ブックレット『部落問題の解決』

ブックレット『部落問題の解決』

データが示す 「部落」? そんなものはない
部落差別解消推進法は特別対策復活の根拠にはならない
府も法務省も  新たな差別を生む「人や地域を特定した調査はしない」

■ 頒価 500円 2024.1.10.発行
 A5版/並製/128ページ
 書店では販売していません。
 申込は 大阪教育文化センターまで
 TEL 06-6768-5773  FAX 06-6768-2527

■専門用語を使わずに、平易な言葉で、部落問題のそもそもを説明。
 部落問題解決の到達点や「部落差別解消推進法」について、行政のデータや資料を豊富に引用。
 本書で示した「そもそも論」や客観的なデータは部落問題の解決に確信が持てるものです。

■本の内容
はじめに
第1部 部落問題とは その解決とは
1.部落問題とは何か
2.部落問題の解決とは何か
3.部落差別は根拠のない差別
  垣根をとりはらうことで解決
4.部落の歴史 起源を考える
第2部 大阪府人権局の調査が明らかにしたもの
1.対象地域の人口減と構成の変化
2.対象地域は多様、ひとくくりにできない
3.課題が集中している地域は対象地域以外にもある
4.対象地域で見られる課題は、必ずしも全てが
  部落差別の結果と捉えることはできない 
5.人や地域を特定した調査はできない
第3部 部落差別解消推進法のトリセツ
1.部落差別解消推進法成立への経緯
2.条文の検討
3.附帯決議は部落差別解消の姿勢を問う試金石
  歴史の到達点はゆるぎない
第4部 「新たな差別」を許さない
1.部落差別解消推進法は
  特別対策復活の根拠にはならない
2.部落問題解決の到達点を踏まえよう
3.新しい差別との闘い
第5部 資料
大阪府人権局『旧同和対策事業対象地域の課題について』
法務省(依命通知)「法務省権調第123号」
部落差別解消推進法・附帯決議

同和関係特別対策の終了に伴う総務⼤⾂談話

出典:同和関係特別対策の終了に伴う総務⼤⾂談話(国会図書館インターネット資料収集保存事業)

報道資料

平成14(2002)年3⽉29⽇
総務省

同和関係特別対策の終了に伴う総務⼤⾂談話

 政府は、同和問題の早期解決を図るため、昭和44年以来33年間、三度にわたり制定された特別措置法に基づく特別対策を中⼼に、関係諸施策を積極的に推進してまいりました。今般、最後の特別措置法「地域改善対策特定事業に係る国の財政上の特別措置に関する法律」が3⽉末⽇をもって失効しますので、同和地区・同和関係者を対象とする特別対策は終了いたします。

 同和関係の特別対策は、昭和40年の同和対策審議会答申の趣旨等を踏まえ、同和地区の経済的な低位性と劣悪な⽣活環境を、期限を限った迅速な取組によって早急に改善することを目的として実施されてきたものであり、その推進を通じて、同和問題の解決、すなわち部落差別の解消を図るものでありました。

 国、地⽅公共団体の⻑年の取組により、劣悪な⽣活環境が差別を再⽣産するような状況は今や⼤きく改善され、また、差別意識解消に向けた教育や啓発も様々な創意⼯夫の下に推進されてまいりました。このように同和地区を取り巻く状況が⼤きく変化したこと等を踏まえ、国の特別対策はすべて終了することとなったものであり、今後は、これまで特別対策の対象とされた地域においても他の地域と同様に必要とされる施策を適宜適切に実施していくことになります。

 また、新しい⼈権救済制度の確⽴、⼈権教育・啓発に関する基本計画の策定により、様々な⼈権課題に対応するための⼈権擁護の施策を総合的に推進する等所要の取組に努めてまいる所存であります。

 ここに、これまでの地⽅公共団体を始めとする関係各位の御尽⼒・御協⼒に対し、感謝と敬意を表します。

部落差別の解消の推進に関する法律・附帯決議

部落差別の解消の推進に関する法律

(平成28年法律第109号)
平成28年12月16日施行

(目的)
第一条 この法律は、現在もなお部落差別が存在するとともに、情報化の進展に伴って部落差別に関する状況の変化が生じていることを踏まえ、全ての国民に基本的人権の享有を保障する日本国憲法の理念にのっとり、部落差別は許されないものであるとの認識の下にこれを解消することが重要な課題であることに鑑み、部落差別の解消に関し、基本理念を定め、並びに国及び地方公共団体の責務を明らかにするとともに、相談体制の充実等について定めることにより、部落差別の解消を推進し、もって部落差別のない社会を実現することを目的とする。

(基本理念)
第二条 部落差別の解消に関する施策は、全ての国民が等しく基本的人権を享有するかけがえのない個人として尊重されるものであるとの理念にのっとり、部落差別を解消する必要性に対する国民一人一人の理解を深めるよう努めることにより、部落差別のない社会を実現することを旨として、行われなければならない。

(国及び地方公共団体の責務)
第三条 国は、前条の基本理念にのっとり、部落差別の解消に関する施策を講ずるとともに、地方公共団体が講ずる部落差別の解消に関する施策を推進するために必要な情報の提供、指導及び助言を行う責務を有する。
2 地方公共団体は、前条の基本理念にのっとり、部落差別の解消に関し、国との適切な役割分担を踏まえて、国及び他の地方公共団体との連携を図りつつ、その地域の実情に応じた施策を講ずるよう努めるものとする。

(相談体制の充実)
第四条 国は、部落差別に関する相談に的確に応ずるための体制の充実を図るものとする。

2 地方公共団体は、国との適切な役割分担を踏まえて、その地域の実情に応じ、部落差別に関する相談に的確に応ずるための体制の充実を図るよう努めるものとする。

(教育及び啓発)
第五条 国は、部落差別を解消するため、必要な教育及び啓発を行うものとする。

2 地方公共団体は、国との適切な役割分担を踏まえて、その地域の実情に応じ、部落差別を解消するため、必要な教育及び啓発を行うよう努めるものとする。

(部落差別の実態に係る調査)
第六条 国は、部落差別の解消に関する施策の実施に資するため、地方公共団体の協力を得て、部落差別の実態に係る調査を行うものとする。

  附則
 この法律は、公布の日から施行する。

衆議院法務委員会における附帯決議(平成28年11月16日)

 政府は、本法に基づく部落差別の解消に関する施策について、世代間の理解の差や地域社会の実情を広く踏まえたものとなるよう留意するとともに、本法の目的である部落差別の解消の推進による部落差別のない社会の実現に向けて、適正かつ丁寧な運用に努めること。

参議院法務委員会における附帯決議(平成28年12月8日)

 国及び地方公共団体は、本法に基づく部落差別の解消に関する施策を実施するに当たり、地域社会の実情を踏まえつつ、次の事項について格段の配慮をすべきである。

一 部落差別のない社会の実現に向けては、部落差別を解消する必要性に対する国民の理解を深めるよう努めることはもとより、過去の民間運動団体の行き過ぎた言動等、部落差別の解消を阻害していた要因を踏まえ、これに対する対策を講ずることも併せて、総合的に施策を実施すること。

二 教育及び啓発を実施するに当たっては、当該教育及び啓発により新たな差別を生むことがないように留意しつつ、それが真に部落差別の解消に資するものとなるよう、その内容、手法等に配慮すること。

三 国は、部落差別の解消に関する施策の実施に資するための部落差別の実態に係る調査を実施するに当たっては、当該調査により新たな差別を生むことがないように留意しつつ、それが真に部落差別の解消に資するものとなるよう、その内容、手法等について慎重に検討すること。

「確認・糾弾」についての法務省の見解

1989年10月

「確認・糾弾」についての法務省の見解

法務省人権擁護局

確認・糾弾会について

1、はじめに

 部落解放同盟(以下「解同」という。)は、結成以来一貫して糾弾を部落解放闘争の基本に置いてきている。この資料は、この基本に基づいて解同の行う確認・糾弾会についての当局の見解をまとめたものである。

 そもそも、国の行政機関は、基本的には、民間運動団体の行動についての意見を述べるべき立場にないものである。しかし、差別の解消という行政目的を達成する上で障害となっているものがあるとすれば、これを取り除くよう提言すべきことは当然である。このような認識のもとに、法務省の人権擁護機関は確認・糾弾会に関する見解を表明してきている。

2、沿革

 糾弾は、大正十一年の全国水平社創立大会における大会決議に基づいて行われてきたものである。当時は、厳しい部落差別があったにもかかわらず、その解消に向けての施策がほとんど行われなかったため、差別に苦しむ同和地区住民が、集団で差別行為を行為を行ったとされる者の方に押しかけ、又はこれを呼び出し、その差別行為を徹底的に糾弾するという形で行われ、個人糾弾に重点が置かれていた。それは、更に当該個人の属する組織を対象とする闘争へと進展し、戦後は部落差別の解消のための積極的な施策を求める行政闘争へと進んだ。

3、現在行われている確認・糾弾会についての解同の見解

(1) 目的

 解同は、確認・糾弾会について概ね次のように説明している。

 確認・糾弾会は、被差別者が、差別者の行った事実及びその差別性の有無を確定し、差別の本質を明らかにした上で(確認)、差別者の反省を求め、これに抗議し、教育して人間変革を求める(糾弾)とともに、その追及を通じて、関係者、行政機関などに差別の本質と当面解決を迫らねばならない課題を深く理解させる場である。

(2) 運営

 解同中央本部には、中央執行委員会総闘争本部に糾弾闘争本部と事務局が置かれ、それが自ら確認・糾弾会を実施し、また地方組織が実施するのを指導している。

 確認・糾弾会の運営については、概ね次のとおり見解を述べている。(注1)

ア、確認の段階では、確認内容に客観性を持たせるために、可能な限り自治体行政、教育関係者人権擁護機関及び差別事件の当事者の所属する組織、機関の関係者の出席を求める。

イ、糾弾
(ア) 糾弾要綱を作成し、これに従って糾弾する。
(イ) 確認に立ち会った関係者に立ち会ってもらう。
(ウ) 厳しい雰囲気となるのは当然である。しかし、その厳しさは野次と怒号によるものではない。揶揄、嘲弄などによる「腹いせ」をするものであってはならない。
(エ) 進行係の指示と許可により整然と発言する。
(オ) 事件解決主義に陥ってはならない。幹部が個人的な話し合いを進めるべきではない。個人的接触は組織的了承を得た後に行う。
(カ) 差別者が糾弾会に出席しない場合は、糾弾要綱を公表し、行政指導を行わせたりして、差別者に対する批判の世論をまきおこす中で社会的責任をとらせる。

