スーホの白い馬

スーホの白い馬

文学の授業(二年)

一、学級の子どもたち

 山々に囲まれた本校に赴任してきて初めて出会った子どもたちです。男子一八名女子一八名で、人なつっこく、好奇心旺盛で元気いっぱいのクラスですが、一人ひとりをみると、いろいろ問題をかかえている子もあり、学級集団としては大変しんどい(特に話が聞けない、勝手な行動が多い)状態でした。

 そこで、次のような取り組みをしました。

① 朝の時間に毎日読み聞かせをし、ゆったりとお話の世界に入り込み、楽しむと同時に、集中して聞いたり考えた りする。

② 毎日、「お話タイム」をもち、日直さんにみんなの前で、したこと思ったことを話してもらう。

③「お話ノート」と称して、生活を綴らせ、自分の生活を思い起こし、考えると同時に学級通信にのせ、みんなで読み合いお互いをよりよく知る。

 これらの取り組みを通して、子どもたちの中に少しずつ成長が見られ、学級としてもおちついてきました。いつも初めは、ひろい読みしかできない孝典君がお話に興味を持ち、図書館で本を借りて休み時間本を広げるようになりました。作文や図工の時、いつまでも何もしなかった直樹君が遊んだことを少しずつ自分で綴れるようになりました。

 またふだんよくしゃべっていても、授業中の発表や本読みになると、一言も声が出ず泣いてしまう魁君が、自分から手を上げ発表しようとするようになりました。友達に「遊ぼう。」「一緒に帰ろう。」と声がかけられなかった美咲ちゃんが教室でも大きな声で友達と話していたり、学校の帰り約束をして、いろんな子と遊べるようになってきました。

二、子どもと教材

 「スィミー」や「くまの子ウーフ」、「お手紙」などの文学教材にも取り組んできました。文に即して読みとりながらイメージをふくらませ、登場人物に共感しながら読み深めていきました。仲間の中で生きるということ、お互いの思いやりや、やさしさを意識し始めた子どもたちですが、日常の生活の中で、何気なく言った一言や、ふざけてやったことが友達を傷つけてしまうことや、それがもとでけんかになってしまうというようなことがよくあります。そんな子どもたちに、スーホと白馬の愛情がどんなものなのか文学体験し、本当に人を大事にするとはどんなことなのか考えるきっかけになってほしいと思い、この教材に取り組みました。

 この教材は、二年生にしては長文なので場面ごとに毎日読む練習をし、本読みカードで家庭学習として、おうちの方にも協力してもらいました。声に出して読むことが好きになった子が多く、特に会話文においては、殿様らしく読むという工夫もできるようになり、登場人物の心の動きやその場の様子をイメージ化しやすくなりました。

 手がかりになる言葉や大切な文章には、線を引き、自分の思いを書き込むこともしてきたので、少しずつ自分の思いが自分の言葉で発表できるようになってきました。さらに、友達の意見にも耳を傾け、認め合ったり、共感し合ったりしながら読み合っていきたいという思いで取り組みました。

三、教材について

 この物話は、モンゴルの大草原を舞台に展開される貧しい羊飼いの少年スーホと白い馬を中心とした悲劇です。今でもモンゴルに伝わる「馬頭琴」という楽器がどのようにしてできたのかという由来を語る形式で始まるのですが、この馬頭琴によってモンゴルの人々の限りない願いや抵抗のエネルギーが現代にまで語り伝えられてきているということを心にとめて読み進めていきました。

 また、少年スーホが広い草原の中で遊牧民として働き、がんばって生きる姿を子どもたちにイメージ豊かにとらえさせるためには、絵本の挿絵やビデオなどの助けが有効でした。

 この話は、スーホと白馬の心の交流・愛情の深まりを描きながらすすめられています。優しいスーホは、白い子馬の命を助け、心をこめて育てます。白馬も命を懸けてスーホの羊を守ることや競馬の大会で力いっぱい走ることにより、スーホの愛に応えていきます。そして深い愛情や強い信頼が生まれてきます。単に飼うものと飼われるものという関係をのりこえて、お互いに信じ合う兄弟のように楽しく幸せな時をすごしたのです。

 しかし、そんな幸せを壊したのが権力者=殿様でした。

 外見や職業だけでいやしいと判断したり、約束などはおかまいなしにほしいものは力ずくで奪い取るなど、権力をかさにきた殿様の無法で横暴な態度は、スーホとのやりとりの会話文や殿様の行動の一つひとつに表現されています。

 これらの違いを比べたり、会話文の音読を工夫したりすることによって殿様の非人間性や理不尽さを読みとっていくようにしたいです。

 強引に引き裂かれた白馬は、瀕死の状態になりながらも命がけで大好きなスーホのもとへ帰ってきます。が、スーホの願いも空しく力尽きて死んでしまいます。そして夢の中でも心を通い合わせるスーホと白馬、権力者のどのような権力をもってしても、たとえ引き裂かれても、殺されても断ち切ることのできないスーホと白馬との深く固い絆は、読み手に深い共感を与えます。こんな悲劇の中で生まれてきた馬頭琴は、美しい音色と共にモンゴルの草原に広がり、現代にまで伝えられているのです。

四、思想

 相手のことを思いやり、心をこめて尽くすことで生まれた深い愛情や絆は、どんな権力者の横暴な行為をもってしても断ち切ることはできない。

五、初めの感想

 スーホは、大好きな白馬を売ってたまるかと思ったんだろうなあ。でもぼくだったらそんなゆう気はないから、とのさまにあんなふうにぜったい言えなかったと思う。そして、スーホが大切にそだてた白馬をころされてくやしいだろうなあ。 (将和)

 さい後に、スーホの白い馬はすごくかなしい思いで死んじやったんだね。けい馬でかったのに、ほうびをもらったのでなく、白い馬をうばわれてしまうなんてひどい。けい馬に出て、何でころされないといけないのかなあ、かなしい思いはきえないね。 (篤志)

 スーホはやさしい人だと思う。白馬はとのさまたちにやられたからかわいそう。スーホは、白馬をとられてころされてすごくいやだっただろうな。スーホは白馬が大すきだっただろうな。 (美咲)

 白馬、きみの気もちわかるよ。きみはスーホに会いたくて会いたくて、いのちをふりしぼってスーホのところに帰ってきたんだね。スーホ、夕方にもがいている子馬を見つけていっしょうけんめいそだてたのに、とのさまにうばわれて、ころされてかなしかっただろうね。 (大志)

六、指導計画(全一五時間)

第一次 はじめの読み(三時間)

 初めの感想・難語句の説明やモンゴルについて知る(ビデオ視聴)場面分け、あらすじをつかむ。

第二次 たしかめ読み(一〇時間)

 前書き、(一)~(二)の場面、後書きを読む。

第三次 まとめ読み(二時間)

 スーホと白馬の愛情について話し合う。終わりの感想を書き、交流する。

七、授業

本時の目標

 傷つきながらもスーホのもとへ帰り、介抱のかいもなく死んだ白馬の様子を読みとり、スーホと白馬の結びつきの深さ、愛情の強さを感じとる。

授業の記録

T さあ、「スーホの白い馬」の勉強を始めましょう。

 昨日勉強した場面をみんなで思い出してみましょ う。 (模造紙にまとめた板書図を見て、前時をふり返る。矢がささっても走り続けている白馬に書いた感想を読む。)

白馬、矢がささっていたかっただろうね。よくがんばったね。白馬は強いね。矢がささってもしなないで走れるなんて、白馬とスーホの心はつながっているんだね。 (真優)

白馬はえらいなあ。ぼくはきっと大好きなスーホのところへ帰れると思うよ。がんばれ。(直樹)

ぼくは白馬にこう言ってほめてあげたいな。「家来たちに何本も矢をさされたのに、よくがんばってスーホの家に帰ってきたね。白馬はスーホと約束したんだもんね。どんな時でもいっしょだよって。」 (知士)

T じゃ、今日は、白馬が走り続けて帰ってきた晩のことを勉強しましょう。初めに今日の場面を読んでみましょう。 (読みの苦手な子にできるだけ多く読む機会を保障するため、全員各自音読した後、指名読みする。)

T まず、その晩のスーホのことについて考えてみようね。その晩、スーホはどうしましたか。

篤志 ねようとしていた。

愛実 カタカタと音がしたから「だれだ。」と言っても返事がなかった。

宏隆 「白馬だよ、うちの白馬だよ。」と言った。

子(数人)それは、おばあさんが言ったんだよ。

T そうだね。おばあさんがさけび声をあげたんだね。

麻夏 歯を食いしばりながら白馬にささっている矢をぬきました。

健人 その前に「スーホははねおきてかけていきました。」があるよ。

信吾 スーホは「白馬、ぼくの白馬死なないでおくれ。」と言った。

T その晩、スーホがねようとした時、カタカタと音がしておばあさんの声にはねおきてかけていくと、矢のささった白馬がいて、歯を食いしばりながら矢をぬいたんだね。じゃ今読みとったところで、スーホについてもう少し詳しくわかること思ったことを話して下さい。

由紀 「ねようとしていた」というところで、スーホは白馬がいなくなってからねる時もずっとさびしかった。ずっと白馬のことばかり考えていたと思う。

宏隆 ぼくは「はねおきて」のところで言いたい。「はねおきて」やから、びっくりしてかけていった。

T 普通やったら何て言うかな?

C (数人)おきて。

香帆 スーホは白馬のことをずうっと考えていたでしょ。だから「白馬だよ」というのを聞いてびっくりしてはねおきていった。

知士 それに「かけていきました」やからすごく速く外へ行った。

由衣 白馬は殿様にとられたはずなのに、自分のところに帰ってきたからびっくりしてかけていった。

悠 そしてやっと会えたと思ってうれしかった。

愛実 もう絶対白馬に会えないと思っていたのに会えたから、スーホはすごくうれしかった。

健人 よっぽどうれしかったと思う。

大志 スーホと白馬の心はやっぱりつながってたんや。だから会えたんや。

T そうだね。スーホはまさか白馬が帰ってくるとは思ってなかったから驚いた。そしてうれしかった。でも見ると、その体には、矢がささっていたんだね。

信吾 ぼくは、「はを食いしばりながら」というところで、いやいやそうにしている感じがする。

T 何で、いやいやそうにしている感じがするの?

信吾 白馬が死んでしまいそうやから、やりたくないねん。

秀明 矢をぬいたら痛くて白馬はかわいそうや。でもせんとしょうがない。

(いやいやそうにという言葉が意外だったが、「つらいのをがまんして」という意味なのだろう。)

篤志 白馬にささっている矢がかたいねん。

拓也 うん、それですぐぬけないから歯を食いしばっている。

慧祐 スーホは、殿様に白馬が矢をうたれてその矢で苦しんでいるのを見たくない。

T なるほど、矢が白馬の肉に食いこんでいて簡単にぬけないんだね。でもそのままにしていたら傷はもっとひどくなるから、歯を食いしばって矢をぬいたんだね。

大志 ぼくは、白馬は殿様の家来にやられたんだから、「殿様め、こんなことをして。」と思ってぬいたと思う。

将和 殿様はスーホから大好きな白馬を取り上げといて、矢をうって白馬にひどいことをしたから、スーホは腹が立ってる。

綾未 「ぼくの大切な白馬をこんなことしてひどい。」と思つている。

T なるほどなあ。 (歯を食いしばり一本一本矢をぬく様子からスーホの殿様への怒りを感じている子もあった。)

T では、今度は、走り続けて帰ってきた時の白馬の様子について考えてみよう。白馬の様子がわかるところを発表して下さい。

恵里佳 「カタカタ、カタカタ」と音をさせて帰ってきたことを知らせてる。

美咲 「あせが、たきのようにながれおちています。」

拓也 もうちょっとつけ足しがある。「その体には、矢が何本もつきささり、あせが、たきのようにながれおちています」です。

いづみ 「ひどいきずをうけながら、走って走って走りつづけて大すきなスーホのもとへ帰ってきたのです。」

亜香音 「きず口からは血がふき出しました。」

沙恵 「息はだんだん細くなり、目の光もきえていきました。」

(子どもたちの発表した文をはっていく。)

孝典 「つぎの日、しんでしまいました。」

T そう、これは、次の日だね。

(「つぎの日」と板書する。)

