モチモチの木

文学の授業

「モチモチの木」(斎藤隆介・作『はぐるま』④)

 この記録は六年前の実践ですが、文学を学ぶことの楽しさを私に教えてくれた、思い出深いものです。

一、作品と子ともたち

 子どもたちに、いい文学作品にふれさせたい。そして私も子どもと共に学びたいと思い、四月から「スイミー」や「太郎こおろぎ」などの投げ入れをしてきた。

 「モチモチの木」は、絵本などで知っている子も多いし、斎藤隆介の作品は「花さき山」「ひさの星」「天の笛」などを読み聞かせており、子どもたちには親しみ深い作家である。この作品は私も大好きで、元気で愉快なこのクラスの子どもたちもきっと大好きになってくれるだろうと思った。

 豆太には両親がいない。豆太をいとおしく大切に育ててくれるじさまの愛情に包まれて暮らす豆太。現代の家庭に失われがちなものがそこにあるように思う。私のクラスには、母子家庭の子も二割近くいるし、父親に育てられている子、祖父母に育てられている子もいる。そんな子どもたちにも、この作品は親しみ深く、人間的な魅力を持って、迫ってくるのではないだろうか。

 また、「あの人は乱暴だからきらい」「あの人は……だからいやだ」と、友だちを一面だけでとらえる傾向も強いし、一つ何か出来なければもう自分はだめだと自信を失ってしまうように、自分をも一面的にしかとらえられない傾向も強いが、この作品はそんな私たちに、人間を多面的に丸ごとつかむことの大切さも語りかけてくれる。

 豆太によりそい、豆太に感動し、豆太に親しみを持つ中で、子ども達自身の中にある豆太をよびさまし、育てていけたらと思うのである。

二、主題、思想

・夜も一人でセッチンに行けないほどのおくびょうな豆太が、大好きなじさまの苦しむ姿を見て、じさまを助けるために夢中で夜道を走り続けた。

 その勇気を生んだものは、じさまの愛情の中で育くまれてきた豆太のじさまへの限りなき愛情である。

・人間に愛にもとづく<やさしさ〉があれば、勇気ある行動を生み出すことができる。

・人間は状況の中で変化するものであり、固定的、一面的にみるのではなく、その状況の中での姿を正しくとらえる事が大切である。

三、指導計画と目標(全11時間)

1、だんどり

2、とおし読み 読み聞かせ、はじめの感想  1・2で二時間

3、たしかめ読み(七時間)

「おくびょう豆太」二時間

・語り手の語り口と豆太の状況からおくびょう豆太をイメージ化する。

・じさまの豆太への愛情を読みとる。

「ヤイ木イ」一時間

・豆太の姿を内と外からとらえ、モチモチの木の昼と夜のちがいや、じさまとの関係をとらえる。

「霜月みっかのばん」一時間

・美しいモチモチの木のイメージを、豆太の内面を通してとらえ、豆太の心のゆれをよみとる。

「豆太は見た」二時間

・じさまを助けようと必死で夜道を走る豆太を内と外からとらえ、モチモチの木に灯がつくのを豆太と共に感動的にとらえる。

「よわむしでもやさしけりゃ」一時間

・じさまの言葉から、人間の真実について考え、終わりの三行からまとめ読みにせりあげていく。

4、まとめ読み(二時間)

・じさまの言葉は何を意味するのだろうか。

・豆太は本当におくびょうなのだろうか。

・おわりの感想。

四、たしかめ読み

第一時、おくびょう豆太

○「まったく豆太ほど……」と言っているのは誰か。(作者ではなく、語り手であること)

○語り手は豆太をどう思っているか。

まったく>と最初から言っている

もう五つにも>←→<もう五つ>くらべ読み}から考える

○豆太はモチモチの木をどう思っているか。

○そんな豆太をどう思う。

○「豆太は本当におくびょうなんだろうか」という問いが生まれた。

第二時、おくびょう豆太

○どんなじさまだろうか。〈真夜中にどんなに小さな声で言っても、すぐ起きてくれる〉という言葉から、豆太をかわいがっているじさまであることをつかんだ。

○〈とうげのりょうし小屋にたった二人で……〉さびしいだろうなあ、お父ゥも死んだし、お母ァもいない、友だちもいない、という生活状況の中の豆太を考え、だからじさまは豆太をかわいがるんだ。

