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藤永田造船所
中国人強制連行の軍管理工場

 江戸時代に船大工として創業した藤永田造船所は1929年、海軍の指定工場となり駆逐艦(くちくかん)の造船所として有名でした。日本の駆逐艦の約5分の1を製造していました。1967年、三井造船に吸収合併されました。

 1944年12月には16508人の労働者をかかえ、その中には6000人とも8000人とも言われる朝鮮人、160人の中国人、150人の連合国(オーストラリア)捕虜、そして勤労動員の生徒が含まれていました。兵士として日本人男性を戦場に送りだしたあとの労働力不足を補うためです。

 中国人の場合は、強制連行され船に乗せられて下関に上陸。造船所での過酷な労働や生活条件のために5人が亡くなり、日本の敗戦後帰国できたのは155人。この強制労働に対する補償はありません。その実態すらも資料は焼却され歴史から消されています。中国人の場合は大阪では港湾での使役が多く、工場で労働させたのは藤永田造船所だけです。
 朝鮮人労働者は人数も定かではありません。

 軍艦の中で一番大きいものを「戦艦」といい、その次に大きいものを「巡洋艦」といいます。さらに小さいものを「駆逐艦」といいます。もともとは敵の魚雷艇(水雷艇)を追い払い船団を護衛するための船という意味です(destroyerの訳?)。

 藤永田造船所でつくられた駆逐艦は次のとおり。ほとんどが海に沈みました。1945(昭和20)年3月からは空襲がはげしく、6月1日の第2回大阪大空襲で本社工場は破壊されました。

1921(大正10)年竣工 「藤」 復員船として使用、のち戦時賠償艦としてオランダに引き渡される
1921(大正10)年竣工 「蕨」  1927(昭和2)年8月日本艦と衝突沈没
1922(大正11)年竣工 「蓼」  1943(昭和18)年12月アメリカ潜水艦により沈没
1923(大正12)年竣工 「芙蓉」 1943(昭和18)年12月アメリカ潜水艦により沈没
1923(大正12)年竣工 「刈萱」 1944(昭和19)年5月アメリカ潜水艦により沈没
1924(大正13)年竣工 「朝凪」 1944(昭和19)年2月アメリカ潜水艦により沈没
1926(大正15)年竣工 「文月」 1944(昭和19)年2月アメリカ機により沈没
1927(昭和2)年竣工 「夕月」 1944(昭和19)年12月アメリカ機により沈没
1928(昭和3)年竣工 「白雲」 1944(昭和19)年3月アメリカ潜水艦により沈没
1929(昭和4)年竣工 「叢雲」 1942(昭和17)年10月アメリカ機により沈没
1930(昭和5)年竣工 「綾波」 1942(昭和17)年11月アメリカ艦により沈没
1931(昭和6)年竣工 「曙」   1944(昭和19)年10月アメリカ機により沈没
1932(昭和7)年竣工 「電」   1944(昭和19)年5月アメリカ潜水艦により沈没
1937(昭和12)年竣工 「村雨」 1943(昭和18)年3月アメリカ機により沈没
1937(昭和12)年竣工 「江風」 1943(昭和18)年8月アメリカ艦により沈没
1937(昭和12)年竣工 「満潮」 1944(昭和19)年10月アメリカ艦により沈没
1938(昭和13)年竣工 「山雲」 1944(昭和19)年10月アメリカ艦により沈没
1938(昭和13)年竣工 「峯雲」 1943(昭和18)年3月アメリカ艦により沈没
1940(昭和15)年竣工 「黒潮」 1943(昭和18)年8月アメリカ機雷により沈没
1940(昭和15)年竣工 「夏潮」 1942(昭和17)年2月アメリカ潜水艦により沈没
1940(昭和15)年竣工 「浦風」 1944(昭和19)年11月アメリカ潜水艦により沈没
1941(昭和16)年竣工 「谷風」 1944(昭和19)年6月アメリカ潜水艦により沈没
1941(昭和16)年竣工 「舞風」 1944(昭和19)年2月アメリカ艦により沈没
1942(昭和17)年竣工 「巻雲」 1943(昭和18)年2月アメリカ機雷により沈没
1942(昭和17)年竣工 「長波」 1944(昭和19)年11月アメリカ機により沈没
1942(昭和17)年竣工 「大波」 1943(昭和18)年11月アメリカ艦により沈没
1943(昭和18)年竣工 「藤波」 1944(昭和19)年10月アメリカ機により沈没
1943(昭和18)年竣工 「朝霜」 1945(昭和20)年4月アメリカ機により沈没
1944(昭和19)年竣工 「秋霜」 1944(昭和19)年11月アメリカ機により沈没
1944(昭和19)年竣工 「梅」   1945(昭和20)年1月アメリカ機により沈没
1944(昭和19)年竣工 「杉」   復員船として使用、のち戦時賠償艦として中華民国に引き渡し
1944(昭和19)年竣工 「樫」   復員船として使用、のち戦時賠償艦としてアメリカに引き渡し
1944(昭和19)年竣工 「楢」   1945(昭和20)年6月アメリカ機雷により航行不能のまま終戦
1944(昭和19)年竣工 「桑」   1944(昭和19)年12月アメリカ艦により沈没
1945(昭和20)年竣工 「柳」   1945(昭和20)年8月アメリカ機により座礁のまま終戦
1945(昭和20)年竣工 「樺」   復員船として使用、のち戦時賠償艦としてアメリカに引き渡し
1945(昭和20)年進水 「桂」   1945(昭和20)年6月工事中止
1945(昭和20)年起工 「若桜」  1945(昭和20)年5月工事中止

※参考にした資料
「大阪と中国人強制連行」 大阪・中国人強制連行をほりおこす会 1999.7.
「中国人強制連行」杉原 達 岩波新書 2002.5.
「写真集 日本海軍艦艇ハンドブック」多賀一史 PHP文庫 2001.7.


案内人 柏木 功

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