通して,差別をなくし,人権と民主主義の確立を求めてきました。しかし、日本にはまだ差別や偏見が残っており,部落差別の撤廃は,国や地方自治体の責務であるとともに,国民の課題です。」

 日文「部落差別をはじめ、アイヌ民族や在日韓国・朝鮮人に対する差別,あるいは,障害者,男女差別の問題もなくなっていない。」

 清水「しかし,人権をたてまえではなく、実質的に保障するためには多くの課題が残されている。近年,物質的に豊かな社会にあって他人の痛みや権利をかえりみない風潮もある。同和問題の解決は,国および地方公共団体の責務であり,国民的課題として,長い間の部落解放運動の発展を基礎としながら, 1965年の同和対策審議会答申を受け,生活改善のための法律が制定されてきた。しかし,いまだ差別はなくなっていない。部落差別は,結婚や就職の機会均等などの市民的権利が保障されていないことにある。この日本固有の人権問題である部落差別解消の取り組みを礎として,実生活に残る性差別をなくすとともに,心身障害者や高齢者,在日外国人などの人びとが豊かで安心してくらせるための具体的な施策が求められている。とくに在日韓国・朝鮮の人びとについては,これまでの歴史の正しい認識をふまえて,差別や偏見をなくすことが必要である。アイヌの人々については,新たにアイヌ文化振興法が制定されたが,偏見をなくし,少数民族固有の伝統を守ることが重要である。」

 帝国「その一方で,日本国内にも解決すべき問題が多くあります。部落差別、アイヌの人々や在日コリアンへの差別,男女共同参画社会の実現などは、基本的人権にかかわる重大な問題です。」

6.中学校公民教科書の記述について

 中学校社会科公民的分野の教科書での部落問題の扱いも大きな問題があります。現に、同和対策(地域改善)の特別法が廃止され、部落問題が克服・解消された段階であるにもかかわらず、各社とも、40年前の「同和対策審議会答申」そのままの文章を残しています。公民教科書では、この部落問題記記述をなくすことが当面の課題だと思っています。

 中学校の公民の学習で、部落問題を取り上げるかどうかについても、十分検討する必要があります。私は、江戸時代の身分制度のなりたちから現代の部落問題解決の状況までを、概説するようなことはすべきではないと考えます。もし、取り上げるにしても、国民の運動によって、環境改善などの部落対策がすすみ、部落内外の交流の進展で、部落差別を許さない社会が築かれたことを学ばせるべきだと考えます。私は、和歌山県白浜町の同和教育読本を参考にしながら、「獅子舞ができるようになった」の資料を作成しましたし、就職差別や結婚差別がどのように克服されてきたかを具体的に学ばせることが大切だといってきました。日本国憲法の平等権学習で、子どもたちにとっての身近な問題は、性差別であったり、民族差別、障害者差別ではないでしょうか。教科書には、そうした問題をどのように解決してきているか、今後どういう問題を解決していかなくてはならないかを記述すべきだと思います。歴史教育者協議会や全国民主主義教育研究会の会員の実践でも、憲法第14条に示された平等権を実現してきた事実を学ぶことによって、憲法を暮らしにいかすことが可能になっていることを教えています。その点で、各社の記述を見てみると、どの社のものも問題の多い記述となっています。

 東書は「人権と共生社会」で、読み物資料をあわせて6ページの扱いです。下の本文にあわせて、側注に「部落差別をなくそう」のポスター、次ページに「読み物資料」として「義足の三塁手と義肢装具士」「友達が教えてくれたこと」(在日コリアンの作文)「アメラジアン」と、「差別をのりこえてー詩 お姉さんへ」で、結婚差別を克服していった姉のことを書いた中学生の詩をのせています。部落問題にかかわっての本文は、つぎのように記述しています。

 差別をなくすために 今日の社会でも,日本社会に固有の部落差別,アイヌ民族差別,在日韓国・朝鮮人への差別が根強く残っています。これらの差別は,根本的には人間の尊厳の原理に反するものです。このような理由のない不当な差別は,一日も早くなくさなければなりません。

 部落差別からの解放 歴史で学習してきたように、江戸時代のえた,ひにんという差別された身分は、明治になって法律で廃止されました。しかし明治政府は,差別解消のための政策をほとんど行わず,その後も、就職,教育,結婚などで差別は続いてきました。

 1965年の同和対策審議会の答申は,部落差別をなくすことが国の責務であり、国民の課題であると宣言しました。そして,対象地域の人たちの生活の改善が推進されてきました。また, 1997年からは、同和対策事業をさらに進めて,人権擁護の総合的な施策が行われています。人権教育などを通じて、差別のない社会が求められています。

