文学の授業 (5年) 注文の多い料理店
一、作者と作品
宮沢賢治が童話の創作を始めたのは二三歳の頃からだと言います。「注文の多い料理店」は二六歳(大正一○年)の作品です。
大正中期というと、第一次世界大戦を受けて日本の生産力は急向上し、都会は好景気到来で成金が輩出した時代でした。農村の人たちは貧しくて物価高に苦しめられていました。労働者の日当は一円にも満たない時代でした。千円で住宅が建ったといいます。村祭りに出かける子どもたちの小遣い銭は、五銭か一〇銭がやっとでした。
それに対し、作品に登場する二人の紳士は、不猟なら「もどりに山鳥を一〇円も買って帰ればいい」とうそぶき、猟犬の死に対して「二千円の損害だ」「ぼくは二千八百円の損害だ」と自慢げに得意然としています。
賢治の数多くの作品は死後出版されたもので、生前に出版されたのは『注文の多い料理店』一冊でした。しかも彼の自費出版によるものでした。
賢治はこの本の「新刊案内」の文章に < 二人の青年紳士が猟に出て路にまよひ、「注文の多い料理店」に入り、その途方もない経営者から却って注文されていたはなし。糧に乏しい村の子どもらの、都会文明と放恣な階級に対する止むにやまない反感です。> と書いています。
この作品の主題と思想も浮き彫りにされている思いのする文章といえます。三八歳(昭和七年)で亡くなった彼の生涯からすると初期の作品です。
二、教材について
冒頭の三行で猟にやってきた二人の人物の出で立ちが描かれ、次々と展開する会話から成り上がりの者らしい軽薄さと動物の生命を奪うことに何の呵責も感じないといった物質文明にいかれてしまった人間の本質があばかれていきます。
若い紳士二人が山中で路に迷い、空腹におそわれていくうちに、見事に山猫に化かされてしまいます。
「風がどうと吹いてきて、草はざわざわ、木の葉はかさかさ、木はごとんごとんと鳴りました」というくだりから化かされていきます。行きつけの西洋料理店が山中に出現します。しかも看板は漢字と横文字、「山猫軒」とあることからも山猫が経営するレストランであることが、理解できます。
一回目の読みでは「山猫軒」とは変だぞと気づいても、その実態はわからないように物語は仕組まれています。店にはガラスの開き扉があって、店主からの客への注文がかかれています。
一つの扉を開けると次々に扉があり、各扉の裏にもなぞめいた注文が次々とあります。
三、指導計画
「なめとこ山の熊」を読み聞かせる。
第一次 段どり(二時間)
第一時 読み聞かせをし、一次感想を書かせる。(一時間)
第二時 背景の説明、難語句調べ、場面割り。(一時間)
第二次 たしかめ読み(八時間)
第一時 題名読みと、料理店に出会う前の二人の紳士の様子と背景を読み取らせる。(二時間)
第二時 料理店に入り、次々に扉を開けていく二人の若い紳士の様子を読み取らせる。(四時間)
第三時 現実にもどった二人の紳士の様子を読み取らせる。(二時間)
第三次 まとめよみ(二時間)
第一時 作品のおもしろみをつかませる。(一時間)
第二時 感想文を書かせる。(一時間)
◎読み聞かせを大切に
物語の〈語り手〉は、紳士に寄り添って語っていきます。
従って不思議な出来事が次々と展開されていきますが、それが山猫の仕業であるということは、二人が殺されそうになり、死んだと思っていた猟犬と猟師によって助け出されるという最後に近い場面までわかりません。
読者もまたそのことがわからないまま、さて、次はどうなることかと次々に展開していく不思議な出来事を登場人物に同化しながらスリルとサスペンスを体験することになります。このスリルとサスペンスは初読においてのみ最高に体験され得る貴重な文学体験です。
二回目の読みにおいては、物語の結果を知ってしまっているので体験できないわけです。この大事なスリルとサスペンスの体験をしっかりさせるために、教師の最初の読み聞かせが大事になります。もっとも効果的な自分の肉声で、ゆっくり、時には速く。
この体験は子どもの一生を通して忘れ得ない尊い体験になると思います。
◎一次感想
わたしは、題を見たしゅんかん(なんか忙しくて、お客さんが多いんやなー)と思ってました。それで二人の若い紳士がその料理店に入って、眼鏡をはずしたり、くつをぬいだりして、その戸に書いてあるとおり、したがってた。
それで私は(なんかめんどくさいなーなんでふつうにはいられへんのかなー)とちょっと不思議に思ってました。それでこんどは、手や顔にクリームをぬってたりして、しかも牛乳のクリームで私は(ん?なんかあやしいな。もしかしてこの人たち食べられるんかな?。いあやちがう。まだわかれへん。)と思ってました。
