戯曲「嵐吹いて、草たちはいま…」
奥村和巳 佐伯 洋 松本喜久夫 宮階延男
○時 一九九六年二月より一九七九年十月
○所 大阪市、八田地区とその周辺
○舞台 中央に大きな二重台。上手へ少し高い二重台がつづく。下手に少し離して別の二重台がある。劇はこの一部または全部を順次使って進行し、転換の間をとらない。
上手前に行灯を置き、時、場所をあかりで示して進行する。
○場割りと登場人物
第一幕
一、一九六九年二月、八田地区の路上
山下(中年の中学校教師)
玉野(中年の中学校教師)
金森(中年の小学校教師)
かね(屋台のおばさん)
中田(八田地区の住民、純子の母)
羽山(若い小学校教師)
二、同年三月、大阪市教育委員会の一室
教育次長
中村(市教組委員長)
徳野(市教組執行委員)
崎山( 同 )
森村(市教委同和担当主幹)
泉 (部落解放同盟八田支部書記長)
三、同年四月、住之江教職員寮の玄関
羽山
松木(羽山の友人、若い教師) 山脇(若い女教師)
住之江寮管理人
徳野
橋口(市教組南東支部青年部長)
電話の声(泉)
四、その翌日、八田市民館の集会室
羽山
玉野
金森
多田(部落解放同盟八田支部長)
泉
中田
同盟員A
同 B
同 C
同 D
同 E
森村
その他同盟員、市教組組合員多勢
五、数日後、夜の道、病室
玉野
登美(玉野の妻)
寛美(玉野の長女)
羽山
近所の奥さん
金森
山脇
中田純子(金森学級の児童)
鳥井弁護士
花田(タバコ屋のおばさん)
若者1(解同のアルバイト)
若者2( 同 )
六、同年五月、教育会館会議室(市教組中央委員会)
議長
玉野
関谷(市教組中央委員)
中村
徳野(市教組書記長)
崎山
橋口
その他執行委員、中央委員、解放同盟員多勢
松木
七、同年六月、朝日小学校職員室
羽山
松木
校長
伊藤(朝日小学校教務主任)
中西(同校 生活指導部長)
谷口(同校 分会長)
吉田(同校 中年婦人教師)
小林(同校 若い婦人教師)
山本(同校 同 )
八、一九七一年(二年後)一月、大阪市教組臨時大会会場
議長
崎山(市教組代議員)
その他市教組役員、代議員など多勢
松木
第二幕
九、1974年(三年後)言、玉野の家
玉野
登美
寛美
憲子(玉野の次女)
花田
羽山
松木
その他、支援の教師たち、合唱の人たち多勢
十、同年四月、羽山の結婚式
羽山
山脇(羽山の妻)
玉野(羽山・山脇の仲人)
登美( 同 )
松木(司会者)
花田
金森
寛美
憲子子
その他列席者(前場の合唱、教師の人たち)
十一、一九七七年(三年後)三月、教育委員会の一室
教育次長
教職員課長
中村
徳野(市教組副委員長)
橋口(市教組南東支部長)
十二、同年五月、朝日小学校六年一組教室
羽山(朝日小学校の教諭)
松木( 同 )
小林( 同 )
子どもA(小林学級の児童)
同 B( 同 )
同 C(松木学級の児童)
放送の声(朝日小学校の教諭)
合唱の人たち
十三、一九七九年(二年後)十月、裁判所の裏庭
玉野
山下
金森
羽山
関谷(八人の先生を守る会事務局長)
崎山(市教組書記長)
鳥井弁護士
高山(養鹿高校教諭)
立川( 同 )
登美
寛美
花田
松木
かね
羽山の妻(旧姓山脇)
その他原告団、弁護士、傍聴者、参会者たち
小林
朝日小学校の先生たち
合唱の人たち
第一幕(一九六九年二月より一九七一年一月まで)
一、「八田地区の路上
上手の行灯に「一九六九年二月、八田地区」の文字。舞台が明るくなると字は消える。
上手よりに「おでん」の屋台。赤ちょうちんがぶら下がっている。屋台を中心に、二、三脚の床几、寒さよけにビニール幕が張られてある。
先程から一ばいやっている玉野と金森、その横で山下が屋台を机がわりにペンを走らせている。闇がせまって、風の音ひとしきり。
玉野 おばちゃん、もう一本。
かね はい。ほな先生、これ私のおごり。
玉野 あかん、あかん。買収しても息子の成績はあがらんで。
かね あきまへんか。そやけど一本ぐらいよろしやろ。教育長さんかて、やったはるんやから。
金森 おばちゃん、あきらめ。この人ほ金や権力には縁がない人。生徒のために身銭はきっても、自分はもらわん人や。
かね そうですなあ。ほなら一つ、つがしてもらいまひょう。おばちゃんで悪いけど。
玉野 それはありがたい。(グーと飲んで)働くおばちゃんの味や。うまいなー。
中田、回収してきた反古紙を積んだリヤカーを引いてくる。
中田 寒いなあ、今日も。二級とおでんな。(床几にすわる)こんにゃくと竹輪に……(金森に気づいて)いや、先生。こんなとこにいやはって。えらいとこ見られた……
金森 相変らず元気ですね。今帰りですか。
中田 (うなずいて)きょうは集りが悪うてね。
かね 何や、あんたの先生かいな。
中田 ふん。純子が世話になってるんや。 かね わしとこはこっちの先生や。あのワルが玉野先生、玉野先生いうてな。
中田 金森先生、この間の話、あれ良かったわ。つづきをしてほしいいうて、評判ええの。
玉野 ほう、何の話やねん
金森 いや、大学区制ですよ。学区を小さく分けて進学率の高いところに高校増設をするのが本筋なのに、大学区をそのままにして、ここみたいに進学率の低い地域といっしょにしとく、それでナラシで数字はじき出して、父母の要求をごまかす。こうして一流校から三流校まで、教育委員会がつくってきたって。
玉野 おいおい、ぼくの専門を横取りするなよ。
金森 えっ~ (ことさらに)あ、先生中学校でしたね。ははは……(二人笑う)
金森 (中田に)純ちゃんの学用品、届きましたか。
中田 はあ、昨日。いつも先生に手続きをたのんで……じや先生。(立ち上がる)
玉野 ああ、お疲れさま。(中田につづいて外へ出る)おばちゃんらがこうして紙を集めてくれはるから、子どもたちのテストができるんです。ありがたいことです。
金森 (一緒に外に出て)これがザラ紙になるんですね。
肩ひもをかけ、引きだそうとする中田。金森はそのリヤカーをグッと押す。
中田 いや、先生。……おおきに。
中田、会釈をしてリヤカーを引いて行く。二人は再び屋台に戻る。
山下 (ペンをおいて)これでええかな。(二人を見て読みあげる)組合員のみなさん、昨年はご支援、ありがとうございました。残念ながら落選しましたが、本年こそ、と頑張っています。どうぞよろしくお願いします。
みなさん、労働時間は守られていますか。自宅研修のため午後四時頃に学校を出ることができますか。仕事においまくられて、勤務時間外の仕事を押しっけられていませんか。進学のことや同和のことなどでどうしても遅くなること、教育懇談会などで遅くなることは、あきらめなければならないのでしょうか。また、どうしてもやりたい仕事もやめなければならないのでしょうか。
組合員のみなさん、教育の正常化に名を借りた、しめつけや管理はありませんか。越境・補習・同和など、どれを取上げても極めて大事なことです。しかし、それに名を借りて転勤や過員の問題、特設訪問や研究会や、授業でのしめつけがみられて、職場がますます苦しくなります。新指導要領についても同じです。「どんな良いことでもお上から決められたことはダメだ。自ら要求し自らかちとったものが身となり肉となる」ことを、ひしひし思い知らされます。
最後にもう一つ、平和を守り、沖縄の即時無条件・全面返還と安保廃棄の闘いを、暴力集団を除いた全民主勢力で勝ちとりましょう。東京都や沖縄の三大選挙のような、強固な統一戦線をつくりましょう。まだまだたくさんありますが、このようなことに奮闘して、頑張りたいと思っています。どうぞよろしくご支援ください。
間
玉野 うん。おおむね、いいですな。
金森 各項目に、一、二、三と数字を入れたらどうですか。その方がわかりやすい。
山下 そうやね。さすが小学校の先生ほちがう。
玉野 それと、組合員のみなさんが、どっかでだぶってた。呼びかけは一つにした方がスッキリすると思う。
山下 うん。
かね 大変ですな、先生も。
玉野 そうや。民主的な組合をつくらんと、なかなか本物の教育はでけん。
かね 「労働時間」 って、先生らいつも遅いんですやん。……それはあかんのですか?
山下 いいや、私らは上から決められたんやのうて、自分から懇談会をつくってきた。そやからこんな時間になっても何とも思わんし、おばちゃんと話をしてても楽しい。
玉野 ほんまはうちの母ちゃんに怒られることもあるんや。
かね また、先生のおのろけ。
玉野 いや。怒られても、八田地区の教育懇談会はつづけなあかんのや。これは人から命令されたんやのうて、自分から進んでやっている。
金森 それをお上が命令してきたらどうなる?……赤ちゃんを保育所にあずけてる先生もおる。子どもに一人で家の留守番さしてる先生もある。そんな先生は早く帰って当り前やろう。その代りにその先生は子どもを寝かしながら採点をし、ノートに赤ペンを走らせてはるんや。
かね なるほど。
羽山、ビニール幕を開けてのぞく。
羽山 やっぱりここですか。玉野先生、次の研究会の打ち合せ……。
玉野 そうや、すっかり忘れてた。すぐ戻ろう。……あっ君、山下先生の推薦人になってくれへんか。今、あいさつ状ができたとこや。
羽山 あ、山下先生、役員選挙に出られるんですか。
山下 ええ、また書記長です。
羽山 (うなずいて)いいですよ。名前書いておいてください。応援します。
玉野 よし。じゃ役選めざして、乾杯といくか。
四人はそれぞれ盃を持って立つ。先程からなっている屋台のラジオがニュースを告げる。 ラジオ ……つづいて大阪からお知らせします。けさ、和歌山県白浜三段壁で発見された中年の男の人の水死体は、その後の調べで、大阪市教育長、藤原肇さんとわかりました。藤原さんは一連の教育委員会汚職で、一昨日警察の取調べに行く、と家を出たまま行方がわかりませんでした。校長任命にからむ今回の汚職事件で、藤原さんは……。
金森 自殺……か。
玉野 教育委員会にも嵐が吹くえ。……
四人、先の不安を感じるように、盃を持ったまま立ちつくす。かね、その四人をじっと見る。風がひときわ強く吹く。
暗転
二、大阪市教育委員会の一室
行灯に「同年三月、大阪市教育委員会内の小会議室」 の文字。
テーブルをはさんで、一方に市教委教育次長。一方に市教組委員長中村、執行委貝徳野、同崎山。
教育次長 (立っている)…‥それでは明日までに教育委員会として責任のあるご返答をいたします。議員団と市長の話し合いも行なわれておりますので、その政治的決着も受けまして……
それまで、どうぞ穏便に……
中村 (すわったまま)ま、気の毒やといえば気の毒やが、なんちゅうても身から出たサビやからね、はっきりしてもらわないかん。市民に対してやね。責任のある善後策を……ごまかしようがおまへんで、ここまで来たら、エ?
