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茨住吉神社の「焼け楠」

 境内の本殿の東側にある楠である。戦前(昭和初期)で樹齢約700年と言われている程大きなものであったが大阪大空襲により幹の大半が焼けてしまった。しかし焼けたままの姿でも御神木として今なお保存され、そばに小さな社が造られて信仰されている。階段がそばにあって大きさや悲惨さはわかりにくいが空襲の恐ろしさを訴えているようである。

  茨住吉神社は、江戸初期の寛文元年(1624)に九条島の土地が開発されたのを、代官の香西皙雲と開発者の池山新兵衛が船舶の安全と新田の繁栄を願って住吉の四神を勧請したのが始まりという。

 この神社の由緒記には、この付近が少し高くなっており、そこに楠あり、その傍に祀られていた小さな祠がこの神社の始めではないか、と書かれている。江戸後期の浮世絵の「浪花百景」シリーズにはこの神社があるほど有名であったが、昭和20年(1945)3月13~14日の大阪大空襲で、神輿庫一棟を残しことごとく焼失したとのことである。氏子もほとんど空襲で焼け出されてしまいその後は大変だったようだ。

 現在の社殿は昭和40年(1965)、鳥居などは昭和46年(1971)に完成している。

 神社名は、灘の住吉神社即ち摂津莵原郡(うばら)の住吉神杜から分社されたので「うばら」から「いばら」になったという説と、神社の出来た頃周囲に「いばら」が多かったという説とがある。しかし名前の由来はどうれあれ、大阪大空襲以後のこの神社もこの九条の町も現在に至るまで「いばら」の道であったに違いない。


案内人 佐藤泰正(元今津中学校教員)

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