うちの子にもついていける勉強のすすめ方をしてほしい!!

うちの子にもついていける勉強のすすめ方をしてほしい!!

―国民の教育主権を取り戻す合言葉―

渡辺 元 (子育て教育八尾市民会議代表・元八尾市立小学校教員)

はじめに

 2007年、NHKが特集した「学校に対する「無理・難題」の中に ――うちの子にもついていける勉強の進め方をしてほしい ――というのがはいっていたので驚いた。

 「うちの子にも・・・」とたのむのは一見わがままのようだが、わがままではない。 憲法26条は「すべて国民は教育を受ける権利(=勉強についていける権利)を持っている」と守ってくれているし、99条は「政府や教職員など公務員には憲法どおりになるように努力する責任がある」と命じているのだから「うちの子にも・・・」と願う親心は、政府や教職員が責任を持って受け止めねばならない。主権者の願いなのだ。だから、戦後1956年までは、この願いどおり ――みんないっしょに賢くするための法律 ――が整えられていた。

 ところが、国民の教育主権を取り上げたい財界本位の政府は1956年以降手立てをつくして、この親心を「無理・難題」だと錯覚する世の中にしてしまった。

 まず、その歴史を振り返り、つぎに教育再生の道をかたろう。

1.国民の教育主権の略奪史

(1) 教育委員会法改悪 1956年、国民の教育主権の根を断ち切った。

 次に掲げるのは、1950年に行われた教育委員選挙の投票日の、街のようすだ。

(八尾小学校作文クラブ文集②より)

無題

         5の3      水谷(小松)悦子

 うら門まできて、一人は帰ってしまった。もう一人も嫌がっていたが、私が一けん一けんいって、「教育せんきょ、いかれましたか?」と五、六けんいってまわっているうちに二人ともわたしのうしろで、私といっしょにいいはじめた。

 だいぶまわったろう。もうそのころには二人ともなれて、私より先に走っていって言っていた。  どこの家も「いきましたで」という。

「ありがとうございました。」といい、戸をしめようとするとき、「ごくろうさんやなあ」といってくれる。

 いっていない家はおおかた店やで、「今、いってまんねん。かわってもろたら、いきまっせ」と笑いながらいう。
 両がわにわかれた。中学生がわたしらのまねをしながら、いたずらそうに「へぇ、いきまっせ」といった。

 おおくの家をまわった。まだ雨は私たちの傘をぬらしていた。顔見知りの人がバカていねいに返事して、私たちをわらわせた。

 三人よって歩く。歩いていても、いつもよりえらいような気がした。

 この作文を読めば『子どもを戦場へ追い立てる教育は、これで終わるのだ』と教育委員選挙を歓迎する、街の人たちの明るい笑顔が、目に見えるようだ。

 それだのに、1956年政府は「教育委員選挙は、実益がないのに、お金がかかりすぎるから、ヤメたい。」と言い出して国会はこの言い分を通した。

 教育委員選出は、選挙から首長の任命にかわった。教育行政に国民の声を直接とどける道がなくなった。

(2) 勤評攻撃 1958年(教育には自由がよく似合う。)

 政府は、教育主権剥奪の次の一手として、勤評攻撃をかけてきた。

 勤評攻撃とは「月給に差をつけるぞ」と、おどして管理を強めようとする政策だが、これは教育が本来持っている自由に守られて、ほぼ失敗する。

 保護者・地域がこぞって「どの先生も個性を生かして、よくやってくださっているのに、月給でしばって、窮屈な目に合わせたら子どものためによくないだろう。

 子どもには、のびのび育ってほしい」と考えてくださったからだ。

 それは、このころ、学習指導要領が(試案)=(参考にすればいいもので)強制力を持っていなかったから、勉強の進め方は教員と保護者・地域が子どもの様子を見ながら学者と相談しながら決めていた。いいかえると ――うちの子もついていける勉強のすすめ方――になっていたからだ。  こうして、ほとんどの自治体では勤評が骨抜きになり、月給に差をつけているのはごく一部の自治体しかない。