次長 (無表情に黙っている。しかし立ったまま、もう交渉は終りという姿勢をくずさない)
中村 (徳野、崎山を見て)とにかく明日まで待ってみよ。帰ろか。
徳野 はあ。(立ち上がる)
崎山 ちょっと……教育次長、さっきの質問――あなた方が言う教育正常化というのを軌道修正するのかせんのかということにはまだ‥‥‥
中村 (さえぎり)崎山君、それはまた別の時にやる。今日は帰ろ。
崎山 しかし、委員長、こういう腐敗が明るみに出ているのに……
中村 (再びさえぎり)ええから、ええから……次長さん、この次は今の問題でやりまっせ。ほな。
中村が他の二人を押し出すように出口ヘうながす。他の二人が先に出たところで。
次長 中村さん、ちょっと。
中村 あ?(ふり返り、次長と目が合った。外の二人に)ああ、あんたら先に帰っといて。わし、あと議員団の控室回って行くさかい。
徳野らは帰って行った。教育次長と中村は席に戻る。
次長 (さっきよりくつろいでいる)どうぞ、中村さん。
中村 (腰を下ろしながら)大阪市教委、危急存亡のときか……
次長 いやぁ、参りました。次々と……内憂外患……
中村 外患て、なんや。
次長 (苦笑して)そんな……たとえば、教職員組合。ははは……
中村 フン。
次長 上げ潮ですな、なかなか。
中村 なにが?
次長 革新勢力……統一戦線て言うんですか、社共の。
中村 そうでもないで。向こうは上向きかも知らんけど、こっちは……しかし、それは今度の教育長問題とは関係おまへんな。
次長 (じっと中村を見すえている)……中村さん、これほ部分的な問題です。もうちょっと巨視的に見てほしいんですがね……おっしゃるように、日共さんは着々と力をつけています。どうもあの反戦とか、反代々木系とかはうまく行ってないようですな。
中村 いやァ、大阪ではまだまだ戦力になっとる。向こうさんもだいぶ叩かれてこたえてるんやで。
次長 いや、叩かれ得をしてるんやないですか、日共さんとしては。現に東京では都知事選挙でも三派系は除外されてるようですし……大阪市教組の中でもじりじりと……
中村 ほっといてんか。なんや、話すりかえよう言うんか。
次長 巨視的に見ようと言ってるでしょう。……大教組は大丈夫ですか。
中村 大丈夫やがな。……なにを言いたいんや、次長さん。
次長 (ずばりと)大阪も時間の問題じゃないんかということです。さ来年の知事選挙もにらんで、あちらさんの戦略はなかなか雄大で綿密です。
中村 だいぶ危機感を持ってるわけやな、次期教育長としては。しかし、小細工はあきまへんで、今さらレッドパージもない。組合は一応統一戦線やからね。崎山も交渉に連れて来ないかんのですわ、時々は。
次長 小細工なんか、すると言ってません。
中村 さ、わしも忙しいんですわ。具体的な話がないんなら、これで。(腰をうかせる) 次長 いや、中村さん。(ポケットから一枚の印刷物を取り出し)これ、ご存知でしょうな。
中村 あん~ ああ、山下君らの立候補のあいさつか、見ましたで。
次長 えらいのんきですな。問題になってないんですか。
中村 うん、南東支部もかなりせり合うてるとこやから、向こうも力入ってるなぁと……~次長 そんなことやなくて、内容ですよ。
中村 内容?まだ詳しく読んでないから……
次長 ここです。(指でさして)大問題でしょう、これ。……ちょっと待ってください。さっきから待ってもらってる人があるんですよ。(奥に行き、いったん出る)
中村は、首をかしげ、吸い付くようにじっと印刷物を見つめている。次長が、泉(部落解放同盟八田支部書記長)、森村(市教委同和担当主幹)とともに再び入って来る。
中村 (顔を上げ、ハッとする)あ! 泉さん……
三、住之江教職員寮の玄関
行灯に「同年四月、住之江教職員寮」 の文字、舞台が明るくなるにつれて消える。
管理人室へ通じる階段の下。ぽつんと電話が置いてある。壁に子どもの絵が額に入って吊られていても良い。まっ暗な中を不安な曲が支配しているが明りが入るとともに、それは鳴り続ける電話のベルの音に替る。
管理人がパジャマにガウンを羽織りながら電話に歩み寄る。
管理人 アーア、こんな時間に、かなわんなァ。(受話器をとり) ハイ住之江教職員寮です。
電話の声 (この声はスピーカーで会場に流される。低い抑えた声だ)教職員寮でっか~
管理人 はい、私、管理人ですが、緊急以外は夜間の電話は慎んで欲しいですなあ。
電話の声 そちらの二階、六号室やと思うけど羽山という教師が居る筈やが。
管理人 羽山さんでっか。この頃顔見てませんよ。しばらく帰って来てないですよ。
電話の声 そうでっか。(残念そうだ)あんた羽山を見かけたら八田市民館へ来るように言うといてんか。
管理人 あんたえらい横柄な口のきき方しはりまっけど、どちらさんですか。
電話の声 部落解放同盟の泉や。解放同盟との話し合いに出て来い。出て釆んようならこっちにも考えがあるて言うといてんか。あんたも教職員寮の管理人やってるくらいやから、今大阪でどんな問題が起ってるかくらい知ってるやろ。
管理人 しかし、それと羽山さんと何の関係が……
電話の声 (相手をさえぎって)羽山も差別教師やがな。(ガチャリと電話を切る)
管理人は舌うちして受話器を置く。
管理人 なんや組合の役員選挙で、あいさつ状が問題になってるということは聞いたことがあるけど……(とひとり言)
階段の途中から半ば覗くような姿勢で松木が管理人に呼びかける。
松木 あのう、羽山君がなにか……
管理人 解放同盟から電話でしたんや。ややこしいことにならなんだらええが。ともかく「八田市民館へ来い」て言うてはりましたで。松木さん、もし、あんた羽山さん見かけたら言うてやって下さいな。私は休ませてもらいますで……。(と振りかえり管理人室の方へ帰ろうとすると、玄関に立っている人物が目に入る)羽山さん(じっと見て)羽山さんやね。(と寄って行く)
羽山は薄暗い玄関から、廊下の明りの部分へ入る。松木は階段を駆け降り、羽山の肩に手を置く。
松木 心配してたんやでェみんなで、寮に帰って来ん日が続いたから。
羽山 (こわはっていた顔が少しゆるんで)すまん。ああ、腹減った。
管理人 羽山さん、あんたまだ若い、教師になって二、三年でっしゃろ。かたよった思想の人もまわりにおるから、気イつけなあきませんで。松木さん、さっきの電話の伝言、頼みましたで。(と退場)
松木 解放同盟というところから電話で―
羽山 わかってる、糾弾集会に出席しろて言われてるんや。
松木 糾弾? 行くのか。
羽山 (それには答えず)差別者て言われてるんや、俺。
松木 差別って、何か部落の人を差別するような事を言うたのか?
羽山 いいや、ただ役員選挙の推薦人に名前を連ねただけや。
松木 ただ名前だしただけでか?
羽山 解放同盟て民主的な団体、なんやろ。
松木 そら、そうやろ。部落解放の運動やってるんやから。……し かし、わからん話やな、いったいどういう関係になってるんや、君が差別者やていうのは……
羽山 (話をそらして)食堂、まだあいてるかなぁ。
松木 もう、おかず残ってないよ。俺の部屋でラーメソでも一緒に食おう、作ったるわ。
風呂帰りでもあろうか、山脇が電話の方に向かって歩いて来る。
山脇 すみません。電話、使っていいですか。
松木 あっ、どうぞ。僕らここでちょっと立ち話してるだけですから。
山脇 あら、(と言って、羽山に)帰って来てはったの、羽山さん。
松木 さっき、帰って釆たんや。羽山君知ってるやろ、四階の……
羽山 八号室……やったかなあ。
山脇 そう、山脇と言います。山手小学校四年生担任、新任です。
羽山 じゃ金森先生と同じ?
山脇 ええ、学年がちがうけど、兄弟がいるのでときどき話すんです。いい先生ですね。
羽山 そう、いい先生です。だから推薦人になったんやけど……
山脇 推薦? なんの……
羽山 組合の選挙の……
山脇 ああ、あれ。金森先生も候補者なんですね。
羽山 ええ、……頼みみますよ。
はあ私、先生方信煩してますから。
松木 今頃、電話? どうしたの?
山脇 田舎の母も教師してるんですけど、時々電話しないとうるさいんです。明日の指導案書いてたら、こんな時間になってしまって。
羽山 がんばってるんやね。
あわただしく玄関に飛び込んで来た男がいる。大阪市教組役員(徳野、橋口)だ。羽山に目をとめるなり大声で。
徳野 困るなあ! 羽山君。ともかく早よ行って欲しいんや。急いでんか!
松木 あなた誰ですか。失礼じゃないですか。
徳野 あんたこそ、誰や。私は市教組の役員で徳野という者や。(羽山に向かい)羽山君、早よう行こ。
羽山 どこへ、ですか……
徳野 八田市民館へやがな。われわれもえらい迷惑やで。ともかく玉野はんからもうみんな揃うてるんや。解放同盟も泉さんはじめ待ってるんやから。
見守る松木と山脇
橋口 大阪市教組の面ツにかけても連れて行くで、さ、早よ車に乗ってや!
徳野は羽山をせきたてる。
松木 羽山君、お腹すいてんのと違うか。
山脇 (すばやくポケットからみかんを)羽山さん。(渡す)
羽山 ありがとう。
玄関に向かう徳野、羽山はみかんをもらって山脇にお礼の視線、そして玄関へ。
車の発進音、不安な曲。
四、八田市民館の集会室
行灯に「その翌日、八田市民館」の文字。正面高い二重に玉野、金森、羽山。その横に泉がマイクを持っている。一段下に多田、それを下手よりから前方へ解放同盟員、市教組組合員らが取り巻いている。
暗転
同盟員A おい差別者、しゃべったれや! お前らは十八日はあいさつ状を差別文書やと認めたんやろ。
同盟員B 先公はしゃべんのが商売やろ。もう十五時間も黙っとるやんけ。何とか言うたれ
三人 …………
同盟員C 質問しとんのが立っとんやぞ。徹夜でえらいのはお前らも俺もー緒じゃ。何をえらそうにすわっとんねん。立て立て!
