大阪市内で戦争平和を考える大阪市内で戦争平和を考える

平和地蔵尊
(浪速区難波中公園 もと 新川公園)

  昔の新川2丁目、新川公園に平和地蔵尊がまつられている。今の難波中公園である。2002年は浪速区役所が工事のため公園に仮庁舎が建てられている。大阪空襲により浪速区は壊滅した。1944年2月には13万2345人いた浪速区の人口が、1945年11月にはたった5684人に激減した。95%の減少率である。減少率は港区の96%に続くものだが、わずか5684人という数は全市の最低である。「浪速村になった」と言われたほどだ。

 新川公園のあたりも焼け野原になった。「平和地蔵尊」に住民の願いがこめられている。


案内人 柏木 功

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