大志 もう思ったこと言いたい。いっぱいあるねん。

宏隆 ぼくも早く言いたい。

T そうか、白馬のことについて思ったことやわかったことがみんないっぱいあるねんな。じゃ、早く言いたいという宏隆君からどうぞ。

宏隆 白馬はスーホにどうしても会いたかったから走って走って走り続けたんや。

絵里 「矢が何本もつきささり」やから、矢がいっぱいささってかわいそう。

孝典 絵見たら四本やで。

秀明 反対側にもささっているで。

T そうだね。「何本もつきささり」やから、たくさんささっていたのだろうね。

綾未 矢がささって痛いのをがまんして、痛くても止まらないで走ってきたから、汗が滝のように流れてるねん。

愛実 「あせが、たきのように」のところで体じゅうに雨がふったみたいにいっぱい汗が出てる。

綾奈 痛いし、しんどかっても、息がきれそうになっても大好きなスーホのところへ早く帰りたいから、走って走って走り続けた。

将和 白馬は死ぬ前に絶対スーホに会いたいと思って一生けん命走り続けた。

T 「あせが、たきのように」や「走って走って走りつづけて」の言葉をみんなよく読みとったね。じゃ次を読もう。

翔太 「きず口からは血がふき出しました」のところで、矢をぬいたから、プシューと血がふき出した。

篤志 「ふき出した」やから、いっぱい血が出てめちゃくちゃ痛い。

由紀 矢をぬいているスーホまでも痛い気がしたと思う。

T そうやな。スーホまでも痛くてつらかったやろうな。

香帆 血がいっぱい出たからすごく弱ってくる。

T 人間だって出血多量で死ぬこともあるものね。

(このコメントは不必要だった。)

恵里佳 初めの「カタカタ」というのは、矢がささって走り続けてきてるから、弱ってて、力がないねん。ちょっとだけドアに当てて「帰ったよ。」って言ってる気がする。

T なるほど、ということは、「カタカタ」って読む時は、弱く小さな音でということになるねんな。すごいなあ。先生もそこまで考えなかったなあ。 (「へんじもなく」という言葉から鳴けないぐらい弱っていたという事実が押さえられる のではないかという指摘を受けた)

真優 「弱りはてていました」というから、立つこともできなくて、もう死にそうなぐらい弱っている。

絵里 「いきはだんだん細くなり」というのは、ほとんど息がなくなってきている感じ。

由紀 息が苦しい感じ。

由衣 白馬の顔のところにスーホがいっても何もわからないぐらいの息。

T 今、言ってくれた意味、みんなわかる?普通やったら、顔や手を近づけたら息が出ているのを感じるでしょ。それが感じないぐらいの息やということやね。

香帆 「目の光もきえていきました。」というところは、もう目があけられない感じ。

いづみ きっともう見えないぐらいと思う。

知士 昔、スーホと元気に草原を走り回っている時はもっと明るいきれいな目やったのに、今は暗い目になってきている。

T そうだね。明るい目の光が消えて、とうとう死んでしまったのですね。

大志 何で白馬は何も悪くないのに、こんなことにまきこまれて死なないといけないんやろう。

拓也 白馬は何もしてないのに、最後に死んでしまうなんてかわいそうすぎるわ。

T 今日は、スーホや白馬についてしっかり読みとり、わかったことや思ったことをたくさん発表してくれたね。

C もっと言いたいことあるのに。

(他にも「言いたい。」「いっぱいある。」と残念がる声、でも時間がない。)

T じゃ、その思ったことや言いたいことをこの紙に書いてもらおう。

今日の場面を勉強して、スーホと白馬を見て思ったことを書いて下さい。

(書いている途中にチャイムが鳴る。)

(まとめとして、スーホと白馬の心の結びつきの深さ、愛情の強さという点を板書してきちんとおさえるべきであったと思う。子どもたちの感想に出てきていたので、次時の初めにそれを読んでまとめをした。)

終わりの感想

 白馬はしんで土にうめられてはなれるより、楽器になってスーホのそばにいようと考えたんだね。だから、スーホと白馬の心は、白馬が馬頭琴になってもずっとつながっているんだね。

 スーホはとのさまに立ちむかった。それは、スーホが白馬とどんなことがあってもいっしょだよとかたくやくそくして、白馬の気もちがわかっていたから、立ちむかって言えたんだよね。ぼくもそんな人になりたいなあ。そして、あんなひどいとのさまのようにはなりたくない。うそをついたり、人の気もちのわからないとのさまは、とのさまになるしかくがない。ぼくは、人の気もちのわかるスーホは、白馬はしんじやったけど、馬頭琴をもって歌いながら友だちをいっぱいつくっているだろうと思う。
(知士)

 スーホは、白馬の心が分かってきょうだいのように思っていた。白馬もスーホの心が分かって大すきやったやろうな。でもとのさまにはなればなれにされてかわいそう。白馬は矢が何本もつきささっても走りつづけてスーホのところへ帰ってきた。でもその時はしぬということがわかっていたのかもしれないね。スーホもせっかく白馬が帰ってきてよかったと思ったのに、一日しかいっしょにおれなかった。スーホは本当に本当にかなしかっただろうな。かわいそうすぎる。馬頭琴には、スーホと白馬の心が入っているような気がする。
(美帆)

 白馬とスーホは、きょうだいのようだったのに、とのさまはスーホから白馬をとりあげた。そして大事にするのでなく、ころそうとした。おかしい。白馬が一等になって一番すばらしい馬だったから、自分のものにして自まんしたかっただけだ。本当に馬がほしかったのではない。スーホはくやしかっただろうな。どうして白馬はころされなければならないんだろう。白馬は、大すきなスーホのところへ帰りたかっただけなのに。スーホと白馬のくやしい気もちは、馬頭琴といっしょに草原中に広まったと思う。
(将和)

八、おわりに

 授業では、できるだけ多くの子どもたちの発言を保障していくことによって、いっそう作品の世界に浸らせていきたいと努めました。そのために手がかりになる言葉や文章はフラッシュカード形式にし、黒板には子どもたちの発言をたくさん書くようにしました。また自分の思いや考えを持ちながらも自分から手を上げて発表できない子には、書き込み時に「すごい、よく考えてるなあ」と赤丸をつけたり、場面ごとの感想を読んだりして自信を持たせたりしました。

 子どもたちは、登場人物と共に喜び、悲しみ、怒り、わが身にひきよせながら読み進めていきました。そして、仲間の発言に触発されながら新たなヒントを得て思いをめぐらし、読み深めていける子がふえてきました。そして何よりも、子どもたちが毎時間楽しんでとりくんでくれたことがうれしいでした。

 また、本読みになると一言も声が出ず涙が出てしまう、本時の授業でも何回も手を上げるが発言できなかった魁ちゃんが、二月の本読み発表会(参観日)には、「スーホの白い馬を読みたいと希望し、毎日練習し、本番は床に涙をボトボト流しながらも二ページ読み切ってくれました。

 これからも、いろいろな作品を通して、子どもたちと文学を読む楽しさを味わっていきたいと思います。

出典:「どの子も伸びる」/部落問題研究所・刊
(個人名は仮名にしてあります。)

うちの子にもついていける勉強のすすめ方をしてほしい!!

うちの子にもついていける勉強のすすめ方をしてほしい!!

―国民の教育主権を取り戻す合言葉―

渡辺 元 (子育て教育八尾市民会議代表・元八尾市立小学校教員)

はじめに

 2007年、NHKが特集した「学校に対する「無理・難題」の中に ――うちの子にもついていける勉強の進め方をしてほしい ――というのがはいっていたので驚いた。

 「うちの子にも・・・」とたのむのは一見わがままのようだが、わがままではない。 憲法26条は「すべて国民は教育を受ける権利(=勉強についていける権利)を持っている」と守ってくれているし、99条は「政府や教職員など公務員には憲法どおりになるように努力する責任がある」と命じているのだから「うちの子にも・・・」と願う親心は、政府や教職員が責任を持って受け止めねばならない。主権者の願いなのだ。だから、戦後1956年までは、この願いどおり ――みんないっしょに賢くするための法律 ――が整えられていた。

 ところが、国民の教育主権を取り上げたい財界本位の政府は1956年以降手立てをつくして、この親心を「無理・難題」だと錯覚する世の中にしてしまった。

 まず、その歴史を振り返り、つぎに教育再生の道をかたろう。

1.国民の教育主権の略奪史

(1) 教育委員会法改悪 1956年、国民の教育主権の根を断ち切った。

 次に掲げるのは、1950年に行われた教育委員選挙の投票日の、街のようすだ。

(八尾小学校作文クラブ文集②より)

無題

         5の3      水谷(小松)悦子

 うら門まできて、一人は帰ってしまった。もう一人も嫌がっていたが、私が一けん一けんいって、「教育せんきょ、いかれましたか?」と五、六けんいってまわっているうちに二人ともわたしのうしろで、私といっしょにいいはじめた。

 だいぶまわったろう。もうそのころには二人ともなれて、私より先に走っていって言っていた。  どこの家も「いきましたで」という。

「ありがとうございました。」といい、戸をしめようとするとき、「ごくろうさんやなあ」といってくれる。

 いっていない家はおおかた店やで、「今、いってまんねん。かわってもろたら、いきまっせ」と笑いながらいう。
 両がわにわかれた。中学生がわたしらのまねをしながら、いたずらそうに「へぇ、いきまっせ」といった。

 おおくの家をまわった。まだ雨は私たちの傘をぬらしていた。顔見知りの人がバカていねいに返事して、私たちをわらわせた。

 三人よって歩く。歩いていても、いつもよりえらいような気がした。

 この作文を読めば『子どもを戦場へ追い立てる教育は、これで終わるのだ』と教育委員選挙を歓迎する、街の人たちの明るい笑顔が、目に見えるようだ。

 それだのに、1956年政府は「教育委員選挙は、実益がないのに、お金がかかりすぎるから、ヤメたい。」と言い出して国会はこの言い分を通した。

 教育委員選出は、選挙から首長の任命にかわった。教育行政に国民の声を直接とどける道がなくなった。

(2) 勤評攻撃 1958年(教育には自由がよく似合う。)

 政府は、教育主権剥奪の次の一手として、勤評攻撃をかけてきた。

 勤評攻撃とは「月給に差をつけるぞ」と、おどして管理を強めようとする政策だが、これは教育が本来持っている自由に守られて、ほぼ失敗する。

 保護者・地域がこぞって「どの先生も個性を生かして、よくやってくださっているのに、月給でしばって、窮屈な目に合わせたら子どものためによくないだろう。

 子どもには、のびのび育ってほしい」と考えてくださったからだ。

 それは、このころ、学習指導要領が(試案)=(参考にすればいいもので)強制力を持っていなかったから、勉強の進め方は教員と保護者・地域が子どもの様子を見ながら学者と相談しながら決めていた。いいかえると ――うちの子もついていける勉強のすすめ方――になっていたからだ。  こうして、ほとんどの自治体では勤評が骨抜きになり、月給に差をつけているのはごく一部の自治体しかない。

 戦前のように、国が教育主権を持ち、思い通りの子どもを育てたい政府は、このじゃまになる信頼関係をこわす根まわしに勤評攻撃の年に、「試案」の文字を消し去った。「勉強は政府のいうとおり進めなさい」というわけだ。

(3) “よりわけ教育”宣言 1962年 財界主導

 戦後この年まで、日本の教育の基本を――《教育行政は不当な支配に服することなく、直接国民全体に責任を負う》――という定めのとおり、マスコミ、労組、PTA、校長会などなど、国民全体の教育要求を直接汲み取りやすい立場の人たちの代表が、それぞれ委員に任じられていた。  国民の教育主権を実のあるものにするためだ。

 ところが、1962年から委員が一名だけ超有名な文化人を目かくしに飾ったほかは、全員財界人になった。

 「教育基本法が禁じている不当な支配ではないか」と抗議に行った人に政府は「財界人は良識の人だから、全体を代表できる」と言い返した。

 しかし、これはただのいいのがれで財界の人たちは「今までの教育は、みんな一緒に賢くしようとしたから、無駄なお金がかかった。これからは、国際競争に勝ち抜けるエリートを掘り出して、効率のいい教育にしよう」という意味の答申を政府に出した。

