朝鮮市場とコリアタウン
十五年戦争下の生野区「猪飼野」の町(4)
-平野川、御幸森小学校、そしてコリアタウン-
コリアタウン入り口
チョさんの「南原商店」
1945(昭和20)年6月15日の空襲で焼け出された「朝鮮市場」(約50軒)で小さな店を営んでいた人たちの中には、日本の敗戦後、いちはやく表通りである御幸通の空き店を買って、商売を再開した朝鮮人がいました。
現在「海陸物産卸販売・南原商店」を経営しておられるチョ ソンヒョンさんもその1人です。戦後、今の場所に店をかまえ、9人の子どもを育てながら60年近く商売を続けておられます。50人から子、孫、ひ孫がいます。このような人たちの手によってコリアタウンのもとが築かれました。その後、店も増え続け、10数年前にゲートが立てられ「コリア・タウン」とよばれるようになりました。120軒のうち、韓国 ・朝鮮の品物をあつかう店が60%以上になり、大阪だけでなく京都や名古屋からも買い物客が来るほどになっています。韓国レストラン「パゴダ」は、およそ40年ほど前に開店し、店主は2代目です。
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(案内人 小野賢一(大阪歴史教育者協議会常任委員))