大阪市同和教育基本方針

第1ボタンのかけまちがい

 大阪市同和教育基本方針 「教育の中立性確保」を削除 「地域との連携」と差し替え

(柏木功 2006年)

 飛鳥会事件など同和対策事業をめぐる利権や行政との関係がようやく報道されるようになった。教育委員会も副読本「にんげん」や図書を一括買い上げし学校へ押しつけてきた。そのルーツは1966年の「大阪市同和教育基本方針」にある。

 大阪市教育委員会は、同和対策審議会答申の翌年、1966年に同和教育基本方針の制定に着手した。

 その理由は(1)同対審答申に示された「指導方針の確立」 (2)部落解放運動をすすめる人々から求められた (3)全同教大会が大阪で開催その影響などがあるとする(教育センターの研究紀要参照)。市教委に「同和教育企画委員会」が設置され基本方針の草案が検討された。

 6月の第1次草案では、最後に「教育の中立性」について3行書かれていたようだ。

 7月2日の第2次草案でも「教育の中立性」は書き込まれていた。これに対して「市民的権利は…たたかってえたものである。教育の中立論は分断させるもの」という主張が出された。

 21日の第3次草案では「教育の中立性」云々は削除され「地域関係諸機関ならびに諸団体との連絡を密に」と改められた。

 11月18日制定された基本方針では「連絡を密に」が「連携を密に」とさらに変えられた。

 同対審答申にも書かれ、以後の国の文書でも必ず「教育の中立性確保」が書かれているにもかかわらず、大阪市では「同和教育基本方針」策定の段階で、「教育の中立性」が削除され地域諸団体との「連携を密に」と書き込まれた。

 第1ボタンのかけ間違いである。それが何をもたらしたか、教育委員会所管の解放会館館長と当時の解同飛鳥支部長小西被告との関係がよくしめしている。

 今日においても、校区に解放同盟支部がある学校に転勤した教員は「新転任同和研修」として解放会館(今は「人権文化センター」)へ研修に行かされているのではないだろうか。


大阪市同和教育基本方針

昭和41年(1966年)11月

 日本国憲法においては、すべて国民は法の下に平等であり、その基本的人権はなにびとも侵すことのできない権利として保障されているにもかかわらず、同和地区においては今日なお社会的・経済的・文化的に低位性をよぎなくされ、現代社会の不合理と矛盾を集中的にうけ、差別はなお解消さていない。

 とくに大阪市では人口の移動・戦災・疎開・都市計画にもとづく地域の変ぼうなどにより、同和地区の不明確化とスラム化の傾向がみられ、いわゆる都市部落の特徴を呈し、問題の解決をいっそう複雑にしている。

 部落の解放については、今なお一部ではことなかれ主義の意見もあとをたたず、融和主義や同情主義も根づよく残っている。このような表面的・現象的な認識では、現に存在するきびしい部落差別の解消は期しがたい。

 部落差別の解消はすべての国民がこの差別の実態を直視して部落問題を正しく認識し、民主主義をより具体的に実現する願いを基調として積極的にこれととりくみ、あらゆる力の結集・統合の上で実現するものであるが、その根本においては教育の力にまつべきところが多い。

 同和教育の本質は、今なお部落差別の存在することの不合理を知らせ、人間尊重の自覚を高め、不合理な差別を排除する精神をつちかうことにある。とくに同和地区の児童・生徒に対しては、学力の向上をはかり、人権の自覚を高め、いささか の差別をも許さず、差別を克服し、民主社会の一員としてその責務をじゅうぶん果たし得る人間を育成しなければならない。

1.日本国憲法・教育基本法ならびこ児童憲章の精神にのっとり、同和教育をすべての学校・幼稚園および地域社会において国民の責務として積極的に実践展開する。

2.学校教育では、児童・生徒の発達段階を考え、地域の実情に即しながら適切な指導方針を確立し、これを積極的・具体的に展開して同和教育本来の目的達成につとめる。

3.同和地区の子どもは、不就学・長欠・年少労働などの悪条件のもとにおかれ、学習意欲は低く学力などにおいてその発達がじゅうぶんでないきらいがある。この実態の上にたち、教育諸条件の整備をはかり、ひとりひとりの児童・生徒をみつめて、かれらのもつ可能性を最夫限にのばすように努めるとともに、進路指導をいっそう積極的におこなう。

4.部落の現実の問題を適確に把握し、その問題点を解決するため社会教育においては、さらに諸条件の整備をはかり、きびしい生活現実に対し積極的にとりくむ自主的・組織的教育活動の醸成につとめる。

5.同和教育の成果は、指導者の部落問題に対する正しい認識と理解・人間尊重の信念と情熱に負うところが少なくない。したがって指導者の育成とその資質の向上に努力する。

 本方針実施にあたっては、学校教育・社会教育の有機的な連携をはからなければならないことはいうまでもないが、さらに地域関係機関ならびに諸団体との連携を密にし、各種行政と相まってその実をあげることを期するものである。

地対協基本問題検討部会報告について

地対協基本問題検討部会報告について

1986年8月10日
 全国部落解放運動連合会

 総務庁の地域改善対策協議会基本問題検討部会は、八月五日の総会で、「部会報告書」を発表しました。

 この報告書は、地対協が一昨年六月に行なった「意見具申」の精神をうけつぎ、その論点をより鮮明にしたものであるとともに、全解連が昨年九月に発表した「地対法後の同和行政のあり方についての全解連の見解」(以下、全解連見解)の主旨を反映したものであるところに意義があります。

 その内容の特徴点は次の通りです。

 第一に、部会報告は、これまで同和行政のより処とされてきた同対審答申について、その後の同和地区の実態の改善や同対審答申では触れられていなかった新たな問題の発生等を検討し、「この答申を現在においても絶対視して、その一言一句にこだわる硬直的な傾向のみられる」ことを戒め、「改めて二十余年という時の光に照してその意義を認識していく必要がある」と述べています。

 これは、「解同」の「部落解放基本法」制定の要求に対して「これらの要求の特徴は、同和対策事業十六年間の功罪を不問に付し、総括をぬきにするとともに、部落の現状認識を恣意的に解釈しようとするものであって、到底国民の合意が得られるものでない」と批判している「全解連見解」と同じく、科学的・実証的な立場で今日の問題を論じようとするものであるところに価値があります。

 第二に、部会報告は、今日における「同和問題解決の基礎的条件」として、「同和関係者の自立、向上を阻害し、また、同和問題の国民的理解を妨げている諸要因の解消」をあげています。そしてその要因として、①非合理的な偏見の残滓②部落内外の交流の不足③運動団体の行きすぎた活動④行政の主体性の欠如⑤えせ同和行為の横行等を指摘するとともに、その是正の重要性を強調しています。これ等はみな、「全解運見解」の中で逐一克明にしているところです。

 第三に、部会報告は、部落住民の自立のためには、「同和関係者自らが自立、向上の意欲を持ち、自主的な努力を行うことが不可欠である」と述べるとともに、この「同和関係者の自主的な努力を支援し、その自立を促すこと」が行政の果すべき基本的な役割であるとし地域改善対策事業等は、当然この住民の「自立に寄与するものでなければならない」と、その役割を明確にした上で、「合理性が疑問視される給付や特例」の見直しを提起しています。

 これは、「自立こそ部落解放への橋渡しである」とし、そのために意欲・情熱・展望・勇気を持ってとり組むこと、不公正乱脈な同和行政の是正を要求している全解連の主張と一致するものです。

 第四に、部会報告は、えせ同和行為の横行を国民の理解を妨げる大きな要因とするとともに、民間運動団体の確認・糾弾という誤った行動の是正を求めています。しかも「解同」等の確認・糾弾は、法律や判例に照して「他人に何らかの義務を課する」根拠のないことを明らかにし、その存在意義を否定する立場を明確にしています。さらに差別行為の法規制問題について、政策論・法律論を展開してこれを退けていることはさきの地対協意見具申から見て、前進的なものとして評価されます。

 第五に、部会報告は、地対法後の同和行政について、原則的には一般行政への移行をめざしながらも、「真に必要なものは地対法失効後においても実施して行く必要がある」とし、これは、「事業の完了と自立・融含をめざす新たな時限立法」の制定を要求している「全解連見解」を反映したものであるところに積極的な意義がうかがえます。

 しかしこの部会報告は①真に必要な事業や、同和関係者の自立、向上という内容が明確にされていないこと②今日のように政治反動が強化されている下で、自立の条件の後退や事業の打ち切り、引き下げ等の危険のあることについて論外におしやっていること③同和行政の見直しや是正についても、行政責務として具体化し、どう実行するかが明確でなく、過去の例のように空念仏に終る危惧があること等、他にも問題があることは否定できません。

 私たち全解連にとって民主勢力とともに、この報告書の前進面を拡め定着させるとともに、その弱点を克服して民主主義と部落解放の前進をかちとるために、主体的な取りくみをすることが今後の課題です。

地対協「報告書」「意見具申」の評価と「大阪府同和教育基本計画」批判

同和教育の民主的前進のために

地対協「報告書」・「意見具申」の評価と「大阪府同和教育基本計画」批判について

大阪教職員組合 教育文化部

討議資料 「大阪教育」号外 1987年2月10日

はじめに

 部落解放同盟(「解同」)やそれにゆ着した行政による教育への介入をきびしく批判する政府機関の報告書と意見具申が出されました。総務庁の諮問機関である地域改善対策協議会(地対協)が、八月五日に発表した「基本問題検討部会報告書」とそれを踏まえて十二月十一日に政府に提出した「今後における地域改善対策について(意見具申)」がそれです。これらは、公正民主の同和教育行政を求める国民世論を反映したもので、大阪府・市政や教育委員会に痛打を与えるものです。

 大阪では依然として、児童・生徒の主として未熟さや不十分さからくる言動を「差別だ」と決めつけて、子どもや親、教師を糾弾したり暴力をふるうといった事件があとをたちません。また、解放教育副読本「にんげん」の配布が強制されたり、「にんげん」実践研修会への参加強要など、「にんげん」を使わなければ同和教育でないといった雰囲気が教育現場に持ち込まれたりしています。そして一般校の二倍を超える教員が同和校に配置されるといった同和加配が続けられています。これらは、一民間運動団体にすぎない「解同」にゆ着した大阪府・市や教育委員会が、その運動を強引に教育現場に持ち込んできたことによるものです。

 今回の部会報告書と意見具申は、こうした「解同」の暴力的な「確認・糾弾行為」や教育介入などが同和問題の解決を阻害していると指摘しており、大阪府・市や教育委員会など行政当局は改めてきびしい反省を求あられています。

 ところが大阪府教委は、この二つの文書の趣旨にまったく逆行し、偏向同和教育をさらにすすめる「大阪府同和教育基本計画」なるものを策定しました。

 大教組は、このような状況をふまえ、自主的民主的な同和教育の真の発展を願う立場から、これらの文書に対する基本的な見解を明らかにし、職場での討議を要請するものです。

一、地対協報告書・意見具申の意義

 報告書と意見具申は、幾つかの弱点を含みながらも、全体としてみれば、部落問題の真の解決を求める民主勢力の運動や、同和行政の公正民主化を願う広範な国民世論を反映した内容となっています。
差別は解決の方向に向かっている

 意見具申は部会報告書を踏まえ、今日、部落の生活環境や住民の生活実態が著しく改善された結果、「同和地区と一般地域との格差は、平均的にみれば相当程度是正された」と指摘。心理的差別についても「その解消が進んできている」としています。

 例えば、法律が制定施行されて以来十七年間に政府が投入した同和対策事業費は二兆六千億円、大阪府下では一兆二千億円にのぼっています。この結果、例えば住居の広さや畳数は全国水準とほぼ同等、高校進学率は三〇%台であったのが八八%台にまで飛躍的に向上してきています。地区外住民との婚姻は今では六割強にのぼっています。これは、憲法施行後の四十年の間に、基本的人権を守り発展させる労働者。民主勢力、国民のたたかいが紆余曲折や不十分さを含みながらも前進し、この力と、部落内外の民主勢力の差別解消をめざすたたかいによって、部落差別が解決の方向に向かっていることを示すものです。

 「差別は拡大再生産している」として同和行政を肥大化させてきた「解同」の主張が、こうした成果や実態には目を向けず、同和対策事業を半永久的に続けさせて利権あさりを「拡大再生産」しようとする虚構でしかないことを、報告書と意見具申は実証しています。

同和問題解決の基礎条件

 同和問題の解決を阻害している要因を具体的に指摘した報告書にもとついて、意見具申は「これまでの行政機関の姿勢や民間運動団体の行動形態等に起因する新しい諸問題」が「同和問題の解決を困難にし、複雑にしている」として、同和問題解決の今日的課題を幾つか指摘しています。

①「確認・糾弾行為」は、自由な意見交換を阻害する

 報告書と意見具申は、同和問題をタブー視することなく、自由に意見を公表し討論することが、同和問題解決の前提条件であることを明らかにしています。そして、それを阻害する大きな要因に「民間運動団体」の基本的人権を無視した「確認・糾弾行為」があると指摘しています。ここでいう「民間運動団体」が部落解放同盟をさしていることは言うまでもありません。

 報告書は、「民間運動団体の確認・糾弾という激しい行動形態が、国民に同和問題はこわい問題、面倒な問題であるとの意識を植え付け」、行政機関や新聞社、放送局、出版社等、ジャーナリズムなども、「確認・糾弾」を恐れて自由な発言や広報活動を行っていないと指摘し、「同和問題について自由な意見交換のできる環境づくり」を提言しています。

②「糾弾権」を明確に否定

 報告書は、「本来的には、何が差別かというのは、一義的かつ明確に判断することは難しいことである。民間運動団体が特定の主観的立場から、恣意的にその判断を行うことは、異なった意見を封ずる手段として利用され、結果として、異なった理論や思想を持つ人々の存在さえも許さないという独善的で閉鎖的な状況を招来しかねない」としています。

 これは、「矢田事件」にみられるように、大阪市教組東南支部の組合役員選挙で組合員に訴えた木下浄教諭の「あいさつ」を「差別だ」と断定して以来、数々の蛮行を重ね、人々の思想・信条の自由を侵害してきた「解同」の行為を明確に否定しているものです。

 また、さらに報告書は、「基本的人権の保障を柱とする現憲法下において」は、「確認・糾弾行為については、当然見直されねばならない」としています。

 これは、かりに差別があっても、差別が基本的人権を侵し、民主主義に背くものであることを国民相互の自由で自主的で民主的な批判と自己批判によって、理解しあい、納得しあい、合意することで解決すべきものであり、そのような国民のなかでの民主主義の成長にゆだねる条件を現憲法が持っているとする立場です。

 この立場から、「解同」に差別の「審判権」があるとする考えがきっぱりと否定されています。

 また「糾弾権が存在するとの主張が一部に見られるが」「糾弾権の根拠となる法律がないことは言うまでもな」く、「判例においてもそのような権利は認められていない」と、「糾弾権」そのものが否定されています。

 ところが「糾弾権」を「天賦の人権」などと暴言する「解同」幹部は、これまでにも何かにつけて「差別だ」と決めつけ暴力的な「確認・糾弾」を繰り返してきました。大阪市では、一昨年美津島中学校での「差別」事件にかかわって「確認・糾弾会」が組織されましたが、大阪市教組北大阪支部や教職員、民主勢力のたたかいで、確認会への参加は「教職員の自主的判断」との市教委答弁を引き出しています。

 報告書はこの点について、「確認・糾弾行為は、被害者集団による一種の自力救済的かつ私的裁判的行為であるから、被糾弾者が当然にこれに服すべき義務を有するものではない」、「確認。糾弾」の「場に出るか否かはあくまでも本人の自由意思によるべきことは当然」、「確認・糾弾行為は、被害者集団によって行われるため、被糾弾者の自由意思に基づいて行われるものであっても、勢いの赴くまま、行き過ぎたものとなる可能性がある」、「糾弾会への出席が、民間運動団体の直接の圧力によって余儀なくされる場合もあり、真に自由意思に基づくものかどうか疑わしい場合もあろう」など、大教組や民主勢力がこれまで指摘してきた「解同」の「糾弾」の不当性を詳細に追及しています。

③「解同」の学校教育への介入を許さず

 意見具申は、「解同」が「教育の場に介入し、同和教育にゆがみをもたらしている」と厳しく批判、同和教育の推進に当たっては、教育と運動を区別し、教育の自主性が守られなければならないと指摘しています。

 これはすでに大教組の運動方針などでも明らかにされてきたところであり、政府の一機関でさえこれを見過ごすことはできないことを明確にあらわしています。

 「部落民以外は差別者」などという対立と分断をあおる偏った「解放教育」を、「にんげん」のおしつけや研修会への参加強要などといったかたちで学校教育へ持ち込んだり、解放教育映画「人間の街」を行政機関を使って上映しこれに動員させるなど、「解同」と行政による教育への介入は、とりわけ大阪では目にあまるものがあります。最近でも例えば大東市で、一連の「差別事象」を口実に「解同」が市教委を屈服させて学校教育に介入し、その中で教職員が殴打されるといった事態が生じています。

