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「八紘一宇」の碑「はっこういちう」のひ

 

 正確には「国旗掲揚柱の基部」である。

 「八紘一字」とは日本軍が全世界を侵略し、天皇を頂点とした世界を造るための標語として使われた言葉。全世界(=八紘)を一棟(=一宇)とするという意味。2本の石柱の間に木の「国旗掲揚柱」があった。木は石柱に挟まれた部分を残し上の部分は腐って無くなっている。

 石柱は大きい方が高さ1m70cm、小さい方が1m40cmある。

北面には「八紘一宇」「皇紀二千六百年紀念」「九條中通青年国」と彫られている。

 「皇紀」とは神武天皇が橿原の宮に即位した年(BC660)を「皇紀元年」として数える暦年法で戦前は今の西暦ではなく、この「皇紀」をつかった。昭和15(1940)年が「皇紀」でいうと2600年になるのでいろんな記念的な事をおこなわせた。この地域の青年団ではこの「国旗掲揚台」を作ることにしたのだろう。

 南面には大きい石柱に「創立十五週年記念」「昭和十五年一月建立」小さな石柱に「昭和九年九月二十一日関西風水害浸水々水位標」とあり「室戸台風」の時の浸水線が95cmの所に横線で彫られ「最高水位線」と書かれある、そばの九条東小学校の塀にも「暴風水害記念誌」がはめ込まれている。この付近の人にとっては「室戸台風」の高潮は忘れることの出来ないものだったのである。

案内人 佐藤泰正(元今津中学校教員)

 

 地下鉄阿波座を上がったところにある薩摩堀公園の中にも「八紘一宇」の碑がある。ここは隣の大阪市阿波座センタービルとあわせてかつて広教国民学校の場所だった。碑も学校の中に建っていたのだろうか。

案内人 柏木 功

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