 みんないっしょに賢くしようとして、やさしく、やる気のある、民族のいい後継ぎがそだつために。

(4) “より分け教科書”の悪行三つ 1970年・人格破壊の惨状

 答申通りの政府は、1970年から”よりわけ教科書”を子どもに渡した。

 みんな一緒に賢くできる、ゆとりのある教科書を。

 ――六・三制、野球ばかりが強くなり ――とひやかしていたマスコミは、“落ちこぼれ”だとか “新幹線教育”だとか言う言葉で<自己責任論>=(わからないのは努力が足りないからだ、という意見)を流行させたので、街では学習塾が爆発的に増え、母親たちは塾の費用稼ぎに、パート労働になだれこんだ。

 ところが、マスコミは指摘しなかったが、“より分け教科書”には子どもの人格を歪め、保護者・地域と教職員・学校との信頼関係をこわす、悪の爪がかくされている。このうち、特に深刻なものを3つ挙げよう。

① 教育漢字を増やした。(多すぎる)

 1948年、教育漢字881字を発表したとき政府は「漢字はいろいろ役に立つものだが、多すぎると勉強ぎらいのもとになるから、この数にしぼった。」とという意味のコメントを添えていた。

 『こどもをみんな、勉強好きに育てたい。』という憲法どおりの立場に教育も立っていたのだ。

 おかげで、1年生に配当された漢字の数は23字だったから、ひらかなの読み書きに自信を持って、次に進みたくなってきた、3学期になってから、やっと漢字が出た。

 だから、「さあ、今日から漢字の勉強が始まるよ。」と言ったとたん、子どもたちは全国どこの教室でも「カンジ! カンジ!」と歓声をあげたものだ。大人の字を習うのがうれしいのだ。

 こんなに心を揃えて、わき立っている教室では“いじめ”など起こりようがない。

 ところが、財界がいうとおり、“より分け教育”に方向を変えた政府は、漢字も選り分けの道具にしようと「日本文化の伝統を尊重するために。」と口実を構えて1006字に増やした。1年生の割り当ては81字になった。

 だから、ひらかなにまだ自信がつかない1学期末には、もう漢字を出さないと間に合わない。

 それで、「今日から漢字の勉強をはじめます。」といったら、子どもたちは例外なく、どこの教室でも暗い顔をして、うつむくそうだ。心の中で『まだ、ひらかなに自信がついていないのに!!いやだなあ! 』と悲鳴をあげているのだろうか。

――自信がついたら次へ進みたくなる ――という発達の法則を踏み外してはいけない。これは政府がする激烈な子どもいじめだ。

 勉強は政府自身が1948年に言っていたように、いやいやするものになった。いやいやでもしなければならない。いらいらが “いじめ”の原因だとは、すべての“いじめっ子”の証言だ。

 それだけでなく、子どもたちは「国語はキライ。漢字の勉強ばっかり。」といい捨てる。読む力や書く力が育たないのは当然だ。

② 入門期指導の削除(納得軽視)――かわいさを奪われた――

 政府は、「文字や数字を覚えて、入学する子が多くなったから、“入門期指導”をしていたら、その子たちが退屈する。」を口実に“入門期指導”を削除した。

“より分け教科書”の中でも、最悪の仕打ちだ。

 戦前から戦後1960年まで、1年生の担任は大正時代に豊かになった教育技術を受けついで、文字も数字も1字ずつ、暮らしと結んで納得させることに、1学期いっぱい専念なさったのだ。教科書もそのために作ってあった。

 この授業で、納得の楽しさを味わった子どもたちはみんな勉強が好きになった。

 ゆっくり進むから、みんなの足並みが揃って『いっしょに勉強して、いっしょに賢くなる仲間だ』という暖かさが育った。

 文字や数字を覚えて入学してきた“できる子”も、この授業には退屈するどころか、みをのり出して乗ってくる。

 文字や数字を、暮らしと結んで納得させるとき、納得に役立つ意見をいっぱいだしてくれるのだ。その日学んだ文字がつくことばを、集めるときも、黒板に書いた数式で、答えがわかるお話を作るときも。覚えていることと、みんなで納得し合うこととは違うのだ。

 この人間発達の最重要な節目を“より分け教育”は削ってしまってどうするのだ。

 新入生用品のコマーシャルから「かわいい かわいい 1年生。」という言葉が消えてしまった。

 しかし、今でも自主編成して、昔ながらの入門期指導にとりくみ、かわいい、かわい1年生を育てている教員は増えつつある。その方が、あとあと楽なのだ。

③ 九九を2年生にあげた。(早すぎる)

 政府は、「3年生より2年生のほうが、マジメだから、九九も暗記させやすい。」と愚にもつかない口実を構えて九九を2年生の教材にした。しかし、これは根本がちがう。

 大正デモクラシーを各界が育てていく中で、たとえば銀行員だった小林多喜二は。文学仲間が地域の労働者を結びつけるために、ニシン倉庫のあとを利用して開いた居酒屋で、蟹工船の労働者から綿密な取材ができたし、教員たちは“治安維持法”を気にしながら、こっそり集まっては、子どもに恥をかかせないで、読み、書き、計算の腕前に自信をつけさせる仕方をいろいろ開発した。

 その中で、

――加減算の仕方に納得して、その腕前に自信を持つてからでないと、九九は覚えにくい。今のように、2年生で九九を教えるのは早すぎる.警官に学校へひきずっていかれる子がでてしまっているのではないか *1 ――

と経験をまとめていた。

 だから、戦後、勉強のすすめ方を国民が決めるようになったとき、九九は3年生の教材になった。

 2年生いっぱいかけて、加減算に自信を持たせてから九九を教えるためだ。

 3年生になった子どもたちは喜び勇んで九九にとりくみ、どの先生のクラスでも、最後の一人の暗誦に成功した瞬間、教室はお祭り気分につつまれたものだ。

 2年生で教えたら、こうはいかない。九九を2年生に返した罪は重い。

 ためしに、3年生で百マスを使って九九のテストをしてみたら、ボロボロさ加減がよくわかるだろう。

2.教育再生の道

(1) 現状

「いよお!! 日本一!!」
と、おおむこうから掛声をとばしたくなるような、ステキな実践でサークル仲間をはげましてくれる教員が、校長の嫌う組合運動にも力を入れるから、「評価・育成制度」で2008年、期末手当てを10万円ほど下げられた。

 けれど、この不当を正す力を集めようとしても、今はだめらしい。

 2007年秋、憲法9条を守り抜こうと考える人たち、近所どうし20人たらずの集会で20分ほど「評価・育成制度は、戦争―の一里塚」と、一席やらせてもらったところ、感想の第一声は、「それでも、点数をつけてもらった方がいい先生も多いからねえ。」だった。

 これを皮切りに、出るわ 出るわ。全員が教員批判で盛り上がった。国民の教育主権を奪われ、子どもが育ちそこねている腹いせなのだが、敵は教員ではないのにどうしよう。

(2) 自主編成のすすめ

 政府の“より分け教育政策”に惑わされないで、『わからない子が残ったら、かわいそう。』と教育の本道を自主編成しておいでの教員は増えつつある。そんな教員のクラスでは、何年もつづいていた“いじめ”も消えるし、「学校たのしいよ。おいで」と友人にさそわれて、登校拒否だった子がスンナリ登校しばじめたりしている。

(3) 自主編成の原理・原則

 「子どもは、内なる要求にうながされて発達する。」という学説がある。

 私はこれを、“全面発達を目指していた頃の同和教育運動”の中で小川太郎さんから学んだ。

 その後、50年あまり実践と思索を重ねてこの内なる要求は、次のようにまとまりかけている。

 ●基本的要求 = みんなでしたい。
 ●人間的要求 = 発達したい
 ●文化的要求 = たのしみたい

 人類が百数十万年の歴史をかけて、結晶させた内なる要求。他の動物は季節に支配されるが、人間だけは春秋・昼夜を問わず催せる性欲ほどに、しっかり身に付けて生まれてくる内なる要求。これを掘り起こし、つなぎ合わせて、輝かせるのが教育 =(自主編成)だと仮定して、基本だと思うことを3つにまとめて提案する。

① 納得こそわが命と、たのしもう。

 “より分け教科書”の一番悪いところは、「納得」を楽しむ気風を薄れさせることだ。

 ――― 両手の指十本を使って、
 「7ちゃんと仲良しなのはだーれだ。」「そうだ、そうだ 3ちゃんでした。」など足せば10になる数を見つける遊びに乗せると、子どもは夢中になって楽しむから、くり上がり・さがりの「納得」が早いよ。―――

とすすめても、おもてに7+8と書き、うらに15と書いたカードを作り、これを暗記させることにしか打ち込めない先生など、教科の進度の速さに足をとられて、「納得」を粗末にする教員の噂を聞くと、せつない。

 “より分け教育”で、日本の教育はどうなるのだろう。

 けれども、子どもは、みんなで一緒に納得できたとき、教室一杯に花のような笑顔を広げるところは、今も変わらない。「納得こそ、わが命!! 」と自主編成して、本物の教員に自らを育てよう。これはたたかいだ。

 納得させるためには、
・暮らしと結んで教える
・身体と五感を使って実感させる
・学習用具 =(たとえば分度器)の使い方に習熟させる
・まちがいや疑問を、みんなで大切にする
ことがいいようだ。

 何か大切なことは、たとえば繰り上がりの仕方を手間・ひまかけて、みんなに納得させることを目指して打ち込めば、教室はかならず楽しくなり、教員生活の展望もひらけるにちがいない。  なお、みんなには納得できそうにないことには、けっして手を出してはならない。憲法に違反すると手厳しい反発をくらう。

② 読み・書き・計算の腕前に、自信を持ち合わせる。

 “より分け教科書”の悪い点の2つ目は、読み・書き・計算という人間だけが持っている腕前に、自信が持てないようにしむけていることだ。自信がないのは、マスコミがいうように五日制や“ゆとりの時間”の性ではない。「みんないっしょに賢くする」という教育の大原則をふみはずし、“より分け教育”をしようとするからだ。

 ここを改めなければ、やたらに授業時間を増やしても、子どもを疲れさせるばかりだ。

 納得させながらすすむ勉強なら、腕前は自然についてくるのだか、わかったことにして次に進まないと、間に合わない今の教科書では、子どもの腕前はボロボロになっている。

 腕前に自信がないと子どもは荒れる。だから、学校や学級を育て直そうと思ったら、腕前のドリルが必要だ。百マス計算の成果はその一つだろう。

 全国一斉学力テストの結果公表を、権限もないのに地教委に迫り、地教委の教育的配慮をふみにじる ――行政の教育主権の信奉者 =(テストで追い立てないと、子どもは育たないと考える人)――大阪府知事が、百マスを進めるからといって毛嫌いすることはない。

 百マスは誰が考えだしたのか。1960年代はじめから民間教育研究運動の中で、少しずつはやり始めていた、試されずみのドリルだ。橋本知事さえ推奨するところへきたのだ。

 ドリルの内容や方法は、いろいろ考え出すのがいいけれど、どの子にも恥をかかせないことと、遊び心で取り組めることには心がけたいものだ。

③ 発言の自由を育てる

 “より分け教育”が生み出す矛盾を政府の<教育再生会議>は説教→ゲンコツ→追放 =(管理強化)ですり抜けようとしているが、こんなおどしや、みせしめでは子どもはそだたない。

 子どもはやはり、納得の楽しさを味わったときや、腕前に自信を持ち合ったときに、よく育つ。さらにその上、発言の自由を育てることで子どもは根っこから発達する。親が突然首切りにあうなど、思いもかけぬ不幸に見舞われても、しなやかに乗り越える力がつく。

 発言の自由は「渡る世間に鬼はない」という実感を育ててくれる。

 これは、まず、各教科の授業で育てるのが基本だ。

<教室はまちがうところ>と額を掲げている教員もいる。特に生活綴り方教育運動の中には、すぐ真似でも有効な、豊かな達成がある。

3.自主編成を広げるために

 「働きやすい学校だ」と評判がいいし、自主編成も盛んな学校に対して、子どもが育ち合っている憲法どおりの実践を出し合う会へ、報告をおねがいしたら、―――子どもの話がある学校―――というテーマで語ってくださった。

 この学校では、校内研で本音が出しやすいように、全員が、
・子どものようす
・大切にしていること
の2つを更紙2分の1にまとめ、これを係が更紙にはりこんで人数分印刷し、討議資料にするそうだ。更紙2分の1で2つのテーマだから、書く分量が少ないので本音がでやすい。