 また、子どもたちの発達段階を無視して、いたいけな子どもたちにゼッケンをつけさせてビラまきやデモ、同盟休校までさせてきた「解同」の乱暴なやり方についても、意見具申は「児童生徒の発達段階に応じて無理なく行われる」ことが重要であるとして、批判しています。

 「教育は不当な支配に服することなく」と定めた教育基本法*1にも反するこうした介入に対し、報告書は「行政機関は毅然たる姿勢で臨むこと」と反省を迫っています。

④「解同」による同和行政の私物化を許さず、行政は主体性を発揮せよ

 報告書は、「同和教育を口実にして利権を得る、いわゆるえせ同和行為等」が部落問題の解決に逆行していることに言及しています。  解放会館など「公的施設の運営が特定の民間運動団体に独占的に利用されている例」や「解同」に「加入していない同和関係者の施策の適用が結果として排除されるという例」などは大阪では枚挙にいとまがありません。こうした「解同」幹部による同和事業の私物化や、さらに「同和建設協会」業者による入札の独占などといった利権あさりも、府民の怒りをかっています。

 これらはみな民主勢力が一貫して指摘し批判してきたものであり、意見具申でも、その解消のために行政機関が「主体性を保持し、き然として地域改善対策等の適正な執行を行わなければならない」と指摘しています。

今後の同和行政のあり方

①「差別の法規制」=「興信所条例」を否定

 報告書は、差別行為を法律で規制すべきであるとする「解同」の主張について、大阪府の「興信所条例」を名指しであげてこれを批判しています。「興信所条例」は「解同」の強い要求のもとに岸府政が多くの反対を押し切り、八五年三月に制定したもので、こうした差別行為に刑罰を課することは、差別の解消どころか「差別意識の潜在化・固定化につながりかねない」と指摘しています。これは、「差別の法規制」を柱とする「部落解放基本法」制定の策動をもきびしく批判するものです。権力などが行う差別は別として一般の人々のなかでの部落差別行為の解決のみちすじは、法律で罰するのでなく、人々の批判と討論を経て、基本的人権への理解と自覚をつくり上げることこそ本道であり、あくまで民主的に解決されていくべきものです。

②住民の自立を促すことが基本

 意見具申は、これまでの同和行政が同和関係者の自立を軽視してきたことについて触れ、今後は住民の自立を基本にすすめるべきであると指摘。そのため、行きすぎた同和行政を改め、一般行政に移行することを提言しています。

 不公正乱脈の同和行政は、部落住民の自立を遅らせるだけでなく、部落外の人々から「逆差別」との批判をかい、部落内外の国民の融合を阻害するものでしかありません。部落問題の真の解決は、同じ国民として部落民であるかないかがわからなくなり、それを問うこともしなくなる融合が遂げられた時をいいます。同和行政の肥大化・永久化はかえって部落の内と外に垣根をつくるものであり、解決の方向に逆行するものです。

③ 残事業を達成するための時限立法

 法律が制定施行されて以来、同和事業は大きく前進してきましたが、なお幾らかの必要な事業が残されたままになっています。しかし、地対法失効後はこれをやりとげる法的保障はありません。

 意見具申は、新たにこの点について、新規の時限法をつくることを提言しています。これは、真に必要な残事業を達成して一般行政へ移行準備するための五年期限の新しい法律をつくることを提案してきた全解連などの主張を反映したものといえます。また、これは、「解同」のいう「部落解放基本法」のような永続法をきっぱりと否定するものです。

二、報告書・意見具申の弱点と今後の課題

 ところで、部会報告書は以上のような積極面・前進面を持ちつつも、なお幾つかの弱点を残しています。

① 上からの同和教育のおしつけ

 第一に、報告書・意見具申は、同和行政是正の具体化を怠ってきた政府の責任を追及していません。一方で、啓発活動や同和行政の推進に当たっては「国のリーダーシップが重要」とか「国は、積極的な助言、指導を行うべきである」として、上からのおしつけを強化しようとしています。これでは同和教育の徳目化や政府作成の「道徳」の一方的なおしつけをすすめることになり、国民が主体となった真の啓発はのぞめません。

②「公益法人」の設立

 また、「一つの方法」として、「国を始め、都道府県、市町村等が参画した公益法人」を設立し、その法人が調査研究、研修等の事業をすすめるという案を示しています。しかし、大阪で顕著なように、府同和事業促進協議会(府同促)や部落解放研究所など「解同」の息のかかった「公益法人」を乱立して同和行政をすすめてきたことが、今日の不公正乱脈ぶりを助長し、「解同」と行政のゆ着をすすめてきたことは明らかです。「公益法人」設立を促すことは、大阪では、「解同」と行政のゆ着を免罪することに利用される危険性を持っています。

③ 残事業達成め財政的保障が不明確

 また、残された事業を推進するうえで、政府予算による財政的保障が重要です。しかし、軍拡と臨調「行革」路線の強行のもとで、岬その保障が十分に措置されない可能性をはらんでいます。これに対するとりくみが必要となっています。
報告書・意見具申の積極面を活用し、分会・職場での学習・討論を

 一方、地域改善対策特別措置法(地対法)の期限切れを八七年三月にひかえて、「部落解放基本法」制定の策動が「解同」と行政ゆ着のもとですすめられています。これは、部落差別の固定化と同和を口実にした利権あさりの半永久化をねらうものです。

 また、こうした動きと呼応して、大阪府は「基本法」の”教育版”といえる「大阪府同和教育基本計画」なるものを八月二日策定しました。

 「解同」とそれにゆ着した行政を真正面から批判した政府機関の報告書と意見具申が出されたことであせりを感じる「解同」と大阪府・市は、必死の巻き返しをはかろうとしています。こうした動きの中で、報告書の前進面を積極的に活用し、すべての分会・職場から学習と討論をすすめ、同和行政の歪みを正していく運動を発展させることが、いま求められています。

三、地対協報告書・意見具申に逆行する「大阪府同和教育基本計画」

 地対協部会報告書の発表と前後して、大阪府は「府同和教育基本計画」なるものを同対審総会において策定報告しました。

 国民的批判によって、暴力による糾弾は全国的には少なくなっているにもかかわらず、大阪では依然として「確認・糾弾行為」があとを断ちません。これは、大阪では岸府政のもとで行政によるてこ入れが、例えば同和研修や同和加配、「にんげん」おしつけなどといったかたちで続けられているからにほかなりません。

 こうした偏向した同和教育行政は、「同和教育基本方針」や「同和教育具体的施策」をたてにして行われてきたものですが、今回の「基本計画」はこれを受け継ぎ「追加・補充」するもので、昭和六五年度まで継続させることが明記されています。これは地対法期限切れを前に、岸府政が「解同」と一体になって画策したものであることは明らかです。そして、「部落民以外は差別者」などという対立と分断をあおる「部落排外主義」を持ち込むことによって府民・教職員の団結を崩し、分断して管理・支配していく道具にしようとするものにほかなりません。

 「基本計画」は、とりわけ次のような重大な問題を持っています。

① 偏向した「同和教育」おしつけの拡大

 「基本計画」は、これまで「大阪府同和教育基本方針」によって主に義務教育を対象としていたものを、就学前・高校・私学・大学・社会教育と、教育のあらゆる分野にまで偏向した同和教育行政をひろげています。これは、対立と分断をあおる偏向教育で府民の意識を生涯にわたって染め上げようとするものです。

 そして「にんげん」おしつけ強化や、これまで三五人基準であった同和校の学級編制をさらに「原則として三〇~三五人」として加配を強化するなど、一般校の四〇人学級早期完全実施を求める府民の切実な願いには背を向けた反府民的なものとなっています。

② 誤った教育目標のおしつけ

 「基本計画」は、「差別をしない、差別を許さない実践力」を児童・生徒に身につけさせるなどとしています。しかし、これは偏向した同和教育の目標です。

 なぜならこの課題は一人前の大人、社会人に求められる目標です。しかし、学校教育の中で追求されるべき同和教育の正しい目標は、子どもたちが、基本的人権尊重の認識を身につけることです。つまり、人間同士がお互いに相手の人格を尊重しあうことの大事さをわかるように教育することです。そしてこうした教育の結果、差別したりそれを許すことが誤りであることを自覚できる大人に成長することをめざすものです。

 「基本計画」の同和教育目標は、一人前の大人に求めるべきことを、未熟な子どもたちに要求するものであり、また、この目標を課題としている特定団体の運動に教育を従属させる目標設定です。また、このような目標は、子どもたちが差別することが誤りであることを理解し、納得し、自覚にまで高めるのを助ける教育としての目標でないため、「徳目」をおしつける「同和道徳」ともいうべき、誤った教育活動におちいる危険性をもつものです。

 このような偏向した目標のために、子どもたちの間に、「差別者」と「被差別者」をつくり出し、友情や連帯を破壊することになったり、子どもや教職員を追及し、糾弾することが、数多く起こって、学校らしい自由な雰囲気がそこなわれてきました。これが教育荒廃をひろげる重大な要因の一つになってきたことは言うまでもありません。

③「プロジェクトチーム」の設置

 これまで大阪でしばしば、児童・生徒の落書きや発言を「差別」と決めつけ、その「採用」や「保存」をさせて、それをもとに「確認・糾弾」を行うなどといったやり方で「解同」の不当な教育介入がすすあられてきました。「基本計画」は、これをあらたに「教育にかかわる差別事象プロジェクトチーム」なるものをつくっておしすすめるとしています。これは「解同」や行政の教育介入を合法化するもので、教育基本法や地対協報告書・意見具申に逆行するばかりか、「差別」狩りや「差別」のあらさがしが新たな教育荒廃をもたらすという意味でも、重大な問題をはらんでいるものです。

④ 教職員への統制・抑圧の強化

 「基本計画」は、「教職員の資質の向上」と称して、各分野ごとの「同和教育研修講座」や「校内研修」の「充実」をはかるとしています。これは「教員の資質向上」などといって上から研修を強化し、「もの言わぬ教師づくり」をすすめようとする教育臨調のねらいと軌を一にするものです。今回の「基本計画」策定は、中曽根自民党政治による教育臨調攻撃が、大阪では同和教育を利用しこれをてこにしてすすめられようとしていることを明確にあらわしています。

⑤ 「解同」との一体化の推進

 同和事業の独占的管理をすすめる役割をになってきた財団法人大阪府同和事業促進協議会(府同促)や、「解放教育」をイデオロギー的に補強する役割を果たしてきた部落解放研究所が、大阪における「解同」ゆ着の偏向同和行政をさまざま支えてきた問題点はこれまで何度も指摘されてきた通りです。にもかかわらず「基本計画」は、これらとの「連携」をさらに強めることを明記しています。これは、政府機関でさえ言わざるをえなくなってきた「民間運動団体」とのゆ着、「行政の主体性の欠如」をいっそう推進させようというもので、地対協報告書・意見具申と国民の世論に真っ向から対立するものです。

憲法・教育基本法にそった教育行政を

 「解同」に追随・屈服し、いいなりになって現場の教師を強制配転した「矢田事件」に対し、最高裁は十月十六日、大阪市教委をきびしく断罪する決定を行いました。事件発生以来十七年ぶりの教師側の全面勝訴は、「解同」の無法とこれに追随しながら教職員への統制・支配にこれらを利用してきた大阪市教委に鉄槌を下すものです。

 また「解同」の暴力とたたかった教師を転任処分にするという「吹田二中事件」では、最高裁は十月二十三日、不当処分を容認する決定を行いながらも、「解同」の蛮行を許した吹田市教委の姿勢については批判せざるを得ませんでした。

 「解同」とそれとゆ着した行政による不当な教育介入の排除を強く求める声は、今や政府機関や最高裁においてさえ無視できないものとなってきています。

 大教組はすでに、運動方針などで、教育への不当な介入を批判し、自主的民主的な同和教育を推進することをよびかけています。本来、同和教育とは、①基本的人権の尊重の認識を身につせさせる、②永年の部落差別のもとで生じている教育条件の格差を是正する、という二点に要約されるもので、これは民主教育の目標そのものです。同和教育を民主教育の一部として位置付け、偏向教育目標ときっぱり手を切り、憲法・教育基本法にそった自主的な教育目標をつくることが大切です。そのためにも、「解同」の無法と不公正乱脈の同和行政を一刻も早く改めさせ、自由にものが言える条件づくりを、広範な父母・府民と一つになってすすめていく取り組みが、いま強く求められています。

*1 この文で教育基本法とは1947年制定の教育基本法のことを言う

大阪府豊中市の人権教育の現状

大阪府豊中市の人権教育の現状

「人権と部落問題」2010年1月号掲載

はじめに

 私の勤務する豊中市は大阪北部に位置し、小学校41校、中学校18校ある人口約38万人の都市です。

 私は豊中教職員組合(全教加盟)の組合役員として、毎年、豊中市の人権教育のあり方について改善を求めて、市教育委員会と話し合う場に参加しています。三年前、市との話し合いの場で、驚くことがありました。

 大阪府下各地で問題になった、部落解放同盟の腐敗・行政への介入の問題を事実を示して批判すると、「部落解放同盟の悪口を言われたら、腹が立つもんもいるんやー」と机をたたいて人権教育企画課の担当者が激昂したのです。その人物は2009年度には、課長となって います。

 豊中では、今秋に大阪府人権教育研究協議会(以下、大人教)の豊能地域での大会が予定されています。すでに昨年度(2009年度)から、その準備に豊中市人権教育研究協議会(以下、市人研)が動きだしています。市教育長は、人権教育についてのある学習会の場で、大人教豊能大会の成功のために、次のような発言(主旨)をしています。

 「大阪府の先生方に縛りをかけるのは、人権教育しかないと思うからです。―中略―やっぱり人権教育というのを立ち上げて、その縛りの中で、教科研究も含めて、生徒指導力の向上も含めて、お互いが発表して、向上していく力をつけないと大阪はダメですよ」(「市人研ニュ ース」2009年度No.5より)

 この間の世論や社会の動きもあり、同和行政・同和教育行政において、豊中市についても表面上は見直しを行ってきています。「同和予算」というものも表面上なくなっています。しかし、一般施策に移行させて、引き続き同和教育や「人権教育」を進めようとしている実態が あります。

 たしかに、以前のような『にんげん』教材を使わなくてはいけないという学校現場での圧力はほとんどなくなっています。「人権教育」として、世界の貧困の問題や平和教育など評価できる実践も発表され、交流されています。しかし、大人教や市人研が引き続き強調しようとしている”特設”ともいえる「部落問題学習」の継続は、豊中の若い教職員に間違った認識を広げることになると考えています。

 ここでは、私の勤務する豊中市の同和行政、同和教育・人権教育の状況を学校教育での実態を中心に報告することにします。

1.「部落差別は、依然として厳しい状況にある」―豊中市行政の基本スタンス

 豊中市には”同和””人権”に関する様々な組織や委員会が残っています。豊中市同和行政推進委員会/豊中市人権啓発推進会議/豊中市同和問題解決推進協議会/同和教育推進委員会…。

 「部落差別がなくなってきたかというと、決してそうではない。人生の大きな節目といわれる就職や結婚にかかわって、同和地区出身者を排除しようとする事象はあとを絶たず、さらには、インターネットなどを利用しての新たな差別事象が発生するなど、依然として厳しい状況にある」

 これは数十年前の文章かと思ってしまいますが、「平成20年4月1日より実施する」とある「豊中市同和行政推進委員会啓発・研修部会設置要領」に書かれているものです。豊中市の部落差別についての基本認識を表しているといってよいものです。

 また、2009年度の同和問題解決推進協議会の会議議事録をみてみますと、会長が「例えば教育教材『にんげん』が来年なくなるが、それに変わる体制をどう作るのかという問題があるなど、大きなひとつの区切りである」と言ったことが話し合われています。

 教育の分野に直接関わっては、「地対財特法」期限切れ後の2005年3月に、市は「豊中市人権教育推進プラン」を策定しました。

 冒頭部分で、大阪府・府教育委員会の「地対財特法失効後の同和行政について」「同和問題の早期解決に向けて」(平成14年10月)の通知を引用し、「同和地区にはなお課題が残されており、差別事象も後を絶たず、平成12年度(2000年度)におこなった同和地区の実態調査においても、同和地区に対する忌避的態度は解消されていないなど、部落差別は解消していないのが現状である」「部落差別が現存する限り、同和問題解決のための施策の推進に努める必要がある」「同和問題を人権問題という本質からとらえ、同和地区出身者を含むさまざまな課題を有する人々に対する人権尊重の視点に立った取組みとして展開されるべきである」と記しています。

