大阪市内で戦争平和を考える大阪市内で戦争平和を考える

8月4日の大空襲を新聞はどのように報じたか?

京橋の慰霊碑(いれいひ)にこだわって申しわけないが、新聞記事はどのようだったのか?

 手もとに『讀賣報知』(よみうり ほうち)東京版、8月15日づけの復刻版(ふっこくばん)がある。今で言う朝刊はなく、夕刊みたいなものだったのかもしれないが、題字の下には『御親ら御放送、けふ正午』といわゆる、玉音(ぎょくいん)放送の記事がある。横全段見出しで『戦争終局へ聖断・大詔渙発す』縦5段ぬきで『帝國政府四國共同宣言を受諾』とあり、一面の上半分のほとんどを使って、黒枠で囲んで『(終戦の)詔語』(しょうご)をのせてある。

 裏に(2面に)二段ぬきで『大阪にB29約百機近畿、中国に二百四十機』を見出しにして、[大阪電話]中部軍管區司令部大阪警備府発表(十四日十五時)一、敵米B29約十五機およびP47,P38あわせて約七十八機は八月十四日十時頃より約一時間四十分に亘りその聯合機隊をもって近畿地区に來襲、國民学校等に機銃掃射の後脱去せり、被害は極めて軽微なり。 二、またB29約百五十機は豊後水道より侵入、その主力は西部軍営區管内に、その一部は廣島縣下を行動ののち南方に脱去せるも爆撃地点など未だ明かならず。三、次いで十二時三十分頃B29約百機は紀伊水道より侵入、十八機乃至十機内外の編隊を以て大阪に浪状來襲、軍事施設及び市内数ケ所に爆弾を投下せり、戦果相當ある見込なるも現在まで明瞭ならず。

 新聞記事は、下線の部分が、京橋大空襲の所だと思われる。被害の様子が全くない、どうやら大きな被害の時は、載せなかったようだ。米軍機は落とされたかどうかはわからないが、落としたように、戦果がかなりありと書かれている。

 当時の国民はこのような記事でもむさぼり読んだのでしょうね。 今回も、この案内人をさせてもらって、いろいろと勉強になりました。ありがとうございました。


案内人 佐藤泰正(元今津中学校教員)

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