大阪市内で せんそう と へいわ を かんがえる大阪市内で せんそう と へいわ を かんがえる

 

教育勅語(きょういくちょくご)()


 戦前(せんぜん) 、「大阪市教育会(きょういくかい)」がたてました。この会は、(いま)はありません。この()は1930(昭和5)年10月30日にたてはじめ(教育勅語(きょういくちょくご)発布(はっぷ)の日)、(よく)1931(昭和(しょうわ)6)年にできあがりました。

 「ちょくご」は天皇(てんのう)の「ことば」のこと

 「教育勅語(きょういくちょくご)」は「なにかことがあれば、天皇(てんのう)のために(いのち)をなげだすこと」を(おし)えていました。

 戦後(せんご)、この戦争(せんそう)反省(はんせい)から、憲法(けんぽう)教育基本法(きょういくきほんほう)ができました。そして、この「ちょくご」は、天皇(てんのう)が国の主人(しゅじん)になっていること、神話(しんわ)にもとづいていることなど基本的人権(きほんてきじんけん)(そこ)なうものとして排除(はいじょ)失効(しっこう)国会(こっかい)()められています。

 

教育勅語(きょういくちょくご)(とう)排除(はいじょ)(かん)する決議(けつぎ)

昭和(しょうわ) 23年6月19日 衆議院(しゅうぎいん)決議(けつぎ)

 教育勅語(きょういくちょくご)(なら)びに陸海軍軍人(りくかいぐんぐんじん)(たま)わりたる勅諭(ちょくゆ)その()教育(きょういく)(かん)する諸詔勅(しょしょうちょく)が、今日もなお国民道徳(こくみんどうとく)指導原理(しどうげんり)としての性格(せいかく)持続(じぞく)しているかの(ごと)誤解(ごかい)されるのは、従来(じゅうらい)行政上(ぎょうせいじょう)措置(そち)不十分(ふじゅうぶん)であったがためである。

 (おも)うに、これらの詔勅(しょうちょく)根本理念(こんぽんりねん)主権在君(しゅけんざいくん)(なら)びに神話的(しんわてき)国体観(こくたいかん)(もとづ)いている事実(じじつ)は、(あきら)かに基本的人権(きほんてきじんけん)(そこ)い、()国際信義(こくさいしんぎ)(たい)して疑点(ぎてん)(のこ)すもととなる。

 

教育勅語(きょういくちょくご)(とう)失効(しっこう)確認(かくにん)(かん)する決議(けつぎ)

昭和(しょうわ)23年6月19日 参議院(さんぎいん)決議(けつぎ)

 われらは、さきに日本国憲法(けんぽう)人類普遍(じんるいふへん)原理(げんり)(のっと)り、教育基本法(きょういくきほんほう)制定(せいてい)して、わが国家(こっか)(およ)びわが民族(みんぞく)を中心とする教育(きょういく)(あやま)りを徹底的(てっていてき)払拭(ふっしょく)し、真理(しんり)平和(へいわ)とを希求(ききゅう)する人間(にんげん)育成(いくせい)する民主主義的(みんしゅしゅぎてき)教育理念(きょういくりねん)をおごそかに宣明(せんめい) した。その結果(けっか)として、教育勅語(きょういくちょくご)は、軍人(ぐんじん)(たま)はりたる勅諭(ちょくゆ)戊申詔書(ぼしんしょうしょ)青少年学徒(せいしょうねんがくと)(たま)はりたる勅語(ちょくご) その()諸詔勅(しょしょうちょく)とともに、(すで)廃止(はいし)せられその効力(こうりょく)(うしな)っている。

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