第2回大阪大空襲
(大型爆撃機B29 100機以上の空襲が「大空襲」とされています)
1945(昭和20)年6月1日9時28分~11時0分(約1時間半)
大阪上空に飛んできたB29は458機
↑P51ムスタング
アメリカ軍の目標は、今の此花区・港区の工場地帯でした。3月13日の空襲でやけのこったところをめがけて、高さ5500~8700メートルから焼夷弾による昼間爆撃を行いました。
昼の爆撃のため、硫黄島から飛びたったP51ムスタングという飛行機が守るためについてきました。このP51が人をねらってはげしく機銃掃射をした。硫黄島から戦闘機が飛んできたとは知らず当時の軍も人びとも、このP51を航空母艦がつんでいる「艦載機」だと思っていました。当時の文に「艦載機」とあってもP51であることがあります。
主な被災地域
港区・此花区・大正区・福島区・北区・天王寺区・東区(現中央区)・大淀区(現北区)
被災面積 8.2平方キロ
被災戸数 65,183戸
被災者数 218,682人
死者 3,112人
重軽傷者 10,095人
行方不明 877人
第2回大阪大空襲による被災地域●あかいところ
●きいろいところは第1回大阪大空襲 (ただし地形・区はいまのようす。)
■6月1日の空襲による国民学校の被害
※太平洋戦争中、小学校は「国民学校」という名前でした。
■北区 全焼 天満 半焼 曽根崎
■福島区 全焼 西野田 半焼 玉川、新家、吉野
■此花区 全焼 朝日 恩貫島 半焼 四貫島、梅香、酉島、島屋
■港区 全焼 吾妻 三先 田中 池島 錦 八幡屋 八幡屋北 石田 築港北 築港南 半焼 湊屋
■大正区 全焼 鶴町 半焼 新千歳
■大淀区 全焼 豊崎 豊崎西 半焼 中津南
■住吉区 半焼 加賀屋
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案内人 柏木 功