 みんなのクラスの様子と教育方針が、一目でわかるから、安心してグチ話がブッチャケられる。グチ話がブッチャケ合える、心安さが職場に育ったら、いいことが4つある。

① しんどいのはみんな一緒だなと、心が安らぐ。自主編成の元気がでる。

② 発言の自由が育って、思いがけない、控えめな教員のステキな実践が聞ける。

③ 子どものグチで、慰めあえる職場になって、子どもの扱いがやわらかくなる。

④ 親が苦情をいいに来たとき、近くにいる教員が自然に集まって、話を聞かせてもらう気風が生まれる。

どれだけ心強いか。「親もていねいに扱ってもらえた」と満足してくださる。

 グチをブッチャケ合える、働きやすい職場を育てる上で、意図的にグチ話を持ち出す人はぜひ必要だ。

『だいたい調子よくいっているから、うちの親にはグチの種がないなあ。』と思っているのは驕りだ。“より分け教育”の嵐の中にいる子に、グチの種のないはずがない。

おわりに

 子どもが育ちそこねていることは広く認められている。

 しかし、その原因と解決方法はいろいろ論じられながら、まだ、一致点がない。

私は ――憲法違反の“より分け学習指導要領”の押し付けにこそ、育ちそこねの原因がある。――と考えこの文章を書いた。

 原因がそこにあることは、『わからない子が残ったら、かわいそう。』と、そこからはなれて、教育の本道を自主編成している教員たちのクラスでは、やさしく、やる気に満ちて、しなやかな子が育っている事実が証明している。

“うちの子にもついていける勉強のすすめ方”をさぐりあう自主編成運動の中にこそ、日本の教育の未来があると思う。

(*1)  天皇のための教育だったから、登校拒否に警官が介入することは当然だった。

いわゆる「差別落書き」問題について

いわゆる「差別落書き」問題について

1983年6月 大阪府部落解放運動連合会 (全解連)

 最近、「差別落書き」事件が多発しています。

 主に、「部落解放同盟」やその関連団体の手で摘発され、「落書き」の対象となった施設や場所の設置者や管理者が「差別」の「確認」や「糾弾」の当事者となり、「反省」を迫られ、なかには、一部郵政の職場のように、「同和研修」の実施をはじめ「解放研」の事務所設置、活動家の勤務解除などを当局に認めさせるという異常な事態も起こっています。また、教育の現場では、校区や校内で判明した「差別落書き」を”教材”にした「指導」が子どもたちに行なわれています。

 全解連は、こうした動きに深い憂慮をいだいています。以下この問題に対する私たちの考え方と運動のすすめ方をのべます。(*1)

1.「落書き」とは

 「落書き」とは、「書くべきでない所に文字や絵をいたずら書きすること」で、そのほとんどが書いた者を特定することができません。

 多くの人たちが利用する公共物や一般の目にふれる所への「落書き」は内容、形態のいかんにかかわらず禁じられているのは社会的常識になっています。

 一般にこうした「落書き」は、消去もしくは施設や対象を以前の状態に復元することで基本的に解決するものです。

 いわゆる「差別落書き」もその例外ではありません。

2.なぜおこるか

 公表されている「差別落書き」は、どれひとつとっても許しがたい、国民融合を敵視した悪意に満ちた内容になっているのが最近の特徴です。 こうした「落書き」の背景には、

①部落問題にたいする歴史的、科学的な理解の不十分さや基本的人権への無知や認識の欠除

②長年にわたって解同一部幹部らによって持ちこまれた部落解放運動の弱点

③不公正や逆差別を生み出した同和行政のゆがみ

……が横たわっています。

 これらを解消することなしに「落書き」問題の真の解決はありえません。

3.「差別落書き」への対処と全解連の運動のすすめ方

 国民的融合の促進と「21世紀に部落差別を持ち越さない」決意のもとに運動をすすめている全解連は、「差別落書き」をことさら重大な差別事件として扱うことに反対します。

 実行行為者も不明な「落書き」をとらえて「部落排外主義」や独断的な「差別論」に結びつけてキャンペーンし、「組織強化」や利権獲得の道具にするなどは、部落差別解消とは無縁のものです。

 まして、一部郵政の職場でおこっているような異常な事態は一刻も放置することができません。

 また、軽薄で打撃的なことばが並んだ「落書き」を”教材”にして児童・生徒を「指導する」(□□小学校)などは、およそ教育と呼べるものではありません。

〈具体的には〉

 全解連は今日まで、真の部落解放をめざす運動の先頭に立ってきました。

 施行2年目を迎えた、「地域改善対策特別措置法」(地対法)も、そうした私たちの運動を反映して「周辺地域との一体性の確保」や「公正な運営」「広く国民の理解と協力を得る」(地対法施行にあたっての次官通達)ことを明記しています。

 こうした法の精神を生かして、公共施設の公正な使用や周辺地域への開放をはじめ、”差別の垣根”をとりはらう具体的な措置を一日も早く実現して、住民相互の連帯・国民的融合をさらにすすめることが、「差別落書き」を生み出さない条件をつくる道です。

 また、部落差別の解消にとって、旺盛な啓発活動は不可欠ですが、その主体は、私たち自身が担わねばなりません。多くの府民を対象にした啓蒙・啓発が”上からのおしつけ”でなく、理解と共感を広げる運動として、生活や文化を含めた交流を基礎にとりくみを強めることが大切です。

(1)すべての府民を対象に、部落問題の科学的認識や「国民融合論」の啓蒙・普及活動を強力にすすめます。

(2)法務省や地方自治体、公共団体と協力・共同して正しい人権啓発運動をすすめます。

(3)「差別落書き」事件を口実に利権をあさったり、それをとらえてゆがんだ教育をするなどの動きにたいしては、断固としてたたかいます。

(*1) 1983年10月に「再び『差別落書き』問題について」を発表している

■関連記事/再び「差別落書き」問題について

身分制・部落問題の教科書記述と学習のすすめ方(2015)

身分制・部落問題の教科書記述と学習のすすめ方(2015)

小牧 薫 2015年7月

参考

  • 身分制度・部落問題の授業にどう取り組むか (2011)
  • 中学校公民教科書の部落問題は大問題-部落問題解決の到達点を無視、認識は同対審答申のまま-(2011 大阪歴教協HP)
  • 中学校公民教科書の部落問題記述の問題点 (2011)

身分制・部落問題の教科書記述と学習のすすめ方(2015)

(この文章は全国地域人権運動総連合の機関誌「地域と人権」2015年5月号~10月号に連載されたものです。)

1.はじめに

 「民権連通信」(民主主義と人権を守る府民連合機関誌2015年2月)号外の見出しが話題を呼んでいます。府教委生徒から聞かれたとしても、「今、被差別部落なんてないよ」という「誰が『同和地区の人』なのか、誰も説明できない」これは、民主主義と人権を守る府民連合が2015年1月21日、大阪府教育委員会と交渉を行ったときのやりとりを報道したものです。号外の内容をもう少し見てみます。

民権連 「部落」「被差別部落」「同和地区」などの言葉を使うな
府教委 教科書の記述を踏まえて指導

民権連は「部落」「被差別部落」「同和地区」などの言葉を用いた指導をしないように要求しました。府教委は、「教科書の記述を踏まえて指導」と回答しまし.た。これに関連して、次のようなやりとりが行われました。

○民権連 中学校教科書に「部落差別とは被差別部落の出身者に対する差別のことで、同和問題ともよばれます。」と書かれている。生徒から「被差別部落は今もあるのですか」「どこですか」と聞かれたら、先生はどう答えるのか。

□府教委 生徒から聞かれたとしても、そんなん、今、被差別部落なんてないよという言い方になると思います。

○民権連 ないよ、といいますね。

□府教委 被差別部落どこやと聞かれたら答えないです。かつて差別されたところはあるかもしれませんけれど、今はそんなことないよという言い方になります。

◆「民権連通信」2015年2月号外はこちら(民主主義と人権を守る府民連合のサイト)

 『地域と人権』読者の皆さんには、このやりとりは、あたりまえのことだと思います。しかし、学校現場では、それがあたりまえではありませんでした。

 大阪府教育委員会の担当者が述べているように、中学校の社会科、高校の地歴・公民科の教科書には、「部落」「被差別部落」「同和地区」などの言葉(用語)が何の注釈もなく使われています。それだけでなく、中学社会科公民的分野の教科書には、「日本における部落差別の問題は、人権侵害と差別にかかわる重要な問題です。結婚や就職の際に身元を調べられ、部落の出身者であることがわかると、婚約や採用を取り消されることなどが今でもあります。このような実態は、残念ながら依然として人々の間に差別意識が残っていることを示しています。これは、市民としての権利や自由は保障されるという、日本国憲法の精神に全く反するものです。」(教育出版P46)。現在使用中の教科書に、上記のようにまったく事実に反することが記述されています。

 中学校の社会科公民的分野の教科書は8種類が発行されています。わずかに、帝国書院の教科書だけが、2012年度使用分から「その結果、生活環境の格差が少なくなり、教育・啓発が進むなか、2001年度で特別対策は終了しました」と同和対策の終了について書いています。ほかの教科書は自由社を除いて、同和対策の始まりは書いていても終結したことを書いていません。自由社の教科書は、「2002(平成14)年には国の同和対策事業は終了している」と書いていますが、全体としては問題のある記述です(ここでは省略)。

 同和対策事業に国と地方自治体あわせて15兆円もの予算が投入され、かつて「部落」と呼ばれた集落(地域)は一変しました。人口の流出入により、居住する人々も入れかわりました。誰が従来からの居住者かもわからなくなり、結婚や進学・就職の際に身元を調べたり、差別されることもなくなりました。もし、何らかの差別事象が起こっても、それをまわりの人々がただしてくれるような社会になりました。そこまで、地域の民主主義が進んだということです。  本稿は、「身分制・部落問題の教科書記述と学習のすすめ方」と題して、現在の教科書の記述とともに今年の夏に採択される中学校教科書記述の内容と、それをどのように使えばよいのかについてもかんがえていきたいと思います。

2.小学校では、身分制・部落問題を教えない

 東上高志編「『部落問題学習』の考え方・すすめ方」(1993年部落問題研究所)の総論では、浜田博生さんらと何人かで討議して出した結論を、東上さんがつぎのように書いています。「最後に再度強調しておきたい。すでに書いているように、小学校では部落問題を教えることはしない。教科書には部落問題を記述しない。現行教科書では記述を無視する。中学校においては、部落問題だけをとりだした「特設単元」的なやり方はしない。ましてクラス担任がホームルームで特別な指導をすることは誤りである。前近代の賎民身分、近現代の部落問題についての学習は、義務教育段階で完結させる課題ではなく、高校生が社会問題について充分考えられるようになった段階で学習すべき課題であると考える。現代の部落問題については、社会科歴史学習での課題とするのではなく、高校の「現代社会」「政治経済」の学習のなかでとりあげる」と明確に書いています。

 1972年の小学校教科書に「その他の身分」についての記述がなされ、74年の中学校歴史教科書には、「えた・ひにん」について記述されるようになりました。その記述内容については、2015年亡くなった鈴木良さんをはじめ多くの方が批判し続けてきました。そうした甲斐もあってか、2006年度用の教科書のなかには大きく改善されたものもあらわれました。しかし、まだ旧態依然たるものもありますし、政治起源説を払拭しきれないものもあります。また、いくつかの教科書が「現代の課題」で、いまだに同対審答申を引用し、「部落差別は根強く残されている」というような記述をしています。 私は、雑誌『部落』96年9月号の座談会でもつぎのように発言しています。

 「70年代は大阪においても、政治起源説一辺倒だったわけですが、いろいろ批判を受けるなかで、80年代に入ってわりに早く、個別具体的な研究に依拠してそれを生徒に提起し、授業を組みたてていく、という方向にかわりました。…それと14、5歳という中学生の年齢と、17、8歳の高校生とでは、正義感の問題、不合理に対する怒りといっても大きく違うわけで、社会の構造そのものにまでかかわって問題をとらえた上で不合理に気づきながら学ぶというのは、やっぱり高校生だと思います。そして社会にさまざま存在する問題に対して、自分の立場なり生き方を考える、一つのきっかけになるんとちがうかな、と。あるいは解決への展望と自分の未来を重ね合わせることが可能になるのは、やっぱり高校生の学習課題だと思いますね」と述べています。

