大阪市内で戦争平和を考える大阪市内で戦争平和を考える

為戦災無縁諸霊菩提

  

  西成区の北の端、43号線をはさんで浪速区になろうというところに「為戦災無縁諸霊菩提」の碑が地域の人々の手で建てられている。「昭和39年再建」とある。上の写真で日産自動車の左側の信号は43号線中開交差点。

 1945(昭和20)年3月13日夜23時57分から翌14日午前3時25分の間大阪上空に爆弾を落としたB29は274機。浪速区の塩草が照準点の一つだった。灯火管制で真っ暗な大阪上空から先導機が炸裂するナパーム弾を照準点に投下し、それを目印に後続機が焼夷集束弾を投下した。焼夷集束弾は空中で38発の小さな焼夷弾に分かれて火の雨となって降りそそいだ。この空襲で浪速区は焼き尽くされ、西成区も浪速区に近い地域は焼き尽くされた。開国民学校もこのとき全焼した。開国民学校の跡地は今、西成人権文化センターになり、その後、閉館。上の日産自動車の写真のすぐ左側である。


案内人 柏木 功

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