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疎開先の火事で亡くなった子どもたちと十六地蔵
(大正区 南恩加島国民学校)

写真 今の南恩加島小学校

今の大阪市立南恩加島(みなみおかじま)小学校(大阪市大正区)

 1945(昭和20)年1月29日夜9時半ごろ、徳島県美馬郡貞光町真光寺本堂が火事になりました。そこには南恩加島国民学校(大阪市大正区)の3年生男子29名が学童集団疎開で泊まっていました。子どもたちのうち、13名は助かりましたが、16名は焼死しました。空襲をさけるために遠い四国の山間で集団でくらしていた子どもたちに襲いかかった悲劇でした。

 貞光町の人々や徳島県全県の学校で取り組まれた募金でお地蔵さんがつくられ、1946(昭和21)年5月29日開眼供養が行われました。像の高さ約1.5m、台座の正面には「為疎開学童頓成菩提也」と刻まれ、横には町長の碑文と子どもたちの名前が刻まれています。

 以後、毎年、地元の人たちの手によって法要が営まれました。児童・幼児たちが折り鶴をお供えし世話をしています。

 このお話は、徳島の小学校教員だった原田一美さんによって「十六地蔵物語」という本にまとめられ、広く知られることになりました。

「十六地蔵物語-戦争で犠牲になった子どもたち-」文研じゅべにーる
著/原田一美 画/福田庄助 文研出版 1988.12

 原田さんは、その後書きに書いておられます。

 「よかれと思ってしたことが、最悪の結果を招いたこの学童集団疎開。
 かわいいわが子がその犠牲となった悲しさと恨み。それを国策のためという美辞でおおい、不運といいきかせてひそかになき続ける親たち。そして、責任のすべてを一身にうけとめ、だまって批難攻撃の矢面にたつことしかできなかった教師や寮母、関係者。

 私はその子らの霊に、その親たちの慟哭に、そして教師や寮母たちの無念の思いに、私なりの慰霊の歌を供え、鎮魂の曲をささげようと思った。」

アニメ「十六地蔵物語」の案内ビラ

 さらに、ピース大阪が企画して、アニメ「十六地蔵物語」が読売映画社(現読売映像)で製作され、広く上映されるようになりました。(販売は共和教育映画社
アニメはピース大阪で一日2回上映しています。
上映時刻など詳しくは→こちら

 2003年1月29日、大正区南恩加島小学校で6年生が中心となって企画した「十六地蔵モニュメント」の除幕式が行われました。学校にも慰霊碑をという子どもたちの思いをこめたモニュメントは東大阪市の町工場で作られた高さ45cmの銅鐸で、台座には16人の遺影と名前を刻んだ銅板をはめ、中に当日渡された卒業証書が収められました。


案内人 柏木 功

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