4、地対協意見具申と法務省の取組

 昭和六十一年十二月の地対協意見具申は、確認・糾弾会について「いわゆる確認・糾弾行為は、差別の不合理性についての社会的認識を高める効果があったことは否定できないが、被害者集団によって行われるものであり、行き過ぎて、被糾弾者の人権への配慮に欠けたものとなる可能性を本来持っている。また、何が差別かということを民間運動団体が主観的な立場から、恣意的に判断し、抗議行動の可能性をほのめかしつつ、さ細なことにも抗議することは、同和問題の言論について国民に警戒心を植え付け、この問題に対する意見の表明を抑制してしまっている。」として、同和問題について自由な意見交換のできる環境づくりが同和問題解決のため不可欠である旨指摘している。そして、「差別事件は、司法機関や法務局等の人権擁護のための公的機関による中立公正な処理にゆだねることが法定手続きの保障等の基本的人権の尊重を重視する憲法の精神に沿ったものである。」旨提言した。法務省は、この提言を真摯に受け止め、その趣旨に沿った取組に鋭意努力してきたところである。

5、当局の見解

 現実の確認・糾弾会は、3で述べた解同の見解のとおりに行われているとは限らない。(注2)仮に解同の見解に従って行われている場合でも、なお、次のような種々の問題があると考える。

(1) 基本的な問題点

ア 確認・糾弾会は、いわゆる被害者集団が多数の威力を背景に差別したとされる者に対して抗議等を行うものであるから、被糾弾者がこれに異議を述べ、事実の存否、内容を争うこともままならず、また、その性質上行き過ぎて被糾弾者の人権への配慮に欠けたものとなる可能性を本来持っている。

イ 確認・糾弾会においては、被糾弾者の人権擁護に対する手続的保障がない。すなわち、被糾弾者の弁護人的役割を果たす者がいない上、被害者集団が検察官と裁判官の両方の役割を果たしており、差別の判定機関としての公正・中立性が望めず、何が差別かということの判断を始め、主観的な立場から、恣意的な判断がなされる可能性が高い。

ウ 被糾弾者には、確認・糾弾会の完結時についての目途が与えられない。反省文や決意表明書の提出、研修の実施(同和問題企業連絡会等への加入、賛助金等の支払い)等々確認・糾弾行為を終結させるための謝罪行為が恣意的に求められ、これに応じることを余儀なくされる。

(2) その他の問題点

ア 何が差別かということを主観的な立場から、恣意的に判断されて、確認・糾弾会の開催が決定され、それへの出席が求められる。

イ 確認・糾弾会に出席する法的義務はなく、その場に出るか否かはあくまでも本人の自由意思によるべきであり、解同もその出席は被糾弾者の自由意思に基づくものであり強要はしていないとしている。しかし、現実には解同は、出席を拒否する鮫糾弾者に対して、差別者は当然確認・糾弾会に出席すべきであるとし、あるいはこれを開き直りであるとして、直接、間接に強い圧力をかけ、被糾弾者を結局、出席せざるを得ない状況に追い込むことが多く、その出席が被糾弾者の自由意思に基づくものであるとされても、真の自由意思によるものかに疑問がある場合が多い。

ウ 被糾弾者に対する確認・糾弾会の開催は、「同和問題はこわい問題である」との意識を一般的に植え付け、人々が地域・職場などのあらゆる場面で同和問題について自由な意見交換をすることを差し控えさせてしまったと言える。

エ 行政機関に対して確認・糾弾会への出席が強要されているが、これは行政の公正・中立性を損ない適正な行政の推進の障害となっている。

 以上のとおりの様々な問題点にかんがみると、確認・糾弾会は、同和問題の啓発には適さないといわざるをえない。このため、法務省の人権擁護機関は、差別をしたとされる者(被糾弾者)から確認・糾弾会への出席について相談を受けた場合は言うまでもなく、相談を受けない場合にも必要に応じて、「確認・糾弾会には出席すべきでない」、「出席する必要はない」等と指導をしてきている。

6、確認・糾弾会に付随する論点

(1) 被害者によらない啓発

 解同は、心の痛みを受けたことのない者が差別事件を的確に理解することはできないと主張することがあるが、あたかも交通事故に関する損害賠償請求事件において、死者の遺族の受けた苦痛あるいは傷害を受けた者自身の苦痛の評価を自らは交通事故の経験のない中立公正な裁判官が行うことができるように、人権擁護機関も中立公正の機関としてこれをなしうるものであり、またしなければならないものである。

(2) 被害者に対する謝罪

 解同は、差別をした者が被害者に対して謝罪すべきであるとして確認・糾弾会への出席を求めるのであるが、差別行為者が被害者に対し謝罪をするかどうか、またどのように謝罪をするかは、個人的、道義的な問題である。一般に、部落差別事件は、同時に、同和関係者全体にも心の痛みを与えるとして、これらの人々も被害者であるといわれることがあるが、同和関係者全体に謝罪するということは事実上不可能なことである。運動団体の行う確認・糾弾会への出席が同和関係者全体への謝罪となるものではなく、また、特定運動団体が同和関係者全体を代表しているものとも考えられない。差別行為者のなすべき謝罪は、本人が同和問題の本質を理解し、二度とそのような行為を繰り返さないことを心に誓いこれを実行していくことであろう。

(3) 話合い

  解同は、差別事件を起こしたと考える者に対して「話合い」に応じるよう要請をする例が多いが、この「話合い」は確認・糾弾会を意味するか、又はそれにつながる最初の接触の場となるものと解されるので、このような要請を受けた者に対してはその旨説明すべきものと考える。

(4) 糾弾権(八鹿高校等刑事事件大阪高裁判決)

 解同は「確認・糾弾」の闘争戦術は法学の概念でいうところの「自力救済」の論理にかなうと主張し(一九八七年一般運動方針)、または、八鹿高校刑事事件に関する昭和六三年三月二九日大阪高裁判決が確認・糾弾権を認めた旨述べている。しかしながら、同判決は、確認・糾弾行為については「糾弾は、もとより実定法上認められた権利ではない(中略)、一種の自救行為として是認できる余地がある。」と述べているのであって、一般的・包括的に糾弾行為を自救行為として是認したものではなく、まして「糾弾する権利」を認めたものではない。(注3)

注1 部落解放中央委貝会見解「差別糾弾闘争のあり方について」部落解放二五七号六四ページ

注2 「……我が同盟の中にも徹底的糾弾を相手を恐れおののかすために使う一部の人がいますが、これはいけません」山中多美男「差別糾弾入門」部落解放一九八六年臨時号第二五四号

注3 法務省人権擁護局人権擁護管理官室「八鹿高校等事件控訴審判決について」人権通信一三三号六五ぺージ

(本資料は、法務省が、人権擁護委員の意思統一のための資料として、人権擁護委員会を通じて配布したもの)

Web掲載に当たっての底本:「表現の自由と部落問題」(部落問題研究所 1993年)

特別対策を終了する理由

(出典:「同和行政史」 第1編 同和行政の変遷 P78・P79 
発行 総務省大臣官房地域改善対策室 平成14年3月)

特別対策を終了する理由

 特別対策を終了する理由は何であろうか。主な理由としては次の三つがある。

 第一は、国、地方自治体等の長年の取り組みによって、同和地区を取り巻く状況は大きく変化したことである。

 総務庁が平成5年度に実施した同和地区実態把握等調査(以下「総務庁実態調査」という。)結果によると、住宅、道路等の物的な生活環境については改善が進み、全体的には、同和地区と周辺地域との格差はみられなくなっている。

 これによって、同和対策審議会答申等で指摘されていた物的な生活環境の劣悪さが差別を再生産するような状況は改善されてきた。

 差別意識解消に向けた教育・啓発も様々な創意工夫の下に推進されてきた。その結果、例えば、同和関係者が同和関係者以外の者と結婚するケースは大幅に増加の傾向を示しており、差別意識も確実に解消されてきていることがうかがえる。

 第二は、このように同和地区が大きく変化した状況で特別対策をなお継続していくことは、同和問題の解決に必ずしも有効とは考えられないことである。

 行政施策は、本来、全国民に受益が及ぶように講じられるべきものであり、国民の一部を対象とする特別対策はあくまでも例外的なものである。その上、施策の適応上、地区や住民を行政が公的に区別して実施する特別対策の手法が、差別の解消という同和行政の目的と調和しがたい側面があることも否定できない。

 こうしたことから、同和関係特別対策は永続的に講じられるものではなく、期限を限った迅速な事業の実施のためのものとして始められたことは前述の通りであり、全ての特別措置法は時限法とされてきた。

 また、特別対策は差別と貧困の悪循環を断ち切ることを目的として始められたものであるが、全国の同和地区を全て一律に低位なものとみていくことは、同和地区に対するマイナスのイメージの固定化につながりかねず、こうした点からも特別対策をいつまでも継続していくことは問題の解決に有効とは考えられない。また、総務庁実態調査によると、教育、就労、産業などの面でなお格差が存在しているところもみられるが、なお存在している格差の背景には様々な要因があり、特別対策によって短期間で集中的に解消することは困難と考えられる。そのため、施策ニーズに対しては、特別対策の事業を継続するよりも、通常の施策を課題に応じて的確に活用していくことのほうが望ましいものと考えられる。

 第三は、経済成長に伴う産業構造の変化、都市か等によって大きな人口移動が起こり、同和地区においても同和関係者の転出と非同和関係者の転入が増加した。このような、大規模な人口変動の状況下では、同和地区・同和関係者に対象を限定した施策を継続することは実務上困難になってきていることである。

地域改善対策啓発推進指針

(出典:「同和行政史」p434 総務省大臣官房地域改善対策室 平成14年)

地域改善対策啓発推進指針について

(通知)

昭和62年3月18日 総地第43号
各都道府県知事,各指定都市市長宛
総務庁長官官房地域改善対策室長通知

 標記については,昭和59年の地域改善協議会意見具申において,啓発推進のための指針の策定を行うべきとの提言がなされたところであるが,この度,別添のとおり,その指針を取りまとめたので送付する。

 ついては,今後の啓発活動の推進に当たっては本指針を参考として一層の工夫を願いたい。

 なお,第3章の啓発の具体例については,後日,通知する予定である。

(別添)

1.昭和44年の同和対策事業特別措置法(法律第60号)及び昭和57年の地域改善対策特別措置法(法律第16号)に基つく同和対策事業及び地域改善対策事業の推進により,同和問題の現状は「同和地区住民の社会的経済的地位の向上を拒む諸要因の解消という目標に次第に近づいてきたといえる」〔昭和59年6月19日に地域改善対策協議会(以下「地対協」という。)から提出された意見具申(以下「59年意見具申」という。)〕状況になってきた。このことは,昭和61年8月5日に公表された地対協基本問題検討部会の報告(以下「部会報告」という。)及び昭和61年12月11日の地対協意見具申(以下「61年意見具申」という。)においても,昭和60年11月30日現在で実施された地域啓発等実態把握(以下「実態把握」という。)の結果を踏まえつつ,「同和地区と一般地域との格差は,平均的にみれば,相当程度是正されたといえる。」と再確認されている。

2 一方,心理的差別の解消は,「内外における人権尊重の風潮の高まり,各種の啓発施策及び同和教育の実施,実態面の劣悪さの改善等によりその解消が進んできている。」ものの,「差別意識の解消は,現在,十分な状況とは言い難く」「啓発活動は,今後における地域改善対策の重点課題」(いずれも61年意見具申)である。

