↑左手奥(ひだりておく)が玉造口(たまつくりぐち)/↑陸軍省標柱(りくぐんしょうひょうちゅう)
ピース大阪から玉造口(たまつくりぐち)に向かって上る堀(ほり)の右側(みぎがわ)(玉造口(たまつくりぐち)からピース大阪に向かって降(お)りて行くと左側(ひだりがわ))、少し木立(こだち)の中に入るところにあります。上半分の「陸軍省(りくぐんしょう)」だけが読めます。枚方市(ひらかたし)星田(ほしだ)の旧国鉄(きゅうこくてつ)引(ひ)き込(こ)み線跡(せんあと)に「陸軍省用地(りくぐんしょうようち)」との標柱(ひょうちゅう)が残(のこ)っていますから、同じように「陸軍省用地(りくぐんしょうようち)」と書かれているのかもしれません。
はっきりと大阪城(おおさかじょう)が陸軍(りくぐん)の基地(きち)であったことがわかる標柱(ひょうちゅう)です。
真田山公園(さなだやまこうえん)の騎兵第(きへいだい)4連隊跡(れんたいあと)には「陸軍省所轄地(りくぐんしょうしょかつち) 」との標柱(ひょうちゅう)が残(のこ)っています。
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