第三時、ヤィ木イ

○〈木が立っている>というのはおかしい。〈木がふりおとしてくれる〉というのはおかしい。という子どもの発見から、モチモチの木をイメージ化した。

○なぜ昼は元気なのに、夜はあかんのかという疑問が生まれ、夜のモチモチの木が豆太にとってはどんなにこわかったかを話し合った。

○じさまがモチを作ってくれる様子。木ウス、石ウスはどんな物かを話し合う中で、じさまの仕事は大変だという事、豆太をそれほどかわいく思っているのだとつかんだ。

第四時、霜月みっかのばん

○じさまの言葉から豆太への願いをつかんだ。

○見たい、でもこわいという豆太の心の揺れ、夢みてえにキレイなモチモチの木を想像し、見たい気持ちを持ちながら、自分で自分を弱虫と決めつけて寝てしまう豆太に、子どもたちは見てほしい、豆太ガンバレと声をかけた。

○「ねてしまう豆太にじさまは何も言っていない」という 、意見が出、「じさまは、豆太に自分から勇気を出してほしいと思っているのではないか」という考えが出て、じさまは自分の願いを豆太におしつけず、豆太の成長を信じ、待っているのだというとらえ方ができ、じさまの人物像を大きくふくらませる事ができだ。

五、第五時、豆太は見た

[本時の目標]

 表記、ことばに気をつけて、豆太のおどろく様子、じさまの苦しむ様子を、しっかりイメージ化する。そして、大好きなじさまを助けるため、夜道を走る豆太を内と外からとらえ、豆太のじさまへの愛情が、豆太の勇気ある行動を生み出したことをつかむ。

[本時の展開]

学習活動 留意点(大事な語句)
・導入 今までの豆太について話し合う
・目をさました豆太のおどろきをよみとる クマのうなり声
「ジサマ~!」
クマみたい
「ジサマッ!」
気持ちの変化
・じさまの苦しむ様子をよみとる 「マ、豆太……じさまはじさまは……」コロリとタタミにころげると、歯をくいしばってますますスゴクうなる……
・医者をよびに走る豆太の様子を話し合う -イシャサマヲ……
こいぬみたいに、フッとばして
ねまきのまんま、はだしで
・外の様子をイメージ化し豆太の気持ちを考える まっ白いしも 足からちがでた
なきなきはしった
いたくて、さむくて、こわかったからなあー
 でも、大すきなじさまの死んでしまうほうが……
・豆太についてどう思うか考える 今までの豆太とくらべて考えさせる
(外の目から異化体験)
・次時予告 –

[授業記録]

教師この晩てどんな晩かな。

今井 しも月みっかの晩。

小野 モチモチの木に灯がともる晩。

教師 そうね。豆太はその灯を見たい見たいと思いながらねてしまったのね。

〈豆太はまよなかにヒョッと目をさました。あたまの上で、クマのうなりこえがきこえたからだ。「ジサマァッー!」むちゅうでじさまにシガミつこうとしたがジサマはいない。〉

