チョコレートから世界が見える

チョコレートから世界が見える

-チョコの味を知らない子どもたち-

社会科6年

一、はじめに

 私たちにとって身近な食べ物のチョコレート。このチョコレートから歴史や現代社会の問題点が見えてきます。

 カカオ豆やコーヒー豆などの生産に、小さな子どもが従事している現実があります。児童労働です。

 テレビでアフリカなどの貧困な生活実態の番組があったり、世界の貧しい子どもたちを救おうと募金などを呼びかけている団体があったりします。それはそれで大事なことだと思うのですが、彼らの貧困な生活に私たちの生活がきわめて密接につながっている観点がそこにはありません。

 二月。バレンタインデーが近づくと日本中のお店でたくさんチョコレートが並べられます。安さをうたうチョコ。一方、一粒いくらと高級感をうたうチョコ。

 そんな情報のみがバレンタインデーを前にして報道されます。小学校高学年ともなると、バレンタインデーを意識しだす子どもが増えてきます。

 チョコレートの糸をたどっていくと、いろんなことが見えてきます。

● チョコレートが、何から、どのようにつくられているのか

● カカオ豆が西アフリカで、なぜ、たくさんつくられているのか-チョコレートの歴史について

● チョコレートをめぐる現代の問題点-日本人の生活に関わって

 卒業を前にした六年生の子どもたちと、こういったことを考えたいと思い実践をおこないました。

二、授業計画

 六年生四クラス。三学期の総合の時間を使いました。どのクラスでもできるように、授業プリントを作成し、授業をすすめました。授業計画では八時間の予定でしたが、実際には九時間を使って指導しました。

一時 チョコレートを知る
 -カカオマス・カカオバターの味を知る

二・三時 チョコレートづくり
 「カカオマス、カカオバターを使って

四時 チョコを食べる国・生産している国

五時 カカオの生産国とそれらの国の共通点

六時 チョコレートの歴史

七時 チョコレートと私たちのかかわり
 「世界がもし一〇〇人の村だったら4」視聴

八時 チョコレートと私たちのかかわり-児童労働

三、チョコの授業

①「貯古齢糖」チョコレートを知る

 一月下旬。「チョコレートについて、勉強します」と宣言。子どもたちから「なんで、チョコレートの勉強をするの?」当然の疑問が出されました。しかし、ここでは、その理由は説明しないで、「最後になぜ勉強したのかがわかるよ」と伝えて授業に入っていきました。

 「チョコレートを食べたことのある人?」と尋ねると、全員が手を挙げました。子どもたちにとってやはり身近な食べ物です。

 日本には明治時代になってからチョコレートが入ってきたことを話し、当時は、「チョコレート」を漢字でどのように表していたのか問いました。小学校漢字をすべて学習した子どもたちは、さまざまな漢字で表してくれました。完全な正解は出ませんでしたが、「固」「糖」など、意味も考えながら、いろんな当て字を発表してくれました。

チョコレートは、何からできていると思いますか。

 この発問には、“?”の反応の子どもたちが何人もいました。「チョコレートは、チョコレートやん。」という声も出てきました。しかし、最近のポリフェノールブームで「カカオ豆」という声も出てきました。

 授業最後の感想にも「チョコレートがカカオからできるなんてはじめてしった。」と書いている子どもが何人もいました。チョコレートが何からできているのか考えたことなどなかったようです、

 この授業に向けて、私が意識的に食べたチョコレートの包み(パッケージ)を教室に用意しました。チョコレートが何でできているのか材料名を確認するためです。

 市販のチョコレートには、植物油脂・乳化剤・香料といったものが入っています。フェア・トレードのチョコレートにはそういったものは入っていません。フェアトレードチョコの包みも用意して、共通に含まれている材料を確認しました。ホワイトチョコレートを除けば、共通して入っている材料は次の四つです。

カカオマス カカオバター 全脂粉乳 (粉)砂糖

 子どもたちは、カカオマスもカカオバターも見たことがありません。インターネットのお菓子材料の店で購入したカカオマス・カカオバターを教室にもちこみました。

 色はチョコレートそのもののカカオマスに、甘い香りのカカオバター。それぞれ少しずつかけらを味見をさせると、どの子も「これが、あの甘くおいしいチョコレートのもとの味なのか!」とびっくりするくらいマズイ!というリアクションが返ってきました。

②チョコレートづくり

 グループごとに四つの材料でチョコづくりをしました。カカオマス・カカオバターは塊で、事前に、学年の先生と一緒にグループごとにビニールに細かく刻んで分けておきました。塊だと湯煎して溶かすのに時間がかかるためです。

