(タイトル)2025年度使用 中学校社会科教科書(歴史・公民)の身分制・部落問題記述の問題点と課題
2025年度から使用される中学校社会科の歴史的分野・公民的分野の教科書の身分制・部落問題記述について検討します。大きな課題が残っています。
中学校社会科の歴史的分野・公民的分野で検定合格したのは歴史で9社、公民で6社です。発行会社名は左記()内の文部科学省「教科書目録」掲載の略称を使用します。
東京書籍(東書)、教育出版社(教出)、帝国書院(帝国)、山川出版社(山川)、日本文教出版社(日文)、自由社(自由社)、育鵬社(育鵬社)、学び舎(学び舎)、令和書籍(令書)(※ 山川、学び舎、令書は歴史的分野のみ 令書は再提出により、初めて検定合格とされました。)
第1部 公民教科書
1.新たな差別を生む教育啓発
2020年6月に法務省人権擁護局から『部落差別の実態に係る調査結果報告書』が出されました。「旧同和地区出身者」を前提にしていて大きな問題です。それでも、教育・啓発が新たな差別を生むものとなっていることがわかります。
① 「部落差別(同和問題)を知ったきっかけ」は、「学校の授業で教わった」が最多の44%、 20代以下は70%以上。(報告書 p.117)
② 「部落差別はいまだにある」と答えた人の大部分は、実体験以外でそのような認識を得ている。(同 p.155)
③ 概して、啓発を受けた経験があると答えた人が、啓発を受けた経験がないと答えた人に比して、「気になる」の割合が相対的に高い。(同 p.157)
2.教科書では展望が見えない
(1) 部落問題とは何かが教科書ではわからない
「部落差別は被差別部落出身者に対する差別」(東書、教出)など各社とも「被差別部落出身者」という言葉を使って説明しています(帝国、日文、育鵬社)。しかし同義語反復です。「被差別部落」とは何か書いていません。資料として同和対策審議会(同対審)答申をあげていますが、答申には「同和地区」とあり「被差別部落」はありません。自由社、育鵬社は「部落差別」の説明がありません。
(2)「被差別部落」を実在と誤解させる
「被差別部落出身者」と書くことは、「被差別部落」を実在と誤解させます。執筆者は、おそらく実在していると思っているのでしょう。生徒から「被差別部落」はどこですかと聞かれたら、どう答えるのでしょうか。「『先生が知ってるから、先生と一緒に行ってみるか。友達にも声かけて一緒にいこか』というのでよいではないか」という人がいます。(1)
民主主義と人権を守る府民連合(民権連)(2)は大阪府教育委員会に「生徒から被差別部落はどこですかと聞かれたら、先生はどう答えるのか」と質問、府教委の担当者は「それは昔のことで、今は被差別部落なんてないよといいます」と答えました。当然のことです。
注 (1) 森実『学び!と人権 <Vol.08>』2022年1月5日 日本文教出版のホームページ掲載のWebマガジン
森氏は日文の歴史、公民教科書の著作者に名を連ねている。
注(2) 民権連は全国人権連加盟の大阪の組織。2022年に終結。『民権連通信』号外2015年2月
(3) 同対審答申は60年前の話
すべての教科書が同対審答申を紹介していますが答申にもとづいた特別対策は終了しています。答申は60年以上前の状況をもとにした文書です。今日の地域はまったく様相を異にしており、それを現代社会の課題として示すことは大きな誤りです。
(4)「被差別部落出身者」とは誰か、説明できない。
教科書は「被差別部落出身者」といいますが、そもそも誰がそれに該当するのか、定義がありません。いえ、定義できないのです。
大阪府教育センターが作成した冊子(1)では「誰が『同和地区の人』なのか、誰も説明できないのです」と書いており、民権連との交渉で府教委の考えだと説明しました。ある意味正直です。
注(1) 『安全で安心な学校づくり人権教育 COMPASS4』96頁 大阪府教育センター 2014年 (『民権連通信』号外2015年2月)
(5) 差別の解消を全く書かず展望示さず
東書は「部落差別は被差別部落出身者に対する差別のことで、この問題は同和問題ともいいます」と書いたあと、「江戸時代に差別されていた、えた身分、ひにん身分」が明治時代に廃止されても「就職や教育、結婚などの面で差別は続き」、水平社結成、同和対策審議会答申、同和対策事業を説明した後「しかし今もなお差別は解消されておらず(略)部落差別解消推進法が制定されました」と続けます。帝国、教出、日文も似たようなものです。
今は、先祖がだれであったか、どこに住んでいるかなどで差別する人はいません。心得違いの人はいますが、社会では通用しません。そういう社会になっていることを書いていません。