 この文で思うこと、わかることを言ってください。

大泉 「ジサマァー!」と波線がついているから、ふるえて言っている。

高橋 〈ヒョッと目をさました〉とあるから、急に目をさましたんだと思う。

坂田 豆太は家の中で寝てるでしょう。それなのにクマがくるわけないと思う。

教師 坂田さんはおかしいと思うのね。でも豆太は、

C クマと思った。

教師 豆太はどう思ったんだろうね。

C こわかった。

教師 それで、

C じさまにしがみつこうとした。

白井 <じさまはいない。〉ときつく言ってるからギクッ とする。

奥野 〈じさまがいない〉と書いてあるでしょう。〈じさまがいなかった〉というより〈いない〉の方が、じさまを大変だという気もちが強くでる。

教師 「ジサマァッ…!」と「ジサマッ!」と、どうちがうのかな。

前川 「ジサマァッ…!」はふるえている。

田中 「ジサマッ!」はさけんでいる。

堀内 「ジサマッ!」はじさまが苦しんでいるのを見てびつくりしている。

高橋 クマにみたいに見えたのが、じさまということがわかり、苦しんでいるのがわかってびっくりして叫んでいる。

教師 クマのうなり声だと思ってふるえながらとびついたが、クマみたいにうなっていたのはじさまだった。じさまの様子はどうだったの。

山岡 豆太がとびついても、歯をくいしばって、ますますスゴクうなるだけ。

西岡 ふつうはスゴクとしか言わないのに、ますますスゴクとあるから本当にすごうくいたい。

谷田 〈じさまはじさまは〉と二回くり返している。一回だけ言うより苦しい様子。

教師 でも、ちょっと腹がイテエだけだって言っているよ。

小野 本当は痛いのに豆太をこまらせたくはないから、ちょっとと言っている。

白井 豆太は、じさまの事を心配しているし、じさまも豆太のことを心配している。(中略)

教師 〈ねまきのまんま。はだしで。半ミチもあるふもとの村まで……〉の文で思うこと、わかることは。

奥野 〈ねまきのまんま。〉で切っているから、豆太がじさまを助けたい気持ちを強くしている。

山本 豆太はじさまにかわいがってもらっていたやろう。それでな、いそいでいそいで、ねまきなんか着がえる間がない。

早浪 ねまきで寒くてハダシで冷たいのに、人のためにがんばっている。豆太は立派だと思う。

教師 早浪さんが豆太は立派だと思うのね。

小野 じさまのためなら、ハダシでも、ねまきのままでもいいと思った。

大泉 じさまの苦しんでいるのを見て、見てられないほどだったから、ねまきのまま、ハダシでとびだした。

白井 〈ねまきのまんま〉で切ったり、カタカナで書いたりしているから、読み手がびっくりするようで、すごいなーと思う。

高橋 ぐずぐずしていたら、じさまが死んでしまうと思って、ぞうりなんかはくひまなんかない、ねまきを着がえる間なんかない。

大泉 じさまは、ちょっと腹がイテェだけだと言ったけど、苦しんでいるのがわかって、豆太に心配させたくないというじさまの気持ちがわかったからとび出した。

教師 〈外はすごい星で、月もでていた。とうげのくだりのさかみちは、いちめんのまっ白いしもで、雪みたいだった。しもが足にかみついた。足からはちがでた。豆太はなきなきはしった。〉

塩谷 じさまが死んでしまうかもしれないから、豆太はがまんして、じさまのことばかり考えて走った。

長尾 自分よりじさまの方がいたいんだと思って走った。

白井 霜が足にかみついたって痛いだろうなあ。足からは血が出たってあるからもっと痛いだろうなあ。(中略)

教師 豆太は心の中でどんなことつぶやきながら走ったのだろう。

中山 じさま、医者様よんでくるから、待っててな。

清水 じさま大丈夫かな、死なないかな。

山本 早く医者様を呼んできて、じさまの腹イタなおさなくっちゃ。

白井 たいへんだ、たいへんだ。

小野 今、医者様をよんでくるから、がまんしててね。

大泉 モチモチの木がこわかったけど、モチモチの木なんかどうでもよかった。じさまのこと考えて、じさま待っててねと心の中で叫んでいる。

教師 今までの豆太は、おくびょうで弱虫だったね。その豆太が、今一生懸命走っているのね。この豆太を見て、私はどう思うか、書いて下さい。……では、発表してもらいます。

田中 語り手はおくびょうだと思っているけど、私は勇気があると思います。

吉岡 ぼくも田中さんと同じで、豆太は勇気があると思います。ぼくはちょっと敗けた感じがする。

谷田 豆太は自分はおくびょうと思っているけど、ぼくからみたら勇気がある。

早浪 泣き泣き走って立派だと思う。外側はおくびょうだけど、中側はやさしさでとろけそうな気がする。

白井 私はお母さんが病気になったら、豆太みたいにできるかな。

高橋 霜がおりて冷たい、痛い道を一人でがまんして走っていくなんてすごいなー。

大泉 おくびょうで、甘えた豆太が、真夜中医者様をよびに行った。豆太は、すばらしい心を持っている。

清水 寒くて、いたくてこわかっただろう。

教師 そうね、痛くてこわかっただろうね。でも、一番こわかったのは。

山岡 じさまが死んでしまうこと!(後略)

