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偕行社 附属小学校

 偕行社とは陸軍将校の倶楽部で、軍人会館に置かれた。将校の子どもの教育を行ったのが偕行社附属小学校(国民学校)で、今の追手門学院の場所にあたる。門柱は当時のもの。

 大阪偕行社学院の学童集団疎開については、「新修大阪市史」に次のようなエピソードが記されている。

「大阪偕行社学院では箕面学院(現箕面自由学園)の一部を借用したり、満州電信電話学校を借用したりして、19年9月に5年生までを豊能郡箕面村と中河内郡枚岡町・大戸村に疎開させた。保護者の援助でやっと疎開先を確保したものの、この間大阪偕行社からまったく協力が得られなかったことが、戦後学院が同社から独立して歩むきっかけになったという。(『追手門学院小学校百年志』)」(「新修大阪市史 第七巻p1043)

案内人 柏木 功

 

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