 その考えは今でも変わりませんし、現代の部落問題については、社会科歴史学習での課題ではないと考えています。それとともに、歴史学習で取り上げるべき内容はなになのかを十分に考える必要があると考えています。どのようにすべきかは後述するとして、小・中・高の歴史学習について考えてみます。

3、小学校の教科書は、中学校の教科書の薄墨

 私は、90年代に入ってからはことあるごとに教科書の身分制・部落問題記述の,肥大化・特殊化について批判してきました。特に小学校では部落問題を教えることはしない、部落問題記述があっても無視するということを主張してきました。しかし、小学校学習指導要領には、身分制・部落問題についてはまったく触れられていないにもかかわらずどの教科書にも書かれています。2012年度用の小学校の教科書は、どの教科書もAB版になり、横幅が広くなり、大きな写真が使われるようになりました。その反面、歴史叙述が少なくなり、絵本と見間違うようなものになっています。人物中心の記述内容で、社会構造についてはほとんど書かれず、民衆運動は無視されたままです。内容をつぶさに見てみると、中学校の教科書をかんたんにしたものが小学校の教科書です。

 小学校では、「えた.ひにん」の記述はありませんが、「身分の上で差別されてきた人々」とか「厳しく差別されてきた人々」などの記述があるのです。

 最も多く採択されている東京書籍の『新編新しい社会』6年上の教科書では、身分制・部落問題について、つぎの箇所で記述しています。室町文化での庭作り、江戸時代の身分制、蘭学で「医学を支えた人々」、渋染一揆、明治の身分制の改革、全国水平社の結成、私たちの課題の7カ所です。

 ほかの教科書でも同じ箇所で記述されています。東京書籍の教科書では、土一揆・国一揆についてまったく書いていませんし、江戸時代の百姓一揆は渋染一揆だけです。それで世の中のようすがわかるはずがありません。小学校の教科書から身分制・部落問題記述がなくなればどれだけすっきりするでしょう。そして、基本的な社会関係についての記述をしっかりするべきです。

4.小学校の教科書記述の問題-憲法と部落差別

 「小学校では部落問題を教えない」、「教科書の記述は無視する」と口がすっぱくなるほど言い続けてきたつもりです。教科書会社にもその要望を出し続けてきました。学習指導要領にも一言も触れられていません。

 ところが、小学校教科書(社会)には、今でも歴史と憲法学習であい変わらず記述されています。しかも、事実をねじまげているのです。小学社会を発行している4社中3社までが、いまだに事実を反映した記述に改善していません。

 憲法学習で部落差別を取り上げていないのは東京書籍だけです。これを全社に広げなくてはなりません。

 日本文教出版「小学社会」6下には、日本国憲法の平等権の説明で「歴史で学んだように、差別を許さない運動や取り組みが広がりつつありますが、まだ、日常生活や結婚・就職などで人権がおかされている事実があります」と、同和対策が終了して10年以上たち、結婚や就職の際の差別事象はどこの統計資料にも現れない状況、部落差別が克服・解消されたといえるようになったにもかかわらず、いまだに記述内容を改善していません。

 教育出版も同じように差別が残っていると書き、光村図書は「私たちの周りには、江戸時代の身分差別がもとで、今でも、結婚や就職のときに差別を受けている人たちがいます。(中略)基本的人権を守るためには、こうした差別や偏見をなくすことが大切です」と書いています。

 日常生活における差別や結婚・就職の際の差別を「江戸時代の差別がもとで」と言い切ることができるのでしょうか?「被差別部落」と言われた地域の住民は、江戸時代以来代々そこに住み続けていたというのでしょうか?人口の流出入により、居住する人が入れ替わったり、旧身分に関係なく結婚する人が増えることによって、国民融合がすすんだことをどのようにとらえているのでしょうか?・ もし、現在もそのようなことが起こるとすれば、それは貧困や生育状況などに起因するのではないでしょうか?社会関係で出自を問題にすることがあるでしょうか? 特別対策が廃止され、「同和地区」はどこにも存在しないし、「同和地区」出身かどうかを意識することもなくなりました。社会問題としての部落問題は基本的に解決したのです。まだ、偏見や誤解を持つ人がいたとしても、社会にそれが受け入れられることはなく、逆にそれを克服して国民融合をすすめていくところまできているのです。

 そうした歴史と現状を小学生に教えることはとうていできません。部落差別の歴史とその克服・解消という社会問題を教えることは、小学生に無理です。日常生活でさまざまな交流を経験し人間性・社会性が育った青年たちにこそ理解できることです。

5.小学校の教科書記述の問題-日本の歴史で-

 歴史学習に関わる部分でも問題の多さを感じます。

 東京書籍の「新編新しい社会」6上の記述を見てみます。

 前回にも指摘しましたが、最初の記述は「室町文化」のところです。「身分」についての説明もないままに、「身分のうえで差別されてきた人々」という記述が出てきます。

 「今に伝わる室町文化」の側注囲みの「石と砂で世界を表す~竜安寺の石庭~」で竜安寺の石庭の写真をつけ、「京都の竜安寺には、枯山水という砂と石で山や水などを表す様式の石庭があります。庭づくりでは、身分のうえで差別されてきた人々が活やくしました。室町時代につくられた数々の庭園は、今も人びとの心をとらえ、季節ごとに多くの人がおとずれます」と書いています。

 現行本には、「庭づくりでは、身分のうえで差別されてきた人々が活やくしました」の一文はありませんでした。

 書院造などとともに枯山水の石庭を室町文化の特色としておさえることには何ら問題はありません。でも、それをつくったのが「身分のうえで差別されていた人々」のひとりだったことをことさら取り出して教える必要があるでしょうか?そんな必要はまったくありません。

 つぎに、書かれているのは、第6節「3人の武将と天下統一」の項で、本文に「検地と刀狩によって、武士と、百姓・町人(商人や職人)という身分が区別され、武士と町人は城下町に住み、百姓は農村や山村、漁村で農業や林業、漁業などに専念するようになりました。武士が世の中を支配する社会のしくみが整えられていったのです」と、側注に「百姓」の用語解説もあります。これが基本的社会関係で、小学生も学ぶべきことです。  第7節「江戸幕府と政治の安定」の「人々のくらしと身分」の項では、身分制と各身分の生業について書き、農業の発展についてもふれ、本文最後に「このほか、皇族や公家(貴族)、僧や神官などの宗教者、能や歌舞伎をはじめとする芸能者、絵師、学者、医者など、多くの身分が見られました。また、百姓や町人とは別に厳しく差別されてきた身分の人々もいました」と書き、側注に「身分」のことばを「江戸時代には、武士や百姓、町人などの身分が固定化し、身分によって職業や住む場所のほか、税などの負担が決められました。親から子へと代々引きつがれていきました」と解説しています。

 これが「身分」のことばの説明になっているでしょうか?「身分」とは、「特定の社会における地位や階層で、個人や集団に対してつけられたもの」というべきだと思いますが、これを小学生に理解させるのはどだい無理なことです。そのうえに、このページの最後に、囲みで「厳しく差別されてきた人々」を詳しく説明しています。「百姓や町人とは別に厳しく差別されてきた身分の人びとは、仕事や住む場所、身なりを百姓や町入とは区別され、村や町の祭りへの参加をこばまれるなど、厳しい差別のもとにおかれ、幕府や藩も差別を強めました。これらの人々は、こうした差別の中でも、農業や手工業を営み、芸能で人々を楽しませ、また治安などをになって、社会を支えました」と。

 事実は、仕事や住む場所はすべての人々が決められており、すべての人々が社会を支えていたのです。こんな記述はまったく不要です。   第8節「町人の文化と新しい学問」の「新しい学問・蘭学」の項は下の通りです。

 杉田玄白、前野良沢の「解体新書」の出版について書くとともに、側注に「二つの解剖図」と「ほん訳の苦労」の漫画、「解剖の様子」(想像図)を示し囲みで「医学を支えた人々」を書いています。「玄白があらわした『蘭学事始』という本には、『解体新書』をほん訳した苦心と、人体の解剖を初めて見たときの感動が記されています。玄白は、解剖を見学したとき、見比べていたオランダ語の解剖図が正確にかかれているのにおどろいた、と書き残しています。

 また、このとき解剖をして内臓の説明をした人は、身分制度のもとで百姓や町人とは別に厳しく差別されてきた人でした。このような人が、すぐれた解剖の技術を生かして、このころの医学を支えていました」と。

 医学を支え、進歩させたのは、玄白や良沢であり、「解剖をして内臓の説明をした」「厳しく差別された人」ではありません。なぜ、ことさらに、解剖をした非人を強調するのでしょうか?

 「国学の発展と新しい時代への動き」の項の後半に「百姓一揆と打ちこわし」についてふれ、グラフと挿絵、囲みで「渋染一揆」を書いています。江戸時代に多かったのは、年貢減免を求める一揆で幕末の世直し一揆である「渋染一揆」のようなものではありません。これも「身分上厳しく差別されてきた人たち」を強調するための記述としか言いようがありません。

 第9節「明治の国づくりを進めた人々」で、「江戸時代の身分制度も改められ、すべての国民は平等であるとされ、職業や住む場所が自由に選べるようになり、身分制度のもとで苦しめられてきた人々も身分上は解放されました」と本文で書き、囲みで「本当の平等を求めて」で「政府は差別をなくすための政策や生活の改善を行いませんでした。そのため、望んだ仕事につくことや教育を受けることは難しく、苦しい生活の中で結婚や就職、住む場所など、日常生活でのさまざまな差別が新しい形で残されました」と、差別の強化について書いています。

 大事なことは明治になって身分のちがいがなくなったことで、差別が強化されたことではありません。

 第10節「世界に踏み出した日本」の「生活や社会の変化」の項で、足尾鉱毒事件と田中正造、米騒動、労働運動と小作争議を書いたあと、男子普通選挙の実現、女性の地位向上運動とともに全国水平社の結成を書いています。そして「演説する山田少年(1924年、大阪市)」の写真と説明を添えています。

 政治参加と社会変革を求める運動の高まりこそが重要なのですが、そのことの記述は不十分で、現行本にあった「社会的な権利を主張する動きがさかんになっていきました。政府は、こうした動きを取りしまるための法律を定めました」の文章も削除してしまいました。

 歴史の最後に「クラスで話し合うために出した問題の例」があげられていますが、現在も部落差別が残っているという前提で、「歴史で学習してきた差別をなくす問題は、解決されたのだろうか」という課題は、現行本のまま残しています。  以上、東京書籍の教科書『新編新しい社会』の記述を取り上げて、批判してきましたが、この批判は、日本文教出版、教育出版、光村図書の教科書についてもあてはまる批判です。

 東京書籍以外は、「蘭学」の項で、解剖をして内蔵の説明をした人のことを詳しく書かないなど、小さな点で違いはありますが、記述そのものは基本的に同じようなものとなっています。

 何度も言いますが、子どもたちが使う教科書は、なによりも事実を正確に記述するものでなければなりません。それとともに、子どもの発達に即して、理解できる内容を叙述したものであるべきです。小学生に身分制や部落問題を教えることはできません。

6.2014年度の中学校教科書の検定について

 文部科学省は2015年4月6日、中学校教科書の検定結果を公表しました。この教科書は2008年版学習指導要領にもとずく2回めの検定です。2016年から4年間使われる教科書の採択作業が2015年の8月までの間行われます。安倍首相らの推薦する歴史修正主義、憲法「改正」をねらう育鵬社版と自由社版の歴史と公民教科書を教育委員会によって採択させない(子どもたちに渡さない)ための運動がいっそう重要になっています。

 文部科学省は、今回の中学校教科書の改訂に向けて教科書検定基準と検定審査要項(検定審議会内規)を改めるという大改悪をおこないました。

 それは日本政府の統一見解を書かせることや近現代の歴史事項のうち、通説的な見解がない場合にはそれを明示し、児童生徒が誤解の恐れがある表現はさせないというものです。その具体例はのちほど見てみます。

 検定では、申請点数104点のうち102点が合格しました。不合格となったのは、学び舎と自由社の社会科歴史的分野の教科書です。両社は指摘された欠陥箇所などを修正して再提出して合格しました。新たに社会科歴史的分野で検定申請した学び舎は、現場の教員などが中心になって組織した「子どもと学ぶ歴史教科書の会」が設立した出版社です。しかし、学び舎の歴史的分野の申請図書は「細かいことに入りすぎて通史的学習ができない」などの理由で、いったん不合格となりました。