 そして、人権教育を推進するとして次のように書いています。

 「豊中市同和教育研究協議会(現豊中市人権教育研究協議会)はこれら豊中の部落問題学習についての研究活動の中心的役割を果たしてきました。大阪府教育委員会は平成14年(2002年)10月の通知において『同和教育推進校のこれまでのノウハウや実績等を今後とも生かしていくことは重要なことであり、中心的な役割を担うことである』と述べています。豊中市においては、平成14年(2002年)4月に人権教育推進モデル校区を設定し市内3中学校区を指定しています。これらモデル校区の人権教育の取組みに学び、それぞれの校区、学校園所での実践に生かしていくことが今後求められています」

 このように、豊中市は学校教育の関係では、任意団体である市人研に対する予算補助を始め、人権教育推進のモデル校区を設定して特別予算を配当し「人権教育」を推進しています。

2.豊中市人権教育研究協議会(略称「市人研」)

 2002年度より市同和教育研究協議会(略称「市同研」)の組織を改組して、豊中市人権教育研究協議会(略称「市人研」)となっています。規約には「豊中市立学校・園の全教職員でもって会員とする」となっています。どういう位置付けの団体なのか、市教委に質すと「任意の団体」と答えます。しかし、任意団体といいながらも、ほとんどの学校で校務分掌の係や仕事の一つとして、「市人研委員」を選ぶようになっています。委員は毎月1回の会議に出席、職場で市人研や地区(3市・2町)人研の集会などへの参加の呼びかけや各種調査・アンケート集約のまとめ役をおこなっています。

(1) 中学校区人研

 市内18の中学校区に分かれ、毎年秋に、「校区人研」を開催するシステムができています。レポート・報告を各幼・小・中学校に割り当て、職場によっては参加して当然というところもあります。ここ数年のレポートをみてみると、確かに「部落問題学習」を直接取り上げたレポートは、旧同和教育推進校とよばれた校区をかかえた学校以外ではほとんどありません。仲間づくりや学力保障、平和教育、国際理解教育、障害児教育といった内容ものがほとんどです。

 しかし、こうした各校区人研の状況を市人研事務局は2008年度「活動課題」で、次のように述べています。

 ”「昨年度、第3回豊中市同和教育推進委員会で、豊中市内の小中学校において部落問題学習のとりくみが少なくなってきている旨の報告がありました。これは、昨年度だけではなく、ここ数年続いている傾向です。市人研が提起する中学校区別人研(校区人研)でも、部落問題学習にかかわる実践報告があがりにくい実情があります。~中略~

 しかし、特に小中学校において、まったく、部落問題を意図した学習が展開されないならば、わたしたちの身近に存在する部落差別はどうなるのか、現在、あるいは将来的に部落差別、部落問題で揺れる思いを抱える子どもたちはどうなるのか、そういった課題が残ります。」”

 こう指摘し、引き続き市人研は部落問題学習を豊中のすべての小中学校でおこなっていくことを提起しているのです。

(2) 学校への各種調査

 年度末になると、市人研は『にんげん』教材を使った実践をやったか、職場の人権研修・聞き取り等、実地調査の報告書の提出を求めてきます。窓口は職場の市人研委員で、提出しないと何度も市人研事務局から連絡があります。

 市人研の調査・アンケートは、あくまで協力であり任意であることを組合として市教委に確認をしています。

 しかし、組合役員が市人研委員を引き受け、調査に協力しないと学校長がかわりにアンケートを返すといったこともあり、市人研の調査・アンケートは出さないといけないものという状況があるといえます。

 報告書では、「何人参加しているか」が重要になっているようです。これは、「○○○人参加している」ということで、次年度以降の市の「人権教育」予算獲得に大きく影響してくるからです。市の担当課長も、組合の「同和に偏った予算を減らしなさい」の求めに、「○○○人参加している実績がある」という根拠にしています。

(3) 市当局による市人研優遇・黙認の実態

 市教委当局は、こちらが指摘しなければ、自らこれまでおこなってきたことを改善しようとしません。毎年、組合として市人研をめぐる問題点を指摘し改善を求めてきました。

 福岡県同和教育ヤミ専従裁判で、全同教委員長の「研修」名目での派遣は違法との勝利判決が出されています。市教委に、この事実を示して、豊中での市人研事務局メンバーについて毎年質してきました。事務局長や事務局次長は、主に旧同推校の職員が毎年選ばれています。旧同推校は大阪府児童生徒支援加配が複数で配置をされており、加配教員が市人研の事務局の仕事を担っているわけです。

 「専従の人はいません。学校での仕事をちゃんとやっています」というのが市教委からの回答でした。そこで、この間、市教委に市人研事務局長と事務局次長の出張日数・回数を明らかにするように求めました。資料の提示を受けて驚きました(別表資料-サイト掲載準備中)。

 この年、市人研事務局次長は市人研、地区人研、大人研の出張だけで年間100日もの出張があるのが明らかになりました。クラス担任や学校での仕事をまともにやっていれば、こんなに出張ができるはずありません。

 市交渉の場で「これで、学校の仕事ができるのか」という追及にたいして、「学校長が認めているから問題ない」「学校の仕事もやっている」「授業ももってやっている」という回答でした。

 実は「授業をもっている」ということも、ウソだということがわかりました。2008年度に「事務局のメンバーは授業をもっているんですね」と人権教育企画課長に尋ねると、平然と「もっています」と答えました。こちらも正確な情報もつかんで「授業をしていない」ことを明らかにすると、今度は開き直って「(大阪府の)児童生・徒支援加配の人だから授業をもたなくてもいい」と答える始末でした。

 しかし、こうした追及で市教委も校長に対して必要な指導をおこなったようで、〇九年度には事務局職員も授業をもつにいたっています。しかし、まだまだ「地域との連携」の名のもとに、任意団体の市人研の活動にかなりの勤務時間を使っていることが考えられます。

 市人研の事務所は、学校施設の一部を利用しています。この間、全くの無料貸与で、その後光熱費などを支払うようにさせてきました。しかし、市人研の予算・決算書には出てこない電話・FAX、インターネットプロバイダ使用など・不明朗な会計が見られます・豊中市からの補助金198万円(平成20年度)の中の決算書には、こうした予算・決算が書かれていないのです。

 「補助金の範囲でやっていることで、議会でも何も問題にならなかったから、そんな細かいことは知らない」(人権教育企画課長)という態度です。

 また、豊中市として、これまた大人教や地区人研に対し「負担金」という名目で、それぞれ25万円ずつ支出しています。任意団体に対して、行政が公金を支出する根拠があるのでしょうか。

 自浄作用が働かない市教育委員会なので、事実をもとに問題点を、今後も指摘して改善を求めていきます。

3.特定の学校から「人権」を発信・発表させる―「人権教育推進モデル校区事業予算」

 2002年度から8年間にわたって「人権教育モデル校区事業」というものが実施されてきました。

 指定を受けた3中学校区(小学校7、中学校3校、合計10校)に対して、8年間で約3800万円を超えるお金が使われてきました。1校当たり平均380万円が配当されたことになります。2つの中学校区は、いわゆる旧同推校です。「人権」について発信や発表をしてもらうということでの特定の学校にだけの特別配当です。

 昨年度(2009年度)、この予算が具体的に何に使われているのかの資料の提示を求めました。この特別予算で支出されたものの一覧を明らかにさせました。

 そのお金の使われ方を見て、驚きました。

 模造紙・画用紙・印刷機インクなどの消耗品購入や図書・書籍として紙芝居『したきりすずめ』『おだんごころころ』や「科学アルバム」、各種図鑑(花火・昆虫)の購入などをしているのです。さらに各学校予算が削られなかなか購入できないビデオカメラ・拡大機・太鼓バチといった備品も購入されていたのです。

 学校の予算が大幅に削減されて、どこの学校も必要なものが買えない状況があります。机やイスもささくれだって必要数を学校から要望提出しても、毎年それよりも少ない数しか入ってこないという状況が続いています。その一方でこの「人権モデル校区」予算を使って、特別の学校にだけ、潤沢に消耗品や備品の購入ができるようにしているのです。

 さらに、資料から、外部講師への謝礼金や業者学力テスト費用への支出とともに、全同教・大人研など参加費、旅費が保障されていることがわかりました。

 かつては、市内のどの学校でも数年に1回、管外の出張(遠方への研究会参加)が認められていました。しかし、大阪府の旅費削減の影響が大きく、この十年間ほど、管外出張できる旅費が確保できないために、多くの職場で管外出張が難しくなっています。それどころか市内の出張や運動会ダンス実技関係の出張でも制限されいます。しかし、特定の学校にだけ、この特別予算を使って、遠方で開かれる全同教大会や大人研大会の旅費や参加費を確保しているわけです。

 さらに、ある学校では部落解放同盟の『解放新聞』(全国版・大阪版)を購読していることもわかりました。

 こうした予算の使い方は問題があり、一部の学校にだけ予算化するのはやめるように組合として毎年求めています。市教委は「人権教育について、発信・発表してもらっているので、これぐらいのことは当然、問題ない」とあらためようという姿勢がみられません。

4.最後に

 10年ほど前、豊中の教育が一部新聞にとりあげられて「たたかれた」ことがあります。通知表の二段階評価、オール「B」、評価の指導要録、さらに時間割に「国語」がない「日本語」となっている学校がある、という相次ぐ報道がされました。

 (実は、この学校の時間割には「道徳」の時間がなくて、そのかわり「にんげん」となっていたのですが、これは報道されませんでした)。

 当時、全教豊中教組にも、この新聞社の記者から取材があって、豊中の教育におけるこうした問題の根本に、大同教(当時)、市同研(当時)の運動の教育への持ち込みがあることを指摘したことがあります。しかし、そのことは取り上げられず、市教組(日教組)と全教など教職員組合に問題があるという報道がなされました。豊中市・教育委員会が同研団体・市教組(日教組)と一体となってすすめていたことを、豊中の教職員の問題にすりかえたわけです。

 そして、今もこれまでの同和行政、同和教育への反省をせず、市は同研団体(市人研)と一体となって、「人権」教育をすすめようとしています。2010年度の市予算には、「人権モデル事業」に322万円が引き続き組まれています。しかし、市人研の部落問題学習がすすまないことへの心配や、また、「人権モデル校区」に指定された学校から、短期で他校異動の希望が毎年出てくるなど、矛盾も広がっています。

 私は組合役員をしている関係で、いろんな職場の若い教職員と話をする機会があります。「多くの研修があるけれど、人権についての研修は参加しなければいけないという雰囲気がある。」と不自由さを感じている若い人がいます。豊中での歪んだ、特別視された人権教育が改善されていくように引き続き求めていくことが必要だと考えています。

(豊中市立学校教員)

大阪における同和教育終結への課題(1998)

大阪における同和教育終結への課題(1998)

 矢田事件以来吹き荒れた大阪における解放教育、運動団体と行政が加担した誤りの責任は余りにも重い。すべてを差別という視点に矮小化したところに誤りの根源がある。

「どの子も伸びる」1998年4月掲載

1.「解放教育」の発生と大阪

 1969年に引き起こされた大阪の矢田事件、それは部落排外主義の台頭のもと、「同和教育」を「解放教育」と改称し始めていた「解同」中央本部の方針のもとで、必然的に引きおこされた事件と言えるのではないだろうか。

 矢田事件とは「組合員の皆さん、労働時間は守られていますか。進学のことや同和のことなどで……」という組合役員選挙での挨拶状が一方的に差別文書とされ、記載者が「解同」府連幹部等二百人以上から脅迫、つるし上げを受けるといった事件である。

 裁判の結果は、結局、最高裁で「解同」幹部に有罪、また、差別と断定し強制配転、研修を押しつけた大阪市教委にも賠償命令が確定した。この事件の引き起こされ方一つを見ても、「解放教育」が、部落排外主義の部落解放運動の忠実な僕であったことがわかるのではないだろうか。

 それでは、裁判の結果が示したように、教育の分野で「解放教育」は正されているのだろうか。決してそうは言えない。大阪市教委はなお、矢田事件に対する謝罪を行っていないし、大阪府教委は解放教育研究会の編集による解放教育読本「にんげん」の無償配布を続けている。

2.解放教育読本「にんげん」と大阪

 雑誌「部落解放」第10号(1970年10月発行)は、解放教育読本「にんげん」の出発点を特集していて興味深い。まず、その中のいくつかの文章を紹介する。

 「にんげん」は全国解放教育研究会の編集によるものである。この「会」は部落出身教師と部落解放運動にかかわる教師・活動家によって組織されており、部落解放同盟中央本部教育対策部に属した研究組織である。だが、編集・作成にあたっては多様な要求が結集され、多くの組織が関係してすすめられてきた。

 現在の教育の内容と体制が、部落差別に全く無関心であるばかりではなく、明らかに差別を容認し、さらにこれを助長するものであることは繰り返し述べてきたところである。それは検定教科書のいずれを取り上げてもただちに指摘できる。学習指導要領はその内容において差別性をもち、その拘束性において解放教育創造のための教育現場 の闘いを圧迫し続けてきた。

 「にんげん」は権力によって他律的におしつけられたものではなく、逆に権力による不当な教育支配を打ち破る武器として積極的に活用できるものであり、すでにのべた通り、解放教育をすすめるために私たちが作成に参加し、その無償配布を要求したものである。  「にんげん」の内容は、教科の領域、集団指導の領域、部落問題、部落解放運動にかかわるものによって構成されている。それは、いずれも今日の解放教育の諸課題と解放運動の状況を、子どもの発達に即して教材化されたものである。

 これらの文章は、解放読本「にんげん」がつくられた出発点をよく表している。

 しかし、そもそも、部落解放の武器として行政に読本の無償配布を要求することが正しいことであったのだろうか。しかも、運動団体に所属する研究部によって編集されたものを。いくら教科書検定や指導要領に差別性と拘束性があったとはいえ。

 部落排外主義の糾弾路線は、府教委を屈服させ、無償配布をさせたのだが、これこそ教育の自由と自主性を奪っただけでなく、以後推進された「にんげん」実践は、部落問題の特殊化、肥大化の大きな要因をつくり出し、かえって部落問題解決への障害を生み出したのである。大阪ではまだ、それが是正されていない。

3.不公正・乱脈の同和行政と大阪

 同じ雑誌「部落解放」(第10号)のグラビアは、学校建設運動の成果として、○○○中学校の写真を掲載している。35人学級の普通教室、廊下は幅3・5メートル、LLの施設のついた英語教室、そして冷房付の講堂、その下に食堂という具合である。

 果たして、学校建設運動の成果と言えるのだろうか。同じ時期、77億円をかけてつくられた大阪市○○区○小学校には、1000人収容の大食堂やプラネタリュームまでがつくられている。(当時、普通の小学校の建築費は5億円前後)言うまでもなく、このあまりにも異様なコントラストを生みだしたものが、「窓口一本化」行政であった。

 「原罪論」「償い論」を武器に、「解同」が同和行政を自らの管理下においていった結果であった。

 それでは現在、そうした窓口一本化行政は是正されたのかと言えば決してそうではない。大阪府同和対策促進協議会(府同促)、各市同和対策促進協議会(市同促)方式のもとで、補助金、助成金、交付金が湯水のごとく使われているのである。

 1995年度の大阪府の教育にかかわる同和予算を以下紹介すると、同和加配人件費(約62億円)、「にんげん」購入費(約1億円)、府同教補助金(約1000万円)、全同教大会補助金(約1000万円)、部落解放研究所運営補助など研究事業費(約4000万円)である。

 市町村へいけば、市同和教育研究会への交付金、人権啓発協議会への交付金とあげればきりがない。
4.解放教育推進の大阪府同教と各市同教

 「差別の現実かち深く学ぶ」と称して運動を学校教育へと結合させ、「差別の現実に立ち向かい、それを変革していく子ども」と称して、解放の戦士を育てる取り組みが「にんげん」の配布とともに、大阪府同教と各市同教によって推進されている。

 大阪府同教は毎年、「にんげん」実践研究集会や府同教研究大会、そして夏期一泊研を開催し、月一回府同教通信を府下の教職員全員を対象にして配布している。その内容たるや、「同和教育を軸に、教育改革の大展開を」とか、「出会いとつながりを求めて」とか、これまでの「同和原点論」ひきずりながら、反差別だけでなく多文化、共生という視点を加えている。

 最も茶番に思えるのは、すべての研究費を大阪府に依存しながら、その府に対して「同和加配」交渉にのぞんでいることである。府同教通信には、「法のあるなしにかかわらず、差別があるかぎり施策は必要」という府教育長の答弁をかち取ったとはずかしげもなく写真入りで報告している。