 戦前のように、国が教育主権を持ち、思い通りの子どもを育てたい政府は、このじゃまになる信頼関係をこわす根まわしに勤評攻撃の年に、「試案」の文字を消し去った。「勉強は政府のいうとおり進めなさい」というわけだ。

(3) “よりわけ教育”宣言 1962年 財界主導

 戦後この年まで、日本の教育の基本を――《教育行政は不当な支配に服することなく、直接国民全体に責任を負う》――という定めのとおり、マスコミ、労組、PTA、校長会などなど、国民全体の教育要求を直接汲み取りやすい立場の人たちの代表が、それぞれ委員に任じられていた。  国民の教育主権を実のあるものにするためだ。

 ところが、1962年から委員が一名だけ超有名な文化人を目かくしに飾ったほかは、全員財界人になった。

 「教育基本法が禁じている不当な支配ではないか」と抗議に行った人に政府は「財界人は良識の人だから、全体を代表できる」と言い返した。

 しかし、これはただのいいのがれで財界の人たちは「今までの教育は、みんな一緒に賢くしようとしたから、無駄なお金がかかった。これからは、国際競争に勝ち抜けるエリートを掘り出して、効率のいい教育にしよう」という意味の答申を政府に出した。

 みんないっしょに賢くしようとして、やさしく、やる気のある、民族のいい後継ぎがそだつために。

(4) “より分け教科書”の悪行三つ 1970年・人格破壊の惨状

 答申通りの政府は、1970年から”よりわけ教科書”を子どもに渡した。

 みんな一緒に賢くできる、ゆとりのある教科書を。

 ――六・三制、野球ばかりが強くなり ――とひやかしていたマスコミは、“落ちこぼれ”だとか “新幹線教育”だとか言う言葉で<自己責任論>=(わからないのは努力が足りないからだ、という意見)を流行させたので、街では学習塾が爆発的に増え、母親たちは塾の費用稼ぎに、パート労働になだれこんだ。

 ところが、マスコミは指摘しなかったが、“より分け教科書”には子どもの人格を歪め、保護者・地域と教職員・学校との信頼関係をこわす、悪の爪がかくされている。このうち、特に深刻なものを3つ挙げよう。

① 教育漢字を増やした。(多すぎる)

 1948年、教育漢字881字を発表したとき政府は「漢字はいろいろ役に立つものだが、多すぎると勉強ぎらいのもとになるから、この数にしぼった。」とという意味のコメントを添えていた。

 『こどもをみんな、勉強好きに育てたい。』という憲法どおりの立場に教育も立っていたのだ。

 おかげで、1年生に配当された漢字の数は23字だったから、ひらかなの読み書きに自信を持って、次に進みたくなってきた、3学期になってから、やっと漢字が出た。

 だから、「さあ、今日から漢字の勉強が始まるよ。」と言ったとたん、子どもたちは全国どこの教室でも「カンジ! カンジ!」と歓声をあげたものだ。大人の字を習うのがうれしいのだ。

 こんなに心を揃えて、わき立っている教室では“いじめ”など起こりようがない。

 ところが、財界がいうとおり、“より分け教育”に方向を変えた政府は、漢字も選り分けの道具にしようと「日本文化の伝統を尊重するために。」と口実を構えて1006字に増やした。1年生の割り当ては81字になった。

 だから、ひらかなにまだ自信がつかない1学期末には、もう漢字を出さないと間に合わない。

 それで、「今日から漢字の勉強をはじめます。」といったら、子どもたちは例外なく、どこの教室でも暗い顔をして、うつむくそうだ。心の中で『まだ、ひらかなに自信がついていないのに!!いやだなあ! 』と悲鳴をあげているのだろうか。

――自信がついたら次へ進みたくなる ――という発達の法則を踏み外してはいけない。これは政府がする激烈な子どもいじめだ。

 勉強は政府自身が1948年に言っていたように、いやいやするものになった。いやいやでもしなければならない。いらいらが “いじめ”の原因だとは、すべての“いじめっ子”の証言だ。

