大阪市内で戦争平和を考える大阪市内で戦争平和を考える

元波除警防団員戦災死者之碑・慰霊之碑

 「元波除警防団員戦災死者の碑」と「慰霊の碑」が家の間にひっそりと立てられている。取材に訪れた時も町内の人が花を生けておられた。

昭和20年の大阪空襲にさいし、当波除地区 において不慮の死をとげられた諸霊に謹んで哀悼の意を捧げここに慰霊の碑を建立する
  波除連合赤十字奉仕団

 警防団は1939(昭和14)年の警防団令により、それまでの消防組(警察管轄)と防護団(市長が団長)を統合再編して作られた。団長は市長、団員は17歳以上55歳までの区域内の住民の中から警察署長が任命した。警察・消防の補助員として、警報発令とともに所定の場所に出動し警防業務に従事した。

 3月13日夜23時57分から翌14日午前3時25分の間大阪上空に爆弾を落としたB29は274機。港区の市岡元町が照準点の一つだった。灯火管制で真っ暗な大阪上空から先導機が炸裂するナパーム弾を照準点に投下し、それを目印に後続機が焼夷集束弾を投下した。焼夷集束弾は空中で38発の小さな焼夷弾に分かれて火の雨となって降りそそいだ。この空襲で港区の主に東半分が焼き尽くされ、その中に波除地域もあった。


案内人 柏木 功

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