三人、思わず腰を浮かすと横から椅子がけとばされる。
多田 な、玉野先生、(と丁重である)こないだの電話では金森先生が窓口やていうことやね。とすると、金森さんがしゃべらなあかん訳や。
金森 昨日も言うたように、授業中の学校に乗り込んで、無理矢理私を連れ込んで来る、こんな状態のところでは何も言うことはありません。
同盟員C 誰がそうさしたんじゃ。約束破りやがって。
同盟員D まあ、おかけなさい。ちゃんと話をしましょうや。(と椅子をすすめる)
三人、椅子にすわる。―間― 羽山煙草を吸う。
泉 こら、生意気なんじゃお前ほ。若いくせに煙草なんか吸いやがって。
多田 お前らな、足踏まれたもんの痛み、わからんやろ。足踏まれたことあるか!(近づいてドンと強く床をたたく)
金森 (思わず足をひく)
多田 ほれ見てみ、お前は偏見を持っとる。俺が足をあげたら踏む思とる。部落の者は悪いことすると思うとるんやろ。(金森の胸ぐらを掴んでゆさぷる)
金森 ……ちょっと電話をかけさせてほしい。子どものことで……
同盟員A 何が電話じゃ。(近よる)
泉 挑発にのったらあかんぞ、皆。金森さんよ、一晩女房と離れたらもう嫁ほんの声聞きたいんかい~(皆下品に笑う)山本っちゃん、事務所へついて行け。
金森、立ち上がる。
同盟員A 三人とも、俺らをなめてんのか!
泉 (掴みかかろうとするのを止めて)か挑発にのったらあかん。
同盟員B 子どものことだけやで。ほかのことしゃべったらあかんで。(金森とともに去る)
泉 こいつらはな、殴られよう思て挑発しとるんや。殴るのはわしやど。殴らなあかんときはわしがやる。罰金一万円をピタッと払うたら検察庁も公認じゃ。(額に一万円札をはるまねをする)
同盟員C あのな、糾弾うけて逃げおおせたためしはないんやで。わしら地球の果てまで追いかけたるからノイローゼになって死ぬこともあるんや。それでもええんか。……困るやろ。そやから差別者であることを認めて、自己批判をせえよ。
金森、帰ってきてすわろうとする。
同盟員E おんどれら! 差別者のくせにいつまですわっとんねん。
三人、再び立つ。
中田 金森先生、わしは先生にだまされとったわ。部落解放のために一緒にがんばろう言うとったのが何でしゃべらへんのや。わしは差別のためにリヤカー引いて屑買いに行ってる。……あんたは犬や、そんなスリッパぬいでわしのリヤカー引き。自分のやってることがわからん者は犬や。
森村、あたふたと入って来る。Aが泉の横へ案内する。
森村 教育委員会、同和担当の主幹、森村でございます。
泉 森村さんよ。こんな意識の低い先生がおるっちゅうのは市教委の指導がなっとらんのとちうか
森村 …………
多田 山下あいさつ状は差別文書と認めるんやな。
森村 ……教育委員会としてはそう思います。
泉 教育委員会が認めてるのにこいつらは認めよらん。これは市教委の方針にも合うとらん奴や。よし、解放同盟八田支部として俺らは要求する。教育委員会はこいつらのクビを切れ!
三人を残して急速に暗くなる。三人、舞台端へ出ると、金森急に倒れる。
玉野 金森君!金森君!
羽山 金森先生!
暗転 救急車の音が響く。
五、夜の道、病室
行灯に「数日後、夜の道、病室」の文字。
前景から数日後。寛美が塀に貼ってあるビラをはがしている。チャルメラが聞こえてくる
寛美 お父ちゃんほ怠け者の差別教師とちがいますからね。(塀をこすりながら)お父ちゃんはええ人やねん。
玉野と羽山が病院より帰ってくる。その後から山脇がつづく。
寛美 あ、お父ちゃん。(抱きつく)もう体ええのん?
玉野 ああ、病院でちゃんとなおしてもろたよ。
登美 (背中に赤子の憲子を背負い、はがしたビラを持ってくる)お帰りなさい。
玉野 心配かけたな。…‥‥今、羽山君と、クビになったらラーメン屋でもやろか言うてたんや。
登美 はいはい。家に三万円だけ入れてくれはったら、ラーメソ屋でも何でも結構です。……羽山先生、ご苦労さまでした。
羽山 はあ、どうも……あの山脇先生です。金森先生と同じ学校の。
登美 (頭を下げ)玉野の妻です。
玉野 病院まで羽山君を出迎えに来やはった。なんかあるぞ、これは。どうや羽山君。
羽山 なんか、ねえ……残念ながら、金森先生を見舞いに来られた、そのついでというのが事実やないですか。
山脇 残念ながら、その通りですね。
羽山 待てよ、甘ずっぱい関係ぐらいはあるな、やっぱり。
山脇 エー、そんなの……ウソですよ。
羽山 いや、糾弾の前にもらったみかん、あれおいしかった。助かったよ。
山脇 なーんだ。
玉野 ああ、あれほうまかった。ははは……
寛美 (服の下から何か取り出す)お父さん、これ。
玉野 何や、表札やないか。
登美 同盟の方がおいでになったらかなわん言うて、おばあちゃんが……
玉野 表札はずしたぐらいですむことやったらな。
羽山 「差別教師玉野清二を糾弾する」か……ぎょうさん貼ったりますな。住之江寮のまわりにもぼくの名前で貼ってあるんでしょうね。
山脇 (うなずく)
寛美 きのうはおばあちゃんと二人ではがしたんよ。これは二回目のやつ。きょうのはボンドやから、なかなかはがれへんの。
玉野 (思わず娘を抱きしめる)
豊美 あなた、家に用意がしてありますから。
玉野 ありがとう。(登美の背中の憲子をそっとあやす)羽山君行こ。
寛芙の手をひっぱって去る。羽山、山脇もつづく。物陰より近所の奥さんが出る。
奥さん 奥さん。
登美 (四人を見送っていたが驚いて)は、はい。
奥さん 明日遠足でしょう。子どもにつくったおかず、余り物で申しわけないんやけど、おかあさんの手で寛ちゃんのお弁当に入れたげてください。気苦労だけでも大変ですもの。
登美 ありがとうございます。そこでパンでも買うてと思てたとこなんです。(涙が出てくる)喜んでちょうだいします。
奥さん 端からでは何もできませんけど、お気を確かにね。
奥さん去る。登美、その後ろ姿に礼をすると溶暗。同時に上手の二重台が溶明。病室である。ベッドに金森が寝ている。山脇、中田純子を連れて来る。
純子 金森先生、大丈夫?
金森 おっ、純子、……元気だよ。(後ろの山脇に気づいて)山脇先生。
山脇 胃のぐあいどうですか? 今日は純ちゃんのお供で。
純子 先生、この間、おかあちゃん、先生にうちのリヤカー引け言うたん?
金森 ……ああ。
純子 ほんまやったんやな。それで、おかあちゃんが先生にあやまりたい言うてる。……私、先生が両脇をかかえられて運動場通って行ったの見てるもん。
山脇 純ちゃんね。あの日おかあさんが、「糾弾にスリッパをはいてきてる。わしらバカにして」って言うたのを聞いて、先生がむりやり連れ出されたのを話したんですって。
純子 (うなずいて)それ言うたら、おかあちゃん、「金森先生は、はじめから犬にされてたんやな。それならワテかてしゃべられへん。先生くやしかったやろ」言うてる。
山脇 それでビラ貼りの後、おかあさんそっと寮へみえたんです。先生に直接会うのが辛い言うて。
金森 純子、ありがとう。でも今の話はここだけだよ。先生くやしかったやろなんて声に出したら、今度はおかあさんが困るよ。
ノックの音。
金森 どうぞ。
玉野、鳥井弁護士が入ってくる。
玉野 金森君、どや、ぐあいは。(山脇たちに気づいて)あ、どうも。
金森 同じ分会の山脇先生、それから中田純子ちゃん。それからこちらは……
玉野 あ、どうも、玉野です。(山脇に)先日はお世話になりました。
鳥井 (名刺を出す)弁護士の鳥井です。はじめまして。(それぞれあいさつをかわす)
山脇 じゃあ、純子ちゃん、おそくなるとおかあちゃん心配するから、帰りましょ。
純子 うん。先生さようなら。
玉野 いや、どうもすみません。なんや追い立てたみたいで……
山脇 いえ、そんなことありません。……先生、どうぞお大事に。
金森 ありがとう。職場のみんなによろしく。純子、しっかり勉強するんやぞ。
純子 はーい。
山脇 じゃあ、失礼します。(純子の手を引き退場)
間
玉野 実はな、今度の事で相談があって来たんや。
金森 ほう。
玉野 山下君や鳥井先生ともいろいろ相談したんやけどな。思いきって泉支部長らを裁判所えたらどうかと思うんや。
金森 訴える……
玉野 うん。……逮補監禁、それに強要未遂や。
金森 ……それは……どうかな……
玉野 ゆうべ、鳥井先生を通じて、この間の糾弾集会のようなことを今後行わないこと、求を撤回すること、民主的に話しあおう、ということ申し入れしたんやけど、てんで相手にしよらん。このままでは、僕らの身が持たん。まともな教育もでけへんやないか。
金森 うん……(うなずく)
玉野 山下君とこも、連中のステッカーでいっぱいや。この前なんか、家の近所に工事に来てた人の車にまで貼りよって、その人が文句言うたら、お前も差別者の片われか、言うておどかされる始末や。……寛美が毎晩、一生けんめいにはがしてくれとるけど……
金森 (うなずく)
鳥井 金森先生、……先生がためらっておられる理由はなんですか。
金森 ……僕は……玉野さんもー緒やけど、永年、部落の中で教育をやってきました。
……この間のようなやり方は確かに腹が立つし、あってはならんことやと思うけど……では、なんとか話しあって解決できんものかとも思うんですわ。
鳥井 …………
金森 ベッドの上で、天井をにらみながら、なんべんも考えました。……どうしてこんなことになったんや、なんで僕らと解放同盟が対立せなあかんのや…ってね。
玉野 ……わかる……
金森 僕は、泉さんと一緒に風呂に入って背中まで流しあったこともあるんですよ……
鳥井 先生のお気持ちはよくわかりますよ。
玉野 そりやあ、今度のことで、僕もずいぶん考えた。……正直言うて、山下君のハガキは、ことば足らずやったんとちがうかと思ったこともある。しかし、彼らは、ハガキの文章がどうのこうの言うてるんとちがう。
金森 どうちがうんですか。
玉野 彼らは、あいさつ状にことよせて、僕やあんたのやってきた同和教育をつぶそうとしてるんや。ねらいはそこにあると思う。だから、僕らも、ふりかかった火の粉を払わなあかん。こちらにも不十分な点があった、なんて言うて譲歩して、円満に解決できる問題やない。妥協はでけへんのや。
金森 彼らて言うのは、八田支部の人たちか。
玉野 それと市教委や。市教組の橋口らも一緒や。みんなで連合して、僕らをつぶしにかかってんのや。
金森 じゃあ、今度のことは、前々から計画されとったことや言うのですか。それは、ちょっと考えすぎとちがいますか?