 各市同教も府同教とほとんど同じ方針で運営され、法が切れた今年3月以降も、「人権教育の重要な柱として同和教育を推進する」としているところが多い。

 いずれにも共通して言えることは、人的にも財政的にもすべて府や市に依存しながら、府教委や市教委に自らの主張を押しつけているのである。府教委や市教委も心得たものでそれを活用しているのである。府教委から毎年出される「同和教育のための資料」や各市で発行されるパンフレットは府同教や市同教で報告された実践がそのまま載せられているのを見ても一目瞭 然である。

5.「人権教育」への転換と大阪

 1995年、第49回国連総会で「人権のための国連の10年」が採択された。それを受けた日本政府はいち早く反応し、翌年国内行動計画を策定した。この背景には、言うまでもなく、1997年3月末の同和事業法の期限切れから人権擁護施策推進法の成立へと移行する政府の動きがあった。一言で言うなら、解同の要求してきていた「部落解放基本法」の落としどころとして、国連十年、人権擁護施策推進法に軟着陸させたのである。

 文面を比較すればわかるが、国連10年の内容は人権に関する情報提供や包括的な人権について述べているが、国内行動計画では人権概念を差別意識の問題に倭小化し、しかも啓発や特別な人権教育を強調しているのである。つまり、国連の提起を、人権擁護施策推進法と似たものに歪曲したのである。

 この国内行動計画を全国に先がけて実施に移そうとしているのが大阪府であり、昨年三月に大阪府は行動計画を策定した。そこでは、学校や職場における人権教育の推進としてより体系的、実践的な人権プログラムの必要性と、対象者がより主体的に参加できる手法を求めている。  現に今、それに沿って「人権教育」を特別なものとしてカリキュラム化してきている学校が現れている。

 国連の人権10年は1995年から2004年である。国連の提起する人権の拡大のためにも、歪められた行動計画を批判し、同和教育の終結の取り組みをすすめることこそが大切である。

今後における地域改善対策について(意見具申)

今後における地域改善対策について(意見具申)

昭和61年12月11日
地域改善対策協議会

 

 昭和四十年同和対策審議会答申(以下「同対審答申」という。)が内閣総理大臣に提出されて以来二十一年余の月日が経過した。同対審答申を受けて昭和四十四年に同和対策事業特別措置法(以下「同対法」という。)が十年の限時法として制定施行されて以来、同法の三年間の延長、それに引き続く地域改善対策特別措置法(以下「地対法」という。)の制定施行と、これまで三度にわたり立法措置が講じられ、十八年間に及び地域改善対策が推進されてきた。その成果は、少なからぬものがあったと評価できる。

 そして、その成果に加うるに、この間の社会経済の発展もあり、同和地区の実態を始め、地域改善対策をめぐる現状は、同対審答申が当時前提としたものと比べ、大きく変わってきている。第一に、同和地区の実態が相当改善されたことであり、第二に、同対審答申では全く触れられていない新しい問題が生じていることである。

 今日、同和問題の解決を積極的に図ろうとする同対審答申の精神は受け継ぎつつも、同和問題の現状を踏まえ、同和問題の根本的解決のために、今後、真に必要なものは何かという原点に立ち返った基本的検討を行うべき時期が到来している。本協議会は、このような認識に立って、来年三月末で失効する地対法後の対策の在り方について審議し結論を得るに先立ち、本年一月、基本問題検討部会(以下「部会」という。)を設置し、同和問題解決に向けて、この際、基本的に検討しておかなければならない課題とその解決策及び地域改善対策のこれまでの実績と今後の課題について検討することをゆだねた。部会は、二月以降十三回にわたり精力的に審議を重ねた後、八月五日、本協議会総会に基本問題検討部会報告書(以下「報告書」という。)を提出した。本協議会は、部会から報告書の提出を受けた後、幅広く国民各層の批判を仰ぐため、報告書を公表するとともに報告書の内容を踏まえ、標記の件に関し審議を重ねてきた。報告書が公表されて以降、地方公共団体、民間運動団体、ジャーナリズム、一般国民等から報告書に対する様々な意見が表明された。また、本協議会の場においても、その審議の過程で地方公共団体の地域改善行政担当者の代表や民間で同和問題に取り組んできた有識者等から報告書の内容、地対法失効後の措置等に関し意見聴取を行った。

 本協議会においては、報告書の内容を踏まえ、これらの意見等も参考にしながら鋭意検討を続けてきた結果、この度、今後における地域改善対策について下記のとおり意見を具申することとした。政府におかれては、本協議会の意見を尊重し、同和問題の解決のため、所要の対策を一層強力に推進されるよう要望するものである。

1、地域改善対策の現状に関する基本的認識

 同対審答申を受けて昭和四十四年に同対法が制定施行されて以来、十八年間にわたり地域改善対策が積極的に推進されてきた。ちなみに、昭和四十四年度から昭和六十一年度の間における国の地域改善対策予算額を合計すれば、約二兆六、○○○億円に達する。また、地方公共団体においては、国の負担・補助を受けて実施する事業及び独自に実施する事業に国費を上回る額を投入して対策を実施してきている。

 これらの対策の推進により、同対審答申で指摘された同和地区の劣悪で低位な実態は、大きく改善をみた。生活環境の改善を始めとして、同和地区の生活実態の改善、向上が図られたことにより、現在では、同和地区と一般地域との格差は、平均的にみれば相当程度是正されたといえる。また、心理的差別についても、内外における人権尊重の風潮の高まり、各種の啓発施策及び同和教育の実施、実態面の劣悪さの改善等によりその解消が進んできている。

 同対審答申は、部落差別は、半封建的な身分的差別であり、これを分類すれば、言語や文字や行為を媒介として顕在化する心理的差別と、劣悪な生活環境等同和地区住民の生活実態に具現されている実態的差別に分けることができることを指摘した。

 今日、これらの差別の解消が進んできたことは、同和問題の解決にとって大きな前進であるといえる。

 反面、これまでの行政機関の姿勢や民間運動団体の行動形態等に起因する新しい諸問題は、同和問題に対する根強い批判を生み、同和問題の解決を困難にし、複雑にしている。

 これらの新しい諸問題は、同対審答申では全く触れられていないが、今後における同和問題の解決にとって、大きな障害であり、それらを克服することは同和問題の解決にとって極めて重要な課題である。

2、地域改善対策の今日的課題

(1) 今日的課題

 今日、同和地区における実態面の改善に比べて、心理的な差別の解消は、不十分な状況にある。  同和地区の実態が大幅に改善され、実態の劣悪性が差別的な偏見を生むという一般的な状況がなくなってきているにもかかわらず、差別意識の解消が必ずしも十分進んできていない背景としては、昔ながらの非合理な因習的な差別意識が、現在でも一部に根強く残されていることとともに、今日、差別意識の解消を阻害し、また新たな差別意識を生む様々な新しい要因が存在していることが挙げられる。近代民主主義社会においては、因習的な差別意識は、本来、時の経過とともに薄れゆく性質のものである。実態面の改善や効果的啓発は、その過程を大幅に早めることに貢献する。しかし、新しい要因による新たな意識は、その新しい要因が克服されなければ解消されることは困難である。

 新しい要因の第一は、行政の主体性の欠如である。現在、国及び地方公共団体は、民間運動団体の威圧的な態度に押し切られて、不適切な行政運営を行うという傾向が一部にみられる。このような行政機関としての主体性の欠如が、公平の観点からみて一部に合理性が疑われるような施策を実施してきた背景となってきた。また、周辺地域との一体性や一般対策との均衡を欠いた事業の実施は、新たに、「ねたみ意識」を各地で表面化させている。このような行政機関の姿勢は、国民の強い批判と不信感を招来している。

 第二は、同和関係者の自立、向上の精神のかん養の視点の軽視である。同和問題の解決のためには、同和関係者の自立、向上が達成されなければならないが、これまでの対策においては、同和関係者の自立、向上の精神のかん養という視点が軽視されてきたきらいがある。特に、個人給付的施策の安易な適用や、同和関係者を過度に優遇するような施策の実施は、むしろ同和関係者の自立、向上を阻害する面を持っているとともに、国民に不公平感を招来している。

 第三は、えせ同和行為の横行である。民間運動団体の行き過ぎた行動に由来する同和問題はこわい問題であり、避けた方が良いとの意識の発生は、この問題に対する新たな差別意識を生む要因となっているが、同時に、また、えせ同和行為の横行の背景となっている。えせ同和行為は、何らかの利権を得るため、同和問題を口実にして企業・行政機関等へ不当な圧力をかけるものであり、その行為自体が問題とされ、排除されるべき性格のものであるが、このような行為は、これまでなされてきた啓発の効果を一挙にくつがえし同和関係者や同和問題の解決に真剣に取り組んでいる民間運動団体に対する国民のイメージを損ね、ひいては、同和問題に対する誤った意識を植え付ける大きな原因となっている。行政機関は、えせ同和行為が横行しているという事態を深刻に受け止めるべきである。

 第四は、同和問題についての自由な意見の潜在化傾向である。同和問題について自由な意見交換ができる環境がないことは、差別意識の解消の促進を妨げている決定的な要因となっている。民間運動団体の行き過ぎた言動が、同和問題に関する自由な意見交換を阻害している大きな要因となっていることは否定できない。いわゆる確認・糾弾行為は、差別の不合理性についての社会的認識を高める効果があったことは否定できないが、被害者集団によって行われるものであり、行き過ぎて、被糾弾者の人権への配慮に欠けたものとなる可能性を本来持っている。また、何が差別かということを民間運動団体が主観点な立場から、悠意的に判断し、抗議行動の可能性をほのめかしつつ、さ細なことにも抗議することは、同和問題の言論について国民に警戒心を植え付け、この問題に対する意見の表明を抑制してしまっている。

 今後、心理的差別の解消を促進し、同和問題に対する国民の理解と協力を得ていくためには、これまで推進された啓発や人権擁護対策に加えて、以上のような諸要因を是正していくことが不可欠である。それ故、行政の主体性の確立、同和関係者の自立、向上の精神のかん養、えせ同和行為の横行の排除、同和問題について自由な意見交換のできる環境づくりは、同和問題解決のために成し遂げるべき極めて重要な今日的課題である。

(2) 今日的課題を達成するための方策

 今日的課題を達成していくためには、行政機関の姿勢や民間運動団体の在り方が極めて重要である。

 行政機関は、その基本姿勢として、常に主体性を保持し、き然として地域改善対策等の適正な執行を行わなければならない。そのためには、行政機関は、今日、改めて民間運動団体との関係について見直すことが必要である。国は、もちろん、率先して断固たる主体性を常に保持すべきであることは言うまでもないが、民間運動団体と身近に接触する機会の多い地方公共団体においては、その対応に腐心している状況もみられるので、そのような地方公共団体の主体性の確立については、国は、積極的な助言、指導を行うべきである。例えば、国が民間運動団体と行政機関との望ましい関係の在り方に関する具体的な基準や行政の主体性を確立するためのチェックポイントを明らかにすること等は有効な手段と考えられる。さらに、同和問題について行政職員の理解を十分深めることは、主体性の確立のためのいわば前提であり、そのための研修等の施策が一層拡充される必要がある。

 同和関係者の自立、向上の精神のかん養は、今後の啓発の重要な目標のひとつとして取り上げられる必要があり、そのための積極的な啓発活動が推進されなければならない。また、同和関係者の自立意欲の向上のための民間運動団体の取り組みに期待するところは大きい。

 えせ同和行為の排除のためには、関係行政機関等の緊密な連携と幅広い取り組みが必要である。企業・行政機関等が、不当な要求は断固として断り、また、不法な行為については、警察当局に通報する等厳格に対処することが必要となるが、そのような望ましい対応の在り方については、行政機関が積極的に啓発活動や行政指導を行うべきである。また、警察当局においても、えせ同和行為排除のための強力な対策を推進する必要がある。

 同和問題について自由な意見交換ができる環境をつくっていくためには、プライバシーの保護に配慮しつつ、行政機関が同和問題に関する情報、資料をできるだけ公開し、国民、ジャーナリズム等に積極的に提供していくことが重要である。また、差別事件は、司法機関や法務局等の人権擁護のための公的機関による中立公正な処理にゆだねることが法定手続きの保障等の基本的人権の尊重を重視する憲法の精神に沿ったものである。また、そうすることが、一見う遠のごとく見えても、結局は同和問題の解決に資することになるのであり、国は、その旨地方公共団体等を指導し、また啓発に努めるべきである。なお、差別事件の公的機関による処理を更に推進するため、人的資源の充実等現在の人権擁護行政の体制が更に強化、拡充されるべきである。

3、地域改善対策事業のこれまでの実績と今後の課題

(1) 地域改善対策事業のこれまでの実績

 地域改善対策事業として、昭和五十七年度から昭和六十年度までの間に、約七、五〇〇億円の国費が投じられた。昭和六十一年度の地域改善対策予算は、約二、一〇〇億円であるので、地対法の有効期間内の国費は、合計約九、六〇〇億円に達することになる。また、地域改善対策事業のうち、生活環境の整備等の物的事業については、地対法の有効期間内の国費は、約八、五〇〇億円に達する。地対法制定当時、同法の有効期間内に実施すべきものとして予定された事業量(国費)は、当時の価格で七、○○○億円程度であるので、量的には、十分、それに見合う国費が投入されてきたことになる。

 これまでの対策の成果として、同和地区の生活環境は、大きく改善されるとともに、教育や就労の面においても、若年層を中心に改善・向上がみられる。

 ちなみに、総務庁が、昨年十一月三十日現在で実施した「昭和六十年度地域啓発等実態把握」(以下「実態把握」という。)の結果によれば、

ア、同和関係者と一般住民との婚姻の増加がみられ、特に、三十歳未満の若年層では約六割が一般住民との婚姻であること。

イ、高校等への進学率が同対審答申当時と比べ飛躍的に向上しており、若年層ほど高等教育修了者の割合が高いこと。

ウ、一人当たりの居住室畳数、専用設備、接道等居住水準や居住環境は、面的事業の推進等により、現在では、全国的な水準とほぼ同様の水準にまで改善されていること。

エ、その他、常用雇用者の増加等がみられること

等が明らかになっている。

 一方、同和地区の生活実態面で、全国水準と比べまだ格差がある主な点としては、

ア、生活保護世帯を含めた住民税非課税世帯の割合が高いこと、

イ、不安就労者や小規模零細企業の割合が高いこと、

ウ、高校等への進学率になお若干の格差がある

こと等である。

 また、意識面においても、学校の授業、広報、研修会等により同和問題を知るに至った人々が四分の一となっており、同和教育や啓発活動の普及をうかがわせる結果となっている。今後とも特別対策が必要かどうかについては、同和地区内外の住民に格段の差が認められ、必要だと答える住民の割合が同和地区外では一割程度であるのに対し、同和地区内では約七割となっている。

 なお、農林水産省が昭和六十一年度に実施した全国同和地区農林漁業実態調査によれば、同和関係農家においては、農業用機械の普及・向上、これに伴う農業従事日数の減少、家畜飼養規模の拡大等に改善が見られた。反面、関係府県における一般農家に比べ、耕地面積は昭和五十年時と同じく三分の二程度と少なく、不安定兼業農業の割合は高く、しかも、農産物販売金額は全体的に低位状態にある等の格差のあること等が明らかになった。

(2) 地域改善対策事業の今後の課題

 地域改善対策が、これまで着実な成果を挙げてきた一方で、今後、達成されるべき課題も残されている。

 今後に残される課題の第一は、差別意識の解消の問題である。差別意識の解消は、現在十分な状況とは言い難く、依然、差別事件の発生がみられる。因習的な差別意識や新たな差別意識の解消を促進することは新たな差別意識を生む要因を取り除くとともに、人権尊重の立場でねばり強く啓発活動を展開し、差別を生み出している心理的土壌を変えていくことによってのみ可能となる。

 啓発活動は、今後における地域改善対策の重点課題であり、その在り方については、昭和五十九年六月の本協議会の意見具申及び本意見具申を十分踏まえた積極的な啓発活動の推進を強く要請するものである。

 なお、今後、啓発活動の推進に当たっては、同和問題の啓発に関する情報等が都道府県、市町村、民間企業、国民の各主体相互の間で迅速に伝達されるよう一層の工夫を行うことが望まれる。そのための一つの方法としては、国を始め、都道府県、市町村等が参画した公益法人を設立し、その法人が情報の迅速な伝達やえせ同和行為その他同和問題に関する相談活動並びに同和問題に関する調査研究及び研修等の事業を実施することが考えられる。

 また、広く国民の人権尊重の精神を高めていくためには、啓発活動の重要な一翼として、学校教育や社会教育の果たすべき役割は、今後とも大きい。なお、同和教育の推進に当たっては、児童生徒の発達段階に応じて無理なく行われるとともに、地域のニーズに即応した効果的な内容、方法で行われることが重要である。