 前時に味わった味を忘れられないでいた子どもたちは、チョコ作りを楽しみにしていたものの、味には決して期待をしていないようでした。

 しかし、材料を湯煎して、混ぜていくと、日ごろ食べているチョコと同じような香りがしてきました。ちょっとなめてみると「おいしい」「甘い」という反応があちこちのグループから返ってきました。味見と称して、次々とぺろぺろとなめだす男子が出てきました。

 二月といっても、湯煎してとかしたチョコが固まるのには時間がかかります。すぐにチョコが食べられるように、自宅から持っていった冷凍一ロバナナにとろけたチョコをつけると、すぐにチョコレートが固まりチョコバナナができあがりました。舌触りにざらざら感はあるもののチョコらしい味になりました。残りのチョコは、アルミのケースに入れて冷蔵庫に入れて冷やし、放課後に持って帰りました。このチョコ作りは、子どもたちに好評でした。

③チョコレートに関係する国々

2007_choco_g1

 チョコレートを食べる国・生産する国、カカオを生産する国を予想させた上で、グラフや表を示して、地図帳でこの国の位置を確認して白地図に色塗る作業をしました。

 白地図からチョコを消費している国の共通点を問うと、「ヨーロッパ」「北側の国々」という答えが返ってきました。

 チョコ生産国の共通性は少しみつけにくそうでした。ブラジルを除いて共通点を見つけるように指示すると「北側の国」「先進国」といったこたえが返ってきました。

 カカオ豆生産国はサッカーW杯などで聞いたことのある人もいましたが、多くの子にとっては、聞いたことのない国の名前がたくさんです。白地図に色を塗っていくと、ものの見事に傾向が見えてきました。「赤道近くの国」「熱帯地域の国」という共通点を見つけ出すことができました。

 その中でも、コートジボアール、ガーナ、カメルーン、ナイジェリアと世界の七割の生産を担っているのがアフリカ(西アフリカ地域)です。

④チョコレートの歴史

 西アフリカ地域でカカオ豆が生産され出して百数十年にしかなりません。カカオ豆の原産地は中南米です。世界の植民地支配の歴史がカカオ豆を通して見えてきます。

 アメリカ大陸に上陸したスペイン人がアステカ国王からチョコレートの飲み物(ショコラトル)を与えられたことや、カカオ豆が貨幣の役割もして非常に高価に取引されていたことを本国の国王に報告し、カカオ豆栽培を進言します。そしてヨーロッパ上流階級の中で、飲み物「チョコレート」が広がっていきます。

プリントにおはなしにして、まとめたものを子どもたちに読みました。

 カカオ豆の実物が手に入らないか、チョコレート会社数社に問い合わせ、一社がサンプルとしてカカオ豆を送ってくれました。カカオ豆の実物を子どもたちに見せて授業しました。一つぶ二~三㎝のカカオ豆百粒で人間(奴隷)が売り買いされていたことに子どもたちはおどろいていました。

 一六世紀~一八世紀中頃、中南米各地でカカオの栽培がはじめられていく年表を配布しました。

 誰がこの時期カカオ豆を作っていたと思いますか。

 この質問に、ふつうに農民と考えていた人、現地の人(もちろん原住民もカカオ栽培に関わっていたようです)と考えた人もいました。

 実際は、アフリカから連れてこられた奴隷です。

 一九世紀の初頭になると人権意識の高まりの中、イギリスやアメリカで奴隷貿易は禁止されていきます。

 しかし、形をかえて西アフリカで現地の人々を使って、カカオ豆が栽培されるようになっていきます。これが、現在のカカオ豆栽培につながってきています。

カカオ豆の栽培にかかわる年表
1492年  コロンブス アメリカ大陸に到着
1519年  スペイン コルテスがメキシコに上陸
1526年  スペイン、最初のカカオ豆プランテーションをトリニダードで始める
1560年  カカオの樹の栽培がエクアドル、ベネズエラなどで始まる
同年  スペインは、インドネシア(ジャワ島)にカカオを知らしめた
1635年~40年  ジャマイカに伝わる
1665年  ドミニカに伝わる
1740年  ブラジルに伝わる
1807年  (イギリスの奴隷貿易禁止決定)
1808年  (アメリカの奴隷貿易禁止の決定)
1833年  (イギリスの奴隷制廃止の決定)
1830年~1907年  西アフリカ地方に拡がる

⑤チョコレートと私たちのかかわり

 かつては、中南米に連れていった奴隷や植民地支配下のアフリカで人々を使って栽培されてきたカカオ豆。現在、ガーナやコートジボアールといったところで栽培されているカカオ豆について質問しました。