鳥井 いや、先生。考えすぎじゃありませんよ。ご承知かと思いますが、京都で部落解放同盟が分裂させられ、水平社創立いらい、一貫して解放同盟とともにたたかってきた共産党が、大会でのあいさつを拒否されるというような、異常な事態が続いているでしょう。反共をテコにした反動勢力の分裂策動が、解放運動の分野でも急速に強められているんです。市教組や、解同八田支部だって、けっして例外じゃありません。
金森 それは、僕もおおよそのことは知ってます。だからこそ、分裂してはいけない。解放同盟と撲らがやりあって一番喜ぶのは権力の側やないですか。今、告訴したりしたら、部落の人たちは、もうはっきり僕らを敵視する思うんです。
玉野 だからと言うて、だまってるわけにはいかんやないか。
金森 だまってろ言うんやない。ただ、民主勢力の一つである解放同盟を告訴するというのは、権力に売りわたすようなもんや。……やはり、……僕にはでけへん。
鳥井 先生はまちがっていますよ。部落の人たちの本当の願いを実現するためには、統一戦線の立場に立った、正しい運動が進められなくてはならない。そのためには、運動を反共と暴力の方向へ持って行こうとする人たちとは、毅然としてたたかわなくちゃなりません。裁判に訴えるのはそのたたかいの一つなんですよ。
金森 …………
鳥井 法治国家の国民が、不当な暴力に対して法的な手段でたたかうのは、憲法で保障された当然の権利で、けっして恥ずべきことじゃありません。私たちもがんばりますが、先生方や民主勢力のたたかいがあってこそ、はじめて裁判も前進するんです。
金森 ……(涙が流れている)
玉野 金森君。あんた……
金森 ……僕は辛いよ。……玉野さん……僕が十年も打ち込んで来た同和教育が、こんな形で返ってくるなんて……地域の人たちと、こんな形で……
鳥井 金森先生。先生がそれほど情熱を傾けてやって来られた同和教育が、このままの状態で続けられますか。子どもたちの教育に責任が持てますか!
二人は、はっとしたように鳥井を見る。
鳥井 先生も授業中むりやり連行された。玉野先生は、朝礼台の上に立たされて、生徒の前でさらしものにされ、屈服をせまられた。こんな教師の尊厳をふみにじるようなことが許されていいものでしょうか。……先生。解同幹部の暴力を野放しにしておいて、それとの対応に追われ、心と体をさいなまれていて、いい教育ができますか。……教室であなたを待っている子どもたちのためにも、ぜひふみきってください。
玉野と金森、じっと見つめあう。
病室、溶暗。夜の道へ戻る。下手の二重が菓子類をおいている煙草屋、花田の店である。ビラ貼りの若者1、若者2がやって来る。
若者1 煙草買うて来る。(花田の店へ行き) ハイライト。
花田 (わたしながら)あんたら、また貼りに来たんか。
若者2 またて、わしら初めてやで。
花田 初めてか何か知らんけど、そんなかわいそうなこと、やめときーや。さっきも小ちゃな子が、その玉野先生ていう人の娘さんや。泣きながらはがしてたんやで。あんたでもベタベタ貼られたらかなわんやろ。……あんたらどこから来たんや。
若者1 ええやんか、おばはん。どっからでも。
花田 ふーん。一回なんぼやねん。わてが払うたるからやめて帰り。
若者2 二千円やで。
花田 二人で四千円。ホラかなわんなァ。うちの売上げとんでいくがな。……よっしゃ、その飲みもん、ジュースでもコーヒーでも……ええわ。お菓子もやるさかい、それで辛棒してや。
若者2 おばはんみたいに言われたら、こっちもやりにくいがな。
花田 そやろ。ビラここにおいとき。
若者2 (1に)どうする?
若者1 あれだけ貼ったるからもうええやろ。おばはんの顔立てよや。
花田 そうかそうか、すまんな。(缶ジュースや張子を袋につめこむ)
若者1 ……あ、おおきに。
若者二人、袋をもって去る。花田、外に出る。
花田 あっバケツ!(呼びとめるが若者は気づかない)まあええ。一つでもない方がビラが少のうなる。(ビラを引き裂く)
店頭のテレビから「港町ブルース」が聞こえてくる。
暗転
六、教育会館会議室(市教組中央委員会)
行灯に「同年五月、市教組中央委員会」の文字。
下手二重台に議長が正面を向いてすわっている。その下手寄りに執行部席(崎山の顔も見える)。
その後ろに「差別教師をクビにせよ」「差別集団日共粉砕」等のゼッケンをつけた同盟が威圧するように立ち並ぶ。
中央二重台にほ中央委員、下手向きにすわり、玉野は前中央あたりに居る。執行部、同盟員にサインを送ったり、ヤジを飛ばしたりする中に関谷ら少数の緊張した顔がある。
徳野書記長、提案を終え席に戻ろうとするところで溶明。拍手と「そやそやクビにしてしまえ」といった同盟員等のヤジ。
徳野 ……以上で提案を終ります。
議長 八田教育差別事件八名の権利停止承認と懲罰規定制定、以上二件の提案が終りましたので今から審議に入ります。
同盟員のリーダーの「審議なんかいるけえ、すぐ採決や」、同盟員の「何とぼけてんね、議長!」「そやそやすぐ採決や」のヤジに議長、ウロウロと中村委員長の方を振り返ったりする。その顔は蒼白である。
橋口 議長! その通りや、すぐ採決や!
関谷 (挙手して立ち上がり)議長! 反対や! 充分な討議を求める。第一、その執行部の後ろで不当なヤジを飛ばしている人たちは何者ですか。市教組組合員ですか。
同盟員の 「こら! お前も差別者や!」「名前言うてみ、クビにしたるわ!」「あいつ関谷や、崎山といっしょにクビにしたれ!」中央委員の 「アホな質問やめとけ」「差別認めたらええやんけ」等のヤジ入り交じる。
玉野 議長、その人たちは解放同盟八田支部の人やないですか。私たちを一方的に差別者に仕立てクビまで要求してる……。そういう人たちを市教組中央委員会の席に入れて、市教組の自主性はどうなってるんですか。すぐ退場させて下さい。要求します。
同盟員、中央委員、騒然とヤジ。
橋口 権利停止中の者の発言、許すんですか。
同盟員のリーダー「そや、つまみ出せ」。以下同盟員、中央委員の 「差別者出て行け′」「つまみ出せ」等々のヤジ続く。
議長 (あわてて)玉野君、君は権利停止中です。中央委員の資格はありません。すぐ退場して下さい。
玉野 拒否します。私はこの三月の南東支部役員選挙で組合員の信任を得て選出された副支部長です。組合員の信頼にかえてもいわれのない差別者扱い、規約にもない不法な権利停止を認めるわけにはいきません。
同盟員等の 「じゃかまし!」「ホリ出せ」「ホリ出せ」 のヤジ。
議長 指示に従わなければ排除します。執行委員、中央委員の諸君、市教組中央委員会の名誉と伝統にかけて不当な闖入者を排除して下さい。
崎山、議長席の前に立ち、激しく抗議を開始する。他の執行委員、それを妨害する。崎山、今度は中村委員長に抗議。中村、ツンと横を向いたまま、ここでも他の執行委員が妨害する。
関谷 議長! 逆ではないか。そこにいる人々をこそ退場さすべきだ。中央委員の皆さん、この事態を見ても二つの案件が誰のために提案されたのか明確でないか。
多勢で玉野を椅子ごとかつぎ出そうとする。玉野、必死でこらえる。崎山、関谷他三、四人阻止に行こうとするがさえぎられる。玉野、とうとうかつぎ出される。柏手と喚声。 議長 八田差別事件八名の権利停止承認。懲罰規定制定。以上一括して採決を行います。(「待て、討論だ」「議長、発言!」等、関谷等二、三の声があるが、ヤジに覆われる。議長無視して)賛成の者……過半数。よって本二件可決決定致します。
異様な雰囲気の中で松木の姿がポッンと照らされる。
松木 こんな非民主的なことがあるか! 当事者の詰も聞かないで……。玉野先生、金森先生、それから羽山の話を俺は聞きたい……。権利停止はそれからでも討議できる……
松木の声にかぶさって「世界の国から今日は」が聞こえ、舞台はゆっくりと溶暗。
歌 ♪今日は今日は西の国から 今日は今日は東の国から…… TV(女) 人類の調和と進歩をテーマにした万国博覧会は、開会をあと十カ月に控え、千里丘陵に着々と建設されております。本日はその中からアメリカ館を‥‥‥(歌が再び大きくなる)
歌 ♪一九七〇年の今日は
今日は今日は 握手をしよう
七、朝日小学校職員室
行灯に「同年六月、朝日小学校」の文字。
梅雨の午後、激しい雨音で明るくなる。職員会議が行なわれている。生活指導部長の中西が提案し、教務主任の伊藤が司会をしている。
伊藤 次に、七月の努力目標について、生活指導部長の中西先生から提案していただきます。中西先生どうぞ。
中西 (立ち上がる)失礼します。先生方の机上にプリントをお配りしておきましたので、見ていただきたいと思います。(一同プリントを見る)ええ、今月は「廊下・階段の歩行を正しくしよぅ」ということで、児童会でも話しあわせ、看護当番の先生方にもご指導をいただきました結果、かなりよくなってきたように思います。特に低学年では、ほとんど廊下を走る子がいなくなったと、学年主任の先生からお聞きしております。先生方のご協力ありがとうございました。……そこで、来月の目標でありますが、プリントに書かせてもらいましたように「柑ち物を大切にしよう」とし、具体的には、「一、忘れ物をなくそう。二、落し物をなくそう。」としてはどうかと思います。……児童会での話しあいによると、最近各学級で忘れする子がかなりあるようですし、落し物の数もかなりふえておりますので、一つ、そういった面で力を入れていってはどうか、と思うわけであります。よろしくお願いします。(着席)
伊藤 ありがとうございました。……先生方この件について何かご質問はありませんか?……なければ、ご意見は……(採点をしている山本に)山本先生、何かご意見はありませんか。
山本 (手をとめて)はあ、別にございません。結構かと思います。
谷口 中西先生。その忘れ物が多いというのは、たとえばどんなものですか。
中西 いろいろありますが、たとえば、ハンカチ、はな紙とか、名札、体育の赤帽などが多いようです。
谷口 そうすると、忘れ物をなくそうということは、つまり、ハンカチ……はな紙、名札などをちゃんと持って来い、ということですな。
中西 ……はあ……
谷口 中西先生、その目標は差別になるのとちがいますか。(立ち上がって)家庭によってほ両親が不在で、ハンカチやはな紙までかまってやれんところもある訳でしょう。それを子どもに一律に変求するのは具合わるいんとちがいますか。
吉田 どうして差別になるのですか。子どもをよくするために、家庭に協力を求めるのは当然やと思いますけど。
谷口 そういう考えだから、教師が批判を受けるんです。(すわる)
ざわめき、校長が立ち上がる。
校長 ええ、今、谷口先生から、大変大切なことを指摘していただきました。おっしゃるように、家庭の条件を無視して子どもたちに負担をかけることは、みなさんの真実はどうであっても、差別につながるおそれがあります。(ざわめき)今日、同和教育の必要性が叫ばれているおりから、私たちの教育に対するとりくみほ、慎重な上にも慎重でなくてはならないと思います。……
これは、私からのお願いですが、努力目標は、落し物をなくそうという項目だけにとどめて、忘れ物をなくそう、の方はカットしていただきたいと思います。中西先生、よろしいですか。
中西 はい、わかりました。
松木、挙手しかけるが、決心がつかない。
伊藤 それでは以上で本日の職員会議は終らせていただきます。
一同は動き出し、帰り仕度にかかるもの、仕事をつづけるものなどさまざま。会談中から登場し、外で終るのを待っていた羽山が、職員室から出て釆た小林に話しかける。
羽山 すみません。分責の先生にお会いしたいんですが。
小林 はい、ちょっとお待ち下さい。(職員室に向かって)谷口先生、お客様です。
谷口、くわえ煙草で出てくる。
谷口 分責の谷口ですが、どちらさんですか。
羽山 あ、どうもお忙しいところすみません。私、南小学校の羽山といいますが、ちょっとこちらの先生方に(署名用紙を出して)この署名をお願いしたいと思いまして…
谷口 なんでっか、それ。
羽山 市教組の臨時大会開催を要求する署名です。どうぞごらんください。(手渡す)
谷口 (署名を見て)……ああ、共産党系の人らがやってる署名でんな。
羽山 いえ、この運動は政党とは関係ありません。
谷口 この忙しい時に、大会をわざわざ開かなあかんのでっか。
羽山 はあ、先生方、お忙しいのはよくわかるんですが、私たちとしては、どうしても大会を開いて討議してほしいんです。……組合の民主的な運営のためにも……
谷口 そしたら、一応お預りして、みんなにまわしときますわ。
羽山 いえ、すみませんが、直接先生方にお話させていただきたいと思います。
谷口 お話て、あんた、……もうみんな帰りまっせ。
羽山 ちょっとの時間で結構です。とにかく先生方に訴えさしてください
谷口 ……職員室でなんかしゃべるんやったら校長さんに声かけといてや。(言いすてて外へ去る)
羽山 わかりました。(中へ入り、松木に会釈をして校長のところへ行く)
小林 先生、知ってる人?