 第二は、地域改善対策事業のうち、住宅地区改良事業等については、一部に事業の取組が遅れている地域がみられ、全国的にみるとその進捗状況に格差がみられることである。これらの物的事業については、地対法施行後新たに事業実施について要望が出されていることや用地取得に関する調整の難航等により当初計画どおりに整備が進んでいないこと等から昭和六十二年度以降の事業量も見込まれている。

 第三は、雇用、産業振興の分野において、これまで、職業の安定や産業の振興のための特別対策が講じられてきたが、実態把握の結果をみても、全国水準と比べれば、依然同和地区における不安定就労者や小規模零細企業の割合が高いことである。

4、今後の地域改善対策の在り方

(1) 行政の役割

 今後の地域改善対策の在り方を原点に立ち返って検討するに際しては、まず、同和問題解決のために果たすべき行政の役割を明確にすることが必要である。

 同和問題の解決のためには、同和関係者の自立、向上を阻害している諸要因の解消がなされなければならないが、そのためには、同和関係者自らその意欲を持ち、自主的な努力を行うことが不可欠である。行政の基本的な役割は、同和関係者の自主的な努力を支援し、その自立を促進することである。今後の地域改善対策の在り方は、この視点から見直さなければならない。同和関係者の自立を促す上からも、国民が人権尊重の視点から、国民的課題として差別意識の解消に取り組むよう国民に対し啓発を行うことは、行政の極めて重要な任務といえる。

 地域改善対策を推進するためには、国と地方公共団体は一致協力してこれにあたる必要がある。その場合、国は、事業実施の方針を明確に示す等指導的役割を果たすことが重要である。

(2) 特別の立法措置の必要性と基本的考え方

 地域改善対策について、これまで、特別の立法措置が講じられてきたのは、昭和五十六年十二月の同和対策協議会(以下「同対協」という。)の意見具申でも述べられているように、同和問題の解決のための施策について国民の代表である立法府の意思の表明を積極的に得ること、国及び地方公共団体の責務を明確化すること、法的裏打ちにより実施されてきた事業の継続性を担保する必要があること等の理由によるものであった。地対法は、地域改善対策事業の実施について、特別の財政措置として、ア、国庫負担・補助率の特例、イ、地方債の特例、ウ、地方債元利償還金の基準財政需要額への算入措置を講じている。

 したがって、地対法が失効すればこのような特別の財政措置がなくなり、事業を実施する地方公共団体の財政負担は増加せざるを得ないことになる。一方、同和地区を有する地方公共団体の中には、財政基盤がぜい弱な自治体もみられることから、事業の推進が困難となる面があることは否定できない。

 今後実施すべき事業については、これまでの対策の成果等を踏まえ、現行事業の原点に立ち返っての見直しを行い決められるべきであるが、今後とも必要な事業を実施していくためには、何らかの財政措置が必要であり、そのためには特別の立法措置が必要であろう。

 今後、法的措置を講ずるに当たっては、次の基本的考え方で臨むべきである。

① 今後の地域改善対策は、これまでの行政運営の反省と、現行事業の基本的な見直しの上に立脚したものであることを明確にし、幅広い国民の支持を得るためには、現行地対法の漫然とした延長をとるべきではなく、新規立法とすべきである。

② 地域改善対策は、永続的に講じられるべき性格のものではなく、迅速な事業の実施によって、できる限り早期に目的の達成が図られ、可及的速やかに一般対策へ全面的に移行されるべき性格のものであることを明らかにするため、限時法とすべきである。

③ 新規立法は、地域改善対策として推進すべき事業の円滑な実施を確保するための財政措置を中心に規定すべきである。

④地域改善対策として推進すべき事業の範囲は、現行地域改善対策事業のうち、なお一定期間、継続実施する必要がある事業とし、その具体的内容については、法令で定めるべきである。

⑤新規立法においては、対象地域の指定の要件や手続、同和関係者の定義等を明確にし、厳格な運用を行う必要がある。

 なお、新規立法に規定する物的事業については、法の有効期間内において、計画的な事業実施が図られるべきである。

(3) 地域改善対策事業の見直し

 地域改善対策は、これまで、「いわゆる一般法による施策だけでは解決できない事項や、一定期間内に特定目的を達成する必要がある事項」(昭和五十六年十二月十日、同対協意見具申)について特別の財政措置に裏付けられた特別対策を同和地区や同和関係者に対し講じてきた。それが同和地区の低位で劣悪な実態の早急な改善のためには効果的な手段と考えられたからである。

 一方国民に対する行政施策の公平な適用という原則から考えれば、できる限り一般対策の中で対応することが望ましい。地域改善対策といえども、結局は、国民の租税負担によって賄われることを考えれば、地域改善対策を著しく優遇して、一般対策と不均衡を生ずるようでは、容易に国民的合意は得難く、社会的公平を確保するゆえんでもないからである。

 したがって、現行の地域改善対策事業については、これまでの対策の成果として、同和地区の実態が改善され、一般地域との格差が相当程度是正されてきたこと等にかんがみ、基本的な見直しを行い、真に必要な事業に限定して、特別対策を実施すべきである。

 以上のような観点から、現行の各種事業については、関係省庁において速やかに見直しが行われるべきである。その際、具体的な基準とすべき考え方を示せば、次のとおりである。

① 現行事業は、可能な限り一般対策へ移行することを基本とすること。

② 既に事業目的を達成している事業や事業実施について一般的な二ーズの乏しい事業は廃止すること。

③ 一般対策と比べ過度に優遇した内容となっている事業については、廃止するか是正措置を講ずることにより、一般対策との均衡に十分配慮すること。

④ 個人給付的事業については、原則として廃止し、同和関係者の自立、向上に真に役立つものに限定すること。自立、向上に真に役立つものについても、段階的に一般対策へ移行できるよう検討すること。

⑤ 物的事業については、昭和六十二年度以降具体的な事業計画等が明らかでない事業等については、一般対策へ移行して、所要の事業を実施するか、廃止すること。

⑥ 相談員、指導員の設置等の人的事業についても、一般対策への移行を検討すること。

⑦ 啓発・人権相談事業については、今後とも積極的に推進すること。

 また、雇用、産業振興対策についても、上記の考え方に従い見直しを行うとともに、可能な限り、雇用促進、中小企業振興のための一般対策へ移行する。

 なお、住宅新築資金等貸付制度に関しては、関係省庁において、施策の在り方について様々な観点から見直しが行われる必要がある。

 また、現行地域改善対策事業の見直しについては、その趣旨を関係地方公共団体に対し周知徹底すべきである。

 さらに、地方公共団体が独自に実施している同和関係施策についても、上記の基準に照らして事業の見直しを行うことが適当と考えられるので、その旨、関係各省庁は地方公共団体を指導すべきである。

(4) 地域改善対策の実施の適正化のための具体的措置

 今後の対策の推進について幅広い国民的コンセンサスを得ていくためには、これまでの行政運営において生じてきた問題点を是正し、適正化のための具体的措置が講じられなければならない。この点については、昭和五十六年十二月の同対協の意見具申においても、同対法施行十三年の運用により生じてきた問題点の是正が指摘されたにもかかわらず、地対法施行後においても、この課題の達成は極めて不十分な状況となっていることは誠に遺感である。

 不適切な行政運営の事例としては、個人給付的事業の対象者の資格審査が民間運動団体任せとなっている例や公的施設等の運営が特定の民間運動団体に独占的に利用されている例があること、また、民間運動団体に補助金等を支出していながら、その適正な使用について指導・監査等を十分行っていない例がみられること等が挙げられる。このような問題点を一つ一つ是正していくことが、行政機関と民間運動団体との適切な関係を確立する上で重要である。

 さらに、税の問題や公営住宅等の一部にみられる著しい低家賃の実態は、現在の国民感情を考慮すれば国民の間に不公平感を招来し、新たな差別意識を生む要因のひとつともなっている。国税において、一部にみられるような特別な納税行動については、その是正につき行政機関の適切な指導が望まれる。同和地区の納税者について、一般の納税者と異なった配意をすることは、決して、同和問題の解決という精神に沿ったものとは言えない。また、地方税においては、かなりの地方公共団体で、同和関係者等に対する減免措置が講じられているが、このような措置についてもその内容の見直し、適正化を図ることが望まれる。また、地域改善対策として建設された公営住宅等については、低額所得者向けの施策住宅等の中においても、立地条件、建設年度、住戸規模等からみてもなお、著しく均衡を失した低家賃の実態が一部でみられることは問題であり、適正な家賃とするための指導が行われるべきである。

 同和教育については一般国民の中にかなり批判的意見がみられる。この背景としては、同和教育において、人権尊重の理念が徹底されていないために、一般国民の理解がなかなか進まないこととともに、一部に民間運動団体が教育の場に介入し、同和教育にゆがみをもたらしていることが考えられる。同和教育については、啓発活動の一貫として、今後とも推進していかなければならないが、その前提として、教育と政治・社会運動とを明確に区別し、教育の中立性の確立のための徹底的な指導を行うことが必要である。なお、その指導に当たっては、教育の中立性を確保する方策が明確に示されるべきである。

 また、地域改善行政に対して、行政のチェック機能が十分発揮されてこなかったことが、不適切な運営実態が長く是正されないまま放置されてきた要因となっている。その意味では、地域改善行政は、一般対策とは違った特別な行政分野とされてきた。地域改善行政の適正化を確実なものとしていくためには、行政の監察・監査、会計検査等の機能の活用を積極的に行っていくことも必要となろう。

 さらに、地域改善対策の実施の適正化を推進していく上で、地方公共団体の取組は極めて重要であるので、関係各省庁においては、地方公共団体に対する適切な助言、指導を行っていくべきである。

 

基本問題検討部会報告書

基本問題検討部会報告書

昭和61年8月5日

 地域改善対策協議会基本問題検討部会

I、同和問題の現状に対する基本認識

1、同対審答申における同和問題の認職

 昭和40年8月11日、同和対策審議会(以下「同対審」という。)は、内閣総理大臣の諮問に応じて、同和地区に関する社会的及び経済的諸問題を解決するための基本方策について答申を行った。この答申(以下「同対審答申」という。)は、同和問題の本質や同和地区の実態について認識を示した上で、同和対策の具体案として基本的方針及び具体的方策の提言を行った。すなわち、同対審答申は、同和問題について、「いわゆる同和問題とは、日本社会の歴史的発展の過程において形成された身分階層構造に基づく差別により、日本国民の一部の集団が経済的・社会的・文化的に低位の状態におかれ、現代社会においても、なおいちじるしく基本的人権を侵害され、とくに、近代社会の原理として何人にも保障されている市民的権利と自由を完全に保障されていないという、もっとも深刻にして重大な社会問題である。」と定義し、同和関係者が置かれた経済的・社会的・文化的に低位な状態の早急な改善を行政に促した。答申では、具体的に、人々の観念や意識のうちに潜在し、言語や文字や行為を媒介として顕在化する心理的差別と、劣悪な生活環境等に象徴される同和地区住民の生活実態に具現されている実態的差別とに分類し、相互に因果関係を保つこれら二つの領域の差別の解消を行政施策の課題として指摘した。

 この同対審答申は、その後の国及び地方公共団体の地域改善対策の内容や運営に大きな影響を与えるとともに、この答申で述べられた同和問題に対する認識は、これまで、この問題に対する一般的な認識として受け止められ、論じられてきた。当部会での検討は同対審答申の内容についてその適否を問題にすることを目的とするものではないが、当部会として、同和問題の現状についての基本的な見解を明らかにするに際しては、同対審答申にさかのぼって検討し、関係者はもちろん広く国民の十分な理解を得ることが妥当であり、かつ、今後の地域改善対策の方向を論ずる上でも必要なことであると考え、必要な限りにおいて同対審答申にも言及した。

2、同対審答申と今日の同和問題

 同対審答申が出されて21年が経過しようとしているが、同対審答申が前提とした当時の同和問題や同和地区の状況と現在の状況とでは、かなり様相が異なっている。第一は、同和地区の実態の改善が相当進んでいることである。第二は、同対審答申では全く触れられていない問題が新たに生じてきたことである。

(同和地区の実態等の改善)

 同和地区の生活環境や同和関係者の生活実態は、同対審答申当時と比べ著しく改善されてきた。これは、その後の経済社会の発展に伴う面も多いが、それにもましてこれまで積極的に行政施策が推進されてきた成果と受け止めることができる。同対審答申が出されて以降、昭和四十四年には同和対策事業特別措置法が制定施行され、また、同法の期限切れに伴い、昭和五十七年には現行の地域改善対策特別措置法が制定施行され、これらの法律に基づいて関係施策が実施されてきた。ちなみに、昭和44年度から昭和61年度の間における国の地域改善対策関係予算額を合計すれば約2兆6,OOO億円に達する。また、地方公共団体においては国の補助を受けて実施する事業及び独自に実施する事業に国費を上回る額を投入して施策を実施してきている。昭和59年6月の地域改善対策協議会(以下「地対協」という。)の意見具申において「同和地区住民の社会的経済的地位の向上を阻む諸要因の解消という目標に次第に近づいてきた」と述べているとおり、同和地区と一般地域との格差は、平均的な水準としては、相当程度是正されたといえる。

 また、心理的差別の領域においてもその解消が進みつつある。この背景には、実態面の劣悪さが改善されたことのほか、各種の啓発施策や同和教育の実施が寄与している。

 他方、同和地区の実態や心理的差・別の問題について、今日、まだ、課題が残されていることも事実である。特に、差別意識の解消については、実態面の改善に比べ遅れており、差別事象の発生が依然としてみられることは残念なことである。さらに、生活環境の改善等の事業のうち一部の事業については、地域改善対策特別措置法の有効期間内に当初予定されたものの実施が困難な状況もみられる。

(新たな課題)

 現在の同和問題を巡る状況をみると、同和問題に関する意見の潜在化傾向や行政としての主体性の欠如に起因する行政運営における不適切な事例の存在、あるいは同和問題を口実にして利権を得る、いわゆるえせ同和行為の横行等同対審答申では触れられていない問題がみられる。地対協の意見具申においては、今後、啓発活動の充実が重要であるとの視点から、啓発活動の条件整備として、①同和問題について自由な意見交換のできる環境づくりを行うこと、②行政が確固たる主体性を確保して事に当たるべきこと、③いわゆるえせ同和団体の横行を排除することを提言しているが、これらの課題は、単に効果的な啓発活動を行うために解決されるべき課題であるばかりでなく、これからの同和問題の根本的解決を考えていく上での基本的な課題でもある。

 特に、これまでの地域改善行政を顧みると、行政機関においては、国、地方を問わず、民間運動団体への対応に腐心している状況がみられ、また、民間運動団体間の激しい対立が行政の現場に持ち込まれ、その対応に苦慮するという例がみられる。こうした状況の背景としては、民間運動団体の行動形態自体にも問題があるが、同和問題に対する行政機関の姿勢が特に問題である。行政機関においては、ともすれば事なかれ主義に陥り、民間運動団体との妥協の上に地域改善行政を進めるという傾向がみられる。これは、国民共通の課題であるべき同和問題を国民から遊離したものとするばかりでなく、この問題に対する一般国民の拒絶反応を生む一因ともなっている。行政機関は、改めて自らの立場を十分自覚し、民間運動団体との関係の在り方を見直すべきである。

II 同和問題の解決と行政等の果たすべき役割

1、同和問題解決の基礎条件

 同和問題の解決のためには、同和関係者の自立、向上を阻害している要因の解消がなされねばならない。同和関係者の自立、向上を阻害してきた要因としては、同対審答申以来、劣悪な生活環境等と国民の間に幅広く残った差別意識が挙げられてきた。このうち、同和地区の実態については、大幅に改善をみてきているところであり、実態の劣悪性が差別的な偏見を生むという一般的な状況は、現在ではなくなりつつある。一方、同和地区や同和関係者に対する社会的偏見は、その解消が進みつつあるというものの、現在に至るまでも根強く残されてきた。その背景としては、昔ながらの非合理な偏見の残澤、同和地区内外の交流が余りないこと、運動団体の行き過ぎた活動等からくる同和関係者、同和地区に対する好ましくないイメージの形成等の諸要因があり、これが、因となり果となり相互に作用して、社会的偏見の解消が妨げられてきた。また、地域改善行政における行政の主体性の欠如や、えせ同和行為の横行の問題は、同和問題についての国民の理解を妨げる大きな要因となっている。

 同和関係者の自立、向上を阻害し、また、同和問題の国民的理解を妨げているとみられるこれらの諸要因の解消を促進するということが、同和問題解決の基礎条件である。

2、同和関係者の自立、向上のための努力

 同和関係者の自立、向上のためには、同和関係者自らが自立、向上の意欲を持ち、自主的な努力を行うことが不可欠である。同和関係者の自主的な努力がなければ、自立のための環境条件が整備されたとしても、結局、同和関係者の自立、向上はいつまでたっても達成されないことになる。