 いまだに、部落差別を民族差別と同等に扱い、国の政策を列挙しています。これでは、部落問題が克服・解消の段階に達したことはわかりません。

 大書は、「等しく生きる権利(1)」で、「平等権とは、男女共同参画社会をめざして、障害者とともに生きる社会」について書き、「等しく生きる権利(2)」で、「部落差別をなくすために」「アイヌ民族への差別」「在日韓国・朝鮮人差別」について記述しています。  最初に、下の文章の上に、北九州市の高校1年生が書いた詩(「なぜ、なぜ、なぜ」)が掲げられています。その詩では、「なぜ私たちだけが差別されるのか 就職,結婚,いろいろなことに なぜ私たちだけが 苦しみ,傷つかねばならないのか」とあり、差別を固定的に見ています。そして見開き2ページには、「昔から伝わるアイヌ民族の祭り」(写真)、「全国高校ラグビー大会に初出場した大阪朝鮮高校」(写真)、「国立大学の受験資格が広がることを報じる新聞」(コピー)をのせています。

 部落差別をなくすために 部落差別とは,職業選択の自由や結婚の自由などの権利や自由が,被差別部落の出身者に対して完全に保障されていないことをさします。

 1922年に全国水平社が創設されて以来,被差別部落の人々を中心とする差別からの解放を求める運動がねばり強く進められてきました。その結果、政府の同和対策審議会は, 1965年,同和問題が人間の尊厳にかかわる問題であり,緊急な解決が国の責務であり,国民の課題であるという答申を出しました。この答申に基づき,同和対策事業特別措置法など(1)が制定され,対象地域の生活環境はかなり改善されてきましたが,就職や結婚などで差別がみられます。いっぽう,差別を許さない運動や,学校や社会において差別をなくす教育が進められて,差別に立ち向かう人々も増えています。

 (側注)(1)1982年に地域改善対策特別措置法が制定されるなど,さまざまな施策を経て,1996年には,人権擁護施策推進法が制定されています。

 「差別を許さない運動や,学校や社会において差別をなくす教育が進められて,差別に立ち向かう人々も増えています」と、他社にはない文章でしめくくっていますが、前半部分は同対審答申と特別措置法の説明であり、「就職や結婚などで差別がみられます」と問題のある記述をしています。

 扶桑社は、「29 基本的人権2〈平等権・社会権〉」の「法の下の平等」(1ページ)と「32 私たちの社会に潜む差別」(2ページ)の「社会に残る差別」の部分で扱っています。「社会に残る差別」は、【部落差別】【男女平等】【外国人】【障害者】からなっており、コラムで「『外国人』お断りの店」、「男女の賃金格差」のグラフ、「アイヌの人々」の写真、「DVの新聞記事」を配し、本文ではつぎのように書いています。

 法の下の平等 人間は顔や体格はもちろん,その能力も性格も千差万別である。しかし法はそのようなちがいをこえ,すべての国民に等しく適用されなくてはな らない。▼ 憲法は「すべて国民は、法の下に平等」(14条)であり,人種や性別,社会的身分などによって差別されてはならないと定めている。それは「すべて国民は,個人として尊重される」(13条)という憲法の精神に沿ったものでもある。▼ さらに憲法は,華族などの貴族の制度を否定するとともに,勲章などもあくまで個人の功績を認めるものであり,家柄などにつながるものではないとしている (14条)。▼ しかし,平等権は社会を秩序づけている役割分担や,個人の立場までなくそう としているのではない。▼ また,行き過ぎた平等意識はかえって社会を混乱させ,個性をうばってしまう結果になることもある。憲法が保障しているのは,絶対的な平等ではなく,不合理な差別は許されないということである。

 【部落差別】憲法が禁止する家柄や血筋による差別のひとつに部落差別がある。1965 (昭和40)年には同和対策審議会答申が出され, 1969年には同和対策事業特別措置法が制定された。これらにより同和地区に住む人々の生活はしだいに改善されてきた。また全国の学校や職場の多くでも人権・同和教育が進められてきた。しかし,今日でも結婚などに際して偏見に苫しめられたり,心ない落書きがあるなど,完全には解消されていない。

 社会に残る差別 これまで見てきたように基本的人権の考えに基づいた法や制度により,多くの差別や偏見が取り除かれてきた。しかし,国内には今なおあちこちに不平等なあつかいや不合理な差別に苫しむ人々かおり,その解決は国民的な課題となっている。