3 しかし,心理的差別を解消するための啓発は,今日,後述する理由(第1章の1参照)により,極めて複雑な状況下に置かれており,明快な論理に基づく指針の必要性が痛感されるところである。

4 かかる状況下に,59年意見具申においては,国において啓発推進のための指針の策定を行うべきであるとの提言がなされており,これを受けて総務庁長官官房地域改善対策室は,昭和60年12月17日に啓発推進指針策定委員会を開催し,同委員会に専門的観点からの検討を依頼した。同委員会は,同日以来昭和61年9月25日まで計7回にわたり啓発推進指針の検討を行った。本指針は同委員会の専門的意見を参考としつつ,59年意見具申,部会報告及び61年意見具申をも踏まえ,地域改善対策室で取りまとめたものである。

5 本指針の性格は次のとおりである。

(1) 地域改善対策の啓発に関しては,既に関係行政機関等において相当の経験が積み重ねられているので,その経験を踏まえた上での反省すべき点に主として意を用いた。その際,従来の常識とされていたことについても,根本的に再検討を行った。例えば,啓発のテーマで従来取り上げられなかったものも,必要なものは積極的に取り上げることとした。内容についても思い切った発想の転換を行っている。

(2) しかし,本指針を拠りどころに初めて啓発を実施する者もあると考えられるので,それらの実施主体については,第3章の具体例(別冊)〔略〕で配慮することにした。

(3) 本指針の想定している啓発の実施主体は,国,地方公共団体,教育機関,企業,その他諸々の団体及び国民個々人である。指針は,これら実施主体に共通的なものを主としているが,特定の実施主体だけを想定しているものについては,文脈上それが分かるように配慮している。
 本指針は,必要に応じ随時改定して常に最新の状況に即応した指針とすることを予定している。

第1章 啓発の目的,テーマ及び内容

1 啓発の目的は何か

 地域改善対策として啓発を行う目的は何か。この問いに対する答えは一見自明のようであるが,効果的な啓発実行の第一歩は,その目的を的確に把握することである。
 地域改善対策の啓発の目的は,次の二つに大別することができる。

(1) 同和関係者に対する差別意識の解消

(2) 同和関係者の自立向上精神のかん養

 同和関係者に対する差別意識は,今日では複雑な様相を呈している。 61年意見具申でも指摘されているとおり,「同和地区の実態が大幅に改善され,実態の劣悪性が差別的な偏見を生むという一般的な状況がなくなっているにもかかわらず,差別意識の解消が必ずしも十分進んできていない背景としては,昔ながらの非合理な因習的な差別意識が現在でも一部に根強く残されていることとともに,今日,差別意識の解消を阻害し,また,新たな差別意識を生む様々な新しい要因が存在していることが挙げられる。」。その新しい要因として行政の主体性の欠如,同和関係者の自立,向上の精神のかん養の視点の軽視,えせ同和行為の横行,同和問題についての自由な意見の潜在化傾向が挙げられている。この新たな差別意識の解消も,今日の啓発の重要な目的の一つである。

 一方,同和関係者の自立向上精神のかん養は,それ自体啓発の大きな目的とされなければ,同和問題の解決は望めない。これまで,同和関係者の自立向上精神のかん養のための啓発は比較的軽視されてきたが,この面でも行政は,主体性を発揮して取り組む必要がある。

 なお,啓発活動の具体的に目指すところは,部落差別に関する心理的土壌を変えることである。国民の中には,まれにではあるが,同和関係者に対する偏見に凝り固まって,あらゆる啓発活動を受け付けない者も存在するが,このようなものが全く無くならない限り,啓発活動は無意味であると考えることは,極めて狭い見方である。このような者が社会から浮き上った存在となり,その存在がかえって差別意識の愚かさを一般の人々に感じさせるような社会の雰囲気を作ることこそが啓発の目指すところである。

2 啓発のテーマと内容

 啓発の目的が明確に自覚されれば,その目的を実現するための様々なテーマと内容がおのずから考えられる。以下,従来の啓発テーマと内容を反省しつつ主なテーマと内容について触れる。

(1) 従来の啓発のテーマと内容の問題点

ア 啓発のテーマが限定されていること

 従来の啓発のテーマと内容の問題点としては,まず第1に,テーマが極めて限定されていることが挙げられる。適当な啓発の方法さえ選べば,同和問題の解決のために必要なあらゆる事項が啓発のテーマとなり得るのであり,啓発のテーマについても発想の転換が求められている。

イ 啓発内容が画一的であること

 第2の問題点としては,従来の啓発の内容が極めて画一的であったことである。従来の啓発は,同和対策審議会(以下「同対審」という。)を主な資料とし,同和地域発生の背景と成立の経過,同和問題は基本的人権にかかわる問題であること,そして,その早急な解決は国の責務であり同時に国民的課題であることなどを内容としたものが大部分であった。その結果,「従来の行政による啓発活動の進め方に画一的で新鮮味に欠ける面がみられたことは,国民に同和問題に対するまたかという意識を生じさせる」(59年意見具申)などの現象が生まれた。啓発内容についても抜本的改善が必要である。

ウ 啓発のテーマと内容の選択に主体性が欠けていること

 第3の問題点は,啓発のテーマの選択とその内容に関して,啓発主体の主体性の欠如が往々にしてみられることである。国,地方公共団体,機関,民間企業等の啓発の主体は,民間運動団体の反発が仮にあったとしても,同和問題の解決のために必要な啓発は断固これを行うというき然たる態度がなければ,国民に受け入れられる効果的な啓発を行うことはできない。

エ 民間運動団体の行う啓発の問題点

 今日,民間運動団体は,各種の出版物の発行,研修会,各種行事等の実施,大会の開催等を行っており,その啓発に果たす役割は極めて大きいと考えられる。しかし,民間運動団体の行う意識的,無意識的啓発活動の中には同和問題解決に逆行する結果をもたらしているものがある。例えば,59年意見具申でも指摘されているところであるが,行政施策の必要性を強調するため,同和地区や同和関係者の社会的低位状態を強調し過ぎることは,かえって心理的差別を助長させてしまう結果をもたらすおそれがある。

 また,一部の民間運動団体が自他への教育と位置付けている確認・糾弾行為も,被糾弾者を大衆の面前に引き出すことによって,また,時には大勢で激しく非難することによって,被糾弾者のみならず,一般国民に,こわいという意識とともに,接触を避けた方が賢明という意識を助長している傾向が見られる。これは,部会報告でも明らかにされているように,それが始められた頃の社会環境と今日のそれでは極めて大きな違いがあるにもかかわらず,一部の団体においては運動理念及び形態が従来のままである,ということに起因するとみられる。同和問題解決のためには,民間運動団体の啓発の在り方についても再検討が望まれる。

(2) 啓発のテーマと内容

 今後の啓発のテーマと内容としては,次のようなものが重要である。

ア 地域改善対策の今日的課題に関する事項

 61年意見具申において「同和問題解決のために成し遂げるべき極めて重要な今日的課題」として挙げられた四つの課題の実現のためには,積極的な啓発が必要である。このうち,同和関係者の自立・向上精神のかん養については後述するので,ここでは他の三つの課題について触れる。

(ア) 行政の主体性の確立

 部会報告では,地域改善行政においては,特に行政の主体性を確立することが重要であり,その姿勢が貫かれなければ,新たな差別感を行政機関自らが創り出すこととなり,同和問題の解決に逆行する結果となると厳しく指摘している。また,61年意見具申でも「行政機関は,その基本姿勢として,常に主体性を保持し,き然として地域改善対策等の適正な執行を行わなければならない。そのためには,行政機関は,今日,改めて民間運動団体との関係について見直すことが必要である。」と指摘している。この問題は極めて重要であるので,国は都道府県及び市町村に対して,都道府県は市町村に対して,この点に関する啓発を部会報告及び61年意見具申並びに本指針を参考としつつ積極的に行う必要がある。

 なお,市町村は都道府県及び国に対して,都道府県は国に対して,主体性の確立に問題ありと考える点については,積極的に指摘すべきことも当然必要であろう。

 さらに,民間運動団体の運動目標等をそのまま行政の行う啓発素材として取り入れているものが一部の地方公共団体の啓発にみられるが,行政の主体性の確立の観点から自粛すべきである。

(イ) えせ同和行為の排除

 えせ同和行為は,これまでなされてきた啓発の効果を一挙にくつがえし,同和関係者及び民間運動団体に対する国民のイメージを傷つけることが甚だしく,同和問題に対する誤った意識を植え付ける大きな原因となっていると61年意見具申において指摘されている。えせ同和行為は,同和問題解決のために断固排除する必要がある。そのためには,啓発においてもこれを積極的に取り上げる必要がある。啓発の内容としては61年意見具申及び部会報告でも明らかにされているように,①えせ同和行為の定義②団体等からの不当な要求については,断固として断り,また,不法な行為については,警察当局に通報する等厳格に対処する必要があること等望ましい対処の仕方③不法行為に対しては的確な警察措置が採られている現実を明らかにすること等が重要である。

 なお,民間運動団体の指導者の多くは,差別を口実にわずかな金品ももらうことは運動の趣旨に反するので,そのような者がいれば,団体の一員であっても,即刻警察に通報してほしいとの厳しい姿勢をもっている。このことは,民間運動団体内部においても周知され,えせ同和行為排除のための自律機能や自浄能力を高める努力に結びつけられる必要があるとともに,あらゆる啓発主体によって企業や国民等に周知される必要がある。

(ウ) 自由な意見交換のできる環境づくり

「同和問題について自由な意見交換ができる環境がないことは,差別意識解消の促進を妨げている決定的要因となっている。」と61年意見具申でも指摘されているとおり,この課題の重要さはいくら強調しても強調し過ぎることはないであろう。

 国及び地方公共団体は,国民,民間運動団体,企業及びジャーナリズムにこの課題が達成されることの重要性を積極的に啓発するとともに,
これを妨げるものを断固として退ける姿勢が,言論の自由を守る上からも極めて重要であることの周知に努めなければならない。

 また,国及び地方公共団体は,率先して同和問題に関し,自由な意見を発表する必要がある。トラブルの発生を恐れるあまり,一部民間運動団体に事前に内容の了承を得てからでなければ,啓発文書の公表や研修会等の講師の選定等ができないようなことが慣習化されている行政機関は,61年意見具申の精神に立って,この際それを改める必要がある。そうでなければ国民の信頼を得られる啓発を行うことはできないであろう。

 民間運動団体も,事前のチェックを慣行化させているとすれば,それは組織的圧力による言論の自由の抑圧であり憲法第21条の精神にそわないものであるので,改められるべきであろう。啓発内容の批判があれば,事後に言論により堂々と行うべきである。その批判の態度と質によって,国民の当該民間運動団体に対する評価は,あるいは高まり,あるいは低くなるであろう。言論の自由は徹底的に尊重されなければならない。