日文だけは江戸時代のことを書いていません。日文は歴史教科書で、「明治以後のこの問題を部落差別とよんでいます」と注記しています(p.177)。そのとおりでしょう。公民教科書も明治以後しか書いていません。
(6) 差別を乗り越えた話を暗い話にすりかえ
帝国のコラムは、差別を克服し祝福されて結婚した手記の、はじめの反対された部分のみ引用し暗い話として描いています。手記原典のタイトルは「山を動かした寛子さん」。「山を動かした」話こそ学びたいところです。
(7) 育鵬社の異様なコラム
育鵬社はコラムで西光万吉が「高天原を理想とした」と書いて、「西光万吉の理想とする社会は現在、実現したのでしょうか。」と課題にし、神話に導きます。
(8) 教える→意識する 悪魔のサイクル
内閣府の「人権擁護に関する世論調査」にもとづくグラフを教出、日文が掲載しています。
「部落差別・同和問題に関し、体験したことや、身の回りで見聞きしたこと」で「交際や結婚を反対されること」は40.4%。実は「見聞きした」は「学校の授業で教わった」ということで、教えた結果がこのグラフです。そしてこのグラフを教科書に掲載し、授業で教えます。新たな差別はこうして作られます。悪魔のサイクルです。
第2部 歴史教科書 依然として特殊化・肥大化がはげしい
中学生に賤民を詳しく教える必要はない
1974年の中学校歴史教科書に江戸時代の賎民について記述され、その後の改訂で詳しくなりました。そんなことは必要ないのです。大事なことは武士と百姓、町人の身分の別とそれによって暮らしがどうだったのかがわかればよいのではないでしょうか。
近現代の賎称廃止令(いわゆる「解放令」)、全国水平社の結成についても、中学生に教える必要があるとは思いません。現代の課題で同対審答申を引用し、いまだに部落差別が残存しているかのように書くのは誤りです。
部落差別解消推進法を理由に「部落差別は存在する」という主張があります。しかし法には「部落差別」の定義はなく、部落差別があることを子どもたちに教え続けよとは書いていません。法の参議院附帯決議は「教育及び啓発により新たな差別を生むことがないように留意しつつ、それが真に部落差別の解消に資するものとなるよう、その内容、手法等に配慮すること」と指摘しています。部落差別が今もあると描き、部落問題を特殊化・肥大化した教科書は「新たな差別を生む」ものです。
1.室町時代の「河原者」
室町文化で、なぜ「河原者」だけが特別扱い
東書 旧教科書のコラムは「河原者」の説明に221字、竜安寺石庭に41字。それでもこの改訂で河原者が短くなり、はじめて「枯山水」という言葉が登場しました。コラムに「人権 平和」とつくのもおかしな話でした。2025年度使用版では「人権 平和」は消え、河原者の記述はさらに減りました。それでも、本文の説明は造園者が誰かというものです。「河原者」を京都周辺に限定しました。「井戸掘り」や「庭園造り」をケガレから外しました。
枯山水より河原者の記述が圧倒する室町文化の記述は、日本史学習としては偏っています。
しかし同じ東書の高校教科書『日本史探究』では善阿弥を「同朋衆」とし、かれのもとで現場の作業についた人々を「山水河原者」と書いています。この違いをどう説明すればよいのでしょうか。
教出・日文・育鵬社もコラムで河原者を書いています。帝国は巻頭口絵、本文、コラムで書いています。山川、自由社は記述ありません。学び舎もコラムで書いていますが、「銀閣をつくったひとびと」の中で、庭造りにあたった人を2行で触れているだけです。
帝国は「未来に向けて」というコラムに「人権・多文化」という注釈をつけています。人権を賤民身分に矮小化するものです。「河原者」のコラムでわざわざ「死刑」を取り上げ、図まで添えているのはいかがなものでしょうか。「なお『けがれ』は、近代以降に生まれた不衛生という考え方とは異なります。」と注釈していますが混乱させるだけでしょう。
2.江戸時代の身分制
「えた」「ひにん」身分の説明について、生業(仕事)と役(負担)の区別がされていない教科書があります。「死んだ牛馬を処理する権利をもち」(教出)は誤りです。権利ではなく役務、義務でした。「牛馬の解体」などで生活した(東書)といいますが、牛馬の解体は毎日あるわけではありません。斃牛馬の処理は役であり、解体や加工はその代償であったという面を見落としてはなりません。以前から従事していた皮革業や雪駄生産などの生業とは区別すべきです。仕事と役の区別をしっかり書いているのは、学び舎だけです。
前近代には、全国にわたって普遍的、横断的な身分というものは存在しません。あくまで局地的な性格をもっています。帝国も「差別された人々は、地域によってさまざまな呼び名や役割で存在していました」としています。学び舎が「かわた(長吏)」の語を使ったのもよいことだと思いますが注釈のないのは不親切です。