 また、「新しい歴史教科書をつくる会」がつくる自由社版は公民的分野の教科書は改訂せず、歴史も最初の申請であまりにも誤りが多く不合格となり、再提出後合格しています。

 この結果、公民的分野は、教育出版(教出)、清水書院(清水)、帝国書院(帝国)、東京書籍(東書)、日本文教出版(日文)、育鵬社の6種類、歴史的分野はそれに学び舎、自由社が加わって8種類となりました。

 文科省の検定によって、学び舎の申請本にあった「慰安婦(日本軍性奴隷)」については最初の申請本にはつぎのような記述がありました。「朝鮮・台湾の若い女性たちのなかには、『慰安婦』として戦地に送りこまれた人たちがいた。女性たちは、日本軍とともに移動させられて、自分の意思で行動できなかった」(P237)と、「日本政府も『慰安所』の設置と運営に軍が関与していたことを認め、お詫びと反省の意を表し」たこと、政府は「賠償は国家間で解決済みで」「個人への補償は行わない」としていること、そのため「女性のためのアジア平和国民基金」を発足させたこと、この問題は「国連の人権委員会やアメリカ議会などでも取り上げられ、戦争中の女性への暴力の責任が問われるようになっている」ことなどの客観的事実を述べた記述(P279)です。

 しかし、検定ではこれを「欠陥箇所」の一つにあげ、不合格にしました。その結果、合格した教科書には、「一方、朝鮮・台湾の若い女性のなかには、戦地に送られた人たちがいた。この女性たちは、日本軍とともに移動させられ、自分の意思で行動することは許されなかった」という記述(P239)が残され、「問い直される戦後」の項の側注資料(P281)には「河野談話」の一部要約も記述されています。

 政府見解を押し付ける教科書づくりは、領土問題で顕著です。社会科の「学習指導要領解説」の改訂によって、2016年度用では全社が取り上げ、2ページの大型コラムを設けたのが3社あり、その他にも小コラムで扱っています。地理や公民では領土問題の記述を軒並み増やし、政府見解通りに、北方領土・竹島・尖閣諸島は「日本の固有の領土」、北方領土はロシアが、竹島は韓国が「不法に占拠」と横並びに書き、尖閣諸島には領有権問題は存在しないと政府見解を丸写ししています。そして韓国や中国の主張にふれたものはありません。

 通説がないときは通説がない旨を明記せよとの新設された検定基準が文字通り適用されたのが、清水書院の関東大震災における朝鮮人虐殺事件についての記述です。「警察・軍隊・自警団によって殺害された朝鮮人は数千人にものぼった」との現行版記述をそのまま検定提出したのに対して、通説的な見解がないことが明示されていないとの検定意見が付され、「自警団によって殺害された朝鮮人について当時の司法省は230名あまりと発表した。軍隊や警察によって殺害されたものや司法省の報告に記載のない地域の虐殺を含めるとその数は数千人になるともいわれるが、人数については通説はない」(P221)と必要以上に詳細な記述に変更されてしまいました。

 今回の検定では従来よりいっそう書かせる検定という性格があらわになり、歴史でさえ政府見解に基づいて書かせるということになってしまいました。

 育鵬社版・自由社版の教科書は、国際常識や国民世論に反して歴史修正主義を大きく変えないで、検定意見による修正も含め基本的には現行版の枠組みを維持しています。そのことは同時に、育鵬社 版・自由社版が、神話と神武天皇の扱いなどの歴史歪曲、近代日本がおこなった侵略戦争と植民地支配や韓国併合の美化、天皇制賛美、日本国憲法の敵視と歪曲等々の点で、これまでと本質的にまったく変わらないことを示しています。こうした教科書を中学生に手渡すことができないことは何度強調してもしすぎることはないと思います。

7.公民の部落問題記述は改善されたか

 大阪歴史教育者協議会のホームページには、柏木功さんの「中学校公民教科書の部落問題は大問題-部落問題解決の到達点を無視、認識は同対審答申のまま-」の論文がアップされています。また、亀谷義富さんは、「中学校公民教科書の部落問題記述の問題点」を季刊「人権問題」2011冬号(兵庫人権問題研究所)と『国民融合通信』№457(2012年5月発行)に書かれています。これらは、2008年学習指導要領改訂にもとずく教科書(2012~2015年度使用)についての批判です。この批判を受けて、今回の改訂でどれだけ改善されたかと期待を持って見ましたが、記述内容は、ほとんど変わりがなく、期待はずれに終わりました。「部落問題」とは何かがわかるように記述されていないし、部落差別の克服・解消は進んでいるのか、同和対策特別法は終了したことを書いているのかなどの点で、どの教科書も不十分で、改善されているとは言いがたいものとなっています。

 部落問題とは、江戸時代までの日本の社会が身分制の社会であり、明治以後も地域社会の中で江戸時代の賎民身分につながりがあるとされた一部の地域集団が差別されていました。それが近現代の社会問題としてつづいてきたものであり、封建時代の残りかすなのです。しかし、教科書はそのようには書いていません。

 「部落差別とは、被差別部落の出身者に対する差別のことで、同和問題ともよばれます。すでに江戸時代には、えた身分・ひにん身分という差別がありました。明治にはいって身分解放令が出され、そのような差別はないこととされましたが、実際の生活では、差別が根強く残りました」(帝国・公民P44)などと不十分なことを書き続けています。  もっとも問題なのは、育鵬社が「部落差別は憲法が禁止する門地(家柄・血筋)による差別のひとつに当たります」(P69)と、部落差別は、門地による差別のひとつで帝国憲法下では許されていたが日本国憲法によって禁止されるようになった。だから、憲法で禁止されているが現在も家柄や血筋による人権侵害(差別)が残っているがやってはいけないことだと認識させようとしています。部落差別の起源も現状認識も間違ったものです。

 部落問題の解決とは、社会生活の中で出自を意識しない、出自など関係ないわ、という状態になることです。「同和地区」の指定もなくなり、「同和地区」出身かどうかを意識することも問題にすることもありません。現在では、社会問題としての部落問題は基本的に解決しています。まだ偏見や誤解を持つ人がいたとしても、社会としてそれが受け入れられることはなく、みんなで克服して国民融合をすすめていくという段階にまで達しています。

 ところが、小学校の教科書には、4社とも同和対策特別法が終了したことを書いていないと批判しましたが、中学校の教科書は現行通り、帝国が以下のように書いているだけで、他社は触れていません。

 帝国は本文で「同和地区の生活改善や、差別をなくす教育などが行われてきました①。しかし、現在もまだ、さまざまな場面で差別や偏見があります」と書き、側注で①「その結果、生活環境の格差が少なくなり、教育・啓発が進むなか、2001年度で特別対策は終了しました」と記述しているにすぎないのです。そのあとの「部落差別をなくすためには、私たち一人ひとりも、部落差別がいかに人間的に許されないかに気づき、差別をしない、させない、許さないことが大切です。」と差別をなくす心がけを説いている点も改善されていません。

 教出は本文で、東書は側注で、2000年の人権教育・啓発推進法を取り上げていますが、「現在でも差別は根強く残っている」と書いています。

 日文は本文で「対象地域の生活環境はかなり改善されてきました」と書き、側注で「2000年には、人権教育・啓発推進法が制定されました」と書いています。教科書は部落問題の克服・解消が進んだと書かないのです。

 公民の教科書に被差別部落の歴史を簡潔に書こうとしていますが、どの教科書も不正確で、問題のある記述をしています。詳しいことはここでは触れません。柏木さんの論文を見てください。身分制、部落問題の歴史的分野の教科書記述については次回で解明します。

8.歴史的分野の記述はどうかわったか

 新中学校教科書の歴史的分野は8社の教科書が検定合格しましたが、中味は改善されたのでしょうか。学習指導要領はそのままですから、大きく改訂しなければいけないという個所はないはずです。る検定基準の改悪などによって、現行版を守ることすら難しいことはすでに触れましたが、執筆者・編集者の努力で改善された個所もあることはあります。

 しかし、前近代の身分制・近現代の部落問題記述は、依然として特殊化・肥大化されたままです。ほとんどの教科書は現行版のままで、改訂されたものも改善されたとはいえません。その詳細は、のちに見てみます。

 それでも、学び舎の教科書が一度不合格になりながら、再提出で検定合格したことはたいへん大きな意義があると思います。学び舎も前近代の身分制・近現代の部落問題についてふれてはいますが、他の教科書に比べて記述量が少ないし、記述内容も違っています。詳細はのちにふれます。

 私は中学生にも前近代の身分制のうち河原者やかわた(えた)・ひにんについて教える必要はないと思っています。日本の歴史を学ぶときに、江戸時代の賎民について学ばねばならないわけではありません。大事なことは武士と百姓、町人の身分の別とそれによって暮らしがどうだったのかがわかればよいと思っています。

 1974年の中学校教科書に、江戸時代の賎民について記述され、その後の改訂で詳しい記述がされるようになりました。そんなことは必要ないのです。中学での歴史学習の際、そんなことは無視すればよいのです。

 ところが、いまだに詳しく記述され、教えられています。近現代の賎称廃止令(いわゆる「解放令」)、全国水平社の結成についても、中学生に教える必要があるとは思いません。そして、現代の課題で同対審答申を引用し、いまだに部落差別が残存しているかのように書くのは誤りです。それでも書くとすれば、部落差別が克服・解消され、同和対策が終了したことを書くべきです。

 歴史学習の最後を、部落差別やアイヌ差別、在日外国人差別などが厳然と残っているという学習で終わらせてはならないと思います。

 8種類の教科書すべてがふれている個所は、江戸時代の身分制、近代の賎称廃止令、全国水平社の結成の三個所ですが、そのほかの身分制・部落問題に関わる記述内容についても見てみましょう。

(1)室町時代の「河原者」

 室町文化で、なぜ、「河原者」だけが特別扱いされるのでしょうか。他の技術者や芸能者、被差別民については記述しないで、なぜ庭園づくりに携わった河原者だけを詳しく記述するのでしょうか。観阿弥・世阿弥の人名は書かずに善阿弥を記述する重要性があるのでしょうか。それなのに、「河原者は差別をうけ」と書くから、「けがれ」観についての説明が必要になるのです。子どもたちに理解できるでしょうか、死などについての偏見が強まるだけではないでしょうか。

 「河原者」について、もっとも詳しいのは、帝国です。本文は「龍安寺禅宗寺院では、砂や岩などで自然を表現した枯山水の庭園がつくられ、こうした庭園づくりには河原者がすぐれた手腕を発揮しました。」(P82)と書き、「コラム人権」で「庭園づくりに活躍した河原者」の題で「この時代には龍安寺などで庭園がつくられ、天下一と賞賛された善阿弥をはじめ、庭園づくりの名手が登場しました。その名手の多くが河原者とよばれた人々でした。昔は、天変地異・死・出血・火事・犯罪など、通常の状態に変化をもたらすできごとにかかわることを『けがれ』といいました。『けがれ』をおそれる観念は、平安時代から強まり、『けがれ』を清める力をもつ入々が必要とされていきました。しかし一方で、清める力をもつ者は異質な存在として、差別を受けるようにもなりました。河原者もそうした差別を受けた人々でした。彼らは井戸掘りや死んだ牛馬から皮をとってなめすことも行っていました。彼らはおそれられましたが、その仕事は社会にとって必要であり、すばらしい文化を築いていきました。なお『けがれ』は、近代以降に生まれた不衛生という考え方とは異なるものです」と書き、龍安寺の写真の説明に、「龍安寺の石庭(京都市)制作にたずさわった河原者の名前が残っています」。さらに、「法然上人絵伝」の写真の説明で、「死刑に処される僧侶と河原に集まる人々川はけがれなどさまさまなものを浄化してくれると考えられていました。そのため刑の多くは河原で行われました」(P83)と書いています。

 庭園づくりに活躍した河原者について書く必要はないと思いますし、けがれについての説明も江戸時代の身分制のコラムと重なっています。両方とも必要はないと思います。

 教出は「コラム歴史の窓 庭園づくりに活躍した人々」、東書も「歴史のアクセス河原者たちの優れた技術」の詳しい説明を書いています。育鵬社、日文、学び舎は「河原者」の語は出していますが、詳しい説明はありません。自由社と清水は、「河原者」の記述はありません。