 それだけでなく、子どもたちは「国語はキライ。漢字の勉強ばっかり。」といい捨てる。読む力や書く力が育たないのは当然だ。

② 入門期指導の削除(納得軽視)――かわいさを奪われた――

 政府は、「文字や数字を覚えて、入学する子が多くなったから、“入門期指導”をしていたら、その子たちが退屈する。」を口実に“入門期指導”を削除した。

“より分け教科書”の中でも、最悪の仕打ちだ。

 戦前から戦後1960年まで、1年生の担任は大正時代に豊かになった教育技術を受けついで、文字も数字も1字ずつ、暮らしと結んで納得させることに、1学期いっぱい専念なさったのだ。教科書もそのために作ってあった。

 この授業で、納得の楽しさを味わった子どもたちはみんな勉強が好きになった。

 ゆっくり進むから、みんなの足並みが揃って『いっしょに勉強して、いっしょに賢くなる仲間だ』という暖かさが育った。

 文字や数字を覚えて入学してきた“できる子”も、この授業には退屈するどころか、みをのり出して乗ってくる。

 文字や数字を、暮らしと結んで納得させるとき、納得に役立つ意見をいっぱいだしてくれるのだ。その日学んだ文字がつくことばを、集めるときも、黒板に書いた数式で、答えがわかるお話を作るときも。覚えていることと、みんなで納得し合うこととは違うのだ。

 この人間発達の最重要な節目を“より分け教育”は削ってしまってどうするのだ。

 新入生用品のコマーシャルから「かわいい かわいい 1年生。」という言葉が消えてしまった。

 しかし、今でも自主編成して、昔ながらの入門期指導にとりくみ、かわいい、かわい1年生を育てている教員は増えつつある。その方が、あとあと楽なのだ。

③ 九九を2年生にあげた。(早すぎる)

 政府は、「3年生より2年生のほうが、マジメだから、九九も暗記させやすい。」と愚にもつかない口実を構えて九九を2年生の教材にした。しかし、これは根本がちがう。

 大正デモクラシーを各界が育てていく中で、たとえば銀行員だった小林多喜二は。文学仲間が地域の労働者を結びつけるために、ニシン倉庫のあとを利用して開いた居酒屋で、蟹工船の労働者から綿密な取材ができたし、教員たちは“治安維持法”を気にしながら、こっそり集まっては、子どもに恥をかかせないで、読み、書き、計算の腕前に自信をつけさせる仕方をいろいろ開発した。

 その中で、

――加減算の仕方に納得して、その腕前に自信を持つてからでないと、九九は覚えにくい。今のように、2年生で九九を教えるのは早すぎる.警官に学校へひきずっていかれる子がでてしまっているのではないか *1 ――

と経験をまとめていた。

 だから、戦後、勉強のすすめ方を国民が決めるようになったとき、九九は3年生の教材になった。

 2年生いっぱいかけて、加減算に自信を持たせてから九九を教えるためだ。

 3年生になった子どもたちは喜び勇んで九九にとりくみ、どの先生のクラスでも、最後の一人の暗誦に成功した瞬間、教室はお祭り気分につつまれたものだ。

 2年生で教えたら、こうはいかない。九九を2年生に返した罪は重い。

 ためしに、3年生で百マスを使って九九のテストをしてみたら、ボロボロさ加減がよくわかるだろう。

2.教育再生の道

(1) 現状

「いよお!! 日本一!!」
と、おおむこうから掛声をとばしたくなるような、ステキな実践でサークル仲間をはげましてくれる教員が、校長の嫌う組合運動にも力を入れるから、「評価・育成制度」で2008年、期末手当てを10万円ほど下げられた。

 けれど、この不当を正す力を集めようとしても、今はだめらしい。

 2007年秋、憲法9条を守り抜こうと考える人たち、近所どうし20人たらずの集会で20分ほど「評価・育成制度は、戦争―の一里塚」と、一席やらせてもらったところ、感想の第一声は、「それでも、点数をつけてもらった方がいい先生も多いからねえ。」だった。

