戦争中 ウリマルを守った人たち
十五年戦争下の生野区「猪飼野」の町(6)
-平野川、御幸森小学校、そしてコリアタウン-
中国や太平洋での戦争をもっとすすめるために、当時の日本政府は朝鮮人を日本のための戦争に利用しようと考えました。強制連行、創氏改名、日本語使用のおしつけなどがやられました。
金性鐘さんのこと
こんな時代にあって在日朝鮮人の子どもたちに朝鮮語(ウリマル)や歌や踊りを、1934年(昭和9年)から1942年(昭和17年)の間、ひそかに教え、朝鮮人としての自覚を育てようとした9人の朝鮮人がいました。
「誠心夜学校」とよばれ、その青年教師の1人、金性鐘は、御幸森神社の東にあった映画館「天神館」の近くの家で20~30人の子どもを教えていました。
朝鮮語を教えたことを理由に、警察につかまり、刑務所に入れられました。その後、重病になったため、刑務所からだされ、家族にみとられながら亡くなりました。その遺骨は故郷の済州島に送られました。
それから50年の後、韓国政府は金性鐘さんの活動をたたえ、「愛国者」の称号と勲章をおくりました。なお、金性鐘さんのお兄さんの孫は2002年3月に御幸森小学校を卒業しました。
勲 章 証
故 金性鐘
あなたは 我が国の自主独立
国家発展に大きく尽力したので
大韓民国憲法の規則により
勲章を授ける
1993年8月15日
建国勲章 愛国章
大統領 金泳三
もし、あなたが、日本語を禁止されて外国語で話すように強制されたらどんな気持ちになるでしょうか。
案内人 小野賢一(大阪歴史教育者協議会常任委員)