「えた」という蔑称の身分が江戸時代の初めからあったわけではありません。教出が書くように「支配に都合よく利用されて徐々に強められ」たもので、帝国も「江戸時代中期から…百姓や町人とは別の身分として位置づけられました」と中後期になって身分とされたと正しく書いています。住む場所や職業、服装などの規制は武士、百姓、町人などそれぞれの身分ごとに及んでいました。それが身分社会というものです。賤民身分だけが統制されたというものではありません。
帝国は室町時代のところでことさらケガレを強調していますが、江戸時代のコラムで「死に関わっていても、医師や僧侶、処刑役に従事した武士などは差別されなかった」と書き、結局「ケガレ」ってなんなのと言うことになります。
日文は江戸時代後期に「えた」身分のなかに豊かになる者があらわれ、身分制がゆるんだので、差別が強化されたと書いていますが、豊かになるものは百姓、町人にもいます。「えた」を強調する必要はありません。
自由社、育鵬社、令書は「えた」と「ひにん」の区別や、役と生業の区別もなく不適切です。
3.江戸時代の身分別人口グラフは根拠なし
どの社も関山直太郎『近世日本の人口構造』を典拠としています。同書は「幕末における身分別の人口構成は、武士六~七%、百姓八○~八五%、町人五~六%、神官僧尼一・五%、エタ・非人一・六%」(p.323)と書いています。この数字で円グラフは描けません。秋田藩を扱う山川以外はどれも適当に作図した根拠のないグラフです。
4.解体新書
「蘭学事始」をもとに執刀した者の記述の方が多い教科書は異常です。山川や特に学び舎は蘭学の発展に果たした『解体新書』の役割をきちんと書いています。
5.渋染一揆
すべての小学校6年の教科書(東書、教出、日文)に掲載され、中学校でも東書、教出、帝国、日文がとりあげていますが、特別扱いは疑問です。
日文だけは摂津河内の国訴とならべ「このように,19世紀のなかばごろから,社会の枠組みをこえて,自由な経済活動や平等な社会を求める動きが盛んになりました」と「世直し一揆」の位置づけをしています。
山川、自由社、育鵬社、学び舎、令書は記述ありません
6.明治維新 太政官布告
学び舎が「古い身分の廃止と新しい身分」と小見出しをつけ、「解放令」と書かずに、「『えた』『ひにん』などの呼び方を廃止して、平民としました」としているのは、身分制の改革と賎称廃止の布告内容を正しく伝えるものになっています。
帝国は、1871年太政官布告について「いわゆる『解放令』」を「いわゆる『解放令』または『賤称廃止令』」と「賤称廃止令」を挿入しました。2021年使用東書に続くものです。
山川は「称を廃止し」と書いています。教出、日文、育鵬社は「呼び名を廃止」と書いていません。帝国は、明治以後の記述に賤称を使いません。太政官布告を尊重しているように見えます(と評価したいのですが、前述のように帝国の公民教科書では残念)。
「解放令」をよりどころに差別からの解放への動きがあったことを書いているのは東書、教出、日文。
日文だけが「明治以降のこの問題を部落差別とよんでいます。」と書いています。これはそのとおりです。「部落問題学習」として江戸時代以前の賤民の学習が一部で流行していますが、それは身分制の学習であって部落問題の学習ではありません。
単に「身分制度の廃止」とするのは、明治以降の新しい身分制度を無視するもので不適切です。
7.全国水平社
(1) 異常な水平社の特別扱い
1920年代の社会運動の記述は、水平社だけが特別扱いです。
東書の場合、本文で労働組合4行、図版2点。農民組合2行のみ。一方、水平社は本文で小見出しと5行、図版2点、側注2点。さらに見開き2ページを使って「『解放令』から水平社へ」というコラムを載せています。
今回は日文も東書にならったのか見開き2ページを使って「水平社の創立とさまざまな人権運動」を掲載、すさまじい偏向です。
どの教科書も人口の8割をしめていた農民の状態がわかる資料は極めて少ないか、ありません。
(2) 説明なしの用語「被差別部落」
東書、帝国、山川、日文、育鵬社、学び舎が、ここでいきなり「被差別部落」という言葉を使っています。山川だけが側注で「江戸時代にえた・ひにんなどと呼ばれ、差別された人々が住まわされたことによって形成された集落」と説明しています。他社は説明がありません。
東書、教出、育鵬社、自由社、学び舎は「部落差別」という言葉を使っていますが説明がありません。
令書は「全国水平社による部落解放運動」と一言書くだけで説明はまったくありません。