 まず、平等権と社会権を2ページで並べて扱うことが問題です。平等権というのは、自由権と社会権の両方にかかわるのに、そういう基本的なふまえないで、並列していることが問題です。しかも、華族制度の廃止以外具体的なことは何も書いてありません。それだけでなく、「社会秩序」の大切さを書き、「行き過ぎた平等意識はかえって社会を混乱させ,個性をうばってしまう結果になることもある」と、平等権の実現を求める動きを抑えにかかっています。これでは、人権学習は成り立ちません。

 もうひとつ、「アイヌの人々」の題で写真を掲げていますが、この写真については、旭川チカップニ・アイヌ民族文化保存会と同会会長の北川シンリツ・エオリパック・アイヌさんらが、「断りもなく本人と特定できる写真を無断で載せることは許せない。差別の項目に掲載するのはアイヌ民族を侮辱し差別する行為だ。」「行事は、実行委員会の要請で行われたもので、アイヌの伝統的なまつりではない」と、扶桑社に抗議と訂正要求をしました。ところが採択終了後も話し合いに応ぜず、ようやく12月になってからの協議で、写真の差し替えと謝罪文の掲示をおこなうという問題もありました。

 日書は、「平等なあつかいを受ける権利」で、「法の下の平等」「ほんとうの平等を求めて」の文と、写真と資料で絵画「フランス革命前の社会」、「女権宣言」について説明し、フィンランドの男女平等法、ノルウェーの「男女平等の本」の表紙を掲げています。さらに、「差別をなくしていく努力」で欄外に、「部落差別をなくしていくために」のコラムを掲げ、「現代社会と差別」「女性差別」「障害者差別」「まだある差別」の記述をしています。 

●部落差別をなくしていくために

 話は少し古くなりますが, 1975年に,全国の同和地区の所在地をのせた『部落地名総監』という差別図書が会社に出回り,入社の採用選考に利用されていることが発覚し,大きな社会問題となりました。

 大阪府では,この『部落地名総監』の売買を契機にして,部落差別につながる悪質な調査などをなくし,同和問題を解決するために, 1985年から「大阪府部落差別事象に係わる調査等の規制等に関する条例」を施行しています。この条例は,同和地区出身という理由で,結婚差別をしたり就職差別をしたりすることを防ぐためにつくられたものです。

 しかし,条例がすべてではありません。わたしたち一人ひとりが,あらゆる差別を「しない、させない,許さない」という人権意識を築きあげていく不断の努力をしていくことが,だいじなことです。

 本文はつぎのように書いています。

 まだある差別 法の下の平等にもかかわらずなお残っている差別も少なくない。日本で長く生活している韓国人,朝鮮人,中国人など定住外国人への差別はその一例である。彼らのなかには,かつて日本が植民地とした朝鮮,台湾から強制連行などで移住させられた人々の子孫もいて,日本で生活を続けているが,就職などで依然として差別を受けている。また,定住外国人には,選挙権をあたえられていないとか公務員になれないなどの制限もある(1)。こうした差別をなくし,制限についてもその実態を検討していく必要がある。

 部落差別 江戸幕府の身分政策でかためられた部落差別は,明治以後になっても残った。1922年の水平社結成以来,部落解放運動によって差別撤廃の運動が進められてきた。戦後は1965年に「同和対策審議会答申」が出され,69年には同和対策事業特別措置法」が制定された(2)。これによって、国や地方自治体の責任で被差別部落の環境改善がかなり進められてきたが,部落への偏見は,結婚や就職の際に依然として残っている。

 ◎話しあってみよう 差別したこと,されたことを,思い出して話しあってみよう。

 (側注)(1)最高裁判所は,日本に永住している外国人の選挙権については,地方自治体の選挙権では肯定的な見解をとり,国政選挙については否定的な見解を示している。

     (2)2003年をもって,この法律は失効し,国としての特別対策は終了した。

 カコミの「部落差別をなくしていくために」でとりあげている、大阪府のいわゆる「興信所条例」=「大阪府部落差別事象に係わる調査等の規制等に関する条例」は、「差別」の認定者、規制対象、解決方法などの点で問題が多く、条例反対運動があったものですし、制定後も差別克服に役立っているものとはいえない条例です。それなのに、内容についての批判抜きにこのように肯定的に扱うのは問題です。また、「部落への偏見は,結婚や就職の際に依然として残っている」という事実に反する記述をしています。

 以上、歴史と公民の身分制と部落問題の記述について詳しくみてきましたが、まだまだ問題の多い記述ばかりといっても過言ではありません。子どもたちに、身分制と部落問題についての正しい認識をもたせるためにも、いっそうの教科書批判が必要だと考えます。