 言論の自由を軽視すれば,同和問題の解決が国民的課題となることは困難である。

 また,言論に対して,言論による批判に徹しないで集団による圧力に安易に訴えるならば,世論の有形無形の批判を受け,前述の新たな差別意識を助長することになることを民間運動団体も十分理解すべきであり,国及び地方公共団体はこれらに関する啓発に努める必要がある。

(エ) 差別及び確認・糾弾に関する考え方

 同和問題における差別とは何か,これまでの差別事件といわれるものにはいかなるものがあり,いかに解決されたか。解決方法等における問題点,今後の改善の方向等についても,タブー視することなく,61年意見具申及び部会報告の内容を参考としつつ積極的に啓発の内容に取り入れるベきである。
 確認・糾弾に関する考え方については,部会報告に明確な見解が示されているので,その内容を次の(オ)のように,分かりやすく記述して啓発に努めることが必要である。さらに,確認・糾弾に関する判例の内容を紹介することも重要な啓発となる。

(オ) 差別事件の処理の在り方

 ある個人又は企業等が差別発言等の差別事件を起こしたとき,その個人・企業等はいかにすべきかを啓発することも,59年意見具申及び61年意見具申並びに部会報告で指摘されている「こわい問題,面倒な問題である」との意識の発生を防ぎ,新たな差別の発生を防ぐ上で重要である。この場合,啓発すべき内容としては次のようなものが適当である。

 差別事件を起こしたと指摘された個人,企業等は,法務省設置法により権限を付与された法務省人権擁護局並びに法務局及び地方法務局の人権擁護(部)課(以下「人権擁護行政機関」という。)の人権審判事件調査処理規程(昭和59年8月31日法務省権調訓第383号)に基づいた事件処理等に従うことが法の趣旨に忠実であることである。

 したがって,個人,民間運動団体等から差別事件を起こしたとして迫及を受けた場合,所轄の人権擁護行政機に訴えてくれれば,その事件処理に従う旨を追及者に告げることが肝要である。相手がそれに応じない場合は,自ら所轄の人擁護行政機関に出頭し,同機関の事件処理等に服する旨を申告することができる。このようにすれば,法に基づく妥当な事件処理が行われることになるのである。

 今一つのみちとしては,全く任意に民間運動団体の主催する確認会,糾弾会に出席することが考えられる。 この場合,出席が本人の自由意思によるものであり,出席しない場合は,民間運動団体の激しい抗議行動が予想される等の強制的要素がないことが重要である。また,集団による心理的圧迫がないこと(出席者を糾弾側,被糾弾側同数とし,かつ少人数に絞ること等の工夫が必要である。),確認糾弾の場を権威を持って取り仕切ることができる中立の立場の仲裁者が居ること,プライバシーの問題が無い場合は,第三者にも公開されて冷静な客観的議論ができる環境が保証されていることの各要件がすべて満たされている必要がある。

 しかし,このような理想的な確認・糾弾会が開かれることは,これまで皆無に近かった。前述の法の定めるところに従った人権擁護行政機関の事件処理によることが適当であるとされるゆえんである。

(カ) ねたみ意識,逆差別意識等に関する掘り下げた論議

 ねたみ意識,逆差別意識等の問題については,地域改善対策が公平の原理を無視して実施されているのではないかという地区周辺住民等の疑念がその中にあるのであれば,それを一方的に批判することなく,地域改善対策事業の実態と必要性について掘り下げた論議を展開して十分啓発に努める必要がある。それを怠れば,新たな差別意識を助長すること
になるからである。

 もちろん,この啓発の前提として,地方公共団体の独自の施策の中に一般対策と不均衡を生ずる過度な優遇施策等公平の観点から合理的に説期できないような施策があれば,それを廃止した上で啓発しなければ,国民の納得は得られないであろう。

イ 因習的な差別意識及び新たな差別意識の解消に関する事項
(ア) 差別解消のための逆説的要素に配慮すること

 結婚,雇用,日常の付き合い,友人関係等における差別を無くすことは,これまでの啓発において最も多く取り上げられてきたテーマである。ポスター,パンフレット,冊子,スライド,映画,講演,交流の場の設定等あらゆる方法でこのテーマは取り上げられてきたが,またかという意識が生じてきたのもこの分野のテーマである。

 今後工夫すべきは,啓発の内容である。人の心の奥深く切り込み得る内容とする工夫が,これまでの啓発では十分でなかったと言ってよいのではなかろうか。

 例えば,最も解決が難しいとされる結婚における差別についてみてみよう。一般国民が同和関係者との結婚をためらう理由は何かが実証的に分析され,かつ率直に語られているだろうか。差別的だとの批判を受けることを恐れて,意識的,無意識的に避けてきたのが,これまでの啓発の主流ではなかったろうか。

 人が漠然たる差別感の存在に気付いた場合,それがたとえ啓発教育によって初めて教えられたものであっても,自分も差別されるようになることを避けようという傾向も出て来ることが,遺憾ながら少なくなかったと考えられる。人権意識を我が国において不動のものにするため,また,いわれなき差別に苦しめられる人を無くすというヒューマニズムに富んだ目的のため,これからの啓発は,自分が不利な立場に置かれるかも知れないことを恐れず,信念を貫き通すことが,人間らしい勇気のある,尊敬に値する行動であることをはっきりと伝えることが必要である。世間の目を恐れ,心ならずも差別することは,勇気の無い,人間として恥ずべきことであることも,明確に伝える必要がある。

 また,実態把握において現在同和地区に住んでいる人のうち同和関係者と同和関係者以外の者との結婚は,年齢階層別に顕著に増加しており,30歳未満ではその割合は約6割となっている。この例にもみられるとおり,世の中は急速に変わっている。しかし,自分だけが差別解消のために頑張ってもどうしようもないと思っている人が,かなりみられるが(実態把握では約30%),実は,そう思って消極的にではあるが差別している人が,少なくとも若い人々の間では,既に少数者であることも実態把握の結果として明らかにされている。ヒューマニズムにあふれる確固たる一人一人の個人の今少しの勇気が世の中を明るく変革していくのだということを,データを示しつつ力強く啓発する必要がある。

 この,結婚,雇用,付き合い等の問題については,しかし,同時に民間運動団体の側にも強い自己制御力を求める広い意味での啓発が行われなければ,一般国民に信頼される啓発とはならないであろう。

 すなわち,この問題は感情の伴う微妙な問題であり,パラドックス(逆説)を含む問題である。差別があったとして,激しく非難し抗議を繰り返したならば,相手の差別感は無くなるであろうか。答えは往々にして否である。相手は恐怖の念又は反感を抱くことが多く,因習的差別感と新たな差別感が心の中に潜在化し,固定化してしまうことが多いのは,残念ながら事実である。

 抗議は納得の行く内容と方法で行われ,相手に尊敬の念を生ぜしめるようなものでなければ,良い効果は生まない。差別事件を起こしたとしても,その人は個人としては無力なのであるから,差別解消という大義名分を掲げて,組織や集団の力を背景に大勢で非難するということでは,部会報告でも指摘されているとおり,私的制裁以外の何物でもないと言われても仕方がないであろう。これは,人々の尊敬を得る道ではない。

 もしも良心的な人々の尊敬を得ることを軽視し,恐怖感の利用を肯定するならば,それは明らかに民間運動団体の行き過ぎであり,61年意見具申でも指摘されているとおり,同和問題はこわい問題であり,避けた方が良いとの意識を発生させ,えせ同和行為の横行の背景となる。今,それぞれの民間運動団体の構成員は,一人一人良心に照らして考えるべき時ではないだろうか。行政はそのような正当な勇気とヒューマニズムに満ちた問いかけを民間運動団体に対して行うべきである。それがひとつの重要な啓発であり,それを抜きにしては,ほとんどすべてがおざなりな啓発になってしまうだろう。差別事件は人権問題として,人権擁護行政機関,又は司法機関の裁きにゆだねるというのが国の法の定めるところであり,この法治国家のルールを民間運動団体も自己制御力を持って守ることが,新たな差別感の一要素を解消するために是非必要であることは,61年意見具申でも指摘されているところである。

 したがって,憲法の趣旨に従い,法を率先して遵守すべき国又は地方公共団体の職員が確認・糾弾の場に出席し,差別事件の処理を私的制裁にゆだねるがごとき印象を一般国民に与えていることは,行政職員として好ましくないことである。さらには,確認・糾弾については,民間運動団体の間にも厳しい批判があるところであり,このような場に行政職員が出席することは,行政の中立性の要請からみても,望ましくないことは明らかである。行政職員が憲法の趣旨に忠実な法の遵守と中立性の堅持を第一義とすることなく啓発を行っても,国民の心からの受容を期待し難いのは当然である。行政が姿勢を正さずして,真の啓発はあり得ない。

(イ) 同和関係者であるか否かにこだわることの非合理性,前近代性を強調すること

 憲法第14条は,「すべて国民は,法の下に平等であつて,人種,信条,性別,社会的身分又は門地により,政治的,経済的又は社会的関係において,差別されない。」と規定している。

 これは,直接的には法の領域の問題ではあるが,私人間の道徳的領域の問題としても,この原則は,国民の間に広く浸透し定着しつつある。

 江戸時代の身分制度に今日こだわることの非合理性,前近代性は広く一般の人々の受け入れつつあるところであるので,「なぜ同和問題についてのみ,あなたは,昔の身分制度にこだわるのですか」という問いかけは,人々の反省を呼び起こすのに有効であろう。

 また,同和関係者も自ら同和関係者であるか否かにこだわらないという信念を固めることが重要である。同和関係者であることにこだわった人々の侮べつの意思表示があったときに,節度ある抗議をすることは,やむを得ないが,すべての人が過去の身分へのこだわりを捨て,平等な一個人として互いに尊重し合うことこそ重要である。これらのことを啓発内容として取り入れる工夫が重要である。

(ウ) 人権問題の一環としての位置付けを明確にすること

 同和関係者に対する差別意識の解消は,すべての人の人権を尊重する精神の徹底という問題の一部である。したがって,同和関係者に対する差別事件は,各種の人権侵犯事件の一つである。

 このことは,明白に意識される必要がある。このことが明らかに理解されれば,同和問題についても他の人権侵犯事件と同じく,人権擁護機関,又は司法機関において,人権侵犯の程度に応じ,それにふさわしい処理がなされるべきものであることが容易に理解される。

 61年意見具申においても,同和関係の差別事件は公的機関の処理にゆだねられるべきであるとしている。そうすることによって新たな差別の発生が抑制されるのであるから,これは,同和問題解決のために最も重要なことの一つであると言えよう。これらのことを分かりやすく,啓発の素材として取り込み,国民,企業,民間運動団体等に周知させることが重要である。