帝国は「差別された人々は」と書き、「部落差別」は出てきません。2016年度使用教科書の本文には「みずからの手による部落差別問題の解決をめざして」と書いていましたが、2021年度使用教科書では「みずからの手による平等な社会の実現を目指して」と修正しています(2025年も)。子どもたちにわかりやすい適切な文章となり、評価できるものです。一方、コラムの中で、2021年度使用教科書では「差別されていた人々」と書いていたところを2025年度使用教科書では「被差別部落の人々」と書き換えています。
東書は見開き特設ページで、「解放令」(「賤称廃止令」)、部落改善運動、水平社運動と山田孝野次郎、靴の製造や道具、旧柳原銀行、島崎藤村と『破戒』を掲載しています。
「江戸時代まで被差別部落の主要産業で、大きな利益をあげていた皮革産業」といいますが、それは特定の地域のことで一般化できる話ではありません。部落改善運動から水平社への説明は専門的な内容です。部落改善運動と水平社運動の違いなど中学生にわかるものではありません。この見開きは、部落解放運動史の一部ではあっても、中学生の歴史学習の一部にふさわしいとはいえません。
(3) 特異な日文の見開き特設ページ 新たな差別を生むもの
日文は今回見開き特設ページを挿入。内容は水平社運動史ともいうべきもので大人が読んでもむつかしい内容です。賤称語を紹介していることは看過できません。「あえて自らに対して『特殊部落民』を使い、自らに誇りをもって運動に立ち上がることをよびかけました」という説明は差別的でなければ用いてもよいという誤解を招きます。
民権連の指摘やそれを受け止めた大阪府教委の努力などもあってか、実教の高校教科書から「特殊部落」という言葉は消えました。日文に新登場したことは厳しく批判されるべきでしょう。
水平社宣言を「『日本で初めての人権宣言』といわれる」というのは、誰によっていわれるのか聞いたことがありません。「『人権宣言』とは、いうまでもなくフランス革命の人権宣言を典型とする近代諸国の人民の権利の宣言である。その意味での日本の人権宣言は日本国憲法である。」(1)
注(1) 広川禎秀大阪市立大学名誉教授(『全国水平社創立100周年記念講演会記録集』大阪歴教協他編 2022年)
学び舎は「全国の特殊部落民団結せよ」と書かれたポスターを掲載しています(東書高校「日本史探究』、実教高校「歴史総合」も)。「特殊部落民」という言葉を教科書に掲載するのは不適切です。
令書は部落解放運動と言葉だけで説明がありません。
7.戦後 部落解放運動の再建
東書、教出は「部落解放運動が再建され」、日文は「部落解放全国委員会が再建され」と書いています。「部落解放」は今日では特定の運動団体のものとなっています。「部落解放」の名で「ゆきすぎた言動」があり、新しい差別を生むことになったことを銘記すべきでしょう。
帝国、山川、自由社、育鵬社、学び舎、令書は記述ありません
8.現代の課題
東書は「部落差別の撤廃など、人権に関する課題もいまだ残されています」としています。
教出、日文は「国民的課題です」と60年前の同対審答申をそのまま今の課題であるかのように繰り返しています。進歩を語らず未来への展望を語ることができないとしたら、それは子どもたちにふさわしい教科書といえるでしょうか。
帝国、自由社、育鵬社、学び舎、令書は記述ありません。
9. 教科書記述のさらなる改善を
賎民身分の社会的差別について、中世の賎民身分がどのようにして、江戸時代に幕府や藩に把握されたのか、そのことによって多様な賎民身分がどのような生活を強いられることとなったのか、中学生にわからせることはたいへん困難なことです。無理をするべきではありません。
それよりも政治起源説や職業起源説に陥らないようにすることが大切です。
部落問題の克服・解消が進んでいるのに、それを反映した教科書はありません。そのことこそが教えられるべき内容です。これも歴史ではなく公民的分野の課題です。
学び舎の教科書は、他の教科書にくらべると、扱う項目も少なく、記述量も多くありません。それでも不要な記述があります。歴史的分野だけの教科書ですから、戦後の部落問題や部落差別の解消について書く必要はありませんが、「部落差別の廃止と人間の尊厳の回復をうたう『水平社宣言』が読み上げられました。」と本文で書き、山田少年の演説と写真や「特殊部落民」とあるポスターを載せるのは、「新たな差別を生む」(参議院法務委附帯決議 2016年12月8日)ことになりかねません。
まだまだ特殊化・肥大化は続いています。子どもたちにとって、教科書の記述はたいへん重要です。基本的事項についての理解が進むように、簡潔で、わかりやすい記述が求められます。学習指導要領にもない事項を克明に書けという締め付けはないはずです。教科書の記述内容の改善を求めるとともに、「新たな差別を生むことがないように」どう扱うかは慎重に検討し実践しましょう。
(柏木 功/大阪教育文化センター「部落問題解決と教育」研究会代表)