 同和関係者の自立、向上のための努力は、同和問題解決のための根本要件であるので、同和関係者の努力を期待するとともに、この点に関する民間運動団体の積極的なとりくみを望むものである。

3、行政の役割

 同和問題解決のために行政が果たすべき基本的な役割は、同和関係者の自主的な努力を支援し、その自立を促すことでなければならない。また、同和関係者の自立を促す上では、国民に対し啓発を行い、差別意識の解消を促進することは極めて重要な任務である。これまで進められてきた地域改善対策事業や地方公共団体が独自に実施してきた関係施策は、その効果が最終的には、同和関係者の自立に寄与するものでなければならないが、ともすれば、行政がこの目標を見失い、一部に、同和関係者に対して、合理性が疑問視される給付や特例が認められてきたことは、今日、十分見直されるべきである。

 このような同和問題解決のために果たすべき行政の役割の根底には、現代福祉国家の理念がある。同和地区の実態の早急な改善のため、地域改善対策事業を実施するという行政の機能は、福祉国家の理念に裏付けられた積極的な行政の作用と解すべきものである。

 また、地域改善対策事業の推進は国と地方公共団体の共同の責務であり、その円滑な実施のためには、国と地方公共団体が一致協力することが不可欠である。その場合、国は、事業運営の方針を明確に示す等指導的役割を果たすことが重要である。

4、国民の協力

 同和問題の解決は、究極的には国民一人一人の自覚に待たなければならないものである。地対協の意見具申でも、あるべからざる差別の解消は我々国民に課された使命であり、同和問題の最終的な解決のためには、すべての国民の理解と協力が絶対不可欠であることが指摘されたところである。国民の間に幅広く残された偏見が、同和関係者の自立、向上を妨げてきたことを考えれば、国民が自らの心から、あるいは周囲の人々の心から、この偏見を取り除くよう努めることは、国民の道義上の責務といえる。

5、民間運動団体に期待される役割

 民間運動団体のこれまでの活動が、同和問題に対する国民の関心を高め、同和問題への行政の積極的な対応を促す要因となってきたという点については、大いに評価されるべきである。  しかし、今日、民間運動団体にも様々な問題点が指摘されるようになった。現在、国民が同和問題に対するイメージや意識を形成する上で、民間運動団体の影響は大きく、民間運動団体が国民に対し誤解や不信感を与えるような行動形態をとり続けていれば、国民が同和問題を正しく理解することは困難となる。のみならず、民間運動団体の行動形態や民間運動団体間の激しい対立抗争が、国民の間に不安と反感を招来し、新たな差別意識を生む一因ともなる。

 民間運動団体については、批判は批判として素直に受け止めるという謙虚な姿勢が切に望まれる。民間運動団体にそういう姿勢がなければ、運動の国民的広がりをかち得ることはできないであろう。

 同和問題の解決のために民間運動団体に期待される役割は決して小さくない。今後においても、民間運動団体の同和関係者に対する影響力の大きさ等を考えれば、同和関係者の自立意欲の向上のための民間運動団体の積極的な活動は極めて重要である。また、同和問題についての国民の理解を深めるため、民間運動団体が国民の納得を得られるような方法で活動を行うことができれば、啓発推進の重要な一翼を担うことができよう。

III、同和問題の解決のための基本的課題

 当部会では、同和問題の現状に対する認識、地対協の意見具申の指摘の内容を踏まえて、同和問題解決に向けての基本的課題としての次の五つの課題を挙げ、これらの課題について問題点を是正し、適正化を図るための具体的方策について検討を行った。

(1) 同和問題について自由な意見交換のできる環境づくり (2) 同和問題に関する広報の在り方 (3) 行政の主体性の確立と行政運営の適正化 (4) えせ同和行為の排除 (5) 同和関係者の自立、向上の精神のかん養とこれまでの行政施策等

1、同和問題について自由な意見交換のできる環境づくり

(1) 自由な意見交換を阻害している要因

 現在、同和問題は、いわばタブー視されている傾向がある。同和問題に関し、様々な意見が自由に公表されにくいという状況にあることは、本問題についての国民的な理解を深める上で、大きな障害となっている。同和問題が、国民の開かれた討論の対象とならない限り、この問題の前進はあり得ない。

 同和問題に関する自由な意見交換を阻害している大きな要因は、民間運動団体の行き過ぎた言動にある。民間運動団体の確認・糾弾という激い行動形態が、国民に同和問題はこわい問題、面倒な問題であるとの意識を植え付け、同和問題に関する国民各層の批判や意見の公表を抑制してしまっている。行政機関においては、同和問題についての広報活動等に対する民間運動団体からの激しい抗議や確認・糾弾等への恐れから、自由な発言や広報活動を行っていないという傾向がみられる。また、新聞社、放送局、出版社等ジャーナリズムについても同様な傾向がみられ、同和問題に関する言論や報道に伴う負担やトラブル等を懸念して、同和問題に関する自由な立場からの批判や掘り下げた報道を行うことを躊躇している状況があるように思われる。

(2) 確認・糾弾行為についての考え方

 確認・糾弾行為は、それが始められた頃の時代環境、すなわち、同和関係者の大多数が悲惨な生活状況に置かれ、厳しい差別の対象とされながら、それを改善するための行政施策が全く不十分な状況の下では、同和関係者の人権に関する自覚や差別の不合理性についての社会的認識を高める役割を果たしたことは否定できないが、基本的人権の保障を柱とする現行憲法下において、同和地区や同和関係者に対する行政施策の充実が図られている現代では、確認・糾弾行為の存在意義については、当然見直されねばならないものであ。幅広い国民の理解を得るためには、民間運動団体の行動形態も、時代環境に即して変わることが求められる。

 確認・糾弾行為は、被害者集団による一種の自力救済的かつ私的裁判的行為であるから、被糾弾者が当然にこれに服すべき義務を有するものではない。この点に関し、糾弾権が存在するとの主張が一部にみられるが、他人に何らかの義務を課する法的な権利として認められるためには、法律に根拠を有するか、判例上確立されたものでなければならない。しかし、糾弾権の根拠となる法律がないことは言うまでもないが、判例においてもそのような権利は認められていない。したがって、確認・糾弾行為に応ずる法的義務はなく、その場に出るか否かはあくまでも本人の自由意思によるべきことは当然である。そして、確認・糾弾行為が被糾弾者の自由意思に基づいて行われた場合でも、それは、社会的に相当と認められる程度にとどめられるべきであり、それを超えるときは、違法な行為であり、私的制裁以外の何物でもない。

 また、確認・糾弾行為は、被害者集団によって行われるため、被糾弾者の自由意思に基づいて行われるものであっても、勢いの赴くまま、行き過ぎたものとなる可能性がある。さらに、糾弾会への出席が、民間運動団体の直接、間接の圧力によって余儀なくされる場合もあり、真に自由意思に基づくものかどうか疑わしい場合もあろう。

 差別行為のうち、侮辱する意図が明らかな場合は別としても、本来的には、何が差別かというのは、一義的かつ明確に判断することは難しいことである。民間運動団体が特定の主観的立場から、恣意的にその判断を行うことは、異なった意見を封ずる手段として利用され、結果として、異なった理論や思想を持つ人々の存在さえも許さないという独善的で閉鎖的な状況を招来しかねないことは、判例の指摘するところでもあり、同和問題の解決にとって著しい阻害要因となる。もとより、差別行為が法益を侵害するものであれば現行刑法上あるいは現行民法上に所要の処罰あるいは救済の規定があるわけであり、また、法務省の人権擁護機関等公的機関も整備されているのであるから、それらの公的制度や機関の中立公正な処理にゆだねるべきである。

(3) 自由な意見交換ができる環境をつくるための方策

 第一に、民間運動団体は、糾弾というような行き過ぎた行為を是正し、社会的に妥当と認められ、国民な納得が得られるような手段で活動を行うべきである。

 第二に、行政機関・企業等は、もちろん、同和問題について正しい理解を持つよう努めるべきことは当然であるが、無原則に民間運動団体の要求に応ずることで問題を解決しようという態度は望ましいものではない。同和問題の理解を深めることと団体の要求に応ずることとは本質的に別個のものであり、団体の不当な圧力に対しては、毅然とした態度で臨むことが望ましい。また、団体の行為が受忍範囲を超え、違法行為に当たると思われる場合には、警察の協力を求めることも必要となろう。

 第三に、行政機関は、同和問題について自由な意見交換のできる環境をつくるため、積極的な努力を行うべきである。具体的には、民間運動団体に対する当事者の対応についてのガイドラインや事例集を作成し、その周知徹底を図ること、国及び地方公共団体の地域改善担当部局その他関係行政機関を活用することによって相談指導体制を確立すること、人権擁護機関の活動を拡充すること等が必要となろう。

 最後に、同和問題について自由な意見交換ができるという環境は、究極的には、国民一人一人がこの問題を正しく受け止め、差別意識の解消がなされることを通じて形成されるべきものであることはいうまでもない。

2、同和問題に関する広報の在り方

 ジャーナリズ,ムが自由な立場で同和問題に関する意見や批判を公にし、掘り下げた報道を行うことは、同和問題の国民的理解を促進する上で極めて有効である。しかし、ジャーナリズムにおいては、同和問題については触れないことが賢明という固定観念が形成されているように見受けられる。この背景には、民間運動団体の行き過ぎた行動があるとみられるが、一方、行政機関がこれまで同和問題に関する情報や資料を十分提供してこなかったということにも原因があろう。また、ジャーナリズムにこの問題を避けて通ろうとする傾向があることは、ジャーナリズムの使命という観点からすれば、ジャーナリズム自体にも問題がないわけではない。

 今後、行政機関が同和問題に関する議論や情報、資料をできるだけ公開し、ジャーナリズムに提供していくことになれば、ジャーナリズムの固定観念も次第に払拭することができると思われる。まず、同和問題に関する情報が一番集積している行政機関がこれまでの姿勢を改めていくことが重要である。

3、行政の主体性の確立と行政運営の適正化

 行政機関が、確固たる主体性を堅持して、適正な行政運営を行うべきことは、行政一般に当然求められることであるが、特に地域改善行政においては、この姿勢が貫かれなければ、新たな差別感を行政機関自らが創り出すこととなり、同和問題の解決に逆行する結果となる。行政機関の厳然たる姿勢が基本とされねばならない。しかしながら、現在のところ、一部に、行政としての主体性の欠如から、不適切な行政運営の事例がみられることは、はなはだ遺憾である。例えば、民間運動団体に補助金等を支出していながら、その適正な執行について十分な監督を実施していない例があること、個人給付的施策の対象者の資格審査が民間運動団体任せとなっており行政機関が資格審査を十分行っていない例や団体に加入していない同和関係者の施策の適用が結果として排除されるという例があること、公的施設の運営が特定の民間運動団体に独占的に利用されている例がみられること、各種の相談員、指導員の人選が民間運動団体任せになっている例があること等である。また、地域改善行政の運営に不適切な実態がみられながら、従来、国及び地方公共団体の監査、検査の機能が十分発揮されてこなかったということは、それ自体、行政としての主体性の欠如を示すものである。

(1) 行政の主体性の欠如、不適切な行政運営の原因

 行政としての主体性が確立されず、不適切な行政運営の実態がみられる原因としては、まず、行政職員が民間運動団体の威圧的な態度を恐れるとともに、激しい確認・糾弾や暴力行為、脅迫を受けるのではないかという不安を持っていることが考えられる。また、行政職員の間にこれまでの経緯等から「あきらめ主義」や「事なかれ主義」があり、地域改善行政を特別視する傾向があること、同和問題についての行政職員の理解や認識が十分ではないことも原因となっていよう。さらに、「対象地域」、「同和関係者」等地域改善行政における基礎的な概念の定義が必ずしも具体的に明らかにされていないことも、行政機関の主体的な意思決定を困難にしている大きな要因である。

(2) 適正化のための方策

 第一に、行政機関においては、民間運動団体との関係について見直しを行うことが必要である。例えば、民間運動団体と行政との望ましい関係の在り方の基準や行政としての主体性を確立するためのチェックポイントを明らかにすることは、今後の行政運営の適正化にとって有効なものとなろう。

 第二に、地方公共団体における地域改善行政の不適切な運営を是正し、適正化を図っていくためには、国は都道府県に対して、都道府県は市町村に対して適切な助言、指導等を積極的に行っていくことが必要である。

 第三に、「対象地域」、「同和関係者」、「同和団体」という行政運営の基礎的概念を整理し、具体的にその定義を明らかにし、行政運営の明確化に努めるべきである。

 第四に、地域改善行政の運営に当たっては、事業の内容や目標、予算等を広く住民に公開し、開かれた行政運営に努めていくことが必要である。

 このほか、同和問題についての行政職員の理解を十分深めていくべきことや行政の監査、検査の機能を積極的に活用し、内部的なチェックを行っていくこと等も重要である。
4、えせ同和行為の排除

 いわゆるえせ同和団体やえせ同和行為の横行は、今日、重大な社会問題であり、また、同和問題の国民的理解を妨げる大きな要因である。えせ同和行為とは、何らかの利権を得るため同和問題を口実にして企業・行政機関等へ不当な圧力をかける問題行為である。一昨年の地対協意見具申では、えせ同和団体の排除が指摘されたところであるが、えせ同和行為の中には、既存の民間運動団体の構成員によって行われるものもあり、排除の対象としては、それも含めて、えせ同和団体ではなく、えせ同和行為としていくべきである。

 えせ同和行為が横行する原因としては、同和問題はこわい問題であるという意識が企業・行政機関等にあり、不当な要求でも安易に金銭等で解決しようという体質があること等が挙げられる。また、「同和は金になる」という風潮が一部にみられることや地域改善行政におけるあいまいな運用もえせ同和行為横行の背景となっている。えせ同和行為の横行を排除するための具体的方策としては、①企業・行政機関等においては団体からの不当な要求については断固として断り,また、不法行為については、警察当局に通報する等、厳格な対処で臨む姿勢が必要であること、②民間運動団体については、えせ同和行為排除のための自律機能や自浄能力を高めること、③行政機関としては、企業・行政機関等の望ましい対応について積極的な啓発活動を展開すること、また、不法行為に対しては的確な警察措置が採られている現実を明らかにすることも重要である。

5、同和関係者の自立、向上の精神のかん養とこれまでの行政施策等

 同和関係者の自立、向上の精神のかん養が同和問題の解決の基礎条件であることは、既に述べたが、現在の行政施策の内容や運用をみると、必ずしも同和関係者の自立という視点が徹底されていない面がみられるので、このような視点からこれまでの行政施策等を再評価してみる必要がある。

(1) 同和関係者の自立、向上という視点からの行政施策等の評価

 行政施策については、同和関係者の生活水準や生産水準を高め、生活の自立を促すという効果を持った反面、同和関係者の自立意欲を阻害している要素も多分にある。個人給付的施策の安易な適用や一般低所得者対策等と均衡を失するような施策の存在は、結果として、同和関係者の自立意欲を阻害する一因ともなっている。自分が同和関係者であれば、いつまでも特別な施策の対象者になるのだという意識が醸成されれば、同和関係者の自立性の基盤はいつまでたっても形成されないことになる。のみならず、経済的に豊かであるのに同和関係者だからという理由で特別な給付が受けられるということは、新たな差別感を生む要素となるおそれがあることにも十分配慮すべきである。

 こうした観点からみるとき、単に個人給付的施策ばかりでなく、一部にみられる特別な納税行動や税の減免制度、低額所得者向けの施策住宅等の中においても、立地条件、建設年度、住戸規模等からみて、なお、著 しく均衡を失した低家賃の実態があることも問題である。

 また、民間運動団体については、これまでの活動が構成員に誇りを自覚させるというプラスの効果を持った反面、差別又はそれに対する補償を過度に強調することは、同和関係者の自立、向上精神のかん養にとって阻害要因となっている面もある。さらに、民間運動団体がその強硬な態度により、個別施策の実施やその適用を左右してきたことは、結果として、同和関係者の行政への依存体質を強めてきた面もあることを反省されなければならない。

(2) 改善方策

 個人給付的施策については、同和地区の実態の改善が進み、社会福祉等の一般対策も整備されているのであるから、原則として廃止し、一般対策の中で対応する方向で検討すべきであり、なお、例外的に認められるべき個人給付的施策としては、自立の促進に役立つことが明白であるもの等真に必要なものに限定するとともに、対象者の資格の厳正な認定を行う必要がある。さらに必要に応じ所得制限を導入する等により、施策の安易な適用を排除すべきである。その他、税等の関連制度においても同和関係者の自立意欲を阻害する不合理な特例は廃止すべきである。

