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被爆者鎮魂碑
(佃小学校)

 左門橋南詰の東側に建立された碑は、2019年の台風で修理不能となり撤去されました。その後、2021年6月26日、地域の人々により佃小学校敷地内に慰霊碑が再建され、被爆76年の日に慰霊祭が行われました。慰霊祭の様子は『大阪日日新聞』(2021年6月27日付)が詳しく報じています。

 昭和20年(1945年)6月26日、佃に空襲による爆弾の投下があった。爆弾は、佃1丁目左門殿川の堤防下の数十名は収容できる防空壕付近に落下した。防空壕に避難していた50数名の人たちと国道2号線を走行中の軍用トラック数台が吹っ飛ばされて、兵士数十名が路面にたたきつけられたように死亡していた。2号線沿いの鉄柱は折れ曲がり、電柱(当時は木製)も二つに折れ、電線は路面に垂れ下がり、空中では絡み合った線に破れちぎれた衣服がひっかかっている惨状であった。軍用車のエンジン部分は佃中学校東南角に数年間放置されていた。

 防空壕で犠牲者となった50数名の「被爆者鎮魂碑」とともに祠が地元の人たちによって、左門橋南詰の東側に昭和60年(1985年)8月24日に建立された。その後、台風で修理不能になっていたが、被爆から丸76年たった令和3年(2021年)6月26日、地域の方々のご尽力により、ここに再建された。地域にとって重要な歴史の生き証人であることはまちがいなく児童にとっても地域の歴史を知る資料として学習に生かせるたいへん価値あるものである。

 (参考:大阪佃史探究会「佃史 探究」)

 慰霊祭当日の写真や掲示、新聞記事の写真は参列されたご遺族の提供です。(2021年9月追記)


 以下は1985年に再建された鎮魂碑と銘板の内容です。

  

 左門橋南詰の東側、佃1丁目「すかいらーく」の角にありました。後に見えているのは佃小学校。1945年6月26日の空襲被災者を慰霊していました。銘板には次のように記されていました。地域の人々の思いを伝えたい。

 大東亜戦争の末期 昭和20年6月26日 アメリカ空軍B29の来襲により、 此所にあった地下壕が直撃弾を受け 避難中の付近住民約53名の尊い命が奪われました

 お近くの篤志家により無縁佛が建立され 昭和33年には一般住民の方々のご好意により記念碑と地蔵尊が合祀され縁故者と共にそのご冥福をお祈りし続けてまいりました

 世界平和の礎となられた尊い犠牲者に対して私たちは永遠のお祈りを捧げ この様な悲劇が繰り返されることの無いよう改めて心に深く近い合わなければならないものと確信致します

 この度この悲惨な事実を後世に伝え戦争の絶滅を願って 鎮魂碑が再建されることになりました

再建するに当たり数多くの人々のご浄財が集められこの様に立派に建立されましたことを ここに銘記致します

合掌

昭和60年8月24日

記念碑建立 発起人一同


案内人 柏木 功

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