大阪市内で戦争平和を考える大阪市内で戦争平和を考える

2昭和橋の焼夷弾跡

 

 長さ82.8m 幅25.5m 高さ10m アーチ間17m 水面より3.5m(以上、大阪市土木部橋梁課より教えてもらう)

 昭和橋は、その名前から分かるように、西大阪の昭和初頭の都市計画事業の象徴として架橋された。それまでは西区の北のほうから、木津川を超えて川口・本田地域に行くには、本町通りから木津川橋を渡る以外に方法がなかった。現在の土佐堀通りを御堂筋と同じように開いて、その延長線上に橋を架けることが急務であった。それは大阪駅と大阪港を短時間で直結する輸送を開設することでもあった。

 橋の設計は、大阪市の土木部職員によってなされ昭和4年に着工したが、当時では珍しく一部の土地収用が混乱したので、一時工事を中止するというハプニングもあり、竣工は昭和7年(1932)5月になった。アーチの下の部分に、「株式会社・大阪鉄工所・昭和七年」「株式会社・間組・昭和七年五月竣工」の銘板が取り付けられている。

 木津川に斜めに架かっているのも一つの特徴だが、鉄材1300トンも使用して周辺の軟弱地盤に対応させた「タイドアーチ」式橋梁は技術面で高い評価を受けた。それが現在では逆に周辺の地盤沈下による河水面の上昇が災いして満潮時の舟行を困難にしている。いみじくも工事報告書は「設置ノ位置ハ木津川分流起点ニアリテ流勢ノ変化ヲ招来シ惹テ舟行ニ影響スルノ虞アリ」と見通している。

 橋のアーチの横つなぎ材(一番西端のもの)に焼夷弾の直撃を受けて著しくくぼんでいる部分がある。何月何日の空襲のものかは、調べても分かりませんでした。すみません。


案内人 佐藤泰正(元今津中学校教員)

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