六、第六時、研究授業の後で

 校内研の翌日、子ども達も緊張していたし、私ももう一つつっこみが足りなかったので、「昨日の授業で言えなかった事、言いたりなかった事ない?」と問うと、谷田くんが言った。

「これは、家で話し合った事なんだけど、人間いざという時、勇気がでるのだな」

このことから、どんな人間でもいざという時、勇気が出るのだろうかが問題になった。誰でもできるわけではない。豆太はじさまが大好きで、じさまの苦しむのを見ていられなくて、やさしさを勇気にかえて走ったんだ。そして、この豆太のやさしさは、じさまのやさしさの中から生まれてきたのだと話し合った。

七、第七時、よわむしでもやさしけりゃ

 「人間やさしささえあれば、やらなきゃならねえことはきっとやるもんだ」から、じさまのいうやさしさとは何だろうかを話し合った。そして、じさまのいうやさしさは、何かくれるとか、してくれるとかいうやさしさではなくて、人にしてあげるという愛情、ひさの星のように、人がこまっている時、苦しんでいる時、その人を助けてあげる事が本当のやさしさであると話し合われた。

 ここまで深まってくると、発表する子が減ってきたが、フンフンとうなずきながら聞く子どもの表情を見ると、豆太とじさまを結ぶ愛情、じさまのためこわさも寒さも忘れて走った豆太の行動を生み出した「やさしさ」の意味を、それぞれの心で受けとめてくれたのではないかと感じた。

八、まとめ読みの授業

 最後の三行〈それでも豆太はじさまがげんきになるとそのばんから「ジサマァ」とションベンにじさまをおこしたとサ〉の意味が問題になった。

教師この終わりの三行がなかったらどうだろう。

C おもしろうないわ。

小野 勇気のある豆太で終わってしまう。

奥野 終わりの文がある方が「アレ?」という気持ちがしておもしろい。

教師 どうして?勇気のある豆太でおわる方がカッコイイんじゃないの。

C おもしろうない。

早浪 終わりの三行ある方が、この続きどうなるんだろうと考えさせられていいと思う。

教師 なるほどね。じゃあ、ここで豆太はまたじさまを起こしているけど、豆太はおくびょうなのか勇気があるのか、どっちでしょう。

今井 わたしは、やっぱりおくびょうだと思います。清水 そしたら、医者様よびに行ったのはどうなるんですか。あんなことできたんやから、勇気あると思います。

子どもたちは迷いました。どっちが本当の豆太だろうって
……そんな話し合いの中で--。

谷田 ぼくは、豆太がじさまの腹いたなおったら、またしょんべんにつれてもらってるのは、五つやしこわいのは当たり前やし、おくびょうとちがって、普通の男の子やと思う。

吉岡 しょんべんに連れてもらうのは普通の子やけど、あんな夜道を一人で走ったのは、前に人間誰にでも出来ることとちがうって話し合ったけど、普通の子とちがって、勇気ある子やと思う。

教師 小便に連れて行ってもらうのは普通の子だけど、医者様呼びに行ったのは誰にでもできることじゃないから勇気のある子だっていうのね。

山岡 豆太はおくびょうと勇気と半分ずつちがうかな。

寺井 おくびょうだけどやさしい心持っていて、いざという時勇気でたんだから、両方持っていると思う。

高橋 勇気あるか、おくびょうか、そんなんどっちかなんて簡単に決められへんと思う。

教師 そうやね、おくびょうか勇気あるかなんて決められないね。普段は弱虫でじさまに小便に連れて行ってもらう豆太は、ぼくらの五つの頃と同じ男の子なのね。その豆太がじさまの苦しんでいるのを見て山道を走った。そこが豆太のすばらしさであって、人間の値うちがそこにあるのね。