松木 僕と寮で一緒におるんやけど……
小林 何しに来はったん?
松木 さあ……あの署名訴えに来たんかな…… … なんとなく手を止めて注目する教師たち。
羽山、校長に挨拶を終えて、みんなの方に向き直る。校長退場。
羽山 先生方、長時間の会議でお疲れのところ、大変申し訳ありません。私、八田問題で権利停止になっている八人の教師の一人で羽山と申します。私たちはけっして差別をしたおぼえがないのに、一方的に差別者と呼ばれ、市教組本部からは規約にもない権利停止という処分を受けました。(谷口戻ってくる)その上、私たちに対する首切りの要求まで出されていると聞いています。この問題を組合員の先生方に判断していただき、ただしていただくには、組合の大会を開くしか方法がありません。ぜひ市教組臨時大会を要求する署名にご協力ください。お願いします。(用紙をみんなの机に配って回る)
谷口 (吉田のそばへ行き、聞こえよがしに)先生、うっかり署名したら差別者や言われまっせ。
羽山、連れだって帰ろうとしている小林と山本に話しかける。しかし、反応はもうーつ。松木、たまりかねてそばへ行く。
松木 僕、署名するわ。(署名する)
羽山 (目でうなずき)ありがとうございます。
松木 (山本に)先生、羽山さんは僕の友だちなんや。…‥・僕からもたのむわ。
山本 ……私、ようわからんわ。
松木 たのむわ。
山本 考えとくわ。(さっと立つ)さよなら。
小林も迷いながら目礼し、山本と一緒に出る。谷口、伊藤、安心したように出て行く。吉田は避けるように黙って仕事をしている。
羽山 (小声で)松木君、ありがとう。
松木 いや……あの人ら やってくれへんかったな……
羽山 話ができただけでも成功や。俺、次の予定があるから行くわ。……できたら他の先生にも頼んどいて。
松木 うん。
羽山 失礼しました。(退場)
松木、机の上をかたづけて外に出る。吉田が追って来る。
吉田 松木先生!
松木 ? (立ちどまる)
吉田 あんまり目立つことしたらあかんよ。
松木 はあ……
吉田 さっきの署名用紙出し、(受けとって名前を書く)はい。
松木 先生!……
吉田 さっきはごめんな。……あの人らがおったから声かけにくかったんや。
松木 ………(うなずく)
吉田 だんだん職員会議もおかしな雰囲気になるねえ。
松木 はあ。
吉田 同和、同和言うて、気い使わなあかんことばっかりや。うっかりものも言われへん。こんなことやっとったら、子どもがだめになってしまうわ。
松木 あんたら若いもんが、がんばらなあかんで。……組合もええけど、学級のことだけはきちんとやっときや。
吉田 それじゃね。さよなら。(足早に反対方向へ去る)
松木……(吉田の後姿へ)ありがとう!
八、大阪市教組臨時大会会場
行灯に「一九七一年(二年後)一月、市教組臨時大会」の文字。
舞台中央に議長団、その横に執行委員、議事運営委員の席がある。観客席がそのまま代議員席の態である。
下手舞台すぐ下で崎山が発言する。発言の間、場内より賛否のヤジや柏手が随所に入り混じる。
崎山 城西中学校分会の崎山です。私は十四分会を代表して、一号議案についての修正案を提案いたします。(「やかましい、崎山帰れ」のヤジ)私たちの提案は、一言で言えば玉野君ら八名の権利停止を、本大会でただちに、無条件で解除すべきだということであります。(「そうだ」のヤジ、柏手。「何言うとるか」のヤジ)これは昨年十二月に本部が開催を予定していた臨時の大会での執行部原案と、まったく同じ内容であります。ところがこの臨時大会は、解同一部幹部や、その指導下にある不心得な組合員の暴力的妨害にあって、不当にも無視されてしまったのであります。その間の経緯を考慮し、日教組の指導を受け入れて本原案が「玉野君らの権利停止五か月間猶予する。玉野君らは解同幹部に対して行った告訴を取り下げる。取り下げない場合は、権利停止解除を再検討する」という三つの条件付き解除となっております。この後退した案を認めることは、一万二千組合員の組織として暴力に屈伏することになるのであります。
また、玉野君らの権利停止は、すでに行なわれてから一年八カ月、これ以上継続することほ、山下君の挨拶文を差別と認める人も、(「何がじゃ」のヤジ)過酷にすぎると考えておられる筈であります。(「そうだ」のヤジと拍手)これ以上権利停止解除を五カ月間引き延ばさなければならない理由は、まったくありません。(「そうだ」のヤジ)とりわけ、告訴取り下げを条件にすることほ断じて許せません。玉野君らは、けっして安易に解同幹部を告訴したものではありません。「差別者だという一方的な決めつけをやめてくれ。暴力をふるうことほやめてくれ。民主的に話し合おう」と要求したにもかかわらず、これを無視されたのであります。法治国家における個人の権利に属する告訴の問題を、大会決定で押しつぶすことはけっしてしてほならないことであります。(拍手)会場のみなさん、組織内外からの圧力や妨害は、確かに眼に余るものがあります。しかし、真実と正義を子どもたちに教える教師として、勇気を持って真の市教組の統一と団結を守りぬこうでほありませんか。(柏手と喚声)
みなさんの勇気と良識を信じて、私の修正提案を終ります。(大きな柏手にヤジが消されていく)
崎山の光の輪が消えるとともに、下手二重にいる松木が光の中に浮かぶ。電話をしている松木
松木 羽山君、権利停止即時解除。よかったなあ、おめでとう。……これでやっとおちついて仕事ができるな。……え~ そんな……滅茶苦茶やないか! なんで君が教育研究所なんか行かされるんや!…… そんな無茶な!
無気味な音楽が急に高まる。松木に光を残して。
―幕―
第二幕(一九七四年一月より一九七九年十月まで)
九、玉野の家
行灯に「一九七四年二月(三年後)、玉野の家」の文字。
中央の二重が玄関から上がり框、奥が台所である。上手の二重には茶卓が置かれ、家族が食事したり客間にかわったりする部屋である。
明りが入ると、中央に花田が腰をかけ登美と話に花を咲かせているところ。登美の傍に憲子(六歳)がいるが、必ずしもじっとしていない。
花田 いえ、そらあね、「ほんまに罪のない人が殺人罪になるんやったら、そらおかしいし、なんとかせないかん思うさかい、署名もする、集め言われたら集めんこともない。そやけど用紙持って帰らしたのが新海先生やったら、私は信用せえへん、署名もせえへん。」てその奥さんは言うのよ。ふだんからね、やれ狭山の動員や同和の研修や言うて、よう自習にしはるし、授業に来てもそんな話ばっかりしてちっとも進まへん。試験の前にあわててパーッと進むからかなわん、そう子どもが言うんやて。
登美 そんな話よう聞くね、ここでも。そう言うたら、こないだ市場の八百屋の奥さんが言っはったけど、あそこの子、市の保育所へ入られへんねんて。それが聞いてみたら、十の市保育所のうち四つが同和地区で、そっちはがらあきやて。もうどうなってるんやろ。
花田 どうなってるて……みないかれとるんや、役所なんて。お宅のご主人がこんな目に会うはんのからしてやな、大体世の中まちごうてるんよ。そやそや、市場ゆうたらな、奥さんの株、えらい上がってんのよ、旦那さん差別者やなんて悪口言われて、学校へも出さしてもらわれへんのに、暗い顔もせんとようがんはってはる。昭和の山内一豊の妻やて。
登美 よう言わんわ……私ほサザエさんがええとこやのに。
花田 いえいえ、若い子らはな、あの人可愛らしいね、若い時はひょっとしたら大竹しのぶにてたんちがうやろか、言うてえらい人気やよ。
登美 あはかいな、ハハハハ……
花田 ハハハ……私もそれはないと思うけど。
登美 いやぁ、せっかく喜んでるのに。
二人笑っていると、反対側から玉野と羽山、松木が話しながら入って来る。三人とも適当に酔っていて、ふらふらという程ではないが、羽山は軽く玉野の腕をかかえるように寄り添い、後から松木がつづく。
三人は舞台中央で少時止まり、それから玄関の方へ。
羽山 まだわかりませんて、そんなん、三月いっぱいまでは。向こうもだいぶ弱ってると思いますよ。
玉野 そうかな……
羽山 研究所へしばりつけとくつもりなら、もう内示してる時期でしょう。逃げ回ってどっちともなにも言うてこないちゅうのは、なにかあるんですよ。
玉野 それは甘いて。
羽山 は? 現場復帰は無理やて言わはるんですか。
玉野 ようわからんが、結局裁判で決着つくまで今のまま行きそうな気がする。
羽山 なんでですか。向こうの所期の目的は一応達せられたんやから……これ以上ひっばったらかえって不利になるでしょう。
玉野 いや、今やわれわれ対市教委ちゅう関係やないからな。もっと大きいもんどうしの対決点やから。
羽山 ふーん……
玉野 ああ、しんど。疲れたな、もう。
羽山・松木 え?