その前にも、若い人や太った人は大かんげい。と書いてあって(べつにどうでもいいやん。なんでなん)と思ってました。
それで、次はこう水をかけました。そしてたら酢のにおいがすると書いてあって、私は(やっぱり食べられるんや!わあーこわいはなしやなー)と思いました。
だって食べられると思わなかったし、ちょっと私てきには怖かったけど、そういう風に思えてこういう結果になったのもおもしろかったです。
(森山)
四、授業記録
T 「注文の多い料理店」という題を見て思ったことはありませんか。
篠原 もうけている店。
石森 人気がある。
森山 注文が多くて忙しい。
本山 お客さんが多くて忙しい。
西島 食べ物がいっぱいある。
C メニューや。
T 紳士とはどんな人を言うのでしょう。
岩田 大人の男の人。
大賀 背筋ぴーんとしていてまっすぐ。
金谷 やさしいひと。
川端 言葉遣いがキレイ。
篠原 服装がきちんとしている。
小林 服装が整っている。
小谷 挨拶とかきちんとできる。
下垣 言葉遣いがていねい。
T 1番、読んでください。二人の人物像について、どんな人物でしょう。
大賀 イギリスの兵隊にあこがれている。
T なぜあこがれているの。
本山 強いから。
上原 かっこいいから。
T なるほど。ほかに二人の人物像について。
金谷 動物を殺すことを楽しんでいる。
岩田 イライラして言葉遣いが悪い。
川端 小十郎「なめとこ山の熊」は生活のために狩りしていたけど、この二人は楽しむために狩りにきた。
吉田 お金持ち。
川端 犬が死んでも悲しんでない。
小林 損害のことを考えている。
高橋 やさしくない。
花尾 自分のことしか考えていない。
成富 ずるいでなあ。
篠原 収穫なしと思ったら、買って帰ろうとする。遊びはんぶんや。
金谷 かっこつけてる。
T 小十郎とは全然ちがうよね。こんな二人の紳士なのですね。
今日勉強した場面を読みましょう。
C (読む)
T 感想、思ったことを書いてください。
二人の人物像
かおる
今日は「人物像」を考えました。二人は「しんし」と書いてあったけど、「早くタンタアーンとやってみたいもんだなあ。」とかきたない言葉を使っていて(うわー!しんしなん?)と思いました。私のイメージの紳士とはおおちがい。それに、日本人なのにイギリスの兵隊のかっこうをして、日本人がいや!みたい。後で出てくる山猫たちも、こらしめているみたいです。第一印象は「紳士じゃない」でした。小十郎のように「ごめんな熊」と思っているのと、「早くタンターント」じゃあえものが手に入らないのもわかる気がします。こんな人にはぜったいになりたくありません。
第四場面 戸の内側の会話を聞いて、
泣くこと以外何もできない二人
【いや、わざわざご苦労です。たいへんけっこうにできました。さあさあ、おなかに入りください。】
T 「たいへんけっこうにできました」とは。
橋本 紳士の味付けができた。
花尾 料理ができた。
石森 食べられるようになった。
篠原 食べ頃。
本山 いい料理ができた。
大賀 うまそうや。
T だれがうまそうかというと。
大賀 紳士。クリームもぬったし、香水もつけたし。
T 「おなかにお入りください。」というのは。
小林 山猫のおなかの中にお入りください。食べられること。
川端 「お中にお入りください」は家の中にお入りください。
石森 トリックや。
T 二人は、どう。
大賀 びびってる。
T びびってるよね。泣き出したね。この二人をどう思う。
成富 えー………(首をかしげる)
T 小林君はどう思う。
小林 うー………。
T かわいそう?
岩田 いや、かっこつけてるし、友達もなさそうやし。
小林 自業自得や。動物を殺すのを楽しんでいる。
大賀 知ったかぶりをしてるし。あまりかわいそうと思わない。
T 親分というのは。
C 山猫の親分。
T どうせぼくらにはほねも分けてくれやしない。と言っている。ほねとは?
C 二人のほね。
T 山猫は紳士のことを、「あいつら」といい「お客さん」そして「あなたがた」と丁寧になっている。なぜだろう。
大賀 丁寧にいわないと、入ってくれない。
篠原 にげてしまう。
川端 「あいつらのせい」で山猫は親分にむかついているんじゃないかなあ。
赤石 親分は食べて、自分たちは骨だけ。腹立つ。
岩田 親分は強い。
成富 さからわられへん。
T 「へい、いらっしゃい、いらっしゃい。それとも皿土はおきらいですか。そんならこれから火をおこしてフライにしてあげましょうか。とにかくいらっしゃい」と言われて行くやろうか。
C いかへん。
T サラドって。
高橋 二人の紳士。クリームをぬったり、酢をかけている。
T フライは?