ウ 同和関係者の自立向上精神のかん養に関する事項

 同和関係者の自立向上精神のかん養に関する啓発は,二重の意味で重要である。

 第1に,自立向上を成し遂げた同和関係者は,多少の心理的差別が仮にあったとしてもこれを跳ね返して立派に生きることができる。

 第2に,自立向上精神に富み,社会のルールをきちっと守って努力する同和関係者は,一般国民から信頼を得,心理的差別解消に大きく寄与する。

 自立向上精神のかん養を目的とする啓発は,これまで比較的実施されることが少なかった。その理由としては,第1に効果的啓発内容を作ることが相当困難であること,第2に民間運動団体の反発を予想して行政が積極的に取り組まなかったことが考えられる。

 今後は,国及び地方公共団体は,自立向上精神のかん養に効果的な啓発内容を鋭意工夫する必要がある。また,61年意見具申にもあるように,この点に関する民間運動団体の積極的な取組が望まれる。

 このテーマに関し,積極的に活用されるべき事例としては,次のようなものが一例として挙げられる。

 心理的差別の解消は,通常,人口の流動が多い都市よりも,比較的少ない町村において行うことがより困難である。しかし,ある町で同和問題をほぼ完全に解決したところがある。 その大きな要因の一つが同和関係者が自立向上の意欲に富み,子弟の教育に熱心であり,かつ,社会のルールを守り,自己の向上のために努力していることを,町の一般の人々が理解したことにあったという。この事例の中に同和問題解決の重要なかぎがあると考えられる。多くの同和関係者は,この事例のごとく立派な人々である。一般国民が一部の問題事例によって抱くことの多い悪いイメージを,このような良い事例を積極的に活用すること及び問題事例の適正化を進めることによって変えてゆくことが重要である。

 なお,61年意見具申にも指摘されているとおり,「個人給付的施策の安易な適用や同和関係者を過度に優遇する施策の実施は,むしろ同和関係者の自立,向上を阻害する面を持っているとともに,国民に不公平感を招来している。」。このような個人給付的施策は国において見直しが行われているが,地方公共団体の独自の個人給付的事業についても見直しを行うとともにこれらの見直しの趣旨を十分啓発することが重要である。

 民間運動団体は,差別解消を叫ぶためにも,自立し,更に向上していく努力を重視すべきである。自立向上の努力を重ねている者は,自らの心の誇りを育てることができる。自らの誇りを大切にすることの重要性も啓発のテーマとすべきである。

エ 部落の歴史,実態調査結果等に関する事項

 部落問題に関する知識,情報等も従来から啓発のテーマとして取り上げられてきているが,今後も積極的に取り上げる必要があろう。

 このテーマに関する従来の啓発の問題点は,その知識,情報を得て何を学ぶべきかを明確に意識し,伝えている啓発が少ないということである。

 例えば,部落の歴史及び差別感の生じてきた由来を情報として提供することはなぜ部落問題の解決に役立つのか,その筋道をはっきり説明しないと,単なる物知りをつくるための情報,あるいは“正しい歴史を知らない”という糾弾の材料を提供するだけに終わってしまう。甚だしきは,同和関係者は徳川幕府の政策の犠牲者の子孫であるから補償されてしかるべきだという論に短絡しかねない。明白にしておく必要があることは,地域改善対策は,徳川幕府の政策の犠牲者の補償を行うという要素は何らないことである。

 部会報告にもあるとおり・地域改善対策事業は,現行憲法が目的とする福祉国家の理念に基づいて実施されるものであり,過去及び現在の差別に対する補償として実施するものではないことを啓発を実施する際にも明白に意識する必要がある。

 同和関係者に対する差別意識の歴史を啓発する目的は次のとおりである。すなわち,一般の人が理由のよく分からないままに差別意識を抱いているのは,かかる歴史的事実に由来するのであり,同和関係者に対して無意識的に悪いイメージを持つことも差別感を持つことも,歴史的に継承された偏見であり,現在の事実に照らしてみれば明らかに間違っていること,そしてその間違ったイメージで人を差別することは現行憲法の理念である個々人の人権尊重というヒューマニズムに反することであることを明白に表現することを忘れてはならない。

 なお,部落の歴史以外の知識,情報としては,部落に関する実態調査の結果,地域改善対策事業の内容,同対審の答申,地対協の意見具申,部会報告の内容等があるが,地域の実態の改善状況,国民の意識の変化の動向等について事実をして雄弁に語らしめることを念頭に置きつつ,分かりやすく啓発の内容として取り上げることが重要である。

第2章 啓発の主体,対象及び方法

1 啓発の主体と対象

 啓発の主体と対象については59年意見具申に詳しい記述があるので,同意見具申が詳しく言及していない点の指摘のみにとどめたい。

(1) 啓発の主体の範囲を更に拡大すること

 59年意見具申は,啓発の主体となるベき組織として,学校,地域社会,職場,事業主団体,労働者団体及び行政機関を挙げている。その他には,宗教団体・政党等の政治団体,各種協同組合及びその全国連合会,弁護士,医師,税理士等の職種別の都道府県又は全国レベルの組織等様々な団体が啓発の主体となることができる。

 これらの実施主体は,あくまで自発的に啓発に取り組む姿勢を持つに至ることが重要である。そのためには,行政機関としては,本啓発指針に示したような因習的な差別意識と新たな差別意識の双方の解消を可能とする広い視野を持ち,批判を恐れない勇気のある啓発の指導者を養成するとともに,適切な啓発の素材を準備し,かつ,かかる指導者や啓発の素材の存在を周知させる必要がある。

(2) 啓発の対象が主体となることこそ重要

 前記の啓発の主体となる組織において啓発の対象はそれぞれ,生徒,地域社会の住民,職場の職員,事業主,労働者,公務員,信者等である。59年意見具申において「最終的な啓発の主体は国民である」と言われているとおり,啓発の対象である国民が,自分は同和関係者とその他の人を決して差別はしないという決意を固め,自分自身に世間体を気にする弱い心があれば,それを決然と抑えるとともに,必要に応じて,身近な人々,友人及び親族を粘り強く説得する啓発の主体となることが重要である。

 総論には賛成,だが各論として具体的に自分の身に降りかかったときは反対という,かなり広く見られる態度を打ち破るためには,地域改善対策行政担当者は次のようなことに配意することが重要である。

 まず,第1に,地域改善対策行政関係者及び啓発指導者が自ら啓発の主体となる態度を心の底から確立することである。その上で一般の人々の理解と差別意識の解消を忍耐強く求めることが必要である。これらのことを可能にするためには,えせ同和行為,民間運動団体の組織力を圧力とした問題行動,一部同和関係者の自立向上のための努力の不足などが,みられる場合には,その点を率直に批判できる環境がなければならない。行政は,自らの持てる力を十分活用し,何をおいてもこの自由な意見交換のできる環境を確立しなければすべての啓発の努力はむなしいと言っても過言ではないであろう。

 第2に,啓発の対象者が積極的に議論に参画できる場を確保することである。現に各地でそのような試みが行われているが,自由な発言を保障したところ民間運動団体の立場からみて差別的と思われる発言が相次いだので,民間運動団体の怒りを買ってやめざるを得なかったという事例がみられる。

 しかし,自由な発言を保障する限り,とことんまで保障しなければならず,自らの耳に痛い批判や民間運動団体からみれば差別を拡大助長するとみられ、る発言も保障しなければ,本音で問題を語り合うことはできない。本音で耳「に痛い批判,目先の利害に響く発言も許し合い,忍耐強くお互いに歩み寄りをしなくては,本問題の解決はない。国民と民間運動団体双方の忍耐強い協力を求めるとともに,行政は,断固として自由な意見交換のできる環境を確立しなければならない。

 第3に,同和関係者と一般の人々との交流の機会を頻繁に設け,お互いに尊敬し合い,信頼し合えることを経験として会得することが有効であろう。この場合,小さな間違いやささいな差別的表現は許し合う,寛容さと忍耐強さが双方に求められる。特に,組織された運動団体は,未組織の個人と比較した場合,圧倒的強さを有するのであるから,寛容と忍耐に徹することが望まれる。

 いずれの場合も,パラドックス(逆説)に注意しなければならない。今日の状況においては,差別を激しく糾弾することは,新しい差別を生ぜしめ,差別の解消を迷路に追い込む。一見差別的に見える表現,差別的に見える考え方にも寛容と忍耐を示して節度ある説得又は抗議を行ってこそ,民間運動団体と同和関係者に対する一般国民の信頼と尊敬を得ることができる。そうしてこそ,差別する心の奥深くに切り込み,差別を解消する一筋のけわしい道を切り開くことができるのである。

(3)教育の場における啓発の実施

教育の場における啓発の実施については,重要であるので,特に触れることとしたい。

ア 義務教育期における教育

 この時期は,善悪の判断の基礎が固まる時期であるので,何が正しいことで,何が間違っていることかを教えることが重要である。個人としての自分自身の大切さばかりでなく,他人を大切にし,他人の立場に立って考える態度や習慣を身につけるよう十分に教え,基本的人権尊重の教育が徹底して行われるようにすることが,同和問題解決にとって重要な意義を持っているのである。

 なお,61年意見具申に述べられているように,同和問題そのものについては歴史の教育と並行して教えるなど児童。生徒の発達段階に十分考慮して行われるべきである。

イ 高校・大学等における教育

 この時期は,より円熟したものの見方が育つ時期であり,同和問題に関する歴史的事実及び現代社会における社会学的分析と考察を教えることによって,広い見地から同和問題を考える力を養うことが重要である。

 この場合,従来一部に見られたような同対審答申の記述を絶対視し,他の見方はすべて否定することは避けなければならない。あらゆる見方を実証的に分析する学問的アプローチが重要であり,ここでも自由な意見交換の環境が保障されなければならない。

ウ 差別発言等を契機に学校教育の場に糾弾闘争その他の民間運動団体の圧力等を持ち込まないこと

 学校教育において留意すべきことは,同和教育の過程においてすら,いわゆる差別発言事件が起きることがあるが,その対処方法を確立することである。

 児童・生徒の差別発言は,先生から注意を与え皆が間違いを正し合うことで十分である。差別事件に限らず,どのような場合にも教育の場へ民間運動団体の圧力等を持ち込まないよう,団体は自粛することが望ましい。団体の自粛がない場合には,教育委員会及び学校は,断固その圧力等を排除すべきである。部会報告にもあるとおり,団体の行為が違法行為に該当するときは,警察の協力を求めることが重要である。

2 啓発の方法

(1) これまでの方法の反省と今後の方向

 これまでの啓発は,国の委託等によって主として地方公共団体で行われてきた。その啓発の方法としては,ポスター,はがき,パンフレット,講演会,懇談会,交流会,スライド,ビデオ,テレビ等あらゆるものが既に試みられているが,今後の技術革新によって普及する新しい方法も積極的に取り入れていく精神は重要である。

 さらに,従来の方法の活用方法も見直していく必要がある。本指針に示されたような視野の広い複雑な問題については,比較的長い時間帯を活用できるラジオ番組の活用も見直されてよかろう。また,広い視野で問題を深くとらえ,勇気を持って語り得る講師の養成が急務であるが,当面,その数が限定されているとすれば,テープを活用して講演を聞き,それを基にディスカッションをする方式も採用されてよかろう。