玉野 くたびれた。
羽山 しっかりしてくださいよ、先生。先生がそんな弱気になったら……
玉野 あ~ いや……まぁ、疲れることもあるわね。さ、上がって行きいや。
松木 はあ……羽山に)どうする?
羽山 (時計を見て)九時前か、ちょっとだけじゃまするか。
玉野 そらそうや。君は帰っても待ってるもんおれへん。
家に入る。登莫、花田の笑い声がする。
玉野 ただいま。
登美 あ、おかえり。
憲子 お父さん、おかえり。
花田 おかえりなさい。またじゃましてます、先生。
玉野 いえ、いつもお世話になって。
羽山 今晩は。
松木 おじゃまします。
登美 いらっしゃい。どうぞ、ちらかしてますけど。(奥の間の茶卓の上の物を取り、座ぶとんを敷き直す)
玉野 ま、すわって。ぼくはちょっと着がえしてくる。(奥へ)
花田 (表の間に戻った登実に)そしたら、奥さん、(と外へ出て)またね。
登美 おおきに、おあいそなしで。また来てちょうだい。
花田が帰って行った。憲子は羽山らの相手をしている。
登美 (奥の間にある隅の戸棚の前に座り)いいご気嫌で、みなさん。
羽山 ええ。松木君ら若い教師五、六人、僕の結婚式のことで集まってくれるんで、それで玉野先生も誘ったんです。仲人さんに様子見といてもらおうと思いのして。
登美 (うなずき)気利かしてくれはったんでしょ。忙しいわりに気のめいるような毎日やから。
松木 奥さん、先生しんどそうですか。
登美 うーん、顔には出しませんけどね、口数がちょっと、少ないようです。現場を追われて三年ですものねえ。羽山さんも辛いでしょう。若いから余計腹が立つのとちがいます?
羽山 はあ、……辛いと言うよりね……
ここで憲子が果物のお盆をささげ持って来る。
憲子 どうぞ。
羽山 ああ、ありがとう。お利口やねえ、のりちゃん。一年生?
憲子 (首を振る)
羽山 四月からか。
憲子 (うなずく)
羽山 ふーん。あの時はお姉ちゃんが幼稚園やったもんな、ちょうど一緒になったな。早いもんや。
登美 (お茶を出し)すみません。お話の腰折って。
羽山 なんの話やったかな。あ、そうか、つまり三年ていうのは、ぼくが教師になって現場にいた年数なんです。それよりも現場から引き離される時間の方が長くなるというのは、これは辛いのを通りこして、ショックなんですね。十年、二十年の経験持っている人とちがって、これで現場へ帰れても、教師勤まるやろか、ていう不安がものすごくあって、いたたまれんような気になってくるんですわ。
松木 うーん、それはわかるな。
登美 それは、お父さんもー緒ですやろ……
着物に著がえた玉野が入って釆て、会話が途切れる。長女寛美(九歳)がついて来る。 寛美 こんばんは、いらっしゃい。
羽山 こんばんほ、寛美ちゃん。勉強してたん?
寛美 うーん、ヘッヘッヘ……
登美 なんや、それは。
寛美 (咳払いの真似)宿題はしたよ。
羽山 そうか、それはえらい。
玉野 いやぁ、あの歌うたわせる機械、あんなとこ初めて行ったけど、おもしろいもん考えよったな。はやるぞ、あれ。
松木 大阪市内ではぼつぼつ置き出してるんですて。
登美 カラオケ、ていうやつですか。
松木 アレ、奥さんすすんでますね。ご主人はもちろん、ぼくも初めてなんですよ。話は聞いてたけど。
登美 そりや、女の立ち話で、情報はいろいろとね。それで、なんか歌いましたの?
松木 ハハハ……玉野先生が、「逃いげた女房にゃ……」 てやり出したのにはびっくりしたな。
玉野 コラ。
羽山 逃げたことあるんですか、奥さん。
登美 さあ‥‥‥逃げたろと思うたことは、ね。……逃げられたらどうしようかと思てるからですよ、きっと。
玉野 バカ言え。
羽山 奥さん、いっぺん行きましょか。
登美 行きましょ、行きましょ。
玉野 金とられるんやぞ、おまえ。気安う言うけど。
登美 ええやん。たまにはパーツとやらんと、私らも、ねえ。
松木と羽山、あいづちを打ち、笑う。
松木 先生、さっきやる言うてて、カラオケなかったやつ、あれいきましょ。
羽山 そうそう、「旅の夜風」やったか。
玉野 よーし、みな耳ほじくって聞けよ。
登美 あら、私漬物にふたしたかしら。
寛美 お母さん、食べるものみな冷蔵庫へ入れた方がええよ。
玉野 なにをぬかす。
憲子 お父さん、歌うたうの? ワー……(柏手する)
つられて皆も柏手する。玉野は「旅の夜風」を歌い出した。やや低目の声だが、へたではなく、どこか味のある歌いぶり。
玉野 「花も嵐も ふみ越えて
行くが男の 生きる道
泣いてくれるな ホロホロ鳥よ
月の比叡を一人行く
歌の途中から、登美は立ち上がる。
その登美をスポットがとらえ、他の部分は暗くなる。玉野の歌がややレベルダウンして ら舞台中央へとゆっくり移動しながら、次の独白を語る登美の声とダブり、やがて消え
登美 お父さんが歌うたう気持ち、私はわかる。学校と教室とがあんたの仕事場やねんから。生徒の顔見て、生徒が成長して行くのを見るのがあんたの生き甲斐にちがいないのやから…
毎日毎日ちがう方へ行く電車に乗る時の気持ち、研究所の入口はいる時の気持ち……まる三年も……
やや長い間、ハッと顔を上げた。
登美 そうか……そうや。……今まで私の前に現われて、私らを苦しめてきたのは解同の幹部の人らや、解同べったりの教師らや、そんなんばっかりやったから、そんな人が敵や思うてきたけど、ほんとは、ほんとの敵は、私らには正体わからへんけど、けっして目の前に姿出さんけど、なんか大きいもんが、あんたを、私らを、八人の先生を落とし入れようとしている。解同は、それを利用して、いや、利用されてるんか……いや、お互いに利用し合いしてるのかもしれん。お互いに……
ああ、お父さん、恐ろしいことや。あんたはそんなもん相手にがんばってきた。くたびれるのも無理ないわ。人間やもの。そやけど、人間やからこそ、人間としての権利を尊重せえゆうことを、要求し通してちょうだい。人権、人権てやかましい言う大阪市のおえら方が、一方ではお父さんや七人の先生の、教師としての権利をふみにじっている――人一倍やる気のある先生たちの――こんなことがなんでわからへんのや。(間)今までは、ただ相手の無茶苦茶な仕打ちがにくいから、そのなかでお父さんについて行かないかんと思うから、とにかく歯くいしばってやってきたのやけど、これからは私も一人の人間として、よう考えてやって行くわ。あんたを支えて……
寛美の声 お母さん。
登美 え?
スポットが傍らに立つ寛美を照らし出す。
寛美 校長先生や同和の先生が、八田のことちょっとでも言わはったらな、寛美いつも 言うたんねん。先生、そんなん言わんといて。お父さんらは差別者とちがう。みんなええ人やねんて。このごろぜんぜん言わはらへんわ。
登美 寛莫、お前が電柱のビラはがしに回ってた姿、お母さん忘れへんよ、お父さんかて、きっと……
明りが広がり、後ろに玉野が憲子の手をひいて立っている。
玉野 (一二度うなずき、何か言おうとするが、ためらった)……わしは、べつにくたびれてはおらんぞ。今日は若い人らに合わせとって、ちょっと飲みすぎたんや。さ、中へ入ろ、寒いやないか。
登美 お父さん、私、闘士になるのよ。
玉野 トーシ? なんや、それ。
登美 たたかう女やないの。
玉野 やめてくれ、そんな物騒なもん。
登美 ちょっと古い? ほな、活動家。
玉野 それもパッとせんな。
登美 そしたら、その……
玉野 (表出て)おまえの言いたいことはわかった。お母さんは今までもがんばり屋で、泣き虫で、粘り強うて、おもろい人や。そうでなかったら、差別者の妻にされて、今まで家庭守ってこられへんかったやろ。これからもそれでええよ。
登美 お父さん、私、大竹しのぶに似てるんやて、すてきでしょ。
別の光の輪の中に、花田、羽山、松木がいる。その後ろに数人の人たちがシルエットで。さらにその後ろにはコーラスの人たち。
花田 若い時は似てたかもしれんて、人が言うてるんや。長生きするわ、奥さん。それより先生、力落としたらあきまへんで。座り込みでだめやったら、なんかやりまひょ。署名やったらこの町内は全部集めまっさかい。
松木 奥さん、この事件の本質がようわからなんだのは、僕らも一緒です。初めは解放同盟は民主的な団体やと思っていたし、組合は僕らの権利を守ってくれるものやと信じてました。だんだんほんとのことがわかってきたんです。まだわかっていない人も仰山してます。しかしこれは大阪中の教師の良心のかかった問題やということが、だんだん大勢の人に広がってきています。
合唱隊、コーラス「明るい歌を歌おう」をハミングで。以下せれふとダブる。
松木 教師が教師でありつづけようと思えば、学校が教育の場でありつづけるためにほ、玉野先生らのように踏んばって行かなしょうがないんです。自分がぶつかったら否応なくわかるんですわ。
羽山 僕はこの裁判はぜったいに勝つと信じていますよ。座敷牢ぐらしが人一倍辛いだけに、こんなままで終るわけがない。終らすもんかと……百パーセントこっちが強い。弱いやつほど力をふり回したがるんです。
寛子 (突然)お母さん、大竹しのぶて、漫才する人?
