大阪市内で戦争平和を考える大阪市内で戦争平和を考える

海泉寺の焼け仏群

 南海今宮戎駅そばの海泉寺の仏様たちも、1945年3月13~14日の空襲で焼かれました。1946年、米軍が撮影した映画をもとに編集された映画「日本の原風景 壊滅した商都-大阪大空襲」は、まわりが焼け野原になった中で、仏様たちだけがお寺の場所を示しているようすも記録しています。

 1945(昭和20)年3月13日夜23時57分から翌14日午前3時25分の間大阪上空に爆弾を落としたB29は274機。浪速区の塩草が照準点の一つでした。灯火管制で真っ暗な大阪上空から先導機が炸裂するナパーム弾を照準点に投下し、それを目印に後続機が焼夷集束弾を投下しました。焼夷集束弾は空中で38発の小さな焼夷弾に分かれて火の雨となって降りそそぎました。この空襲で浪速区は焼き尽くされました。


案内人 柏木 功

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