 また,同和問題というテーマに固執せず,興味深いコミュニティー活動や
行事を企画し,住民の広い参加と交流を促進することも極めて有効である。

 さらに,活字離れの世代に対しては,漫画や劇画の活用も有効であろう。ただし,その内容が本指針の示すごとく広い視野に基づいた率直なものでなければ,ワンパターンな画一性を嫌う若者の心をとらえるものとはならないであろう。

(2) 国自らが行う啓発の抜本的改善

同和問題の解決のため,国自らの行う啓発は現在のところ比較的限定されている。既存のものは事なかれ主義に陥っていて,画一的で面白みに欠け,主体的勇気に欠けるものが多い。今後,国の関係行政機関は,両意見具申,部会報告及び本指針の内容を参考にして,率先垂範して全国的に活用可能な啓発媒体の作成,情報資料の収集・提供等の国が行うにふさわしい啓発の推進に努めることが望まれる。

(3)ジャーナリズムに対する情報提供

 61年意見具申でも述べられているように,行政は,プライバシーの保護に配慮しつつ積極的にジャーナリズムに情報,資料を提供するよう努力する必要がある。ジャーナリズムでこの問題が広く取り上げられ,かつ,掘り下げた考察が行われることが最高の啓発活動の一つであるからである。

第3章 啓発の具体例(別冊)〔略〕

部落差別の解消の推進に関する法律案に断固反対する声明 自由法曹団

部落差別の解消の推進に関する法律案に断固反対する声明

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2016年5月19日、自民、公明、民進の3党は、部落差別の解消の推進に関する法律案(以下「本法律案」という。)を衆議院に提出した。同月20日には衆議院法務委員会で趣旨説明がなされ、25日に同委員会で強行可決される見通しである。

 本法律案は、部落問題の解決の障壁となるものであり、基本的人権をまもり民主主義をつよめることを目指す法律家団体である自由法曹団は、この法律案に断固反対する。

部落差別問題については、1982年、同和対策特別措置法が廃止され、その後を継ぐ地域改善対策特別措置法も廃止され、2002年に同和対策事業は終結した。

 これは、部落差別の特徴的な形態である劣悪な住環境等が、各種の同和事業の遂行によって改善傾向にあり、また、職業の自由、居住移転の自由、結婚の自由の侵害という事態も大きく減少するなど、身分的障壁を取り除き、社会的な交流が拡大する方向へと進み、部落解放の客観的条件が大きく成熟したことによるものである。そうだとすれば、着実に解決に向かっている現状においては、本法律案には立法事実がなく、時代錯誤であると言わざるをえない。のみならず、むしろ部落問題による差別、偏見を固定化、永続化し、部落問題の解決のための大きな障壁になり有害である。

 また、本法律案は、えせ同和団体の利権あさりの手がかりとなりうるものであり、過度の糾弾による人権侵害や不公正な行政が行われた負の歴史をふまえていないものと言わざるをえない。

本法律案は、「部落差別の解消を推進し、もって部落差別のない社会を実現することを目的とする。」としているが、部落差別の定義規定がなく、何をもって部落差別とするのかが曖昧なままである。本法律案は、部落差別の解消に国、地方公共団体の責務を定め、相談体制の充実、必要な教育啓発を行う努力義務等を規定しているが、何をもって部落差別とするかが曖昧なままであれば、あまりに広範な施策が実施されることになりかねず、その施策によって施策の対象となる人々とそうでない人々の間に垣根をつくり、ひいては部落差別問題を再燃させることにつながりかねない。

 また、本法律案は、国は、部落差別の解消に関する施策の実施に資するため、地方公共団体の協力を得て、部落差別の実態に係る調査を行うものとしている。しかし、これによって新たな差別を掘り起こすことになり、本法律が恒久法であることを踏まえると、調査を続けることによって、部落差別問題を固定化、永久化することにつながりかねない。本法律案は、「情報化の進展に伴って部落差別に関する状況の変化が生じていること」が立法理由として説明されているが、ネットへの差別的書き込みなどはプロバイダ責任制限法(特定電気通信役務提供者の損害賠償責任の制限及び発信者情報の開示に関する法律)に基づき、プロバイダに対して削除請求するなど、既存の法律で対応することが可能である。

以上の理由から自由法曹団は、本法律案に断固として反対する。

2016年5月24日
自由法曹団     
団長 荒井新二

「部落差別」法案は解決に逆行 (2016.5.)

「部落差別」法案は解決に逆行

全国人権連事務局長 新井直樹さんに聞く

 自民党、公明党、民進党は「部落差別解消推進法案」の衆院通過を狙っています。同和(部落)の特別法は、問題解決に障害になるとして、14年前に失効しています。全国部落解放運動連合会を発展的に改組した全国地域人権運動総連合(全国人権連)の新井直樹事務局長に今回の法案の問題点を聞きました。

-現状からみて、法案の問題点は?

 差別被差別という新たな国民対立を生むことになる「差別固定化法案」です。 現状は、法務省の人権侵犯処理でも悪質で深刻な部落差別の実態があるとは言えません。旧「部落」や「部落民」に関するインターネット上の書き込みもありますが、現行法と対抗言論によって対処すべきです。部落を問題にする人がたまにいても、時代錯誤だと説得できる自由な対話こそが大事です。

差別を固定化

 法案のように「差別者」を懲らしめることでは、差別は陰湿化し、固定化してしまいます。結婚も部落内外の婚姻が主流となっています。結婚や就職の問題で自殺したという記事は見たことがありません。問題があれば、市民相互で解決に取り組める時代になったのです。そのため、政府も33年取り組んだ同和対策の特別法を2002年3月末で終結しました。全国の精緻な生活実態調査と国民意識調査を実施・分析し、審議会で各界からの意見聴取もして議論を重ね、万全を期して終了したのです。その経緯を無視する今回のやり方はまったく許されません。政府は、一般対策の名で同和事業予算を組み続け、差別の実態があるかのように国民に誤解を生じさせています。逆差別を生じかねないもので、同和事業こそ即刻廃止すべきです。

同和事業廃止を

-新たな法は解決の障害となるのですね。

 部落問題は民族問題ではなく、旧身分が差別理由として残ったものです。国民融合のなかで、社会から消滅してゆけばよいものです。それなのに、「部落差別の解消」をうたえば、国が「部落」と「部落外」を永久に分け隔てることになります。法案は「差別の実態調査」を国や自治体に求めています。根深く存在しているとの誤った理解を「調査」を通じて国民に広げることになります。人権を侵害し、特定の地域や住民を「部落」と示唆するものです。

 法案では、自治体などは相談体制をつくり教育・啓発をすることになっています。実態や経過を無視して自治体や学校に強制する根拠になり、大きな混乱を生じさせることになります。たとえば、埼玉県で同和行政を終了した自治体があります。こんな法律ができれば、終了がほごになり、「解同」(部落解放同盟)などの要求通りに復活するという混乱が生じます。全国各地の同和行政終了自治体でも、混乱を生むことが考えられます。

 2000年に自民、公明両党などの議員立法で制定された「人権教育・啓発推進法」は、人権問題を差別問題に矮小(わいしょう)化し、解決の実態から乖離(かいり)した「解放教育」や「同和教育」に法的根拠を与えてきました。こんな法こそ廃止すべきです。

-自民党の狙いをどうみますか。

 自民党は差別禁止などという法の名で利権維持をはかる「解同」などの動きを取り込みつつ、自らの国民管理に利用しょうとしています。自民党は国民主権の憲法を、国が人権を管理するものへ改悪することを狙っています。それと軌を一にした動きです。人権問題の深刻さから国民の目をそらし、人権問題はあたかも差別間題がすべてであるかのごとく描くものです。立法事実や「部落差別」の概念すらまともに議論をせずに、制定ありきというのはもってのほかです。憲法改悪、「部落差別永久化法」には、国民諸階層とともに断固反対の運動を広げていきます。

(2016年5月22日「しんぶん赤旗」掲載)

地対協基本問題検討部会報告について

地対協基本問題検討部会報告について

1986年8月10日
 全国部落解放運動連合会

 総務庁の地域改善対策協議会基本問題検討部会は、八月五日の総会で、「部会報告書」を発表しました。

 この報告書は、地対協が一昨年六月に行なった「意見具申」の精神をうけつぎ、その論点をより鮮明にしたものであるとともに、全解連が昨年九月に発表した「地対法後の同和行政のあり方についての全解連の見解」(以下、全解連見解)の主旨を反映したものであるところに意義があります。

 その内容の特徴点は次の通りです。

 第一に、部会報告は、これまで同和行政のより処とされてきた同対審答申について、その後の同和地区の実態の改善や同対審答申では触れられていなかった新たな問題の発生等を検討し、「この答申を現在においても絶対視して、その一言一句にこだわる硬直的な傾向のみられる」ことを戒め、「改めて二十余年という時の光に照してその意義を認識していく必要がある」と述べています。

 これは、「解同」の「部落解放基本法」制定の要求に対して「これらの要求の特徴は、同和対策事業十六年間の功罪を不問に付し、総括をぬきにするとともに、部落の現状認識を恣意的に解釈しようとするものであって、到底国民の合意が得られるものでない」と批判している「全解連見解」と同じく、科学的・実証的な立場で今日の問題を論じようとするものであるところに価値があります。

 第二に、部会報告は、今日における「同和問題解決の基礎的条件」として、「同和関係者の自立、向上を阻害し、また、同和問題の国民的理解を妨げている諸要因の解消」をあげています。そしてその要因として、①非合理的な偏見の残滓②部落内外の交流の不足③運動団体の行きすぎた活動④行政の主体性の欠如⑤えせ同和行為の横行等を指摘するとともに、その是正の重要性を強調しています。これ等はみな、「全解運見解」の中で逐一克明にしているところです。

 第三に、部会報告は、部落住民の自立のためには、「同和関係者自らが自立、向上の意欲を持ち、自主的な努力を行うことが不可欠である」と述べるとともに、この「同和関係者の自主的な努力を支援し、その自立を促すこと」が行政の果すべき基本的な役割であるとし地域改善対策事業等は、当然この住民の「自立に寄与するものでなければならない」と、その役割を明確にした上で、「合理性が疑問視される給付や特例」の見直しを提起しています。

 これは、「自立こそ部落解放への橋渡しである」とし、そのために意欲・情熱・展望・勇気を持ってとり組むこと、不公正乱脈な同和行政の是正を要求している全解連の主張と一致するものです。

 第四に、部会報告は、えせ同和行為の横行を国民の理解を妨げる大きな要因とするとともに、民間運動団体の確認・糾弾という誤った行動の是正を求めています。しかも「解同」等の確認・糾弾は、法律や判例に照して「他人に何らかの義務を課する」根拠のないことを明らかにし、その存在意義を否定する立場を明確にしています。さらに差別行為の法規制問題について、政策論・法律論を展開してこれを退けていることはさきの地対協意見具申から見て、前進的なものとして評価されます。

