大阪市内で せんそう と へいわ を かんがえる大阪市内で せんそう と へいわ を かんがえる

 

もと (だい)師団(しだん)司令部(しれいぶ)
(もと博物館(はくぶつかん))

 つぎは(むかし)のヨーロッパのお(しろ)(かたち)をしたもと市立(しりつ)博物館(はくぶつかん)です。

 昭和(しょうわ)のはじめに市民(しみん)がお金を(あつ)めて天守閣(てんしゅかく)再建(さいけん)することにしました。そして当時(とうじ)としては大金(たいきん)の150万円を大阪市民から寄付(きふ)(あつ)めました。

 しかし、天守閣(てんしゅかく)場所(ばしょ)陸軍(りくぐん)第4師団(だい4しだん)の土地でしたので、このヨーロッパのお城のような建物(たてもの)を、ごついお金をかけてつくり、第4師団(だい4しだん)司令部(しれいぶ)として寄付(きふ)しました。(昭和(しょうわ)6年完成(かんせい)工費(こうひ)80万円は天守閣(てんしゅかく)より金がかかりました。)

 1940年からは中部軍(ちゅうぶぐん)管区(かんく)司令部(しれいぶ)第4師団(だい4しだん)司令部(しれいぶ)は今の豊国(ほうこく)神社(じんじゃ)付近(ふきん)にうつります。戦後(せんご)はアメリカ(ぐん)、大阪市警(しけい)、大阪府警(ふけい)使用主(しようぬし)がかわります。しばらく無人(むじん)でしたが、1960年、大阪市立(しりつ)博物館(はくぶつかん)として1(かい)だけ開館(かいかん)。1962年11月、ようやく全館(ぜんかん)完成(かんせい)

 2001年11月(あたら)しい歴史(れきし)博物館(はくぶつかん)がもとの体育館(たいいくかん)跡地(あとち)にできあがり、(いま)閉鎖中(へいさちゅう)です。

 この博物館(はくぶつかん)前に秘密(ひみつ)地下壕(ちかごう)があります。いまでも、この(ちか)くの石がきが(なみ)うっているし、石がきに(なお)したあとがあります。この博物館(はくぶつかん)地下窓(ちかまど)のそばに、()りこめられていますが、地下壕(ちかごう)への入口(いりぐち)がわかります。

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