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朝鮮市場とコリアタウン

十五年戦争下の生野区「猪飼野」の町(4)
-平野川、御幸森小学校、そしてコリアタウン-

南原商店の写真 コリアタウン入り口の写真
チョさんの「南原商店」

 空襲で焼け出された「朝鮮市場」で50軒ほどの小さな店(露店)を営んでいた人たちの中には、日本の敗戦後いちはやく、表通りである御幸通りの空き家を買って商売を再開した朝鮮人がいた。御幸通りはもともと御幸森神社を中心としてできた日本人の商店街だったが、空襲を恐れて疎開する人が出てきて、戦争中は空き店舗があった。

 

 現在「海陸物産卸販売・南原商店」を経営しておられるチョ ソンヒョン(趙)さんも空き家を買い取って朝鮮の食料品を売る店を始めた。1916年、朝鮮の済州島(チェジュド)で生まれ、父親を亡くし15歳で単身、日本に来た。自転車工場などで働いた。戦後、今の場所に店をかまえ、9人の子どもを育てながら60年近く商売を続けておられる現役である。子宝に恵まれ、子、孫、ひ孫も含めて50人からいる。孫たちは御幸森小学校に今も通っている。このような人たちの手によってコリアタウンのもとが築かれた。その後、朝鮮物産を扱う店も増え続け全部で120軒ほどあるうちの60%以上になった。大阪だけでなく名古屋や京都からも買い物客が来るほどになっている。

 


案内人 小野賢一(大阪歴史教育者協議会常任委員)

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