(教科書本文・側注の○数字はJIS外字ですのでホームページ掲載にあたっては(数字)に変えています。)

社会認識の形成

どの子も伸びる研究会 めざすもの

1997年2月 月刊誌「どの子も伸びる」掲載

社会認識の形成

 社会科は、戦前の教育が非科学的な歴史をもとに人間の尊厳や人格を否定し、侵略戦争を遂行するための人づくりであったことに対する厳しい反省のもとに発足しました。そして、子どもたちに自分が生きている社会を見つめ、考えさせながら、主権者国民として育っていくために必要な科学的な社会認識を育てることを中心課題としてきました。

 子どもたちが人間の労働やくらしを見つめ、生産や文化について歴史的・社会的に学ぶことは、先人たちが生活や労働の権利を拡大しながら、生産を高め、くらしを豊かにし、平和を愛し、社会を発展させてきたことを知ることであり、子どもたちの身近にいる父母や地域の人々がそれをしっかりと受け継いでいるのだという事実に触れるこ とです。

 子どもたちは、この学習の過程で、自分のものの見方、考え方を育て、価値あるものは何なのかを判断できる力を培っていきます。そして、価値あるものを引き継ぐ主体が自分であることが自覚化されていくとき、人権認識が形成されていきます。

 日本の教職員は、子どもたちに社会のさまざまな事実を学ばせ、科学的な社会認識を形成していくことが「主権者としての国民」を育てていく基礎になると考え、実践を積み重ねてきました。

 私たちは、科学的な社会認識を子どもたちの発達に即して、系統的に育てるために、次の実践上の課題を重視したとりくみをすすめます。

① くらしの現実を重視するとりくみ

 社会科のこれまでのとりくみの中でもっとも大事にされてきたのは「本当のことを、くらしと結んで・どの子にもわかるように」ということでした。「くらしの現実」から親や家族の労働のきびしさを把握し、その中で「願いや要求」を学び合い、社会認識の基礎を育ててきました。現在、子どもたちは自然とのかかわりや家事労働を含めた 生産労働の体験が乏しく、親の労働を具体的に把握しにくくなっています。それだけに、生活綴方と結んでくらしの事実をとらえ、社会認識を育てる実践を大切にします。

② 地域に根ざした学習を重視するとりくみ

 地域には人々の生活があり、文化があり、歴史があります・したがって、「地域の学習は、単に小学校中学生の学習課題とするのではなく、全学年の学習の中に地域の教材を生かして実践することが大切です。他の地域との比較やさまざまな例証を地域に求める実践を大切にし、学年に応じて地域の変化・発展を事実に即して学習することを大事にしていきます。

③ 歴史学習を重視するとりくみ

 人びとは労働と生産の中で、自分たちのくらしと社会を発展させてきました。その社会の発展法則を歴史的事象・事実、それぞれの時代・地域の生活などから、働く人々の姿を可能なかぎりリアルに学習させることが歴史学習のねらいです。働く人々の姿を歴史的につかませることは人間としてどのように生きてきたかの事実を知ることです。そのことは、未来に生きる人間の指標や励ましになります。

 とくに、小学校では歴史事象の変化や時代ごとのおおまかなイメージをつかませることに重点をおき、中学校では、社会の発展の原因.過程.結果に重点をおいた歴史学習を展開します。

④ 憲法学習を重視するとりくみ

 日本国憲法は二度にわたる世界大戦と平和を愛する世界の人びとの願いのもとにつくられ、人類の多年にわたる努力のたまものとして日本国民に与えられたものです。そこにはあるべき人間の生き方がしめされており、なかでも平和主義的・民主主義的条項は世界に誇り得るものであることを学び、毎日のくらしの中にいかしていく学習を大切にします。この学習の過程で、戦争をはじめとする非人間的・非人道的な事実に対し、正しく判断し行動できる人格が形成されます。

⑤ 社会認識を形成する授業のとりくみ

 子どもたちが日常的に受け入れる社会事象のほとんどはテレビやマスメディアによる情報であり、事象に対する見方、考え方も一方的になり固定化される状況です。教科書はカラフルになっていますが、科学的な認識を育てる内容になっていません。また、歴史の潮流に逆行し、進歩をはばもうとする歴史の記述もあります。その上、低学年社会科を廃止して生活科が設置され、中学校では「選択社会科」が導入され、社会科の時間を削減し新設された「総合的な学習の時間」では現在社会の課題である四領域の学習がすすめられ、科学的な社会認識を育てる教科としての社会科が危うくなっています。こうした実態をしっかりふまえて、授業の内容と方法を工夫し、科学的な社会認識、歴史認識を形成する授業のあり方を追究していきます。