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空襲で消えた国民学校(大正区)

 1945(昭和20)年の空襲は、大正区の学校にも被害をもたらした。 
 3月14日の空襲では、全焼 三軒家東、港南 半焼 三軒家南
 6月1日の空襲では、全焼 鶴町 半焼 新千歳
 校舎は残ったものの校区が焼き尽くされ子どもたちがいなくなり休校とされた学校もある。大正区では、ここに紹介する学校が消えていった。

 

港南国民学校

 

 3月14日の空襲で全焼。南恩加島校に統合されて廃校。今の大正西中学校の場所にあった。

 

新千歳国民学校

 

 6月1日の空襲で半焼した。地域は焼きつくされたので、北恩加島校に統合され、廃校となる。その後、千歳運河の東側を掘り下げて大正内港がつくられ、新千歳の街は海の底に沈んだ。今の千歳渡船でちょうどまん中くらいか。上に橋が近く完成するが渡船は残るという。渡船の北側のバス停に「新千歳」の名が残る。

 

大正国民学校

 校舎は被害を受けなかったが、地域が焼き払われた。初等科は泉尾東国民学校へ統合、校舎は高等科単独の三軒家南国民学校に使われた。今の大正中央中学校の場所にあたる。

参考にした図書
・「消えたわが母校 なにわの学校物語」 赤塚康雄著、柘植書房
・「続 消えたわが母校 なにわの学校物語」 赤塚康雄著、つげ書房新社


案内人 柏木 功

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