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地域を調べよう 十五年戦争下の生野区「猪飼野」の町

十五年戦争下の生野区「猪飼野」の町(7)
-平野川、御幸森小学校、そしてコリアタウン-

 15年戦争の足跡は地域には目に見える形ではほとんど残っていない。しかし、その手がかりをていねいに調べていけば、当時の様子が少しでも明らかになっていくのではないかと思う。たとえば金賛丁氏の「異邦人は君ケ代丸に乗って」によると、戦前の1930年から国民学校ができるまでの間、御幸森小学校には済美第4尋常小学校(現北天満小学校 北区)や北鶴橋小学校(生野区)とならんで「同化」政策の一環として日本語教育の夜学校があった。日本人と朝鮮人の子どもが共に勉強していたとされる。また「強制連行」については体験者が地域におられるそうだ。

 執筆にあたって、「郷土誌いくの」や「猪飼野郷土誌」の編集にたずさわってこられた郷土史家の足代健二郎氏(御幸森小学校卒業生。JR桃谷駅前「あじろ書林」店主)や天理大学の赤塚康雄教授らの助言と業績に負うところが大きい。この場をかりてお礼申し上げたい。なお御幸森小学校校区の移り変わりについては「平野川改修とコリアタウン」(生野図書館にあり 資料)を参考にされたい。

□参考図書□
・猪飼野郷土誌(猪飼野保存会 1997年 「あじろ書林」(JR桃谷駅前)で販売)
・御幸森小学校70周年誌 1994年
・学童集団疎開同行記(梅澤静子 1990年 編集工房ノア)
・昭和特高弾圧史8「朝鮮人に対する弾圧・下」(松浦総三他編 1975年 太平出版社)
・大正大阪スラム(杉原薫他 1986年 新評論)
・異邦人は君ケ代丸に乗って(金賛丁 1985年 岩波新書)
・平野川改修とコリアタウン(ワークシート 小野賢一 2000年)
・大阪の学童疎開(赤塚康雄 1996年 クリエイティブ21)

 

資料


案内人 小野賢一(大阪歴史教育者協議会常任委員

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