大阪市内で せんそう と へいわ を かんがえる大阪市内で せんそう と へいわ を かんがえる

 

中国(ちゅうごく)狛犬(こまいぬ)

 

 

 大阪城(おおさかじょう)天守閣(てんしゅかく)(きた)山里曲輪(やまざとくるわ)姫門(ひめもん)あとの石がきの上に長い(あいだ)おかれていました。

 1940(昭和(しょうわ)15)年(なつ)当時(とうじ)中国(ちゅうごく)北部(ほくぶ)にいた日本(ぐん)部隊(ぶたい)から、城内(じょうない)にあった大阪陸軍(りくぐん)兵器(へいき)支廠(ししょう)(=武器(ぶき)修理工場(しゅうりこうじょう))にあてて、兵器(へいき)とともに とどけられました。

 日本(ぐん)がうばいとったものが、大阪城(おおさかじょう)におくられて来ているということは、ここが、中国(ちゅうごく)侵略(しんりゃく)のための大切(たいせつ)場所(ばしょ)であったことを しめしています。

 1983(昭和(しょうわ)58)年、中国(ちゅうごく)へのかえしましょうという(うご)きがありましたが、中国(ちゅうごく)翌年(よくねん)、日本と中国(ちゅうごく)がなかよくするためにと、あらためて大阪市にプレゼントしました。

中日友好(ちゅうにちゆうこう)万古長青(ばんこちょうせい)』と(きざ)まれた石の記念碑(きねんひ)があります。 (中日友好(ちゅうにちゆうこう)万古長青(ばんこちょうせい)中国(ちゅうごく) と日本が なかよくすることは ずっとずっと えいきゅうに)

  

 なお、この狛犬(こまいぬ)中国(ちゅうごく)北京(ぺきん)(ちか)くからとれる石でできたもので14世紀(せいき)のものとみられます。国宝(こくほう)になる ねうちのあるもの といわれています。

↑上へ