 人間、その時の行動だけ見て、いい人悪い人って決められるかな?決められないもんね。その人の中には、いろんなもの持っているもんね。

 最後の朗読が終わると、子どもたちの中から拍手が起こ った。

九、おわりの感想

豆太のやさしさ
寺井佑奈

 わたしは、豆太がすきです。じさまが苦しんでいる時でもあのおくびょうだった豆太が、はだしでねまきのまんま足から血を流して、やっぱりじさまの心から豆太の心まで、やさしさが伝わったのかもしれません。わたしは、そんな豆太がすきです。

 (略)そうそうだけど、じさまはだれにもやさしいみたいです。しんどいけど、がんばってあげる。それこそわたしは人間と思います。だから、日ごろからじさまが豆太にやさしくしているから、豆太もじさまを助けることができたんじゃないかと思いました。

 やさしさは、思いやりだと思いました。

豆太のやさしさを勇気にして
吉岡卓也

 豆太はやさしさがあって、じさまをすくうことができたんだ。このやさしさがあってこそ、豆太のねうちが出ているんだ。そのやさしさは、あれしてくれる、これしてくれるのやさしさじゃなくて、思いやりやあいじょうがそのやさしさであり、そのあいじょうは小さいあいじょうやふつうのあいじょうではなくて、大きなすばらしいものなんだと思います。豆太には、大きなすばらしいすてきな心がむねいっぱいに広がっていると思います。

 豆太はじさまのために、こんな夜道を走ったのも、このやさしさがあったからだと思います。モチモチの木のひを見たいから走ったんじゃない。じさまのために走ってぐうぜんにモチモチの木のひを見ることができたんだ。

 ぼくは、豆太の心に感動しました。(略)

モチモチの木のだいじなこと
小野浩一

 (略)豆太はすごくやさしいなあーと思う。それだし、初め語り手は豆太に文句を言っていたのに、今になってすごいなーと思っているんかもしらん。それだし、豆太はふつうの子ではない。ふつうの子で、五つになってもあんな夜道走れるのは豆太だけ。ぼくはこう思いました。人に勝手に、よわいなーとか言わないことにしました。
[学級通信を通じて父母もいっしょに]

 学級通信に、この授業のことを書いて出しました。それを読んだ感想や意見が、お母さんから寄せられ、新しい見方も教えられました。

〈じさまの大きな心についての記事を読み、感動して二度も読み返しました。白井さん、本当にいい所に気がつきましたね。なるほど、私自身がこのじさまを大好きなのはそういう所なんだわ。そして、自分の親たちも、私たち子どもに対してじさまと同じようだったという、なつかしい思いを呼び起こしてくれました。じさまの大きなやさしい心を思うと、いつもギャーギャー言っている私も、とても素直な気持ちになってきますね。子どものため、この子のためと言いながら、実は自分が安心したいための文句もあるような気がします。--石川さんのお母さん--〉

一〇、授業を終わって

・何よりこの作品が子どもを引きつけるものであったこと。この勉強をしてよかったと何人もの子どもが感想に書いていたことがうれしかった。

・話者の存在をきっちり押さえ、視点をはっきりさせて授業を展開してきたことで、子どもたちが豆太の身になって考えたり、また外から客観化して考えたりという文学体験を深める事が出来たように思う。

・一人調べのノートを作り視写をさせ、その文、言葉からわかる事思う事を書きこませ、授業の前に目を通して子どもの考えをつかみ、それを授業に取り入れていった。まだまだ充分書きこめない子も多いが、授業が進む中で書くことも深まり、授業の中に出してきてくれた。

・子どもたちはやさしさについて語り、また人間を一面的にみないということも言ってはいるが、その事が生かされるような学級集団にはなかなかなっていない。今後は本当に相手を思いやる心を大切にした民主的な集団づくりを根本にすえ、文学で学んだ事が、子どもを変え、集団を変えていく力になっていくようなそんな学級づくりをめざしたいと思うのである。

出典:「どの子も伸びる」1989.9./部落問題研究所・刊
(個人名は仮名にしてあります。)