 一方、同和関係者が自立し易い環境をつくるという点では、もちろん、国民に対し啓発を行い、差別意識の解消を促進することは極めて重要な課題であり、今後とも積極的に推進しなければならない。

IV、地域改善対策事業のこれまでの実績と今後の課題

1、地域改善対策事業のこれまでの実績

(1) 地域改善対策事業の執行状況

 地域改善対策事業のこれまでの実績について、まず、事業の執行額についてみると、昭和五十七年度から昭和六十年度までの間に、地域改善対策事業として、国費だけで約七、五〇〇億円が投じられた。昭和六十一年度の地域改善対策予算は、約二、一〇〇億円であるので、地域改善対策特別措置法の有効期間における事業量(国費)は、合計約九、六〇〇億円に達することになる。地域改善対策事業のうち、生活環境の整備等の物的事業(建設省、厚生省、農林水産省、文部省、自治省)については、昭和五十七年度から昭和六十年度までの執行額(国費)が約六、七〇〇億円、昭和六十一年度の予算額が約一、七〇〇億円であり、同法の有効期間における事業量(国量)は、約八、四〇〇億円となる。地域改善対策特別措置法制定当時同法の有効期間内に実施すべきものとして予定された事業量(国費)は、当時の価格で七、〇〇〇億円程度であったので、量的にみれば、予定された事業量に十分見合う国費が投じられてきたことになる。

(2) 地域改善対策事業のこれまでの主な実績

 地域改善対策事業として、昭和五十七年度から昭和六十一年度の間に約一兆円近い国費が投じられたことにより、同和地区の生活環境や同和関係者の生活実態の改善は着実に進められてきたが、各分野における地域改善対策事業の主な実績をみると次のとおりである。

 (生活環境の改善、社会福祉の増進等のための事業)

 住環境の整備・改善を図るため、住宅地区改良事業、小集落地区改良事業等の面的整備事業が実施され、不良住宅の除去、改良住宅の建設等の総合的な整備が進められてきた。具体的には、住宅地区改良事業等が昭和五十七年度から昭和六十年度の間に住環境の劣悪な四一五地区で実施され、一四七地区で事業が完了しており、さらに、昭和六十一年度においては約一〇〇地区での事業の完了が見込まれている。地域改善対策特別措置法制定以前に実施された事業と合わせると、昭和六十年度までに約八〇〇地区で事業が実施され、約五三〇地区で事業が完了している。また、住宅の建設等も進み、昭和五十七年度から昭和六十年度の間において、公営住宅の建設戸数は四、八九〇戸、持家の取得等のための資金を貸し付ける住宅新築資金等貸付事業の貸付件数は約三三、五〇〇件となっている。さらに、下水道事業、公園事業、街路事業等の実施により、根幹的な公共施設の整備等も進められ、例えば、昭和五十七年度から昭和六十年度の間に下水道事業が三〇六か所、公園事業が一九三か所で実施されている。このほか、同和地区の環境整備を図るため、地方改善施設整備事業が実施され、昭和五十七年度から昭和六十年度までに、例えば、地区道路四、七五八か所、下水排水路一、四一六か所で整備が進められた。昭和五十六年度以前に実施された事業を合わせると地区道路三、二五五か所、下水排水路五、四九〇か所となっている。

 また、同和地区において生活相談事業や保健衛生事業等の実施の拠点となる隣保館は、昭和五十七年度から昭和六十年度の間に八三館整備され、それ以前に整備されたものと合計すると一、〇二九館となる。隣保館の整備等により、同和関係者の生活上の二ーズに応じた各種の事業が実施され、同和関係者の生活の改善、向上に寄与してきている。このほか、児童の健全育成のため保育所・児童館の整備、妊婦健康診査及び保健衛生に関する知識の普及等の事業は、社会保障施策の充実とあいまって地域の保健・福祉の向上に貢献してきている。

 (産業の振興のための事業)

 農林水産業の振興については、土地基盤等生産基盤の整備や近代化施設の整備等が進められてきた。具体的には、昭和五十七年度から昭和六十年度の間に、かんがい排水による受益面積が約七、五〇〇㎞、農道整備が約一、七五〇㎞となっている。この結果、同和地区における農林水産業の生産性の向上、農林漁業経営の安定化が図られてきた。例えば、土地条件等の制約を克服して、集約的な園芸や畜産、水産養殖等施設型経営への移行や周辺農漁家との連携による協業組織化が進み、地域全体として農漁業に取り組む事例が見られる。

 また、産業の振興については、経済力の培養等を図るため、小規模事業者に対する相談・指導を行う経営改善普及事業、新商品・新技術の開発、人材育成、情報収集等の経営資源の充実策及び事業協同組合等の組織化を推進するとともに、企業経営の近代化・合理化を促進するための高度化資金融資制度等の各事業が、これまで実施されてきた。

 (職業安定のための事業)

 同和関係者の雇用の促進と職業の安定を図るため、職業訓練等就業能力の開発、常用労働者として就職する同和関係者に対する資金の貸付、事業主に対する助成金の支給等の援護措置、就職差別の解消のための事業主に対する指導・啓発等の各事業がこれまで実施されてきた。ちなみに、就職資金の貸付実績は、昭和五十七年度から昭和六十年度の間において、五一、三九〇件となっている。

 (教育の充実のための事業)

 学校教育に関しては、経済的理由によって就学が困難な同和関係者の子弟に対する進学奨励事業の実施等により、同和地区の高校進学率は昭和五十年代に入って、八十七%~八十九%の水準で推移しており、一般地域との格差も四%~七%となっている。高等学校等進学奨励事業の対象者は、昭和五十七年度から昭和六十年度の間で、国公立、私大合わせて延べ約十三万人に達している。また、大学への進学率についても、まだ格差はあるものの、徐々に向上してきている。さらに、教育推進地域の指定等の事業の実施により、地域ぐるみの同和教育の推進やその充実が図られてきた。

 また、社会教育活動の実施により、学習機会の拡大等地域の教育水準の向上に寄与してきて おり、例えば、昭和五十七年度から昭和六十年度の間に約一、〇〇〇か所の集会所において、約三、九〇〇件の集会所指導事業が行われた。

 (人権擁護活動の強化のための事業)

 啓発活動は、その効果がすぐ把握できるという性格のものではなく、本来粘り強く実施されねばならないものであり、また、心理的差別の解消の促進が地域改善行政の重点課題となってきていることから、その充実強化が図られている。啓発活動としては、同和問題に関する講演会、研修会の開催、テレビ、ラジオ、新聞等による啓発、地方公共団体職員に対する指導者養成の研修、同和啓発映画の製作等が行われてきている。また、人権相談事業については、同和地区を有する市町村における特設人権相談所の開設等地道な活動が続けられている。この結果、差別意識の解消はある程度進んできている。

2、同和地区の実態及び同和問題に関する意識の現状

 総務庁は、同和問題に関する同和地区内外住民の意識の状況及び同和関係者の生活実態を把握するため、昭和六十年十一月三十日現在で「昭和六十年度地域啓発等実態把握」(以下「実態把握」という。)を実施した。その中間報告によれば、以下のとおりである。

(同和地区の実態)

 同和地区の生活実態面において、その改善・向上が認められる主な点としては次のようなものがあった。

① 婚姻の状況をみると、「夫婦とも地区の生まれ」の夫婦が同対審答申当時と比べると明らかに減少している(昭和三十八年同和地区精密調査八〇%→実態把握六六%)。特に、若年層ほど一般住民との結婚は増加しており、夫の年齢階層が三十歳未満の夫婦では、「夫婦とも地区生まれ」の割合は三六%となっており、六割強の夫婦は一般住民と結婚している。

② 高校等への進学率は飛躍的に向上してきた(昭和三十八年三〇%↓実態把握八八%(転出者は含まない。))。また、最終学歴をみると、全体では、初等教育修了者の割合は、全国水準と比べて高いが、若年層ほど大学、短大等の高等教育終了者の割合は増えてきている。

③ 同和地区の生活環境は極めて劣悪な状態にあるとされ、道路等が一般に未整備で、火災防止危険等の点からも改善の余地があることが同対審答申でも指摘されたが、住宅の敷地に接している道路(接道)の幅員をみると、現在では、面的事業の推進等により、全国的な水準とほぼ同様の水準にまで改善されている。

④ 住居の状況をみると同対審答申当時は、大都市における一人当り居住室畳数等において全国水準より明らかに劣っている状況がみられたが、その後の推進等により、現在では、全国水準とほぼ格差のない水準まで大幅に改善されている。また、住居の専用設備についても、共同便所はほとんどなくなっており、また、大部分の世帯で専用の浴室を持っている。

⑤ 就労の状況をみると、家族従業者が減少する一方で、常用雇用者が増加する等徐々にではあるが改善されてきており、また、管理的職業等に従事する者の割合が少しずつ増えてきている。

⑥ 産業の状況をみると、全国水 準と比べいまだ事業規模の零細性は強いものの、同和地区における零細企業(従業者一~四人規模)の割合が減少する等徐々にではあるが改善をみている。

 他方、同和地区の生活実態面において、全国水準と比べまだ格差がある点として次のようなものがあった。

① 同和地区における生活保護世帯を含めた住民税非課税世帯の割合は、全国水準と比べて十ポイント程度高い。

② 同和地区においても雇用者の増加という傾向がみられるが、全国水準と比較すると、常用雇用者の割合は少なく、臨時雇用日雇等の不安定就労者の割合が高い傾向にある。また、勤務先の企業規模をみると、一〇〇人未満の小規模企業の割合が高い。

③ 学齢十五歳の者の進学状況(転出者は含まない。)をみると、高校・高専への進学率(九四%)と比べるとなお若干の格差がある。

(同和問題に関する意識)

 同和問題に関する意識の状況について実態把握結果に表われた主な特徴としては次のような事項がある。

① 同和地区外の住民のうち八割を超える住民が同和問題を知っており、そのきっかけとして、四分の一の人々が学校の授業、テレビ・ラジオ、研修会等を挙げており、啓発活動が普及してきていることがうかがえよう。

② 同和地区の起源については、同和地区内住民の七割を超える人々が、また、同和地区外住民の約六割の人々が政治起源説を挙げており、啓発活動の成果がうかがわれる。一方、一割弱の同和地区外住民が人種起源説を挙げており、地域ブロック別にみると、関東、中部においてその割合が高い。

③ 同和地区については、一般にやや好ましくないイメージで受けとられており、特に、閉鎖的であるというイメージが強い。地域ブロック別にみると、閉鎖的というイメージは、関東、中部で強い。

④ 同和地区の人との結婚について、同和地区外住民の約二割の人々が、家族や親せきの意向を優先するとしており、また、親が反対したら結婚しないとする人々が三割を超えている。

⑤ 同和地区の改善について、十年前と比較して、同和地区内住民のほとんどが環境が良くなったとしており、また、五~六割の住民は、生活や仕事の状況が良くなったと評価している。

⑥ 今後とも特別対策が必要かどうかについては、同和地区内外の住民に格段の差が認められ、必要だと答える住民の割合が同和地区外では一割程度であるのに対し、同和地区内では約七割となっている。

⑦ 同和教育の実施について、同和地区外住民の多くが消極的な意識を持っており、現在の同和教育の在り方について十分検討すべき余地のあることが示唆されている。

3、地域改善対策事業の今後の主な課題

 地域改善対策事業は、これまで着実な成果を挙げてきた一方で、今後に残される課題もある。主な課題を整理すれば次のとおりである。なお、今後の事業推進の前提として、IIIで指摘した行政の主体性の確立、同和関係者の自立、向上の精神のかん養という視点からの見直し等の適正化対策が講じられねばならないことは当然である。

① 差別意識の解消は、これからの地域改善行政の重点課題として、一昨年の地対協の意見具申の趣旨を十分踏まえて、その促進のための啓発活動を積極的に講じていく必要がある。その際、配慮すべき事項として、次の諸点について改めて強調しておく。

(ア) 同和地区は閉鎖的であるという一般住民のイメージを解消するため、地域ぐるみの啓発活動の実施等同和地区内外住民の交流を促進し相互の理解を深めるよう努力すること。

(イ) 同和教育については一般住民の批判的な意見も多いが、この背景には、地域によっては民間運動団体が教育の場に介入し、同和教育にゆがみをもたらしていることや同和問題についての住民の理解が十分でないことが考えられる。同和教育の推進に当っては、住民の理解と協力を得るよう努めるとともに、教育と政治・社会運動との関係を明確に区別して、教育の中立性が守られるよう留意し、行政機関は毅然たる姿勢で臨むこと。

(ウ) 地対協の意見具申でも指摘されているとおり、同和問題は国民一人一人が主体的に取り組むことによって解決が可能となるのであるが、行政においては、国民が主体となるための条件の整備を行わなければならないこと。そのためには、国、都道府県、市町村はそれぞれの立場で啓発活動を推進する必要があるが、その場合、国のリーダーシップは重要である。また、地対協の意見具申で指摘された国が行うべき啓発活動についても、より効果的に実施するための工夫が望まれる。国においては、同和問題の啓発に関し、明白な方針を示すとともに、その方針等が都道府県、市町村、さらには民間企業や国民に迅速に伝達されるよう一層の工夫を行う必要がある。そのための一つの方法として、国、都道府県、市町村、民間企業等が参画した公益法人を設立し、その法人が国の啓発の指針等の情報を迅速に普及させるなどにより啓発活動を行うこと、えせ同和行為その他同和問題に関する相談活動及び同和問題に関する調査研究等の事業を実施することが考えられよう。

(エ) 啓発活動の充実のため、大学等の高等教育においても、同和問題を含め人権意識の高揚のための特別の配慮が必要であること。

(オ) 今後、効果的な啓発活動を展開していくためには、啓発内容の質的側面、地域改善対策事業未実施地域における啓発活動の在り方等についての検討が必要となること。

② 地域改善対策事業のうち、住宅地区改良事業、地方改善施設整備事業等については、一部に事業の取り組みが遅れている地域がある等全国的にみるとその進捗状況に格差がみられる。また、これらの物的事業については、(ア)当初予定されたもののほかに、地域改善対策特別措置法施行後新たに追加的な事業実施についての要望が出されていること、(イ)用地費等の値上がり、事業計画の変更等により事業量が増加していること、(ウ) 用地取得に関して地元の調整が難航している等の理由により、当初計画どおりに整備が進んでいないこと等から昭和六十二年度以降に持ち越される事業量が見込まれている。昭和六十二年度以降の事業量については、現在、事業所管省庁において精査しているところであり、現時点では、確定できる段階にはないが、真に必要な事業については、地域改善対策特別措置法失効後においても実施していく必要がある。なお、就労、産業の分野について、同和関係者の自立意欲の向上等の観点からの施策の見直しを行った上で、同和関係者の自助努力を前提としつつ、同和地区における産業の振興、職業の安定を図る必要があると考える。 

V、今後の地域改善行政を考える上での基本的問題点

1、今後の地域改善行政に対する基本的考え方

 地域改善対策特別措置法失効後においても真に必要な施策は実施されるべきであると考えるが、今後の対策の推進に当たっては、次の前提条件が実現されねばならない。

① これまでの地域改善行政の反省に立脚し、行政の主体性の確立や同和関係者の自立、向上の精神のかん養という視点からの見直し等適正化のための措置が十分講じられること。

② 現行の施策については、言わば既得権益化することなく、同和地区の実態の改善に応じた施策の見直しが行われ、今後の施策の内容が真に必要なものに限定されること。  また、事業の推進については、国民の理解と協力を得ることが絶対不可欠であるが、この前提条件が実現されなければ、国民の理解と協力を得ることは到底できないであろう。  地域改善対策特別措置法の失効後の措置の在り方については、法的措置の要否も含めて、いずれ、地域改善対策協議会において審議され、同協議会としての結論が出される予定であるが、当部会では、その審議の参考に供するため、地域改善対策特別措置法が失効した場合の影響について言及しておく。

(法失効の影響)

 地域改善対策特別措置法失効後の昭和六十二年度以降において、これまでのような特別措置を講ずることなく、現在の地域改善対策事業のうち所要の事業を実施していくことになれば、その実施は次のような方法によることになる。

① 一般対策を有する事業については、一般対策の事業として実施する。 ② 地域改善対策固有の事業であって、一般対策がない事業については、予算措置として実施する。

 地域改善対策特別措置法失効後このような形で事業を実施することになった場合、同法失効の制度的な影響は、次のように整理される。

① 地域改善対策特別措置法は、地域改善対策事業の実施について、特別の財政措置として、(ア)国庫負担・補助率のかさ上げ、(イ)地方債の特例(事業費のうち国庫負担・補助を除く部分に対する起債の充当率が一〇〇%であること。)、(ウ)地方債元利償還金(自治大臣が指定するものに限る。)の八割の地方交付税基準財政需要額への算入措置を講じているが、同法が失効した場合、この特例の財政措置がなくなることになる。

