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浪速西公園 供養塔

 浪速西公園の南側に供養塔と地蔵尊がたてられている。その由来は真ん中の石碑に刻まれている。

 1945(昭和20)年3月13日夜23時57分から翌14日午前3時25分の間大阪上空に爆弾を落としたB29は274機。浪速区の塩草が照準点の一つだった。灯火管制で真っ暗な大阪上空から先導機が炸裂するナパーム弾を照準点に投下し、それを目印に後続機が焼夷集束弾を投下した。焼夷集束弾は空中で38発の小さな焼夷弾に分かれて火の雨となって降りそそいだ。この空襲で浪速区は焼き尽くされた。

昭和二十年三月十三日夜半大東亜戰争ノ空襲
ニヨリ多数の死者ヲ出シ引取者不明又不可能
ノ屍百十五体急場ノ措置トシテコノ処ニ埋葬
約三年後収攬シ火葬ニ附ス 其ノ跡ニ
供養塔及ビ地蔵尊ヲ祀リ冥福ヲ祈ル
 昭和五十二年三月十三日
 三十三回忌供養ス 合掌

 

 浪速西公園の北側には戦前の「忠魂碑」がたっている。これは戦死者を祀る碑で、戦前、浪速西公園の地は隣の浪速神社の境内であったのかもしれない


案内人 柏木 功

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