 第五に、部会報告は、地対法後の同和行政について、原則的には一般行政への移行をめざしながらも、「真に必要なものは地対法失効後においても実施して行く必要がある」とし、これは、「事業の完了と自立・融含をめざす新たな時限立法」の制定を要求している「全解連見解」を反映したものであるところに積極的な意義がうかがえます。

 しかしこの部会報告は①真に必要な事業や、同和関係者の自立、向上という内容が明確にされていないこと②今日のように政治反動が強化されている下で、自立の条件の後退や事業の打ち切り、引き下げ等の危険のあることについて論外におしやっていること③同和行政の見直しや是正についても、行政責務として具体化し、どう実行するかが明確でなく、過去の例のように空念仏に終る危惧があること等、他にも問題があることは否定できません。

 私たち全解連にとって民主勢力とともに、この報告書の前進面を拡め定着させるとともに、その弱点を克服して民主主義と部落解放の前進をかちとるために、主体的な取りくみをすることが今後の課題です。

地対協「報告書」「意見具申」の評価と「大阪府同和教育基本計画」批判

同和教育の民主的前進のために

地対協「報告書」・「意見具申」の評価と「大阪府同和教育基本計画」批判について

大阪教職員組合 教育文化部

討議資料 「大阪教育」号外 1987年2月10日

はじめに

 部落解放同盟(「解同」)やそれにゆ着した行政による教育への介入をきびしく批判する政府機関の報告書と意見具申が出されました。総務庁の諮問機関である地域改善対策協議会(地対協)が、八月五日に発表した「基本問題検討部会報告書」とそれを踏まえて十二月十一日に政府に提出した「今後における地域改善対策について(意見具申)」がそれです。これらは、公正民主の同和教育行政を求める国民世論を反映したもので、大阪府・市政や教育委員会に痛打を与えるものです。

 大阪では依然として、児童・生徒の主として未熟さや不十分さからくる言動を「差別だ」と決めつけて、子どもや親、教師を糾弾したり暴力をふるうといった事件があとをたちません。また、解放教育副読本「にんげん」の配布が強制されたり、「にんげん」実践研修会への参加強要など、「にんげん」を使わなければ同和教育でないといった雰囲気が教育現場に持ち込まれたりしています。そして一般校の二倍を超える教員が同和校に配置されるといった同和加配が続けられています。これらは、一民間運動団体にすぎない「解同」にゆ着した大阪府・市や教育委員会が、その運動を強引に教育現場に持ち込んできたことによるものです。

 今回の部会報告書と意見具申は、こうした「解同」の暴力的な「確認・糾弾行為」や教育介入などが同和問題の解決を阻害していると指摘しており、大阪府・市や教育委員会など行政当局は改めてきびしい反省を求あられています。

 ところが大阪府教委は、この二つの文書の趣旨にまったく逆行し、偏向同和教育をさらにすすめる「大阪府同和教育基本計画」なるものを策定しました。

 大教組は、このような状況をふまえ、自主的民主的な同和教育の真の発展を願う立場から、これらの文書に対する基本的な見解を明らかにし、職場での討議を要請するものです。

一、地対協報告書・意見具申の意義

 報告書と意見具申は、幾つかの弱点を含みながらも、全体としてみれば、部落問題の真の解決を求める民主勢力の運動や、同和行政の公正民主化を願う広範な国民世論を反映した内容となっています。
差別は解決の方向に向かっている

 意見具申は部会報告書を踏まえ、今日、部落の生活環境や住民の生活実態が著しく改善された結果、「同和地区と一般地域との格差は、平均的にみれば相当程度是正された」と指摘。心理的差別についても「その解消が進んできている」としています。

 例えば、法律が制定施行されて以来十七年間に政府が投入した同和対策事業費は二兆六千億円、大阪府下では一兆二千億円にのぼっています。この結果、例えば住居の広さや畳数は全国水準とほぼ同等、高校進学率は三〇%台であったのが八八%台にまで飛躍的に向上してきています。地区外住民との婚姻は今では六割強にのぼっています。これは、憲法施行後の四十年の間に、基本的人権を守り発展させる労働者。民主勢力、国民のたたかいが紆余曲折や不十分さを含みながらも前進し、この力と、部落内外の民主勢力の差別解消をめざすたたかいによって、部落差別が解決の方向に向かっていることを示すものです。

 「差別は拡大再生産している」として同和行政を肥大化させてきた「解同」の主張が、こうした成果や実態には目を向けず、同和対策事業を半永久的に続けさせて利権あさりを「拡大再生産」しようとする虚構でしかないことを、報告書と意見具申は実証しています。

同和問題解決の基礎条件

 同和問題の解決を阻害している要因を具体的に指摘した報告書にもとついて、意見具申は「これまでの行政機関の姿勢や民間運動団体の行動形態等に起因する新しい諸問題」が「同和問題の解決を困難にし、複雑にしている」として、同和問題解決の今日的課題を幾つか指摘しています。

①「確認・糾弾行為」は、自由な意見交換を阻害する

 報告書と意見具申は、同和問題をタブー視することなく、自由に意見を公表し討論することが、同和問題解決の前提条件であることを明らかにしています。そして、それを阻害する大きな要因に「民間運動団体」の基本的人権を無視した「確認・糾弾行為」があると指摘しています。ここでいう「民間運動団体」が部落解放同盟をさしていることは言うまでもありません。

 報告書は、「民間運動団体の確認・糾弾という激しい行動形態が、国民に同和問題はこわい問題、面倒な問題であるとの意識を植え付け」、行政機関や新聞社、放送局、出版社等、ジャーナリズムなども、「確認・糾弾」を恐れて自由な発言や広報活動を行っていないと指摘し、「同和問題について自由な意見交換のできる環境づくり」を提言しています。

②「糾弾権」を明確に否定

 報告書は、「本来的には、何が差別かというのは、一義的かつ明確に判断することは難しいことである。民間運動団体が特定の主観的立場から、恣意的にその判断を行うことは、異なった意見を封ずる手段として利用され、結果として、異なった理論や思想を持つ人々の存在さえも許さないという独善的で閉鎖的な状況を招来しかねない」としています。

 これは、「矢田事件」にみられるように、大阪市教組東南支部の組合役員選挙で組合員に訴えた木下浄教諭の「あいさつ」を「差別だ」と断定して以来、数々の蛮行を重ね、人々の思想・信条の自由を侵害してきた「解同」の行為を明確に否定しているものです。

 また、さらに報告書は、「基本的人権の保障を柱とする現憲法下において」は、「確認・糾弾行為については、当然見直されねばならない」としています。

 これは、かりに差別があっても、差別が基本的人権を侵し、民主主義に背くものであることを国民相互の自由で自主的で民主的な批判と自己批判によって、理解しあい、納得しあい、合意することで解決すべきものであり、そのような国民のなかでの民主主義の成長にゆだねる条件を現憲法が持っているとする立場です。

 この立場から、「解同」に差別の「審判権」があるとする考えがきっぱりと否定されています。

 また「糾弾権が存在するとの主張が一部に見られるが」「糾弾権の根拠となる法律がないことは言うまでもな」く、「判例においてもそのような権利は認められていない」と、「糾弾権」そのものが否定されています。

 ところが「糾弾権」を「天賦の人権」などと暴言する「解同」幹部は、これまでにも何かにつけて「差別だ」と決めつけ暴力的な「確認・糾弾」を繰り返してきました。大阪市では、一昨年美津島中学校での「差別」事件にかかわって「確認・糾弾会」が組織されましたが、大阪市教組北大阪支部や教職員、民主勢力のたたかいで、確認会への参加は「教職員の自主的判断」との市教委答弁を引き出しています。

 報告書はこの点について、「確認・糾弾行為は、被害者集団による一種の自力救済的かつ私的裁判的行為であるから、被糾弾者が当然にこれに服すべき義務を有するものではない」、「確認。糾弾」の「場に出るか否かはあくまでも本人の自由意思によるべきことは当然」、「確認・糾弾行為は、被害者集団によって行われるため、被糾弾者の自由意思に基づいて行われるものであっても、勢いの赴くまま、行き過ぎたものとなる可能性がある」、「糾弾会への出席が、民間運動団体の直接の圧力によって余儀なくされる場合もあり、真に自由意思に基づくものかどうか疑わしい場合もあろう」など、大教組や民主勢力がこれまで指摘してきた「解同」の「糾弾」の不当性を詳細に追及しています。

③「解同」の学校教育への介入を許さず

 意見具申は、「解同」が「教育の場に介入し、同和教育にゆがみをもたらしている」と厳しく批判、同和教育の推進に当たっては、教育と運動を区別し、教育の自主性が守られなければならないと指摘しています。

 これはすでに大教組の運動方針などでも明らかにされてきたところであり、政府の一機関でさえこれを見過ごすことはできないことを明確にあらわしています。

 「部落民以外は差別者」などという対立と分断をあおる偏った「解放教育」を、「にんげん」のおしつけや研修会への参加強要などといったかたちで学校教育へ持ち込んだり、解放教育映画「人間の街」を行政機関を使って上映しこれに動員させるなど、「解同」と行政による教育への介入は、とりわけ大阪では目にあまるものがあります。最近でも例えば大東市で、一連の「差別事象」を口実に「解同」が市教委を屈服させて学校教育に介入し、その中で教職員が殴打されるといった事態が生じています。

 また、子どもたちの発達段階を無視して、いたいけな子どもたちにゼッケンをつけさせてビラまきやデモ、同盟休校までさせてきた「解同」の乱暴なやり方についても、意見具申は「児童生徒の発達段階に応じて無理なく行われる」ことが重要であるとして、批判しています。

 「教育は不当な支配に服することなく」と定めた教育基本法*1にも反するこうした介入に対し、報告書は「行政機関は毅然たる姿勢で臨むこと」と反省を迫っています。

④「解同」による同和行政の私物化を許さず、行政は主体性を発揮せよ

 報告書は、「同和教育を口実にして利権を得る、いわゆるえせ同和行為等」が部落問題の解決に逆行していることに言及しています。  解放会館など「公的施設の運営が特定の民間運動団体に独占的に利用されている例」や「解同」に「加入していない同和関係者の施策の適用が結果として排除されるという例」などは大阪では枚挙にいとまがありません。こうした「解同」幹部による同和事業の私物化や、さらに「同和建設協会」業者による入札の独占などといった利権あさりも、府民の怒りをかっています。

 これらはみな民主勢力が一貫して指摘し批判してきたものであり、意見具申でも、その解消のために行政機関が「主体性を保持し、き然として地域改善対策等の適正な執行を行わなければならない」と指摘しています。

