大阪市内で せんそう と へいわ を かんがえる大阪市内で せんそう と へいわ を かんがえる

 

第6回(だい6かい)大阪大空襲(だいくうしゅう)

大型(おおがた)爆撃機(ばくげきき)(ビー)29 100()以上(いじょう)空襲(くうしゅう)が「大空襲(だいくうしゅう)」とされています)

 1945(昭和(しょうわ)20)年7月10日1時33分~3時6分(約1時間半)
大阪上空(じょうくう)()んできたB29は116()

 日本の大きな都市(とし)はすでに()けあとになり、アメリカ(ぐん)(つぎ)に中くらいの都市(とし)爆撃(ばくげき)することにしました。

7月9日午後11時58分からB29 108()和歌山(わかやま)爆撃(ばくげき)しまた。和歌山(わかやま)空襲(くうしゅう)()わるころ、堺市(さかいし)への空襲(くうしゅう)(はじ)まりました。ねらった中心(ちゅうしん)熊野(くまの)東一(ちょう)住吉区(すみよしく)貝塚市(かいづかし)にも被害(ひがい)がありました。

 (ひる)()ぎ、P51約100()が大阪をおそい、大正飛行場(たいしょうひこうじょう)(いまの八尾空港(やおくうこう))を攻撃(こうげき)しました。

(おも)被災地域(ひさいちいき)

 堺市・住吉区・貝塚市
被災面積(ひさいめんせき)  2.6平方(へいほう)キロ
被災戸数(ひさいこすう)  16,488戸
被災者数(ひさいしゃすう)  65,825人
死者(ししゃ)      1,394人
重軽傷者(じゅうけいしょうしゃ)  1,574人
行方不明(ゆくえふめい)    9人

第6回(だい6かい)大阪大空襲(だいくうしゅう)堺市(さかいし)をおそいました。

下の図は第5回 (だい5かい)大阪大空襲(だいくうしゅう)による被災地域(ひさいちいき)あかいところ
きいろいところはそれまでの空襲(くうしゅう/RT>)でもえたところ
( ただし地形・区はいまのようす。)

 

 

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案内人 柏木 功

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