 これを皮切りに、出るわ 出るわ。全員が教員批判で盛り上がった。国民の教育主権を奪われ、子どもが育ちそこねている腹いせなのだが、敵は教員ではないのにどうしよう。

(2) 自主編成のすすめ

 政府の“より分け教育政策”に惑わされないで、『わからない子が残ったら、かわいそう。』と教育の本道を自主編成しておいでの教員は増えつつある。そんな教員のクラスでは、何年もつづいていた“いじめ”も消えるし、「学校たのしいよ。おいで」と友人にさそわれて、登校拒否だった子がスンナリ登校しばじめたりしている。

(3) 自主編成の原理・原則

 「子どもは、内なる要求にうながされて発達する。」という学説がある。

 私はこれを、“全面発達を目指していた頃の同和教育運動”の中で小川太郎さんから学んだ。

 その後、50年あまり実践と思索を重ねてこの内なる要求は、次のようにまとまりかけている。

 ●基本的要求 = みんなでしたい。
 ●人間的要求 = 発達したい
 ●文化的要求 = たのしみたい

 人類が百数十万年の歴史をかけて、結晶させた内なる要求。他の動物は季節に支配されるが、人間だけは春秋・昼夜を問わず催せる性欲ほどに、しっかり身に付けて生まれてくる内なる要求。これを掘り起こし、つなぎ合わせて、輝かせるのが教育 =(自主編成)だと仮定して、基本だと思うことを3つにまとめて提案する。

① 納得こそわが命と、たのしもう。

 “より分け教科書”の一番悪いところは、「納得」を楽しむ気風を薄れさせることだ。

 ――― 両手の指十本を使って、
 「7ちゃんと仲良しなのはだーれだ。」「そうだ、そうだ 3ちゃんでした。」など足せば10になる数を見つける遊びに乗せると、子どもは夢中になって楽しむから、くり上がり・さがりの「納得」が早いよ。―――

とすすめても、おもてに7+8と書き、うらに15と書いたカードを作り、これを暗記させることにしか打ち込めない先生など、教科の進度の速さに足をとられて、「納得」を粗末にする教員の噂を聞くと、せつない。

 “より分け教育”で、日本の教育はどうなるのだろう。

 けれども、子どもは、みんなで一緒に納得できたとき、教室一杯に花のような笑顔を広げるところは、今も変わらない。「納得こそ、わが命!! 」と自主編成して、本物の教員に自らを育てよう。これはたたかいだ。

 納得させるためには、
・暮らしと結んで教える
・身体と五感を使って実感させる
・学習用具 =(たとえば分度器)の使い方に習熟させる
・まちがいや疑問を、みんなで大切にする
ことがいいようだ。

 何か大切なことは、たとえば繰り上がりの仕方を手間・ひまかけて、みんなに納得させることを目指して打ち込めば、教室はかならず楽しくなり、教員生活の展望もひらけるにちがいない。  なお、みんなには納得できそうにないことには、けっして手を出してはならない。憲法に違反すると手厳しい反発をくらう。

② 読み・書き・計算の腕前に、自信を持ち合わせる。

 “より分け教科書”の悪い点の2つ目は、読み・書き・計算という人間だけが持っている腕前に、自信が持てないようにしむけていることだ。自信がないのは、マスコミがいうように五日制や“ゆとりの時間”の性ではない。「みんないっしょに賢くする」という教育の大原則をふみはずし、“より分け教育”をしようとするからだ。