成富 二人をフライにすること。
金谷 ちがう。フライを作るということ。たとえば葉っぱをフライにする。
平田 ぼくもそう思う。サラドも二人じゃなくてサラダを作るということ。
T みんなどうですか。
森山 「ふらいにしてあげましょう。」って「あげましょう」というのは油でフライにふることと「二人をフライにしてあげましょう。」ということでトリックで、油でフライにしてあげましょうと言っていると思う。
川端 わざと言っているんじゃないかなあ。入らせな いために。
金谷 今までいろいろ言ってきたのに、入らせないこ とはないと思う。
大賀 わざとではないと思う。なぜかというと。入ってもらわないと自分たち山猫の子分がやられるから。
成富 山猫の言い過ぎ?
本山 山猫の二人はなんか紳士をからかっているような感じがする。だって、中ではフッフット笑っているから。
花尾 その後の二人の会話からも紳士をからかっていると思う。
T 花尾さんそこを読んでください。
(花尾読む)
からかっているんだねー。二人の様子はどうですか?
藤田 ぶるぶるふるえ声もなく泣きました。
松田 よほどこわかったんやと思う。
大賀 ショックで声も出ない。
成富 二人は若いし死ぬと思ってなかったし。
金谷 ノリノリ気分で料理店に入っていったのに、フライにしましょうかと言われて、めっちゃこわい。
T 「早くいらっしゃい。親方がもうナフキンをかけて、ナイフを持って、舌なめづり、お客様がたを待っていられます。」といっているよね。泣いて泣いて泣いて泣きました。って四回も書いてある。
岩田 むっちゃ泣いている。
大賀 大きく心を痛めすぎたから。
橋本 かっこつけていたけど弱い。
北田 いよいよ食べられる。
C こわいでなー
T そのとき後ろからいきなり「ワン、ワン、グワア。」と
成富 白い犬。
T あの白い熊のような犬二匹って、あのとは。
石森 めまいを起こして死んだんちがうん。
金谷 死んだのに生きかえったんや。
川端 不思議な世界だったから。
五、まとめ読み
T なぜ二人は最後まで山猫の罠に気づかなかったんだろう。
大賀 注文の多い料理店と信じていたから。
川端 偉い人が奥にいると勝手に思い、近づきになりたくてだと思う。
吉田 おなかがすいていて、早く食べたいから。
成富 言葉のトリックを自分たちのいいように考えたから。
金谷 不思議な世界に入っていったから。
橋本 勝手に思いこむ。
森山 何でも自分のよいように考えるから。
T ほんとだね。だから山猫の罠にかかっていったんだね。
気づかなかった紳士のことをどう思う。
金谷 あほやなあ。
石森 自分たちのことか考えないからこんなことになる。
六、終わりの感想
「自業自得」
吉田
私は、前書いたときはこわい話だと思っていたけどあまりこわくはないと思いました。自業自得だと思います。なぜかというと、犬が死んだのに悲しまず、お金のことで損をしたと言っていて「しかの黄色な横っ腹なんぞに、二・三発おみまいもうしたらずいぶん痛快たろうねえ。」「と言って痛快の意味を知らなかったから辞書で調べてみたら『非常に愉快なこと』と書いてあって、いくら生活のためと言っても愉快なこととはふざけて狩りをしに来ているから、うたれた動物もかわいそうと思います。これは森が仕返しをしたことだと思いました。こういうことになるのは当たり前だと思いました。宮沢賢治さんがこれを書いたのはたぶん、悪い事をすると後でかえってくると言いたかったんだと思います。
二人の紳士は外見はかっこつけていても内面は弱々しい人だったんだと思いました。それに最後もまだかっこつけて、泣いてばかりだったのに何もなかったみたいで、山鳥を買っていったので、こんな人がいたらあんまり友だちにはなりたくないと思いました。もう一人もおかしいなと感じたならば、「やっぱりおかしいよ。」と言うべきだったと思うし、お金や、かっこつける事よりもっと大切なことがあると思いました。
七、おわりに
子どもたちと楽しく読みを進めていくことができた。学習する前に「なめとこ山の熊」の読み語りをした。小十郎と二人の紳士を対比しながら人物像をとらえていった。「…すぐ食べられます。」「食べることができる。」と「二人が山猫に食べられる。」の言葉のトリックを考えていく中で「…おなかにお入りください。」の言葉に気づいていった。香水が明らかに酢くさいのに「下女がかぜをひいてまちがえたんだ。」と勝手に考えて「おかしい。」と意見がたくさん出た。
「フライにしてあげましょうか。」も言葉のトリックだと読んでいった。ここで、「山猫は紳士を中に入れたくなかったんとちがうか。」という意見が出ていろいろ意見が出た。終わりの感想に、二人の紳士に対する批判が多かった。まとめ読みの時に作品から離れない程度に自分たちとの生活体験と照らし合わせてまとめ読みをとも考えたが、これから宮沢賢治の作品をとみ重ねていくうちになされ得るものだと思った。
子どもたちは私の予想以上に喜んで、いろいろと想像をふくらませながら楽しそうに読んでいった。
出典:「どの子も伸びる」2010.2./部落問題研究所・刊
(個人名は仮名にしてあります。)