玉野 はっはっは……これはええ。お母さんはその方が向いとる。(憲子を抱き上げ、二、三歩前に出て、羽山らをふり返る)……そりや、辛うないと言えば嘘になる。とくにこの時期は僕もイライラしていかん。道やバスの中で中学生の顔、見るのが辛い。しかし、松木君が言うように、こら大阪中の教師のたたかいやから、いや、日本中のかな……これだけ支援もされとるんやから、ここが根性の出しどころや。……とりあえずは、こいつらのためにもがんばらな……なあ、憲子。(寛美の頭を撫で)なあ、寛美……はっはっは……おっきな目しとるな
あ、二人とも。きれいな目や。
少し前からハミングはコーラス「明るい歌を歌おう」に変っていて、ここで大きくなる。ややあって溶暗。コーラスだけ残る。
「明るい歌を歌おう」
明るい歌を歌おう
つらいときこそ
見えなかったものが みえてくる
歩んできた道が 教えてくれる
だから私には 真実が
ほんとうのことが 見えてくる
明るい歌を歌おう
つらいときこそ
つくりあげるものが みえてくる
支えあう仲間が 教えてくれる
だから私には 見えてくる
たたかいの中で 見えてくる
明るい歌を歌おう
職場の仲間と
ゆるしはしないもの はねのける
子どもたちや父母が 教えてくれる
だから私たち ひるみはしない
明日のために ひるみはしない
明日のために 明るく歌おう
十、羽山の結婚式場
行灯に「同年四月、羽山の結婚式場」の文字。
音楽と拍手の中で、羽山、山脇、それに仲人の玉野夫妻がうかび上がる。新婦に指輪をはめてやる羽山。大きな拍手。松木が立ち上がる。
松木 それでは、お二人に誓いの言葉を朗読していただきます。
二人はゆっくりと紙を広げる。
二人 誓いのことば―私たちは今、仲間のみなさん方のあたたかい眼差しの中で結ばれました。私たち二人は、生い立ちも、性格も違っていますが、教育労働者として、子どもたちの健やかな成長と明るい未来を目指すたたかいのなかで、互いに信模しあい、愛しあい、ともに歩んで行こうと決意しました。
柏手
二人 けれども、私たちを取り巻く情勢は、けっしてなまやさしいものでほありません。私たちを含む、八人の教師は、いぜんとして不当にも教育研究所に閉じ込められたままの状態にあります。私たち二人は、団結を強め、現場復帰の日まで、仲間のみなさんとともに力いっぱいたたかいぬく決意です。(大きな柏手)……
玉野 二人は明日、山陰へ新婦旅行に立ちます。途中、私が最も行きたいと思っている場所…‥兵庫の養鹿に立ち寄るそうです。(思わず相手が起こる) 養鹿高校で高山先生らと交流する。……まさに二人の門出にふさわしい旅行です。我々のたたかいと養鹿のたたかいを結びつけて、山陰鳥取の旅を十分に楽しんでください。
二人の声にかぶさって、音楽が盛り上がり、二人はシルエットに。そして二人を激励する人々の姿。
十一、教育委員会の一室
行灯に「一九七七年(三年後)三月、教育委員会の一室」の文字。会議机をはさんで、一方に市教委の教育次長、教職員課長、一方に市教組委員長中村、副委員長徳野、南東支部長橋口。役所の中とはいえ、役人が礼儀正しく、組合側はむしろラフなかっこうで威張っているように見える。
次長 しょうがないですよ。
中村 しょうがないかな。
次長 こっちも延ばしに延ばして来たんだが……もう六年こえましたからね。
中村 六年半や。
次長 そうそういつまでもという訳には……人道上の問題もあるし……
中村 組合の決議もあるし。
次長 議会で追及もあります。‥‥‥結構うるさいですから。
中村 組合内部の事情もな……言うとくけど、僕はずっと現場復帰を要求して釆たんやで、聞達うてもろたらあかんで。な、徳野君。
徳野 ふん……
中村 市長はOKしとるんか。
次長 (うなずく)教育長が話をしてます。
中村 (徳野を見て)しゃないな。この辺で手打つか。
徳野 うん。
橋口 (非常に早口に)委員長、そんな、なれ合いで簡単に話決められたら困るがな。今さら彼らを現場に帰したりしたら、これは何を意味するか。我々が命をかけて推進して来た解放教育の破綻を意味すると、我々は思わんけど、連中は宣伝しよるに決まってる。部落大衆とともにたたかう教師たちが、日共に譲歩したことに……
中村 徳野 (同時に)ならへんな。
中村 まあまあ。橋口君、解放教育は本室的に変わらんよ。彼らに対する批判も徹底的に続けにやならん。ただね、市教委が彼らを追放するならともかく、そうはできんということだと、現場で働かせない訳にはいかんだろう、給料はらってるんだから。研修には限度がある。役選でもこれで票をかせがれるんだ。むしろ我々に有利になると僕は思うよ。
橋口 そんなねえ、かけ引きの話をしてるんやない。原則の問題や、原則の。
中村 おい橋口君、ちょっと黙っとけ。(次長に)それで、まあ手を打つとして、話はそれだけやないな。
次長 と言いますと?
中村 現場へ帰したあとやがな。差別性は依然としてあるんやから、すんなり普通の教師のようにはいかんわなあ。
課長 あ、その点についてはですね、関係各校の校長に私どもから指導するつもりです。少なくとも一年間は担任を持たさないよう、授業も自習の補欠にとどめるようにさせたいと思っています。
中村 ふん、まあええやろ。……いや現場に戻ってもしっかり研修はしてもらわないかんな。
課長 それはもちろん、きちんと義務づけるつもりです。
中村 ほな、その線で。……明日改めて崎山書記長と一緒に来るわ。そこで初めて聞くことにしょう。な、徳野君。
徳野 そうですね。
次長 わかりました。明日午前十時にお待ちしましょう。
中村 それまでほどの方面にも一切内密に。よろしか。
次長 わかってます。
橋口 言うとくけどね、俺は反対やで。南東は絶対反対や。責任もたんで。
次長 ハハハ……まあ、組合内部のことはよく意見を調整して下さい。教育委員会としてはこの線で仕事を進めますので。(課長とともに立ち上がり)では、どうもご苦労様でした。
次長、軽く会釈をして。 暗転
十二、朝日小学校六年一組教室
行灯に「同年五月、朝日小学校六年一組」の文字。 放課後の小林学級。二人の子ども相手に教える小林。
小林 (子どもAのノート見ながら)ほら、ここ仮分数にするの忘れてるよ。一と三分の二やから、いくつになる?
子どもA ……三分の五!
小林 そう!……三分の五やね。それに三分の二を加えると……
子どもA 三分の七。
小林 それで、七の中には三はいくつあるの?
子どもA ……二コ、あ、そうか、二と三分の一や!
小林 そう!その調子で次やりなさいね。英二君は……ちょっとノート見せて。
羽山と松木登場。教室の戸口に来る。
松木 やってるなあ。
羽山 おじゃまします。
小林 あ、先生……
松木 早く羽山さんとなじんでもらおう思て、こないだからみんなの教室回ってるんや。小林 どうぞおかけ下さい。
松木 ほんなら、ちょっと失礼。
二人は教室に入って腰かける。子どもたちは問題を解いている。
小林 (羽山に)あの時ほすみませんでした。
羽山 はあ?
小林 ずっと前、先生が署名持って釆はったことがあったでしょ。あの時、よう協力せんと……
羽山 ……ああ、あの時の先生!
松木 古いことおぼえてるなあ。
小林 そうかて、私、ずっと気になってたもん。そやけど、まさか先生がうちの学校へ来ることになるなんて、思ってもみなかったわ。
松木 先生はまじめやなあ
羽山 ……
松木 うちの職場も変わったなあ。先生も変わったし、僕も変わったと思うし……実はな、先生。羽山くん、やっと現場に戻れたけど、まだ授業もなんも持たされてないやろ。このままではあかんから、分会で話し合いして、校長交渉やろ思てんのや。
小林 (うなずく)そやね。……校長先生どう言うやろ。
松木 ……市教委の顔色うかがってるからなあ。
小林 他の現場復帰しはった先生たちはどうなさってますの。
羽山 まあ、ぼつぼつ補欠やなにかには行ってますが……
松木 結局、分会の力関係や。みんなの力で要求したら、うんと言わんならんようになるはずや。……とりあえず、先生からも青年部の人に声かけといて。
小林 はい。
羽山 ありがとう。よろしくお願いします。
間
子どもたちがノートを見せに来る。
子どもB 先生、全部できました。
小林 はい。(手早く採点していく)彰君は、できた?……はい、見せて(採点する)ようがんばったわゎ。今日はここまでにするわ。帰ってよろしい。
二人 (片付けて)先生、さよなら。
小林 さよなら。
羽山 (子どもの肩に手をかけて)がんばって勉強せえよ。(見送る)
二人と入れ違いに松木のクラスの子が松木を呼びに来る。
子どもC 先生、壁新聞できた。見に来て。
松木 よっしゃ、今行く。(二人に)ちょっとごめんな。(子どもと一緒に退場)
間
小林 教育研究所て、大変やったでしょ。
羽山 ええ、でも先生らのおかげで、やっと現場に戻れたし、これからがんはったらええんやと思うてますねん。
小林 早く授業、持ちたいでしょ。
羽山 持ちたいけど、こわい気もするんですわ。
小林 こわい?
羽山 長いこと授業してませんから、なんか不安で……子どもがついて来るかなあ、て思うたりするしね。
小林 そんなことないわ。大丈夫やわ。
羽山 そうかなあ。
小林 先生は、信念をもってやって来はったんやから、絶対子どもにかて通じるわ。
羽山 松木君は、がんばってるんやね。
小林 ええ!一年前から分責もやってはるし、学級通信なんかも、どんどん出して……
羽山 ‥‥‥先生のことも、よう噂してますよ。すごく刺激される言うて。
小林 うそお!
放送で小林への呼び出し。
声 六年の小林先生、お電話がかかっております。職員室までお帰り下さい。
小林 ちょっと行ってきます。先生、ゆっくりしとってね。(退場)
間
羽山 教卓の上の国語教科書を取り上げしばらく見ているが、つと立ち上がって、黒板に〝最後の授業”と板書する。じっとながめて、一、二度書き直し、だれもいない子どもの席に向かって立つ
羽山 ……今日から、〝最後の授業″の勉強をします。……これはドーデの書いたとてもすばらしい文学作品です。(熱っぼく)一緒に、しっかり勉強しようね。……教科書の四十八ページをあけて。……最初にみんなに読んでもらいます。読みたい人……いや、読んでくれる人。……やっぱり読みたい人がええな。読みたい人、手をあげて。……はい、君。(指名するしぐさ)いや、はい、羽山君。(自分で子どもの席へ行って読みはじめる)「……その日の朝、ぼくは学校へ出かけるのが大変おそくなった。その上、(松木が戻って来る。戸口で立ち止まり、じつと羽山を見る)アメル先生から、動詞の規則について質問すると言われていたのに、全然勉強していなかったので、しかられるのがこわくてしようがなかった。ふと、学校を休んでどことなく歩きまわろうかな、という考えがうかんだ。……」はい、
そこまで。上手に読めたね。……つまってばっかりやったらどうするかな。雰囲気こわれるな……最初に黙読させた方がええかな……
小林が戻って来る。
小林 (松木に)どうしたん?
松木 ……(口に人指し指をあてる)
羽山 よし、範読でいこ。先生が一度読みますから、聞いて下さい。(読み始める)「……フランツ、私はもうきみをしかりはしないよ。きみは十分罰を受けているにちがいない。そら、そんな風にね。我々はいつも心の中で思っている。『なあに、ひまはたっぶりあるさ。あした勉強すればいい。』そうしているうちに、自分の身に何が起こったかほ、今わかったろうね……」
小林、羽山を見ているうちに、一人で授業をやっていることに気づく。
小林 先生!
松木 ……(涙をこらえている)
小林 分会会議でがんばろうな!