 ここを改めなければ、やたらに授業時間を増やしても、子どもを疲れさせるばかりだ。

 納得させながらすすむ勉強なら、腕前は自然についてくるのだか、わかったことにして次に進まないと、間に合わない今の教科書では、子どもの腕前はボロボロになっている。

 腕前に自信がないと子どもは荒れる。だから、学校や学級を育て直そうと思ったら、腕前のドリルが必要だ。百マス計算の成果はその一つだろう。

 全国一斉学力テストの結果公表を、権限もないのに地教委に迫り、地教委の教育的配慮をふみにじる ――行政の教育主権の信奉者 =(テストで追い立てないと、子どもは育たないと考える人)――大阪府知事が、百マスを進めるからといって毛嫌いすることはない。

 百マスは誰が考えだしたのか。1960年代はじめから民間教育研究運動の中で、少しずつはやり始めていた、試されずみのドリルだ。橋本知事さえ推奨するところへきたのだ。

 ドリルの内容や方法は、いろいろ考え出すのがいいけれど、どの子にも恥をかかせないことと、遊び心で取り組めることには心がけたいものだ。

③ 発言の自由を育てる

 “より分け教育”が生み出す矛盾を政府の<教育再生会議>は説教→ゲンコツ→追放 =(管理強化)ですり抜けようとしているが、こんなおどしや、みせしめでは子どもはそだたない。

 子どもはやはり、納得の楽しさを味わったときや、腕前に自信を持ち合ったときに、よく育つ。さらにその上、発言の自由を育てることで子どもは根っこから発達する。親が突然首切りにあうなど、思いもかけぬ不幸に見舞われても、しなやかに乗り越える力がつく。

 発言の自由は「渡る世間に鬼はない」という実感を育ててくれる。

 これは、まず、各教科の授業で育てるのが基本だ。

<教室はまちがうところ>と額を掲げている教員もいる。特に生活綴り方教育運動の中には、すぐ真似でも有効な、豊かな達成がある。

3.自主編成を広げるために

 「働きやすい学校だ」と評判がいいし、自主編成も盛んな学校に対して、子どもが育ち合っている憲法どおりの実践を出し合う会へ、報告をおねがいしたら、―――子どもの話がある学校―――というテーマで語ってくださった。

 この学校では、校内研で本音が出しやすいように、全員が、
・子どものようす
・大切にしていること
の2つを更紙2分の1にまとめ、これを係が更紙にはりこんで人数分印刷し、討議資料にするそうだ。更紙2分の1で2つのテーマだから、書く分量が少ないので本音がでやすい。

 みんなのクラスの様子と教育方針が、一目でわかるから、安心してグチ話がブッチャケられる。グチ話がブッチャケ合える、心安さが職場に育ったら、いいことが4つある。

① しんどいのはみんな一緒だなと、心が安らぐ。自主編成の元気がでる。

② 発言の自由が育って、思いがけない、控えめな教員のステキな実践が聞ける。

③ 子どものグチで、慰めあえる職場になって、子どもの扱いがやわらかくなる。

④ 親が苦情をいいに来たとき、近くにいる教員が自然に集まって、話を聞かせてもらう気風が生まれる。

どれだけ心強いか。「親もていねいに扱ってもらえた」と満足してくださる。

 グチをブッチャケ合える、働きやすい職場を育てる上で、意図的にグチ話を持ち出す人はぜひ必要だ。

『だいたい調子よくいっているから、うちの親にはグチの種がないなあ。』と思っているのは驕りだ。“より分け教育”の嵐の中にいる子に、グチの種のないはずがない。

おわりに

 子どもが育ちそこねていることは広く認められている。

 しかし、その原因と解決方法はいろいろ論じられながら、まだ、一致点がない。

私は ――憲法違反の“より分け学習指導要領”の押し付けにこそ、育ちそこねの原因がある。――と考えこの文章を書いた。

 原因がそこにあることは、『わからない子が残ったら、かわいそう。』と、そこからはなれて、教育の本道を自主編成している教員たちのクラスでは、やさしく、やる気に満ちて、しなやかな子が育っている事実が証明している。

“うちの子にもついていける勉強のすすめ方”をさぐりあう自主編成運動の中にこそ、日本の教育の未来があると思う。

(*1)  天皇のための教育だったから、登校拒否に警官が介入することは当然だった。