大阪市内で せんそう と へいわ を かんがえる大阪市内で せんそう と へいわ を かんがえる

 

原爆(げんばく)被爆者(ひばくしゃ)祈念(きねん)植樹(しょくじゅ)

   

 大阪城(おおさかじょう)大手門(おおてもん)をはさんだ(ほり)ばたに、大阪原爆(げんばく)被害者(ひがいしゃ)団体(だんたい)協議会(きょうぎかい)被団協(ひだんきょう))による原子爆弾(げんしばくだん)被爆(ひばく)30周年(しゅうねん)祈念(きねん)植樹(しょくじゅ)があります。昭和(しょうわ)50年に()えられました。

 1945年8月6日午前(ごぜん)8時15分広島(ひろしま)に、8月9日午前11時2分長崎(ながさき)原子爆弾(げんしばくだん)投下(とうか)されました。広島では1(ぱつ)原子爆弾(げんしばくだん)によって1945( 昭和(しょうわ)20)年12月(まつ)までに、(やく)14万人がなくなったとみられています。建物(たてもの)の90%以上がこわれたり、()えたりしました。長崎では 死者(ししゃ)約74,000人、負傷者(ふしょうしゃ)約75,000人(1945年12月末までの推定)。その後も病気(びょうき)が残り体が不自由(ふじゆう)になった人もいます。

 大阪在住(ざいじゅう)被爆者(ひばくしゃ)被爆者(ひばくしゃ)手帳(てちょう)を持っている人だけで9000人近くいます(被団協の調査)。

 広島(ひろしま)長崎(ながさき)悲劇(ひげき)をくりかえさないように核兵器( かくへいき)全面禁止(ぜんめんきんし)してほしいです。

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