今後の同和行政のあり方

①「差別の法規制」=「興信所条例」を否定

 報告書は、差別行為を法律で規制すべきであるとする「解同」の主張について、大阪府の「興信所条例」を名指しであげてこれを批判しています。「興信所条例」は「解同」の強い要求のもとに岸府政が多くの反対を押し切り、八五年三月に制定したもので、こうした差別行為に刑罰を課することは、差別の解消どころか「差別意識の潜在化・固定化につながりかねない」と指摘しています。これは、「差別の法規制」を柱とする「部落解放基本法」制定の策動をもきびしく批判するものです。権力などが行う差別は別として一般の人々のなかでの部落差別行為の解決のみちすじは、法律で罰するのでなく、人々の批判と討論を経て、基本的人権への理解と自覚をつくり上げることこそ本道であり、あくまで民主的に解決されていくべきものです。

②住民の自立を促すことが基本

 意見具申は、これまでの同和行政が同和関係者の自立を軽視してきたことについて触れ、今後は住民の自立を基本にすすめるべきであると指摘。そのため、行きすぎた同和行政を改め、一般行政に移行することを提言しています。

 不公正乱脈の同和行政は、部落住民の自立を遅らせるだけでなく、部落外の人々から「逆差別」との批判をかい、部落内外の国民の融合を阻害するものでしかありません。部落問題の真の解決は、同じ国民として部落民であるかないかがわからなくなり、それを問うこともしなくなる融合が遂げられた時をいいます。同和行政の肥大化・永久化はかえって部落の内と外に垣根をつくるものであり、解決の方向に逆行するものです。

③ 残事業を達成するための時限立法

 法律が制定施行されて以来、同和事業は大きく前進してきましたが、なお幾らかの必要な事業が残されたままになっています。しかし、地対法失効後はこれをやりとげる法的保障はありません。

 意見具申は、新たにこの点について、新規の時限法をつくることを提言しています。これは、真に必要な残事業を達成して一般行政へ移行準備するための五年期限の新しい法律をつくることを提案してきた全解連などの主張を反映したものといえます。また、これは、「解同」のいう「部落解放基本法」のような永続法をきっぱりと否定するものです。

二、報告書・意見具申の弱点と今後の課題

 ところで、部会報告書は以上のような積極面・前進面を持ちつつも、なお幾つかの弱点を残しています。

① 上からの同和教育のおしつけ

 第一に、報告書・意見具申は、同和行政是正の具体化を怠ってきた政府の責任を追及していません。一方で、啓発活動や同和行政の推進に当たっては「国のリーダーシップが重要」とか「国は、積極的な助言、指導を行うべきである」として、上からのおしつけを強化しようとしています。これでは同和教育の徳目化や政府作成の「道徳」の一方的なおしつけをすすめることになり、国民が主体となった真の啓発はのぞめません。

②「公益法人」の設立

 また、「一つの方法」として、「国を始め、都道府県、市町村等が参画した公益法人」を設立し、その法人が調査研究、研修等の事業をすすめるという案を示しています。しかし、大阪で顕著なように、府同和事業促進協議会(府同促)や部落解放研究所など「解同」の息のかかった「公益法人」を乱立して同和行政をすすめてきたことが、今日の不公正乱脈ぶりを助長し、「解同」と行政のゆ着をすすめてきたことは明らかです。「公益法人」設立を促すことは、大阪では、「解同」と行政のゆ着を免罪することに利用される危険性を持っています。

③ 残事業達成め財政的保障が不明確

 また、残された事業を推進するうえで、政府予算による財政的保障が重要です。しかし、軍拡と臨調「行革」路線の強行のもとで、岬その保障が十分に措置されない可能性をはらんでいます。これに対するとりくみが必要となっています。
報告書・意見具申の積極面を活用し、分会・職場での学習・討論を

 一方、地域改善対策特別措置法(地対法)の期限切れを八七年三月にひかえて、「部落解放基本法」制定の策動が「解同」と行政ゆ着のもとですすめられています。これは、部落差別の固定化と同和を口実にした利権あさりの半永久化をねらうものです。

 また、こうした動きと呼応して、大阪府は「基本法」の”教育版”といえる「大阪府同和教育基本計画」なるものを八月二日策定しました。

 「解同」とそれにゆ着した行政を真正面から批判した政府機関の報告書と意見具申が出されたことであせりを感じる「解同」と大阪府・市は、必死の巻き返しをはかろうとしています。こうした動きの中で、報告書の前進面を積極的に活用し、すべての分会・職場から学習と討論をすすめ、同和行政の歪みを正していく運動を発展させることが、いま求められています。

三、地対協報告書・意見具申に逆行する「大阪府同和教育基本計画」

 地対協部会報告書の発表と前後して、大阪府は「府同和教育基本計画」なるものを同対審総会において策定報告しました。

 国民的批判によって、暴力による糾弾は全国的には少なくなっているにもかかわらず、大阪では依然として「確認・糾弾行為」があとを断ちません。これは、大阪では岸府政のもとで行政によるてこ入れが、例えば同和研修や同和加配、「にんげん」おしつけなどといったかたちで続けられているからにほかなりません。

 こうした偏向した同和教育行政は、「同和教育基本方針」や「同和教育具体的施策」をたてにして行われてきたものですが、今回の「基本計画」はこれを受け継ぎ「追加・補充」するもので、昭和六五年度まで継続させることが明記されています。これは地対法期限切れを前に、岸府政が「解同」と一体になって画策したものであることは明らかです。そして、「部落民以外は差別者」などという対立と分断をあおる「部落排外主義」を持ち込むことによって府民・教職員の団結を崩し、分断して管理・支配していく道具にしようとするものにほかなりません。

 「基本計画」は、とりわけ次のような重大な問題を持っています。

① 偏向した「同和教育」おしつけの拡大

 「基本計画」は、これまで「大阪府同和教育基本方針」によって主に義務教育を対象としていたものを、就学前・高校・私学・大学・社会教育と、教育のあらゆる分野にまで偏向した同和教育行政をひろげています。これは、対立と分断をあおる偏向教育で府民の意識を生涯にわたって染め上げようとするものです。

 そして「にんげん」おしつけ強化や、これまで三五人基準であった同和校の学級編制をさらに「原則として三〇~三五人」として加配を強化するなど、一般校の四〇人学級早期完全実施を求める府民の切実な願いには背を向けた反府民的なものとなっています。

② 誤った教育目標のおしつけ

 「基本計画」は、「差別をしない、差別を許さない実践力」を児童・生徒に身につけさせるなどとしています。しかし、これは偏向した同和教育の目標です。

 なぜならこの課題は一人前の大人、社会人に求められる目標です。しかし、学校教育の中で追求されるべき同和教育の正しい目標は、子どもたちが、基本的人権尊重の認識を身につけることです。つまり、人間同士がお互いに相手の人格を尊重しあうことの大事さをわかるように教育することです。そしてこうした教育の結果、差別したりそれを許すことが誤りであることを自覚できる大人に成長することをめざすものです。

 「基本計画」の同和教育目標は、一人前の大人に求めるべきことを、未熟な子どもたちに要求するものであり、また、この目標を課題としている特定団体の運動に教育を従属させる目標設定です。また、このような目標は、子どもたちが差別することが誤りであることを理解し、納得し、自覚にまで高めるのを助ける教育としての目標でないため、「徳目」をおしつける「同和道徳」ともいうべき、誤った教育活動におちいる危険性をもつものです。

 このような偏向した目標のために、子どもたちの間に、「差別者」と「被差別者」をつくり出し、友情や連帯を破壊することになったり、子どもや教職員を追及し、糾弾することが、数多く起こって、学校らしい自由な雰囲気がそこなわれてきました。これが教育荒廃をひろげる重大な要因の一つになってきたことは言うまでもありません。

③「プロジェクトチーム」の設置

 これまで大阪でしばしば、児童・生徒の落書きや発言を「差別」と決めつけ、その「採用」や「保存」をさせて、それをもとに「確認・糾弾」を行うなどといったやり方で「解同」の不当な教育介入がすすあられてきました。「基本計画」は、これをあらたに「教育にかかわる差別事象プロジェクトチーム」なるものをつくっておしすすめるとしています。これは「解同」や行政の教育介入を合法化するもので、教育基本法や地対協報告書・意見具申に逆行するばかりか、「差別」狩りや「差別」のあらさがしが新たな教育荒廃をもたらすという意味でも、重大な問題をはらんでいるものです。

④ 教職員への統制・抑圧の強化

 「基本計画」は、「教職員の資質の向上」と称して、各分野ごとの「同和教育研修講座」や「校内研修」の「充実」をはかるとしています。これは「教員の資質向上」などといって上から研修を強化し、「もの言わぬ教師づくり」をすすめようとする教育臨調のねらいと軌を一にするものです。今回の「基本計画」策定は、中曽根自民党政治による教育臨調攻撃が、大阪では同和教育を利用しこれをてこにしてすすめられようとしていることを明確にあらわしています。

⑤ 「解同」との一体化の推進

 同和事業の独占的管理をすすめる役割をになってきた財団法人大阪府同和事業促進協議会(府同促)や、「解放教育」をイデオロギー的に補強する役割を果たしてきた部落解放研究所が、大阪における「解同」ゆ着の偏向同和行政をさまざま支えてきた問題点はこれまで何度も指摘されてきた通りです。にもかかわらず「基本計画」は、これらとの「連携」をさらに強めることを明記しています。これは、政府機関でさえ言わざるをえなくなってきた「民間運動団体」とのゆ着、「行政の主体性の欠如」をいっそう推進させようというもので、地対協報告書・意見具申と国民の世論に真っ向から対立するものです。

憲法・教育基本法にそった教育行政を

 「解同」に追随・屈服し、いいなりになって現場の教師を強制配転した「矢田事件」に対し、最高裁は十月十六日、大阪市教委をきびしく断罪する決定を行いました。事件発生以来十七年ぶりの教師側の全面勝訴は、「解同」の無法とこれに追随しながら教職員への統制・支配にこれらを利用してきた大阪市教委に鉄槌を下すものです。

 また「解同」の暴力とたたかった教師を転任処分にするという「吹田二中事件」では、最高裁は十月二十三日、不当処分を容認する決定を行いながらも、「解同」の蛮行を許した吹田市教委の姿勢については批判せざるを得ませんでした。

 「解同」とそれとゆ着した行政による不当な教育介入の排除を強く求める声は、今や政府機関や最高裁においてさえ無視できないものとなってきています。

 大教組はすでに、運動方針などで、教育への不当な介入を批判し、自主的民主的な同和教育を推進することをよびかけています。本来、同和教育とは、①基本的人権の尊重の認識を身につせさせる、②永年の部落差別のもとで生じている教育条件の格差を是正する、という二点に要約されるもので、これは民主教育の目標そのものです。同和教育を民主教育の一部として位置付け、偏向教育目標ときっぱり手を切り、憲法・教育基本法にそった自主的な教育目標をつくることが大切です。そのためにも、「解同」の無法と不公正乱脈の同和行政を一刻も早く改めさせ、自由にものが言える条件づくりを、広範な父母・府民と一つになってすすめていく取り組みが、いま強く求められています。

*1 この文で教育基本法とは1947年制定の教育基本法のことを言う