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鶴見区 緑に 高射砲陣地があった

 ピース大阪の展示室の床に「大阪府の軍事施設〔太平洋戦争期〕」という地図が刻んである。その地図には「大阪府は関西方面の軍事的中心地として、重要な役割を果たしていただけに、陸・海軍の兵舎、弾薬庫、飛行場、高射砲陣地といった軍事施設の数が多い。」とあり、鶴見区あたりに口径7センチ高射砲陣地があったことが示されている。

 その正確な位置はどこか。

 城東区や鶴見区緑地域から、高射砲陣地が鶴見緑地のあたりにあった、薬莢(やっきょう)を拾ったりしていたという証言はある。鶴見区みどり小学校が作成した地域教材資料集にも「つるみ緑地の乗馬クラブのあるところには、ひこうきをうちおとす高射砲のじん地がありました」という証言がのせられている。今津地域のお年寄りは自動車学校のところに高射砲陣地があったと証言されている。

 ▽↓みどり小学校から高射砲陣地のあったあたり(黄色)を撮る

 

 戦後、アメリカの占領下におかれ飛ぶ飛行機は米軍機だけという時代に、米軍機が日本全国の航空写真を撮っている。大阪市近辺は1948年に撮影した。現在は国土地理院が管理しており、購入することができる。1948年の航空写真は爆撃のあとがまだ残っているなど貴重な資料である。城東区・鶴見区あたりの航空写真を虫めがねで探すと、高射砲を囲む掩体壕(えんたいごう)が6基ある1区画がみつかった。「昭和22年測量」という2万5000分の1の地形図でも、この1画が区画されている。


[1948年8月31日 米軍撮影]

 淀川区淡路の高射砲陣地の場合はコンクリートでできた6角形の基台が6基あり、そのうち2基は民家として使われ現存している。鶴見の場合は生野区巽と同じく高射砲のまわりを土で囲んだ形のようだ。

 

(左) 聴音機(米軍機の爆音を聞いて機種、高さ、速度を推定していた。米軍はレーダーを使っていた。)
(右) 照空灯

 

 高射砲1個中隊は、八八式7センチ高射砲4門(6門の説もあり-大阪に残る遺跡からは6門に見える)及び重機関銃2挺を装備する。照空1個中隊は照空灯6基、聴音機6基を装備する。照空灯(サーチライト)でとらえたアメリカ軍の飛行機を聴音機で聞いた音で高さ、速度、進行方向を観測し、高射砲陣地に連絡する。高射砲陣地では砲の向き、高さ、何秒後に弾を爆発させるかを計算して弾を撃つ。

 砲弾が飛行機の高さに20秒後に達するとすると、その間に飛行機が6000m移動している場合もある。B29の巨大さに低空を飛行していると誤認し、飛行機の下の方で爆発するように設定したという例もあるという。日本軍の高射砲の砲弾は時限信管といって何秒後に爆発させるか目盛りをあわせていた。米軍の高射砲の砲弾はVT信管といって砲弾の頭に真空管を使ったレーダーが組み込まれていて、飛行機の近くを通過すると感知して爆発するようになっていた。このため日本機は撃ち落とされる確率が高かったという。

 とはいえ、爆弾と燃料を満載したB29の搭乗員にとっては、サーチライトと対空砲火は恐怖であった。


案内人 柏木 功

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