 現在、だれが、どんな人たちが、カカオ豆を作っていると思いますか。

 返ってきた反応は、農民、奴隷、アフリカの人々という声。

 そこで、土曜プレミアム『世界がもし一〇〇人の村だったら4』(〇六年六月放映)の番組の中のカカオ農園で働く兄弟のビデオを見せました。

 授業後の子どもたちの感想からもわかるように、自分たちよりも小さな一一歳、六歳の兄弟が学校へも行けず、厳しいカカオ栽培に従事しているという事実はショックだったようです。

 小さな子どもたちが働かされている=「児童労働」が世界に二億人以上いることを伝えるとびっくりしていました。予想では、ほとんどの子が一億人もいないと考えていました。まさか、日本の総人口以上の児童労働が今、世界であるとは予想しなかった事実です。

 この児童労働をなくすためにFIFA(国際サッカー連盟)ではW杯で使用するボールを子どもが作ったものを使用しないと九八年から決めているという話をしました。世界で様々な行動・運動が少しずつひろがってきていることを伝え授業を終わりました。

四、子どもたちの感想から(一部抜粋)

○ チョコレートのことなんか、ぜんぜん考えたことがなくて知らなかったけど、ビデオなどを見ていっぱい初めて知ったことがあった。カカオ生産国や消費国などいろんなところの国がでてきた。カカオを作っているのは貧しい子どもってことは、びっくりした。その子どもは何になるか知らないでカカオを作っていることもびっくりした。W杯に出た国がほとんどだった。最後のほうはW杯の話が出てきたので楽しかった。

○ チョコレートは身近な食べ物でどういう風にできるかも興味がなかったけど、こういうことを勉強してから、カカオ豆を採るのに、児童労働があって大変だと思いました。今度からチョコレートを食べるときは、このことを思い出して味わって食べたいと思います。

○ ガーナやコートジボアールの子は、チョコレートの味も知らなくて、チョコレートってどんなもの?と聞いてるぐらい知らないと知ってかわいそうだと思いました。私は当たり前にチョコレートを食べてて、ああ何も知らずに食べていたんだなあって思いました。

○ いつも何気なく食べていたけど、どこで作られているのか、どんな国でどんな人が作っているのか、なんて考えたこともなかった。私たちは、いつも何も考えないで、食べたり買ったりしていたけど、作っている子供たちは「学校に行きたい」とか「親に会いたい」「勉強がしたい」と、私が当たり前だと思っていたことを思っていると知ってすごいくらい気持ちになった。

○ こんなに世界がわかるとは思いませんでした。普段、普通に食べているチョコレートについて、いろいろ調べると、不思議な感じがしました。私は作っている人が子どもだなんて思いませんでした。カカオ豆を取るのは、危険そうだったけど、その仕事を私より年下の子がやっているなんて、かわいそうでした。学校に行きたくても行けないのは、私たちにはありえないことで、どうしてみんな子供が平等じゃないんだろうと疑問になります。できれば、チョコレートを食べさせてあげたいです。

五、指導を終わって

 この授業は二年ほどあたためていたものです。授業案(授業プリント)はほぼ仕上がっていましたが、実際に授業するということで、本物のカカオ豆も手にしたくなりました。実際にカカオ豆のサンプルを送ってもらい。この豆が奴隷と交換されていたのか感慨深く見つめました。そして、この豆を四〇℃くらいの温度で湯煎してすりつぶすと「とろーり」ととろけてカカオマスになったのです。中南米の文明都市でカカオ豆をすりつぶし、それを飲料「ショコラトル」として愛飲していたことを私自身追体験しました。

 卒業まぢかの時期にこの授業をくみました。

 クラスとしては三学期あまり落ち着いていたとはいえないのですが、小学校で学習してきた力、身につけてきた力が試される時です。年表やグラフの読み取り、白地図の作業、歴史的な時代の把握など六年の三学期の時期だからこそ可能だったと思います。今年五年を担任していて感じることは、社会的な関心、地図を使い、よむ力、世界の国々の知識など、授業の反応や感想を見ると、六年生ってすごいなあと、あらためて感じます。

 プリントにした「おはなし」の内容などは六年生で もちょっと難しいと感じる部分があります。中学生や 高校生でも、いえいえ大人でも知らないことなので “知ってビックリ”の内容だと思います。

 この授業プリントは集団的な検討はなく、私個人がさまざまな資料を元に作ったものです。内容、文章、発問などいろんなところで課題があるかもしれません。

 批判的な検討をいただいて、また、私自身六年生の子どもたちといっしょに学べたらと思っています。

出典:「どの子も伸びる」2007.11./部落問題研究所・刊