② 具体的には、(ア)一般対策として法律に基づく国庫負担・補助がある事業(一般対策と国庫負担・補助率が同じ地域改善対策事業は除く。)については国庫負担・補助率が一般対策の国庫負担・補助率に戻ること(例・保育所整備事業2/3→1/2、造林事業2/3→3/10、消防施設等整備事業2/3→1/3)、(イ)地方債の起債が一般の事業債の枠及び充当率に戻ること(例・住宅地区改良事業八五%(充当率)、簡易水道事業九〇%(充当率)、農業基盤整備事業(起債なし)、(ウ)地方交付税算入措置がなくなることである。また、本来、予算措置に基づく事業については、補助率等が各年度の予算で決められることになる(例・地方改善施設設備整備事業、集会所施設・設備整備事業)。

 地域改善対策特別措置法が失効し、現行の特別な財政措置がない下で事業を実施することになれば、事業を実施する地方公共団体の財政負担は増加せざるを得ないことになる。

 一方、同和地区を有する地方公共団体の中には、財政基盤がぜい弱な自治体もみられることから、事業の推進が困難となる面があることは否定できない。

2、地域改善対策と一般対策との関係

 現行の地域改善対策事業は、地域改善対策特別措置法施行令第一条において、四四号にわたって規定され、事業の実施について特別の財政措置が講じられているが、これは、同法立案の指針となった同和対策協議会の昭和五十六年十二月十日の意見具申にも述べられているとおり、「いわゆる一般法による施策だけでは解決できない事項や、一定期間内に特定目的を達成する必要がある事項」として定められたものである。このように、同和地区について特別対策が講じられているのは、同和関係者が国民の間に幅広く残る差別的な偏見のゆえに、生活の様々な分野でその向上が阻まれてきたという問題の特殊性にかんがみ、その早急な改善に努めるための効果的な手段として、各分野の施策をまとめ、特別な措置を講ずるというやり方をとっているものである。

 一方、同和地区の実態については、これまでの事業の推進等により、相当改善をみているところであるので、仮に、今後特別対策を一定期間継続するとした場合、いかなる施策を特別対策として実施し、いかなる施策を一般対策として実施するか、そして両者の関係については、次のような考え方で臨むべきである。

① 国民に対する行政施策の公平な適用という原則に照らせば、できる限り、一般対策の中で対応するということを基本とし、特別対策として実施すべき施策は、真に必要なものに限定すべきであり、従来からそのような方針で進められてきたところである。同和地区の実態の改善状況からみても、これまでの方針を変える理由はなく、現行の地域改善対策事業の範囲を広げることがあってはならない。

② 地域改善対策事業といえども結局は国民の租税負担によって賄われることになるのであるから、地域改善対策を著しく優遇して、一般対策と不均衡を生ずるようでは、容易に国民的合意を得難く、社会的公平を確保するゆえんでもない。したがって、現行の地域改善対策事業を厳格に見直し、現状においては、一般対策に移行した方が適当なものは移し、もはや必要性がなくなったものは廃止すべきであり、地域改善対策と一般対策との均衡に十分配慮すべきである。

③ 個人給付的施策については、新たな不公平感を生む要素ともなり得るので、原則として、一般の福祉対策等の中で対応すべきである。特に、地方公共団体は独自に各種の個人給付的施策を実施しているが、これらの施策の中には、その合理性が疑問視されるものがあり、見直しを行うべきである。また、その見直しに当たっては、国の適切な助言、指導が必要となろう。

3、いわゆる地区指定の事実上の解除の実施

 仮に、今後何らかの特別の法的措置がとられることになった場合においても、事業が終了し事業を実施する必要性がなくなった同和地区については、住民の合意に基づき、事実上の問題として、いわゆる地区指定を解除することは、差別意識の解消を促進する観点からも望ましい。その場合においては、いわゆる地区指定も法律上の指定とし、解除も法的に明白に行うこととすることも検討に値しよう。

4、差別行為の法規制問題

 差別事象の発生が依然としてみられることから、現在の啓発活動、人権擁護機関の活動及び現刑法の名誉殿損等の処罰規定には限界があるとして、悪質な差別行為について新たな法規制を導入すべきだとの主張が一部にみられる。

 また、大阪府においては、昭和六十年三月、「大阪府部落差別事象に係る調査等の規制等に関する条例」が制定されたが、この条例では、興信所等の行う同和地区出身者か否か等に関する身元調査活動について興信所等の自主規制や行政処分を前提としつつも、行政処分に違反した悪質な業者に対しては、最終的に刑罰を課する内容となっている。  差別行為は、もちろん不当であり、悪質な差別行為を新たな法律で規制しようという考え方も心情論としては理解できないわけではないが、政策論、法律論としては、次のような問題点があり、差別行為に対する新たな法規制の導入には賛成し難い。

① 差別を根絶するためには、差別を生み出している心理的土壌を改めていくことが必要である。これは、啓発によって可能となるのであって、刑罰によって達成されるものではないのみならず、刑罰を課することは差別意識の潜在化、固定化につながりかねない。

② 仮に立法するにしても、量刑は、罰金等軽度なものにならざるを得ず、差別行為に対する抑止力としては疑問がある。

③ 告訴、起訴等によって、差別者が刑事手続の対象となれば、司法権尊重の立場等から、その間、人権擁護機関として啓発は抑制せざるを得ず、また、不起訴に終った場合あるいは刑の執行が終った場合は、免責感あるいは瞳罪済みの感覚を与え、有効な啓発の実施が困難となる。

④ 結婚や就職に際しての差別行為を処罰することについては、憲法上保障されている婚姻、営業等の自由との整合性が確保されねばならない。結婚差別については、それを直接処罰することは、相手方に対して意に反する婚姻を強制することにもなりかねず、憲法に抵触する疑いも強いと考えられる。また、就職差別を直接処罰することについては、現行労働法体系は、企業に対して採用時における契約の自由を認めており、求職者の採否は、企業がその者の全人格を総合的に判断して決めるものなので、採用拒否が同和関係者に対する差別だけによるものと断定して法を適用することは、極めて困難と考えられる。

⑤ 差別投書、落書き、差別発言等は、現刑法の名誉殿損で十分対処することができる。対処することができないもの、例えば、特定の者を対象としない単なる悪罵、放言までを一般的に規制する合理的理由はない。特に悪質なものを規制するとしても、その線引きを明確にすることは著しく困難である。

⑥ 立法上必要とされる「部落」、「同和地区」、「差別」等の用語については、行政法規において定義することは可能であると考えられるが、刑事法規に必要とされる厳密な定義を行うことは難しく、明確な構成要件を組み立てることは極めて困難である。

5、同対審答申の今日的意義

 昭和四十一年の同対審答申は、同和問題の解決に向けての基本的な考え方を明確にするとともに、同和地区に関して講ずべき総合的な方策をはじめて示したものであり、その後の同和問題に対する国及び地方公共団体の積極的な対応を促したことについては、十分評価されるべきものである。反面、この答申を現在においても絶対視して、その一言一句にこだわる硬直的な傾向がみられる。

 同和問題の現状や同和地区の実態は、本報告書で述べたように、同対審答申当時とは、かなり異なったものとなっており、この答申については、改めて二十年余という時の光に照らしてその意義を認識していく必要がある。

 今日、同対審答申を尊重するというのは、そこに書かれた言葉をそのまま現在においても実現しようということではない。同対審答申の根本にある同和問題の解決のために、国、地方公共団体、国民が積極的に努力しなければならないという精神をしっかり受け止めた上で、答申の具体的な内容については、同和問題や同和地区の現実の動きに即して、その妥当性を見直し、現実の動きに即した行政を展開することこそが真に同対審答申を尊重するということである。

 そこに、同対審答申の今日的意義がある。

(付論)

 確認・糾弾行為及び差別行為の法規制問題に関する討議において、部会の委員間で異なった意見が出されたので付記する。

 民間運動団体の行き過ぎた確認・糾弾行為には、弊害があるという点においては、部会全委員の一致した見解であったが、確認・糾弾行為を抑制するための方策に関しては、意見が分かれた。

(多数意見)

 多数意見は、本報告書本文の記述のとおりであるが、その要点を再述すれば次のとおりである。

 差別事件の処理は、現行の人権擁護機関、司法機関等の公的機関による中立公正な処理にゆだねられるべきであり、民間運動団体は糾弾というような行き過ぎた行為を是正すべきである。また、差別行為をなくすことは、差別意識の解消を促進するための啓発の充実によって達成すべきであり、特別な立法による差別行為に対する規制は適当ではない。

(少数意見)

① 民間運動団体の行き過ぎた行為を抑制するため、現行の制度や機関のほかに、民間運動団体の確認・糾弾行為に代わり得る、差別事件に関する公的な調停制度や機関を設置すべきであり、また、法規制についても、さらに検討すべきであるという意見が一人の委員から出された。

② 確認・糾弾行為の廃絶を図るためには、同和関係者あるいは、同和関係者集団に対する侮辱を処罰する特別侮辱罪及び就職差別についての救済命令制度を創設すべきであるという意見が一人の委員から出された。

矢田事件最高裁判決

矢田事件 最高裁 市教委のイチャモンを断罪

「差別文書」として研修させた市教委に、賠償を命じる

矢田事件(民事) 最高裁判所 1986年10月16日判決

 同和問題で大阪市と異なる見解を表明することは自由であり差別ではないという当たり前のことが確立するのに多くの犠牲と勇気や努力が必要であった。解放同盟と二人三脚で歩んできた歴代大阪市当局・市教委の責任は重大といわなければならない。

 1969年、大阪市教組東南支部役員に立候補したKさんはあいさつ状で「仕事においまくられて勤務時間外の仕事を押しつけられていませんか。進学のことや,同和のことなどで,どうしても遅くなること,教育こんだん会などで遅くなることはあきらめなければならないのでしょうか。」と呼びかけた。「部落解放同盟」(「解同」)はこれを「差別文書」と決めつけ教員を拉致・監禁し深夜まで糾弾。市教委も教育長通知まで出して「差別文書」といいがかり。屈しない教員8名を配転、研修を命じ、8年間も教壇に立たせなかった。これは関係者に大変な苦痛を与えるとともに、「解同」及び市教委にたてつくとどういう目にあうかという見せしめとしての効果をもたらした。

 「解同」は「差別文書ではない」と主張する府連委員長(当時)をはじめ支部や同盟員を組織から排除する一方、「窓口一本化」を行政に求め、これらの人々を同和対策事業から除外させた。学校では「解同」及び市教委とそれに同調した一部教職員の圧力で「もの言えぬ職場」がつくられていった。

 1974年に引き起こされた八鹿高校事件の源流であった。

 「解同」幹部は1982年3月有罪が確定(矢田刑事裁判)。また、強制研修を命じられた8人の教員は大阪市を被告として配転・強制研修命令の取り消し訴訟を行い、現場復帰後は国家賠償訴訟を行った。1986年10月16日最高裁で原告の勝訴が確定、大阪市に損害賠償を命じた(矢田民事裁判)。

 以下、「矢田民事裁判」での市教委のイチャモン(上告理由)と最高裁の判決文を比較して並べた。市教委の上告理由は編集者が要約した。最高裁判決は全文。原審(大阪地裁判決)に教育基本法が生きている。

編集 柏木 功

昭和五六年行ツ第四〇号 判決

  上告人      大阪市   被上告人     □□

高等裁判所が昭和五五年一二月一六日言い渡した判決に対し、上告人から一部破棄を求める旨の上告の申立があつた。よつて、当裁判所は次のとおり判決する。

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人の負担とする。

理由

    [大阪市]「原審には行政事件訴訟法の解釈を誤つた違法がある。本件転勤および研修命令は「行政庁の処分その他公権力の行使に当たる行為」に該当せず。

最高裁】上告理由第一について 論旨は、要するに、原判決には行政事件訴訟法三条二項の解釈を誤つた違法がある、というのである。

 しかし、記録によれば、被上告人らは大阪市教育委員会を相手として本件転任処分及び本件研修命令の取消しを求める訴えを提起したものであるところ、その第一審係属中に、被上告人らに対する本件研修命令の打ち切り及び再転任処分が行われたので、被上告人らの申立により、第一審裁判所において、行政事件訴訟法二一条に基づき、市教委及び上告人の意見をきいた上、右取消訴訟の目的たる請求を上告人を相手とする損害賠償請求に変更することを許可する旨の決定をしたものであり、右訴え変更許可決定はなんらの不服申立もなく確定したことが明らかである。

 してみれば、右訴え変更後の本訴請求においては、本件各処分が国家賠償法一条一項にいう公権力の行使に当たる公務員の行為に該当するかどうかを問題にするならばともかく、抗告訴訟の対象となる行政処分に当たるものであるか否かを問題とする余地はないものといわなければならず、上告人の主張は既にこの点において失当というべきである。論旨は、採用することができない。

    [大阪市]第二、原審は、本件「あいさつ状」が部落解放の中心的役割を果す同和教育の推進を阻害するもの|この意味で差別の温存助長に繋がるゆえに差別文書といえる|と判断し、被上告人らの資質の向上を図るため行つた本件各処分は、「思想、信条の自由、内心の自由」を侵すもので、憲法一九条に違反する処分であると判示。しかし右判断は憲法解釈を誤つたもの。

     第三 本件転勤・研修については、①「あいさつ状を差別文書と認め(させ)ることにあつたこと」②「解同矢田支都の要求に応じて行なつた恣意的なもの」とし「教育の自由を侵し、公教育の中立性を侵害する不当な支配に屈したもの」「(被上告人らの)思想・信条の自由、内心の自由」を侵すもので「裁量の範囲を著しく逸脱した裁量権の濫用」があり、本件各処分は違法であるとするが、この判断は市教委の裁量権について根本的にその解釈を誤つている。

     第四、原審には、国家賠償法の「故意又は過失」の解釈に誤り。

最高裁】同第二の一、第三及び第四について

 所論の点に関する原審の事実認定が是認できるものであることは、第二の二及び第五の論旨に対して述べるとおりである。原審の適法に確定した事実関係の下においては、本件各処分は、処分権者の裁量権の範囲を逸脱してされたものとして、国家賠償法一条一項の適用上違法の評価を免れないものというべく、また、上告人の担当公務員に少なくとも過失があつたことは否定できないものといわなければならない。右と結論を同じくする原審の判断は、結局正当として是認することができ、原判決に所論の違法はない。論旨は、違憲をいう部分を含め、ひつきよう、原審の右判断を不当として非難するに帰するものであつて、採用することができない。

    [大阪市]原審判断は、憲法および特別措置法の解釈を誤り、その結果「あいさつ状」を差別文書とする市教委の判断を否定したもので取消さるべきである。

最高裁】同第二の二について

 本件あいさつ状をもつて上告人が主張するような差別文書と断定することは困難であるとした原審の認定判断は、原判決挙示の証拠関係に照らして肯認することができ、その過程に所論の違法はない。右違法のあることを前提とする所論違憲の主張は、その前提を欠く。論旨は、採用することができない。

    [大阪市]第五、原審は、「解同矢田支部の要求に応じて行なった恣意的なもので、それは教育の自由を侵し公教育の中立性を侵害する不当な支配に屈したるので違法である」と認定するが、原審には理由不備ないし理由齟齬の違法があり当時の関係者の証言を採用しない等の審理不尽。

最高裁】同第五について

 所論の点に関する原審の認定判断は、原判決挙示の証拠関係に照らし、正当として是認することができ、その過程に所論の違法はない。論旨は、ひつきよう、原審の専権に属する証拠の取捨判断、事実の認定を非難するか、又は独自の見解を前提として原判決を論難するものであつて、採用することができない。

    [大阪市]第六 被上告人らの損害賠償請求は、同人らが研修命令に対し、一切具体的研修に入らないという重大な義務違反を侵しながら提訴したもの、信義則違反の権利行使であり失当との上告人の主張に対し、「原判決認定のとおり本件各処分自体違法なものであつたのである」(原審)から、そのような態度を固持したとしても「そのことから直ちに、本件請求が信義則上制約されるものとは解されない」(同上)として上告人の主張を斥けた。

最高裁】同第六について

 被上告人らの任命権者ないし服務監督権者が、その当、不当はともかく、被上告人らの服務義務違反を問題にしようと思えばそれができたことと、被上告人らが本件各処分の違法を理由にそれによつて生じた損害の賠償を上告人に請求することとは、全く別個の問題である。これと同旨に出た原審の判断は、正当として是認することができ、原判決に所論の違法はない。所論引用の判例は、原審の判断とはなんら関係のないものである。論旨は、ひつきよう、独自の見解に基づいて原判決を非難するものにすぎず、採用することができない。

 よつて、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

裁判長裁判官 □□(以下略)