私は枯山水にふれても、「河原者」を記述する必要はないと思います。

(2)江戸時代の身分制

日文は現行版を改訂せず「幕府は、武士と、百姓・町人という身分制を全国にいきわたらせました。治安維持や行政・裁判を担った武士を高い身分とし、町人よりも年貢を負担する農民を重くみました。さらに百姓・町人のほかに、「えた」や「ひにん」などとよばれる身分がありました。「えた」身分の人々の多くは、農業を営んで年貢を納めたり、死んだ牛馬の処理を担い、皮革業・細工物などの仕事に従事したりしました。また、「えた」や「ひにん」の身分のなかには、役人のもとで、犯罪人の逮捕や処刑などの役を果たす者、芸能に従事して活躍する者もいました。これらの人々は百姓・町人からも疎外され、住む場所や、服装・交際などできびしい制限を受けました。こうした身分制は武士の支配につこうよく利用され、その身分は、原則として親子代々受けつぐものとされました」と書いています。2001年版以来少しずつの変化ですが、「死牛馬の処理」を仕事と書くのではなく、はっきり「役」とは書いていませんが、「担い」と幕府や藩によって強制されたもののように書いています。これは、学び舎が「『かわた(長吏)』『えた』とよばれた人びとは、農業や皮の加工などに従事し、死んだ牛馬の処理を役としました。『ひにん』は、村や町の番人・清掃などの役を負担しました」(P.117)と書いているのとともに重要なことです。

 仕事と役の区別をしっかり書いているのは、学び舎だけです。

 学び舎が「かわた(長吏)」の語を使ったのもよいことだと思いますが、使うとすれば、用語についての説明も注釈もないのは不親切だと思います。他の教科書は死牛馬の処理を権利としたり、仕事のひとつと書いていますが、それは誤りです。教出は「えたの身分のなかには、農業を営んで年貢を納める者も多く、死んだ牛馬を処理する権利をもち」(P.l13)と書き、東書は「えた身分は、農業を行って年貢を納めたほか、死んだ牛馬の解体や皮革業、雪駄作り、雑業などをして生活しました。…」(P.115)と、生業と役を区別していません。

 帝国は、「コラム人権」で、~差別された人々」を扱っています。「近世の社会にも、中世と同じように、天変地異・死・犯罪など人間がはかりしれないことを『けがれ』としておそれる傾向があり(↓P.83)、それにかかわった人々が差別されることがありました。もっとも、死にかかわっていても、医師・僧侶・処刑役に従事した武士などは差別されなかったので、差別は非合理的で、支配者につこうよく利用されたものであるといえます。差別された人々は、地域によってさまざまな呼び名や役割で存在していました。えたとよばれた人々は、農林漁業を営みながら、死牛馬からの皮革の製造、町や村の警備、草履や雪駄づくり、竹細工、医薬業、城や寺社の清掃のほか、犯罪者の捕縛や行刑役などに従事しました。ひにんとよばれた人びとは、…」(P.117)と、「庭園づくりに活躍した河原者」で説明したことを再び書いていますし、死牛馬の処理を役と位置づけていません。こんなに詳しい説明をする必要がどこにあるというのでしょうか。幕藩体制によって、百姓、町人、えた、ひにんは、がんじがらめに縛られていたということを印象づけたいのでしょうか。

(3)身分制の強化、渋染一揆など

江戸中期の身分制の強化についてふれているのは日文だけです。日文は現行版そのままで「近世史プラスα」のカコミ「豊かになる人々と身分制のひきしめ」で、「『えた』身分の人々のなかにも、広い田畑を経営する者や、雪駄づくりの仕事を行って豊かになる者も出てきました。村の人口も増え、他地域との交易も広まりました。これに対して幕府や藩は、身分制のひきしめを強め、特に『えた』や『ひにん』などの身分の人々に対しては、人づきあいや髪型・服装について、さらに統制をきびしくしました。…」(P.135)と、「えた」身分のなかに豊かになる者があらわれ、身分制がゆるんだので、差別が強化されたという問題のある書き方です。豊かになるものがあらわれたのは、えただけでなく、百姓、町人にもいます。えたを強調する必要はありません。

蘭学の項で人体解剖をして説明をした「差別された人々」についてふれているのは、帝国(「解体新書」の側注、P.132)と東書(挿絵の説明P.130)だけです。学び舎は「人体解剖の驚き」という項をもうけていますが、「90歳になる老人が腑分けをはじめました」とあるだけで、「差別された人々」とは書いていません。もし書くとしても、賎民にふれる必要はないでしょう。

「渋染一揆」は、教出は本文と発展で、東書と帝国はカコミで、日文は発展で扱っています。

日文は発展ぺージ「新しい世の中をめざした人々」で、「差別の撤回を求めた人々」として渋染一揆について書き、そこでは、「19世紀のなかばころから、社会の枠組みをこえて、自由な経済活動や平等な社会を求める動きが盛んになりました」(P.164)と「世直し一揆」の位置づけをしていますが、他はそうした位置づけになっていません。

8.歴史的分野の記述はどうかわったか

(4)四民平等、賎称廃止令

 四民平等については、表題は違いますが、すべての教科書に記述されています。清水が「国民の平等」を見出しにしていますが、新しい身分制がつくられたのですし、この段階で「国民」になったわけではないので、不適切だと思います。教出の「残された差別」の見出しも改革の面よりもマイナス面を強調するので不適切だと思います。学び舎が「古い身分の廃止と新しい身分」の題で書いているのと、「解放令」と書かずに、「『えた』『ひにん』などの呼び方を廃止して、平民としました」(P.173)は、これまでなかった表現で、身分制の改革と賎称廃止の布告内容を正しく伝えるものになっています。

 「生活が苦しくなった」「社会的差別は根強く残りました」と書くのは、育鵬社、自由社、清水、帝国、学び舎です。

 日文は、「職業・結婚・居住地などをめぐる差別が根強く残りました」と書いたあとに「そこで、『解放令』をよりどころに、山林や用水の平等な利用、寄合や祭礼での対等な交際の要求など、差別からの解放と生活の向上を求める動きが各地で起きました。」(P.167)と書いているのは妥当なことです。さらに、側注で「明治以降のこの問題を部落差別とよんでいます(↓P.217)。こうした身分の人々は、改善策も受けられず、それまでもっていた職業上の権利を失いました。」と書いています。「部落差別」の位置づけはこれでよいと思いますが、「職業上の権利」はこれまでどこにも書いてなかったことです。江戸時代の身分制で、死牛馬の処理は「役」に位置づけていました。どこで、どうして「職業上の権利」になったのでしょう。その説明なしには、この文章は理解できません。そして明治になって、死牛馬の処理権を失ったのは被差別部落のごく一部の豊かな人だけです。

 育鵬社は「政府は身分制度を改めるため、四民平等の方針を打ち出しました。新しくつくられた戸籍には、旧武士は士族、大名や公家は華族、それ以外の人々は平民として、新たな身分が記載されました」(P.168~9)と、皇族についての記述がありません。大事なのは、天皇と皇族、華族、士族、平民の新しい身分と書くことです。東書は、発展で「『解放令』から水平社へ」と題して2ページつかっています。内容は現行とほとんど同じで、「解放令」とその後、部落解放運動の始まり、島崎藤村の「破戒」を扱っています。このページにあるカコミも含めて、こんな文章や図版が必要とは思えません。

(5)全国水平社の結成

 大正デモクラシーと社会運動の高まりで、多くの教科書が全国水平社が創立(組織)されたと書いています。

 育鵬社も、日本労働総同盟、日本農民組合の結成と全国水平社が組織されたと書き、そのすぐあとに、「ロシア革命の影響で共産主義の思想や運動が知識人や学生のあいだに広がっていきました。ソ連と国交を結んだこともあり、…君主制の廃止や私有財産制度の否認をめざす活動を取りしまる治安維持法を制定」(P.217)と、ことさら日本共産党の名前を伏せて書いています。そして、水平社宣言と山田孝野次郎少年の演説の写真を載せています。

 自由社も水平社創立宣言の一部を掲げていますが、全国水平社以外の具体的な団体名や主張にほとんどふれていません(P.219)。

 東書、日文、教出、帝国、清水、学び舎は日本農民組合や全国水平社、新婦人協会、日本共産党の結成などを書いています。

 教出は、本文で、「ロシア革命や米騒動などの影響も受けて、社会運動が活発になりました。」と書いたあと、労働争議、メーデー、日本共産党の結成①、小作争議にふれ、「女性を社会的な差別から解放し…、また、厳しい部落差別に苦しんでいた人々は、1922年に全国水平社を設立し、差別からの解放と自由・平等を求める運動を進めました。」と書いたあと、側注①で「私有財産制度や君主制の廃止、8時間労働制などを主張して活動しました」と明記しています。そして、つぎのページに「水平社宣言」の一部と山田孝野次郎の演説する写真を載せています。

 日文も「無産政党」についても書き、団体や政党が何をめざしたのかを書いています。重要なことだと思います。

(6)現代の課題

 東書の現行版は、「日本社会の課題」の部落差別に関わる側注で「…特別措置法にもとづく対策事業は終了しましたが、引き続き、教育の充実、職業の安定、産業の振興といった面での改善、人権教育や人権啓発などの推進が図られています」(P.242)と同和対策事業の終了を書いていましたが、新版では本文で「まず重要なのは、人権の尊重です。部落差別の撤廃は、国や地方公共団体の責務であり、国民的課題です」(P.262)と書き、側注で「部落差別の問題(同和問題)は、長い間の部落解放運動(↓P.161)の発展を基礎として、1965(昭和40)年に国の同和対策審議会の答申がなされて以来、特別措置法によって改善されてきました。現在は、引き続き、教育の充実、職業の安定、産業の振興といった面での改善、人権教育や人権啓発などの推進が図られています。」と特別措置法にもとづく同和対策事業の終了を削除してしまいました。大きな後退です。

 同和対策事業の終了は、他の教科書でも書かれるようになるのかと期待したのですが、残念ながらどの教科書にも書かれていません。それどころか、教出、清水は「差別や偏見が残っており」と書き、日文は「部落差別の撤廃は、国や地方自治体の責務であり、国民的課題です」(P.271)と本文で書き、側注で、人権擁護施策推進法にふれています。私には、どうしていつまでも、このような記述を続けるのかその理由がわかりません。

 学び舎が歴史学習の最後を「平和という言葉」の表題で、「戦場の生きものたち」「北の川のほとりに住む人」「あなたの夢は」で構成し、「人は、健康で、楽しく遊んだりして、自分の夢をかなえていく、そんな平和な世界を思い描きます。平和は、戦争によって破られるだけでなく、貧困や差別、人権の抑圧、環境の破壊などによっても、その実現が妨げられます。平和を実現したいと望むなら、どのようにして平和が壊され、失われてきたのか、過去の歴史から学ぶことが必要です。…」と書いています。現代の課題をどう書くかは、たいへん重要です。

 そこに部落問題の解決を国民的課題と書く時代は終わりました。差別や人権の抑圧が問題だと書くだけで十分です。

 東書、日文、教出、清水のように部落差別を特別扱いするのはやめるべきです。

9.中学での身分制。部落問題学習についてのすすめ方

 私は、中学生にも前近代の身分制で[えた」「ひにん」についての詳しい説明は不要だと思っています。ところが、1970年代に特定運動団体の要求によって、教科書に記述されるようになって 以来、改訂のたびごとに詳しく記述されるようになりました。中学生に江戸時代の身分制について教える場合、武士と百姓・町人の関係がしっかり捉えられればいいのです。

 賎民身分の社会的差別について、中世の賎民身分がどのようにして、江戸時代に幕府や藩に把握されたのか、そのことによって多様な賎民身分がどのような生活を強いられることとなったのか、わからせることはたいへん困難なことです。無理をしなくていいのです。

 それよりも政治起源説や職業起源説に陥らないようにすることが大切です。

 もっと重要なのは、部落問題の克服・解消が進んでいるのに、それを反映した教科書はありません。そのことこそが教えられるべき内容です。これも歴史ではなく公民的分野の課題です。

 学び舎の教科書は、他の教科書にくらべると、扱う項目も少なく、記述量も多くありません。それでも不要な記述があります。歴史的分野だけの教科書ですから、戦後の部落問題や部落差別の解消について書く必要はありませんが、それなら「水平社宣言」でこの問題の扱いを終わるのは問題です。

 まだまだ特殊化・肥大化は続いています。子どもたちにとって、教科書の記述はたいへん重要です。基本的事項についての理解が進むように、簡潔で、わかりやすい記述が求められます。教科書会社にも学習指導要領にもない事項を克明に書けという締め付けはないと思います。教科書の記述内容の改善を求めるとともに、授業でどう扱うかは慎重に検討したうえで実践を進めましょう。

10.高校日本史の身分制・部落問題の記述

高等学校では、地理・歴史科の「日本史B」と公民科の「現代社会」「政治・経済」で、身分制と部落問題について学びます。小学校の教科書について書いたところでも、高校の教科書を薄めて中学校、小学校の身分制と部落問題について記述されていると書きました。その点で改善されているとはいえませんが、一部の教科書で研究成果を反映したり、現状認識を改めたものが現れました。

(1)「部落問題は最終的な解決過程にある」と書く教科書も.