松木 ……うん……。
読み続ける羽山。その途中からコーラス 「父と母と」が歌われる。
羽山 「……ああ、いつも教育を明日にのばしてきたことが、アルザスの大きな不幸だったのだ。今、我々は、あのプロシアの連中から、『なんだい。おまえさんたちは、フランス人だといばっていたくせに、自分の国のことばを、満足に話すことも書くこともできないじゃないか。』そう言われてもしかたあるまい。先生のことばはなお続いた。『だが、こうなったからといって、ね、フランツ。きみだけが悪いというわけじゃない。我々もみんな非難されなければならないのだ。きみたちの両親は、君たちが教育を受けて、立派な人になるように心から望んでいただろうか。わずかなお金のために、きみたちを畠や工場に働きに出す方がいいと、思ってはいなかったろうか。私自身にも、反省すべきことがいくらもある。勉強の代りに、きみたちに庭の草花の手入れをさせたことが、何度もありほしなかったか。やまめをつりに出かけたくて、学校を休みにしたことほなかったか……。』
それからアメル先生は、フランス語について、次から次へとぼくたちに話してくださった。フランス語は世界で一番美しい、一番わかりやすい、一番整ったことばであることを……」
「父と母と」
おとうさんや かあさん
おじいちゃんや おばあちゃん
にいさんや ねえさんも
歩んできた道がある
みんなで みんなで
つくってきた町がある
みんなが みんなが
渡ってきた橋がある
だから私は教えたい
ほんとうのことを 子どもらに
すこやかな体
いきおいのよい心
生きることはすばらしいと
おとうさんや かあさん
おじいちゃんや おばあちゃん
にいさんや ねえさんも
みんな みんな
ひろがる空を仰ぎながら
歌声が大きくなる中に、羽山のみに光が当たる。しばらくして、溶暗。
十三、裁判所の裏庭
行灯に「一九七九年(二年後)十月「裁判所の裏庭」 の文字。
上手に公衆電話。法廷はもう始まっている。傍聴席に入れなかった参加者が、三三五五待機している。松木、かね、花田の顔も見える。
花田 今日は天気でよかったわ。けど十月ももう末になると、冷え込みますなあ。
寛莫 おばちゃん、ご苦労様! もう始まってるの?
花田 さっき始まったばかり、おかあさんかて中に入ってはるよ。
松木 傍聴席、満員らしいよ。
かね 正常化連の人もこの頃ふえましたんやな。初めほしょぼしょぼやったけど。
花田 寛美ちゃん、今日は学校からまっすぐにかけつけて来たんやね。
寛莫 そう! 今日はお父さんにとって大事な日やから。
花田 そう、ようわかってるわ。
松木 それにしても、花田さんほいつ会うても元気いいですね。
花田 そら先生、しよんぼり暮しても一生なら、明るうニコニコ暮しても一生や。歳にほ負けとうないのは誰でも一緒ですわ。(かねに)なあ。
かね 誰が歳やて? 私らまだ若いから心配いらんわ。
松木、下手に目をやり寛美がかけつけるのを認める。
松木 あ、玉野先生とこのお嬢ちゃんと違うかな。
花田 ま、寛実ちゃん。
セーラー服姿の寛莫、学校帰りの様子で登場。
松木 つい先日のことやけど、お父さん、寛美ちゃんのこと言うてはったよ。「ウチの娘、学校の先生になりたいて言うてるんや」 って。
かね そう! そう、うちで飲んではった時ですがな。
花田 まあ、寛莫ちゃん、先生になるの、それやったらお父さんの後継ぎやね。
かね あの時の玉野先生の薪……半分困ったような、とぼけたような顔してはったけど、目見たらわかりますねん。内心は嬉しゅうてしょうないんやわ。
関谷が状況報告を始める。
関谷 (メガホンで)参加者の皆さん、ご苦労様です。十五分程前に開廷致しました。昭和四十八年の七月に民事訴訟にふみきってから六年、強側配転と押しつけの研修命令の不当性を訴え続けて釆ました。真実が我々に有利なのは当然でありますが、刑事事件では玉野先生らに対する監禁の事実を認めながら、山下あいさつ状を差別文書として泉らの行為は罰するに価しないときわめて不当な判決を下しております。
この民事事件では、被告は大阪市でありますが、最近の司法反動化の中では予断を許しません。慎重に見守りたいと思います。
それから皆さんに紹介しておきますが、あの養鹿事件の当事者であります高山先生、それに立川先生も今日この場に支援に来ておられます。
高山 (軽く頭を下げて)兵庫から参りました。高山です。
立川 養鹿高校の立川です。
参加者たちは二人に拍手をおくる。
関谷 あっ(と上手に注目して)どうやら終ったようです。
山下教諭を先頭に玉野、金森、羽山ら原告の教師たちと弁護団、鳥井、斉藤が上手二重より出てる。玉野、金森が両手で丸をつくって掲げている。待機していた参加者は一斉に拍手をし、中央集まる。松木は、その横をすりぬけて公衆電話へ行く。
山下 皆さん喜びをもって勝利の報告を致します。本当にありがとうございました。
大きな拍手。松木の電話が下手二重の電話にかかる。松木と下手二重を残して、他は暗くなる。小林が出る。朝日小学校である。
小林 もしもし、あ、松木先生。
松木 もしもし、勝ちましたよ。
小林 勝ったの。
松木 そう、先生、あの大きな拍手が聞こえるでしょう。
拍手とともに明るくなり、中央では原告の教師たちが紹介されている。そのたびに大きな拍手。
松木 これで八年間の研究所勤務が不当であることが確認されました。今、弁護士さんの報告が始まっています。あとでまた連絡します。
小林 よかったわ。羽山先生に皆が喜んでいるって言ってください。
朝日小学校では小林の周りに集まる先生方。
電話に拍手をおくる朝日小学校の先生たち。松木、小林をとらえていた明りが消えると中央で語る鳥井弁護士の報告が聞こえ出す。松木は中央へ帰ってくる。
鳥井 この総額一、一四〇万円の慰謝料を支払えと命じたことは、裁判所が市教委の不当研修を裁量権を濫用した違法なものであると断定したものであります。
大きな相手。その間に隣の弁護士が鳥井に判決文を渡す。
鳥井 私たちも今、判決理由を読みながら、説明しているわけでありますが、ここではさつ状を「差別文書と断定することは困難である」としております。(共感の拍手)特定の運動方針を持った者が、自己の思想で差別であると定義することは、反対意見を容易に手段として利用され、正しい同和教育を阻害すると判断しております。(大きな拍手)部落解放の名のもとに行政の私物化や利権あさりは許されるものではありません。我々弁護団は大阪市が不当な控訴をしないように要求するとともに、国民の広い支持のもとで、正し教育が行われるよう奮闘いたします。
大きな拍手。玉野は参加者の中に高山の姿を認める。
玉野 高山先生。
高山 玉野先生、山下先生……!
山下 お、立川さんも……
立川 よかった、おめでとうございます。
高山と玉野、立川と山下、それぞれ握手を交わす。
関谷では、ここで家族を代表して、玉野先生の奥さん登美さんに挨拶をお願いします。 登美 ためらっている。けれど、玉野の激励の視線を受けとめて心を決める。
登美 皆様、ありがとうございました。まだ肌寒い四月の深夜、八田市民館にかけつけてくださった皆様の姿を見たとき、今まで玉野の足ばかり引っぱっていた自分に気がつきました。研究所勤務の憂うつの中で「夜の夜風」を歌っている玉野を見て、私ら家族もしっかりせかいかんと思いはじめました。嵐の中で私たち名もない草たちは葉をちぎられました。でも皆さんの豊かな土壌に育まれて、根っ子だけはしっかり張ってきました。十年四カ月を皆さんとともに、皆さんに支えられてたたかって来たんです。私、これからもみなさんと歩んで行きたいと思います。
玉野、登美の傍らに寄り、うなずく。
花田 奥さん、きれいやわ。今日の奥さんには、玉野先生ほれなおしはるよ。
皆、思わず笑い声と拍手。
関谷 養鹿の高山先生、何かひと言、ご挨拶をいただけませんか?
高山は軽く会釈して皆に向かう。
高山 私たち養鹿のたたかいはまだまだ統くと思います。先程、私は山下先生、玉野先生たちに「おめでとう」と今日の勝利を讃えたのですが、実は、その「おめでとう」の言葉では言い尽せない心の昂りを今感じています。私は今、嬉しくてなりません。日本のあちこちで誤った解放教育が大手を振ってまかり通っております。八田問題と養鹿事件は一連のものです。暴力によって真実が屈服させられるものではないということを示してくださった皆さん、心から感謝感謝いたします。ありがとうございました。養鹿もがんばります。
参加者たち柏手。
舞台は急速に暗くなり、明りは玉野と登美だけ浮き立たせている。
玉野 今日は、ご苦労様でした。
登美 なんか変やわ。
玉野 何が?
登美 (玉野の口実似をして)今日は、ご苦労様でした。
玉野 うむ、ちょっと他人行儀やなあ、どう言うたらええやろ。
登美 いつものように言うてくれたらええんよ。
玉野 うむ(登美に)ごくろうさん!! ええ挨拶やったぞ。
登美 ……私、蒲団干してきたの、入れ忘れてるわ。
玉野 蒲団?
登美 うん、今日は勝っても負けても、ふんわりした蒲団にぐうっと背中伸ばして寝たろ思て。
玉野 そうか。長かったな……。長かったけれど短かった。
登美 そうやねぇ、長かったけれど短かったわ。
玉野 ほんまに正しかったら、初めは心細うても粘り強うにしんぼうせなあかんということが、ようわかった。正しいからいうて、すぐに人から受け入れられるとばかりはいかん。けど、正しいことは言い続けなあかん。言い続けてるうちに仲間がふえて来る……
登美 うん、(と納得して)私、そういう人やから、おとうさんのこと好きなんかも知れへんわ。 玉野 あほ、子どもがもう高校生やぞ。ええ歳して、誰かに聞かれるとひやかされるぞ。……それはそうと、長いこと鮨食べてないな。今日は買うて帰ってやるか。
登美 おとうさん、私、さっきから亡くなったおばあちゃんのこと思い出してるんやけど。
玉野 うん。(うなずく)親不幸やったなあ。
登美 辛い目にばっかり会うてるおとうさんを見ながら亡くなりほった。けど、おばあちゃんのロぐせは、「息子は悪いことおまへん。みなさん、ようがんはってくれはる」―そう言って、いつも手を合わせてはった。
玉野 お墓参り、しばらく行ってないなあ。今日のこと、おばあちゃんにも知らせなあかん。
登美 寛美も憲子も連れて。
玉野 そうや、皆で揃うて……
コーラス「明るい歌を歌おう」が沸き上がるように高まる。
「明るい歌を歌おう」
明るい歌を歌おう
つらいときこそ
見えなかったものが みえてくる
歩んできた道が 教えてくれる
だから私には 真実が
ほんとうのことが 見えてくる
明るい歌を歌おう
つらいときこそ
明るい歌を歌おう
職場の仲間と
ゆるしはしないもの はねのける
子どもたちや父母が 教えてくれる
つくりあげるものが みえてくる
支えあう仲間が 教えてくれる
だから私には 見えてくる
たたかいの中で 見えてくる
だから私たち ひるみほしない
明日のために ひるみはしない
明日のために 明るく歌おう
この「明るい歌を歌おう」の高まりの中で。
― 幕 ―
(Web掲載の底本はあずみの書房刊「嵐吹いて、草たちはいま…」)