 部落問題が理解できるのは、高校生になってからだと言い続けてきました。江戸時代の賎民身分についても、近現代の部落問題についてもおなじことです。どのような社会的差別が存在したのか、それをどのようにして解消しようと努力してきたのか、そして現在はどうなっているのかを理解できるのは高校生になって、他の科目の学習とあわせてはじめて理解できると主張してきました。

 原始から現代までを叙述している日本史Bの8種類の教科書のうち、2種類が2012年検定で合格、他の6種類が2013年検定で合格しました。

 2013年度に検定合格した実教出版の「日本史B」に、「部落問題は最終的な解決過程にある」という記述が挿入されました。小・中・高を通じてはじめての記述です。

 実教「日本史B」は、「人権・福祉の保障と地域再生の課題」の項で「…アイヌなど少数民族の自治と権利の問題、部落問題の最終的解決の課題⑤、在日韓国・朝鮮人の生活と権利の問題など、日本社会の民主主義の成熟にかかわる重要な課題と考えられている。」(P.356)と本文で書き、側注に⑤「1965年の同和対策審議会答申を受けた1969年の同和対策事業特別措置法の後継の二つの特別措置法により、同和対策事業が実施され、環境・生活の格差是正がすすみ、こんにち部落問題は最終的な解決過程にある。部落住民のいっそうの自立と地域住民との市民的連帯が求められている。」(P.356)と記述するようになりました。

 大きな前進ではありますが、まだ部落問題が解決されたという記述ではありません。「最終的な解決過程」の中味がどうなのか、担当する教員が考えて教えろというのでしょうか?この教科書で、差別の実態を記しているのは、江戸時代の「身分と家」の項で、「彼らは条件の悪い土地に居住させられ、結婚や交際、服装などできびしい差別を受けた」だけですから、現在では居住・職業・通婚の自由が実現し、部落差別はなくなったという見解なのでしょうか?そう考えるのであれば、もっとすっきりとした記述に変えるべきです。

 ところが、他の教科書には、いまだに部落差別は根強く残っているという記述をしているものもあります。山川「詳説日本史」は「高度成長のひずみ」で、「この時期には、部落差別などにみられる人権問題も深刻となった。全国水平社を継承して、1946(昭和21)年に部落解放全国委員会が結成され、1955(昭和30)年に部落解放同盟と改称した。しかし、部落差別の解消は立ち遅れ、1965(昭和40)年の生活環境の改善・社会福祉の充実を内容とする同和対策審議会の答申にもとついて、1969(昭和44)年には同和対策事業特別措置法が施行された②。」(P.401)と本文で書き、側注②で「その後、同和対策事業特別措置法は1982(昭和57)年に地域改善対策特別措置法に引き継がれ、1987(昭和62)年からは財政上の特別措置に関する法律(地対財特法)が施行された。」としか書いていません。

 私には、部落解放全国委員会や部落解放同盟にふれる必要はないと思いますし、「この時期には、部落差別などにみられる人権問題も深刻となった」とは思いませんし、1969年からの同和対策事業によって部落問題がどうなったのかや2002年に同和対策事業が終了したことを書くべきです。この部分の記述がなぜ改善されないのか、よくわかりません。

 東書「新選日本史B」の「現代の社会生活と課題」には、「私たちの回りには、部落差別などさまざまな差別が、いぜんとして存在しており、人権や生活をまもるために解決しなければならない課題となっている。」(P.264)と書いています。

(2)前近代の身分制の記述の改善はすすんでいる

 江戸時代の身分制度についての記述が大きくかわったのは、1995年版の山川出版社「詳説日本史」です。この教科書は、その後も一部を修正しながら改訂しています。この教科書の身分制の記述については、塚田孝さんが「近世身分社会の捉え方|山川出版社高校日本史教科書を通して|」(2010年部落問題研究所)で、詳しく検討されています。

 2012年検定合格本では、「諸身分は、武士の家、百姓の村、町人の町、職人の仲間など、団体や集団ごとに組織された。そして一人ひとりの個人は家に所属し、家や家が所属する集団を通じて、それぞれの身分に位置づけられた」という捉え方をしています。賎民については「そうした中で、下位の身分とされたのが、かわた(長吏)や非人などである。かわたは城下町のすぐ近くに集められ(かわた町村)、百姓とは別の村や集落をつくり、農業や、皮革の製造・わら細工などの手工業に従事した。中には、遠隔地と皮革を取引する問屋を経営するものもいた。しかし、幕府や大名の支配のもとで、死牛馬の処理や行刑役などを強いられ、『えた』などの蔑称でよばれた。非人は、村や町から排除され集団化した乞食を指す。しかし、飢饉・貧困や刑罰により新たに非人となるものも多く、村や町の番人や芸能・掃除・物乞いなどに従事した。かわた・非人は、居住地や衣服・髪型などの点で他の身分と区別され、賎視された。」(P.186)と書いています。

 身分の捉え方やかわた・非人の役務と生業を区別し、賎民の生活の実態ついて迫ってますが、「かわた(長吏)」の説明もありませんし、旧版で「新たに非人とされる」であったのが「となる」に変わって、自らの意思で非人となったのかと推測されるなどの問題があります。

 実教「日本史B」も「身分と家」(P.168)で役務と生業の区別、その生活の実態や社会的差別について記述しています。しかし、実教「高校日本史B」や清水「高等学校日本史B最新版」は役務と生業を区別していませんし、明成社「最新日本史」も「穢多」と表記し、その役務について書いていません。まだまだ歴史研究の成果が教科書に反映されているわけではありません。

11.高校の公民科教科書の記述の問題点

 現状を正しく記述している教科書は残念ながらありません。なんとか、一日も早く改善されるようにせねばなりません。以下に、まず「公民科」の「現代社会」と「政治・経済」の教科書記述内容について検討します。

(1)現代社会の教科書の記述問題

 「現代社会」12冊の教科書すべてで、部落問題について記述しています。教育出版「最新現代社会」は本文の「法の下の平等」の項に「部落差別の問題など、依然としてさまざまな差別が残っている」(P.56~7)という記述ですが、カコミでつぎのように書いています。

◇平等の実現に向けて部落をめぐる問題江戸時代に農民や町人(職人・商人)とは区別され、差別された人々は、明治政府による身分制度廃止以降も「新平民」などとよばれ、就職や結婚や住居などに関して実質的に差別されてきた。このような差別を禁止する日本国憲法の下でも、たとえば部落差別を受けている地区の所在地を掲載した文書が流布されるなど、社会生活のなかでの差別はなくなっていない。このような社会の実態は今なお、市民としての権利や自由が十分保障されていないということであり、人々の間で依然として差別意識が残っていることが考えられる。1965年、政府は同和対策審議会の答申を受け、差別を解消するための法律を制定した。その後、部落解放運動、同和対策事業によって部落差別にかかわる問題の改善が進められてきた③。

 ③2002年3月に、事業を行うための国の財政的援助はなくなったが、その後も地方公共団体を中心として、人権教育や啓発活動など、問題解決に向けた取り組みが引き続き行われている。この教科書は、脚注に「2002年3月に、事業を行うための国の財政的援助はなくなった」と書いていますが、同和対策特別事業が終了したとは書いていません。

 またカコミには、「部落差別を受けている地区の所在地を掲載した文書が流布されるなど、社会生活のなかでの差別はなくなっていない」といつのことをいっているのかを明示せず、克服された問題を現在のことのように書いています。さらに「『新平民』などとよばれ」とありますが、誰が、いつそのような呼び方をしたのでしょうか?これも不適切です。

 現在では、国民融合が進んで、部落差別の克服・解消が実現しているという記述には改まっていません。そうした記述に改めさせることが課題です。

 そのほかの教科書も、巻末資料から同和対策審議会答申を省いたものもありますが、多くの教科書は「それによって居住環境などの改善は大きく進んだが、結婚差別や差別落書き事件などはなくなっておらず、心理的な差別や偏見は根深いものがある」(数研出版「高等学校現代社会」(P.79)のように部落差別が残っているという記述をしています。

(2)政治・経済の教科書の記述問題

 政治・経済の教科書は、8種類発行されています。扱いは、「現代社会」とおなじで、日本国憲法の基本的人権のところで記述しています。

 清水の「高等学校現代政治・経済最新版」は、「平等と差別をめぐる問題」の「部落差別」で、「直接的には江戸時代の身分制度に起因する部落差別は、解消をめざす運動がねばり強く展開されてきたにもかかわらず、日本国憲法施行後も長らく残り、放置されてきた。1965年の同和対策審議会答申は、部落差別の解消を強く訴え、これにもとづき、同和対策事業特別措置法・地域改善対策特別措置法などの立法が講じられ、同和対策事業がすすめられた。その成果もあり、部落差別解消は大幅に前進したが、就職や結婚での差別や偏見は今日も完全になくなっていないといわれる④。」脚注「④同和対策審議会は1965年、同和対策の早急な解決を『国の責務・国民的課題』・と認め、社会的・経済的諸問題を解決するための基本方策について答申した(『同和』とは『同胞一和』の略語)。この答申にもとづき69年に同和対策特別措置法が定められ、生活環境の改善、教育の充実などに関する事業と財政上の措置が講じられてきた。同法の措置は、地域改善対策特別措置法や地域改善対策特定事業財政特別措置法という時限立法によって2002年まで引きつがれた。」(P.50)

 この教科書は、いくぶん改善されたものとなっています。同和対策事情の推進によって、生活環境の改善、教育の充実などが進んだことを書きながら、最後は「就職や結婚での差別や偏見は今日も完全になくなっていない」とかき、それも「いわれる」と伝聞で結んでいます。無責任な記述といわねばなりません。著者が責任をもって、同和対策事業は終了し、部落差別は克服・解消されたと書くべきです。

 ほかの教科書も「こんにちでも職業、居住、結婚などさまざまな面で差別が見られる」(実教「最新政治・経済」P.24)などのように、差別が残っていると書いています。

12.さいごに

 小・中学校の社会科、高等学校の現代社会、政治・経済、日本史Bの教科書の身分制・部落問題の記述について検討してきました。 結論を言えば、一部の教科書に改善は見られるものの、全体としては特殊化・肥大化はそのままですし、小学校の教科書の中には、ますます詳しくなっているものもあります。

 これまで何度も言ってきましたが、小学校では、身分制・部落問題についての記述の必要はありません。学校の現場では教科書の記述を無視して、教えないことが大切です。教えることで、誤った歴史認識を育ててしまうことになり、人権感覚も狂わせることになります。まして、最下層の人々こそが優れた文化を生み出したり、社会を支えていたというような誤ったことを教えてはなりません。

 中学校の歴史や公民でも、身分制や部落問題にこだわる必要はありません。江戸時代の身分制では武士と百姓・町人の基本的な関係を認識させることが重要です。近世の社会が身分制の社会だったことこそが認識すべきことなのです。

 公民学習では、部落差別が根強く残っているということでなく、部落問題は克服・解消されたのですから、アイヌや在日外国人差別と同列に扱うこともやめるべきです。

 高等学校の現代社会、政治・経済の教科書はほとんど改善点がありません。日本史では、一部の教科書は、研究成果を反映した身分制の記述になっています。そして、部落問題は「最終的な解決過程にある」と書く教科書が現れました。こうした改善点を広げていくとともに、歴史教育の場で、研究成果と現状をふまえた科学的な認識を育てる実践が求められます。